ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

鹿児島へプチ旅行

2018年05月30日 | 日記(?)
1日目

大学のサークルで一緒だった先輩や後輩達と飲むために鹿児島に行ってきた。
ついでに、学生時代はとうとう行けなかった佐多岬も日程に入れる。
途中、7年前に亡くなった後輩の仏前に参りたくて、氷川町に寄る。
道の駅竜北で、氷川ちゃんぽんを食べたあとに、後輩の家を訪ね、しばらく御両親と話をしてから出発する。

八代インターから九州道に乗り、えびのPAで休憩。
コーヒーを一杯飲んで、再び本線に戻る。
加治木ジャンクションで東九州道方面に左折して、国分インターで高速を降りる。
その後は右手に海を望む道をひたすら南下する。
桜島の付け根を過ぎて、「財宝」という水を販売している会社がやっている温泉、
「薩摩明治村」で源泉掛け流しの露天風呂にゆっくりと浸かる。

すぐ近くにあるビジネスチェーンの「AZホテル 鹿児島垂水」に夕方5時にチェックインする。
まだ新しいホテルで、グーグルのストリートビューには出てこない。
桜島が見える部屋で、頻繁に噴煙を吐く桜島と海の風景がなかなかいい。


右が桜島、噴煙が駆け下りた先に陽が沈む

雲と見えるのは拡散した噴煙、その右に真っ黒に新たな噴煙が吐き出されている

夕食は、付属のレストラン「SHIDAKA」のビュッフェ形式だが、ちょい貧弱。
朝夕の2食付きで、5,620円(JAFカード割)ではいた仕方ない。
これに、ビールから焼酎、ハイボール、梅酒など飲み放題が900円のプラス。
飲み放題に弱い私は、意地汚く飲み過ぎました。

2日目

鹿児島志學館大学の女子バレー部が宿泊していて、
そのためか、混雑するので6時から朝食ができた。
6時30分に会場でビュッフェの朝食を食べて、7時30分にチェックアウトする。
桜島は既に噴煙を上げている。


噴煙は鹿児島市内方面に流れているか

宿を出てしばらくドライブしていると、遠くに対岸の薩摩半島にある開聞岳が小さく見えるところにでた。
荒平天神という菅原神社の一つである。
そこの写真は以下です。


小島のすぐ右にある開聞岳。すごく小さく写っている。錦江湾の水は澄んできれいだ

開聞岳2

開聞岳3

道路沿いの色とりどりの紫陽花も満開で美しい。
9時30分頃佐多岬の駐車場に到着する。


北緯31度線

佐多岬の灯台

この先は東シナ海。海は美しい

駐車場のガジュマル

30分ほど滞在して、佐多岬を離れる。
途中面白い標識があったので、そこで開聞岳も撮る。


日本の最北端、宗谷岬までの距離

開聞岳がよく見える

よく晴れた日でした

昨夜泊まったホテルを過ぎて、垂水のみなと食堂に11:30頃着く。
客でごった返していたが、なんとか席について、A定食1,200円をオーダー。
カンパチで名をはせるこの食堂の定食は量が多かった。


手前は市場。先が食堂

刺身、頭のあら炊き、小エビだけのかき揚げ、あら汁等々。完食できず

隣の市場で鯖の一夜干しを買って、垂水港へ向かう。
今夜は鹿児島市内で会食なので、対岸までは垂水フェリーで行くことにする。
桜島まで車で行って、桜島フェリーという手段もあるが、そこまでがかなり遠い。
1時50分のフェリーに乗って、約40分の船の旅を楽しむ。


相変わらず噴煙を上げる桜島


鹿児島市の鴨池港に着いて、そのままホテルへ。
チェックインには若干早いが、快く手続きしてくれた。
飲み会開始前に、後輩が、葉書で応募するしか入手できない「いっどん」という焼酎をホテルに持ってきてくれた。
芋焼酎の杜氏発祥の地と言われる黒瀬で作られるレアな焼酎である。

鹿児島中央駅すぐ近くの居酒屋でOB6人と現役学生2人の8人で楽しくワイワイと飲みました。


左前の若い2人が学生。あとは爺さま達

4人で2次会に行ったのは、駅前の屋台村。日曜日の夜だというのに客でごった返していて、
やっとの事で座ることができた。
あとしばらくで、この屋台村は取り壊しになるそうで、同級のO君は憤慨していた。
確かに勿体ない。

3日目

鹿児島西インターから南九州西回り道の高速に乗り、阿久根インターで降りる。
ここからはまだ未開通で、その後川内、出水と国道三号線を走って芦北インターまで走ったが、
川内や出水などは点々と開通したところから順に通行可能になっていて、
最終的には2020年の全面開通を目標にしているらしい。

芦北の道の駅で昼食を摂って、高速でひたすら帰る。
念願の佐多岬は、快晴の天気もあって海が美しく、最高でした。
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Uさんのミャンマーレポート 番外編

2018年05月17日 | Uさんの旅レポ
Uさんはホーチミンを何度も訪れていて、だからこそあの街でバイクを操れるのだろうが、
当然安宿街のデタムやブイビエン周辺の宿に馴染みができることになる。
ミャンマーからは、ホーチミン経由で途中降機して寄ってきたとのこと。
ということで、ミャンマーレポートではないが、ホーチミンの新しい情報等があるので、載せることにしました。


ホーチミンでは、ファングーラオ通りが一方通行になり、
大型長距離バスの駐車、乗客の乗り降りが禁止になっています。
新交通システムの工事のため、ベンタインのロータリーがなくなっています。

ビナサンタクシーにナビが付きました。
ファングーラオ通りの向かいの公園の地下に、スーパーマーケット、フードコートが出現、
エアコンの効いた中、ベトナムの若者で賑わっています。
いつも昼に行くCOM屋のおやじ、おかみさんが渋い顔で営業しています。
このご時世客足も落ちているのかも。
味は相変わらずうまいのですが、値段はすこしずつ上がっている気がします。


サイゴンビア、飲みたい。com屋は美味いよね

貴殿とお孫さんに朝出会った路上カフェのおばちゃんもけなげに頑張っています。
年々プラテーブル、プライスは減ってきていますが。


宿の前ですね。相変わらずプラ椅子がお似合いの奥様

私の友人大野くんにそっくりのサングラス売りのおにいちゃんも、私達に会うたびに微笑んでくれます。
彼からいままでにもう4つ買っています。
かげで私達は彼をオオノとよんでいます。

昔毎晩のように通っていた店で働いていたトアンと3年振りに再会しました。
今はビーサイゴンで働いています。
私達にも紹介してくれた、かわいい奥さんと離婚し、しょげています。
ひとり息子はメコンデルタの奥さんの実家に預かってもらってるそうです。
スマホにとっている肥満児のひとり息子を笑いながら見せてくれました。

ホテルの客引きをしているバックも元気でした。
もう50をこえたそうです。
勤務先が向かいのホテル(娘のリーが最初働いていました)に変わっていました。
彼から借りるバイクは1日100,000ドンです。
いい小遣いかせぎでしょう。

娘のリーがキムホテルに変わって、もうすぐ1年になろうとしています。
田舎の高校を卒業して、最初のホテル(今バックが働いています)で、
ベッドメーキング、掃除、洗濯をやっていた2016年春に知り合いました。
向かいのホテル(バックが以前働いていました)の3階のベランダに出た私を
「グッドモーニング! ハワユー!」と
Tシャツと膝までの短いジーパンのピチピチした女の子が、
路地の向こうのホテルの3階から、大きな元気な声で呼びかけてきました。
それがリーとの最初の出会いでした。


娘のリーさんかな?

いいもの食ってますな

夕方になると、路地をはさんで、プライスに座り、のんびり雑談をするのが日課になりました。
スマホのLINE無料ビデオ電話で、私達の息子たちと会話をしたり、いっしょに夕食を食べにいったり。

今リーはキムホテルで受付もやっています。
私達にはない若さでしょうか、メキメキ英会話が上達しています(ものすごいブロークンですが)。 
朝の6時半から夜10時まで一生懸命働いています。
今からはキムホテルが私達の定宿となりそうです。

以上、 報告終り。


以上をもって、Uさんのミャンマーレポートを終わります。
ホーチミンは相変わらず激流のように変わっていて、ミャンマーはそれ以上のスピードで変わるのでしょう。
経済自由化の波は、金銭至上主義を生み、20年前に訪れた彼の地はもう、懐古趣味の中にしか存在しないのです。
ただそんな中でも、普通の人は毎日を精一杯生きていて、
本質は決して変わらないことを知っておかないといけません。
そこにこそ私が旅に求めるものがあるからです。
ねえUさん、ご夫妻もそうでしょう。
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Uさんのミャンマーレポート 7

2018年05月12日 | Uさんの旅レポ
VN942便の謎 その3


通路をはさんで斜め右前方のシートに座っていた女性が
いきなり振り向いて、
「日本の方ですよね」と少し訛っているが、流ちょうな日本語で話しかけてきました。
「チェックインのとき見かけたものですから」

どうやらとなりの席は日本人のご主人のようで、こちらを向いて丁寧にお辞儀をされました。
「あのー、100ドルは貰われましたか?」
「は?何ですか、それは?」
「どうもこの中に迷惑料として100ドル貰った人達がいるみたいなんです。
「私達は貰ってないのですが」
「え! 本当ですか?」
「今貰っていないベトナム人達がベトナム航空の職員さんに抗議してます。
どうなるのかは私があなたたちに教えますから」


揉めて当たり前でしょう。アナウンスせーや!ベトナム航空

乗客たちと職員の押し問答が続いています。
斜めうしろの金髪ギャルたちからは、いつになったら出発するのか、とこれまた大声が飛んできます。

私の隣の韓国人男性に100ドル貰ったかどうかそっと尋ねると
あっさり「もらったよ。えっ、お前貰ってないのか?」
チェックインの時、別のカウンターへ行くように言われ、
そこでパスポート、搭乗券を見せ、書類にサインしたら貰えたよ」とニッコリ。

少しずつ状況がわかってきます。
どうやら10時以降にチェックインした乗客たちには100ドルが支払われ、
我々や日本人男性とベトナム人女性のカップルのように、
10時以前にチェックインした者にはナシのつぶて。
そりゃあ貰ってない者たちが怒り、騒ぐのも無理はありません。

ベトナム人にとって100ドルはものすごい大金のはず、
かくいう私だって目の前にあの白い100ドル札がひらめけば・・・・・・
たぶん10時以降にチェックインカウンターで迷惑料を執拗に要求した強者がいたのでしょう。

ハノイでの駐機の間に世間話を隣同士話しているうちに、
貰った、貰ってないが発覚し、大騒ぎになったようです。

「まだ貰ってない人は、タンソンニャットのベトナム航空カウンターで貰えることになったようです。もしよかったら、私についてきてください」
さきほどの女性からありがたい言葉を頂戴しました。
こうして私達はめでたくビッグマネーを手にすることができたのです。
意外とベトナム航空もいいエアラインかもしれません、フフフ。

もちろんいろいろお世話になった、日本人男性と国際結婚されているベトナム人女性には丁寧にお礼を言って別れました。ラッキー!!

追記

今考えてみますと、100ドルの件、英語でのアナウンスは
一切なかったので、貰ってない不幸な人々も多数いたかもしれません。 
さてこの100ドルX約100名分 どこが負担するのでしょうか?


私からの返信


こりゃ意外な結末。
Uさんがお得で終わるとは、想像もしませんでした。あな悔し。
終わりよければ全てよし。
100ドルなら、私もハノイ経由にします。

今年後半に、プノンペンーホーチミンー福岡の便を考えていますので、
ハノイ経由の上、一人200ドルの迷惑料を払うよう交渉してきます。

放送しなかったのは、今流行の隠蔽ですな。
黙ってりゃ分からんし、ごねるやつだけ黙らしとけばいい、という発想でしょう。
それにしても運がいい。
日本語女性が声を掛けなければ、貰えるはずの100ドルも幻だったというわけですね。
本当にラッキーでした。

今後の旅行の参考に致します。
何かあったらごねます。

さて、約1万ドルという多額の弁償金の負担。
ミャンマーが支払うべき金なのでしょうが、とてもそれは考えられない。
ベトナム航空の裏金かな。
ベトナム政府への貸し、としてベトナム航空が負担した、というところではないでしょうか。
穿ちすぎかな。
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Uさんのミャンマーレポート 6

2018年05月10日 | Uさんの旅レポ
窓の外を見ると、そこにはミャンマー、ベトナムの小旗を振る少年少女たち、軍楽隊、儀仗兵たち。
さらに黒塗りの高級外車が次々とやってきます。
タラップが取り付けられます。軍楽隊が演奏を始めたようです。
しかしさすが飛行機、気密性が高くまったく音が聞こえません。
まるでサイレント映画のようです。


民間機で国家訪問とは、いやはや

儀仗兵たちが隊列を移動させ始めます。
何やらいかめしい制服を着た人物を先頭に、数人がタラップを降りて行きます。
「ささげ、つつ!」 「敬礼!」とでも言っているのでしょうか。
全くのサイレントです。その人物が出迎えに来た人々と、次から次へと握手をかわします。
そして高級外車に乗り、あっという間に去って行きました。


おまけにVIAハノイでお出でになるとは

ものの5分ぐらいだったでしょうか。ショーは終わりました。
あとで聞くと、どうやらミャンマーの将軍がハイジャックしたようです。
我々に事前通告、説明ができなかったのは、ミャンマーの政治的な理由からのようです。

それにしても自分たちの都合に合わせて、民間機の時間、ルートまで無理矢理変えてしまうとは、さすが東南アジア。
拍手喝采です、ほんとにもう。
あとは前方の扉を閉めて出発するだけです。
ところが乗客の一部が立ち上がり、大声を出し、
何やらキャビンアテンダントのおねえちゃんたちにくってかかっています。
それがどんどん機内に広がっていきます。
ベトナム語なので私達外国人たちは蚊帳の外、
呆然として、互いに顔を見合わせています。

機外からベトナム航空の職員らしき男性も数人入ってきました。
大声で叫ぶ乗客たち、それをなだめようとする職員たち。
どうなるんだVN942便、いいかげんにしろよ。何があったというんだ?

VN942便の謎 その3に続く


私からの返信

進路変更の理由は、ナッツ姫ではなくて、将軍様でしたか。
恐るべし東南アジア。
貴重な体験をなさいましたなぁ。
正直、したくはなかったでしょうが。

ミャンマーも銭コがないのでしょうか。
スーチーさんはこのような非道をご存じだったのか、訊いてみたいところです。

さらなる火の粉とは?はて、引っ張りますなぁ。
私が想像するに、
ベトナム人乗客の誰かが、「オレもついでに降ろせよ。寄ったついでにハノイに住む祖父様の家に寄るんだ。」
それにつられた男や他の数人が、「オレもオレも、ハンガイ通りにあるキャバクラのリェンちゃんに会いたい。」
てな具合に、「オレオレ」騒ぎになってしまったとか。
は、ないか。
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Uさんのミャンマーレポート 5

2018年05月08日 | Uさんの旅レポ
ミャンマーの映倫についての報告

高倉健を倍償千恵子の待つ家に送り届けた鉄矢とかおりが涙を流しながら、夕張の町を去って行きます。
赤いファミリアの中で自然に手と手を重ね合うふたり。
そして車を路肩に止め、見つめ合い唇と唇を・・・・・・・・・
カットが替わり、ふたたび見つめ合い唇と唇が・・・・・・・・
まるでイタリア映画の名作「ニューシネマパラダイス」そのものでした。
健全なのか、不健全なのか私にはよくわかりません。
テレビの前で、生唾を飲んでいるのか、はやしたてているのか。

韓国のオモニ達の件、昔日本のヤクザ、プロ野球選手に流行したアレではないですか。
日本ではヤクザもプロ野球選手も卒業しましたが、
オモニは頑張っていまでもパチパチパンチ、原色のピンク、赤を身に纏い、
パチパチパンチのたわし頭(ついはしたない表現をしてしまった私をお許し下さい)でガニ股歩き。 
正解はパンチパーマ、別名たわし頭でどうでしょう。


正解の証拠写真

3月30日(金) ホテルの屋上で朝食をとった後、フロントへ行き、
ホーチミン行き(VN942便)の出発時間12時15分に間に合うよう、
9時にタクシーを手配してもらい、10時前に空港へ到着。


さくらタワーから見たヤンゴン市内(7年前の写真で済みません)

チェックインカウンターが開いていたので、Eチケットとパスポートを出し、手続きしようとしたところ、
「申し訳ありませんけどVN942便はハノイ経由となり、搭乗時間も14時45分に変更になりました」と突然の通告。
「キャンセルされたの?」と私。
「いえ、キャンセルではありません。時間とルートが変更になったのです」
「なぜ?どうして?」 混乱するばかりです。
「私達にはわかりません。

とにかくハノイ経由で14時45分発でホーチミン着は19時になりました」とカウンターのおねえちゃん。
「ハノイに行く乗客がいるの?」と私。
「いえVN942便はホーチミン行きです」とおねえちゃん。
「そりゃおかしいじゃないか。どうしてわざわざ遠回りして行くんだ。
「こんなことは聞いたことがない(怒)」なぜかすらすら英語がでてきます。

となりのカウンターにいた別のおねえちゃんも「わたしたちもわからないんです」と弁明してきます。
家内に事情を話し、見つめ合う私達。(鉄矢とかおり?)
どう考えても正三角形の二辺を飛ぶことになります。
ハノイへ行く乗客もいないのに、なぜホーチミンへ直行しないで、遠回りまでして、ハノイへ行かなければならないのか。
いくら考えてわかりません。

空港内の出発案内ボードが via HANOIと変わりました。
どうやら本当にハノイ経由のようです。
ホーチミンの私達の娘リーから次々とLINEが入ってきます。
「DAD、MOM、 もうすぐ会えるね、何時に着くの、早く来て」
いらいらして、「ベトナム航空はもううんざりだ。二度と乗らない」と悪態をつき、スタンプを送ります。

搭乗ゲートのイスに座っていると、ベトナム航空の関係者が現れ、
機内食と水を配り始めました。ふとガラス窓の向こうを見ると、VN942便がボーディングブリッジで待っています。
なぜ飛ばないんだ、どうしてハノイまでわざわざ行くんだ。
そしてどうして何も説明がないんだ。

搭乗率は50%前後でしょうか。無事ベトナム時間17時前にハノイに着陸。
なぜかターミナルをそのまま通過します。
あたりまえですか、降りる乗客がいないのですから。
ゆっくりとVN942便が止まりました。


誘導路を進むベトナム航空のVN942便

しばらくすると進行方向左側の乗客たちがザワザワと騒ぎ始めました。
みんな窓の外をくいいるように見ています。
我々二人も左側に座っていたので、みんなにつられて外を見ました。
「オオオ・・・・・・」と思わず声をあげた私。
「わあ、すごいすごい」と家内も大興奮。

VN942便の謎その2に続く


私からのレス

この展開、韓ドラ並みだなぁ。
一番いいとこで「続く」だもんなぁ。

しかし訳が分かりませんな。
どう考えてもあり得ないハノイ経由、燃料費だってバカにならんでしょうに。
乗客に迷惑をかけるてるけど、なんて感覚は彼のベトナム航空にはもともと存在しないでしょうから、
恐縮もしないし、説明もしない、これはよく分かります。

もしかして、偶然乗り合わせたベトナム航空のナッツ姫のせい?
「ハノイ経由して私を降ろしてからホーチミンへ行きなさいよ。」
てなことで、黒塗りのベンツが飛行機を迎えに来ていたとか。

そう言えば、武田鉄矢は思いを遂げたんでしたね。
ミャンマーでは、あれでもエロいのか。
ということは週刊現代や週刊ポストを持ち込むと、相当稼げるか、それともかなりヤバい事態になるのか。
週刊実話だと、禁固刑ですな、きっと。

さすがに韓国オモニに精通したUさん。
正解!です。
今回の旅行で気付いたのは、パチパチパンチの確率が異常に高いことです。
あ~あ、そうだったのかと、やっと納得したのです。
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