わたなべ正博の「万歳録」

日本共産党上田市議会議員「渡辺正博」の日記帳(まんさいろく)
2009年5月3日スタート

東塩田戦没者慰霊祭でのあいさつです

2017年10月26日 11時38分59秒 | 日記
 本日ここに、戦没者ご遺族をはじめ地域の代表の皆様方の参列の元、「東塩田戦没者慰霊祭」が挙行されるに当たり、戦没者各位の御霊に謹んで追悼と慰霊の誠を捧げ、一言ごあいさつを申し上げます。
 この碑には東塩田村戦没者193名のお名前が刻まれています。幾多の悲しみをもたらした先の大戦が終わりを告げた日から、72年の歳月が過ぎました。
 私は、もちろん戦後生まれですが、父は戦争を体験しています。お酒が入るとその体験をよく聞かされました。
 ニューギニア戦線に送られ、目的も聞かされずにただただ毎日ジャングルを歩き、食べるものは虫、蛇、トカゲ、ネズミで焼くと旨いが、臭いがまわりに広がり、その臭いは、敵に気づかれるのではなく戦友に気づかれて自分の食べる分が少なくなるから生で食べた。
 死んだ戦友は1人として銃弾で倒れたものはなく、食べるものがなくて死んでいったということでした。
 俺たちは天皇陛下の命令で戦地に行き、多くの戦友が死んだ「国のためといわれて・・」だが、国は俺たちを守ってはくれなかった。新しい憲法ができた「うれしかった。これで戦争に行かないで済む」と思った。
 これが、私が父から教わった戦争です。若いころはよく理解出来なかったが、現憲法を作り替えるという総理の誕生で「憲法」とは何か、という勉強の機会を与えられました。おかげで、今お話しした父親の戦争体験が、よく胸に落ちました。「戦争とは人を殺すことだと・・・やってはならないし、その準備もしてもならない」政治は時として大きな過ちを犯す。そして政治が決定すれば従わなくてはならない。ただ、歴史をつくるのは国家では無くて国民です。これが私の戦争体験です。
 終わりに、戦没者の方々にあらためて哀悼の意を表し、ご遺族の皆さまのご健勝とご多幸を心からお祈りし、いまを生きるものとして、2度と再びあの惨禍を繰り返さないことを誓い、私の追悼の言葉といたします。

下之郷「長福寺」境内