N・グレゴリー・マンキュー 『マンキュー入門経済学』 ( p.246 )
オリンピックでのメダルの数は、一国のGDPの大きさと相関関係にある、と書かれています。
1人当たりGDPが大きいために国のGDP総額が大きい場合であれ、人口が多いために国のGDP総額が大きい場合であれ、国のGDP総額が大きいほどメダルの数も増える。
その原因を、著者は、「オリンピック選手を育成することに一国の資源をより多く投じ」られるからではないか、としています。
おそらく、著者の「推測」は当たっていると思います。
しかし、著者の推測が外れていた場合であっても、「メダルの数がGDP総額と相関している」傾向が存在していることには変わりありません。そして、ここで重要なのは、こうした傾向が存在していることそのものだと思います。
なぜなら、この傾向は、おそらく「科学技術分野におけるトップクラスの研究者数」など、一国の国力にとってもっと重要な分野においても、存在しているのではないかと「推測」されるからです。
これを日中関係に当てはめて考えれば、1人当たりGDPでみれば依然として、日本は中国を大きく引き離しているものの、国全体のGDP総額でみればいまや同等になっていることから、「トップレベルの研究者数」は日中間で大差ないのではないか、という推測が成り立ちます。
とすると、国の経済力や、軍事力(防衛力)は「トップレベルの研究者数」で決まると考えられるので、日中間の経済力・軍事力(防衛力)は同等のところまできているということになります。日本は中国よりも1人当たりGDPが大きいので「まだまだ日本のほうが上だ」とは「いえない」ということです。
中国の経済成長がまだまだ続くのか、このあたりで打ち止めになるのかはわかりませんが、すでに中国は、「日本に追いつき、同等レベルまできている」と考えなければならないと思います。
なお、上記を逆にいえば、1人当たりGDPで台湾は日本と同等になってはいるものの、人口を加味したGDP総額を考えれば「日本にとっては、台湾の重要性は低い」ということになります (もっとも中台が連携すれば、日本にとって台湾は決定的に重要になります) 。
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「GDPの国際的格差と生活の質」
4年に一度、世界の国々はオリンピック競技会で競争する。オリンピックが終わると、解説者は各国が獲得したメダルの数を成功の尺度として用いる。この尺度は経済学者が成功を測るのに用いるGDPとはまったく異なるようにみえる。しかし、実はそれは違うのである。
経済学者のアンドリュー・バーナードとメガン・ブッセは、オリンピックでの成功の決定要因を調べた。その最も明白な説明要因は人口である。すなわち、他の条件を一定とすれば、人口の多い国ほど、より多くのスター選手を抱えているだろう。しかし、これが話のすべてではない。中国、インド、インドネシア、バングラデシュの人口を合わせると、世界の人口の40%を上回るが、それらの国々は、典型的には6%のメダルしか獲得していない。その理由は、これらの国々が貧しいからである。それらの国々は、人口の多さにもかかわらず、世界のGDPの5%を説明するにすぎない。貧しさゆえに、多くの才能をもった選手が潜在能力に到達するのを妨げられるのである。
バーナードとブッセは、世界クラスの選手を生み出す一国の能力を測る最善の尺度がGDPの総額であることを発見した。GDPの総額が大きいことは、それが1人当たりGDPの高さによるものであれ、人口の多さによるものであれ、より多くのメダルをもたらす。言い換えると、もし二つの国のGDPの総額が同じであれば、その二国は同じ数のメダルを獲得することが期待できる。たとえ一つの国(インド)は人口が多くて1人当たりGDPが小さく、他の国(オランダ)は人口が少なくて1人当たりGDPが大きいとしても、同じ結果になるのである。
GDPに加えて、他の二つの要因もメダルの獲得数に影響を及ぼす。開催国は、通常、メダルを多めに獲得する。それは彼らが地元で闘うことから得る有利さを反映している。さらに、東欧の旧共産諸国(ソ連、ルーマニア、東ドイツなど)は、GDPが同じくらいの他の国々よりも多くのメダルを獲得した。これらの中央計画経済は、自由市場経済よりも、オリンピック選手を育成することに一国の資源をより多く投じた。自由市場経済では、人々は自分自身の生活に対してより大きい支配力をもつのである。
オリンピックでのメダルの数は、一国のGDPの大きさと相関関係にある、と書かれています。
1人当たりGDPが大きいために国のGDP総額が大きい場合であれ、人口が多いために国のGDP総額が大きい場合であれ、国のGDP総額が大きいほどメダルの数も増える。
その原因を、著者は、「オリンピック選手を育成することに一国の資源をより多く投じ」られるからではないか、としています。
おそらく、著者の「推測」は当たっていると思います。
しかし、著者の推測が外れていた場合であっても、「メダルの数がGDP総額と相関している」傾向が存在していることには変わりありません。そして、ここで重要なのは、こうした傾向が存在していることそのものだと思います。
なぜなら、この傾向は、おそらく「科学技術分野におけるトップクラスの研究者数」など、一国の国力にとってもっと重要な分野においても、存在しているのではないかと「推測」されるからです。
これを日中関係に当てはめて考えれば、1人当たりGDPでみれば依然として、日本は中国を大きく引き離しているものの、国全体のGDP総額でみればいまや同等になっていることから、「トップレベルの研究者数」は日中間で大差ないのではないか、という推測が成り立ちます。
とすると、国の経済力や、軍事力(防衛力)は「トップレベルの研究者数」で決まると考えられるので、日中間の経済力・軍事力(防衛力)は同等のところまできているということになります。日本は中国よりも1人当たりGDPが大きいので「まだまだ日本のほうが上だ」とは「いえない」ということです。
中国の経済成長がまだまだ続くのか、このあたりで打ち止めになるのかはわかりませんが、すでに中国は、「日本に追いつき、同等レベルまできている」と考えなければならないと思います。
なお、上記を逆にいえば、1人当たりGDPで台湾は日本と同等になってはいるものの、人口を加味したGDP総額を考えれば「日本にとっては、台湾の重要性は低い」ということになります (もっとも中台が連携すれば、日本にとって台湾は決定的に重要になります) 。
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