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『人間椅子』が据えられるとき/高橋世織
「江戸川乱歩ワンダーランド」/沖積舎
本日紹介するの高橋世織氏は、あのYMOでも著名な高橋幸宏の従兄弟にあたるという。ということで氏の『人間椅子』論の抜粋である。(中々おもしろいんです、これが)
“『人間椅子』というタイトル。これほど人を喰った奇抜な題はちょっとない”
“人間の椅子ということなのだが、「の」がとれて、「人間」と「椅子」とがダイレクトに結合してしまうと、これほど意表を衝いて、とうでもないことになってしまう”
“A・ブルドンたちが宣言を行ったのが1924年”“発表されたのは、ちょうど一年後の1925(大正14)年だから、日本のシュールな作品と見なしても可笑しくない面がたしかにある”
“ロートモレアンの詩中の一節「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」”=
“売れっ子で「美しい閨秀作家」の書斎空間で、哀れなみにくい男が立派な椅子に偽装することで出合う”
“椅子に凭れたり座って読むというテクスト享受における社会的身体性の問題とも実は連動していくということが背後にあったことがわかってくる”
“職人にとっての椅子は、もうひとりの私、別言すれば、ドッペルゲンガー的存在だったとも読みたい”
“この時代のシュールレアリストたちのタブローからはよく顔が消えているのが多い””タマゴ型ののっぺらぼうのキリコ。リンゴで顔を隠してしまった、ルネマグリットなど枚挙にいとまがない”
“テクストのほぼ9割以上が手紙から成り立つところの『人間椅子』は読ませる
手紙として別格”
ざっと気になった部分を引用しましたが、一番ボクが興味を引いた部分は以下の論調です。高橋氏は『人間椅子』を“萩原朔太郎の詩のテクストと連動させて読むとおもしろい”と指摘。朔太郎の詩集『蝶を夢む』の中の「腕のある寝台」を引き合いに出し、乱歩と朔太郎を“同時代に同じような感性のあり方を示した情緒共同体としてとらえて”みたいとしている。なるほど「腕のある寝台」は、高橋氏が指摘するように“朔太郎の『人間ベット』といった観がある”。氏は直球の感性でもって判りやすく批評をしているのだ。ボクにも判りやすく。朔太郎の詩がまるで新しい乱歩的感性を呼び起こすように・・・。その朔太郎は、乱歩の『人間椅子』を絶賛していたという。
「腕のある寝台」
綺麗なびらうどで飾られたひとつの寝台
ふっくらとしてあたたかい寝台
ああ あこがれ こがれいくだびか夢にまで見た寝台
私の求めてゐたただひとつの寝台
この寝台の上に寝るときはむつくりとしてあつたかい
この寝台はふたつのびらうどの腕をもつて私を抱く
そこにはたのしい愛の言葉がある
あらゆる生活のよろこびをもつたその大きな胸の上に
私はすつぽりと疲れたからだを投げかける
ああこの寝台の上にはじめて寝るときの悦びはどんなであらう
そのよろこびはだれも知らない秘密のよろこび
さかんに強い力をもつてひろがりゆく生命のよろこびだ。
みよ ひとつの魂はその上に合掌するまでにいたる
ああかくのごとき大いなる愛憐の寝台はどこにあるか
それによって悩めるものは慰められ 求めるものはあたへられ
みなその心は子供のやうにすやすやと眠る
ああ このひとつの寝台 あこがれもとめ夢にみるひとつの寝台
ああこの幻の寝台はどこにあるか。
by萩原朔太郎
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■関連書籍
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本日紹介するの高橋世織氏は、あのYMOでも著名な高橋幸宏の従兄弟にあたるという。ということで氏の『人間椅子』論の抜粋である。(中々おもしろいんです、これが)
“『人間椅子』というタイトル。これほど人を喰った奇抜な題はちょっとない”
“人間の椅子ということなのだが、「の」がとれて、「人間」と「椅子」とがダイレクトに結合してしまうと、これほど意表を衝いて、とうでもないことになってしまう”
“A・ブルドンたちが宣言を行ったのが1924年”“発表されたのは、ちょうど一年後の1925(大正14)年だから、日本のシュールな作品と見なしても可笑しくない面がたしかにある”
“ロートモレアンの詩中の一節「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」”=
“売れっ子で「美しい閨秀作家」の書斎空間で、哀れなみにくい男が立派な椅子に偽装することで出合う”
“椅子に凭れたり座って読むというテクスト享受における社会的身体性の問題とも実は連動していくということが背後にあったことがわかってくる”
“職人にとっての椅子は、もうひとりの私、別言すれば、ドッペルゲンガー的存在だったとも読みたい”
“この時代のシュールレアリストたちのタブローからはよく顔が消えているのが多い””タマゴ型ののっぺらぼうのキリコ。リンゴで顔を隠してしまった、ルネマグリットなど枚挙にいとまがない”
“テクストのほぼ9割以上が手紙から成り立つところの『人間椅子』は読ませる
手紙として別格”
ざっと気になった部分を引用しましたが、一番ボクが興味を引いた部分は以下の論調です。高橋氏は『人間椅子』を“萩原朔太郎の詩のテクストと連動させて読むとおもしろい”と指摘。朔太郎の詩集『蝶を夢む』の中の「腕のある寝台」を引き合いに出し、乱歩と朔太郎を“同時代に同じような感性のあり方を示した情緒共同体としてとらえて”みたいとしている。なるほど「腕のある寝台」は、高橋氏が指摘するように“朔太郎の『人間ベット』といった観がある”。氏は直球の感性でもって判りやすく批評をしているのだ。ボクにも判りやすく。朔太郎の詩がまるで新しい乱歩的感性を呼び起こすように・・・。その朔太郎は、乱歩の『人間椅子』を絶賛していたという。
「腕のある寝台」
綺麗なびらうどで飾られたひとつの寝台
ふっくらとしてあたたかい寝台
ああ あこがれ こがれいくだびか夢にまで見た寝台
私の求めてゐたただひとつの寝台
この寝台の上に寝るときはむつくりとしてあつたかい
この寝台はふたつのびらうどの腕をもつて私を抱く
そこにはたのしい愛の言葉がある
あらゆる生活のよろこびをもつたその大きな胸の上に
私はすつぽりと疲れたからだを投げかける
ああこの寝台の上にはじめて寝るときの悦びはどんなであらう
そのよろこびはだれも知らない秘密のよろこび
さかんに強い力をもつてひろがりゆく生命のよろこびだ。
みよ ひとつの魂はその上に合掌するまでにいたる
ああかくのごとき大いなる愛憐の寝台はどこにあるか
それによって悩めるものは慰められ 求めるものはあたへられ
みなその心は子供のやうにすやすやと眠る
ああ このひとつの寝台 あこがれもとめ夢にみるひとつの寝台
ああこの幻の寝台はどこにあるか。
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