ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

ジャール平原へ ービアラオを友にー 5

2023年08月04日 | ラオス2023
7月25日 ジャール平原

町中まで朝食を摂りに行く。
今朝はカオピヤックをと思ったが、ベトナム風のフォーで麺は米の麺、具は牛肉の謂わばフォーボー。
やはり東南アジアの麺料理にハズレはない。



美味いコーヒーはないかと歩くとすぐ近くに洒落たカフェがある。
ブラックコーヒーをオーダー。これがなかなか味のいいコーヒーだった。


シェンクアーンには不似合いなカフェ

口直しの茶と共に

9:00出発で世界遺産のジャール平原に石の壺(巨大な壺=ジャール)を見に行く。
現在石壺を見ることができるのは、サイト1~サイト3まであって、サイト1は比較的町から近い。
サイト2とサイト3は少し遠いので、サイト1だけを見ることにした。
何処を見ても石の壺があるだけで、一カ所だけ見れば十分だろうと思ったからである。

見物できる1~3までのサイトは、不発弾等の撤去がなされて安全が確認されている場所である。
ベトナム戦争時に大量の爆弾が投下されて、その不発弾が大量に残っている可能性があって、
未だに全体の調査はなされていないのが現状らしい。
実際サイト1を歩いていると、爆弾投下の後のクレーターが至る所に見かけられる。

さて、久しぶりのバイクタクシーで風に吹かれながら20分弱のドライブ後、サイト1に着く。
途中運ちゃんが信号無視でポリスに捕まり、5分程説教され罰金を払う。(私、思わずニヤニヤ)
サイト1の事務所でチケットを35,000キープで購入し、シャトルバス風の10人乗りくらいのトラックを改造したような乗り物に乗る。
乗り物でそこ1㎞ほどの距離を行くと、すぐに石の壺が見える見物処に着く。


チケット売り場

まずは小高い丘に登り、そこにもいくつかの壺はあるが、下の草原に数多くの壺が散在しているのが見える。
完全に残っているものもあるが、割れたもの、バラバラになったものも多い。
蓋付きの壺はここには一つだけだった。

以下ジャール平原のサイト1風景














爆弾投下後のクレーター

1時間半程ウロウロして、時には日陰で休んでは歩き、
シェンクアーンは標高が千メートルを超えるので、日陰は涼しいが紫外線は強烈で、首筋が焦げそうになる。
遺跡入り口でシャトルバス(?)を待ち、10分後他の乗客と一緒に事務所の場所まで戻る。
結局外国人の観光客には1人も出会わなかった。

なにぶんにもシェンクアーンでは日本人には1人も出会わず、中国人らしきのが数人、欧米人には若干出会った。
世界遺産といってもこんなものだ。
同じラオスのルアンパバーンとは桁違いである。
中国人観光客に侵略されたルアンパバーンに行きたいとは決して思わないが、シェンクアーンも一度来れば十分か。

本来世界遺産指定は、アスワンダムで水没するはずの遺跡を救うために始まったことを考えれば、
ジャール平原の世界遺産指定も観光のためではなく、遺産保護のためとも言える。
そう考えれば大して見所はなくても、今後この遺跡が朽ち果てないように祈るばかりである。

宿に帰った後は、宿の冷蔵庫からビアラオの大瓶(20,000キープ)を出して一杯。
宿のオーナーとバイタクの運ちゃんが顔見知りで、3人でしばらく話し込む。
バイタクの運ちゃんは信号無視違反の罰金がよほど悔しかったのか、
「今日はあのポリス達はハッピーディナーだよ」と言う。罰金でいい飯が食えると言いたいらしい。
すかさず私が、「With Bialao」と揶揄うと苦笑いしていた。

昼食は再び町に。大通りに出てすぐ右にある食堂でビアラオを友にチキンチャーハンを食べる。
多分私が作ったものの方が美味い、という程度だった。


チャーハンは何故か少し甘かった

食後は朝行ったカフェに入り、パッションフルーツスムージーをオーダーするも品切れで、イチゴスムージーに。
これがなかなかの味と量が半端なく、冷房も効いていて文庫本を片手に1時間は粘る。


イチゴスムージー

観光の疲れも治まったので宿に帰って昼寝休憩。
明るいうちに夕食に出かけて、昨日客の多かった食堂に座る。


魚フライとご飯、もちろんビアラオも(本日3本目)

食事中に客が多くなってテーブルは8割方埋まる程の人気店のようだ。
私のテーブルの近くに来た痩せた老婆が、すぐそばの店の一角でジーッと食事を摂る客達を見ている。
席に座るでもなく、物乞いするでもなく、ただ立ち尽くしている。
店の客達は老婆を気にすることもなく歓談し食べている。
私は女将さんに会計の金を渡し、量が多くて食べきれなかったご飯と魚一切れを、
「あのお婆ちゃんに上げてくれないか」と言うと、 女将さんは微笑んで頷いた。
私にはいいことをしたという気持ちは湧かず、気が重くなるだけだった。

ビエンチャンに比べると、シェーンクアンのような田舎町では貧富の貧に属する人の姿が目立つ。
発展途上の国では仕方ないとは言え、それを見せつけられる身には遣る瀬ない。
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