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アニメ及び周辺文化に関する雑感

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電車は来ないTV版『AIR』

2005年04月02日 | アニメ
(今回も電車の話はありません。だって廃線になっちゃって電車なんか来ないんだから、話のしようがないじゃない)

 これまで劇場版と比較することで触れてきたTV版『AIR』ですが、とりあえず物語が終わったので総括してみましょう。
 一言でTV版『AIR』を言い表すと、「絵がきれいなだけの電波な物語」でしょう。もちろんこれは美化されたゲーム版の体験を前提にした脳内補完というものが存在しない場合です。

 ま、端っから原作のストーリーを追っかけるだけで煮詰まってる話数構成に付加する要素など期待しても仕方が無いのですが、全般的に描かれ方がよそよそしく、視聴者が感情移入できるほどにキャラクターの心情が描ききれていないということ。さすがにラスト2話の晴子さんには幾分感情を預けてしまいますが、これも劇場版の描かれ方から見れば淡白すぎる感じで、それでいて行動が極端なところが唐突に感じるのは、これに限らずこのTV版のキャラクターの行動すべてに当てはまることですが……

◎第1話~第7話(dream編)

 美凪とみちるの物語は比較的素直に見れたところ。これは別に翼人伝説と絡めなくても単独で作品として成り立つエピソードです。それがかえってラストを見てから振り返ると異質な存在になってしまってますが……
 理解しにくいのは佳乃の物語の方です。こっちはもっとストレートに翼人伝説に絡んでる感じのエピソードですが、それがどうして佳乃を苦しめてるのかがわからない。その翼人の話も神奈の話に繋がってる話でもなければ、観鈴に繋がってるわけでもない。翼人が受け継いでいる「この星の記憶」の1ページに過ぎない話なんだろうけど、結局そういうフォローが何も無いから、この佳乃の話も美凪の話も全然物語のラストと絡んでこないわけね。
 ま、この辺は原作の問題だろうからTV版の欠点として取り上げても仕方が無いのだけど、ただでさえダイジェスト気味なストーリー展開の中で時間を割く意味があったのかどうかって話にならなくもありません。やっぱりばっさり切り落としてしまった劇場版の潔さの方が光ります。
 もっとも、キャラクター商売としては佳乃と美凪を出さないわけにはいかないとは思いますけどね。

◎第8話~第9話(summer編)

 翼人伝説の要ですが、劇場版とは違って観鈴や往人に明確に結び付けられているようです。ただ、その導入が唐突過ぎなのはともかく、展開も唐突過ぎです。柳也や裏葉が強引に神奈を連れ出して逃亡するに至った心情が理解できません。理解できないというか、端から描かれてないわけです。
 しかもいとも簡単に八百比丘尼まで連れ出してる始末。そこから追っ手に襲われて悲劇的な結末を迎えてるわけだけど、これもこういうシナリオだからこうなりましたという感じで、画面からキャラクターの心情が伝わって来ないわけですね。

 これが劇場版だと柳也は「連れ出してあげたいけど連れ出せない」という状況が続いた挙句に最後に覚悟を決めて神奈を連れ出そうとして、それでも叶わず神奈は射抜かれてしまい、母親にはついに会えなかったというキャラクターの無念がスクリーンからあふれ出していて、それがその後の観鈴の心情にも影響されていってるのだけど……
 TV版を見る限りでは翼人伝説が観鈴の運命の裏にあることを暗示していても、観鈴自身の心情には直接繋がらず、ただ往人が柳也の末裔であり、その人形が裏葉の方術で作られたもので、代々その継承者の想いが詰め込まれているという理由付けでその後の往人の変化に説明付けを与える働きしかしていないわけです。
 これもまた観鈴に受け継がれる「この星の記憶の1ページ」に過ぎないのだとしても、もう少し具体的に観鈴に結びつく要素が無いと、佳乃のエピソードで語られていた翼人の記憶となんら変わらないことになってしまいます。

◎第10話~第12話(air編)

 往人が唐突にカラスの《そら》になってしまったというのが、とても付いていけないところです。いや、あくまで主人公の主観的な視点から描かれてるゲームという媒体ならこういう展開もありだとは思いますが、このTV版は確かに第7話までは往人を中心に描かれていたのは確かですが、必ずして往人の主観から描かれていたわけではありません。アニメの往人はプレイヤーキャラではなく、主人公ではあってもあくまで登場人物の一人に過ぎないわけです。
 そう考えると、ここで作品の視点を変える必要はまったく無いはずです。まぁ、これ以降の物語を観鈴と晴子さんに絞るなら、それはいくらでも他の手段があるわけで、何も劇場版のようにラストに往人を参加させろとは言いませんが、カラスがいる必然性は何もありません。単に原作を知らない視聴者を混乱させる仕組みにしかなっていません。
 第10話は《そら》の視点から見た第1話~第7話のおさらいですが、ここで初めて描かれたいくつかのシーンは、別にこういう描き方をしなくても本編へのフィードバックは可能で、こんなことに1話費やするならもっと本編でのキャラクターの描き込みに使って欲しいところです。
 これも原作通りといえば原作通りなんでしょうけど、別にキャラクター商売に響くところじゃないんだから(いや、一応は佳乃や美凪の出番もあったけど)、普通ばっさり切り落とすでしょう。

 で、ラスト2話は観鈴と晴子さんの話。題材が絞られてるだけこれまでに比べたら幾分かキャラクターの心情も描かれてるけど……それでも淡白過ぎるんですね。劇場版でも(往人がいるいないは別として)似たような展開なのに、あっちはストレートに観客に訴えかけてくるパワーがあるのに、こっちはどこか冷めた感じがします。
 最後の日、観鈴は痛みを隠して晴子さんを安心させていたわけだけど、それが愛情に基づく思いやりであっても、結局のところ観鈴は自分のすべてを晴子さんに投げ出していないわけで、距離を置いてしまってるわけですね。劇場版の観鈴はそんなもの隠してなんかいない。いや、具体的にそういうシチュエーションの描写があったわけじゃないけど、むしろ無理言って海に連れて行ってもらってるわけだからね。
 そんなわけで、観鈴と晴子さんに距離が置かれてしまって、その距離を取っ払う行為がラストのゴールに込められてるわけだけど、その意味合いが込められてるためにゴールに純粋さがなくなっしまってる感じがします。このシーン、劇場版の方がずっとピュアに感じられますよね。

 その後は蛇足ですね。あって悪いとは言わないけど、結局やっと観鈴と晴子さんの物語に収束した話をいまさら翼人伝説とかに絡めてぶち壊してしまってるって感じです。話を翼人伝説に収束させたいのなら、土壇場で観鈴と晴子さんの物語にしてしまってること事態が意味不明の無駄な話だと思うし……いや、これが神奈と八百比丘尼の関係とシンクロしてるとかいうならまた別なんですけど。
 いや、観鈴と晴子さんの親子の物語に翼人伝説を絡めるなとは言わないけど、絡めるならいくらでも絡め方があるわけで、こういう取って付けたけど絡んでないというのは不協和音になって違和感が残ります。
 最後に何か吹っ切れた晴子さんが《そら》を飛び立たせて、そして観鈴と往人は例の女の子と男の子になって第1話の時間に戻ってるんだけど……確かに人間の往人が最後まで残ってたらこういう終わり方は出来ないんだけど、何か後味悪いですね。この2人がハッピーエンドを迎えるために観鈴の悲劇が仕組まれてたとかしたら、そりゃ観鈴の人生が悲惨すぎます。

◎物語が終わって……

 カラスになった往人と人間のままの往人。観鈴のゴールに往人がいるいないはともかくとして、どっちで終わった方が望ましいかと言えば、やっぱり劇場版の人間のままの往人でしょうね。
 ラストの転生の辻褄あわせは難しいだろうけど、途中で往人の存在を消滅させてしまってるってことは、往人を好きになった観鈴の想いや覚悟を蔑ろにしてしまってるわけですね。最後は晴子さんとの親子の確認で終わるにしても、「往人がいなくなったから晴子さんしかいない」というのと「往人もいて晴子さんもいる」というのとでは話が違います。観鈴が往人に抱いていた「好き」という感情がどういう意味合いのものかはわかりませんが、晴子さんに母親として家族としての感情を描きたいのなら往人の代役であってはならないわけです。
 もちろん、最初から往人なんかいない観鈴と晴子さんだけの物語というのもありなわけですが、この作品で描きたいのが親子の確認であるならむしろその方が正解でしょう。当然その場合は佳乃や美凪のエピソードなんかもなく、本来のゲーム作品のコンセプトとは相当に違った物語になるでしょうけど……

 まぁ中には観鈴に科せられた翼人の宿命こそがこの作品の主題であって、観鈴と晴子さんの話は単に「この星の記憶の1ページ」に過ぎない些細なものだって解釈もあって、その視点に立つなら別に往人がカラスになろうが何になろうが構わないのだろうけど……それはちょっと寂しすぎます。

 最後の最後にこの物語は第1話の時間に戻って、浜辺にいた男の子と女の子の物語が始まるわけですけど、素直に彼らを往人と観鈴の生まれ変わりだとしても、その先に祝福された未来があるのか、それとも永遠の堂々巡りの一コマに過ぎないのか甚だ疑わしいものがあります。
 もし、祝福された未来があるなら何も第1話の時点に戻る必要が無いわけだし、仮に彼らの人生をやり直すにしても、それならそれで、それは国崎往人と神尾観鈴自身の人生のやり直しであるべきでしょうから。
 それに、男の子が最後に呪いの言葉(のようなもの)を投げかけてるのも気になりますね。彼らを見ている往人と観鈴が彼ら自身の過去であるなら、そんな言葉を口にするのは理解できないし……
 仮に、神奈と柳也の末裔は往人と観鈴だけじゃなく、他にも組み合わせが存在し、彼らがそのひとつであって、祝福された未来にたどり着けるのは一組だけとかいう話ならわからなくもないのだけど……そこまでひねっては無いんでしょうね。
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