普門院には、最近では2年半前にも来ているが、その時は保存修理中だった。もう修理は終わっているだろうと期待して訪れたが、またもやシートに覆われたままだった。足掛け5年以上は修理している様な状態が続いている。
岩上山普門院の赤い門をくぐると、鷹山公の師である細井平洲先生の出身地、東海市から寄贈された敬師の像には、まだ雪囲いが架かっていた。先月の30日、午前11時頃のことである。
羽黒神社の山門は、苔むした雰囲気がした。 ↓
市内から普門院に向かう途中、南原地区の海老が沢大橋を渡り、関根方面に向かった。橋のたもとの駐車場はまだ雪で覆われていた。見上げると直江石堤の標識が立っていた。ここには、芋煮会などで数回訪れている。
※ 2年半前に訪れた時の記事をそのまま抜粋し、掲載しています。
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福島からの帰り道、米沢スキー場で紅葉の写真を数枚撮ってから、国道13号線を再び米沢市内に向かった。建設中の東北縦貫自動車道路に並行して2・3分走った所で左折し、曲がりくねった湖岸道路を走り水窪ダムに到着した。春は雪解け水で満水に近い水を湛えているが、今は底の部分に少し溜まっているだけである。栗子山もきれいに見える所があった。
関根の普門院には2・3年振りに来た。その時も本堂改修の足場が組んであったが、今回も変わらなかった。しかし、シートに覆われた中を見ると、屋根の新しい骨組みが見えた。この調子だとあと2・3年はかかりそうに思う。
山門の脇に今年の9月末、敬師の像が出来た。ニュースでも取り上げられていたので、今回米沢スキー場から自宅に真っ直ぐ戻らず迂回した一番の目的は、この像を見ることだった。上杉鷹山公の師である細井平洲先生を、藩主自ら普門院まで出迎えたと伝えられている。「なせばなる秋祭り」の時に東海市(師の出身地)の関係者も参加し、除幕式が行われた。同じ像が愛知県の東海市にも同時に設置されたとのことである。
ふらり歴史探訪の一部の記事を以下に掲載しました。
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普門院 米沢市大字関根13928
鷹山公と恩師細井平洲ゆかりの地 往時の面影を今に
普門院は真言宗智山派の寺院で、山号は岩上山。上杉鷹山が恩師、細井平洲を迎えた地として知られ、昭和25年には国の史跡に指定されました。
寛政8年(1796)9月6日、鷹山は平洲の3回目の米沢来訪を、郊外の関根の地で出迎え、新築まもない普門院に案内して、旅の労をねぎらいました。現在、休息をとった部屋や茶器・湯桶などの諸道具が当時のまま残っています。3回目の来訪は両者の再会への強い願いによって実現したもので、時に平洲69歳、鷹山46歳、十数年ぶりの対面でした。
鷹山が高齢の師をいたわりながら案内した様子は、平洲が高弟樺島石梁(かばしませきりょう=久留米藩の儒学者)に送った手紙に詳しく記されています。
< 以下、略 >
「 鷹山に学ぶ 第3回 師との出会い 」 も、参考にご覧下さい。
*:*:* < 次回のブログには、30日訪れた場所の詳しい地図を掲載予定です。> +:+:+
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