言語空間+備忘録

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資本の論理によるアメリカの自滅戦略?

2011-05-24 | 日記
田中宇 『日本が「対米従属」を脱する日』 ( p.4 )

 米政府が、自国のドルや金融システムの繁栄を上手に維持しているなら、ドルや金融の危機が起きても、しばらくすれば回復してドルの覇権が維持できるだろう。だが米政府はむしろ、自滅することを隠れた戦略にしている観があり、長期的にドルは不可逆的に崩壊すると予測できる。07年のサブプライム住宅ローン危機の発生は05年に米連銀が利上げに転じた時点で予想できたはずだが、米財務省や連銀は危機が顕在化するまでほとんど手を打たず、金融界では金融バブルの源泉となるレバレッジの急拡大が放置された。

(中略)

 米政府は、07年の金融危機の発生以前から折に触れて、ドル1極体制の維持ではなく、ドル崩壊を黙認して、通貨の多極化による国際通貨体制の安定を望むような動きをしている。06年5月のIMF総会がその一例だ。国連の経済機関であるIMFは米国主導で動いてきたが、IMFは06年の総会で、「アメリカの住宅バブルの崩壊で消費の減退が起こり、米経済が減速し、ドルが下落するのではないか」「ドル急落は、米国の長期金利高騰を招き、米経済ひいては世界経済の崩壊につながりかねない」という認識で一致した。IMFの参加諸国は、それから1年後に起きたサブプライム住宅ローンを皮切りとした米国の金融危機と世界不況の発生を、ほぼ正確に予測していたことになる(当時、世界のマスコミの多くはまだ米国で金融危機が起きることを予測せず、IMFの表明は小さくしか報じられなかった)。
 問題は、米国主導のIMFが06年の総会で出した、ドル崩壊に対する処方箋である。IMFは、ドルをテコ入れするのではなく、ユーロや円、中国人民元やアラブ原油諸国の通貨など、米国以外の世界の主要諸国の諸通貨に力を持たせ、通貨の多極化を実現することで、その後のドル危機を乗り越えることを提唱した。
 この通貨の多極化のための組織は当初、IMF自体を組織改革して担当させることが構想されていたが、内部調整がつかなかったらしく、実際にはG20が通貨の多極化を実施する機関としてリーマン倒産後の08年11月からサミットを定期的に開き、09年9月にはG20がG7に取って代わることが正式に発表された。
 繰り返すが、IMFを主導するのは米国である。06年のIMF総会とその後の金融危機の発生、その対策としてのG20による通貨多極化構想の開始という展開を見ると、米政府自身が、07年の金融危機発生以前から、金融危機の発生を機にドル1極体制を解体し、基軸通貨の多極化を実現しようとしていたことがうかがえる。世界の多極化は、米国が金融危機対策の失敗の末にやむなく認知したことではなく、危機発生の前から米国が決めていたことなのである。私はこのような米国の戦略を「隠れ多極主義」と呼んでいる。
 米国が多極化を推進するのは、おそらく「資本の論理」に基づいている。欧米や日本といった先進国はすでに経済的にかなり成熟しているため、この先あまり経済成長が望めない。今後も欧米中心の世界体制が続くことは、世界経済の全体としての成長を鈍化させる。これは、世界の大資本家たちに不満を抱かせる。欧米中心主義を捨て、中国やインド、ブラジルなどの大きな途上国を経済発展させる多極主義に移行することは、大資本家たちの儲け心を満たす。
 産業革命以来の資本の動きを見ていると、資本とは、非常に国際的な存在であることがわかる。イギリスで始まった産業革命を、欧州大陸諸国やアメリカ、そしてロシアやアジアへと拡大、飛び火させていったのは、資本家の動きである。資本家が愛国主義を最重視したとしたら、産業革命で得られた技術をイギリスから出さなかっただろうが、歴史はそうなっていない。資本家は、産業革命が一段落したらイギリスを見捨て、まだ産業革命が始まっていない他の国に投資し、その国で産業革命を起こしてもっと儲ける道を選んだ。第一次世界大戦後、世界の覇権と経済の中心がイギリスからアメリカに移動したことにも、資本家の意志が感じられる。欲得が愛国心などのイデオロギーを上回っているのが「資本の論理」である。


 米国主導のIMFはアメリカの住宅バブル崩壊・ドル下落を予測しており、その場合には「通貨の多極化」によって対処することを提唱していた。米政府は「自滅することを隠れた戦略にしている観があ」る。米政府が多極化を推進するのは、「おそらく」資本の論理に基づいている、と書かれています。



 「自滅することを隠れた戦略にする」というのは「ありうる」と思います。私自身、この「戦略」を採用したことがあります。(^^ゞ



 しかし、米国が「自滅することを隠れた戦略にする」として、それはなぜか、その動機は何かが問題になります。

 著者はこれについて、
 米国が多極化を推進するのは、おそらく「資本の論理」に基づいている。欧米や日本といった先進国はすでに経済的にかなり成熟しているため、この先あまり経済成長が望めない。今後も欧米中心の世界体制が続くことは、世界経済の全体としての成長を鈍化させる。これは、世界の大資本家たちに不満を抱かせる。欧米中心主義を捨て、中国やインド、ブラジルなどの大きな途上国を経済発展させる多極主義に移行することは、大資本家たちの儲け心を満たす。
 産業革命以来の資本の動きを見ていると、資本とは、非常に国際的な存在であることがわかる。イギリスで始まった産業革命を、欧州大陸諸国やアメリカ、そしてロシアやアジアへと拡大、飛び火させていったのは、資本家の動きである。資本家が愛国主義を最重視したとしたら、産業革命で得られた技術をイギリスから出さなかっただろうが、歴史はそうなっていない。資本家は、産業革命が一段落したらイギリスを見捨て、まだ産業革命が始まっていない他の国に投資し、その国で産業革命を起こしてもっと儲ける道を選んだ。第一次世界大戦後、世界の覇権と経済の中心がイギリスからアメリカに移動したことにも、資本家の意志が感じられる。欲得が愛国心などのイデオロギーを上回っているのが「資本の論理」である。
と述べ、

   「おそらく」資本の論理だろう、

と「推測」しているのですが、現実に、こんなことがあり得るのでしょうか?



 著者は産業革命以後の資本家の動きを補強証拠として提示しています。しかしそれら資本家の動きは、「たんに、自分達の資本をどう動かしたか」という次元の話であって、「政府がどう動いたか」とは、別の話です。ここで重要なのは、資本家がこのような動きをする場合には、

   資本家の利害と、政府の利害とは異なる

ということです。(資本家とは利害関係の対立する) 政府がなぜ、資本家の利益を守るために「自分の国を捨てる」動きをしなければならないのでしょうか? それを考えれば、著者の「推測」には、まるで説得力がありません。



 一般に、著者のような主張は「陰謀論」と呼ばれるのではないでしょうか? 私はこの世界に「陰謀」がまったくないとは思いませんが、アメリカが (積極的に) 資本家の利益を代弁するためにアメリカを捨て、アメリカ国民(大衆)を捨てようとしているといった考えかたには、疑問を感じます。

 あり得るとすれば、世界銀行のゼーリック総裁が資本家サイドの人間であり、資本家の利益を重視している、といったことくらいではないでしょうか? つまりゼーリック総裁の動きは、アメリカ政府の意を受けてのものではない、という可能性です。

 私のような考えかたをとった場合、IMFの動きをどう分析するのかという問題は残りますが、こちらについても、なんらかの「別の説明」が可能かもしれません。さらに読み進めつつ、考えたいと思います。



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