寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

五月の最終です。。

2022年05月31日 05時40分59秒 | 笑い

  おはようございます^^

五月も今日で終わりですね。 いやぁ  なんだか 早いなぁ‥とカレンダーを見ると 来月で一年の半分まで来ていました。

今年の前半の話題は やっぱり コロナですが 驚いたのがロシアのウクライナへの侵攻。この21世紀の時代に小競り合いや

限られた地域の紛争などとは比較にならない大規模な戦争が始まりました。 

 果たしてどこまでいくのか分かりませんが 早く収まることを願って止みません。

 

 

 

 

 

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すき焼き‥④

2022年05月30日 07時43分31秒 | 笑い

  おはようございます^^

昨日は暑かったですね。午後四時ごろ車で走っていました。途中大きな気温計があったので よく見ますと、な、なんと30度、

もう夏、気象学的には夏日であるそうです。今年はどうかな‥‥と例年言われるように夏が来るのが早い、となるのでしょうか。

この夏になりつつあるのに すき焼きのお話もないでしょう‥‥とクレームを貰いそうですが、今日で一旦終息にさせて頂きます。

さて このすき焼き と決めて書き出しましたのには 理由があります。

それはやっぱりテレビの影響だったのですが、食べ歩きの再放送(再々かな‥) 兎に角 見た目で釣られてしまうので後々に反省をすることがよくあります。

 私の年代(昭和の中期に育った)の方でしたら 何かしら このすき焼きについて想い出がありませんか。

想い出というほどでもないけど、あの頃(昭和の中期)に食べた すき焼きは 旨かったなぁ、と感慨深げにおっしゃる方がいました。

そうです、そうなんです! あの頃に食べたすき焼きを思い出して私はすき焼きのお題でお喋りをしたいと思いました。

 ですが、いつものように横道に逸れて仕舞い中々本題に進めることができません 相変わらずの体(てい)たらくでした。

それでも今日は 途中下車をしながらも ようよう到着を目指せそうです。

 さて、本題に戻ります。

私が新入生歓迎会(昔はこんなのがありましたよね‥^^)で京都の祇園の円山公園内に有る料理屋さんで食べた すき焼きは生涯忘れません。

と書けば これは相当美味しいのでは‥と思うでしょうが、実は味はそこそこ‥私は就職で京都に出るという前夜 実家で食べた すき焼き、旨さでいえば 

ヨイショも入ってますが^^こっちの方が数段旨かったなぁ‥と今でも確信しています。では、何に対して思い出として残るとは一体なんなのか‥ 

ハイ、いつまでも勿体(もったい)を付けていたのではまた明日に延ばす羽目になりそうなので あっさりと告白をしましょう。

それは この新入社員歓迎会のすき焼きは5人ほどが ひとつの円形机でした。料理屋というので座敷、数寄屋造りはなぜか平屋になっていますが二間の座敷を開放して

円形机が五つほど並んでいて それぞれに新人が四人、あとは先輩や総務部長などが一人ずつ入りました。

私は緊張はあまりせず それよりも京都のすき焼きってどんなのが出てくるんだろう…と興味深々でした。

やがて円形机にガスコンロが置かれてそこに鉄鍋 ^^ う~ん この時は鉄鍋だとか あまり意識はなかったのですが その鉄鍋の底の浅さを見て 

これで五人分の具材が炊(た)けるのかなぁ‥と不思議に思いました。 すると女中さんが出てきて小脇に抱えていたのは 

竹を編んだザルのようなものの中に白く伏せたものが光っていました。見ると玉葱でした。楕円形の玉ねぎを四等分したような切り方かな?私は注視しながら

他の野菜類が出てくるのを待ちました‥というか手持無沙汰だったのでしょうね、当時はお酒は飲むけど、そんなに好きでなかったので隣の同期と

他愛もない話をしながら京都のすき焼きの正体を見極めてやろう‥と誰もが同じ思いで机上の鉄鍋を見ていたようでした。

はて、女中さん‥これは給仕さんと呼ぶものなのでしょうか、それまではすき焼きを作ってくれるのはおばぁちゃんか母親、私には他人でしかも着物を来た人が

手際よく準備などをする姿がとても新鮮に見えました。

コンロにマッチで擦った火を移すと長い菜箸を起用に扱い白い脂の塊を鉄鍋の中で焼き始めます。

 ジュー この音を分かるように書くのって 当たり前なジューの擬音では脂の焼けて溶けていく音や独特の匂いは到底分かってもらえないでしょう。 

 ですが 兎に角 先に進めましょう‥このすき焼きを作るうえでの順番と言いますか、手順は様々でしょうが

先ずは鉄鍋を熱く焼く、中には煙が出るまで焼きますよ‥というこだわりを持った人もいますが、その話しを聞いていて 鉄鍋の中は何も無し の状態で

鉄鍋だけを熱して 果たして煙がでるのかなぁ?と思いました。だって すき焼きに使う具材はみな生ものですから仮に鉄鍋の中で熱したらいずれ焼かれて

燃えるか焦げるかでしょう。ですが 鉄鍋自体は脂の熱したくらいの温度では焦げもしないし燃えるなんて絶対有り得ません。

鉄鍋 というくらいですから鉄を燃えるまで加熱するには脂くらいではとても追いつかないようで それこそ コークス炭をメラメラと焼き尽くすくらいでないと

だから鉄鍋からくすぶりすら出ないだろう‥ と思っていたら 出てきましたよ、円形机の真ん中にこしらえていた鉄鍋から ゆっくりですが薄い紫色の煙がたなびいてきました。

あれれ‥まさか‥と思いましたが よく考えたら この鉄鍋 今夜が初のお目見えならいざ知らず 毎夜毎昼 すき焼きの料理をする縁の下の力持ちとして頑張ってきました。

宴会が済んで皆が引き揚げてからがこの鉄鍋の本領発揮かも知れません。日本は資源の無い国で 我が国の資源は人材だ、と机を叩いた政治家もいましたが、

この鉄鍋の淵の微かなところに洗い落とした脂がわずか付着していたようで それが鉄鍋が加熱されるに追って熱されて天昇していったのでしょう。

・・・それにつけてもなんだかと今朝も横道に外れかけていませんか^^スミマセン^^

兎に角 実話は脂を鉄鍋で融かすのが全(まっとう)うで すき焼きの出始めに只々見惚れていましたね。

鉄鍋に脂が熔けて充分広がりを確認をすると赤身の牛肉が鍋のなかに入れられました。そしてここからがクライマックスでした。

ジュージューと香ばしい音と共に座敷一面に焦げ臭い肉の匂いがしてきました。

お肉は赤身でしたが今でいうところの健康志向的な食べ物とされていたのでしょうか 鉄鍋には溶けた脂は水に見えるくらい透明な油脂でした。

さて、赤身の肉は 鉄鍋のなかの脂で熱されちょうど良い色合いででした。ここで 給仕さんは 机の下からどんぶりのような容器を取り出すと 鉄鍋一面に

かけましたよ。するとそれまで脂の熱が回った勢いでジューと熱されていた牛肉が茶色の液体の中で浮きながら漂っています。鍋の周りは一面噴火をしたような

水蒸気が上がりました。いやぁ、すき焼きを食べるのにこれほどの水蒸気は見たこともありません。

熱されて頂点に達していた鉄鍋のお料理、そこにはわずかな玉葱と赤身のお肉。

この先は一体どうなるんやろう 私は固唾をのんで見守っていますと、給仕さん 例の長い箸を器用に動かすと玉葱の残りを全部入れて 赤身のお肉はそのまま待機ですよ。

ちょっとマッタケ、お肉が全然入ってないじゃん、と吠えたいくらいでしたね。

いつしか水蒸気は治まり鉄鍋は茶色の液体がふつふつと煮だされてきました。すると女給さんは菜箸で赤身のお肉を挟むと沸騰している鉄鍋の中に一枚ずつ

丁寧に入れました。‥‥んんん お肉を入れるのは分かります。玉ねぎがはいってるのも分かります、玉葱は今頃程よく煮始めているでしょう。

しかし しかし‥しかしですよ、何か大事なものをわすれちゃぁいませんか! 例えば家のすき焼きですと、玉葱、焼き豆腐、白菜、長ねぎ、糸こんにゃく、シイタケ

人参、春菊(これ嫌いでした) etc‥家々に依って多少の違いはあっても その時期に採れた野菜をふんだんに入れるのがすき焼き と思っていたのが、 

ここ京都の料理屋さんのすき焼きは、玉葱、赤身のお肉‥‥それだけ  私は唖然としたが 他のみんなはどんな顔をしていたのか…見損なってしまって 

今頃もったいなかったなぁと思うのですが後の祭り まぁ 私は農家から来たけど ほかの同期は京都市内だし女の子は地方からもいたし市内もいたみたいで、

食糧事情は千差万別、恐らく農家出身の自分が一番ゴージャスなすき焼きを食べていたでしょう。とこれは自負でしたが 取り敢えず こんな簡素なすき焼きは今まで食べたことなかって

食欲旺盛な青年にお肉と玉葱だけの すき焼きでは納得がいかなかったでしょう。 途中に総務課の人が 京都のすき焼きについて 講釈を述べて

居ましたが、空腹で食欲旺盛な猛獣達は耳も貸さず 只管(ひたすら)お肉を貪り食ったのですが、如何せん鉄鍋が小さい、茶色の液体はお肉から出る脂やらなんやかんやで

ドロドロした不純物まみれになって これ食べるの・となりますと、あらら 女給さんのさらりと白い手が伸びて来て鉄鍋の中のヘドロをすくい出して新しい茶色の液体(これが割り下というダシなのも知りませんでした)と取り替えました。

ふつふつと煮えるのは瞬く間でした。女給さんは間髪を入れずお肉を投入。 ここのしきたりなのでしょう お肉はほんの少し赤いのが取れたらもう食べ頃だと論します。

ふ~ん 虎穴に入らずんば虎子を得ず、いや、違った、郷に従えば 郷に入れ‥?……何でもいいけど 兎に角 お肉は長く煮すぎると硬くなる、だ・か・ら 

と総務課員は 煮すぎると硬くなるしダシを吸い過ぎて味もくどくなる と何度も言うもんですから 横の同期と お前の話しの方がよっぽどくどいゾ、

と内緒話で笑って仕舞いました。

赤身のお肉と玉ねぎ、割り下、お肉の旨さを活かすためにサラリと煮ては上げる。

このような京料理の真髄をどうしても理解できなかった 食べ盛りの私等でした。

 

 

 

 

 

した。

 

 

 

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すき焼き・・③

2022年05月27日 09時25分01秒 | 笑い

  おはようございます^^

今週は すき焼きの話題でお話をしています。

ですが、すき焼きというよりも まずはお鍋の話しになっています。‥‥そりゃぁ すき焼きには鍋が絶対的な必需品であるのは間違いありません‥‥

ところで、すき焼きのお鍋について最近まで私は瀬戸物のお鍋だと思ってました。 

ところが いつだったか昭和のレトロな映画を観ていましたらすき焼きに鉄の鍋‥いわゆる鉄鍋を使っていたのに気が付きました。 

場面は終戦後 昭和24,5年くらいだったでしょうか。その頃は食糧事情もようやく改善され始めていました。

ですが 一般庶民は農村では自給自足、町では高騰する物価に悩みながら細々と暮らしていたそうです。

そんな頃のヤクザっぽい映画なので派手めな食生活だったのでしょうか。

関西の料理屋で すき焼きを食していた場面では確か鉄鍋だったような気がします。具材は牛肉に白菜、玉葱、糸こんにゃく、丁子麩くらいだったかな。

それを肴にコップ酒を呑む姿がとても食欲をそそられるのでした^^

私は映画を観ながらいつの間にか自分が主人公と一緒にすき焼きを食べている錯覚に囚(とら)われました。

 さて、話を戻しますが当初から 私はお鍋(調理器具ではなく寄せ鍋などのことです)を料理と思えないと説(と)いてきました。

それは鍋に水かダシを張って火を付けて その中にいろんな食材を放り込み あとは適当にアク取りをしていたら 自然に出来るとおもっていたからです。

 ですが料理番組を見ていますと 白い割烹着に高々帽を被った コックさんが塩、砂糖、みりん、お酒などの調味料を調合しながら時々味見をして

最後には小皿からダシを掬い味見をします。真正面に目を据えながら口中では含んだダシの風味、塩加減、甘み、濃淡などを舌に乗せ数秒‥の後に ニッコリ、

 ハイ、出来ました。と宣言をされます。 

先生、お料理のコツはどの辺りにあるのですか? 横に著名な料理人が居たら 誰だって訊いてみたいところでしょうね。

ですが、先生の方も 心得たもので、ハイ、お料理というものは食べてもらう人に美味しく食べてもらおうと思いながら一生懸命作れば いいのですよ。

先生は満面の笑顔でそれはもうこれ以上ない優しい言葉で諭(さと)すように話されました。

ふ~ん‥ 腕組みをしながら頷く内に番組は終了します。暫くは番組の余韻に浸っていますが、ふと我に返って え、なんだったかな、

と思い返しても 料理の秘伝みたいなものを脳裡に蓄えた様子がありません。 そんなときのためにと撮っていた記録‥録画のビデオを見てみて下さい。

 どうだったかなぁ‥と目を皿のようにしながら画面を睨みつけても 先ほどの 抽象的なひと言があって お仕舞い^^

料理に対する心得だとか、気持ちの在り方などはどっちでもいいんですよねぇ、要は旨く作るには どうすりゃぁええんだ? こんな短絡的で単細胞な あほには

宇宙的、啓蒙思想のアドバイスなどは 滄海の一粟(そうかいのいちぞく)と知るべし、或いは 猫に小判 馬の耳に念仏の如く何の役にも立たないのですね。

 

 

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すき焼き・・②

2022年05月26日 06時02分09秒 | 笑い

       おはようございます〜

 昨日の続きをしましょう。

すき焼き、今でこそ ごくごく普通の料理… …う〜ん すき焼き を料理というのに昭和中期に育った私には何か抵抗があります。

多分 このすき焼き に限らず 寄せ鍋やキムチ鍋、水炊き なんかも そうでしょうが、 鍋 と付くだけで もう ただの料理の枠から外れているのかも知れません。

それは鍋 の中に 多少のタイムラグがあるにせよ 要は食材を適当な大きさに切って ぶち込めば ハイ出来上がり! という如何にもお手軽な料理方法に

なっているからでしょうか。

料理番組を眺めていても(ちゃんと作れませんから眺めてるのです) お鍋料理はあまり見かけません。

恐らく 鍋に水なり出汁(ダシ)を張ってその後に具材を放り込み アクを適当に取って 煮込むだけ…なんてものは如何(いか)に 名人と云われる調理人でも

腕の見せ所がないのでしょう。

 庶民「親方、この前のテレビ見ましたよ。寄せ鍋の時でしたが…」 

名人「いやぁ 冷やかさんといて下さいな、実は、お鍋は断っていたんですよ」

庶民「え、どうしてですか、美味しそうに見えましたですが…」

名人「それが、どうしてどうして  だいたい水炊きなんてなんの調理も味付けもないでしょう…」

庶民「そういえばそうですねぇ」

名人「取り皿に入れるダシだってミツカンポン酢で十分ですよ」

庶民「そうか、それじゃぁ腕も何も見せ所もないですな」

名人「まぁ 楽って言えば楽なんですが、材料を整えて あとは順番に入れていくだけなのにアシスタントのあほアナウンサーが聞いてくるんですよ」

庶民「え、何を聞いてくるんですか」

名人「ええ、たぶん時間つなぎなんでしょうね、白菜は玉ねぎの前ですか?なんてね‥」

庶民「ハハ(笑)それで親方はどう答えたんですか」

名人「仕方ないので、ハイ、先でも後でもどっちでもいいですよ…とね」

庶民「白菜と玉ねぎなんてわしらは適当に入れてますけどね」

名人「そうそう、それでいいんやけどね、他にも椎茸はいつ頃だとか人参は?なんて  からんで来るから面倒になって、そんなもの好きにしたらいいですよ〜

とつい 言ってしまったのです…」

庶民「ほぉ~親方もやらはりますなぁ(笑)」

名人「ええ、ちょっと大人気ないと思ったんですが言ったものはしょうがないでしょう、けど後でディレクターこっぴどく怒られましたよ(苦笑)」

‥‥てな具合に、お鍋って料理は、普段 働いていらっしゃる奥さんには大きな味方ですね。

特に冬場は 手軽で手速く 温(あたた)まるし…週に5回はお鍋をしてます‥とはキャリアウーマンのお言葉 ^^

でも 本来のお鍋と言いますと インスタントではなくて 食材を吟味して昆布のダシを取りながら整えた食材をお鍋に浸透させて煮あがるまで

のあいだ湯気の向こうのお相手と差しつ差されつ‥恥じらいながら見つめ合うのがほのぼのとした風情というのでしょうか。

ですが バタバタとこしらえるのもこのお鍋の特長ですし じっくりと味を含ませるのもお鍋なのですね。

ところで このお鍋、最近は一人鍋 というものが出てきています。 これは書いて字の如く なのですが、侘(さび)しさや侘(わび)しさ とは違って

独りでも 結構楽しんでいらっしゃるようにお見受けしています。

 そうそう 鍋に関してですが何年か前…もう少し前だったかも知れませんが、 年末の忘年会や新年会の料理と言えば お鍋が定番でした。

‥ですが この鍋はダメです、という若い社員が出てきて 結局鍋以外の料理にしなくてはならなくなったのですが、なぜ 鍋ではアカンのか?

訊いてみますと ひとつのお鍋に何人もの箸が入るのって考えられない‥と言うので それは 不潔なのか、他人と同じ鍋で食することがダメなのか‥

思えば 潔癖症な人なら 許されない行為かも知れません。

しかしお鍋はふつふつと沸いていますから 殺菌は十分されているでしょうし、一旦取った食材を気に入らないからと元のお鍋に戻すような暴挙は

さすがに昔でもエチケットの違反だったでしょう。それら特殊事情を省(はぶ)いても今の若者は何が不満なのか、食糧事情に少し窮屈な経験もあった

昭和の中期に育った私には全く理解できません。

う~ またまた調子に乗りすぎ横道に逸れました。今朝は本題からかなり外れて仕舞いました。

ですか初心は忘れません。きっと立派におじいちゃんは(私のことです)すき焼きについての評論をまとめる事でしょう。

こうご期待下さいませ^^

 

 

 

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すき焼き・・①

2022年05月25日 05時48分41秒 | 笑い

  おはようございます^^

先週の「昔を雑談します」‥の続きです。

食べ物についてですが 私は口卑(くちいや)しいのでしょうか、初めて食したものを ワリと憶えています。

中でも 祇園の円山公園の中にあった料亭で食べた すき焼き これには 納得と言いますかこんな食べ方があったんだ、さすが京都だと得心をしました。

それは労働組合主催での新入社員歓迎会だったと思います。当時の労働組合なんてのは、戦後の労働闘争が一段落した後で、会社側も力ずくで抑え込めば

社業に多大な損害が出ることを身をもって体験をして それじゃぁ或る程度、労働者の意見を聞こうじゃぁないか、それについては労働者の組合の設立にも理解を

持つようになっていました。

 ですが、赤は困る、というのが会社側の本音で、お国の方針もあるし そこのところを分かってもらえる組合ならいいんじゃぁないか‥という思惑の中で出てきたのが

共産党や社会党とは一線を画した民社党‥ゼンセン同盟 (全国繊維同盟)でした。共産党は教職員が主体の組合、社会党は政府系の基幹産業が中心にあるのに対して

民社党系は 純粋の民間系の会社が主で、昭和の中期くらいまでは拮抗した勢力を保っていたそうです。

‥閑話休題 本筋から随分逸れて仕舞いました^^

 今回の話題はすき焼きでした^^

このすき焼きという料理は鍋にお肉や野菜、豆腐、焼き豆腐もありました…春菊、玉葱、長ねぎ、麩(ふ)人参、糸コンニャク‥

と入れてみて ほかの鍋料理、例えば寄せ鍋やもつ鍋と比べて 独特の具材があると思いませんか。

 まずは焼き豆腐、これって 昭和の中期以前に育った人でないと分からないかも知れませんね、春菊も、そして麩、糸コンだってあまり他で見た覚えがありません。

まぁ、これらがすき焼きの具材というだけで存在しているとしたらそれはとんでもないくらい貴重なのですね。

そして すき焼き専従の具材があること自体 すき焼き(力入れます)という料理は日本食の特別な存在で食の頂点にあるのでしょうか。

 私は学校を出て京都に出てきました‥昭和の51年。今でこそ地方と都市部の格差はあっても食に関するものはそう大差がないように(高級料理は省いて)思います。

しかし 当時は田舎で見たこともない食事、餃子やお寿司、焼肉などは聞いたことはあっても 見たことも無かったのですが、見たことが無かったら

当然口にすることなど皆目ですよね。

 その中で唯一 都会と肩を並べられると思ったのがすき焼きでした。と自尊的に思っていたら井の中の蛙大海を知らず でありました。

新入社員歓迎会が 円山公園の中の料亭だぞ、 と訊いて どんなご馳走が出るのだろう…とワクワクしながら行ってみたら すき焼きとわかってがっかりしました。

 だってあの頃はもう私の住んでいた田舎でも食の文化が浸透し出していました。そりゃぁ毎週すき焼き という訳にはいきませんが、

明日から京都に行くという前の晩には 一家揃って牛肉のすき焼きを食べた思い出が今でも残っています。

他にもちょっとした 稲の植え付けの終わったあとやお祭り、お盆や稲の刈り取りの後、お正月、卒業式、入学式などちょっとしためでたい時には牛肉のすき焼きになったのが

日本全般の常識になりつつありました。

 今、牛肉のすき焼きと書きました、わざわざ牛肉としましたがそれ以前‥母親に聞いたところ昭和30年代では牛肉は高根の花で、代わりに鶏肉や(関西ではかしわと言いました)

や鯖(サバ)ですき焼きをしたそうです。 

鯖?私はちょっと驚きました、というのは鯖は今ブームになってる鯖缶ではなくて軽く塩漬けされたものですから煮込むと独特の匂いがしました。 

そのことを母親に訊くと そやなぁ‥と考えながら それしかなかったから‥と言い訳ともとれるような口ぶりでしたが、それにしても多少匂いがしても

すき焼きが食べたかった とは‥正に執着心みたいなものを感じました。

 当時(昭和30年代)の食生活は、それまでの自給自足から農村でもお金で食材を買い求める都市的な食生活に変わりつつあったようです。

因みにカレーライスも すき焼きと並んで国民的な食べ物になっていました。このすき焼きとカレーライスの共通点は どちらも舶来の料理だという事でした。

カレーライスはインドから?‥と云うのは常識ですが すき焼きは明治維新以降に出てきた料理で元は寄せ鍋から進歩したものでしょうが、そこに牛肉を入れることで

一遍に洋風に変わったのだと思いますね。

江戸の末期に坂本龍馬が好んで食したのに軍鶏(シャモ)鍋がありました。

京の木屋町の旅館近江屋で潜伏をしていた時も書生にわざわざ軍鶏を買いにやらせていた間に暗殺者の兇刃に倒れました。

あの頃はまだ牛肉のすき焼きが無かったのか? あっても高価すぎて手が出なかったのか…竜馬はすき焼きよりも軍鶏鍋が好みだったのか^^

幕末に想いを馳せらせているうちにお時間となりました。

続きは明日に このお席で・・・^^

 

 

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