
「人間椅子」/2007年
■公開:2007年
■製作:アートポート
■監督:佐藤圭作
■主演:宮治真緒、小沢真珠、板尾創路、他

エロチック乱歩と題された映画「人間椅子」を、2日前の公開初日の6月30日(土)観に行った。当日は関係者の舞台挨拶があるということで監督の佐藤圭作氏、主演の宮治真緒さん、小沢真珠さん、板尾創路さんらが来館した。こちらは小さなミニシアターであり女優さんまで来るとは思っていなかったのでびっくりで
した。お二人ともとてもスレンダーであったのが印象的。
その挨拶の中で、監督の佐藤氏が春陽文庫版と光文社文庫版の江戸川乱歩全集を揃えて持っていると話していた。監督は乱歩マニアだったのですね。
映画の方は、監督がタイトルの「人間椅子」というだけでネタバレといっていたように、乱歩の着想のみを題材に話を書き換えた別物となっています。この椅子に入った人間をどう描いていくか?それこそ何回か映像化され、それぞれの作家(監督)が工夫を凝らして映像化しているのですが、小説の場合はそのイマジネーションを読み手の頭の中で思い描き都合のいいようにしか脳内映像化されませんが、映像の場合は細部や環境までを映し出してしまうため、ややもすればこの人間椅子という驚愕のマゾ的感性の世界を陳腐化してしまうこともあります。それゆえ映像化においては非常に困難を極める題材であるよなーと思っておるのですが。
今回の映画については、椅子になる男の動機が不十分ではあったような。そして映画の見せ場として、椅子の“一枚の革を隔てて感じあうこと”のコミュニケーションの部分、小沢真珠が椅子に対して積極的に愛撫するシーンがあるが、残念ながら強力なエロティシズムを感じることはできなかった。
映画を観ていて思ったのだが、究極の愛の交感の欲求がお互いの血を混ざり合わせることとすれば、たとえば膨張した男根は体中の血液がそこへ向かって集中した状態であり、薄い粘膜状の皮膜はそれによってパンパンに膨らんでいるのである。そして男はその血液が集中した一物を、女に向かって血の交歓を求めてひたすら激しく運動させる。女のほうも同様であろう。そんなことを映画を観ていて思った。人間椅子とはもしかして男根の象徴なのではないだろうか?と。そう考えるともっと大胆にやって欲しかったとないものねだり。
登場人物たちは乱歩映画らしく、どこか皆ヘンに描かれている。それらのヘンな癖が最終的には小説という『金のなる木』に向かって、それぞれの人生を犠牲にして結実してゆく。つまり、ベースに流れているのは経済原則なのであった。その意味で人間の深層部分にわけ入ってゆくというより、それを自明の理とした経済ドラマであるといっていいのではないだろうか?(小説家のサイン会に並ぶ読者達がそれを表現していたと)

※江戸川乱歩「人間椅子」に関する過去記事です。もしよろしければこちらもご覧ください。
↓ ↓ ↓
■映像
乱歩NO.1・・・<人間椅子/1997年>
乱歩NO.28・・・<禁断の実の美女~人間椅子>
乱歩NO.37・・・<乱歩-妖しき女たち-/1994年>其2
乱歩NO.51・・・<乱歩R・人間椅子/2004年>
■小説
江戸川乱歩の研究?7⇒「人間椅子」から
江戸川乱歩の研究?8⇒「人間椅子」から
■評論
乱歩を巡る言葉17・・・『人間椅子』が据えられるとき/高橋世織
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■小説
■関連DVD
■公開:2007年
■製作:アートポート
■監督:佐藤圭作
■主演:宮治真緒、小沢真珠、板尾創路、他

エロチック乱歩と題された映画「人間椅子」を、2日前の公開初日の6月30日(土)観に行った。当日は関係者の舞台挨拶があるということで監督の佐藤圭作氏、主演の宮治真緒さん、小沢真珠さん、板尾創路さんらが来館した。こちらは小さなミニシアターであり女優さんまで来るとは思っていなかったのでびっくりで
した。お二人ともとてもスレンダーであったのが印象的。
その挨拶の中で、監督の佐藤氏が春陽文庫版と光文社文庫版の江戸川乱歩全集を揃えて持っていると話していた。監督は乱歩マニアだったのですね。
映画の方は、監督がタイトルの「人間椅子」というだけでネタバレといっていたように、乱歩の着想のみを題材に話を書き換えた別物となっています。この椅子に入った人間をどう描いていくか?それこそ何回か映像化され、それぞれの作家(監督)が工夫を凝らして映像化しているのですが、小説の場合はそのイマジネーションを読み手の頭の中で思い描き都合のいいようにしか脳内映像化されませんが、映像の場合は細部や環境までを映し出してしまうため、ややもすればこの人間椅子という驚愕のマゾ的感性の世界を陳腐化してしまうこともあります。それゆえ映像化においては非常に困難を極める題材であるよなーと思っておるのですが。
今回の映画については、椅子になる男の動機が不十分ではあったような。そして映画の見せ場として、椅子の“一枚の革を隔てて感じあうこと”のコミュニケーションの部分、小沢真珠が椅子に対して積極的に愛撫するシーンがあるが、残念ながら強力なエロティシズムを感じることはできなかった。
映画を観ていて思ったのだが、究極の愛の交感の欲求がお互いの血を混ざり合わせることとすれば、たとえば膨張した男根は体中の血液がそこへ向かって集中した状態であり、薄い粘膜状の皮膜はそれによってパンパンに膨らんでいるのである。そして男はその血液が集中した一物を、女に向かって血の交歓を求めてひたすら激しく運動させる。女のほうも同様であろう。そんなことを映画を観ていて思った。人間椅子とはもしかして男根の象徴なのではないだろうか?と。そう考えるともっと大胆にやって欲しかったとないものねだり。
登場人物たちは乱歩映画らしく、どこか皆ヘンに描かれている。それらのヘンな癖が最終的には小説という『金のなる木』に向かって、それぞれの人生を犠牲にして結実してゆく。つまり、ベースに流れているのは経済原則なのであった。その意味で人間の深層部分にわけ入ってゆくというより、それを自明の理とした経済ドラマであるといっていいのではないだろうか?(小説家のサイン会に並ぶ読者達がそれを表現していたと)

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■映像
乱歩NO.1・・・<人間椅子/1997年>
乱歩NO.28・・・<禁断の実の美女~人間椅子>
乱歩NO.37・・・<乱歩-妖しき女たち-/1994年>其2
乱歩NO.51・・・<乱歩R・人間椅子/2004年>
■小説
江戸川乱歩の研究?7⇒「人間椅子」から
江戸川乱歩の研究?8⇒「人間椅子」から
■評論
乱歩を巡る言葉17・・・『人間椅子』が据えられるとき/高橋世織
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