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日本人オペラ歌手 最高峰の舞台に

2017-08-21 06:30:00 | 報道/ニュース

7月24日 国際報道2017



世界のトップクラスだけが立つことができるオペラ界最高峰の舞台
ウィーンの国立歌劇場。
今年4月
その舞台に日本人のカウンターテナーとして初めて立った藤木大地さん。
藤木大地さんは女性のような高い音域で歌うカウンターテナーである。
(オペラ「メデア」)
復讐心をもって
王に対して罪を犯したものを追っている
(観客)
「声に驚きました。
 テンポの速さに加え
 高かったので。」
「とても難しい歌なのにすばらしい。
 感動したわ。」
今年37歳の藤木さん。
オペラ歌手としての道のりは決して平たんなものではなかった。
もともとはオペラの花形ともいえるテナー(男性の地声で高音を発声する歌い手)として
23歳のとき日本の新国立劇場でデビュー。
世界に打って出ようとヨーロッパに留学する。
ところが
(藤木大地さん)
「履歴書を送るんですけれども
 ドイツの全部の劇場に手紙を書いていたから70通くらいは送っていたんですよ 当時。
 でも返事が来たのが2通か3通。
 その中でも呼んでくれたところに行って歌って
 3分歌って「はい もういいですよ ありがとう」と言われて
 だから自分はこんなもんだなと。」
ヨーロッパでは舞台で歌う機会がほとんど得られず
歌うことが苦しくなっていたという藤木さん。
このころ出会った世界的ピアニスト
マーティン・カッツさんの言葉に動かされる。
歌手を支える伴奏者という道を選んだカッツさん。
彼の言葉は
オペラの花形のテナーで成功するだけが人生ではないと気づくきっかけになった。
(藤木大地さん)
「『お前はハッピーなのか?』と。
 『歌うことが苦しいんだったら
  それを続けなくても
  他の仕事でもおまえがもっとハッピーに生きていける可能性はあるんじゃないか』と。
 『30歳までにうまく歌えるようにならなかったら
  歌を辞めたら』と言われて。」
カッツさんの言葉で“夢を追うのは30歳まで”と決めた藤木さん。
その30歳を迎えたころ転機を迎える。
それは風邪を引きつつも練習をしていたときだった。
(藤木大地さん)
「今でも逆に地声で練習したりするんですけれど
 でも風邪でその声が出なくて
 どうしようかな声が出ないなってなって裏声で・・・。
 こうやって何かすごく自由に
 この声別に悪くないんじゃないのかなと。」
地声でいい声を出そうとするよりも
裏声であればリラックスした気持ちで自由に歌える。
自分という楽器の特性は
その裏声を武器にしたカウンターテナーなんだと気づくことができた瞬間だった。
(藤木大地さん)
「裏声で歌うと
 全然違う歌い方なので
 両立できないんですよ。
 これがダメだったからまた戻ろうという選択肢は無かった。
 歌手として生きるということに関しては背水の陣だった。」
カッツさんの言葉に後押しされて
カウンターテナーへの転身という大きな決断をしてから6年。
「今日がデビューなんだ。」
「素晴らしいに決まってるわ!」
「ありがとう!]
徐々に認められるようになった藤木さんは
ついにウィーンの歌劇場に立つという夢をつかんだのである。
(藤木大地さん)
「カッツさんに2週間くらい前にロンドンで会って来たんですけど
 あの時僕に聞いた言葉を覚えていて
 “Are you happy?”と聞かれて
 僕はあの時な答えられなかったけど
 今はハッピーだって言えたんですよね。
 それで彼はすごく喜んでいて。」
(オペラ「メデア」)
老人は苦しそうに床に横たわっていた
苦しいときに出会った人たちの支えが今の自分を作ってくれたと感じている藤木さん。
自分のためではなく
人を幸せにするために歌いたいと話す。
(藤木大地さん)
「今日は本当にここまで自分を支えてくれたいろいろな人たちに感謝をして
 本当に最高級のおじぎをできたんじゃないかと思っています。」
自分らしい声を自らの楽器として
藤木さんはこれからも人の心に歌を届けていく。



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