波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

『おら おらで ひとり いぐも』を読む。

2018年04月27日 | 読書

(前回『浮世の画家』から続く)
子さんの方は、「自分とは何か」を徹底的に追求する。老後はそのための時間と言う感じ。図書館でノートに書き写した人類誕生史だって自分史にしっかり引き込む。亡き夫とのなれそめや暮らし、子どもたちとの関係、人生指針のばっちゃん、いちいち自問自答で解説し自分を納得させる。この理屈っぽさ、素直さ、率直さ、行動力が『おらおらでひどり いぐも』を導く。『浮世の画家』の方は終始一貫理屈っぽさ漂う。読みやすいがその分、作者の巧妙な企て感じる。間接話法で、「私は私自身の責任で人生を全うする。色々あったが」なんだなあと最後の最後に思う。そこは桃子さんと一脈通じる人生の肯定。だから最後まで読み通せる。

                                            
 
マヨさんは、「(おらおらで~は、)読んで元気が出る、一人になっても自分を励ます生き方や家族の血がちゃんと引き継がれていくのも嬉しい。(同年齢の友人が)バイブルにすると言っていた」と感想。ちなみにカズオ・イシグロ作品は「分かるようで分からない」と言う。波風氏は今まで、男性作家側の「老後」を読んできた。桃子さんを読み、男も女も老後の淋しさは同じでも、それまでの日々(仕事の満足感含む暮らし方)が、残りの人生を支えるのだと思った。今日の言葉:老後は急に始まらない。
 


公式裏ブログを「竹の子ご飯」で同時更新しました ママヨさんはエプロン作り、波風氏は小屋と家周辺の片付け仕事。寝起き時間が2~3時間づれていても、3食一緒がリズムになる暮らし方。老後はだいたいこんなもの?大画面で見る3本の映画予定。こういうのが楽しみになる隠居生活。
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『浮世の画家』を読む。

2018年04月26日 | 読書

と昼の食後、本を読む。『浮世の画家』(早川書房:カズオ・イシグロ著)と『おらおらでひとり いぐも』(河出書房新書:若竹千佐子著)の併読。2人の主人公は、人生の輝かしい時代も社会的立場も老後の境遇も全く違う。共通なのは、若い時代の記憶が延々と語られること。前者は戦中に名声を得た老画家の「わたし」、後者は東京オリンピックの年に東京へ出てきて60年になる老婦人の「桃子さん」。
 
                                                                      
 
いてきた信念と戦後の変化で揺れる「わたし」。この作品も、この恥ずべき記憶はお前にもあるだろう、人に言えない過去を持っているはずだと読者に迫る。そして、記憶だけが「自分とは何者か」という根源的な空白を埋める唯一の手がかりと感じさせる。救いは、こうした屈折した人間を描きながら、今まさに落ちようとする夕陽に静かに寄り添うような優しさを感じさせてくれることだ。別のを読みたい。昨年の秋からこの作者のを途切れなく読んできた。きっとまた、同じテーマだろうと思いながら。(次回に続く)
 

 
「読書感想文が難しくて(面白くない)」という本ブログ読者の声(涙)。なるほどカテゴリー『読書』はどれも面倒そうだ。だが、こんなのを読んだり書いたりしないと脳が衰える感じが 米氏(あの「米の練習帳」の)が「波風家で美味しかったのはウドンかなあ」。おおっ、嬉しいな未だ寒いが、外の小屋で箸箱や外水栓の造作を始める。咲き始めたクロッカス、ほぼ全部が鹿のご飯に。ママヨさん落ち込む…もう一つの波風ブログを「コロッケ定食」でただ今更新。
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手で作るもの

2018年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

日、70代の知人から白いキャンバスと額が宅配で届き、夜に80代の方から木枠、キャンバス布が届いた。事前に「もう描かないから貰ってくれたら嬉しい」と言われていた。お二人が絵を描いたんだと知ったのだが、この連続に「歳」と遊びの終わり、そして「手」を意識した。

後5年ぐらいは未だ立ち向かえる気がするから、貰うと返事していた。絵の具を使うのは体力がいる。ずうっと裏返しにして立てかけてある描きかけの百号キャンバスは、「いつか再開、それまでに描く絵は全部その準備」と30歳から思っていたが、この頃「さていよいよ。決着つけてから逝かなければ」と意識変化。永く言葉を使う仕事してきたせいで、考えすぎて描けない習性を修整して終世を迎えたい。

こらの動機というか執着は、能力や意欲以上に、自分の『手』を今一度信じてみたいからだ。鶴を折れないとか、リンゴの皮を剥けないとか、波風氏は実に不器用、そして偏って器用。退職後、家事を通じ、暮らしはすべて手の恩恵だと実感。絵は暮らしに全然関係無い分、手がそんな方面にも活用できたら嬉しい。手が作るのはすべて目に見えるモノ。だがそれ以上に、手作業の時は自分は何者かを発見できる機会、機嫌良く暮らしていける自信を手が最も雄弁に語ってくれる気がして。


画像は、捜すと無く、あると高価な定番コーヒカップセット使用の朝食。ママヨさんが見つけた格安の「処分品」。こんなカップが欲しかった。波風食堂の備品購入ひとつ終了 もっと時間が経てば、描けなくなり、書けなくなり、読めなくなるのだろうなあ。今のうちだな 公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」を「葉も、根も…」でただ今更新。

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こんなに笑える「政治」なのに

2018年04月18日 | 新聞感想
・総理いかにと答弁迫る議員越しのけぞる議員目薬注す(登米市 菅原小夜子)
・佐川氏の父上ご存命ならば泣くか叱るか証人喚問(近江八幡市 寺下吉則)
・福島の人間(ひと)は真っ正直という信念ゆらぐ証人喚問(下野市 若島安子)
・改竄を改ざんと書く手緩(ぬる)さよ穴の鼠(ねずみ)はつゆ出ざりき(東京都 高橋道子)
・答弁に嘘つく人の言いっぷりこれはいつかの夫に似ている(ひたちなか市 猪狩直子)
 
ぐらい怒って呆れてしまう政治は珍しいのに、これを笑って楽しむ風刺文化が沈黙。これを取り上げる芸人は表舞台に出られない。そんな時代閉塞の中、クスリとさせる貴重な朝日歌壇(4/15朝刊)。女性作者がセクハラ次官をどう料理するか、来週が待ち遠しい。金子兜太氏亡き後も意気けんこう。「通信簿2がつかなくて良かったと褒めくれし母要介護3」(宝塚市 萩尾亜矢子)、こういう笑いも好きだな。
 
性をモノのように扱い、大小全てのことで嘘をつき、国民がそれを信じていると言い張る人。彼が国のリーダーであることは我が国の規範や価値観に計り知れないダメージをもたらす、特に真実について。このような人物は道徳的に言って、リーダーにふさわしくない。この言葉は、米国大統領を評する解任されたFBI長官の回顧録『高い忠誠心、真実と嘘とリーダーシップ』(昨日発売)から。我が国の政権リーダーや官僚とピタリ重なる。何とおぞましい。
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詩『また あいたくて』

2018年04月16日 | 読書

 

46の詩が集められた『あ・い・た・く・て』(大日本図書:工藤直子 詩、佐野洋子 絵)。最初が『あいたくて』で最後が『また あいたくて』。このブログで繰り返し繰り返し『あいたくて』の記事が読まれているので、久しぶりにこの詩集を開いた。

だけでなく、自分にも、自然にも、猫にもあいたいという。この詩では、「さよならをくりかえし さよならをつみかさね」に立ち止まり、「また」なにかにあいたくて「きょうも あるいていく」で、やはり映画『あん』のエンドロールの言葉を思い出す。この詩も『あいたくて』も、幼年・青年・壮年・老年の全てにあてはまる感じ。今の波風氏には、隠居生活の道しるべのような。


話題の『おらおらで ひとりいぐも』(河出書房新社:若竹千佐子著)読み始める。「青春小説の対極、玄冬小説」「63歳の新人、新たな『老い』を生きるための感動作」と帯に 裏ブログ「蜜柑」を書き、ふと「柑橘類  遺伝子」で検索すると。紀州蜜柑がルーツとの京都大学の研究結果が。面白いなあ、こういうのも「あいたくて」あえた、ということになるのかも。

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