10月2日から『ふしぎなメルモ』の リニューアル版が毎週月曜日~金曜日 午前8:30~9:00 TOKYO MXにて放送されはじめました。
1998年WOWOW「手塚治虫劇場」のために、音楽と声優さんを新たにしてリニューアル(新装)したものです。
メルモ 武藤 礼子さんが 川村 万梨阿さん
トトオ 松島 みのりさんが 松本 さちさん
ママ 北浜 晴子さんが 石井 直子さん
ワレガラス 北村 弘一さんが 西村 知道さん
など変わってしまっていました。
1話を見ただけの感想ですが、音楽(BG)と声優さんを変える必要があったのか疑問に思いました。メルモを作った者としての、贔屓目を差し引いても、これは、リニューアク(悪)になってしまっていますね。
1話で先生が力を入れて作画した(動画までですよ)継母のしゃべりのシーン。声優の麻生 美代子さんが、命を賭けて生命を吹き込んだ あのシーンが、台無しになっておりました。
先生が描いた、動画のイメージを無駄に出来ないと、口の止めに合わせるため、何度も、何度も、一人で、リハーサルして、とった、 私たちにとって、宝のようなシーンでした が、今回、リニューアル版では、そんな心が、感じられないどころか、さっと流して、アフレコしてしまったようです。
今は知りませんが、当時は、1話ごとにアフレコ、音作り、音入れ、ダビングと丁寧に時間をかけてしていました。GBMも大変な量の資料や、作曲の宇野 誠一郎先生のご努力で作られたものです。それが、まったく感じられず、取って付けたまるで素人のような仕事です。
私が、なおしたいと思っておりましたのは、当時、スケジュールが無くなり、泣く泣く我慢したカットが多くありました、同じお金をかけるなら、それらをなおしていただきたかったです。
背景も明石 貞一さんが、スケジュールの許す限り、貫徹してでも、妥協を許さず、1枚1枚描いてくれました。スポンジを使った、独特の背景も最新の注意を払って書いてくれました。ですから今回、入れ替わっていたカットの背景は、異質に感じられました、作品としてつながりが無く、ばらばらになってしまっています。
撮影で使った、波ガラスもそうです、市販の波ガラスではイメージが出ないと、撮影監督の菅谷 正昭さんは大セルを持ってこさせて、火にあぶり、セルをわざと波だたせ、カメラを何度も覗き込み、気に入るまで作り直して、撮った、そんなシーンでした。本来なら菅谷さんのスタジオ珊瑚礁は外注さんでした。お金のためならそんな面倒な苦労をすることはありません、一文の得にもならないからです。
ほかの皆がそうでした。お金のためではなく、手塚先生の作品をぎりぎりまで、良い作品に作り上げようとして作ったのが、このメルモのでした。
ほんの、少しの人にでも良い、わかって貰いたい、そんな気持ちで、書きました。
1998年WOWOW「手塚治虫劇場」のために、音楽と声優さんを新たにしてリニューアル(新装)したものです。
メルモ 武藤 礼子さんが 川村 万梨阿さん
トトオ 松島 みのりさんが 松本 さちさん
ママ 北浜 晴子さんが 石井 直子さん
ワレガラス 北村 弘一さんが 西村 知道さん
など変わってしまっていました。
1話を見ただけの感想ですが、音楽(BG)と声優さんを変える必要があったのか疑問に思いました。メルモを作った者としての、贔屓目を差し引いても、これは、リニューアク(悪)になってしまっていますね。
1話で先生が力を入れて作画した(動画までですよ)継母のしゃべりのシーン。声優の麻生 美代子さんが、命を賭けて生命を吹き込んだ あのシーンが、台無しになっておりました。
先生が描いた、動画のイメージを無駄に出来ないと、口の止めに合わせるため、何度も、何度も、一人で、リハーサルして、とった、 私たちにとって、宝のようなシーンでした が、今回、リニューアル版では、そんな心が、感じられないどころか、さっと流して、アフレコしてしまったようです。
今は知りませんが、当時は、1話ごとにアフレコ、音作り、音入れ、ダビングと丁寧に時間をかけてしていました。GBMも大変な量の資料や、作曲の宇野 誠一郎先生のご努力で作られたものです。それが、まったく感じられず、取って付けたまるで素人のような仕事です。
私が、なおしたいと思っておりましたのは、当時、スケジュールが無くなり、泣く泣く我慢したカットが多くありました、同じお金をかけるなら、それらをなおしていただきたかったです。
背景も明石 貞一さんが、スケジュールの許す限り、貫徹してでも、妥協を許さず、1枚1枚描いてくれました。スポンジを使った、独特の背景も最新の注意を払って書いてくれました。ですから今回、入れ替わっていたカットの背景は、異質に感じられました、作品としてつながりが無く、ばらばらになってしまっています。
撮影で使った、波ガラスもそうです、市販の波ガラスではイメージが出ないと、撮影監督の菅谷 正昭さんは大セルを持ってこさせて、火にあぶり、セルをわざと波だたせ、カメラを何度も覗き込み、気に入るまで作り直して、撮った、そんなシーンでした。本来なら菅谷さんのスタジオ珊瑚礁は外注さんでした。お金のためならそんな面倒な苦労をすることはありません、一文の得にもならないからです。
ほかの皆がそうでした。お金のためではなく、手塚先生の作品をぎりぎりまで、良い作品に作り上げようとして作ったのが、このメルモのでした。
ほんの、少しの人にでも良い、わかって貰いたい、そんな気持ちで、書きました。
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