以前にも書いたかもしれないが、忘師予防のipad。カバンから出すのを忘れる事も。「コラムのお題もメモしておかなければ」と思う今日この頃。新聞や雑誌、ネット上のブログ…、世の人々が創り出す文章に接する機会は多いが、どうやって「お題が重なるのを」防いでいるのだろう。文章自体はもちろんだが、感心してしまう。
友人との会話で、意気揚々と「特ダネ」を話す。聞き終わった後に友人から「いやぁ、すごい話だとは思うんだけど…、もう3回目だからねぇ…」等と言われた時のばつの悪さと言ったら無い。最後まで話を聞いてくれる友人の優しさ、しっかりと指摘してくれる友人のありがたさ、そして自分の不甲斐なさ。みじめな自分を慰めるように、最近は「前に話したことあったかもしれないけど」と前置きしなければ会話を始められなくなってしまった。まあ、話というのはその時の場面や相手の事を考え『今、私があなたに伝えたいことはコレ!』というのが大事。聞く側も「あ、この話…、前も私にしてくれたよなぁ。それほど大事な話で、今の私には必要な話なんだなぁ」と思えるなら、「前に話したことあったかもしれないけど・・・」という前置きは世の中から無くなるのだろう。
この話、前にも書いただろうか…。
友人との会話で、意気揚々と「特ダネ」を話す。聞き終わった後に友人から「いやぁ、すごい話だとは思うんだけど…、もう3回目だからねぇ…」等と言われた時のばつの悪さと言ったら無い。最後まで話を聞いてくれる友人の優しさ、しっかりと指摘してくれる友人のありがたさ、そして自分の不甲斐なさ。みじめな自分を慰めるように、最近は「前に話したことあったかもしれないけど」と前置きしなければ会話を始められなくなってしまった。まあ、話というのはその時の場面や相手の事を考え『今、私があなたに伝えたいことはコレ!』というのが大事。聞く側も「あ、この話…、前も私にしてくれたよなぁ。それほど大事な話で、今の私には必要な話なんだなぁ」と思えるなら、「前に話したことあったかもしれないけど・・・」という前置きは世の中から無くなるのだろう。
この話、前にも書いただろうか…。
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前号の「一寸凡師」のコラム欄に6本の投稿が。凡師本人からも。一つのテーマに、各自の立場からコメントする「広場」の楽しさ感じる。是非、ご覧下さい。ご投稿下さい(立男)<xbody></xbody><xbody></xbody><xbody></xbody><xbody></xbody>