みちのくの風の旅人 [ 愛と義の街(上杉家の城下町)から情報を発信中 ]

米沢・山形・東北の自然や文化・風土を季節の便りとして届けています。ホームページ[天空の流れ雲]と合わせてご覧ください。

お堀のはすの花 IN 米沢 松が岬公園

2016-07-30 06:24:11 | 花(さくら・季節の花々)

 今朝もいつもの様に5時前に目が覚めた。梅雨明けの日差しが眩しかった。

 きのう、おとといと、連日32・3度の蒸し暑い日が続き、ようやくきのう(29日)の昼前、仙台管区気象台から東北南部の梅雨明けが発表された。平年より4日、昨年よりは3日遅れ梅雨明けとなった。

 ところで28日の朝、上杉記念館に出掛けた。前日の晩、車で出かけてそのまま置いていたのを、引き取るためだった。

 上杉神社周辺には、昔の城のお堀が残っている。はすの花が毎年咲くのは、北西側のお堀である。今年も見事な花を咲かせていた。

 

 

    ↑ 上杉神社周辺の拡大図です。西参道と北参道に囲まれたお堀がはすの花の咲いている所です。

 

 ← 松が岬公園全体の地図です。この画像をクリックすると、大きな画像になります。 

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納涼会2016:上杉記念館(旧上杉伯爵邸)にて

2016-07-28 20:20:59 | 日記・エッセイ・コラム

 昨晩、上杉記念館で開催された納涼会に参加した。天候が不安定のために、中庭ではなく部屋の中で開催された。 

← ホームページ天空の流れ雲更新しました。松が岬公園のはすの花をUPしています。

   ↑ 市内の主要な観光スポットにこの様な案内標識が設置されている。昨年度から今年の春にかけて、

     看板の内容が一新された。以前の標識には、英語の説明文が書いていなかった。

 上の三枚の写真と、下の門の写真は今朝撮影したものです。

 

 

 

  有機ELの行灯と宴会場の天井の柔らかな照明

 

  上杉記念館での会食は4・5年振りかも知れない。

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思いがけない高い買い物 ~ 三和シャッター小物部品調達 ~

2016-07-27 06:45:00 | 日記・エッセイ・コラム

 インターネットショッピングは大変便利である。楽天やアマゾンなど、3・4年まえから時々利用する様になった。

 今回も、車庫のシャッターの上げ下げにの時に指を入れる引き手(プラスチック部品)が、1年以上前から壊れていたので、ネットで調べて安易に2個注文してしまった。

 ところで、翌日地元の三和シャッターの営業所に問い合わせたところ、1個400円(消費税抜き)とのことだった。いずれ、他のシャッターもいつ壊れても不思議でないので、購入することにした。しかし、ネットでの注文は確定していたので、残念ながらキャンセルは出来なかった。

 ネットは便利なのでつい注文してしまったが、値段も比べてみるとメーカーの2倍、さらに送料もプラスされたので、およそ1個当たり3倍近いの値段の買い物となってしまった。

 今後同じミスをしないように注意すべく、ブログに記録を留めておきたい。

 

 

 

 


 

 ※ 以下の記事は、上のブログタイトルの記事とは無関係ですが、ついでに書きました。

 最近はLEDの省エネ型電球が普及している。しかし、15年ぐらい前は蛍光管を白熱電球と同じような大きさにしたのが主流だった。かつて使用していた物が寿命になったので、新しい物に交換した。最近の製品は、見栄えも良くなり、電球状のガラス球が蛍光管を優しく包んでいる。

 

 

 

 

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永六輔氏・大橋巨泉氏の相次ぐ訃報

2016-07-21 06:30:03 | ニュース

 永六輔氏は7日七夕の日、大橋巨泉氏は5日後の12日、相次いで亡くなられた。

 昭和40年代に自分が中学生や高校生の頃から、よく知っている方々だった。おそらく60代以上の人達なら誰でも知っている有名人だった。

 それぞれ個性の強い人たちだったが、忘れることの出来ない人ばかりである。後日、ブログに様々な想いを掲載したいと考えている。

 「永六輔」の画像検索結果  「永六輔」の画像検索結果    ※ WEB上の公開写真を掲載しました。 

 



                                                    ※  NHK ニュース WEB   記事を抜粋し掲載しています。

 永六輔さんの未公開の歌詞が見つかる  7月19日 21時05分

永六輔さんの未公開の歌詞が見つかる

 作詞家として「上を向いて歩こう」などの数々のヒット曲を手がけ、今月亡くなった永六輔さん。昭和40年代を最後に歌謡曲の作詞から退いたと思われていましたが、3年前、さびしさや悲しさを歌った未公開の歌詞を歌手の加藤登紀子さんに贈っていたことが分かりました。

この歌詞は、永六輔さんが加藤登紀子さんのために書き、平成25年の春ごろに贈ったもので、愛用していた原稿用紙に直筆でしたためられています。タイトルのない僅か8行の短い詞で、さびしさや悲しみ、苦しみには耐えられるけれども、むなしさには耐えられないと心情をつづったうえで、「むなしさが耐えられるのはともだち、あなた、戦う心」と結んでいます。

 詞の完成かなわず

永六輔さんは昭和36年に放送が始まったNHKの人気バラエティー「夢であいましょう」の台本を担当し、放送作家として高い人気を得ました。この番組の中で永さんは、「上を向いて歩こう」や、「こんにちは赤ちゃん」などの作詞を手がけ、その時代の人々の思いに寄り添った歌詞で次々とヒット曲を出しました。
その後も永さんは放送作家や作詞家、タレントなどとして幅広く活躍していましたが、シンガーソングライターの登場などを理由に昭和40年代を最後に歌謡曲の作詞から退きます。
平成22年にはパーキンソン病と前立腺がんを患っていることを公表。翌年に発生した東日本大震災では、病をおして被災地に足を運び、被災者の声に耳を傾ける活動に取り組んでいました。
今回の歌詞は、5年前「長年のつきあいなのに一緒に作った歌がない」と加藤さんと永さんが話したのがきっかけとなり、3年前に永さんが加藤さんに贈ったということですが、まだ1番しかできていないところで永さんは今月7日に83歳の生涯を閉じ、詞の完成はかなわぬものとなりました。

 



 

     タレントの大橋巨泉さん 死去  7月20日 9時22分

タレントの大橋巨泉さん 死去

テレビ番組の司会者として長年活躍し、昭和のテレビ文化をけん引した大橋巨泉さんが、今月12日に入院先の病院で急性呼吸不全のため亡くなりました。82歳でした。

大橋巨泉さんは東京都出身で、早稲田大学に在学中からジャズの評論を始め、大学を中退後、放送作家としてテレビの世界に入りました。
昭和40年から民放で放送された深夜のワイドショー番組「11PM」で初めて司会を務め、番組の顔として20年以上にわたって活躍しました。
また、人気クイズ番組やバラエティー番組などの司会にも抜てきされ、競馬やマージャンなどの娯楽を積極的に取り上げたほか、じょう舌で機転の効いたコメントや幅広い知識を基にした評論が人気を集めました。
昭和44年には、万年筆のテレビコマーシャルの出演で「ハッパふみふみ」という流行語を生み出したほか、政治的な発言や著書でも注目されました。
平成2年には56歳ですべてのテレビ番組を降板して「セミ・リタイア」を宣言し、ゴルフやジャズなどで余生を楽しみたいと、1年の大半をオーストラリアやカナダなど海外で過ごしていました。

永六輔さんの訃報に対応できず

大橋巨泉さんの亡くなる5日前には、放送作家やタレントとして同時期に活躍した永六輔さんも亡くなっています。この際、大橋さんの親族はNHKの取材に対し、「事前にご家族から連絡をもらったが、病床にあるため対応できない」としたうえで、「本人がショックを受けるので、永さんが亡くなったことはまだ伝えていない」と話していました。

 

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米沢散策2016 ~ 御廟所の森周辺 ~

2016-07-20 09:01:01 | 米沢の自然と文化

 上杉家の御廟所には東西約113m、南北約180m敷地の中に、数千本の杉の木が植えてある。西側と北側は道路を挟んで民家と接しているので、時々散歩するコースの一つである。最初の4枚の写真は西側の道路から、12代の斉定公の付近のものです。

 御廟所にある杉の木の中で、ひと際目立つ樹齢400年近い古木が、斉定公の廟の直ぐ横に聳えている。

 

 

 

 

 

 

 

  

  南を正面とする御廟所の一番奥には、明治時代に入ってから米沢城(現上杉神社のある所)から移された、謙信公の廟がある。西側からは良く分かりにくいが、北側からは蔦の生い茂る杉木立の中に、廟の柵がしっかりと見えている。

    ※ 以上の写真は18日の夕方5時頃、散歩の途中に撮影したものです。


 

米沢市のホームページに、城下町ふらり歴史探訪( ← リンクを貼っています)という記事が掲載してあります。

その第2番目に紹介されているのが上杉家御廟所( ← リンクを貼っています)です。タイトルをクリックすると下の画像がUPされています。

 

 城下町ふらり歴史探訪

 歴史探訪は米沢に残る遺跡などをわかりやすく説明したもので、平成5年4月から平成10年4月まで広報よねざわに連載されものを収録しています。

御廟所 米沢市御廟1丁目5-32
 歴代米沢藩主の墓所

 前回の普門院に続いて、同じく国の史跡に指定されている御廟所を訪ねてみました。
 正式な名称は米沢藩主上杉家墓所。その名のとおり、歴代の米沢藩主の墓(廟)が並び、市民からは御霊屋(おたまや)と呼ばれ親しまれています。正面中央の奥は、戦国の雄将で藩祖と尊敬される上杉謙信の遺骸を安置する廟(ひ宮)です。
 言い伝えでは、謙信の遺骸は、甲胄を着せたまま漆で固めて甕に密閉し、埋葬されたと言われています。上杉氏の移動にともない、越後春日山から会津若松、さらに米沢に運ばれ、江戸時代は米沢城本丸に手厚く祀られていましたが、明治9年にこの御廟所に移されました。
 この御廟所の地は、初めは謙信の遺骸の避難場所でしたが、元和9年(1624)に初代藩主の景勝が亡くなり、藩主の墓所となりました。遺体は火葬にされ、遺骨は高野山に納め、ここには灰や衣服を埋めて五輪塔を置き、入母屋(いりおもやしき)式の廟屋を建てました。
 以後、七代藩主の宗房まで、同じ形式で、左右交互に廟が造られました。景勝の廟屋は約370年前の建物となります。
 向かって左側、九代藩主治憲(鷹山)の廟の左となり一段下ったところに、やや小さな廟があります。これは鷹山の長男顕孝(母はお豊の方)の廟です。
 顕孝は十代藩主治広の世子(跡継ぎ)となり、次期藩主として期待されていましたが、19歳で病気のため亡くなりました。鷹山はじめ藩内はたいそう悲しみ、これまで世子は林泉寺に墓がつくられていましたが、顕孝の場合は特別に歴代藩主の墓所に葬られました。
 また、この時から火葬して遺骨を高野山に納める慣習が改まり、顕孝は土葬となりました。
なぜ土葬に変わったかは不明ですが、鷹山が、わが子を焼くには忍びない、と改められたとも伝えられています。以後、八代藩主の重定から治憲・治広・斉定と土葬となり、廟屋は方形(ほうぎょう)造りと変わりました。
 杉木立のなかに整然と並ぶ廟屋は、名門上杉家や米沢藩の歴史を、静かに語りかけてくれます。


杉木立の中に並ぶ歴代藩主の廟


正面中央の上杉謙信廟

 
 
 参考までに → 上杉家御廟所の公式ホームページをご覧になるには、「ここ」をクリックしてみて下さい。
         下のURLのリンクを貼っています。
 

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