はんなりで行こうさんのところのお題、
第二回「クラスメイツについて考えてみよう」について、
ネギまとのはうあな日々さんの「答えてみる」も参考にして
ウチなりに考察してみます。
まず、引っ込み思案とは何か、というと、一言で言って
「皆の前で積極的になれない」ことである。
曲者なのはこの「皆」がどういう範囲なのか、ということだ。
(「社交」を受け持つ夕映)
のどかは大抵、「仲間」の中で一歩引いた位置にいることが多い。
そしてその「仲間」にも幾つか段階がある模様。
大雑把に分けて、
一番狭い範囲の「図書館組」(夕映・ハルナ・木乃香)
次いで「ネギパーティー」(+ネギ・明日菜・刹那・小太郎・・・辺り)
そしてクラスメイト達、など。
(「クラスメイト」相手に丁寧語になっているシーン)
のどかはタイプ的には、ほぼ確実に、社交や儀礼的なもの、
要するに「不特定多数との人付き合い」を苦手とする。
大抵どの本を見ても「営業職に就いている中にはまずいない」
というようなことが書かれているタイプです。
トレジャーハンターズ相手のことにしても、
彼ら以外と会話するシーン自体がなかったりします。
そう、基本的に夕映などと一緒にいたときと同様、
不特定多数とは直接接触せずに済むような振る舞いのままなのです。
つまり基本的には、それほど変わってないのです。
積極的に接することの出来る相手が増えただけで。
(ネギ達相手の転機となった第33時間目)
ただし、「相手が増えた」ということはそれ自体、大きなことです。
「引っ込む」場面がそれだけ減ることになるので。
現にネギパーティー内ではめったに見ることがなくなりました。
またのどかの場合、相手が少数なら
「声をかける勇気」も相応に備えていることがうかがえます。
(のどかと伊澄の似てるとこもご参考に)
かなりの気力を消費するので常には出来ないようですが。
つまり総合的には、本質的に内向的なままですが
「相当カバーできるようになっている」といえそうです。
そう、直ったのではなく「かなり出さないように出来るようになった」のです。
人間、短所を直そうとするより長所を生かすほうが大事ですし、
短所は如何にフォローするかが大事なのです。
第二回「クラスメイツについて考えてみよう」について、
ネギまとのはうあな日々さんの「答えてみる」も参考にして
ウチなりに考察してみます。
まず、引っ込み思案とは何か、というと、一言で言って
「皆の前で積極的になれない」ことである。
曲者なのはこの「皆」がどういう範囲なのか、ということだ。
(「社交」を受け持つ夕映)
のどかは大抵、「仲間」の中で一歩引いた位置にいることが多い。
そしてその「仲間」にも幾つか段階がある模様。
大雑把に分けて、
一番狭い範囲の「図書館組」(夕映・ハルナ・木乃香)
次いで「ネギパーティー」(+ネギ・明日菜・刹那・小太郎・・・辺り)
そしてクラスメイト達、など。
(「クラスメイト」相手に丁寧語になっているシーン)
のどかはタイプ的には、ほぼ確実に、社交や儀礼的なもの、
要するに「不特定多数との人付き合い」を苦手とする。
大抵どの本を見ても「営業職に就いている中にはまずいない」
というようなことが書かれているタイプです。
トレジャーハンターズ相手のことにしても、
彼ら以外と会話するシーン自体がなかったりします。
そう、基本的に夕映などと一緒にいたときと同様、
不特定多数とは直接接触せずに済むような振る舞いのままなのです。
つまり基本的には、それほど変わってないのです。
積極的に接することの出来る相手が増えただけで。
(ネギ達相手の転機となった第33時間目)
ただし、「相手が増えた」ということはそれ自体、大きなことです。
「引っ込む」場面がそれだけ減ることになるので。
現にネギパーティー内ではめったに見ることがなくなりました。
またのどかの場合、相手が少数なら
「声をかける勇気」も相応に備えていることがうかがえます。
(のどかと伊澄の似てるとこもご参考に)
かなりの気力を消費するので常には出来ないようですが。
つまり総合的には、本質的に内向的なままですが
「相当カバーできるようになっている」といえそうです。
そう、直ったのではなく「かなり出さないように出来るようになった」のです。
人間、短所を直そうとするより長所を生かすほうが大事ですし、
短所は如何にフォローするかが大事なのです。
トラックバックありがとうございました。
のどかはまだ本質は内向的であって引っ込み思案が治ったと言える様な段階ではないというのは同意見です。
なるほど~、とおもわず唸ってしまうような
素晴らしい考察です。
ウチとは大違いだw
そう言っていただけてうれしいです。
コメント有難うございました。