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ロンドンから徒然に

ステラ・マッカートニー

2008-01-08 | 日常
 当たり前と言えば当たり前なのですが、こちらにいると大物アーティストがマスコミに頻繁に登場します。
 僕にとっては“神聖”なポール・マッカートニーも、今回のヘザーとの離婚劇はゴシップ記事の格好の的で、可愛そうな感じさえします。リンダがあのまま生きていてくれたら、こんなこともなかったのにと、あのオシドリ夫婦が懐かしく思い出されます。

 ところで、リンダ自身カメラマンでもあり、料理研究家でもあり、(Wingsのメンバーだったわけですから)ミュージシャンでもありましたが、当然“ポールの妻”としてしか普通の人には認識されなかったと思います。
 超が付く有名人の側にいると、どうしても“あの誰々の何々”という評価しかもらえなくなるのは仕方ないことなのでしょうか。
 そう考えると、この才能あるふたりの間の子供であるステラ・マッカートニーの現在の成功は凄いなと素直に思います。

 デザイン学校の卒業コレクションに友人の(というところが既に凄いですが)ナオミ・キャンベルやケイト・モスをモデルに起用したり、マドンナのウェディング・ドレスをデザインしたりしと、早くから華々しい話題が多かったですが、それでも本当に才能がなければ、カール・ラガーフェルドの後継者としてクロエのチーフ・デザイナーなど務まるわけもなく、事実彼女は次のシーズンのクロエの売上を5倍にも上昇させているのです。

 でも、僕の好きな彼女についての逸話は、意志の強さを感じさせる次のような話です。
 ポールもリンダも自分の子供を特別扱いさせたくなかった為に、地元の州立学校で教育を受けさせ、躾も厳しく小遣いをたくさん与えるわけでもなかったので、彼女は自分の好きな服を買うために地元のレストランで皿洗いのバイトをしなければならなかった、という話。
 クロエとの契約更新の際に、グッチからもさらに高額のオファーがあったけれど、菜食主義者で動物愛護者の彼女は、革製品が主要となるグッチの仕事を断った、という話。等々。

 Stella McCartneyブランドは2001年にスタートしましたが、その後アディダスやH&Mとの提携で新ブランドも作っています。
 また商品の幅も広がって、香水や化粧品も始まり、2006年にはグッズに着手しましたが、やはりバッグ、財布、シューズなどには徹底して皮が使われていません。

 “親の七光”がなければ、早くから注目を浴びることもなかったかもしれませんが、本当に才能と意志と努力がなければ、ここまでの成功を収めることも難しかったと思います。