寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

トム・ソーヤーの冒険 ②

2023年05月18日 17時31分13秒 | 笑い

  最近 歳なのか昔の事が思い出されます。

幼少の頃から今へと思いを巡らせていますと、ずいぶん世の中が変わったんだなぁと驚くと言いますか感心をしてしまいます。

戦後に生まれた人、団塊の世代の方から30年代生まれの皆さん、その年代から目まぐるしい変化を少しずつ体験し徐々に覚え

慣れながら今があるのですが、

 若し昭和の39年西暦1964年のある日、いつものように眠っていつものように朝起きたら2023年の現代になっていたらどうでしょうか。

記憶は当時のままで、いきなり60年経った現代にワープしたら‥‥これは昔流行ったタイムマシンのお話しですが、

あの当時…昭和39年。朝起きて 布団から出たら たぶん いきなり ゴトン、と落ちてしまうんじゃぁないですか(笑)

 というのも あの頃って畳の上にふとんを敷いていましたよね。だから ベットというのは段差がある分 僅かでしょうが

お尻から落ちてしまうでしょう。 それからお尻をスリスリしながら何だかいつもの景色じゃぁないのに気が付いて

周りを見渡すと、壁が違うし、ふすまがない、障子がない、上をみると天井も違う、一体どこにいるんやろう‥

 あらら、夢を見てるんかな‥‥腕組みしながら見直すけど 見慣れない景色は変わりません。

そら、目が覚めたらいきなり60年後の未来があるのですから(笑)

あの頃って今と部屋の作りも全然違いますし、個人の部屋なんてなかった。

確か寝所にふとんを敷いて親子みんなで一緒に寝てました。

私は田舎に住んでいましたから 四つ妻い(四つ住まい)という農家の一般的な家でした。

田の字型の住まいで平屋作り、居間、寝所、出屋敷、座敷の四部屋はそれぞれ襖(ふすま)で仕切られていましたが、

いざ、何かあった場合はふすまを外すと大きなひと間になりました。 (トイレは外にありました)

居間と出屋敷の横が通路になっていてその横が かまど、台所、風呂が備わっていました。

各部屋については、居間は食事をしたりテレビを観たりする部屋で、奥の寝所は先ほどのように家族が寝るための部屋。

出屋敷は子どもの勉強机を置いていたりしましたが、来客があった場合 まず この出屋敷に上ったりするのでした。

そして 座敷、ここには仏壇が設置されていました。部屋の真ん中には、ちょっと上等の黒机が置いてあって 応接間と兼ねていました。

この座敷の外側には細かいですが廊下がついていました。その廊下から外に向かって前栽(箱庭)がしつらえていて松やモミジ、南天などが植わっていました。

このような間取りは田舎では定番でして、友だちのうちも似たり寄ったりな作りでしたね。  

 もうひとつ、食事中ならゴメンナサイ。。トイレ‥便所と言いましたが、

 隠語でポッチャン便所と呼ばれる旧式型は、住居と一線離れた独立した建屋でした。

僅か二畳ほどで下に大きな穴が掘っていて上に板敷、その上に建屋、板敷には和式トイレの型をとった鍵型の穴が開いていまして

その上に跨って用を足したのです。ですから 若し板敷に乗ってどんどんと跳ねたりしたら(そんな事は絶対やりませんが)‥

板敷が抜けて落ちてしまうでしょう。下に落ちたらポッチャン便所ですから‥‥詳しく説明をしなくてもわかるでしょう‥(笑)

 

 

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トム・ソーヤの冒険  ①

2023年05月16日 16時24分59秒 | 笑い

   こんにちわ

最近 図書館で 蔵書を廉価でお分けします。 というのが市の広報に載っていました。

 蔵書、廉価、お分け・・・なんと勿体をつけた文章でしょうか。早い話が 在庫一斉処分 という一般社会で行われている

商行為の一環ではありませんか。新しい本を入れるのに、場所の都合もありますので古くて汚れているのや長い間誰も借り手のつかない本をこの際

処分したいです。それにつきましては、在庫の処分に係る経費が少しでも補えるよう新書の購入資金になりますように皆さまにご協力をお願いしたいと存じます。

厚かましいですが一冊10円から50円、100円とさせて頂いていますので 一度ご覧になって下さい。

 とまぁ、こんなご丁寧な案内だったらいいのですが、さにあらん、いかにも公務員らしい 上から目線の紋切り型がたった一行。

こんな稚拙な文面で果たして厳しい消費者のお眼鏡に係るかなと思っていたら 案の定 人も疎(まば)ら。 図書館のはずれの一室にズラリとおいてある

処分の蔵書‥単なる古本。 古ぼけたかび臭い本ばかり、何冊か見てみましたが、およそ30年前のものばかりです。

一番驚いたのは、図鑑、百科事典の類でした。パラパラとめくってみると、20世紀の出来事が新記事として載っていました。最後の方を見ると 1989年製本発行とありました。 

十年一昔、日進月歩の世の中に40年も前の資料を誰が閲覧するでしょうか。

と 半分呆れながら 置いてある中古本を冷やかしていたら うん‥目、いえ頭の中の片隅かな、に覚えのある 文字が私の眼の中に入ってきました。

そして 私はそれを 確かめようと目を見開きずり下がり気味の老眼鏡をかけ直しました。

     ト ム・ソーヤ の 冒 険

何度か口腔でつぶやきました。肩に掛けていたカバンを後ろに回すようにして空いた右手で トム・ソーヤーの冒険 を棚から取りました。

本は意外と重くて左の手に持ち替えながら表紙を確認しました。全体に白っぽいけれど枠は薄い緑色、主人公の人物が水彩画で描かれていました。

子供向けの本にしては、しっかりと作ってあった所為(せい)か傷みはほとんどありません。クルクル丁寧に見まわしながら

もう一度表紙を見ました。 

 私が生まれて初めて 本というものを読んだのが この トムソーヤの冒険だったのです。

小学校の三年生でした。当時、集団登校が始まって 私はその二つあった分団のうちの二班のリーダーになったわけですが、よくそんな大昔の事を覚えているなぁ‥

と訝(いぶか)る諸先輩 いらっしゃるでしょう。

ハイ、私もよくぞ覚えていたなぁ‥と自身のことながら感心しましたが、実は当時通っていた小学校は一年生から三年生までが分教場(分校とも言いました)

四年生からが本校に通う、ことになっていました。私らの地区から本校まで3キロほどでした。これはいかに昔のことながら小さい子にはキツイなぁ と

三年生までは近くの分教場に通って学ぶのでした。ちなみに分教場まではほんの数百メートル(笑) 四年生から極端に通学距離が延びましたが、小学校の学区が

東西に長く7キロほどあったかな。 私らは東分教場、反対側に西分教場、その中間に本校舎がありました。

ですから四年生になると東、西、それと元からの本校の三か所からの児童が一緒になるのです。

 当時、世の中は敗戦の傷もようやく癒えてのどかでも経済の発展が始まりかけていた活気のある頃でした。

 田舎の子どもというのは 初心(うぶ)でいまのようなイジメもなく ホントに純真な子どもでした。

私は二班ある分団の一方のリーダーになったのは他に三年生の男が居なかっただけで リーダーとしての責任感などに全く無頓着でした。

それでも 分団長(リーダー)は黄色の分団旗を持って一年生から数えて十数名ほどを分団旗を先頭に分教場まで三百メーターほどでしたが(笑)

付き添って行くのでした。

 通学路は いわゆる そろばん道路といわれる舗装がしていない土の道でした。今はそんな道は見たくてもありませんが、

アスファルト舗装でない道は、乾くと砂埃(すなぼこり)が舞い上がって そやぁ大変でした。又雨が降ると 今度はぬかるんでドロドロになって

靴もドロドロ足元もドロドロ。大八車やリヤカーが主要な交通機関で 私らのところでは 馬や牛はそんなにいなかった記憶が残っています。

  続く

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