ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

10年ぶりのミャンマー

2012年04月10日 | ミャンマー2011
2011年12月、約10年ぶりのミャンマーに行ってきた。
アウンサン・スーチーさんを自宅軟禁から解放し、政治犯の釈放に踏み切ったことで、
現政権は海外からの経済制裁解除のカウントダウンに入っているせいか、
以前より観光客も増え、国全体として、非常に活気のある雰囲気が漂っている。

さて、ヤンゴンに着いたのは夜。
タクシーでセントラルホテルに行き、現地ツーリストの係員とロビーで打ち合わせをしてチェックイン。
翌朝、両替のために公認両替所に行く。つい最近まで実勢レートと公認レートは驚くほど差があったが、
今では実勢レートに即した両替ができるようになたため、アウンサンマーケットなどでの闇両替の必要はなくなった。

両替の後、フェリー乗り場に行き、対岸に渡る。
ここからピックアップで陶器で有名なトウェンテに行く。
このピックアップには驚いたことに警官と手錠で繋がれた男が並んで座っている。
犯罪者の護送と同じ荷台に乗るとは。いいんだろうか、これで。

トウェンテの町の途中の寺の前で降りたため、さっぱり地理が分からない。
それでもミャンマーには救いの神が仏像の数ほどいて、親切に教えてくれる。
その寺の前から馬車を雇って、まずは昼食へ。

トウェンテの食堂でミャンマー料理
早々にミャンマー料理の洗礼というか、味はいいんだが呆れるほどの油濃さに皆吃驚。

夜の食堂は中華風で味よし生ビール良し。隣の男性客とロンジー談義。

翌日はさっそく飛行機でバガンへ飛ぶ。
今回は、前回見られなかったエヤワディー河の方に沈む夕陽を見ることにある。
雇った馬車は、大人4人乗るというと、かなり渋ったが、それでも了解してくれた。

馬車の御者(ホースドライバー)と漆器工場で一休み

夕陽に染まるパゴダ群

エヤワディ川の向こうに沈むバガンの夕陽
夕陽までを堪能して、翌日はポッパ山観光に行った。
ポッパ山のマウンテンリゾートから見る、なんとかという寺のある山は、天空の城ラピュタを思わせて絶景だった。(下)


バガンからは車をチャーターして、途中ザガインヒルに寄り、マンダレー市内に午後4時頃着いた。

ザガインヒル周辺には数多のパゴダがある。
途中高速道路ができていたのには吃驚した。
マンダレーでは着くとすぐエアバガンの事務所に行き、へーホーまでの飛行機のリコンファームをする。
夕食はミャンマービアステーションまでかなり歩いて行く。
ここでビールを飲みながら皆既月食を見る。

翌日は郊外のアマラプラに行き、ウーペイン橋を観光し、

ウーペイン橋。木の橋で長さ約1.6㎞。今でも使われている。
動画はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=nssM3O6Iyo8&feature=channel
すぐそばの寺で、お坊さんたちの昼食風景を見に行く。
1,000人以上の僧侶がいる寺には、遙かバンコクからの寄進の団体もいて、
そういう信心深い人々の喜捨によって運営されていることが分かる。

昼食風景。これも観光の一つ。
アマラプラ往復は地元のピックアップを使うのだが、言葉が分からないと運賃をボラレそうになる。
しかし、乗り合わせた乗客の人たちが、正規の料金を教えてくれるので、まず騙されることはない。
夕方から、乗り物を3回乗り継いでやっとマンダレーヒルに着き、念願の夕陽に間に合った。

マンダレーヒルからの夕焼け

マンダレーからは、翌日飛行機でへ-ホー空港に着き、ゲストハウスの送迎車でニャウンシュエへ。
この空港は非常に交通アクセスが悪く、公共交通機関は全くない。
そのため少々割高でも、タクシーや送迎車に頼るしかない。
この日はニャウンシュエの町の市場などを自転車を借りて4人でウロウロした後、
Nさんと男2人で洞窟寺院を目指した。

途中のガソリンスタンド(?)

向こうの集落に洞窟寺院はある。
結構な距離があり、高低差もあったので自転車とはいえ少々疲れたが、
出会った人々の親切や、純朴さに触れて楽しい2時間だった。

翌日はボートをチャーターしての1日インレー湖の観光。



足で漕ぎながら網を操る、独特の漁法

同宿の日本人女性1人が加わって、5人で一艘。
まず有名な5日市の今日の会場になっている所に行く。
船を下りて約40分ほど歩き、物凄く賑わっているローカル市を見物。

古いバゴダと新しいパゴダが同立する遺跡。
その後は寺院を中心にインレー湖定番の場所を回って、帰りは夕陽が沈む頃になった。
この夜は私の誕生日だったので、Nさん御夫婦がワインを提供してくれて、誕生パーティーとなった。

ワインを吟味するNさん夫人

翌日再び宿の送迎車でへ-ホー空港に行き、ヤンゴンに飛ぶ。
再度セントラルホテルにチェックインし、アウンサンマーケットで土産を物色。
夜のシュエーダゴンパゴダとスーレパゴダをみた後、生ビールのあるレストランに行く。

翌日は、夜の便だったので、午前中にシュエーダゴンパゴダを観光し、

シュエーダゴンパゴダ
午後はスパーマーケットに行ったりした後、サクラタワー最上階のレストランに行き、
最後のチャットを計算しいしい、ビールとコーヒーなどを注文。
ここからはヤンゴン市内が見渡せ、ひときわ威容を見せるシュエーダゴンパゴダが美しい。

サクラタワーからみるヤンゴン市内
午後5時には、ホテルに預けた荷物を受け取って飛行場へ。
バンコク乗り継ぎで福岡へ帰る長い旅になる。
これにてミャンマー2011は終了。


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チェンマイでコムローイを飛ばそう

2012年04月03日 | タイ2011
2011年10月25日から10日ほどの予定でタイに行ってきた。
主目的は、チェンマイのロイクラトンという満月の夜にある祭の、
いわば前夜祭的な催しで、郊外の寺の境内で、
コムローイという紙灯籠を夜空に飛ばす祭に参加することだった。

ロイクラトンという、日本で言うしょうろう流しは世界遺産の町スコータイで始まったものだが、
今は、チェンマイやバンコクでも催されている。
この時期、バンコクは洪水の危機にさらされていて、中止になったが。

さて、29日のコムロイ祭だけでは勿体ないと言うことで、まずはチェンライに向かった。
夜は相変わらずの、ナイトバザール通いでビールを飲み、



昼はブラブラ歩いてはカフェで休憩し、夕方は極安のマッサージをやってもらう。
暇があれば宿の外のテーブルで本を読んだり、ネットをしたりと過ごす。

せっかくだから、チェンコーンに1泊2日で出かける。
ここはメコン川の対岸は既にラオスで、イミグレーションもある。





今回はメコンの夕陽や朝日を見ながら、宿のテラスでのんびりとチャンビアでも頂くか、という趣旨。
なかなか良いゲストハウスが揃っていて、本さえあれば2,3日はゆっくりできる。

29日にチェンマイに移り、スターホテルにチェックイン。
コムローイ祭は自分で行くには少々困難なので、ハッピーツアーにお願いしていた。
ワンボックスに乗せられ、現地に着くと日本人も100人単位で参加しているようだ。
まずは読経があり、いろいろと祭事があって、いよいよコムローイに点火して飛ばす。



1,000は超えるだろうというコムローイが一斉に夜空に舞い上がる光景は幻想的で、





これを見るだけでもチェンマイに来た甲斐があるというほどだ。
動画については下記のユーチューブにアップしてある・
http://www.youtube.com/watch?v=i_Dsji7bX9s

翌日には、以前メーホーソンに行ったとき寄りたかったが果たせなかったパーイという町に行ってみた。
山間の小さな町だが朝夕は涼しく、それに誘われて多くの観光客が滞在している。



欧米人が多く、日本人はほとんど見なかった。



翌日はバイクを1日借りて、滝や温泉、かって日本軍が作った鉄道跡などを見て回った。



この町はかなりお気に入りの町になって、できるならロングステイでもしたい感じだ。

2泊した後チェンマイに帰り、鉄道駅に行ってバンコク-チェンマイ間の往復チケットの払い戻し手続きに行った。
例の洪水で列車が不通になり、往復とも航空機に変更したためである。
駅の窓口では気持ちよく対応してくれて、1,700バーツほどのチケット代全額返ってきた。
ということで、今晩は寿司でも食って大いに贅沢することにした。

次回は、コムローイ祭からロイクラトン本番までタイに滞在してみようと思いながら帰国。
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