苗苗老師的心言苗語

苗苗老師こと劉心苗、渋谷でアットホームな教室を営みながら、中国語講師・高校中国語講師・翻訳業・母親業を頑張っています。

☆ 毛豆(edamame)

2017-02-11 00:03:05 | ☆ 苗苗言語生活

我也很喜欢清香同学的文章,她的文字恰如其名----清新之中的淡淡幽默常带给我惊喜。

 

  毛   豆 

村岡清香

  这几年谷歌搜索(不包含日本)的和食关键词中,“edamame”每次都上榜。“edamame”的日语汉字是“枝豆”,也就是 毛豆。


  2015年“edamame”紧随"sushi(寿司)"之后排进了第二名。第三名是日式拉面、第四名是生鱼片,第五名是天婦罗。


  除了毛豆以外,这个排行基本上在我猜想的范围内。但是,对毛豆获得检索排行第二名这件事觉得意外的日本人一定不止我一个人。

  毛豆是还没有成熟时收割下来的大豆。据说日本江户时代商人卖的毛豆是连着树枝的,所以日语叫枝豆。日本枝豆有在特定的地方才能栽培的高级毛豆。高级毛豆有。有些名牌毛豆的荚上有棕色的细毛,这种品种被称为“茶豆”。高级毛豆的收获量比一般毛豆少,栽培难,价格贵,但味道又香又浓,很好吃。日本人一般只用盐水煮毛豆吃。如果菜单上看到枝豆,一般就意味着盐水煮的毛豆。

  夏天是毛豆的旺季。一边喝冰冰的啤酒,一边吃毛豆,这就是夏天的乐趣之一。对日本人来说,毛豆可以说是最好的下酒菜,所以常常在小酒馆的菜单上登场。

  谷歌的检索排名呢,我猜可能是外国人在日本的小酒馆或餐厅吃了毛豆以后感兴趣,就搜索看看,所以检索率很高。

  日本菜即和食2013年被列入联合国教科文组织的非物质文化遗产以后,对和食感兴趣的外国人渐渐增加。对他们来说,用盐水煮的edamame应该也是正宗的日本菜。但对日本人来说,我们并不觉得edamame是一种日本菜,我们觉得edamame只是作为下酒菜随便吃的东西而已。所以毛豆获得第二名让我觉得意外。

  枝豆,对不起啊,我们小看你了!

  不管怎样,我很开心外国人也能享受我们喜爱的枝豆的味道。

  其实毛豆富有蛋白质、鉄质、钾等。据说毛豆对疲劳回复、血流改善或防止宿醉也有效。不仅好吃,而且作为健康食品受到关注。 

  这么多优点的枝豆其实有一个很可怕的圏套----它轻易地破坏我们的自制力。一吃就很难停手,不知不觉吃掉一堆。

  小心!不要吃太多!

  edamame 

村岡清香

 この数年、日本国外でグーグル検索された和食に関連した用語にedamameがいつもランクインしている。edamameとは枝豆、中国語の毛豆のことである。
  2015年には一位の寿司に続き、2位となった。3位はラーメン、4位は刺身、5位は天ぷらだ。枝豆以外は想定内の結果だが、2位の枝豆を意外だと思った日本人は私だけではあるまい。
 毛豆とは未成熟の状態で収穫した大豆である。江戸時代に商人が枝に付いたままの毛豆を売ったことから枝豆と呼ばれるようになったらしい。枝豆の中には特別な地域でしか育たない地場品種のブランド枝豆がある。ブランド枝豆は何種類かあるが、さやの表面に茶色の産毛が生えているものは茶豆と呼ばれる。ブランド枝豆は収穫量が少なく、栽培も難しく、値段も高い。しかし、味にコクがあり、香りもよくてとても美味しい。
 日本では普通枝豆は塩茹でにして食べる。メニューに枝豆と書かれていたら、たいていは塩茹での枝豆のことだ。
 夏は枝豆の旬である。キンキンに冷えたビールを飲みながら枝豆を食べるのは夏ならではの楽しみだ。
 日本人にとって枝豆は最高の酒のつまみと言える。そのため、居酒屋のメニューにも頻繁に登場する。
 グーグルでのランクインは外国人が日本の居酒屋か料理店で枝豆を食べた後興味を持って検索した結果であろう。
 日本食、すなわち和食が2013年に無形文化遺産に登録されてから和食に興味を持ってくれる外国人も増えてきた。外国人にとって枝豆もちゃんとした日本料理に違いない。だが、日本人にしてみたら枝豆は日本料理と呼べるものではなく、酒の肴として適当に食べるものに過ぎないという認識だったので、2位がとても意外に感じたのだ。見下していてごめんよ、枝豆!
 何はともあれ、私たちが愛する枝豆の味を外国人もわかってくれているのは嬉しい。
 実は枝豆は蛋白質、鉄分、カリウムなどを豊富に含み、疲労回復、血流改善、二日酔い防止などに効果があるらしく、健康食品としても注目されている。
 良いことづくしの枝豆だが、怖い落とし穴もある。軽々と我々の自制心を奪ってしまうことだ。食べ始めると止められず、気がつくと一山食べ尽くしてしまう。
 食べ過ぎにはご注意を!

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☆ もう一度“一年生”

2017-02-04 00:07:20 | ☆ 苗苗言語生活

 白戶先生每週交給我一篇作文是從5年前開始的。那時,他63歲。對我來說,修改他的文章,同時也是一項寶貴的人生體驗及學習。“现在的生活跟公司时代截然不同,不需要业绩、地位那些粉饰自身抬高自己的东西。我已经习惯了“自身本色”的生活。这意味着我已经靠自己的能力建立了“在这平凡的人世间快乐地生活下去”的基础。”——白戶先生的文章中總有一些讓人因共鳴而油然而生的欣喜。恰好,今年自己也重返大學院,重新開始颯爽清新的一年級,“過身心健康的生活,深耕自己的興趣愛好。” 年齡,真的不是問題!

再来一次“一年级”

白户文明

      我今年六十八岁,有时候会感觉体力有些衰退了。但是,现在的生活跟公司时代截然不同,不需要业绩、地位那些粉饰自身抬高自己的东西。我已经习惯了“自身本色”的生活。这意味着我已经靠自己的能力建立了“在这平凡的人世间快乐地生活下去”的基础。

      富裕与否,社会地位的高低都与我无关,踢开这种一般的社会衡量尺度,一切我自己做主!无论于家庭还是于社会,我都不想给谁添麻烦,能自己做的事都自己做。即使病倒了或需要看护时,也不怨天尤人,时刻保持感恩的心,做一个心灵逍遥自在的人。我愿成为一个“东京逍遥者”。正装革履,系着蝴蝶结,风度翩翩,巡游于浅草的荞麦面店,出没于神保町的旧书街,或者坐在青山的露天咖啡店里看≪新闻周刊≫ ,或者到乃木神社的骨董市场淘宝……

      我仍记得,三十年前我女儿的小学开学典礼的那一天,看到孩子们闪烁着期待的清澈目光,内心感动之极。每年在樱花盛开的时节去上学的一年级的孩子们,心中一定没有后悔,或无力颓丧的心情。

      2017新年伊始,我要再一次回到那飒爽清新的一年级,过身心都健康的生活,继续深耕自己的兴趣爱好,朝目标前进!我想,年龄不是问题吧。            

                           

もう一度“一年生”

        白戸文明

   六十八歳、この歳になると体力的にも衰えを自覚する。しかし、会社時代とは違って業績とか地位とか自分を大きく見せる装置が無くなり、今は“素の自分”の生活にも慣れた。これは自分次第で“面白くもない世を面白く生きる”基盤が整ったということだ。

   裕福かどうか、社会的地位はどうか、などという世間のモノサシはけっ飛ばして、生きたいように生きることが大事だ。

   家庭でも社会でも誰にも迷惑かけず自分のことは自分で軽々とやってのけよう!倒れて介護が必要になっても飄々としていよう。東京walkerになるのもよい。スーツに蝶ネクタイでキメて浅草のソバ屋を巡り、神保町古書街に出没し、青山のオープンカフェでニューズウィークを読む、乃木神社の骨董市も覗いてみよう・・・

 もう三十年も前、娘の入学式で会った子供達のあの清々しい“眼の力”に圧倒された自分を思い出そう。毎年桜の下をくぐって登校する一年坊主に悔いや無力感など無いだろう。

   新年からもう一度あの一年生の気持ちに戻ってスタートしよう。心身ともに健康に気をつけて自分と相性のいい趣味を深耕する、行ける所まで行く、歳など関係ないと思う。

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☆ 知足知不足

2017-02-03 00:05:30 | ☆ 苗苗言語生活

    

今年中国の春節は1月28日でした。

土曜日なので授業が終わってから一部の生徒さんとささやかな新年会をしました。

教室が始まったばかりの時、

宣伝や集客のためイベントをずいぶんやりました。

とはいえ、中国語好きなみなさんと一緒に中国語を楽しむ会は中国語講師にとって楽しいことです。

ただし、仕事が忙しくなる理由もありましたし、

出産、育児などで怒涛のような毎日を送っていたためイベントがご無沙汰になりました。

ようやく娘は小学生になり、時間的に余裕が少し出てイベントを少しずつ復活にしようと考えています。

いまなら、単に意気投合の仲間同士でご馳走しながら歓談することを楽しみたいです。

中国語に対する思いをわいわい語り合い、

11年間中国語学習の道を共に歩んできた思い出を語りながら乾杯するのは幸せで満足です!

そういえば、満足に関して最近ある先生から素晴らしい言葉を聞きました。

感銘して今年の座右の銘にしました。

知っている方もいらっしゃると思いますが、ここで紹介したいと思います。

「知足知不足」

足るを知るーー好きな仕事を好きな環境で好きな人と一緒にすることを心から感謝感激し満足しています。

不足を知るーー中国語教育の奥義を究めるには自分の足りないところを知った上努力を続けたいです。

日々の満足と不足を感じとりながら2017年を邁進したいです。

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☆ 好文共賞Ⅱ、Ⅲ

2017-01-20 00:26:45 | ☆ 苗苗言語生活

白戸同学的養母隨筆系列,每篇都讓我感動。

人生的真情暖意,與年齡國別無關。

白戸同学のシリーズエッセイ「養母」、

どれも感動的です。

人と人の絆、温もり、国や年齢とは関係ありません。

养母,您还记得那部电影吗?

曾我部艳子 女士

前略 

这几天,每天都很冷,您的身体好吗?我每天还是继续弓道训练和其他两三个爱好,过得快快活活的。

其实,这六十多年来我的脑海里一直有一个忘不掉的记忆,是我和您在卯之町的电影院看的影片----它的名字是什么?我不知道。但,我还记得那个影片中一个女人掉进湖里的画面,看到那个画面时还听到了一首悲哀的歌“黒ユリの歌”(織井茂子)----这些60年来一直不知不觉地留在我的记忆里。

我想那个影片大概是那时期最受日本女人欢迎的影片,名字叫《君の名は》(你的名字)。所以最近买了那个影片的影碟。

果然没错。六十多年前在卯之町的电影院里您和我看的是《君の名は》。

在您住的老人院也一定能看影碟,所以寄给您这片《君の名は》和几盘同时代的影碟。我希望您能愉快地欣赏它们。

另外,这些影碟,用不着还给我。您可以留着欣赏它们,多少次都可以。

去年秋天,我和妻子去北海道旅游了(钏路、罗臼、摩周湖、网走等)。《君の名は》影片中的摩周湖,就是影片中那个女人掉入湖里的地点,从湖面的背景和角度来看,也许就是我们站立的瞭望台周围,我估计。

祝您

身体健康

白 户 文 明

  養母に“君の名は?”(DVD)を贈る  

曽我部ツヤ子 様

前略 寒い日が続いていますがお変わりありませんか?

私の方は相変わらず弓道鍛錬ほか二、三の趣味を楽しんでいる毎日です。

ところで、「卯之町で観たのは何の映画だったのか? 女性が湖に沈む画面はその時の映画、“黒ユリの歌”(織井茂子)のメロディーはその時聞いたような気がする…」これがこの60年間ずーと脳裡にありました。

想像するにたぶん当時大ヒットした映画『君の名は』だろう…、と思いDVDを入手し観てみました。やはりお母さんと卯之町で観た映画は間違いなく『君の名は』でした。

コンフォールでも観られると思いますのでこのDVD他をお送りします。ご覧になって頂ければ嬉しいです。

※DVDはお返し頂かなくて結構です。何度でも観られます。

昨年の秋、家内と道東(釧路・羅臼・摩周湖・網走等)を旅行しました。『君の名は』に出てくる摩周湖の畔は背景の角度からみて展望台の辺りではないかな…? 何となくそんな気がします。

 では風邪などひかぬようご自愛ください。

草々

恸 哭

白户文明

去年8月,我突然接到了养母曾我部艳子去世的通知。为了表示吊唁,我立刻邮寄了一份奠仪给养母的侄子白户忠孝先生,并拜托他把奠仪送到养母灵前。

但是白户忠孝给我的回信让我非常意外。他说他是养母进养老院时的保证人,养母的葬礼时担任丧主,养母的灵牌也在他家。至于养母的灵牌为什么不放在娘家曾我部家,而放在白户家?原因是养母生前的恳请。养母灵牌会放在白户家两、三年,由他祭奠。以后再托放到菩提寺。白户忠孝还请我有机会回老家时去养母灵前烧香,相信天上的养母一定会非常高兴。

白户忠孝还在信上说,去年5月养母发现肺癌,而且已经转移到脑部。因她已92高龄,所以医生建议采用迎终医疗的方法。8月27日她安然离世。临终前的两个小时她还清醒,静静地迎来了人生的结束。

今年7月,我去冲绳旅行,回程时顺路去了一趟松山市。拜访了养母的侄子白户忠孝。我在养母的灵牌前祭拜后和白户忠孝细细谈了养母的往事。

据说养母生前一直十分怀念我两年半前的探望。把我探望她时的合照、我寄给她的孙子们的照片给亲戚们看,欢欢喜喜地回忆着各种往事。另外,养母十分满意养老院的生活,在养老院她心情愉快,心绪平静,后悔没有更早一点进养老院。

次日我乘坐JR去我和养母居住过的伊予岩城和卯之町。虽然我已经不记得曾经生活过的那些街道,但,这也许是我缅怀养母的最后的机会了。

下车踏上卯之町的土地,才发现那儿已经变成一块陌生的土地。听当地的老人向我介绍眼前的超市原来是一家电影院之类的。但是道路和街景的变化太大了。已经流逝了60多年的岁月,把我记忆中的一切冲蝕得不留一鳞半爪。冷漠的现实让我意识到已经无处可以寻找我的童年回忆。我猜北条市的家、幼儿园也必定跟这儿一样,就中止了原定的探访计划。

傍晚,坐在返回东京的飞机上,俯视眼下的松山市全景时,我突然感到一股想要恸哭的冲动----因为,那些能让我追忆起养母的一切都已经烟消云散。

已离开白户家的养母临终委托白户家的侄子送终,化为灵魂后再一次回到了我的老家----白户家。这让我陷入回想养母一生的追忆中。

我离开养母家回到自己的亲生父母家,之后成年独立。这之间几十年的岁月匆匆流逝。但这几十年没有为养母做些什么,以报答她曾经养育我5年的养育之恩,我对此深感惭愧。略让我安心的是,养母去世两年半前我去探望了她,并和她书信往来。这也许她人生最后的快乐回忆之一。

两年半前,我突然登门拜访养母时,她一看见我立刻脱口唤我“文文”!就同我幼时一模一样。那是我终生怀念永不忘却的养母对我的呼唤。

   慟 哭   

白户文明

昨年8月末、養母曽我部艶子さん逝去の報を聞き、僅かばかりの香典を白戸本家の忠孝氏(跡継ぎ:艶子さんの甥)に郵送して霊前(曽我部家)に届けてもらうよう頼みました。

忠孝氏の返事は、実は、養母の養老院入所では彼が身元引受人になり、葬儀では喪主を務め、位牌は自分の手元で供養している…とのこと。

なぜ曽我部家ではないのか?との疑問に、とにかく本人がそう望んだから、ということであった。2~3年間は白戸本家で供養しその後菩提寺に納めるので松山市帰省の折りに立ち寄って焼香してもらうと故人も喜ぶだろう、とのことでした。

養母は昨年5月胃がんが見つかり脳にも転移、高齢のため終末医療となり、8月27日静かに亡くなったとのことでした。亡くなる2時間前まで意識があり安らかな最期であったとのことです。

今年7月11日、私は沖縄旅行の帰途、松山市に寄り久しぶりに白戸本家を訪問、忠孝氏と面談しました。生前養母は私が面会に来た事ことをことのほか喜び、私と一緒に撮った写真や私が送った孫たちの遊ぶ様子の写真を皆に見せて本当に嬉しそうに話していたとのことでした。養老院での生活は気分的に楽しくもっと早く来ればよかったと言っていたそうです。

翌7月12日、私はJR松山駅から電車で南下、かつて養母と暮らした伊予岩城や卯之町を訪問しました。もともと街並みの記憶などないけれど、しかしこれが最後の訪問と思って行ってみたのです。予想通りやはり何処が何処だかまったく判らない知らない町でした。地元の古老に尋ねるとあの辺りに映画館が有った…と言うが今はスーパーマーケットであり、道路の位置も幅も街並みも大きく変わったとのこと。やはり60年の歳月が記憶の片鱗さえも呼び起こさせない現実に、ここもうは私が追憶できる町ではないと思いました。この分では、北条市の家や幼稚園も判らないだろう。なので、これ以上の訪問は中止してしまいました。

夕方、帰京の機内から眼下の松山市を見下ろした時、もはや養母を偲ぶすべてが消滅してしまったと寂寞とした気持ちになりました。     最後の看取りを甥に託し魂となって白戸家に還って来た養母の人生を想像すると…、何十年も放置し何もしてあげられなかったことが慙愧の念に堪えない。しかし私との最後の2年余の交流は喜んでもらえたのではと思います。

私は、2年半前の突然の訪問時、会った瞬間に「文明ちゃん!!」と呼んでくれたあの懐かしい声を一生忘れない。

 

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☆ 好文共賞

2017-01-10 00:07:22 | ☆ 苗苗言語生活

白户先生的文章刊登在《中文導報》上了。

雖然現在每天自媒體訊息氾濫,

但是真摯樸實感動人心的文章,并不多。

敬請一讀為盼!

    

http://blog.goo.ne.jp/mmchinese/e/e0654c5040231e03e4c72832a820cd6d

離別後六十数年の養母を訪ねる

曽我部艶子さんは私が小学校に上がる前の養母です。伯父の娘、つまり私の従姉で他人という訳ではありません。

養母夫婦には結婚数年後まだ子供がなく、当時一歳の私を養子にしたのです。養父は旧国鉄(今のJR)勤務で主として松山駅を拠点としておりましたが時に別の駅に転勤もありました。私は養父母のもとで家庭の温もりに包まれておりました。

ところが、私が六歳の時突然その状況が一変しました。養父母夫婦が離婚したのです。その時養父母は幼い私を誰が、どう養育するか…という難題にあれこれ随分悩んだはずです。結局私は元の生家に還ることになりました。今もって養父母夫婦がなぜ離婚したのか知りません。養父母の家での養母の記憶は優しく温かいものでした。数年後、養母が再婚したという話を聞きましたが子供はいなかったようです。夫がいつ亡くなったかわかりませんが以後の養母は再婚先の娘さんと暮らしてきました。

実は、この十数年来養母と私は年賀状をやり取りして来ました。しかし今年の正月には養母の年賀状が届きませんでした。何故かな…と思い故郷の次兄に養母の状況をそっと確認してくれるよう頼みました。さすがに養母も今年九十歳で病気入院とか或いは天寿全うも考えられなくもないからです。数日後次兄から電話があり養母の様子が分りました。

昨年九月養母は長年生活を共にしてきた娘さんと別居し、生家からさほど遠くない養老院に入居して平穏な生活をしているとのことでした。

私は高齢の養母が自分が望む環境で自由に生活するのが良いと思うし、私にとっても訪問しやすくなったと思います。

2月1日、私は東京から愛媛県東温市の養母を訪ねました。九十歳と高齢の養母は想像以上に健康でした。約一時間の面談は会話はそれほど多くなかったけれど懐かしい空気に包まれたものでした。養母は穏やかな眼で私を見つめ、言わぬまでも、私と同じくこの再会を大変喜んでいる様子でした。

帰京後私は早速手紙を書きました。

曽我部艶子 様

前略 先日は突然お邪魔しまして驚かれたと思います。お元気な様子にたいへん嬉しく思いました。

私も65歳になりました。5年前に会社を定年退職しまして今は自由な毎日を過ごしております。そちらに伺った後長兄を訪ね、夕方JR松山駅から岡山経由でのんびり帰京しました。

電車の中でずっとお母さんと一緒に“金子時代”の事を思い出しておりました。記憶は遠くて断片的なのですが、

・伊予石城に住んでいる時…汽車で一緒に卯之町へ映画を見に行 ったこと。映画の中で女性が湖に沈むのを見たこと

家の隣りにも映画館があったこと

近くの農協で買い物したこと

・伊予北条市に住んでいる時…家の近くに鉄橋があったこと

鹿島神社のお祭りで神輿がぶつかり喧嘩の後海に入るのを見たこと

≪堀部幼稚園≫に入園して そら組 だったこと

ブルーのお弁当籠を持って通園したこと

学芸会で紐のついた手袋をしたまま舞台に出て舞台下でお母さんが大笑いしていたこと

宮島旅行で迷い子になりお父さんに見つけてもらって抱かれて走る列車の最後尾に飛び乗ったこと

・松山の立花の家ではよく豊憲さんと遊んで将棋を教えてもらったこと

中庭がずいぶん広かったこと  ・・・等々

そして、和田丸の家(生家)に還った時、連れて来てくれたお母さんが私の幼稚園帽子、制服ボタンを一つ一つ整えてくれた後、帰る時、何度も後ろを振り返りながら下の公民館の角でクルッと見えなくなったこと・・・

和田丸に還ってからはたまに仕事場の療養所を訪ねましたね

どんな時にも優しく接してくれて、怒られたり悲しかった記憶がありません。小学校入学までの一番手のかかる時期に大切に育てて頂いて本当に感謝しております。

同封した写真は、私の結婚式(38年前)、上海の魯迅記念館参観(23年前)、香港旅行(22年前)、富山支店時代の妻と長女明子の来訪(13年前)、次女由貴子一家、昨年の北海道旅行時の函館五稜郭、そして弓道試合(現在、於:明治神宮弓道場)です。

近くであればいろんな話ができるのですが…、いづれまたお会い出来るのを楽しみにしております。

それでは寒さ厳しいので風邪などひかぬようご自愛ください。

草々

二月十四日

白 戸 文 明

このような経緯で私は六歳の時生家に戻りましたが、幼少年期のこのような体験が私の性格形成にいろんな形で影響しているかも知れません。しかしこれが私の人生であり“人生劇場”なのです。

今、私は養母がいつまでも健康で長生きしてくれることを心から願っております。

平成26年3月7日

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