ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

給食費は無償ではない

2010年12月19日 | 社会保障関係
現場は歓迎、滞納保育料・給食費天引き(読売新聞) - goo ニュース

 社会問題化している保育園の保育料や学校給食費の滞納について、地方自治体が子ども手当の中から強制徴収したり、差し引いたりする仕組みが導入される見込みが出てきた。
 この政府方針に対し現場からは「滞納が解消するならありがたい」など歓迎の声が上がる一方、「親の経済状態も考慮するべきではないか」との意見も出た。
 厚生労働省が2006年度の全国の保育料の徴収状況を調査したところ、4・3%が保育料を滞納しており、滞納額は1・7%にあたる約83億円だった。自治体のうち65・1%が「滞納が増えた」と回答。その理由として65・9%が「保護者の責任感・規範意識の問題」、19・4%が「収入減少」を挙げた。
 都内のある公立保育園の女性園長は、「保育料の滞納は珍しくない」と明かす。
 子供が入園した当時は夫婦共働きでも、不況の影響で母親が失業するなどして経済状況が悪くなり、支払いが滞るケースが目立つ。一方で、「面倒くさい」という程度の理由で、故意に支払わない悪質な親もいるという。
 園長は「払えるのに払わない親の場合は、自治体も助かると思う」と評価する一方、「経済状況が悪くて支払いができない家庭の場合、子ども手当をあてにしていると思うので、困るのではないか」と思いやった。
 給食費も、未納が問題になっている。文部科学省の09年度調査によると、未納があった公立小中学校の割合は55・4%で、05年度より11・8ポイント上昇。推計26億円に上ると見られている。
 同省は今年5月、子ども手当が支給される口座と、給食費の引き落とし口座を同じものにするように保護者に求めることなどの未納解消策を全国の都道府県教委に通知していた。



 以前から取りざたされている給食費未納問題。給食費を支払う資力がなく、払いたくとも払えないのならまだしも、「払いたくないから払わない」親が大半を占めているのが現状だと思われる。

 こうした、払えるのに払えない親が必ず使う言い分がある。それが「義務教育だから払う必要がない」という理屈である。

 確かに、憲法26条2項において「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。普通教育は、これを無償とする。」と規定されている。

 したがって、この規定を盾に給食費の支払いを拒んでいるのは、一見正当性があるものと思われる。しかし、直接給食費について争われた判例ではないが、義務教育教科書費国庫負担請求訴訟事件最高裁判決(昭和39年2月26日)において、以下のように判示されている。


 すなわち、憲法26条2項の「無償」の意味は、「国が義務教育を提供するにつき有償としないこと、換言すれば、子女の保護者に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき、その対価を徴収しないことを定めたものであり、義務教育に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから、同条項の無償とは授業料不徴収の意味」と解するほうが「従来一般に国または公共団体の設置にかかる学校における義務教育には月謝を無料としてきた沿革にも合致するものであ」り、「憲法の義務教育は無償とするとの規定は、授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない。」

 これが最高裁の大法廷判決である。


 通説においても、憲法26条にいう「無償」とは、国が公共サービスを行うにあたり、その対価を徴収しない、つまり授業料の不徴収を意味するものと解されている。

 給食費を払わない親の言い分は、上記の最高裁判決を鑑みれば、「無償」の意味を履き違えていることは明白であろう。そもそも、学校給食法6条2項において、給食費の負担は保護者であると、明文をもって規定されている。



 ところで、給食費未納分を子ども手当から天引きするということは、いわば給食費を支払わない親の代わりに、国民が代理して給食費を支払っているに等しい。これは私としては非常に許し難いことだと思う。


 そこで、給食費をある種国民年金のような仕組みにして、現在支払っている給食費はすべて将来の子供たちの給食費として積み立てられていくという制度にしてみてはどうだろうか。

 そして、給食費の不払いが嵩めば嵩むほど、後の世代の子供たちの給食費が、そのツケを支払わされる結果として跳ね上がっていく。こうすれば、少しは給食費未納も改善されるのではないか。


 もしくは、給食費未納の親に対し、「秩序罰」を科す。秩序罰とは、社会的法益を損害し、民衆の生活に悪影響を及ぼす、軽微な違反に対して科されるものである。秩序罰は刑罰ではないため、刑訴法による手続きは必要ないので、こういった輩に対しては有効かと思う。

 なので、学校給食法を改正して、給食費を支払わない保護者には秩序罰を与えられるようにするのも一つの手段としては有効ではないだろうか。秩序罰が科せられれば、強制執行するコストも時間も削減できる。



 少なくとも、私は一応納税者の一人として、未納の給食費のツケを払うのはご免である。給食費ぐらい、本当に貧困な家庭以外は、自分の子供の食費なのだから保護者が支払うことは当たり前ではないのか。

子ども手当は少子化対策か?経済対策か?

2010年11月04日 | 社会保障関係
子ども手当財源、地方負担容認も 関係閣僚が検討会議(共同通信) - goo ニュース

 来年度以降の子ども手当の制度設計について、玄葉光一郎国家戦略担当相、野田佳彦財務相、細川律夫厚生労働相ら関係5閣僚が4日、検討会議の初会合を内閣府で開いた。会議終了後、同じメンバーである片山善博総務相は記者団に「扶養控除廃止に伴い地方税の増収分もある。何らかの形で子ども対策に使わなければいけない」と述べ、子ども手当の財源に地方負担を求めることに前向きな考えを示した。



 そもそも、この政策というのは、経済対策なのか?それとも少子化対策なのか?この点が全く明らかになっていない。というか、この政権からまともな説明を聞いたことがない。

 子育てにカネがかかる。それは分かる。しかし、だからといって現金で15歳以下の子供のいる全家庭に配ればいいという結論には、当然ながらならない。

 厚生労働省のHPによれば、「子ども手当の支給を受けた父母等は、こうした支給の趣旨に従って子ども手当を使用しなければなりません。このことは、法律上も受給者の責務として規定されています。」(子ども手当一問一答)とあるが、それを確かめる手段も、この法律(手当の支給に関する法律)が手当の使用方途について拘束力も持っていないのだから、こんなことを説明したところで、手当が少子化対策というのには説得力がない。

 だいたい、何をもって「支給の趣旨」とするのか。仮に手当を使って焼き肉を食べに行っても、焼き肉が子供の血肉となれば、「支給の趣旨」と言えてしまうではないか(笑)。


 ここで、焼き肉を食べに行くというたとえを出したが、手当を使って焼き肉を食べに行けば、それは経済対策だろう。しかし、そのような経済対策的側面を考えるのならば、そもそもとして15歳以下の子供のいる家庭に限定してカネを支給する必要性はないし、いっそのこと使用期間を限定して政府紙幣でも数万円分発行して全国民に支給したほうが、はるかに経済対策としては有効である。

 かねがね思っているのだが、もしかかる手当が少子化対策ならば、今現在子供がいる家庭に現金を支給するのよりも、「どうしたら子供を産みたくなる、もしくは産んでも苦労しない環境を作り上げるか」という視点から政策を立案するべきだ。

 具体的には、以前から言われているように、不妊治療への大幅な援助、またそうした分野の医療研究への支援、保育所の拡充などといったものに、子ども手当で支給されている金額をつぎ込むほうが、よほど「少子化対策」として有効だし、また具体的な成果も期待できる。



 即物的に消費をしてしまいがちな現金で手当を支給するのよりも、子供を産みたくなり、また産んでも(経済的に)苦労しない環境作りこそ、本来の意味での少子化対策なのではないだろうか。

 要するに、経済対策なのか少子化対策なのか、よく分からないままカネを配りまくるのでは、日本の少子化は止まらないだろうということだ。

タバコ増税は国のお為ごかし

2009年12月10日 | 社会保障関係
日本のたばこ価格、先進国で最低 WHOが報告書(共同通信) - goo ニュース

【ジュネーブ共同】世界保健機関が9日発表した、たばこの健康被害に関する09年版報告書によると、日本の紙巻きたばこの小売価格(1箱当たり)は08年時点で平均3・31ドル(約290円)と主要先進国(7カ国)で最低。7カ国中で最も高かったのは英国で7・64ドル、2位がフランスの7・38ドルと日本の2倍以上。米国は日本に次いで安い4・58ドルだが、州によってばらつきがあるとみられる。



 私は非喫煙者であるが、タバコの増税には反対である。この記事をはじめとしたマスコミのミスリードな点や、多くの人が誤解をしている税率等については、すでにその批判はここでされているので、私は別の視点から書いてみたい。



 そもそも、よりによって増税の対象がどうしてタバコなのか。タバコを増税しなければならない具体的理由は一体何なのか。

 こうした疑問に対し、増税をすれば喫煙者が減るから国民の健康の増進につながる、という主張をよく聞くが、私には説得力をもって聞こえてこない。

 だいたい、タバコには中毒性があり、一度吸い出したら永久的な禁煙は難しいと聞く。だとしたら、いくら値段を釣りあげたところで、国民の健康増進にとって効果的とは言い難い。そのことは、大麻や覚せい剤が禁止されているにもかかわらず、高値で取引され、一向に撲滅されない現状を見ても分かる。

 思うに、国民の健康増進という、一見誰も反対できなそうな旗を掲げて、やろうとしていることは、タバコの中毒性を「活かした」、取れるところから取って税収を確保しようとする魂胆なのだろう。だからタイトルにお為ごかしとつけたのだ。



 タバコを吸うも吸わないも個人の自由だ。タバコを吸う人は、それによって自分の体が悪くなるリスクを負担して吸っている。自己責任である。マナーさえ守れば誰に迷惑をかけているという話でもない。

 それならば、歩きたばこ禁止条例のように、むしろ一定のマナーを法定し、これを守らせ、守らない者には罰金を科し、得られた「収入」を税収のように扱ったほうが効率的である。そうすればマナーと税収のバランスも保てる。

 そもそも、先ほども述べたようにタバコを吸うという行為は個人の自由の領域に属することがらである。国民の健康増進を思うのなら、はっきりとタバコの所持を禁止したほうがまだ理にかなう。

 それを、タバコだけに増税という「フィルター」を通して、間接的に禁煙運動を進めているからタチが悪い。しかも喫煙者から税金を絞り取って国庫を潤わせようというオマケつきで。

 要するに、国がやるべきタバコへの施策は、マナーを守らせることぐらいであり、個人の自由で嗜んでいる者から税金を媒介にしてタバコを奪い取るようなことではない。



 ところで、ナチスは「健康帝国」と呼ばれたほど国民の健康への対策には熱心であり、国を挙げてタバコ撲滅運動を展開していた。

 たとえば、1930年代には、早くもドイツ各地でガンの集団検診を実施して、早期発見の大キャンペーンを行っていたという。しかしながら、ナチスがファシズムであったのは周知のことだ。


 ファシズムは、最初は聞こえのいいことを言って近寄ってくる。日本がファシズムになることはないだろうが、行き過ぎた嫌煙運動とファシズムとは根が同じであり、それは自由の敵であるということを指摘しておきたい。

日本を破壊する二人の鳩山 その1 鳩山邦夫

2009年05月19日 | 社会保障関係
鳩山総務相「西川社長を許すつもりは全くない」(朝日新聞) - goo ニュース

 鳩山総務相は17日に千葉市で開かれた全国郵便局長会(全特)の総会に出席し、かんぽの宿売却問題にからんで日本郵政・西川善文社長の経営を厳しく批判した。「今までも許さなかったし、これからも許すつもりは全くない」と述べ、社長続投を認めない姿勢をはっきり示した。
 鳩山氏は、日本郵政がかんぽの宿をオリックス不動産に109億円で一括売却を決めたことは「国民共有の財産を無にする絶対に許し難い行為だ」と発言。「郵政文化を邪魔する者とは正義感をもって闘い抜く」とも語った。



 今、日本を破壊する二人の鳩山がいる。一人は先日民主党の代表に再選した鳩山由紀夫、二人目がその弟の鳩山邦夫である。邦夫の「かんぽの宿売却」問題に関する見解は、全く賛同できない。

 まず、たとえ日本郵政の株を100%財務大臣が所有しているとはいっても、すでに民営化されて株式会社になった会社の人事について、どうして邦夫(政府)が口をはさむことができようか。確かに日本郵政の人事の認可権は総務大臣である邦夫が握っているが、すでに民営化された企業であるのだから、人事に関し口を挟むべきではない。

 それに日本郵政は、取締役候補の決定権を社外取締役が過半数を占める指名委員会が握っている。その指名委員会は、これまで郵政民営化を推進してきた西川善文社長の実績を評価し、続投方針を認めている。したがって、たとえ人事の認可権を総務相が有していようと、それは天皇の国事行為のように、実質的には日本郵政の決定を尊重して追認するような、形式的なものでなければならないはずだ。この認可権は、「総務省は君臨すれども統治せず」と表現できよう。



 そもそも「かんぽの宿」は、竹中平蔵氏によれば、現在でも毎年約50億円規模の赤字を計上している。今年政府が閣議決定した答弁書によれば、「ラフレさいたま」(埼玉県)が約15億6700万円、「かんぽの宿青梅」(東京都)が約7億3000万円の赤字を計上したという。

 したがって、それがたとえ「国民共有の財産」であっても、赤字を垂れ流し、その運営に国民の税金が投入されていることからして、民間への売却は当然であって、非難されるものでは決してない。だいたい、赤字ということは、利用者がいないもしくは限りなく少ないということだ。官僚支配を脱却し、行政のスリム化を図り無駄をなくすには、赤字を垂れ流しているものは売却し、手放すのが摂理である。

 また、邦夫はかんぽの宿を「国民共有の財産」というが、当の国民自身が利用していないのだから、売却することの何が悪いのか、理解できない。財産であっても、それが家計を圧迫していれば、手放すのは当たり前の発想であると思うのだが。赤字施設の放置は、また官僚による天下りや不正の温床を与えることになり、速やかに売却し、赤字を最小限に抑えなければならない。



 ここでこの問題のそもそもの発端について思いだしてみると、事の発端は、日本郵政がかんぽの宿売却にあたり、売却先として規制改革会議の議長を務めたオリックスの宮内義彦会長の名があがっていることをとらえて、野党が「出来レースだ」と批判したことだ。

 しかしながら、これも竹中氏曰く、郵政民営化のプロセスに規制改革会議が関係したことはないし、基本方針を決めたのは経済財政諮問会議であり、制度設計は内閣官房の準備室が行った。その際にいくつかの委員会も作られたが、宮内氏がそのメンバーになったことはなかったのだという。

 ここで思うに、邦夫の論理にしたがえば、政府の会議に民間人が参加した場合、その民間人は会議内容に関する経済活動を制限ないしは禁止されなければならないことになるが、これが果たして有効なことなのか。赤字施設を売却するならば、売却先の選択肢は極力広くしておいたほうがいいのではないか。

 それに、邦夫の理屈が通ってしまえば、会議に参加することによって経済活動の一部が結果として制約されてしまうのだから、民間人で政府の会議に参加しようと思う人など、いなくなってしまうのではないか。それでは政府に優秀なブレーンが終結する機会を、政府自らが排除してしまうことになる。これは果たして国政上、プラスになる話だろうか。



 かんぽの宿一括売却は、かんぽの宿という資産の価値を極力維持したまま、そして短期間に行う上で不可欠の選択だったと考えている。ちまちま売却を行っていれば、その間、かんぽの宿の負債は拡大し、ますます国民に負担としてのしかかってくるからだ。

 野党は刑事告発までしたそうだが、それがオリックスということの、一体何が批判される理由なのか、見当がつかない。だいたい、ここまでの不良資産を一括して買い受ける民間企業など、そう多くはない。一括での買い手が見つかった分、まだよかったと言えるのではないか。



 邦夫は、「ベルトコンベアー式に」死刑囚を処刑していたときが、一番好感が持てたし、「ためになる仕事」をしていたと思う。邦夫の発想は、結局今までの古い体質の、旧態依然の自民党のそれであって、官僚による支配を助長するだけである。鳩山邦夫総務相の速やかな解任を要求する。

雇用制度の構造を改革せよ

2009年03月08日 | 社会保障関係
定額給付金から漏れるネットカフェ難民…住民登録拒否へ(読売新聞)

 ネットカフェ業者らで作る日本複合カフェ協会(東京都千代田区)が、「ネットカフェ難民」への定額給付金支給に必要となる店舗での住民登録を受け入れない方針であることが分かった。
 自治体側も大半が住民登録を認めることに消極的で、全国約5400人(2007年、厚生労働省調査)とされる「ネットカフェ難民」の多くに給付金が行き渡らない可能性が高くなっている。
 同協会には233業者の1367店が加盟、総務省の昨年調査では全国店舗の6割以上に相当。定額給付金について2月下旬、理事会が「居住環境を提供しているわけではない」などとして、9業者の理事全員一致で、店での住民登録は認めない方針を決めた。業態として宿泊施設でないのに、自ら認めることにもなりかねないため、配慮したとみられる。近く、決定を加盟業者に伝える。
 国は「ネットカフェ」などでの住民登録に一定の理解を示し、川崎市や新宿区のようにケース・バイ・ケースで対応することにしている自治体もある。しかし、店側が協力しない限り、住民登録は困難とみられる。
 協会非加盟の店舗でも、住民登録受け入れの動きは今のところ広がっていない。大阪、千葉市など店舗を多く抱える自治体の大半も、今回住民登録を認めれば、国民健康保険料など他の事務にも影響するとして認めない方針だ。
 ネットカフェ難民やホームレスらへの定額給付金支給を求める「生活保護問題対策全国会議」事務局長の小久保哲郎弁護士は「彼らには住民登録できない事情がある。相談窓口を設置し、氏名や生年月日などの申請で支給できるようにすべきだ」としている。



 まず結論から言って、ネットカフェに住民登録をすることは、ネットカフェ側が認めない限り、不可能である。以前、公園内にテントを設置して生活していたホームレスが、公園を所在地として住所の登録を申請した事件において最高裁が、「社会通念上、テントの所在地が客観的に生活の本拠としての実体を具備しているものと見ることはできない。」と判示し、原告側の主張を退けたことからして、たとえ「ネットカフェ難民」がネットカフェ側を訴えたとしても、勝てる見込みは皆無だろう。

 以前から述べてきたように、定額給付金はただのばら撒き政策であり経済立て直しに貢献しないが、真に(たとえ12000円といえども)定額給付金を欲しているこういう人たちに行き渡らないのであれば、もはやそれはばら撒きの名にも値しない愚策ということになる。

 あれだけすったもんだを繰り返した定額給付金である。こうした事態は当初から予見できていたのではないか。そもそも官僚や政治家たちは、今本当に貧困の底にいる人たちに、住所があるとでも思っていたのだろうか。こうした状況を見ると、国民の関心を大いに集めておきながら制度的不備があるにもかかわらず、国民からの批判を恐れて見切り発車した感が否めない。



 「ネットカフェ難民」という言葉は共産党がネーミングしたものであり、言葉的にも正確な実情を反映しなくなる恐れがあるので使用を控えたいが、いくら定額給付金を支給したところで、こうした人たちが出てくる雇用制度自体を改革しなければ、また同じことを近い将来に繰り返すことになるだろう。

 ここで言う雇用制度とは、具体的には企業が正規社員を解雇することに対する規制が強すぎるという点である(正社員解雇の要件はこちらが詳しい)。労働契約法第16条は、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定め、これは解雇権濫用の法理と呼ばれている。

 判例上、現在企業が行っている整理解雇について、人員削減の必要性、解雇回避努力を尽くしたかどうか、解雇対象者の人選基準とその適用の合理性、労働者側との協議などの手続の妥当性を要件としている。解雇回避努力とは具体的には、たとえば企業側が、配置転換・出向・希望退職の募集などといった他の手段を講じたかということである。



 しかしながら思うに、こうした正社員解雇のための諸要件は厳格過ぎるのではないか。このような厳格な(そして煩雑な)解雇のための要件は、企業の積極的な人材獲得のための行動を委縮させ、そのことによって正社員採用枠が減少し、枠からあぶれた人たちが出てくるという、まさに今のような状況を生みだしてりるのではないか。だから企業は、非正規労働者を増やすことによって、跳ね上がる賃金の増加を抑制してきたと考えるのが自然ではないか。

 「ネットカフェ難民」の年齢構成をみると、20~30歳代が41.5%、40~50歳代が45.5%となっていることからして全ての「ネットカフェ難民」について言えることではないが、半数の「ネットカフェ難民」は1990年代から2000年代初め頃に就職期を迎えた世代であって、この層がまさに先述した正社員解雇の厳格な要件の被害者になっているのではないか。

 つまり、厳しい正社員の解雇要件があるために、企業としては正社員よりも派遣労働者をはじめとした非正規労働者のクビのほうが切り易いため、このような状況が発生し、正社員と非正規労働者との賃金格差を拡大させているのである。定職に就けず、いつまでもフリーターのままでは技術の蓄積も乏しいことは明白だ。これでは日本の経済力は間違いなく低下する。

 厳格な解雇要件は一見すると不況の強い味方のように思われるが、実はこれこそが不況を悪化させている原因なのではないだろうか。すなわち、労働力が流動的に動くことを阻害し、一回正規雇用者の枠からはみ出してしまうと、その立場が固定し、また這い上がることを難しくしている。だからいつまで経っても賃金格差は解消されず、『蟹工船』が流行ることにもなる。



 今政府が行うべきことは、定額給付金の支給ではなく、こうした雇用制度にメスを入れることではないのか。

消費税アップは現状において選択肢としてアリか?

2009年03月05日 | 社会保障関係
給付金関連法案、4日に衆院再可決へ 参院委は否決(朝日新聞)

 定額給付金の財源2兆円などを確保するための08年度第2次補正予算関連法案が3日、参院財政金融委員会で野党の反対多数で否決された。4日の参院本会議でも否決されるが、同日の衆院本会議で与党によって3分の2以上の賛成多数で再可決され、成立する見通しだ。再議決では、欠席を表明している小泉元首相に、自民党内から同調者がでるかが焦点となる。
 麻生首相は3日の参院財金委で、給付金受け取りを明言したことについて「ぶれたとかいろんな話がでてくるが、消費刺激をきちんとやるべきだと思って受け取る」と説明。「景気が厳しい状況で緊急を要する。3分の2を使ってでもやらなければいけない」と、関連法案を再可決する方針を改めて示した。



 平成21年度の予算関連法案には、消費税増税方針を付則に盛り込んだというが、果たして今の段階で消費税増税を明確に打ち出すのは適切なことなのか、検討してみたい。



 現在は、日に日に弱っていく病人のように、世界的に経済状態は悪化しており、派遣労働者のみならず、正社員の賃金カットは言うまでもなく、正社員の雇用までも維持できなくなり、早期退職を奨励している企業はたくさんあり、挙げだせば枚挙に暇ないぐらいだ。

 現に、国民の生活水準を示す指標である消費者物価指数の伸び率は急速なまでに低下し、消費マインドの冷え込みは激しい。しかも、雇用体系の調整を打ち出す企業が次々に出てきており、「明日は我が身」と戦々恐々としている国民は決して少なくない。そんな中での消費税増税方針の表明である。

 もしかすると、麻生氏ならびに麻生氏周辺はこのように考えているのではないか。すなわち、所得税などは増税をされれば、それが肌身をもって実感できるが、消費税増税は国民にとって果たして自分がどの程度増税によって負担を負っているか実感が湧かないから、消費税ならば上手いこともっともらしい名目を掲げればアップできるのではないか、と。つまり、国民は実質的な負担がどれぐらいかで判断することはできないので、「負担感」で判断していると考えているのである。



 ところで、麻生氏は定額給付金をぶちあげて、批判が一向に収まる気配がないにもかかわらず、これを衆議院の3分の2の勢力による再可決によって実行に移してしまった。しかし反面で、麻生氏は消費税アップも明確にしている。思うに麻生氏のこのような姿勢は、定額給付金の効果を減殺してしまうことになるのではないか。

 消費税をアップしたいのであれば、雇用や物価の安定といったマクロレベルでの経済が安定することが不可欠のはずである。しかし現在は誰もが分かっているように、こうしたマクロレベルの経済は安定性を全く欠き、非常に不安定で先行き不透明な状態である。このようなときに消費税をアップすると明言することは、さらにマクロ経済の不安定化を招くことになりかねない。

 マクロ経済が非常に不安定な状況下において増税の方針を打ち出すということは、かえって国民の財布が開きにくくなり、税収も減ることになるのではないか。これでは財政の構造改革の失敗は目に見えている。麻生氏は、デフレ下において消費税アップを行った橋本内閣の二の舞を踏むつもりか。



 消費税をアップしたいのであれば、マクロ経済が安定し国内経済がデフレから脱却し、雇用や物価が安定してからだ。そうでなければ、かえって不況を長引かせることになってしまう。将来的に消費税増税は避けられないとしても、たとえ3年後のことであっても、それを今明言すべきではない。税収増は見込めず、それどころかかえって税収を減らすことになり、逆効果である。

 話をまた定額給付金に戻して。2兆円を定額給付金のために準備したというが、後から消費税増税をするのであれば、いい言い方ではないが、金貸しが12000円を貸し付けて、それを3年後に消費税アップというかたちで下駄履かせて返せと言っているようなものだ。定額給付金とは、国民が利子がべらぼうなカネを貸し付けられたに等しい。



 経済状態が全くもって先行き不透明で見通しが立っていない現状において、消費税アップを謳うことは政府にとって自殺行為に等しいことなのではないか。よって、消費税アップは現状において選択肢として全く不適切なものであるということになる。

郵政民営化の意味

2009年02月20日 | 社会保障関係
小泉元首相発言「笑っちゃう」 自民参院幹部が批判(産経新聞)

 自民党の脇雅史・参院国対筆頭副委員長は19日午前の記者会見で、小泉純一郎元首相が定額給付金の財源に関する特例法案の衆院再議決に欠席する意向を示したことについて「よく言うもんだと笑ってしまった」と批判した。
 脇氏は「小泉氏は(首相当時の平成17年に)郵政民営化法案で衆参の議決が違ったとき、両院協議会で意見調整したらどうかという声があったのを一切無視して衆院解散に踏み切った。自分のやったことと違うことを言うのは納得いかない」と語った。
 小泉氏は今月12日、定額給付金に関し「参院の意見を調整して妥当な結論を出すべきだ」などと主張。さらに麻生太郎首相の郵政民営化をめぐる言動を「笑っちゃうくらいあきれている」と批判していた。



 現在、麻生氏の郵政民営化批判(否定!?)発言に端を発し、2005年の衆院選後の特別国会での郵政民営化決定から4年以上も経過した今になって、そもそも郵政民営化は正しかったのかというそもそも論ないしは見直し論が出ていることは政治の混乱を象徴することであり、このような要らぬ論争に火を付けた麻生氏の失言は重い。



 そもそも、ではどうして郵政民営化は必要だったのか。郵政民営化の対象は日本郵政公社が担っていた3分野、すなわち簡保、郵貯、郵便事業である。そして郵政民営化が主張された際に根底にあった理由は次の二つに分けられる。

①これら郵政公社が行っている事業が同業他社の民間企業の営業活動を圧迫している
②郵貯に存在するカネが特殊法人の無駄遣いの温床になっている

 そのため、これら問題を解決するために郵政民営化が必要になった。郵政3事業すべてについて詳細に民営化の必要性を説くと長くなりすぎてしまうため、ここでは郵貯に限定して民営化の必要性について論じることにする。



 郵貯が民営化されるべきであった理由は上記の理由に加え、郵貯は払い戻しの安全性を政府が保障している(郵貯の安全性は最終的には国民の税金によって担保される)ため、これが同業他社である銀行の業務を圧迫している、というものであった。

 2002年4月1日にペイオフが解禁されて以降、銀行の預金業務が預金の安全性の面で圧倒的に上回る郵貯によって圧迫され、その結果銀行が銀行の資金調達が困難になり、銀行の貸出の際の金利の上昇が懸念された。そして、郵貯は同じ預金業務を行う銀行が負担している様々な税金(法人税、固定資産税等)を負担しなくてもいいことになっていたため、これはいわば政府から補助を受けている状態に等しいことになり、このことによっても民間を圧迫していると批判された。

 預金が銀行から郵貯に移れば、その分銀行は貸出の金利を上げざるを得なくなり、そうすると企業等に行きわたるカネが減ることになる。対して郵貯はバックに政府がついているため、カネが集まりやすくなり、そこで集まったカネが特殊法人に流れ、ムダな仕事で赤字を垂れ流している特殊法人がいつまで経っても解体されずに、温存されることになる。換言すれば、国民の税金は採算の取れない特殊法人の赤字補填にばかり注ぎ込まれるということになる。そこでこのムダの連鎖を根っこのところから断ち切るためになされたのが郵貯事業の民営化であった。



 私は郵政民営化には最初は反対であったが、今では賛成している(アメリカの手先かと批判されそうだが・・・)。郵政民営化がなければ、間接的にせよわれわれの税金が次から次へと政府がしでかしたムダな事業の赤字補填につぎ込まれ、いつになっても特殊法人の解体・統合が進まず、このことは天下りを温存することと等しい。麻生氏はしばしば官僚の言いなりと批判されるが、郵政民営化見直し発言はそのことを象徴した「失言」であったと思う。

「派遣切り」という表現は不適切

2009年01月23日 | 社会保障関係
「派遣切り」使わないで 派遣協会が報道機関に要望(朝日新聞) - goo ニュース

 人材派遣会社でつくる社団法人「日本人材派遣協会」(東京)は20日、「派遣切り」という言葉を使わないように要請する文書を各報道機関に送った。「契約の中途解除を指すはずなのに、契約終了後に更新しないことも含めて使われている。『切る』という言葉自体のイメージもよくない」としている。
 厚生労働省は「派遣切りという言葉について定めたことはない」と話している。
 派遣協会は「派遣切り」について、「派遣元と派遣先の間での契約の中途解除」のことだと主張。契約が終わった後に更新しないのは派遣労働者の「雇い止め」であって「派遣切り」ではないとし、「報道で多く使われている用語は正確さを欠く」と訴えている。
 協会企画広報課は「最近の報道ぶりのせいで、派遣労働者から『誇りを持って働いているのに、派遣だというだけで同情される』という声が寄せられている」と話している。同協会は、業界全体の約1割とされる819社で構成される。



 もっともなことだと思う。このように言うと情緒でしか物事を判断できない人たちに批判されるだろうが、「派遣切り」という言葉の中に、企業に対しての憎悪、敵対心があることは否定できず、それにもかかわらずこの言葉を使い続けるということは、それはマスコミ等が国民を一定の方向にアジテーションしているということになる。感情論では非生産的な水かけ論になり、企業・労働者双方にとってもよい結果にはならないはずだ。



 現在、労働者派遣に対する規制が争点になっているが、派遣の規制については反対だ。そもそも、アメリカのリーマンブラザーズの破綻に端を発する急速な世界経済悪化という事態になるまでは、派遣労働者もきちんと賃金の支払いを受け、生活ができていたではないか。ということは、派遣そのものが悪いのではなく、派遣労働者に対するセーフティネットの不備こそが問題なのではないか。

 確かに、派遣というものは景気の良し悪しに左右される雇用形態であるということは否定できない。そして正社員よりも不安定な地位に置かれていることも認めざるをえない。しかしながら、多種多様な働き方があってもいいし、自分のスタイルに合わせてお金を稼げる派遣という雇用形態は、働く側にとってもそれなりのメリットがあろう。したがって一概に、「派遣切り」=悪、と決め付けるのは行き過ぎではないか。



 今我々の生きている世界はグローバリゼーションが進展し、否応なくその中で生きていかなければならない。江戸時代のように日本だけが鎖国をするわけにはいかない。グローバルな環境において企業に求められることは、同業の他国そして自国の企業と国際競争をしていくにあたり、いかにして勝ち残っていくか、そのためにはどうすればいいのかを考えることだ。製造業でいえば、いかに安くそれでいて良質なモノを提供できるかということだ。それができなければ企業そのものの存続が危ぶまれる。企業自体が競争に敗れて潰れるとなれば、派遣労働者も結局は路頭に迷うことになる。

 そこで派遣労働者の存在は、企業にとって大きい。正社員よりも安い賃金で働いてもらえ、それによってコンスタントに良質かつ安価な商品を製造できるからだ。派遣労働者の雇用契約中途解約に同情し、企業を批判してしている人たちも、実は今まで派遣による恩恵を受けていた(現在も受けている)のだ。このことを忘れてはならない。



 そして、派遣労働者も誰から強制されることなく派遣という立場を選んでいることも忘れるべきではない。職を失った彼らに向かって、あなた方の先見性が足りないことの結果だとは毛頭言うつもりはないが、派遣という地位を選んだのはあくまでも自分自身であり、なかには派遣労働者という身分を自ら積極的に選択した人もいるということを認識しておきたい。

 とはいっても、この現状を看過していいわけがない。労働者にとって失業とは所得の喪失を意味し、所得の喪失とは生きていく上で死活問題である。しかも、就労意欲のある人たちを無為に放置しておくことは、経済発展上も好ましくないはずだ。利用可能な労働力を利用しないということは、国民にとってもまた損失なのである。麻生氏は2兆円もの税金を定額給付金と称し、各家庭に分配するという。しかし2兆円はそうした使い方ではなく、雇用保険財政の立て直し、失業者の生活の安定を図りつつ求職活動を支えるための資金として活用すべきではないか。

 派遣労働者とは正社員とは異なり、景況に応じて雇用関係に変動が生じやすい。そうした派遣という立場の特殊性を考慮に入れつつ、安心して派遣労働に従事できるような社会保障体制を整備することのほうが、派遣労働をいかに禁止ないしは規制するかといった議論よりも重要なはずだ。



 話が逸れたが、派遣切りという表現は、記事にもあるように派遣というだけで哀れみをもってみられ、派遣労働者という立場を不当に貶めている。派遣であっても自分の職業に誇りをもって仕事をしている人もいるはずだ。よって、派遣という雇用形態の正確な理解を妨げるおそれのある「派遣切り」という表現は不適切であり、報道各社に使用しないよう求めた日本人材派遣協会を支持したい。

無意味な「給付金」支給

2008年11月02日 | 社会保障関係
定額給付「高所得者除外も」 与謝野経済相が発言(産経新聞)

 政府の追加経済対策に盛り込まれた生活支援定額給付金について、与謝野馨経済財政担当相は1日、テレビ東京の番組で高所得者を支給対象から外す方向で検討する意向を示した。
 与謝野氏は「高い所得層の人にお金を渡すのは(生活支援の)名前に反している」と指摘。政府・与党は全世帯への給付で合意しているが、「生活支援を必要とする全世帯という意味だ」と強調した。
 高所得者を支給対象から除外し、その分を中・低所得者に振り向ければ、生活支援としての効果が大きくなるとの狙いがあるとみられる。与謝野氏は、所得水準を線引きする場合は1000万円前後との見通しを示した。
 年末の税制改正論議などを通じて議論するとみられるが、給付に対する所得制限は、所得の把握が難しいほか、事務作業が膨大になるためにいったんは見送った経緯がある。このため、実現するのは困難との見方も根強い。



 ナンセンスな経済対策である。既に言われているように、自民と(特に!)公明の選挙を意識したばら撒きであることは言うまでもないだろう。そもそも、カネをばら撒くだけで経済が立ち直るなら、誰も苦労しないし、経済について論じる必要もない。

 小泉・竹中両氏による構造改革路線により、政府の行う経済政策も少しはましになってきたと思うようになった矢先に、また旧態依然の古い経済政策を掲げるようでは、国際社会から笑いものにされるだけだ。もはや麻生内閣に有効な経済対策を期待すること自体が野暮なのだろうか。



 以前、「地域振興券」という愚策を講じ、これが結果的に失敗に終わったことから、与党(特に公明)は何を学んだのであろうか。地域振興券による経済効果は、発券額が総額約6200億円なのに対し、わずか2000億円に過ぎず、これはGDPの0.1%に過ぎないという、惨憺たる結果を残したばかりではないか。政府・与党には、過去から学ぶということができない人材ばかりが揃っているのか。

 確かに今回の場合、現金そのものを支給するものであり、地域振興券とは違うという考えもあるにはあるだろう。しかし、結局は近視眼的にカネをばら撒き、そのばら撒いたカネをばら撒いた国民から税金というかたちで回収という基本的な発想に違いはない以上、同質のばら撒き政策と批判されるのは当然である。もちろん今回の世界的な経済危機を、政府が指を銜えて眺めていろとは言わないが、発想があまりにも安易過ぎるし、過去の教訓から学べていない。

 不況が現実化する中、このような現金給付をしたところで国民心理としては、これを貯蓄や住宅ローンの返済等に回したいと考えるのが普通である。つまり、政府・与党の期待するような消費・購買意欲への刺激には繋がらない。給付したところで貯め込まれては何の意味もない。これは経済学の言うような、消費者は合理的に行動するという原則からは導き出せないものである。



 もしあくまでも給付金を支給したいのであれば、与謝野氏のように高所得者を除外するのではなく、高所得者にこそ給付金を支給すべきである。このように書くと批判されるのは間違いないが、先に述べた得た利益を貯蓄に回してしまう層は、主に低所得者層と中所得者層である。このような層にカネをばら撒いても消費として跳ね返ってくることはなく、蓄えにしてしまうのであれば、逆の発想で、蓄えが多くあると思われる高所得者層に絞って給付金を支給するのである。

 むしろ高所得者層に支給するほうが、一世帯あたりの数も少ないだろうから、より多くの金額を支給できることになり、支給されたカネは彼らにとって余ったカネ(余剰金)なり、余ったカネを消費しようと様々な消費行動に動くことが期待でき、それによって経済も刺激され、日本経済の底上げにも繋がるだろう。少なくとも、給付金を支給したところで過去の行動から貯蓄に回すことが予想のできる低・中所得者層に支給するのよりは、経済効果は期待できるはずだ。

 政府・与党が真に低・中所得者層の救済や生活の安定確保に努めたいのであれば、給付金を支給することよりも、生活に直接かかわる物品への課税の見直しだろう。たとえば、以前麻生首相の提言していたような気がするが、食品には税率を5%から2%にし、かわりに嗜好品等にその分税率を上乗せするとか、国民生活の直接影響を及ぼす物品への減税措置のほうが、まだ評価できよう。

 現にイギリスでは食品や生活必需品等には課税されいない(食品や書籍、新聞等)。そのかわりにバーやレストラン等で飲食をすれば、税率は17.5%であるように、別のところから税は回収しているのである。イギリスの制度をそのまま日本に導入すべきとは言わないが、参考にしてもいい税のかけかたではある。



 これだけは言えよう。給付金を支給したところで経済が上向くことはない、と。

taspo導入は必要だったのか

2008年06月03日 | 社会保障関係
 6月1日から全国で、自販機でタバコを購入する際に必要となった成人識別ICカードであるタスポ(taspo)。僕自身は非喫煙者だが、果たしてこんなもの必要なのか、かねてから疑問に思っていた(むしろ、タスポ導入の本当の目的は、いかがわしい利権の確保ではないかとすら思う)。



 タスポ導入の名目は、「未成年者による喫煙の防止」である。タスポ導入に伴って、深夜12時以降のタバコの自販機使用停止も解除するのだという。このような措置は、自販機に成人識別機能を導入したことからの安心感(?)からであろうか。だがそうだとしたら、それは甘い考えのように思える。

 深夜12時を過ぎてから、親の目を盗んでタバコを買いに行こうとする未成年者だっているはずだ。常に自販機の前に誰かが立って見張っているわけではないので、このような行為を防止することはできないだろう。現に、どこでどうやって買ったか知らないが、つい昨日の昼間、路上で喫煙をしている高校生を見かけたばかりだ。



 そして、タスポを導入するために、自販機一台あたり約7万円の改修費がかかったのだという。しかも、改修工事に従わない場合、行政による営業停止というサンクションまでちらつかせ、半ば有無を言わさずにこれを導入をさせた。いくらタスポ導入の根拠を「たばこ規制枠組み条約」に求めるものとはいえ、これは少しやりすぎではないか。

 さらに、タスポを全国に先駆けて導入した宮崎県と鹿児島県では、タスポの喫煙者に占める普及率が27~30%にとどまっているのだという。要するに喫煙者の4人に1人程度しか持っていないのが実情である。そもそもだが、わざわざJTに申請をし、タスポ郵送まで2週間程度かかるという手続の煩雑さがいただけない。カードにお金をチャージしなければならないのも、高齢者の喫煙者などは躊躇ってしまうだろう。それならば、自販機程度に多く存在しているコンビニやスーパーでカートンごと購入しておいたほうが面倒くさくないのではないか。というか、どうしてコンビニなどの対面式の販売にもタスポ掲示を義務化しなかったのだろうか。中途半端な制度としか思えない。

 タスポの導入は、自販機でのタバコの売り上げを下げ、コンビニやスーパーでの販売実績を上げることぐらいにしかならないのではないか。現に、実際に喫煙者に聞いても「コンビニで買うから、タスポの申込みはしない」という人が圧倒的に多いのだという。自販機のメリットはその手軽さである。しかし、タスポの導入はそのメリットを削ぐことになりかねない。



 おおよそ現実的ではないが、極論を言えば、それならばいっそのこと、タバコの自販機自体を一切撤去したほうが手っ取り早いと思われる。海外旅行で日本を訪れる外国人が、日本は自動販売機が至る場所に設置されていて、せっかく歴史的建造物が立ち並んでいても、これでは景観を損ねると言っていたのを以前新聞で読んだことがあるが、タバコの自販機だけでも全て撤去すれば景観の維持、向上にも貢献できる。



 それから、タスポ導入の目的が先に述べたように「未成年者の手に渡らないようにする」というものならば、これが他の未成年者に禁止されている商品などに及ばないという保証もない。たとえば酒だ。酒だって未成年者にとって有害であるから規制している以上、タバコと同じことが言えるはずだ。タバコは自販機で売っているが、酒はほとんど自販機で売っていないから成人識別機能の導入は不要という批判を受けそうだが、もし「酒類規制枠組み条約」なるものが採択された場合、同じような事態にならないとは言えないだろう(杞憂かも知れんが)。



 タスポ導入の効果がゼロとは言わないが、タスポを導入することによって減る未成年者の喫煙率と、その導入にかかった諸費用や実際に減少すると考えられる未成年者の喫煙率を考えてみると、あまりにコスト高ではないかと思う。

 本当に未成年者の喫煙を防止したいのであれば、シンガポールのように自販機を一切認めず、タバコ販売店を免許制として監視し、未成年者が購入しやすい価格で販売することを禁止するぐらいのことをやってみたらどうだ(しかし、シンガポールでも未成年者の喫煙を撲滅するに至ってはいないが)。ちなみに、シンガポールでのマルボロ一箱あたりの価格は925円である(ロンドンは1300円)。アメリカなどでは、教育関係者は子供の見えるところでの喫煙を禁止しているほどだ。



 タスポを導入するよりは、タバコの価格を大幅にアップしたほうが、コストがほとんどかからずに未成年者の喫煙を減らすことができたと思う。しかしながら同時に、喫煙者の肩身が日に日に狭くなっていくようで、同情もしてしまうのであるが・・・(苦笑)。

老人犯罪に関する考察

2008年05月25日 | 社会保障関係
1、はじめに

 近年、日本人の平均寿命は、男性78.56歳、女性85.52歳で、世界一の平均寿命を誇っているとされる 。しかしながらその反面で、急速な少子高齢化社会へと向かっている。全体的な犯罪総数自体は減少の傾向にあるにもかかわらず、高齢者による犯罪は増え続けている。しかしながら、伝統的には本来ならば全年齢層の中でも犯罪発生率が高いのは少年期・若年成人期であると言われている 。しかしここ最近は高齢者による犯罪の増加は、社会の高齢化による高齢者の人口増加という要因を差し引いても、その増加率は目を見張るものであると思われる。このことは、高齢化社会における犯罪現象の一つとして考察するに値するものと思われる。そこで、高齢者による犯罪を今回のテーマに据えてみたいと思う。



2、国外における高齢者と犯罪

 欧米諸国をはじめとした海外における高齢者による犯罪の傾向としては、全体的に幼児にたいする猥褻が多いのが特徴であった(特に欧米において)というが、近年ではそれも減少傾向にあるという。欧米諸国そこで、隣国である韓国と、近年日本と同じく高齢化が進行し、1900年の平均寿命が49歳だったのが、2006年には男性76.7歳、女性83.8歳にまで伸びたフランスについて、みていこうと思う。

①韓国における高齢者による犯罪

 朝鮮日報2008年4月28日掲載された「韓国で増え続ける高齢者犯罪」によると、最高検察庁の統計結果では、「2006年の60歳以上の高齢者による犯罪は8万2278件で、全体の犯罪件数193万2729件の4.2%」を占めているという。そして、韓国における60歳以上の人口の全人口に占める割合は13%にすぎないが、「2001年から06年までの5年間で、全国の犯罪発生件数は16.7%に減少した」のだが、「高齢者による犯罪は45%増加」したという。そしてこのペースは、「高齢者が一人増えると、高齢者による犯罪はほぼ3件ずつ増加していることになる」という。
 韓国における高齢者犯罪に占める凶悪犯罪としては、2005年の高齢者による強姦が430件(2001年は91件)、強盗が75件(2001年は6件)、放火が59件(2001年は8件)、殺人が96件(2001年は18件)となっており、どれも劇的に増加している。放火に関しては、2008年2月8日に起こった「南大門放火事件」も、政府の方針に不満を持っていた70代の高齢者によるものであった。

 しかしながら、このような高齢者による犯罪の劇的な増加の背景には、「高齢者の貧困」があるのだという。「警察庁によると、2004年から05年にかけて400件だった70代の高齢者による窃盗は、昨年(2006年)は846件にまで急激に増加した。大型スーパーで豚肉や牛肉、たばこなどを万引きする、まさしく生活のための窃盗がほとんど占めていた」という件からも、高齢者による犯罪の増加の主たる要因のうちの一つに、貧困があることは間違いないだろう。先述した「南大門放火事件」の犯人も、金銭についての不満が放火の原因だったと供述している。

②フランスにおける高齢者による犯罪

 ここでフランスを取り上げる理由は、さきの韓国における高齢者による犯罪の主たる要因の一つであろうと考えられるものに貧困があったが、60歳以上を対象とした2005年の高齢者の生活困窮度の国際比較において、フランスは高齢者の貧困の度合いで、韓国に次ぐ2位であったからだ 。
 フランスでの60歳以上の高齢者の囚人は、1996年には約400人ほどであったが、2006年には2240人を超え、10年間で5倍以上増加している。なお、50歳以上の囚人も80年代と現在を比べると同じく5倍ほど増えている。
 
 しかしながら、フランスの犯罪者の高齢化には、フランス独自の事情がある。それは性犯罪の時効に関する法改正が影響しているのだという。この法改正によって、公訴の時効期間が延長され、性犯罪の被害者は成人してから5~10年間、加害者を告訴できるようになり、そのことによって孫に性的虐待をした老人が訴えられるというケースが増えているのだという。



3、日本国内における高齢者と犯罪

 本稿は、日本における高齢者と犯罪がメインであるので、以下、犯罪加害者としての高齢者と犯罪被害者としての高齢者とに分けて、論じていきたいと思う。

犯罪加害者としての高齢者

 犯罪統計上は、60歳以上が高齢者による犯罪とされている。新受刑者に占める高齢者の割合は、1966年が1.3%であったのが、2004年には9.8%に増加した 。再入所の割合も男子85.2%、女子86.3%にのぼる(1990年当時)。高齢者による犯罪の罪種で多いのは、窃盗、横領、詐欺などの財産犯であり、しかも窃盗では万引や、自転車窃盗などが多く、横領の遺失物横領がその多くを占めている。特に、女子高齢者による犯罪にこの種のものが多い。最近は、介護疲れによる殺人も増加している 。高齢で犯罪を繰り返している者の傾向としては、度重なる犯罪の結果により、前科のない高齢犯罪者に比べ、無職で生活能力が低く、住所不定の者の割合が高く、家族関係が破綻していることが多いとされる。

 高齢者による犯罪は、微罪処分として警察段階での処理で完了することが少なくない。そして、警察段階で終わらなかったとしても、刑事訴訟法248条において、犯人の年齢が公訴の提起を考慮する要件として挙げられており、起訴猶予処分にされる可能性もある。実務上も、60歳以上の高齢者に対する起訴猶予率は高くなっている。

犯罪被害者としての高齢者

 高齢者の増加にともない、その介護などの問題がクローズアップされる我が国において、犯罪被害者としての高齢者としてまず考えられるのは、高齢者虐待であろう。高齢者に対する虐待が一律に犯罪であるとは言えないが、高齢者虐待の内容では、「心理的虐待」の63.6%に続き、「身体的虐待」が50%を占めている 。虐待を受けている高齢者の約8割が75歳以上であり、57.8%が介護や支援を必要とする痴呆症の高齢者であった。なお、虐待を行っている者は息子、息子の配偶者、配偶者、娘の順であった。このような高齢者に対する虐待に注目が集まり、2006年4月1日から「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」(高齢者虐待防止法)が施行された 。

 次に犯罪被害者としての高齢者として考えられるのは、消費者としての高齢者が悪質商法によって金銭などを詐取される場合であろう。国民生活センターの統計によれば、全国の消費生活センターに寄せられた契約当事者が70歳以上の相談件数は、2001年度が56915件だったのに対し、2006年度は133542件にのぼったという。主に高齢者を狙った悪質商法には、不安を煽り不要なリフォーム契約をさせるリフォーム詐欺や、いったん被害に遭った消費者を同業者グループが集中して狙い、次々と不要な契約をさせる「次々販売」などが注目されている 。高齢者の場合には、老後の蓄えや年金が狙われる。



4、高齢犯罪者の処遇

施設内処遇

 高齢者の犯罪者は一般的に老化による体力などの減少をはじめ、疾病などの患う可能性も高く、そのほかの社会での事情も複雑なため、その処遇は容易ではない。高齢犯罪者でかつ累犯である場合だと、施設内での矯正教育によって改善させることは甚だ難しくなるという。入所回数が10回を越える者もいるという。
 実務上では処遇者分類規定により、高齢犯罪者はPz級と呼ばれる60歳以上の犯罪者分類と、特別な養護的な処遇を要するS級が設けられており、刑務作業の軽減や補聴器の貸与、定期健康診断などの医療措置などがとられている。しかしながら、高齢受刑者であってもPz級に分類されることはそう多くないという。なお、山口県美祢(みね)市に誕生したPFI方式の民間刑務所では、建物内はバリアフリーでカラオケなどの設備もあり、高齢受刑者向きの刑務所となっている。

社会内処遇

 高齢者の社会内処遇も簡単なことではない。高齢犯罪者の家庭が崩壊していることが多いため、たとえ刑期を満了し、社会に出られたとしても、保護監察官などによるその後の環境調整が非常に難しいことが多い。また、高齢者の場合、社会復帰をしても再就職がままならないことがある。就職先のみならず、新たな居住先も見つからないこともある。このため、軽微な犯罪を繰り返し、再度入所する累入所者が後を絶たないものと考えられる。このため、本人の申請にもとづく更正緊急保護の措置がとられる。しかしながら、更正緊急保護の期間も6ヶ月であり、この期間が過ぎると国からの補助が出なくなるため、高齢者が食費や宿泊費を支払えない場合には、保護をする施設がそれらの費用を負担することになる。



5、検討

 平均寿命の飛躍的アップによる高齢化社会の到来により、それだけ余生を送る時間が増えれば、必然的に高齢者による犯罪の増加する社会の到来も引き起こすものだと考えられる。だが、単に平均寿命の伸びだけが高齢者による犯罪の増加を招いているものではない。高齢者による犯罪の増加には、時の社会の経済状況、社会保障の充実性、体感治安など、様々な要因が絡み合って生じている現象であろう。これら要因を踏まえて、高齢者の犯罪がどうして起こるのかを究明するための主なキーワードを考えてみるならば、貧困、孤独が考えられると思う 。そこで、これらキーワードについて、以下において自分なりに分析を行ってみた。

 まず貧困についてだが、貧困と犯罪との間には何らかの因果関係があると思われる。よってこれが本当ならば、貧困の少ない国(社会保障が充実していると思われる国)では、犯罪は少ないのであろうか。そこで、一般的に社会保障が充実しているといわれるスウェーデンの犯罪状況について調べてみた。

 これまでスウェーデンでは、左派のスウェーデン社会労働者党によって政権が担われ、この政権下で社会保障が充実してきた歴史がある 。しかしながら、スウェーデンの治安は1990年代から確実に悪化しているという。2007年の半年の段階ではあるが、過去10年間で暴力行為が6割増、公園を散歩したりジョギングをしている女性への強姦も増加している。2007年の半年だけでも公衆の場で発生する暴力行為は2006年の半年間と比較しても17%増加しているという。ストックホルムの地下鉄では、落書き、器物損壊、暴力行為の増加で、2007年からは全ての駅で防犯カメラを設置することになったという。高齢者の体感治安も確実に悪化しているのだという 。更に、最近まで老人の自殺も多かったという。

 このスウェーデンの例からも分かるように、社会保障が充実し、貧困層が減少すれば、それに伴い犯罪も減少していくというのは、直ちに正当化できるものではなさそうである。しかしながら、韓国で南大門を放火した高齢者の犯人も、金銭に不満があったと述べていることから、貧困が人を犯罪行為に走らせる一因になっていることを全否定もできなそうである。そして、我が国においても、北海道の刑務所を出所後、ただ一人身寄りのある弟の家に行ったが上げてもらえず、その後一銭ももたずに食堂でラーメンとビールを頼み、無銭飲食で再び刑務所に入った老人もいるという。2004年当時において、毎月保険料を納めても月に6万円程度しか受け取れない国民年金の低支給額などが背景にあるという指摘もある 。

 次に、孤独と犯罪との因果関係について考えてみる。社会の核家族化、高齢化の進行により、1955年に42万5000世帯であった高齢者の独居世帯が、2005年には386万世帯に増加した 。国立社会保障・人口問題研究所は、このままいけば、2025年までには65歳以上の独居老人の割合は2000年当時が6.5%であったのに対し、13.7%に倍増するという試算を出している 。

 藤原智美著『暴走老人!』(文藝春秋)によれば、高齢者同士の隣人トラブルから殺人事件に発展したものも、その原因には高齢者の抱える孤独感があるのだという。北海道警察が窃盗で検挙された高齢者を対象に行ったアンケート調査の結果によれば、犯罪理由の第1位が「孤独」で、27.8%を占めたという。

 高齢者の孤独は、高齢者を犯罪へと走らせると同時に、高齢者の犯罪被害にも影響を及ぼしているという。たとえば、悪質商法による詐欺被害では、被害に遭った高齢者は犯人のことを、「親切に話を聞いてくれた」「親身に相談に乗ってくれた」と感じていたという 。ここに高齢者が日ごろから社会から隔離され、孤独な状況で生活をしていることが多いという現状が垣間見えるものと思われる。

 ところで、高齢者の体感治安はどうだろか。一般的に高齢者は心身の衰弱からか、前年齢層のなかでも一番犯罪に遭う確率は少ないとされているが、思うに、マスメディアが特異な凶悪事件を取り上げたりして、無用に不安を煽るようなセンセーショナルな犯罪事件の報道などが、高齢者の体感治安の悪化に一役買ってしまっているのではないか 。しかし、体感治安の悪化は高齢者に限ったことではない。

 野村総合研究所広報部が2005年5月に行った調査では、「この2~3年間に日本の治安が『悪くなった』と答えた人は全体の53.1%で過半数を超えた。『大変悪くなった』と答えた人も36.4%と、合計で89.5%の人の体感治安は悪化している。年代別には、『大変悪くなった』と答えた人の割合が50歳代以上では4割に達し、大まかな傾向として、高齢になるほど体感治安が悪化していることがうかがえる」としている。

 先述したように、高齢者による犯罪は、窃盗、横領、詐欺などがその大半を占めているが、放火などの凶悪な犯罪も高齢者によって行われている。放火はやり方次第ではマッチ一本さえあれば可能なことから、「弱者の犯罪」とも呼ばれているのはこのためであろう。殺人なども、絞殺のように力のいるものでなく、毒薬等を用いれば、体力の落ちた高齢者であっても比較的容易に実行できるとの指摘もある。高齢者による殺人は、配偶者が犠牲になることが多い 。

 高齢者が増加しているとはいえ、その増加の率を上回る勢いで高齢者による犯罪は増加している。このことは、やはり一概に高齢者が増えたのだから犯罪も増えると言える範囲を超えているものと思われる。一般的に高齢者による犯罪の増加ときくと、多くの高齢者の置かれている貧困という状態に注意を向けやすいと思われるが、生島浩福島大学教授は、たとえば高齢者による万引は、「孤独感や居場所のなさから気を引くためにするケースも目立つ」と指摘しているように 、高齢者が周囲のコミュニティーから孤立し、疎外されてしまっている現状こそが、高齢者を犯罪に走らせる主たる原因なのかも知れない。
 
 犯罪を行った高齢者がもし、犯罪を行わないで社会で暮らすよりも、犯罪を行ってでも誰かとコミュニケーションをとりたいと考えてしまっているとしたら、高齢者をそのような状況に追い込んでしまった社会そのものを見直す必要があると考えられる。高齢者による犯罪が増加しているからといって、その原因を高齢者にだけに求めることはできない。

議員宿舎は必要だ

2008年02月19日 | 社会保障関係
 一時期凄く「無駄」扱いを受けてたいわゆる議員宿舎について、今回は今さらながら考えてみたい。まず、結論から言うと、私は必要だと思っている。むしろ、議員宿舎大歓迎である。

 というのは、元々議員は、イギリスなどでは、ボランティアの無給でやっているのが当たり前で、議員の多くは議員以外の副業を持っているのが普通であった。しかし、そうなると、貧困層とか、お金のない人たちから議員を輩出することができない。
 こうなれば、議員は一部の富裕層の口利きみたいなものになってしまい、国民の多様な意見を反映させるための議会ではなくなってしまう。そこで、こういう弊害を除去して、幅広い層の国民を代表する多様な議員を議会へ送り出すために、議員に給料が支払われてるようになったのである。

 どうしてこんな話を出したかと言うと、議員の中にはお金のない議員、またはそんなに豊かではない議員もいるんだという、ごく当たり前の前提が、今の議員宿舎に反対する人たちは、分かっていない、もしくは見落としているんじゃないかと思ったからである。

 議員になっても、その職場である国会に通わなければ仕事にならない。当然ながら、議員は全国から選挙された人たちであるから、北海道から沖縄の離れた島の出身の人まで、その出身地は多様である。こういう人たちのためにも、家賃を格安にして提供できる議員宿舎って必要なんじゃないだろうか。
 もし議員宿舎がないと、国会から通える範囲にいる議員に情報などが集中したり、地方出身の議員はまともに政策などを勉強したりする時間が取れないと思う。もっと言えば、果ては参政権の侵害にもなるだろうかと。

 議員宿舎に批判的な人の中には、その家賃の安さが問題なんだと言われる方もいるのは承知している。しかし、選挙をするだけでも莫大な費用が必要で、しかも当選すれば今度は国会から通える範囲に居住しなければならない。これでは、資産の乏しい議員にとっては、ふんだり蹴ったりの出費だと思う。
 けれども、繰り返すが、議会とは多種多様な国民の声を反映したものでなければならいない以上、財力に余裕のない人でも安心して議員活動ができる土壌を保障しなければならないと考えている。よって、私は家賃も安くていいと思っている。

 お金のある人がわざわざ財テク感覚で議員宿舎を占拠したりするのはいただけないし、そういう者には批判は然るべきものだろうが、そういう一部の人たちをもって、一部の問題を全体に波及させて、「議員宿舎はいらない!」は、行き過ぎだと思うのである。

共産党みたいなことを言う民主党

2008年02月06日 | 社会保障関係
 「授業料標準額」を支給、民主が高校無償化法案

 民主党が今国会に提出を予定している高校の授業料無償化法案の骨子が5日、明らかになった。
 高校、高等専門学校などに通う生徒の家庭に、国が示す授業料の標準額の範囲内で授業料を支給するのが柱。また、子供が私立に通う年収500万円以下の家庭には、標準額の2倍を支給する。同標準額は、今年度は全日制で年間11万8800円(毎月9900円)だった。同党は、関連予算は年間で約4324億円と試算している。
 骨子によると、支給対象は、国公私立の高校、高等専門学校、専修学校に通う生徒の家庭などで、全日制は原則3年間。定時制や通信制は4年間まで支給する。事務費を含めて費用は全額、国が負担する。






 

 前に共産党の穀田氏の講演を聴きにいったことがあるが、彼も同じようなことを言っていたが、いつから民主党は共産党の真似事(二番煎じ?)をするようになったのか。

 そもそも、民主党は本来「小さな政府」を指向していたのではなかったのか?だとしたら、この提案はその方針とまるで矛盾したものである。「小さな政府」にするのか、「大きな政府」にするのか、民主党はまずそこからはっきりとビジョンを示すべきだ。

 憲法26条には「教育を受ける権利」が規定されている。義務教育の国庫負担もこの理念を現実化するためのものだ。しかし、この26条には同時に「義務教育は、これを無償とする」とも定めている。つまり、憲法の想定している無償で施される教育は、中学校までのものだ。すなわち、高等学校教育を無償にする理由を、憲法から導き出すことはできない。

 それから、全日制の高校でかかる費用は月約9900円とあるが、これは平均的なサラリーマンの給料約1日分程度であるという。この程度の負担までも国民からの税金でカバーさせるつもりなのか。これは、高校などの授業料が無償になっても、その跳ね返りが結局税金となって国民にのしかかかかってくるという構図以外の何ものでもない。

 これは繰り返し言われていることだが、ヨーロッパ諸国の学費無償の背景には、いわゆる「高福祉・高負担」というものがある。つまりは、「質の高いそれ相応のサービスを受けたいのなら、それ相応の高額な税金を払え」ということだ。(うろ覚えで恐縮だが)スウェーデンでは、給料の約6割以上は税金に消えるという。
 
 そして最近では、大学に関して言えば、学費無償の先進国とも言えるドイツの大学でさえも、2004年に大学等の機関が学費を徴収することを禁止する法律の違法性をめぐり訴訟が起こされ、裁判所は学費制度を導入することは可能とする判決を出したのだという。その結果、キリスト教民主同盟が州政府となっている州を中心にして、ドイツ全土の大学ではないが、2006年から授業料の徴収が開始され、しかもその額は年々上がっているという。ちなみにオーストラリアの大学では、授業料支払いを猶予してもらい、就職後に給料から天引きを行うという制度があり、多くの学生が利用しているのだという。

 ひるがえって日本国内に目を転じてみると、今は25円のガソリン代だけでも国政が紛糾しているというのに、これ以上税金を上げるということになったら、国民の反応は火を見るよりも明らかである。

 しかも理解に苦しむのは、「私立学校」までその支給の対象にしていることだ。私立学校には、もう既に全体で何百億円という額の補助金を、文部科学省が支給している。一例を挙げると、平成16年度、文部科学省が関西学院大学に補助金として交付した金額は約24億8500万円である。これ以上、いわば屋上に屋根を設けるかたちで支給する必要は全くない。私立と名乗りながら、その財政の実態は、政府からのヒモ付きの給付に頼っているのだ。ならば私立学校は、その補助金から奨学金を捻出したらどうだ。

 民主党案よりも、各学校ごとの奨学金の充実を図ったほうがより有意義である。はっきり言わせてもらうが、義務教育では教育の機会均等という憲法上の要請があるので仕方はないが、高校以上の教育では、できる生徒や学生を対象に奨学金というかたちで資金を援助してやるほうが、この国のためにもいい。

 いたずらにカネをばら撒かれても、その尻拭いをさせられるのは国民だということが、民主党にはどうやら理解できないらしい。

格差と直結する問題ではない

2007年10月12日 | 社会保障関係
 時事通信に以下のような記事があった。

 国民生活金融公庫総合研究所が11日発表した「教育費負担の実態調査」によると、高校入学から大学卒業までに必要な教育費は平均で子供1人当たり1045万円に上ることが分かった。世帯年収に占める教育費(小学生以上の在学費用)の割合は34%に達し、旅行・レジャーや外食を控えたり、奨学金制度を利用したりして対応しているケースが多い。
 高校・大学の累計費用を高校卒業後の進路別に見ると、私立大学の理系学部に進学した場合は1176万3000円、私立文系では1019万円、国公立大学では866万7000円。1人暮らしをしている子供への仕送り額は平均で年間104万円(月8万7000円)だった。
 今年2月に国民公庫の教育ローンを利用した勤労世帯を対象に7月にアンケート調査を実施し、2677件の回答を得た。 



 この記事についてブログを書いている多くの方が格差社会や少子化と結びつけて教育費が高いと批判されていたので、そこだけに反論を試みたい。

 ①まず、ここで弾き出されている1045万円という金額はあくまで「平均値」であって、「最低これだけかかりますよ」という数値ではない。言うまでもないが、平均値とは低い値と高い値の中間地点ということである。多くの方はこれをまるで最低値として解釈していたように見えた。もちろん、年間1045万円でもない(苦笑)。

 文部科学省「子どもの学習費調査」平成16年度版によれば、小学校受験をし、私立小・私立中・私立高校、そして私立大学理系に進学した場合の教育費(仕送りは除く)は1836万8763円になるという。一方、公立小・公立中、高校受験、公立高校、大学受験国立コース、国立大学と進学した場合の教育費(仕送り除く)は530万781円だという。あくまでもこれら数値は最小値と最高値であるが、その差は1300万円以上になるというのが分かる。
 最もポピュラーなコースと考えられる、公立小から公立中、公立高校、大学受験、私立大文系のコースは920万5558円(仕送り除く)となっている。このデータを基に平均値を出したとしても約1100万円ぐらいだろうと思われる。

 ソースとして相応しくないのは承知だが、ウィキペディアによれば、「三菱UFJリサーチ&コンサルティングで2004年に生涯賃金について調査した結果、正社員は平均1億6000万円非正社員は平均5250万円となっている」とあった。上記の最も高い金額(1836万8763円)に仕送りの平均額×48ヶ月で計算して、この正社員の生涯賃金の金額から差し引くと約1億3745万円となる。実際はこれに結構な額のプラスアルファ(個人的な感覚として500万は見積もってもいいと思う)がかかるだろうが、こういうことになる。

 無論、決して安い金額ではないのは承知だし、これだけをもって教育費を正当化するものではない。しかし、「貧乏人は子どもを産むな」、「教育は一部の者だけの特権」という突飛な理屈には結びつかないことは明らかだろう。



 ②こういう話になるとほぼ必ず「授業料の無償化を!」というような主張を始める者がいるが、全く馬鹿げた主張だということを指摘しておきたい。

 現在(平成16年度)でも、私立大学に支給されている補助金の総計は約3209億円である。これは過去最高の金額とのことだ。この金額は文部科学省が負担しているものである。ということは、私立大学の運営にも国民の税金がこれだけ投入されているということだ。ちなみに補助金支給額上位5校は、日大(約129億)、早稲田(約94億)、慶應(約93億)、東海(約67億)、立命館(約46億)である。

 これを踏まえて大学教育の無償化について考えると、現在各私立大学に支給されているこの金額よりも比にならない程の税金が必要になるというのは明白だ。果たしてこれを国民が納得するだろうか。個人的には全く同意を得られないと思う。

 寧ろ、大学に行く行かないは各人の自由に委ねられているという現実からして、大学に行かない人からまでも、大学の運営のために膨大な税金を徴収するというのは、国民の間にフェアじゃないという不満が溜まるだろう。
 ヨーロッパ諸国のなかには大学の授業料無償という国も存在するが、もちろん税金面もそれなりの金額になっている。普通に考えて、税負担を現状のまま、もしくはそれ以下にして大学の無償化実現などというのは、単なる絵空事でしかない。



 ③少子化と教育費を関連づけるのは短絡的。一部のブログを書いていた人の中には、「教育費がこれだけ高ければ少子化にもなる」という主張があった。しかし、これは間違っている。仮にその仮説が正当ならば、上記の大学の無償化が実施されている国々でも少子化は進んでいるが、これをどう説明するのか。更に言えば、ジニ係数の最も大きいナミビアでは、少子化ということが聞かれないのはどうしてか。



 教育費が良心的であればそれはいいことだ。しかもそれで良質な教育が提供されれば、それに越したことはない。しかし、学校だって一種の企業みたいなもので、良質な教育を提供できる人材、設備を整えるにはそれなりの費用がかかるので、それが授業料などに反映されるのは無理もないことではないか。しかも、そうしたことを望んだのは、当の国民自身ではなかったか。

民主の扶養手当は「不要手当」

2007年10月08日 | 社会保障関係
 以下、朝日新聞の記事より引用。

民主「子供手当法案」固まる 一人に月2万6千円支給
http://www.asahi.com/politics/update/1003/TKY200710030343.html

 民主党の参院選マニフェスト(政権公約)の目玉の一つで、今国会への提出をめざす「子ども手当法案(仮称)」の概要が3日わかった。中学校修了までの子ども一人につき、国が月2万6000円を支給することが柱で、親の所得制限や国籍要件は設けない。財源として5兆8000億円が必要と試算した。
 3日の同党「次の内閣」で大筋で了承され、今月中旬までに法案化する。法案は「子どもの成長および発達」を目的としている。支給額は、子どもに食費や教育費などで月約2万5000円かかるという各種調査の試算をもとに設定した。
 現行の児童手当は、国と地方、事業主らが負担する。3歳未満は月1万円、小学校修了までは第2子までが月5000円、第3子から月1万円で、会社員世帯(親子4人)であれば年収860万円未満など所得制限もある。



 一見聞こえのいい法案。けれども、欠陥だらけ。

 ①まず、すでに多くの方が指摘している箇所だが、所得制限がない、という点。これは裏を返せば、貧乏人にも金持ちにも同じ金額を差し上げますよ、ということだ。つまり、富める者は所得に上乗せ的に金が入り、貧しい者にとっては雀の涙程度の金額にしかならないということだ。

 民主はかねてから、少子化が進むのは経済的な困窮が原因ということ主張してきたはずだ。その理屈を通すならば、この規定は明らかに矛盾している。一定の所得制限を設けて、その分貧しい家庭へ富裕家庭に支払われる金額を充当すべきである。

 ②次に指摘しておきたいのは、この財源をどうやって確保するのか、ということだ。記事には、この政策を実施するためには5兆8000億円が必要とある。国家予算が約83兆円である。国家予算の約14分の1にもなる金額をどうやって集めてこようというのか。ちなみに、この金額は日本の防衛費(約4兆8764億円、2004年)より約1兆円多い金額である。

 どうせ、「行財政の無駄をなくし」などというステレオタイプの回答しか用意していないのだろうけど、兼ねてから指摘しているように、民主が自治労と癒着している現状からして、これだけの金額を確保するのは到底不可能と考えられる。

 ③ということは、この仕組みは必然的、不可抗力的に増税という発想に行き着くのである。資金が確保できなければ、外部から調達するしかないという発想は、官民問わず同じである。官の考える外部からの調達とは税金、つまり国民の財布から頂戴しますよ、ということだ。現に民主は、消費税を現状の5%から10%に増やすことを考えている。

 これでは北欧諸国のような、高福祉・高負担の国家に向かうということと、何ら変わらないではないか。これは現在の政府の目指している「小さな政府」という発想と、真逆を行っている発想である。しかしながら、民主は「小さな政府」を目指す、としている。いやはや、結局何がしたいのか。国民のご機嫌取りをしたいだけなのか。それも目先の選挙対策としての。

 ④民主応援団である朝日のこの記事には書かれていないが、26000円を支給する代わりに、その支給額を「配偶者控除などの廃止でねん出する」(日経新聞)のである。これでは一体この政策に何の意味があるのか、理解に苦しむ。

 配偶者控除や扶養控除といった一連の税制面での優遇措置は、主にいわゆる社会的弱者、経済的困窮者のためのものである。それなのに、こうした一連の控除を廃止して、代わりに(貧富の差に関係なく)月額26000円をあげますよという民主の政策は、「福祉ばら撒き」と言われても仕方ないだろうし、果ては今でも喧しく言われている「格差社会」の流れに掉さす結果にはならないだろうか。

 ⑤最後に。この政策を民主党内で進めている中心人物を誰だか知っているだろうか。それは民主党「次の内閣」神本美恵子ネクスト子ども・男女共同参画担当大臣である。彼女は元教師である。が、教師時代は筋金入りの日教組であった。そして「日政連(日本民主教育政治連盟)」所属議員である。日政連は日教組の推薦を受ける団体である。ということは、この「子ども手当て」という政策も、日教組の息のかかった政策と見るほうが自然である。



 そもそも、「金をやれば子供増える」という理屈で子供が増えるなら、今まで厚生労働省などが行ってきた一連の政策は何で功を奏さなかったのか。金をばら撒いてしまえば、その金が後で各家庭でどのように使われたか、分からないではないか。それならば、中学校の制服代や勉強道具を無償で配布したほうが、まだ金が腐らなくて済むと思うのだが。
 2ちゃんにも書いてあったが、ただ26000円を与えるだけでは、バカな親ならそれを携帯代に充ててしまうかも知れないぞ。

 これでも、「子ども手当て」なるものに賛成するだろうか。「子ども手当て」が、子供のいる家庭を「扶養」する手当てではないのは明白だ。こんな手当ては「扶養手当て」ではなく「不要手当て」である。

 ちなみに、このことに関してブログを書いていた多くの人は、「国籍要件の不要」を問題としていたが、現在行われてる「児童手当て」も、国籍要件は不要となっているということを、知っているのだろうか。よって、民主を「売国」というのであれば、民主も含めて自民も公明も売国政党なのである。