年末に日本に一時帰国した時も、年が明けてロンドンに戻ってからも、時差ボケが今までになくきつくて大変。おかげでずっと睡眠時間が短いままで疲労困憊。ちょっと仕事に影響が出そうになって気を引き締めているところです。
通常時差ボケには太陽光線が効果的と言われるけれど、ロンドンの冬だからね、それはあまり望むべくもなく、例年より暖かいとはいえ変わらない灰色の空。しかも毎日雨が降っているという状況。
そんなこんなで気分がすぐれなかった時にこの人の訃報が追い打ちを。やしきたかじんさん。もしかしてとは思っていたけど、つくづく残念。
昔、京都に住んでいた頃、近しい人を通してあの人のことはよく聞いていて、感心することしきりでした。ただ、ミュージシャン(と表現するよりやっぱり「歌い手」かな)としてのイメージが強かったので、その後のTVでの活躍の凄さには別の意味でも圧倒されました。
個人的に交流があったわけではないのですが、実は彼に関わる思い出がふたつだけあります。
ひとつは大昔の京都での学生時代、やしきさんは既に京都放送(だったと思う)でDJを担当していて世間的にも知られていたんだけれど(それでもまだ全国区ではなかったと思う)、一方で祇園のお店などでの弾き語りをまだ続けていたんですよ。
実は僕もふとしたことからこの弾き語りのバイトの世界に入っていました。学生の身分からすれば、好きな歌を歌って、短い時間で普通のバイトの何倍もの収入を得られる(おまけにもてる・笑)ので、ある意味気楽な商売だと高を括っていたわけです。
そんなある晩、やしきさんのピンチヒッターで祇園の某店で歌うことになりました。(通常だったら僕になんか直接話が来るわけがなく、間にはまだ層があるのですが、その人達もたまたま都合悪かったので)
ギター抱えてその店に向かう途中にも、小林亜星さんだとか有名人がうろついているのが目に入り、ちょっと緊張していたら、そのお店がまた普段僕がやっているのとは全然違った、ひとことで言うなら「おとなのお店」。
いや、考えたてみたら当たり前なんですよ、祇園のど真ん中なわけだから。ホステスさん達の服装も物腰も全然違うし、来られている客層もいかにも遊び慣れている人達だし……
さて困った。いったいどんな曲歌えばいいんだろう?普段のお店なら自分の好きな曲やってもお客さんの方がのってくれたけれど、この場は明らかに歌なんて文字通りのBGMだぞ。会話を邪魔しちゃいけない。でもそれなりにムードは作らなきゃ……
そしてもうひとつは、そこから何年か後。音楽は続けていたものの、もう既にそう熱心ではなかった頃かな。
関西のラジオ番組の音楽イベントでコンテストがあって、予選を勝ち抜いた何組かの中にいた僕はその収録のステージで歌ったんですが、その時の審査委員のひとりがやしきさんだったんです。
結果はなんと優勝。ささやかな賞金と賞品をもらって帰ろうとした時、やしきさんから呼び止められて、本気でこの世界でやりたかったらサポートするぞ、と言われたんです。
「後悔」というのとはちょっと違うんですが、これは今考えるともったいないことをしてしまったのかも。
実は断ってしまったんです。
何しろ相手がやしきさん。嬉しいけれど、彼のスケール感をずっと感じてきたので、とてもじゃないけれど同じようなことができるとは思えなかった。
それは、その後のあの人の活躍を見ると明らかなんだけれど、でも追いつけないまでも、背中を見ながら一生懸命走るみたいな経験をしてみてもよかったかな、なんてことも思ってしまいます。まぁ、間違ってもTVであんな司会者やるなんてことはありえないんだけれど(笑)
それにしてもあれだけ歯に衣着せぬ発言をしながらも皆に愛されたのは、決して弱い者いじめじゃなかったから、根底にいつも大きな愛情があったからだと思います。
もうあんな人は現れないんだろうな。
通常時差ボケには太陽光線が効果的と言われるけれど、ロンドンの冬だからね、それはあまり望むべくもなく、例年より暖かいとはいえ変わらない灰色の空。しかも毎日雨が降っているという状況。
そんなこんなで気分がすぐれなかった時にこの人の訃報が追い打ちを。やしきたかじんさん。もしかしてとは思っていたけど、つくづく残念。
昔、京都に住んでいた頃、近しい人を通してあの人のことはよく聞いていて、感心することしきりでした。ただ、ミュージシャン(と表現するよりやっぱり「歌い手」かな)としてのイメージが強かったので、その後のTVでの活躍の凄さには別の意味でも圧倒されました。
個人的に交流があったわけではないのですが、実は彼に関わる思い出がふたつだけあります。
ひとつは大昔の京都での学生時代、やしきさんは既に京都放送(だったと思う)でDJを担当していて世間的にも知られていたんだけれど(それでもまだ全国区ではなかったと思う)、一方で祇園のお店などでの弾き語りをまだ続けていたんですよ。
実は僕もふとしたことからこの弾き語りのバイトの世界に入っていました。学生の身分からすれば、好きな歌を歌って、短い時間で普通のバイトの何倍もの収入を得られる(おまけにもてる・笑)ので、ある意味気楽な商売だと高を括っていたわけです。
そんなある晩、やしきさんのピンチヒッターで祇園の某店で歌うことになりました。(通常だったら僕になんか直接話が来るわけがなく、間にはまだ層があるのですが、その人達もたまたま都合悪かったので)
ギター抱えてその店に向かう途中にも、小林亜星さんだとか有名人がうろついているのが目に入り、ちょっと緊張していたら、そのお店がまた普段僕がやっているのとは全然違った、ひとことで言うなら「おとなのお店」。
いや、考えたてみたら当たり前なんですよ、祇園のど真ん中なわけだから。ホステスさん達の服装も物腰も全然違うし、来られている客層もいかにも遊び慣れている人達だし……
さて困った。いったいどんな曲歌えばいいんだろう?普段のお店なら自分の好きな曲やってもお客さんの方がのってくれたけれど、この場は明らかに歌なんて文字通りのBGMだぞ。会話を邪魔しちゃいけない。でもそれなりにムードは作らなきゃ……
そしてもうひとつは、そこから何年か後。音楽は続けていたものの、もう既にそう熱心ではなかった頃かな。
関西のラジオ番組の音楽イベントでコンテストがあって、予選を勝ち抜いた何組かの中にいた僕はその収録のステージで歌ったんですが、その時の審査委員のひとりがやしきさんだったんです。
結果はなんと優勝。ささやかな賞金と賞品をもらって帰ろうとした時、やしきさんから呼び止められて、本気でこの世界でやりたかったらサポートするぞ、と言われたんです。
「後悔」というのとはちょっと違うんですが、これは今考えるともったいないことをしてしまったのかも。
実は断ってしまったんです。
何しろ相手がやしきさん。嬉しいけれど、彼のスケール感をずっと感じてきたので、とてもじゃないけれど同じようなことができるとは思えなかった。
それは、その後のあの人の活躍を見ると明らかなんだけれど、でも追いつけないまでも、背中を見ながら一生懸命走るみたいな経験をしてみてもよかったかな、なんてことも思ってしまいます。まぁ、間違ってもTVであんな司会者やるなんてことはありえないんだけれど(笑)
それにしてもあれだけ歯に衣着せぬ発言をしながらも皆に愛されたのは、決して弱い者いじめじゃなかったから、根底にいつも大きな愛情があったからだと思います。
もうあんな人は現れないんだろうな。