言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

台湾人のアイデンティティー

2010-12-06 | 日記
中国語翻訳者のつぶやき」の「台湾人のアイデンティティーをどう理解すべきか

先日、「中国人と呼ばれることを嫌う台湾人に、中国人と呼ぶのは失礼ではないですか」というコメントをいただきました。実のところ、中国人と呼ばれることを嫌う台湾の人は多数存在します。わたしたちもこの事実をしっかり理解し、彼らを安易に中国人と呼ぶことには気をつけるべきでしょう。しかし、その一方でわたしたちは彼らが「中国人」と呼ばれることを嫌う心理をよく理解する必要があります。

右よりの人たちは、これを「台湾人のアイデンティティー」であり、尊重すべきであると主張します。しかし、台湾の人たちと接すると、彼らが「台湾人であり続けたい本当の理由」というのが見えてきます。それは「中共に対する極度の嫌悪感」です。

(中略)

実のところ、以前の記事「中国人のアイデンティティー」でもご紹介したように、中国人一人ひとりは「中国人のアイデンティティー」よりも、出身の市、県、省への帰属意識のほうがずっと強いのです。

しかし当然のことながら、中共の支配下では「安定のために」、各個人が出身市、省の帰属意識を主張することは許されません。そうはいっても何かの拍子でそのアイデンティティーが噴出することもあります。広東語の使用を制限されたことに反発した広州人がデモを起こしたというのはその端的な例でしょう。

当然、台湾人にもそれは存在します。ただ台湾人は中共とは違い、自由にそれを主張できる土壌にあります。そして大陸のほかの地域の住民とは違い、中共に対する嫌悪感と危機感も備えています。これを、民進党などの政治勢力が「国家レベルのアイデンティティー」として主張しているのです。ですから、根っこにあるのは「国」としてのアイデンティティーではなく、広大な中国の一地方のアイデンティティーだと考えるべきでしょう。

(中略)

安易に「台湾人は中国人だ」と判断するのはとても危険です。でも「台湾のアイデンティティーは完全に独立したものである」と考えるのも早急すぎるとわたしは考えます。


 台湾人のアイデンティティーとは、「国」としてのアイデンティティーではなく、広大な中国の一地方のアイデンティティーだと考えるべきである、と書かれています。



 同ブログの「翻訳者、通訳者のバランス感覚」のコメント欄における私のコメント内容は、「中国人と呼ばれることを嫌う台湾人に、中国人と呼ぶのは失礼ではないですか」とは、微妙に異なっているのですが、それはここでは追及しないことにします。



 さて、上記ブログの「明天会更美好」さん (ブログ主) は、台湾人と接すると、台湾人のアイデンティティーが「国」としてのアイデンティティーではないことがわかる、と書かれているのですが、そのように断言することには、やや疑問があります。

 私が台湾人と接した経験をもとに述べれば、「国」としてのアイデンティティーを有している台湾人も確実に、存在します。



 どうも「明天会更美好」さんは親中(反台)派であり、「台湾は中国の一部である」「台湾人は中国人である」と考えておられるようです。「明天会更美好」さんの考えかたは、「中国(大陸)の主張」であり、「台湾の主張」はすこし、異なっています。

 私の考えかたは、「明天会更美好」さんの考えかたとは異なり、「中国(大陸)の主張は中国(大陸)の主張、台湾の主張は台湾の主張」として、「どちらも否定しない」というものです。私は、

   彼らにとって外国人である日本人が、
   「台湾人は中国人か」「台湾は中国の一部か」を断定すべきではない、

と考えています。



 「明天会更美好」さんが客観的に意見を述べておられる「つもり」なのはわかります。しかし、じつは「明天会更美好」さんの意見は、中国 (大陸) 寄りの意見になっており、公平さを欠いています。

 「明天会更美好」さんは、
台湾の人たちと接すると、彼らが「台湾人であり続けたい本当の理由」というのが見えてきます。それは「中共に対する極度の嫌悪感」です。
と書いておられます。

 この記述では、「台湾人は中国人である」ことが、「当然の前提」とされています。しかし、このような前提自体が、問題なのです。このような表現 (前提) を問題視する台湾人も、確実に存在するのです。

 このように考えてみればよいのです。「科学技術関連予算の必要性」で述べたように、最近、遺伝子の研究によって、日本人の祖先が中国人 (中国大陸由来の人々) であることが証明されつつある、という話があります。このような状況下で、中国政府 (または中国人) が、「日本人は中国人である。日本は古来から、中国の一部である」と主張し始めたとしましょう。我々日本人が、「日本人は中国人ではない」「日本は中国の一部ではない」と反論した際に、中国政府 (または中国人) に「日本人が日本人であり続けたい本当の理由は、中共に対する極度の嫌悪感です」などと (上から目線で) 論評されたとすれば、どうでしょうか? 我々日本人は、「いや、ちがう。そうではない。もともと日本人は日本人であり、もともと日本は中国の一部ではないのだ」と反発するのではないでしょうか?

 台湾人の気持ちも、それと同じことなのです。

   (すくなくとも一部の) 台湾人は、
      もともと台湾人は台湾人であって、中国人ではない。
      もともと台湾は中国の一部ではない、
    と考えている

のです。

 したがって、「台湾人が台湾人であり続けたい本当の理由」などと「いかにも、わかったような」分析・論評をされると、台湾人は「不愉快」になるわけです。彼らは、台湾人で「あり続けたい」のではなく、「もともと」台湾人なのである、と考えており、台湾人で「あり続けたい」「本当の理由」などという記述自体が、中国 (大陸) 寄りの姿勢、親中的意見 (反台的意見) そのものになっているのです。



 もっとも、台湾人のなかには、自分は「中国人」である、と考えている人も存在します。

 台湾は複雑です。

 台湾人のアイデンティティーをどう考えるか、というのは重要で、かつ、難しい問題です。台湾人のアイデンティティーを理解するための考察 (記述) は重要ですが、外国人である日本人が「台湾人のアイデンティティーはこうである」などと、軽々と「断定」することは一種の傲慢さであり、謹むべきではないかと思います。



■追記
 なお、関連記事として、「台湾の五大都市市長選結果」があります。あわせご覧ください。

輸送用機器操縦用ロボットの価値

2010-12-06 | 日記
兵頭二十八 『「自衛隊」無人化計画』 ( p.99 )

 日本が直面している一番深刻で大きな脅威は、北京を指令塔とする間接侵略工作です。それに次ぐのが、中国人民解放軍が保有して一九七〇年代からの日本の大都市を照準し続けている、何十基もの中距離核ミサイルです。
 その一発の弾頭威力は、小さく見積もると六〇キロトン、大きく見積もれば二メガトンだそうです。いずれも水爆もしくは強化原爆です。
 最新の「東風21」ミサイルだと二〇〇キロトンぐらいだそうです。一基で長崎型の九発分くらいの破壊力を秘めていることになります。
 都市が水爆攻撃を受けたときに行政がしなければならないことの筆頭は、火傷患者の救済です。手当てをすれば助かるが、手当てをしなければ死ぬというレベルの火傷患者が、いちどに何万人も発生するのです。
 二十一世紀の先進国で、これほど多数の患者たちを見殺しにしてしまうようなことがあったら、歴史は、その政府の非人道的なまでの無能、無策を糾弾しないではおかないでしょう。
 一度に何十万人の罹災者 (りさいしゃ) を放射能汚染地域から運び出すという救助作業を想像してみただけでも、近年のように日本の自衛隊の定員を減らし続けていることが、いかに犯罪的な愚策となるか、予察できるのではないでしょうか。
 被曝 (ひばく) 直後の地域へ救援隊が進入するのは、難しい決断です。まだ自然に弱まっていない二次放射線 (主にガンマ線) による、二次被害が予測されるからです。
 二次放射線は、爆発時の一次放射線 (中性子など) を受けとめた地面や建物、ガレキから、上向き、横向きに飛び出し続けています。ガレキだらけのそんな焼け跡へ車両や歩兵が苦労して入り込めたとしても、数十分から数時間の活動のうちに、隊員が致死量のガンマ線を浴びてしまうおそれがあります。
 軍用トラックのロードクリアランス (床下と地面の間の離隔距離) や、薄い鉄板ていどでは、地面や建物から放散しているガンマ線を防ぐことはほとんどできないようです。
 このような情況で必要になるのが、ロボット運転兵でしょう。トラックや装甲車やヘリコプター、あるいは工兵作業機類を、生身の人間の代わりに放射能汚染地帯で操縦し、罹災者を安全地帯まで搬出してくることができるロボットが、大量に必要です。
 罹災生存者のうち、独歩可能な者が、独歩不可能な人を、これらのリモコン車両/ヘリコプターに搭乗させる手伝いをすることになるでしょう。
 そうした運転ミッションに必要な操縦代行ロボットは、二足で歩行できる必要など、まったくありません。椅子に座りっぱなしで、かまわないわけです。
 そのかわり、両足は人間同様にペダルを踏むことができ、両手も人間同様にハンドルやレバーを操作することができ、首には三六〇度の視野のある暗視可能な赤外線モニター・カメラが搭載されていなくてはなりますまい。
 それらのセンサー類とアクチュエーターを無線機に結合し、通信衛星もしくは無人中継機を経由して、自衛隊員や消防隊員が、遠隔地から、ノートPCでモニターしながら、運用することになります。
 おそらく当分のあいだは、ロボット一体を、最低一人の自衛官がリモコンするしかないでしょう。
 ですから、軍用ロボットが、自衛隊を「無人化」することはあり得ません。予測される戦争災害に比して過少に陥っているマン・パワーの、あくまでマルチプライヤー (倍増要素) やオーグメンター (増強要素) やアクセレレーター (迅速化要素) として、ロボットは役に立つのです。

(中略)

 自動車、鉄道列車、土工機械、船舶、航空機、その他多くの機械が、着座した姿勢の人間の手足によって直接にオペレートされるように設計されています。
 ということは、ハードルが高い「二足歩行」などを焦って狙おうと思わず、最初から座った格好で、手足だけが人間並みによく動く、着席型ロボットを早く完成させてしまうことによって、それら多種の既存の機械を、ただちにリモート操縦または無人運転できることになって、次世代ロボット市場もいち早く成熟することでしょう。
 着席手足ロボットは、各種の有人操縦機器類が将来、完全に無人化/ロボット化される前の、既存のシステムを活用した「移行期」段階の需要を満たすことになるはずです。


 着席型ロボット (輸送用機器操縦用ロボット) を開発する利点が説かれています。



 著者によれば、「二足歩行」など狙う必要はない。もっと簡単に作れる「着席」型ロボットを開発することが有益である、ということになります。

 私としては、それなら始めから「自動運転機能」を有する輸送用機器 (自動車、鉄道列車、船舶、航空機など) を開発すればよいのではないかと思います。

 いかに着席型とはいえ、わざわざ「人間型」ロボットを開発する必要はありません。

 現に、航空機の分野では、離着陸以外の操縦は (ほぼ) 完全に自動化されています。そこには、パイロット型のロボットなどいません。たんに、航空機自体に自動操縦機能が備わっているだけです。



 そもそも、

   「人間が」操作するために用意されているハンドルやレバーを、
   「機械 (ロボット)」に操作させる必要はない

と思います。ロボットに操縦させるなら、そんな面倒なことをせずとも、

   「ハンドルやレバーを使わず直接に」機械を操作・操縦すればよい

のです。その意味で、著者の説く着席型ロボット (操縦用ロボット) は「開発する必要がない」といえるのではないかと思います。



 もっとも、著者の説くような着席型ロボットが、まったく必要ないかといえば、そうとも言い切れない面もあります。着席型ロボットの最大の利点は、その「汎用性」にあります。コンピュータが他の機械と決定的に異なっているのは、何にでも使えるという「汎用性」ですが、着席型ロボットにも、同様の「汎用性」が期待できます。

 その意味で、たしかに着席型ロボット (操縦用ロボット) を開発する利点はあると考えられます。

 また、着席型ロボットが進化すれば、(民生用の) 介護補助ロボットなどになります。

 ここまで見据えたうえで考えるなら、着席型ロボット (輸送用機器操縦用ロボット) 開発は有益である、といってよいのではないかと思います。