言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

待望される大東亜戦争の再検討

2010-12-17 | 日記
 大東亜戦争の総括について、ですが、

 ユダヤ教におけるバビロン捕囚の総括と類似しているのではないかと思います。

 バビロン捕囚について、資料を引用します。



Wikipedia」の「バビロン捕囚

バビロン捕囚(バビロンほしゅう)は、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され移住させられた事件を指す。バビロン幽囚、バビロンの幽囚ともいう。

(中略)

★概要

紀元前597年、ネブカドネザル王はエルサレム市街に入城し、住民のうちもっとも有力な若い者をユダヤ人の王エホヤキムとともに殺害し、約3,000人(『エレミヤ書』によると3,023人)の有力者を捕虜としてバビロンに拉致した。

エホヤキムの息子のエホヤキンが王国を嗣いだが、ネブカドネザル王は謀反を恐れ、エホヤキンや王族をはじめとしてエルサレム市内の若者や職人たちのすべてをバビロンに連行させた。その数は10,832人に達したという。エホヤキン王の叔父ゼデキヤが王位を継承したが、紀元前586年エルサレムは破壊され、ゼデキヤ王以下ユダヤ人たちはバビロンへ連行された。




 要は (古代の) ユダヤ人たちは、国 (ユダ王国) が滅ぼされた後、外国 (バビロン) に連行され強制移住させられたわけです。

 バビロン捕囚は、ユダヤ教を形成する重要な要素になっています。ユダヤ人たちは、「自分たちは神の律法(おきて)を守らなかったから滅ぼされたのだ」と総括しました。つまり、「正しくなかったから」戦争に負けたのだ、と考えたわけです。ここからユダヤ教では、「二度と神の律法を破ってはならない。どんなことがあっても、神の律法に従わなければならない」という確信・信念が生まれてくるのですが、

 日本の大東亜戦争についての総括も、これと同種ではないか、と考えられます。

 戦前の日本では、日本は神の国であり、いざとなれば神風が吹く、などと言われていましたが、この点でも、(敗戦=バビロン捕囚前の) ユダヤ教の教え (=全能の神が敵を滅ぼしてくださる) と重なります。



 西部邁は、日本の大東亜戦争についての総括を、一面的であり、やや問題がある、と考えておられるようです (「アメリカによる自由・民主の魅力」参照 ) 。

 たしかに「日本のみが悪い」と考えるのは一面的であり、問題があるとは思います。

 しかし私は、この総括のしかたを、悪いとは思いません。「圧倒的な戦力差でもって、なすすべもなく戦争に負けた」場合、ほかに総括のしようがないからです。自分達に非があった、と考える以外に、どう総括しろというのでしょうか。



 しかしこの総括のしかたは、ユダヤ教の例をみるまでもなく、多分に宗教的・精神論的であるといえます。

 戦略的に考えれば、「負けた原因を研究し、次は負けないように戦えばよい」ともいえますし、歴史的な事実考証によれば、「日本にばかり非があった」ともいえないでしょう。



 いまのイスラエルをみればあきらかですが、ユダヤ教では、「二度と戦争はしない、戦争はいやだ」とは考えません。

 日本も、終戦直後の総括であればともかく、いまとなっては、もっとちがった角度からの総括があってよいのではないか。これまでの総括は、多分に終戦直後という時代背景の影響を受けたものであり、(正しくないとまでは言えないまでも) 客観性に疑問があります。

 私はなにも、大東亜戦争を肯定・賛美しろ、と言っているのではありません。しかし、過去の戦争を否定し、過去の日本を否定することこそが、あたかも「知識人の証」「インテリの証」であるかのような風潮は、そろそろ改めてもよいのではないかと思います。



 本当の知識人とは、「是々非々」の態度をとる人のことではないでしょうか。

アメリカによる自由・民主の魅力

2010-12-17 | 日記
西部邁・宮崎正弘 『日米安保50年』 ( p.38 )

(西部) 国際関係論で有名なズビグニュー・ブレジンスキー (米カーター政権時の大統領補佐官) は、日本を「プロテクトレート (保護領)」と呼びました。あるいは「テリトリー」。テリトリーは領土ですが、この言葉はいささかふくらみがあって、かつてはテキサスなどもアメリカのテリトリーと呼ばれていました。準州、つまり投票権を持たない領民ということです。今のプエルトリコがそうです。
 日本は、日米安保を介在させながら、アメリカの保護領、プロテクトレートであり、もっと言うと準州、テリトリーである。これがおそらくアメリカの認識でしょう。アメリカ側からすれば、むしろ常識的な対日観を率直に述べたのがブレジンスキーだということです。それに対して、田久保忠衛さんその他が一時期反発して、「保護領とは何だ」と抗弁しておられた。しかし、いくら不平を述べたところで、客観的にも保護領である状態はずっと続いているわけです。

(中略)

(西部) 日本がアメリカの保護領となったのに、日本人がそのことを何とも思わなくなってしまったのはなぜか。やはり大東亜戦争における対米敗戦の総括に問題があったのだと思います。戦争は時の運ということもあるのに、また単に兵器における物理力、という善悪を超えた客観の問題でもありうるというのに、「悪かったのは日本だ。アメリカが正しかった」と日本人は整理しました。この整理は別に共産党、社会党がやったのではなくて、吉田茂や、一九五五年の保守合同以降で言えば、自由民主党陣営がそう考えたのです。
 いわゆる反左翼陣営が大東亜戦争を肯定するときの、最大にして唯一と言っていいくらいの論拠は、日本はあの戦争によってアジア諸国を欧米の植民地主義から解放したではないか、というものです。辛うじて、あの戦争には民族解放というポジティブな面があったと主張しただけでした。
 それはその通りに違いないけれども、かなり弱い肯定論にすぎないのではないか。植民地主義から自由にするというのは、アイザイア・バーリンの自由論を使えば「~からの自由」、ネガティブ・フリーダム (消極的自由) であって、「~への自由」、すなわち解放された後に何へ向かって価値を追求していくかというポジティブ・フリーダム (積極的自由) ではありません。実は大日本帝国は、このポジティブ・フリーダムをアジア諸国に必ずしも説得力ある形では示しませんでした。日本がそこで出したものは、大ざっぱに言えば、「大東亜共栄圏」や「八紘一宇(はっこういちう)」などのアジア・イメージでした。しかし、これではアジア諸国を説得することも励ますこともできなかったのです。というのは、大東亜共栄圏も八紘一宇も、結局のところ、日本のイニシアチブによるアジア圏ですから、そんなイニシアチブには服したくないという民族は、すでにあの当時ごろごろいたからです。今はさらにそうでしょう。
 それに対して、アメリカは「自由民主」、リベラル・デモクラシーという価値を、日本を含むアジアに提示しました。日本をはじめとして今なおアジア諸国・諸民族は、このアメリカ仕込みのリベラル・デモクラシーがポジティブな価値であると信じて、自分たちは自由や民主主義へ向けて前進するんだと思い込んでいます。その証拠に、戦後日本は長きにわたって「自由民主党」という党名を持った政党の統治下にあり、今は代わりましたが、今度の支配政党は「自由」が削られて「民主党」です。いずれにせよ、自由主義、民主主義というアメリカ仕込みの価値観をアジアに導き入れた最初の国は日本であったということです。

(中略)

 したがって、独立の気概はまずそこで大きく削がれて (そがれて) しまいました。それに輪をかけるようにして日米安保条約が結ばれ、日米同盟なるものができます。しかし、美名というか空語というか、自らがアメリカの保護領にすぎないのに、アメリカとの軍事協定を「同盟」と呼ぶのはおかしなことです。左翼陣営が言う分には、きれい事でもって事態の真相を隠すのが左翼的イデオロギーでありムードですから、それは致し方ないとしても、反左翼陣営の側までが、テリトリーやプロテクトレートの実態をいわばシュガーコーティングするように「日米同盟」と言ってしまう。同盟とはアライアンスですから、語源のことはよく知りませんが、一線に並ぶ、ラインに並ぶというのが同盟の持つ意味合いです。そうであるからには、あくまでイコール・パートナーシップ、対等提携でなければならない。もちろん、全くの対等ということはあり得ないので、おおよそでいいのです。ところが、長い間アメリカから、日本はもっと積極的に軍事問題に関わっていいんだぞ、イコール・パートナーシップなんだぞと、度々誘い水をかけられても、日本人はむしろそれを自分から拒否して、「アメリカ様の軍事力があるおかげで、我々は安全に生き延びていくことができる」といって御仕舞とする始末です。
 僕が残念だなと思うのは、そんな態度なり雰囲気なりを、左翼が押し出すのならともかく、左翼を批判する勢力の側も、リアリズムの名目の下に随分と振りまいてきたことです。


 ズビグニュー・ブレジンスキーは日本を「プロテクトレート (保護領)」「テリトリー」と呼んだ。それが真実である。日本はアメリカの保護領であるにもかかわらず、日本人が何とも思わなくなってしまったのはなぜか。大東亜戦争について「悪かったのは日本だ。アメリカが正しかった」と総括し、自由主義・民主主義というアメリカの価値額を受け容れ、さらには保守陣営までもが日米安保を日米「同盟」と呼び、日本がアメリカの保護領であるという実態をごまかしてきたからである、と書かれています。



 まず、日本がアメリカのプロテクトレート(保護領)でありテリトリー(準州)であるというのは、その通りだと思います。日本は形式的には独立国ですが、(国家としての) 自由・独立性が「完全には」存在しておらず、「普通の」独立国ではありません。



 そこで問題になるのは、著者も述べているように、「なぜ、日本人は何とも思わないのか」です。本来であれば、「普通の」独立国、「完全な」独立国になろうとするのが当然であるにもかかわらず、です。

 この問題に関して、著者(西部)は、

   大東亜戦争の総括に問題があった
    =「悪かったのは日本だ。アメリカが正しかった」と総括した

   アメリカの価値観を全面肯定した
    =自由主義・民主主義を受け容れた

   日米安保を日米「同盟」と呼んでごまかした

ことが原因である、と述べています。



 私は、著者の分析を肯定します。ほかにも理由はあると思いますが、大筋で、著者の分析は正しいと思います。

 しかし、アメリカの価値観 (自由・民主) については、私は完全に肯定していますので、とくに否定する気持ちにはなれません。おそらく大多数の日本人も、私と同じ気持ちでしょう。

 ここからいえるのは、日本(日本人)にとって、敗戦は「よい」ものであった、ということです。「よい」というと誤解を招きかねないのですが、「ほとんどの日本人にとって、敗戦後のほうが、しあわせだった」という意味です。



 日本は恵まれていたのではないかと思います。

 たとえば台湾であれば、戦後の中国人(外省人)による統治は悲惨なもので、そこから戦前の日本統治時代をなつかしむ人が多くなった、と言われています (「台湾の朝まで生テレビ」参照 ) 。

 けれども日本の場合、戦後のアメリカによる統治は概して好意的であり、言葉は悪いですが、多くの日本人にとって「負けてよかった」というのが、偽らざる心境だったのではないかと思うのです。

 私は戦後生まれですから、これはあくまでも、私の「推測・想像」にすぎません。しかしおそらく、ほとんどの日本人は、敗戦直後はともかく、次第に「負けてよかった」と思い始めたのではないかと (私は) 思うのです。



 この私の推測が正しければ、日本 (日本人) には、「本当の独立」を望む気持ちがなかなか芽生えないのも、当然ということになります。日本人は敗戦を (積極的にであれ消極的にであれ) 肯定し、そこから、アメリカに憧れる気持ちが芽生えたのではないか。とすれば、日本人みずから、日本がアメリカのプロテクトレートとなり、アメリカのテリトリーとなることを望んできた、ということになります。

 これでは、「本当の独立」を望む気持ちなど、芽生えるはずがありません。すくなくとも、なかなか芽生えてこない、といえるのではないかと思います。



 著者は、
長い間アメリカから、日本はもっと積極的に軍事問題に関わっていいんだぞ、イコール・パートナーシップなんだぞと、度々誘い水をかけられても、日本人はむしろそれを自分から拒否して、「アメリカ様の軍事力があるおかげで、我々は安全に生き延びていくことができる」といって御仕舞とする始末です。
と述べています。

 この、「日本はもっと積極的に軍事問題に関わっていいんだぞ、イコール・パートナーシップなんだぞと、度々誘い水をかけられ」た、というのも、日本側から見れば、「やっぱりアメリカは素晴らしい!!」となり、日本(人)を「ますます親米にした」のではないでしょうか。

 私には、そのように思われてなりません。



 なお、私は、アメリカの価値観 (自由・民主) を完全に肯定していますが、日本をアメリカの一部にしたいとは思っていません。日本は、アメリカの友好国として独立した存在 (独立した意志決定を行う国) であることが望ましいと考えています。



■追記
 本文の記述にすこし、追加しました。
 なお、「台湾の朝まで生テレビ」ですが、リンクが切れているかもしれません。いま確認したところ、うまくつながりません。検索すれば出てくる(かもしれない)とは思いますが、その番組を見なくとも、私の主張の趣旨は伝わるのではないかと思います。