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☆ 虎屋羊羹 by 白戸文明

2019-07-08 00:37:53 | ☆ 苗苗言語生活

苗苗教室白戸同学の新しいエッセイ《虎屋の羊羹》。

日本語と中国語を書いてくださったのでどうぞ両方ともご一読ください。

“虎屋的羊羹”

白户文明

      在日本,“虎屋的羊羹”代表高级羊羹,被看作是最高级的礼品之一。虎屋的羊羹只需吃一口就可以感受到那上等的甜味和口感。虎屋的羊羹软硬适中,吃后口中余韵芳醇,让人觉得是在享受口福。特别适合佐以抹茶或稍浓的绿茶。去买“虎屋的羊羹”时,无论任何时候任何店铺都能看见服务员笑容满面的服务。可以说是享受从购买到品尝全方位的满足感。虎屋的网页主页上写着:“如果不打开包装,即使保质期过了一年也不会有问题”。这么有信心的厂家很少,因此无论价格多贵,顾客都能接受。

      羊羹起源于镰仓时代(13世纪),是随禅宗从中国传来日本的。中国的羊羹如字面那样,原意是“羊肉的冷汤菜”。但是日本把羊肉更换成小豆、栗子等豆类,是因为禅僧不可吃肉。之后随着时代的变迁,往羊羹里加糖,便出现了甜味的蒸羊羹。江户时代后期(1800年前后),又加入了琼脂和饴糖,做成半凝固的点心,现在市场上主流的“羊羹”就此问世了。

       虎屋于室町时代后期(1520年代)在京都创业,是拥有490余年历史的一家日本传统点心店。自第107代后阳成天皇在位(1586~1611年)以来,近三百年维持着皇室御用点心店的地位。但1869年(明治2年)明治维新后日本迁都东京。虎屋借这个机会于1869年在东京开店。历代的店主都由创业的黑川家族担任。现在的店主是黑川家第17代后人黑川光博。

      “虎屋的羊羹”味道香浓独特。 虎屋这种风味是怎样酿成的?技术根源是从哪里来的?

      我为此查看了虎屋的历史(社史)。以下为历史摘录。

      1600年(庆长5年)“市豪虎屋”掩护了在关原之战败阵的西军石河备(いしごび)前守(ぜんのかみ)(备前犬山城城主)。“市豪虎屋”的这一举动可以让人推想当时虎屋生意兴荣的景象。“虎屋”的字号当时已经存在了,店主黑川圆仲被称为虎屋的复兴之祖。1695年(江户时代・元禄8年)虎屋发行了商品目录“御菓子之书图”(日本现存最早的点心样本),发给老客户用来订货,也就是通过商品目录邮购。1805年(文化2年)第9代店主・黑川光利制定了虎屋经营的基本方针,即日语的「掟書(おきてがき)」。因为1788年(天明8年)京都发生了一场毁灭性大火,经济萧条。虎屋也陷入困境。为了应对这危机,他制定了一系列服务员规则。「掟書(おきてがき)」(员工规则)由15条规定构成,具体内容如下:

一、        注意节约,有建议的话书面提交。

一、        上班时保持清洁,时常洗手漱口。

一、        无论对谁都要恭敬对待。

一、        街上遇到客人时要礼貌招呼。

一、        不散播谣言。

一、        无论伙计还是徒工,都要不懈地学习书法和算术。

一、        每个月提供两次酒肴给员工。

(以下省略)

以上标准大部分沿用至今。

      1844年(天保15年)虎屋和同业者二口屋合并,扩大了经营规模。1869年(明治2年)第12代店主黑川光正在东京开业。

虎屋一直采用创业者黑川家族世袭的制度。但还有一点值得注意的是一代只能有一个家族成员加入。为了防止同族大量参与使虎屋变成家族竞争的牺牲品,这就是虎屋为了 “排除(公司经营)公私不分”采取的划时代的严格手段。现任的店主黑川光博总经理手下参与经营的亲属仅有他的一个儿子。

      而目前很多企业采用的商品目录邮购、制定员工规则(掟書)、世袭制度等经营手法都是虎屋多年前早就创造并实行的,使我钦佩之致。

      二战结束后,1948年 “股份公司虎屋”成立。1964年(昭和39年)总公司大楼竣工(东京都港区赤坂)。1966年(昭和41年)为了确保高品质的原材料,在群马县新建了栽培农场。1978年(昭和53年)为了确保大量的优质使用水,在富士山山脚新建了御殿场工厂(主要产品是羊羹馅)。1991年(平成3年)第17代店主黑川光博上任。目前,虎屋在日本有三家工厂,约80家分店。

      看过虎屋社史后才知道虎屋一贯坚持着重视“提高商品品质”、“为顾客服务”和 “社员的教育制度”的理念。“虎屋的羊羹”回味无穷的味道让我不禁想像,这种美味是三种精神的“三位一体”! 假如忽视了其中一个,虎屋就会立刻沦为有名无实的老铺子,也就是金钱比信用更重要,满足自己比满足顾客优先的铺子。然而,虎屋在沿袭了自己的传统和核心价值的同时,不断改善经营不断前进。靠自己的努力建立了“胜者的企业风范”。这就是虎屋永不落后于时代的动力。

      现在我们在日本的任何地方都能买到“虎屋羊羹”, 虎屋羊羹不能说是东京的特产,可是,逛街时偶然看见“虎屋铺子”的招牌帘子,总不由得油然生敬。

 

 

“とらやの羊羹”

白户文明

    “とらやの羊羹”は高級羊羹の代名詞で贈答品の定番と言われる。その上品な甘さ、食感は硬すぎず、柔らかすぎず、上質な舌触りと後味…真に格別である。抹茶や濃い目の緑茶によく合う。しかもいつどの店に行っても店員の溢れる笑顔に接する。つまり、買う時点から食べ終わるまでトータルで満足度が高いのである。未開封なら賞味期限を1年過ぎても問題ないとWEBに明記している、こういうメーカーはなかなか無い。なので「多少高価でも納得!」となる。

   羊羹は、鎌倉時代(13世紀)に禅宗とともに中国から伝わった点心「羹(あつもの)」がルーツである。中国では文字どおり羊肉の羹(あつもの)(吸い物)であったが、日本では禅僧は肉食を禁じられていたので材料を小豆や栗に変えた。時代とともに甘みが加わり蒸し羊羹が出現した。江戸時代後期(1800年頃)寒天と飴を加え棹(さお)状に固めた今日主流の“練り羊羹”が誕生、普及した。

   虎屋は490余年の歴史をもつ和菓子の老舗である。室町時代(1520年代)京都で創業した。第107代後陽成天皇の御在位中(1586~1611年)以来京都御所に菓子を献上して来た。1869年(明治2年)明治天皇の東京遷都を機に東京に出店し,店主は代々創業家・黒川家が務め、現在の店主・黒川光博は17代目である。

   この“とらやの羊羹”の美味さ、深みの根源は一体何だろう?

   ここで虎屋の歴史(社史)を覗いてみた(抜粋)。

   1600年(慶長5年)関ケ原の合戦で敗走した西軍・犬山城主 石河(いしこ)備前(びぜん)守(のかみ)を虎屋が匿った故事が見える。市豪虎屋と記されていることからその商いの繁盛ぶりが想像されるし、この頃既に虎屋と名乗っていたことがわかる。この時の店主・黒川(くろかわ)円(えん)仲(ちゅう)は虎屋の中興の祖といわれる。1695年(江戸時代・元禄8年)最も古い菓子見本帳といわれる「御(お)菓子之(かしの)書図(しょず)」を作成し、お得意様に預け、注文を頂くカタログとしたと記されている。1805年(文化2年)第9代店主・黒川光利が「掟書」を策定した。これは1788年(天明8年)の京都大火により京都の経済が停滞し、虎屋の経営も悪化した。虎屋再建に臨み、店員が守るべき基本的な姿勢や考え方、行動規準を示したものである。15ケ条から成る。例えば、

一、倹約を第一に心掛け、良い提案があれば各自文書にして提案すること

一、菓子の製造にあたっては常に清潔を心がけ、口や手をたびたび洗うこと

一、御用のお客様でも、町方のお客様でも丁寧に接すること

一、道でお客様にお会いしたときには丁寧に挨拶すること

一、噂話をこちらから言ってはいけない

一、 手代や丁稚に至るまで、常に書道や算数の勉強を怠ってはいけない

一、奉公人には毎月二回酒肴を出す  (以下略)

   この、行動規準の大部分は現在も踏襲されている。

   1844年(天保15年)同業者・二口屋を吸収合併、経営規模を拡大した。1869年(明治2年)12代店主・黒川光正の時東京進出した。

   虎屋は代々黒川家の世襲制、しかし最大の特徴は「一代一人」しか入店しないことである。これは同族が会社を喰い物にしない、つまり“甘えの構造排除”という画期的且つ厳しいシステム(掟)である。現在の店主・黒川光博社長の身内は子息1名のみ在社している。

   このように創業以来虎屋がカタログ、掟書、合併、厳しい世襲制…等々現代企業にも通じる経営手法を編み出し実行していることに驚く。

   そして戦後、1948年(昭和23年)株式会社虎屋設立。1964年(昭和39年)赤坂に本社ビル竣工。1966年(昭和41年)高品質な原材料を栽培育成まで遡って確保するため群馬農場(指定農場)を開設。1978年(昭和53年)良質の水を求めて富士山麓(御殿場)に羊羹と餡の専門工場を建設。1980年パリ店開設。1991年(平成3年)17代店主・黒川光博代表取締役就任。現在、虎屋は日本国内に3工場、約80支店を展開している。

   社史を見て解ることは、創業以来虎屋の“商品の品質向上、お客に対するサービス、社員教育重視”の精神が一貫していることである。“とらやの羊羹”の美味さ、深みの根源はこの精神の“三位一体”であろうと思う。これらの一つでもないがしろにすると、信用より金、客の満足より己の満足を優先することに繋がる。それは名ばかりの老舗に成り下がることになる。しかし虎屋は常に伝統と企業価値を維持し改善・前進している。オンリーワンで勝ち残る企業風土づくり、これが虎屋が陳腐化しない原動力であろう。

   今日虎屋の羊羹は全国どこでも買えるので東京土産とは言えないが、街中で虎屋の“暖簾”を見かけるとちょっと敬意を表したくなるのである。

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