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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



イスラエルの軍事力を知っていますか?

イスラエルは世界最強の防空システムといわれるアイアンドームを保有して

おり、その迎撃率は90%とされる。

また無人兵器ガーディアムなど独自の兵器を開発している。

 

もし ハマスの幹部が パレスチナの人々を愛するなら 過酷な 報復を招く

ロケット弾攻撃など するはずがない。

もし彼らの知能が著しく 劣っていないとするなら すでに パレスチナを

裏切り モサド (有能なイスラエルの諜報機関)に降ったと視るのが

妥当でしょう。日本の原発の全てが イスラエルの手に握られていることも

忘れないでください。

 

 

イスラエルの最高裁にイルミナティの「目」が

イスラエルの最高裁にイルミナティの「目」が

(画像:イスラエル最高裁の全景。Attractions in Israel)エルサレムには、すでにロスチャイルドの資金によって、イスラエル最高裁判所の奇妙な建物が完成しており、「プロビ...

 

 

ハリマオさんの遺言 のような 気がする

 

この建物はイスラエルの「レイライン」の真上に建てられているそうです。

すでに準備は整った。後は、スケジュールどおり実行するだけ、とでも言いたそうです。

こうした種類の“人間もどき”のやることに、いちいち恐怖することはないのでしょう。
争う必要もない。彼らに「感応」しないことが「乗り越える方法」だと思います。
こうした事実を知っておく必要はあるのでしょうが、同じステージで踊らされるのはごめんです。
それでは、いったいどうすればいいのでしようか。

まだ分かりませんが、どうも「祈り」のような気がします。
宗教的なものではなく、儀式的なものでもなく、

心からの祈り。


利他愛の心? 人間として大切な心です。
でも、それも違う。宇宙の進歩と合一していくような祈り。
恐怖を捨てて、その流れを受けいれること。

「彼ら」も何らかの必要があって、この世に存在することを許されているのでしょう。
その意味を悟り、受け入れる心を持たなければ、私たちも結局は「彼ら」と似たり寄ったりかもしれません。



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日曜日 長野滞在中 牧場に行きたくなった。記憶にあるそこは 気流がぶつかるところ で雨境峠のすぐそば 車を走らせて見ると蓼科第二牧場だった。”鳴石”より もうひとつの石のほうが気になった。パワーの強弱があり 両石に指し示す方向があった。家に帰って 地図をあけて わたしは目をうたがった。

カン違いも甚だしい。わたしは八ヶ岳を清里のほうにあると漠然と考えていた。安曇野は諏訪よりもっと名古屋寄りとおなじようになんとなく考えていた。実際は安曇野は新潟寄り わたしは何度となく 蓼科山の周辺を車で走っていた。

蓼科は長和町とはまったく氣がちがうと書いたことがある。ところで鳴石は佐久の方ともしかすると その反対方向を指しているように感じた。方位磁石を次回は持って行こう。

蓼科山について遅ればせながら 調べてみた。別名 女の神山 高井山 位山

① 蓼科山の余所見滝には役行者が奉斎した「水分大神」が鎮座し、川菜やヒサゴを献上し火除祈願や、雨乞いをした。今はその場所に不動明王が祀られている。

   水分大神 不動明王 ⇒瀬織津姫 

② 蓼科山中に二つの山がはさむ格好になった池があり、双子池と呼ぶ。この池には、闇御津羽大神(くらみずはのおおかみ)が鎮座する。夏になると龍神がここから水をあげ、日本中を潤すという。 天竜川は蓼科山から発する。

   闇御津羽大神 龍神 ⇒瀬織津姫 

③ 佐久に白山神社がある。この「白山神社」からみる冬至の太陽は、蓼科山山頂に沈む。

   白山神社 菊理姫 ⇒瀬織津姫

蓼科山からみちびきだされるのは ひとつのたいせつなキーワード

何年か前から気になることがあった。別荘地 蓼科の蓼科神社が 荒れ果てていたことである。神さまの御愛情は無限だが 守ることで守られる もまた真実だ。わたしは3.11前の飯館村の3つの神社が荒れていたことが忘れられない。

なぜ 3.11以降 惹かれるように長野にきたのか 周辺を歩き続けたのか もう一度考えてみたい。

和歌山 半島 龍神をたずねる旅 そして 戸隠からそれはつながっていった。

 レイライン ⇒ こちら

 

 



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熊本神社 阿蘇神社 は 報道が ありますが ......

幣立神社を検索しているのですが とくに 報道がありません。

なにごともありませんように....

 

ご参拝してみないと わかりませんが 

幣立神宮は 古く あたらしい神社です。

太古の森があり レイライン の 起点のあたり に 立てられました。

レイラインを補強する やくわり ??

 

 

.... 一月亡くなった義父は会津の出 でした。

熊本神社の惨状を見て .... 戊辰戦争あとの崩れ破れた会津城のすがたをおもいだしました。

熊本県民のみなさま 復興は かならず できます。

この今も眠れずにおられる方々がおいででしょう。

一刻もはやく もとの 暮らしにちかづきますように。

 



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① 長野

土日は長野におりました。

158円/l 159円/l の ガソリンを50l 入れてゆきました。

長野はガソリンが高い 169円のGSもあります。

物価はやすい 南高梅 和歌山産が 488円/k でした。こちらでは 780円くらいです。

とても好きな諏訪一本木神社にお参りしました。御柱が一本だけ立っています。そこのご神木の氣が

素晴らしい。

帰り 事故渋滞で7時間かかりました。

翌々日は 茨城 つくば道 筑波山神社の昔ながらの参道にむかいます。

車一台 やっとの道 とちゅう 右折 蚕影神社へ.....

② 蚕影神社

蚕影神社は人の気配もなく鎮もっていました。石段は草むして のぼりながら 抜きました。

明治を支えたのは おんなたちの養蚕であり 養蚕が盛んなころは 参拝客でにぎわってであろう

この神社に今はおとなうひともまばらなようです。

筑波神社の姉ともいわれております。

この地方は養蚕が盛んで 小貝川 は実は蚕飼川であり 糸繰り川もあります。

神さまがお気の毒で なんとかならないものかと思いました。

すでに石垣がくずれはじめているのです。

筑波神社さん なんとかしてください。おねがいします。

そのあと 六所神社跡へ.....

③六所神社跡 祭祀跡

筑波山神社の大祭は 4月 11月の御座替祭ですが ふもとの六所神社とのあいだででおこなわれていたようです。

もともとは 夏至と冬至に行われていたので 古代祭祀の名残ではないかと思われます。

その後 神仏混合となり明治の廃仏稀釈で中善寺は取り壊されました。そしてその後

明治2年(1869年)9月、白川伯王家の白川資義を祭主とする。

白川伯王家 思い出してください。天皇の即位のとき 祝 はふり の神事を行っていた神職の家です。

もともとの神々が時代とともに とりかえられてきた経緯はここにもあります。

太陽信仰 ⇒ 筑波男ノ神 筑波女ノ神 ⇒ イザナギイザナミ

六社神社に祀られていたのは 筑波男ノ神 筑波女の神天照大神と三貴子 と蛭子の神 でしたが

明治41年にはとり壊されてしまいました。

大正2年跡地を照修徳会という宗教法人が整備しました。皇大神宮の石碑等が立っており 参拝しようとしましたが

気分がわるくなり 離れたところでお山を拝しました。

中腹と 上のほうにイワクラがあり そこまでいこうとしたのですが なにかはばかられ 途中でおりました。

中腹のイワクラには なにか燃やしたような跡がありました。

④ 筑波山 太陽信仰 レイライン

【寺野東遺跡】には冬至の日の出が筑波山の鞍部(女体山と男体山の間)からさし込みます。同様に筑波山山頂からは鹿島神宮方面の海から上ってくる太陽を拝むことが出来ます。

冬至における日の出線は夏至における日の入り線でも有ります。縄文人は鹿島神宮から筑波山に沈む太陽も参拝したのです。

【寺野東遺跡】

 関東地方の縄文遺跡は決して珍しくはないが、ここは一風変わっている。縄文人の集落跡の周囲が円形に土を盛り上げた形になっている。栃木県南部の小山市にある寺野東遺跡の「環状盛土遺構」だ。
 1995年までの調査で明らかになり、以降、同種の遺構は関東各県はじめ東北、九州でも続々と出てきた。千年間にもわたって縄文後期の人々が定住し、土木・建築の高いレベルの技術を持ったことがわかった。
【日本の史跡101選】【寺野東遺跡】から抜粋
http://www.adnet.jp/nikkei/shiseki/contents/083.html 

【寺野東遺跡】の盛土は五つに分かれ【冬至の日の出・夏至の日の入り線】には土が盛られていません。掲載した図の左右を見比べてください。

「環状盛土遺構」はスト-ンサ-クルが変形したモノと言えるでしょう。土が盛られていない部分は他に三カ所有るので他の遺跡の場所を暗示しています。

鹿島神宮の地は【夏至・冬至の太陽祭司施設】として縄文時代から極めて重要な場所だったのです。

⑤たぶせ 岸 安倍一族 天照皇大神宮教

検索していたら 天照皇大神宮教というのがありました。 見たことがある名前だ...

清和会 と関係があったようです。 ほかにもいろいろでてきました。

⇒ こちら

⑥ 天狗党は筑波山で旗揚げ 尊王攘夷だが 敬幕だった。

⇒ こちら

ちなみに幕末の天狗党は、筑波山、太平山にこもっています。

御座替祭の先頭に立つのは天狗  筑波山のとなり加波山も霊山 イワクラがあるが 天狗が大勢いたという。

 

⑦ 筑波は江戸城の守り 高尾も江戸城の守り

江戸時代に整備された、筑波山への参詣道「つくば道」. 筑波山は江戸城からみると北東の方角にあり、鬼門にあたります。かつて徳川家康は「鬼門の護り」として筑波山をあがめ、中禅寺(現在の筑波山神社)を祈願所に定めました。

その中禅寺が廃されました。

筑波のお山は巨大アンテナを立てられたことで 力を失った。 

高尾はトンネルを通されたことで力を失った。

 .......

混沌のなかに なんだか 見えてきたような気がします。

明治維新のとき 関東東北で あたらしい国をつくっていたらどうだっただろう....



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ようやく一年半振りに想いを果たすことができました。

電車をのりつぎのりつぎ上総一の宮駅へ 途中蘇我駅で友人と合流しました。実は蘇我駅でレンタカーを借りる予定だったのですが うっかりわすれ そのことで思わぬ出会いもあったのですが それはさておき 一宮駅に到着しました。徒歩で5から10分 商店街を抜けて玉前神社につきました。修理中ということで御本殿を見ることはできませんでしたが わたしは左の築山のようなちいさな山から強いパワーを感じました。

さて つぎに玉前神社の元宮にあたる玉崎神社に向かいます。場所をおたずねしようとTELしますと なんと駅まで迎えにきてくださるとのこと 二つ目の駅大東駅に向かいます。車で10分ほど こんもりと森が見えてまいります。ふるびた石のきざはしを登ろうとすると あっ 黄色の蛇が赤い舌をチラチラさせてお出迎えにきてくれました。それはとてもいいシルシです。玉崎神社は....なんといったらいいでしょう。屹然と 凛と 立っていました。手と口を浄めご参拝すると熱いものがこみあげてまいります。右手に琴平神社があります。森に囲まれてそこだけ古代に遡ったような異質の気 とても父性的な気でした。ちいさな石の祠 ..... けれども わたしは あまりおそばには寄れないきもちでした。ここも また 特別な場です。琴平神社の御祭神はおおものぬしです。オオモノヌシは龍蛇神でありニギハヤヒといわれます。

玉崎神社の代々の神主さんは物部の直系とのことですが オオモノヌシは物部の氏神ですからそれはとても納得できることですね。

この神社のそばに神洗神社があり 今は畑に埋もれて井戸があります。そこは御祭神が上陸しからだをあらわれたという由緒があるそうですが 日本の神のほとんどが氏神 かつてこの世にいらした方々なので 物部一族が上陸した場所と考えてもよいと思っています。琴平神社のちょうど反対側 崖付近にともとても強い気を感じる場所がありました。

わたしには 少々もったいない気持ちがありました。かつては安房神社・香取神宮と共に「房総の三大神社」と称されてきた古からうけつがれてきたお社 これだけ強い霊力のひきあいの場をうらさびた状態にしておくのはもったいないという...外部のものが口を出すようなことではないのですが そんなふうに感じたのです。

玉前神社の御祭神:玉依姫命

玉崎神社の御祭神:豊玉毘売命・火遠理命・鵜茅葺不合命

火遠理命はみなさんもよくご存知の山幸彦です。山幸彦は兄の海幸彦 火照命の釣り針を落とし 海底のわだつみの神の宮殿に行きます。海神の娘豊玉姫はその妻になり子どもを身ごもり 子を産むために産屋を立て「 ぜったいに見てはいけませんよ」 と夫の火遠理命と約束するのですが火遠理命はその約束をやぶって覗いてしまうのです。......見れば妻はわにのすがたで子を産んでいました。 姿を見られたことを恥じた豊玉姫は海にかえってしまいました。豊玉姫は海辺に鵜の羽を茅葺きの材料として産屋をつくりました。生まれた赤子は鵜茅葺不合命です。豊玉姫は赤子を育てるために妹の玉依姫命を遣わしました。

玉依姫命の玉依は霊依で、タマは神霊、ヨリは人間に憑る(ツク)ことであり、神霊が憑依する女、即ち巫女のこと。

玉依姫は鵜茅葺不合命の妻となり 、四人の子を産みました。末子は神武天皇(カンヤマトイワレビコノミコト) これは古事記のものがたり。

一方 日本書紀では玉依姫は天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵命を産んだとされます。

天火明命=天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊 ニギハヤヒ オオモノヌシです。瓊瓊杵命=神武天皇の父 『日本書紀』の一書では瓊瓊杵命ニニギノミコトを天火明命の子とするそうです。

さて みなさん どう思われますか? 古事記 日本書紀は ヤマト朝廷の正当性を内外に示すためのPR文書でした。ツジツマ合わせに随分苦労した感じがありますね。ニギハヤヒが最初に国を統一した そのことを伏せるためのツジツマ合わせです。

このあたりでは 玉崎神社が本宮のようです。(中原にも玉崎神社がありますが こちらは元郷社 社格が違います。明治以降の社名の変更のようですね。) 玉崎神社にある琴平宮 わたしはこちらのお宮がもっとも由緒正しいもののように思います。物部一族がこの地に上陸した....その伝承をうけついで 海幸 山幸のものがたりをつくった......今日はこのあたりまでしかかけませんが もうすこしなにかが出てくるかもしれません。

これはおまけですが 豊玉姫は天速玉姫と同じ神という説もあり 天速玉姫を速い滝の神とする説などもあります。さてみなさん滝の神といえば......。

もうひとつ レイライン(春分 秋分の日 タマサキ神社から出雲大社を結ぶ線)のタマサキ神社って いったいどちらでしょう? 中川とは思えません、玉崎神社はもっと海よりにあったそうなので 気からしても この玉崎神社のことなのではと思いますが。

玉崎神社は 今一度ご参拝させていただきたい神社です。今回はご参拝できなかったので 神洗神社 安房神社 次回にぜひ寄らせていただきたく思います。 

異類の者と結婚し、何かをするのを見るなとタブーを課し、そのタブーを破られて本来の姿を見られて別れるという話は世界各地に見られる。日本神話でも同様の説話が何度か登場し(神産みの黄泉訪問説話など)、民話でも鶴の恩返しなどがある。また、そういう説話では、異類の者との間に生まれた子の子孫が王朝・氏族の始祖とされていることが多い。

鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)

天皇につながる神が皆「稲」に関係のある名前である中で、鵜草葺不合命だけが稲穂と無関係になっている。この理由については様々な説がある。ウガヤフキアエズには事績の記述がほとんどないことから、後から作られた神ではないかとする説もある。その理由は、山と海の力が合わさったこの神によって、天皇が山から海まで支配するその支配力を表すためとしている。



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思えば 3.11以前 茨城を中心に 神社のお参りをつづけ 最後に参拝したのが加波山神社 3月になったら参拝しようと思っていたのが 上総一ノ宮玉前神社 元宮 玉崎神社でした。震災で果たされなくなり その後 長野の聖地をまわっていました。玉崎神社から出雲大社は一直線で結ばれるレイラインがあります。そしてここにも龍神の気配があります。玉前 玉崎 両神社摂社にに オオモノヌシ(ニギハヤヒ)が祀られているようです。

 

地元の産土の神社のお参りはたいせつです。そして一方で 一刻もはやく 千葉周辺 富士山周辺 元伊勢 元熊野へ 参じたいとこころがうづくのです。どうかおちかくのみなさま おいでになって 祈ってください。

レイラインと呼ばれる直線上の聖地

春分の日 千葉県外房の上総一ノ宮にある玉前神社では、真東を向いた参道から登った太陽の光が参道と一の鳥居二の鳥居を突き抜けて、西へ向かっていく。その光は、東京湾を渡り、寒川神社 さらにその先、富士山頂、日蓮宗の聖山である七面山、琵琶湖竹生島の弁財天社、大江元伊勢のご神体山である日室岳、大山の大神山神社、そして、出雲大社へ。

出雲大社 ご祭神オオナムチ

大山 大山そのものがご神体 山頂大神山神社奥宮に祭られているのはオオナムチ(オオクニヌシ)

元伊勢のご神体は日室岳 奥宮籠神社 祭神は彦火明命 ニギハヤヒ!

竹部島神社御祭神は 市杵島比売命  (弁財天) すなわち瀬織津姫

七面山 七面大明神=弁財天= 瀬織津姫としか考えられません。

「此の御神と申すは本地は弁才天功徳天女なり。鬼子母天の御子なり。右には施無畏の鍵を持ち、左に如意珠の玉を持ち給ふ。北方畏沙門天王の城、阿毘曼陀城妙華福光吉祥園(あびまんだじょう みょうけふっこうきっしょうえん)にいますゆえ吉祥天女とも申したてまつる。

 山を七面といふは、此の山に八方に門あり、鬼門を閉じて聞信戒定進捨懺(もんじんかいじょうしんしゃざん)に表示し、七面を開き、七難を払ひ、七福を授け給ふ七不思議の神の住ませ給ふゆへに七面と名付け侍るとなり。此の神、末法護法の神となり給ふ由来は、建治年中の頃なりとかや、聖人読経の庵室に廿(20)ばかりの化高き女の、柳色の衣に紅梅のはかま着し、御前近く居り、渇仰の体を大旦那波木井実長郎党共見及び、心に不審をなしければ、聖人はかねてそのいろを知り給ひ、かの女にたづね給ふは、御身はその山中にては見なれぬ人なり。何方(いづかた)より日々詣で給うとありければ、女性申しけるは我は七面山の池にすみ侍るものなり。聖人のお経ありがたく三つの苦しみをのがれ侍り、結縁したまへと申しければ、輪円具足(りんねんぐそく)の大曼荼羅を授け給ふ。

 名をば何と問い給へば厳島女(いつくしまにょ)と申しける。聖人聞し召し、さては安芸国厳島の神女にてましますと仰せあれば、女の云く、我は厳島弁才天なり。霊山にて約束なり、末法護法の神なるべきとあれば、聖人のたまはく、垂迹の姿現はし給へと、阿伽の花瓶を出し給へば、水に影を移せば、壱丈あまりの 赤竜となり、花瓶をまといひしかば、実長も郎党も疑ひの念をはらしぬ。

 本の姿となり、我は霊山会上にて仏の摩頂の授記を得、末法法華受持の者には七難を払ひ、七福を与へ給ふ。誹謗の輩には七厄九難を受け、九万八千の夜叉神は我が眷属なり。身延山に於て水火兵革等の七難を払ひ、七堂を守るべしと固く誓約ありてまたこの池に帰り棲み給ふ。」

富士山 山頂 久須志神社 ご祭神  オオナムチ

寒川神社は川の神であるらしい。ご祭神は寒川比古 であるが明治時代 適当に申請したらしく不明 八幡神 ヤマツミノカミという説もあり。

玉崎神社 本来のレイラインの入り口 物部氏一族が創建した歴史ある古社 モノノベといえば....。玉崎神社以前に祀られていたのが摂社琴平社でここがパワースポット 祀られているのはオオモノヌシ=ニギハヤヒ

以上見てまいりますと レイラインの主要な祭神は ニニギハヤヒ=オオモノヌシ オオクニヌシ 瀬織津姫 など古い神々。

 

一方 鹿嶋 諏訪 ライン この線上にいかなる神社があるのか あたってみたいですね。鹿嶋のあたりはもともとモノノベの力の強いところ 香取神宮 ご祭神経津主神 モノノベの神宝 布津の御魂剣と同義、 鹿島神宮の祭神である建御雷之男神は、古事記では別名建布津神や豊布津神と呼ばれ、香取神宮の祭神である経津主神と同一とされています。

諏訪大社上社本宮は鹿島神宮のほぼ真西に位置する。春分・秋分の日の太陽は鹿島から昇り、諏訪大社へ。

 

さらに

 東国三社 → こちら

 近畿五芒星 → こちら  陰陽による結界の匂いもします。古代のレイラインを活用して 平城京 平安京 藤原京を守ろうとしたのか.....

なぜ 聖なる場所は直線状にあるのでしょう。 太陽信仰はもちろんですが つながっていることに意味があるとしたら 参拝することでつなげてゆくことで 場のパワーが強まっていくのではと ふと思いました。3.11の前 からはじまったスピリユアルスポットへの旅には わたしが知らなかった そのような意味があったのかも知れず 多くのひとたちが無意識のうちに 日本を守る行動にでているのかもしれません。

 

 



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