たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

帰り道がやけに長く感じた滝子山

2012年02月12日 | 富士山見物
◎2012年2月11日(土)

<桜公園(8:00)……寂倘苑(8:07)……大鹿林道(8:25)……浜立山分岐(10:05)……滝子山(10:27~10:53)……鎮西ヶ池(11:05)……道証地蔵(12:39)……駐車地(13:00)>

 ある程度の積雪の中を歩いての富士山を見たかった。12月の杓子山からの富士山は丸見え過ぎた。しかも、歩いたコースに雪はなかった。富士山も、大きく見えても、そこそこでないと自分の好みではない。今回、茅ヶ岳と滝子山が候補になった。どっちの山でもいいのだが、どうせ写真を所望されるだろうからと、富士山大好きのK女にメールして、いずれの山からの富士山がいいかと聞いてみた。当人は、両方の山の名前すら知らないだろうがネットで調べたのだろう。しばらくしてから、滝子山からの富士山がいいと返信があった。予想はついていた。滝子山の方が絶対的に富士山に近いし、大きくも見えるだろう。その結果、というわけでもないのだが、アクセス的にも近いし、歩きが楽そうな感じもする滝子山に決めた。ただ、事前のネット情報では、茅ヶ岳よりも滝子山の方が雪は深そうだ。天気具合からして、富士山は見えるだろう。

 5時半に家を出た。すんなりと関越道にも入った。ところが、電光掲示板に、圏央道の鶴ヶ島・狭山間が事故で通行止めと出ていた。これはまずい。戻って、寄居あたりの山にでも変更しようかと思ったが、山地図はない。家に戻って寝直して、桐生の山にでもするか。ところが、戻ろうにも、関越の反対側、下り車線も事故で大渋滞になっている。このまま行くしかないか。圏央鶴ヶ島で下り、狭山まで国道を走る。とんだトラブルではあったが、30分ほどのロスタイムで大月に到着した。今回は昭文社地図に「寂ショウ尾根」と記された尾根を歩くつもりでいる。破線ルートで、コースタイムは記されていない。狭い道を走り、桜公園の適当な空き地に車を置く。他に車はない。公園といっても、自然なままで、特に整備されている公園ではない。駐車場の標示板すらなく、どこに車を駐めていいのやら迷うほどだ。後で知ったことだが、傍らの道は先まで延びているが、これは市道のようだ。しばらく先で県営林道になって、地図上の「道証地蔵」を通る形になっているらしい。

(寂倘苑の入口を右に入る)

(滝子山案内板)


 寂ショウ尾根の「寂ショウ」とは正確には「寂倘」と書くようだ。ジャクショウとでも読むのだろうか。どんな意味、いわれがあるのだろう。林道(市道)をその「寂倘苑」の看板で右に曲がる。山小屋風の建物があった。どういう施設か不明。人の気配はない。敷地内に、滝子山への案内板があった。「寂倘尾根コース3.5H」と記されていた。ちょっときついな。道なりに行く。歩き出しから、今日は失敗したと思っていた。衣類のことだ。ネットで直前に調べると、一週間前は雪山だった気配がある。そのため、防寒の上下を着て、スパッツを付けて出た。ところが、雪は日陰以外まったくない。おそらく、先日の雨で消えたのだろうか。ガチンガチンの雪山歩きの恰好だ。ザックも小型だったため、中の予備スペースはない。カップラーメンとアイゼンが場所をとっている。脱いだとて、入れる場所がないわけだ。このままのスタイルで行くしかないだろう。すぐに暑くなり、身体がかなり重くなってしまった。先日の桐生唐沢尾根歩きとはまた違った物理的な重さ。早速、汗をかいた。この寂ショウ尾根、昭文社地図には「危」「迷」印があるがとんでもない。しっかりした道が最後まで続いていた。植林帯の中を通って、送電鉄塔。そして林道に出た。大鹿林道というらしく、これは県営林道から派生する市営林道だ。

(林道を越え、ここから取り付く)

(こんな雰囲気の尾根。今のところ、危険も迷いも感じない)

(右が滝子山らしい)

(富士山がようやく見えた)

(岩場が本格的に出てくる)


 林道を少し下り、尾根に取り付く。ここからが寂ショウ尾根の本番らしい。いきなり、ロープが付いていた。次第に傾斜が強まる。しかし、明るい疎林の中の歩きは気持ちがいい。正面に滝子山が見える(後で地図を見ると、浜立山だったようだが)。まだまだ先だ。振り向くと、樹間越しに三つ峠山は見えるが、その先の富士山は今のところ見えない。岩場が出てくる。すぐに終わる。この尾根の特徴は、長い岩場続きのところにあるようだ。別に楽しみにしてはいないが、そろそろ出てきたか。用心、用心。雪が付いていたら恐いだろうな。尾根の傾斜が強いため、高度はどんどん上がり、ついに富士山が顔を出した。これを見たいがために登った山なのである。見えなきゃ、何をしに来たのかわからない。ただ、今のところ、富士山の姿も枝越しのため、すっきりした姿を拝めないのが残念だ。

(岩場がやけに長い)


 しばらく、富士山を振り返りしては、眺めながら歩いたが、不安が出てきた。風は西から吹いているものの、富士山周辺の雲の流れは東から西へと動いている。このままいけば、1時間もしないうちに、すっぽりと隠れてしまうんじゃないのか。東側の雲は黒ずんでさえいる。ということは、今のうちに、半端姿の富士山でも写真に収めていないとダメということか。忙しい状況になってしまった。

(とうとう、御大が隠れてしまった)


 本格的な岩場が現れてきた。最初のうちはおとなしかったが、次第に厳しくなる。岩の先がとがっているのもある。そして、鎖場があったりと、もたもたする。当初、雪の中を、アイゼンを付けて、この岩場を歩くようになるだろうと想定していたが、幸いにも雪がなくて助かった。雪があったら、先に行くのは困難だったろう。この岩場を歩きながらも、消えかかる富士山をまめに撮った。岩場は30分続いた。岩場でもたもたしている間に、とうとう、富士山は雲の中に消えてしまった。

(ようやく稜線に出た)

(ところが、滝子山まではまだあった)

(何と、またご尊顔を…)


 ここまで来たら、この山を楽しむしか仕方がないだろう。ようやく岩場が終わり、しばらく行くと稜線に出た。雪がある。ここが山頂かと思っていたが甘かった。左が浜立山、滝子山は右となっていた。浜立山方面には、雪の上に足跡があった。右手を見て驚いた。富士山がまた顔を出していた。こうでなくちゃ来た甲斐がない。最初のピーク(これが山頂かと思った)からちょっと脇に入ったところが展望地になっていて、南アルプスの山々が見えた。いい景色が広がっている。

(八ヶ岳)

(ダメ押しアップで。三つ峠が何とも邪魔くさい)

(右が雁ヶ腹摺山か?五百円札の富士を見たくて行ったら、雪でまったく見えなかったのを思い出す)


 次のピークに向かう。ここに滝子山の山名板が置かれていた。山梨百名山か。単独氏がタバコを吸っていた。それを見て、こちらもすぐにタバコを吸いたくなってしまった。同年配くらいのオッサンだ。道証地蔵から上がって来られたそうだ。これから、大谷ヶ丸経由で下られるようなことをおっしゃっていた。自分も、下りは道証地蔵に出るつもりでいたから、地図を広げていろいろと聞いた。沢伝い部分は凍結していて、危険だから注意した方が良いとアドバイスを受ける。オッサンと入れ違いで青年が上がって来た。荷物が重そうなので聞いてみると、テント縦走とのこと。どこそこに行くと言っていたが、何せ、こちらの地理には疎いので、地名はすぐに忘れた。青年はすぐに下って行った。一人になってしまった。富士山や南アルプス、八ヶ岳、奥秩父の山並みを見ながら、30分ほどぼんやりしていた。いい気持ちだった。食欲はなし。今回も、食料は運びだけになりそうだ。

(滝子山の三角点)

(白縫神社)


 長居し過ぎたか。ぼちぼち下りにかかる。2人組が上がってきた。アイゼンを付けている。山頂で歓声を上げているのが聞こえた。ここまで出会った4人ともに、寂ショウ尾根からではなかった。やはり、一般的なルートではないのかもしれない。そういえば、オッサンが「急だったでしょう」と言っていたなぁ。どこにもありそうな急な尾根でしかなかったが。次のピークには三角点があるらしく、寄り道をする。狭いピークだ。初狩駅に向かう道標があった。分岐に戻って、鎮西ヶ池方面に下る。こちらは北側のためか積雪が多い。雪の下は凍結している。ツボ足でも注意して下れば問題はない。すぐに鎮西ヶ池に到着。池は見えない。鳥居のある社殿があった。これは白縫神社というらしい。道標があり、しっかりしたトレースもあるので、地図無しでも下れるところがいい。

(防火帯らしい。正面に南アルプス)

(南アルプスをアップで)


 防火帯の、ゲレンデ状のところに出た。正面に南アルプスが見えて、なかなかいい雰囲気だ。単独のジイサンが雪の上になぜか座り込んでいた。挨拶は返ってこなかった。そして、3人組。今日の出会いは計8名。すべて男性。大谷ヶ丸への分岐を過ぎ、笹子駅方面への道標に従って下る。すぐに沢沿いの歩きになった。いい雰囲気もここまでで、ここからが無性に長かった。春や秋の時期なら、素晴らしいほどに楽しめるルートであろう。ところが、この時期、雪、凍結、ドロが随所にあり、崩壊地の歩きはえらく危なっかしいものになる。おまけに、厚ぼったく着込んでいるため、汗ばんで不快。動きもかなり鈍くなっていた。

(下りの風景)

(雪は融けるが、すぐにまた雪が出てくる)

(標識の向きが微妙で、左に行かないといけないが、右手に向かうワカン跡がついていた)


 休憩所のような建物を過ぎ、曲り沢峠の分岐を通過。急な斜面をジグザグに下る。履き慣れない革靴のためか、足のかかとの上が擦れて痛い。休んでいると、山頂にいた2人組が下って来た。若いだけあって、なかなか早足だ。この急な下りを走っている。しばらく行くと、下って来た方向とは違う方向に滝子山への道標が置かれていた。間違ったのだろうか。地図を見ると、ショートカットのルートがここにあった。見逃していた。やがて植林帯に入る。ここは凍結しているため、歩きもさらに鈍くなった。地元の小学生が作った「モチヶ滝まで15分」の標識。沢沿いに行くのだろうが、凍り付き、行く気にもなれない。次は「三丈の滝」の標示板。橋を渡る。側には、朽ちた木の橋が沢に落ち込んでいた。沢沿いにぼんやり歩いていたら、踏み跡を見失った。よくあるパターンだ。雪の上にトレースがあったので、それを追うと、沢に入り込んでいた。その先はどうなっているのか。とりあえず、凍り付いた沢の中を行ってみるが、どうも間違えている。山腹を見上げると、道型に雪が続いているような気配が見える。上下の分岐を誤って下に来てしまったようだ。戻るのももどかしく、雪の斜面をズルズルと滑りながら這い上がった。しっかりしたトレースが20mほど上にあった。

(植林帯の中の歩き)

(橋を渡って)

(林道に出た)

(道証地蔵。何とも不思議な名前)


 ようやく安定した道になった。しばらく植林帯の中を歩くと、鉄塔にぶつかる。これが2本続く。また橋を渡って、ようやく林道に出た。何とも気分的にも長い下りだった。このルートは、一部を除けば急なところはない。滝子山に行くには、手頃なルートかもしれない。ただ、この時期を除けばの話だ。むしろ、寂ショウ尾根の方が急ではあるが無難かも。さて、林道の入口には道証地蔵が置かれていた。文政三年と彫られている。右に文字が見えるが「此方たの道」?「此方たの屋」?こっちに行けば、「たの道に至る」もしくは「たの屋に着く」ということだろうか。よく分からない。この先にちょっとした駐車スペースがあり、車が3台置かれていた。さっき抜かれた2人組も、帰り支度をしていた。

(田通乃姥神)

(桜公園)


 林道を歩いて行くと、左に「田通乃姥神」というのがあった。ただの石柱だが、帰ってから調べると、この林道が甲州街道の裏街道であった頃、地元の人や旅人が峠越えする際に無病息災を祈願したらしい。この風体では、気づく人もまれであろう。寂倘苑入口の前を通り、公園の駐車場にようやく着いた。相変わらず他に車はない。靴を脱いだら、やはり、左右のかかとの上は靴づれをおこし、靴下が血で赤くなっていた。風呂に入りたいところだが、中央道の混雑が始まる前に、さっさと帰った方が無難だろう。今日の歩き、帰りは長い苦痛の歩きになってしまったが、手頃な富士山を見られただけでも満足といえようか。

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10 コメント

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写真を頂きます (K女)
2012-02-12 21:38:12
家に居ながら、これと思う富士山を見られてラッキーです。滝子山を選んでよかった、たそがれさんは往復の車まで、事故や渋滞で大変だったでしょう、ありがとうございます
下りの道は雪が積もっていて、太陽の当り位の影響でしょうか。岩登りが、また険しいのがありましたね、高い所は嫌いと言っていたけど、慣れてきたのでは。
富士山と雪の南アルプスは見とれます。
次の山までに靴擦れを治すのが、一番の課題ですね。
K女さん (たそがれオヤジ)
2012-02-12 21:53:53
早速コメントありがとうございます。
まっ、結果的に滝子山で良かったといったところでしょうかね。富士山が見えなければ、茅ヶ岳に行ったとて同じですからね。
ただ、ブログの写真ではたいしたものではないですが、八ヶ岳は見えづらいところながらも、南アルプスが、あんなに間近に見えるとは思いませんでした。茅ヶ岳の方が近いと思っていましたが。ちょっと錯覚だったようです。
ただ、同じ山梨ですから、当たり前かもね。
コメントありがとうございます! (たまりん3193)
2012-02-13 20:50:37
先日はどうも

あの時のオッサンです!


素早い山行記のアップですね!私も見習いたいものです

あちこち記事を読ませて頂きました 主に北関東の山々でしょうか?初めて聞く名前の山ばかり かなりの篤志家でいらっしゃいますね!内容も微に入り細に入り 大変勉強になります

私は静岡の富士山の麓に住まいする者で 主に富士山の周りの山々 八ヶ岳 奥秩父辺りを中心に歩いております!


山頂でお会いした桧平から登ってみえた若者には 大谷ヶ丸の山頂で再びお会いしましたよ!お昼を食べて下山しょうとしたところ登ってみえて いろいろお話ししました 湯ノ沢峠の小屋に泊まって 黒岳から大峠に降り 雁ヶ腹摺山に登って下山するとの事でした なかなか気さくで気持ちの良い青年でしたよ!


実は あれからコンドウ丸 曲沢峠経由でずみ沢の下の分岐に下るつもりが 巻き道の分岐を通り過ぎてしまい 造林小屋下の 上の分岐に出てしまい あの沢沿いの厭な道を下る羽目になってしまい ヒヤヒヤもので下って参りました


三丈の滝の下の高巻きも 朝通ったのに性懲りもなく 同じように河原に降りてしまいました あれでは みんな降りてしまいますよね!


山は十数年やっていますが blogは始めてまだ2年ほどです

こんな形で 同じ山に登られた方からコメントを頂くのは初めての事で大変驚きました!本当にありがとうございました 大した山には登っていませんが 今後とも宜しくお願いいたします!


因みに私の名前は うちのちびすけ猫の名前と 大好き北岳の標高を合わせたものです
Unknown (ぶなじろう)
2012-02-13 22:19:00
今晩は。
今回は遠征でしたね!
冒頭の部分で、てっきりK女史との歩きかと勘違いし、ヒヤヒヤしてしまいましたよ。写真のやり取りだったのですね。

滝子山、年初の雲取の同宿者から推薦された山でした。富士山、南アの展望の山とは知りませんでした。
昭和54年度版アルパインガイドを見ているのですが、周辺の山名なども変わっているようですし、標高も微妙に変わってます。

おいらの場合、多摩川を超えるのはチト気が重い感じがしますです。
たまりん3193さん (たそがれオヤジ)
2012-02-13 22:57:40
さっそくのコメントありがとうございます。うれしい限りです。こういう形で、輪が広がるのもまたいいものですね。
さて、たまりん3193さんも、下りであの沢に下りてしまいましたか。私のトレースが輪をかけたようで大変、失礼いたしました。
たまりん3193さんは静岡ご在住ということで、やはり、南アルプス中心でしょうか。南アルプスは、なかなか行く機会にも恵まれませんが、奥秩父は何とか接点がありそうですね。
ご覧のように、しがない北関東のオタク系の山を中心に歩いております。いずれまた、八ヶ岳か奥秩父でお会い出来ますことを楽しみにしております。
奥秩父もまた、埼玉寄りを歩いてみてください。なかなか渋くもありますから。
ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2012-02-13 23:09:55
こんぱんは。
私の場合、山梨は多摩川を越える感覚なく圏央道で行けますから、せいぜい2時間程度のエリアですが、やはり遠いですね。
今回の滝子山ですが、以前から、行ってみたいとは思っておりましたが、何となくハイキング系の山とばかりに錯覚していて、足もなかなか向きませんでしたが、意外にも楽しめる山でした。
ただ、ぐるりと他の山もかけて周回すれば、もっとおもしろいようですね。ただ、この時期はどうでしょうか。春が一番ではないでしょうか。花もきれいなようですし。

K女史と一緒に歩くことになっていたら、おそらく、富士山を見ずに終わり、それどころか、また腰がガタガタになっていたかもしれませんよ。
秀麗富嶽十二景 (ハイトス)
2012-02-14 01:42:29
こんばんは。
山梨百名山や大月市の秀麗富嶽十二景の山ですね。
やはり富士は綺麗ですな。
千葉の山からも遠望出来ましたが、けっこう霞んでいていまいちでした。
そうでしたか、我々も関越の反対車線がずっと渋滞していて気の毒に思っておりましたよ。
それでも事故渋滞に遭った割には早く桜公園まで行けたのですね。
寂ショウ尾根ルートはたそがれさんが岩に少々ながら手こずるところを見るとやはりバリエーションなのでしょうか。
画像の岩々を見る限りは普通の登山道でないことは確かでしょうが。
ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2012-02-14 05:53:04
おはようございます。
事故渋滞の情報を知った時は、正直のところ愕然といたしました。あれれ、どうしようかと。ただ、迂回区間が短かったことと、八王子方面に向かう車が少なかったことが幸いいたしました。
寂ショウ尾根ですが、バリエーションルートと呼べるかどうか。しっかりした道がありますしね。ただ、岩場が長いです。切れ立ってはいません。鎖場も一個所だけだった記憶があります。手こずることはないでしょう。
千葉のあとは、山梨の本格的な富士山風景でも見に行ってくださいよ。
ハイトスさんのことですから、それこそ、おもしろそうなバリエーションルートをとれますよ。
Unknown (風花爺さん)
2012-02-24 20:19:05
確たる論拠は無いのですが参考までに私が以前「寂惝」について調べたことを書いてみます。
大木惇夫という詩人がいまして『物言ふ蘆』という詩集を戦後発表しています。
その中の一遍に「寂身惝景」という詩があります。
戦時中に戦争讃歌の詩を書いていたため、戦後落魄の身になり、傷心の日々を過ごしていた心境を表した言葉でしょうね。
この詩人に傾倒したある人が、今は廃屋化している庵を建て、「寂惝苑」と命名し、更にそれ
以前は「南稜」と呼ばれていた尾根を「寂惝尾根」と呼ぶように誘導したのではないか、というのが推測を交えた私の見立てです。
私はこの尾根を5年前に往復しましたが、それ以前に女性の墜落事故があって危険視されていたこの尾根もすでに一般ルート化していました。
この尾根の一本西側に「浜立尾根」と呼ばれる尾根がありますが、こちらの方がまだバリエーションの雰囲気があります。
ただし岩場は一ヶ所しかないので面白味には欠けているかも知れません。
風花爺さんさん (たそがれオヤジ)
2012-02-25 23:37:12
ありがとうございます。
私も「寂惝」をそれなりに調べましたが、そういう言葉というか熟語はなく、想像するに「ひっそりと静かなさま」といったところでしょうか。
風花爺さんさんが解読された詩人の心があるとすれば、うなずけられなくもない感じがあります。同じ文学をなす者でも、戦時体制の礼賛が嫌で、太宰治あたりは「津軽」といった、戦争から離れた小説を書いたりと、当時の文学者の心は様々であったでしょうし、戦後のギャップもまた、受け止め方もそれぞれであったでしょう。

ところで、「浜立尾根」とは、浜立山からのびる尾根かと思います。山頂でお会いした方のお話しですと、なかなかのバリエーションルートらしいですが、今は歩く人もあまりいず、凍結するこの時期は危険が伴うようなことをおっしゃっていましたね。

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