ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

「非実在青少年」規制は全くもって不要

2010年05月27日 | 二次元(児童ポルノ規制)
都の漫画規制案、民主が撤回要求へ(読売新聞) - goo ニュース

 18歳未満の性行為を露骨に描いた漫画やアニメの販売・レンタルを規制する東京都の青少年健全育成条例の改正案について、都議会民主党は、都に撤回を求める方針を決めた。
 改正案には共産も反対の意向を示しており、民主が姿勢を明確にしたことで、6月議会で原案通りに成立する可能性はなくなった。
 都は改正案を撤回しない考えだが、石原慎太郎知事が定例記者会見で「誤解を受けているなら文言を修正したらいい」と述べ、都議会与党の自民、公明が条文の見直しを検討している。これに対し、都議会民主党の幹部は「いったん白紙に戻す必要がある」と指摘。抜本的な見直しが必要との考えを示している。



 私が「非実在青少年」の規制が不要だと思う理由については後に述べるが、まずは、ここでいう「非実在青少年」の定義についておさらいをしておく。


「非実在青少年」とは、

「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの」である。



 ところで、民法学者の我妻栄は、著書『民法案内 1私法の道しるべ』(勁草書房)の中で、定義の法的効用等について論じている。

 我妻博士によれば、定義とは「その中に含まれるすべてのものに共通の点を捉えた、いわば最大公約数のようなもの」であるため、常識的な性質が除かれることもやむをえないという。そして、定義は法的に上位の概念になればなるほど曖昧な表現になっていくという。

 また我妻博士は定義の効用について、性質のはっきりしないものの性質をはっきりさせることであるとする。

 それでは、上記の「非実在青少年」の定義は、どのように考えるべきなのか。

 先述した我妻博士の見解にしたがいこの定義を考えてみると、「非実在青少年」というものを「定義する」には、これについて共通する点を捉えたものにしなければならない。

 一方で、条例という法的には下位の概念なのだから、定義についてはこれをはっきりとさせる必要が出てくる。つまり、曖昧な定義は許されない。これは問題が表現の自由に直結することであることからしても自明のことである。

 そして、「非実在青少年」という性質のはっきりしないものの性質を、定義によってはっきりとさせなければならない。


 しかしながら、「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写」という定義では、曖昧さがぬぐい切れず、恣意的な解釈の余地を大いに残すものであると言わねばならない。

 というのは、服装や所持品といったものは「非実在青少年」の特定には不十分である(決め手にならない)し、背景など論外である。「音声による描写」に至ってはまったく話にならない。

 そもそも、受け手に(視覚する者)によって捉え方が一人ひとり異なるであろうものを、定義して取り締まるという発想自体、それは自由の否定を表明しているに等しい。



 次に、呉智英氏も指摘するように、「非実在青少年」と言うのであれば、「源氏物語」はどうして規制の対象にならないのか。源氏物語など、18歳未満の「非実在青少年」の、それこそ「性の暴走」そのものであり、規制賛成派の理屈にしたがえば、これこそ危険極まりないシロモノでありうに。井原西鶴の「好色一代男」も同様の理由で規制されなければならない。



 最後に、マンガやアニメには実際の被害者が存在しないのに規制する理由はどこにあるのか。換言すれば、そもそも「児童ポルノ」の規制は、その被写体となって被害を受ける、いわば「実在青少年」の保護を目的としているはずなのに、そうした被害のない「非」実在青少年を規制する根拠は一体何なのか、ということだ。

 それならば、こうした非実在青少年の登場する作品において「猥褻な」描写がされることにより、実在する青少年に一体どの程度の「実害」が出たのか、客観的に証明できるデータはあるのか。

 つまり、非実在青少年の猥褻描写と実在青少年の性的被害との間に因果関係は存在するのか、存在するとすればそれを証明できるデータは存在するのか、ということである。



 長くなってきたので最後に私の反対論をまとめると次のようになる。すなわち、

①曖昧な定義で自由を規制することは、それを許すと結局は自由全てを否定することにつながる

②マンガやアニメには実際の被害者が存在しないのに規制する理由はどこになるのか

③児童ポルノの被害に遭う児童の保護が目的なのか、表現規制(創作物規制)が目的なのか、整理されていない

④規制推進派は、「感覚だけで」規制を正当化しようとしているのではないか


 都条例の廃案を願ってやまない。

国外移設すべきは社民党

2010年05月27日 | 国政事情考察
社民が署名拒否を確認 福島氏の進退発展も 普天間問題(朝日新聞) - goo ニュース

 社民党は27日午前、常任幹事会を開き、鳩山由紀夫首相が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を前提とした意思決定を行った場合、党首の福島瑞穂・消費者担当相が閣僚としての署名を拒否する方針を確認した。首相が閣議決定など署名を伴う意思決定に踏み切れば、福島氏の進退に発展する公算が大きい。
 日米両政府は、移設先を辺野古周辺とすることで合意しており、28日に発表する共同声明に明記する見通し。社民党の重野安正幹事長は、常任幹事会の決定を踏まえ、平野博文官房長官に電話し、共同声明から「辺野古」の文言を削除することを要求した。



 何とも格好の悪い政党である。周知のとおりかつて福島氏は県内移設という結果になれば、「重大な決意をしなければならない」と啖呵を切った。しかしながら、その「決意」とやらは一向に見えてこない。

 目下民主ならびに政府は、現行案とほぼまったく変わらない案で落ち着こうとしている。辺野古への移設である。ならば、社民党が「重大な決意」をもって連立から離脱するときが来たのは、誰の目からも明らかであるはずだ。

 こうした社民の「二枚舌」の意図は、新川俊光京都大学教授が指摘するように、

 「『連立離脱をする、離脱する』と繰り返して、その時期を明言しないのは、民主党が県内移設案をゴリ押ししてくるのを待っているのでしょう。

 『県内移設には最後まで反対した。しかし民主党はそれを聞き入れず、強行に決めた。私たちは被害者である』と言って連立を離脱すれば、ギリギリまで与党にいることの甘みを味わったうえで、党のアイデンティティ・主張も保てると考えているのではないか。」

と思われる。


 しかし、こうした「政局紛い」のことに国民がうんざりしていることもまた明らかで、このような姑息な手法が通じると思われては国民も舐められたものである。


 社民は野党時代に比べ、メディアへの露出も与党になることにより大いに増えた。メディアへの露出が増えれば、大した仕事をしなくてもその存在感を誇示できる。

 この政党は先の選挙においては、選挙当時の情勢を考えれば「惨敗」とも言える結果だったのにもかかわらず、まさに今は「濡れ手に粟」の状態で、有頂天なのだろう。そのためか、福島氏の顔も野党時代に比べて生き生きしている(笑)。それもそうだろう、この機を逃したら、二度とこんな政党が与党になれることなどないだろうから。


 とは言うものの、いつも党が生きるか死ぬかのときに党のかじ取りを間違い、国民からの支持を失い続けたのもまた、この政党である。このままお茶を濁し続けていれば、そう遠くないうちに更なる支持縮小の道を辿ることは容易に想像できる。


 そこで私はむしろ、国外に移転すべきなのは、米軍ではなく社民党であると思うのである(笑)。

民主は成金ならぬ「成権」である

2010年05月27日 | 国政事情考察
衆院総務委員長の解任決議案、野党4党提出(読売新聞) - goo ニュース

 自民、公明、共産、みんなの党の野党4党は26日、郵政改革法案を審議する衆院総務委員会で、与党側が25日に提出した放送法改正案の修正案を即日採決したことに反発し、近藤昭一委員長(民主)の解任決議案を衆院に共同提出した。
 与党側は27日の衆院本会議で決議案を否決し、同日の総務委員会で郵政改革法案の審議を始める構えだ。野党側は「公聴会などで十分な審議がされるのが肝要だ」(大島氏)と、与党の国会運営への反発を強めている。
 自民党は26日の政権政策委員会で、郵政改革法案への反対方針を決めた。石破政調会長は終了後の記者会見で「(郵政民営化に)逆行する法案だ」と批判した。



 「民主党は成金ならぬ『成権』である」とは、同志社大学の村田晃嗣教授の言葉であるが、まさにその通りであろう。それが今回の放送法改正である。

 これまで民主党は万年野党であったため、権力を掌握したものの、これをどのように使ったらよいのか、よく理解できていないのではないだろうか。馬に乗るときにきちんと手綱を使えなければ、馬は暴走してしまう。権力もこれと同じである。

 原口総務相は今回の放送法改正の危険性を理解できていないのか、それとも単に馬で鹿なのか結論は保留するにせよ、権力の持つその威力を正確に把握できていないことに間違いはないだろう。


 そもそも、原口氏が一生総務大臣を務めるわけではない。大臣が変われば政策も省の方向性も変わる。「大臣など所詮お飾り」と言われることもあるが、省のトップ(大臣)の持っている権力はお飾りなどという程度のものではない。

 確かに、原口氏は「大臣のときは」、放送への政治的介入はなされないかもしれない。しかし、今回の法改正は原口の代限りのものではなく、原口氏が大臣を辞めた後も改正された規定は残るわけだ。そうすれば、たとえ原口が「その危険性はない」と言ったところで、今後ともその危険性がないなどと、一体誰が断言できようか。


 ここに、冒頭で言った「成権」の節が見て取れるのである。


 しかも、自民党時代ならば、大臣等が独断と偏見にもとづいて暴走しようならば、党内から「あいつは危険だ」との声が上がり、自浄能力を発揮して危険の芽は極力摘み取られてきた。

 しかし、現在の民主党は周知のとおり、党内からの幹部クラスへの批判はことごとく封殺される傾向にある。ということは、この党に「自浄能力」を期待することはできない。



 かなり昔の漫画であるが、「お金がない」の主人公である萩原健太郎は、これまで貧乏であったが、突如として昇進の機会に恵まれ、莫大な金が転がり込んできてから、人が変わってしまい、これまで彼を慕ってきた人間は彼から離れて行った。今の民主党というのは、この、金に溺れたときの萩原と同じような状況にあるのではないか(苦笑)。


 権力だって未来永劫民主の手中にあるわけではない。いつか自分たちが権力の座を追われたとき、それでもこの政党を支持してくれる人たちがいなければ、政党は消滅の危機に瀕する。今の自民を見れば分かるだろう。

 権力を手にしたことで驕り、独善的な政治に走れば、そのツケは他でもなく自分たちに回ってくることに気付けないこの政党に未来はない。

民主党政権をGLAYの曲で揶揄する

2010年05月24日 | 本日の侃々諤々
衆院選を勝利したあの日の「グロリアス」も今ではとおい彼方。

「ずっと忘れない」と言っていた民意も忘れ、
普天間問題では稲嶺市長から
「ここではないどこかへ」基地を移転しろと言われ、
そんなルーピーまさに「サバイバル」

そして、最低でも県外と言ったり、子ども手当で国民を「誘惑」し
票を入れさせたものの、
「HOWEVER」、民主はマニフェストを実行できないと言いだす始末。

口蹄疫問題では、農家の人たちは「口唇」噛みしめて行政の対応に耐える。
農家の人たちの「生きてく強さ」には頭が下がります。

こんな状況なのに、鳩山由紀夫は
「Beautiful Dreamer」だからキレイごとばかり。


鳩山は、参院選後まで総理を続け、「またここであいましょう」
と言える可能性はほぼなく、
一方、外交では「GLOBAL COMMUNICATION」が取れないことを露呈し、
日米同盟は「Way of difference」の危機。



こんな体たらくなもんだから、国民の間では民主党政権に
「とまどい」を感じはじめ、 支持率は急降下。
参院選は「Winter, again」か?

原子力発電所は必要である

2010年05月21日 | 消費、環境、食品問題
高浜原発4号機、水漏れ防止の部品不良で停止(読売新聞) - goo ニュース

 関西電力は20日、定期検査中の高浜原子力発電所4号機(福井県高浜町)で、発電機の冷却水弁と配管をつなぐゴム製の水漏れ防止の部品に施工不良が見つかったため、同日中に原子炉を手動で止める、と発表した。
 放射性物質の漏れはない。
 この部品は3~4月の定期検査で交換したもの。その際、工具で傷がつき、今月10日に調整運転を始めた後、水圧で割れたとみられる。部品交換後、今月下旬に運転を再開する予定。



 2010年現在、わが国における電力需要のうち約3割を原子力発電が担っているという。2007年の段階では、わが国には55基の原子力発電所があり、そのうちの37基が稼働しているとのことである。

 資源エネルギー庁の試算によれば、原子力発電所1基分(1000万キロワット級)の発電にかかるコストは原発が360億円、風力発電が1兆円、太陽光発電は数兆円にのぼるという。

 つまり、原発反対派の言うように、電力の代替供給手段として風力発電等を導入すると、家庭の電気代は現在の数倍から10倍の規模ではね上がることになる。

 さらに、風力発電等に切り替える場合、その土地の確保も大きな問題となってくる。たとえば風力発電の場合、東京の山手線の内側の面積全体の3.5倍もの土地を確保しなければならないという。

 しかもここまでしてこれら発電を導入しても、上記の理由によりわが国の経済力は格段に落ち、経済的に大きな損失を被るのみならず、生活水準も相当なレベルにまで落とさないと無理なのである。果たしてそこまでして原発にとって代わるほどの魅力が、これら発電に(現在のところ)あるだろうか。



 次に、原発反対派は、原子力発電所が地震に見舞われた場合、非常に危険だと指摘する。しかしながら、現在の原子力発電所は地震対策を重点的にやっている。

 原子力発電所も敷地面積は広くて、柏崎刈羽原子力発電所は、東京ドーム90個分の面積を有しているという。

 原子力委員会委員長である近藤駿介氏によれば、その意図は、「原子炉の燃料が大規模に破損し、しかもそういう時に放射性物質を外に出さないようために設置してある格納容器が完全には働かないという仮想的な事故が起こったときでも、敷地の外にいる住民の方の被曝線量が過剰にならないことという基準」であるという(新潮45、2010年6月号)。

 しかも柏崎刈羽原子力発電所の場合、原子力保安院だけではなく、IAEAの震災時の安全性を保証しているのである。さらに言えば、同原子力発電所に対し、東京電力は1000億円をかけて追加の耐震補強工事を行っているのである。

 日本は地震大国と言われることから想像がつくように、活断層など探し出せばきりがないほどある。にもかかわらず、活断層が発見されるたびに「もっとしっかり事前調査をせよ」などと言っていたら、一向に原子力発電所が建設できず、わが国の電力需要に支障が出る。


 むしろ現在は、こうしたことへの懸念もあるが、テロ対策も喫緊の課題として対応せねばならない。原子力発電所のセキュリティ対策として、自衛隊を配置するということも真剣に検討されてもいいと思う。



 何ごともリスクは常につきまとうものである。人間は全知全能の神ではないのだから、失敗を起こす。しかし、そうやって技術は発達してきたものだし、またこれからも発達していくものであるはずだ。

 リスクよりもメリットのほうが大きいからこそ、世界中で原子力発電が採用されているのではないだろうか。

条約のイロハも知らぬ「知識人」

2010年05月11日 | 外交事情考察
韓国併合条約「当初から無効」 日韓知識人が共同声明(朝日新聞) - goo ニュース

 今年、韓国併合100年になるのを機に日本や韓国、在日コリアンの歴史学者、ジャーナリスト、小説家ら200人余りが署名した日韓知識人共同声明が10日、東京とソウルで発表された。
 「両国政府と国民が共同の歴史認識を確認することが重要」として和田春樹・東大名誉教授や荒井信一・茨城大名誉教授らが発起人となり、作家の大江健三郎氏らが署名した。韓国併合(1910年)について声明は「日本が韓国皇帝から民衆までの激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現した」とする。日本政府は65年の日韓国交正常化に際して「併合条約は対等の立場で、自由意思で結ばれた」という解釈をとったが、声明は「併合に至る過程が不義不当であり、同様に併合条約も不義不当であり、当初から無効だった」としている。




 笑止千万な宣言である。韓国は未だに日本への反発をバネにしなければ自身のアイデンティティを確立できないルサンチマンになり下がってしまったのだろうか。


 まず、条約の効力についてであるが、これについては条約法条約が規定する。条約法条約による条約の無効原因は以下のとおり。


条約の締結権能に関する国内法の規定違反
国の同意を表明する権限に付された制限違反
錯誤
詐欺
代表者の買収
代表者に対する強制
武力による威嚇または武力の行使による国に対する強制
一般国際法の強行規範違反


 本件で問題となるのはおそらく、(1)代表者に対する強制、(2)武力による威嚇または武力の行使による国に対する強制、の2つのであろう。


(1)代表者に対する強制

 これは、国家を代表して条約の締結に当たる者に脅迫等の強制を加えて締結した条約は無効になる、というものである。代表者の身体・名誉や財産への脅迫の他、代表者の家族に加えられる脅迫もこれに該当する。


(2)武力による威嚇または武力の行使による国に対する強制

 これは、読んで字のごとく、武力の強制により締結された条約は無効ということである。ただし、条約法条約は、国連憲章に違反する武力による威嚇または武力の行使による強制に限定して、条約の無効を認めている(条約法条約52条)。


 が、お分かりのように、これはあくまでも「戦後」打ち立てられた国際法であって、日本が韓国を併合した戦前に存在したものではない。条約法条約には遡及効(過去にさかのぼって生じる効力)はない(条約法条約4条)。したがって、日韓併合時に遡り、これら規定の効果を及ぼすことはできない。


 また、伝統的に国際法上、国の代表者に対する武力による強制は条約を無効にするが、国家に対する強制は条約の無効原因にはならないと解されてきた。条約というものが、現在においてもなお、一定の軍事力を背景に結ばれることを考えると、当然の法理である。ナポレオンが、「外交とは華麗な衣装をまとった軍事である」と言ったのは周知のことだろう。



 ところで、2001年11月16日から17日にかけて、アメリカのケンブリッジで開催された国際会議において、日韓併合の法的効力について議論がされたことがあった。

 ここで韓国は、日韓併合が法的に無効であることを韓国政府を挙げて主張したのだが、イギリスの国際法学者等から合法論が強く主張され、国際舞台で無効論を広めようとした韓国の目論見は失敗に終わったことをご存知だろうか。

 しかも、こうした韓国の主張は、欧米の学者、とりわけ国際法を専門とする学者からは、全く受け入れられなかったのであった。


 当会議において合法論を強く主張していたケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授は、自分で生きていけない国について周辺の国が国際秩序の観点から、その国を取り込むというのは当時はよくあったことで、日韓併合は国際上は不法なものではなかったと述べているのである。


 さらに、国際法学者である坂元茂樹関西大教授によれば、「第二次日韓協約が締結された1905年に、慣習国際法上、条約の無効原因として承認されていたのは国の代表者に対する強制のみ」であって、「強国が弱国に対して行う武力による威嚇又は武力の行使による条約の強制は必ずしも条約の無効原因とはみなされていなかった。」と、あの雑誌「世界」(1998年9月号)において述べているのである。


 そもそも、道義的に問題があるからといって、それによりただちに法的な効力まで否定するというのは論理の飛躍であるし、それを言い出せば条約などほとんど結べなくなるだろう。



 さて、ここまで述べれば、彼ら「知識人」の主張がいかに特定のイデオロギーに満ちた恣意的な解釈に基づき、しかも相当無理のある解釈により導きだされた結論であるか、お分かりいただけたかと思う。



 余談だが、外国人参政権の議論において、在日韓国・朝鮮人らは、1952年の民事局長通達により日本国籍を一方的に剥奪されたと主張するが、日韓併合が当初から法的に無効ならば、彼らは(実際上の)日本統治下においても李氏朝鮮籍(?)を有したいたわけであり、日本国籍など最初から保持していなかったということになるが、この主張との整合性はどう取るのか、気になるところである(笑)。