遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   学校で会社でかなりの敗北感だった。朝のおはなし会、とても気持ちよく教室に入ったのだが 先生が子どもを叱っているところに遭遇してしまった。わたしは聞こえぬことにしようとした、見えぬことにしようとした。そのときはなぜかわからなかったのだけれど....
   
   だが 語りだしても なにか変だった。出だしから間違い...フォローして戻り 少なくとも三回間違えた。はじめのうち 子どもたちはバラバラな感じでものがたりの世界に入りこむ子もいたけれど まだ入れない子もいて これではならじと思いと手管の限りを尽くす....その声が妙にプロ的...抑制されたアナウンサーみたい...とさめた耳で聞いている。

   ふたつのものがたりとも後半からは盛り返しはしたが 語ったあとの喜びがなかった。なぜだろう...この時間になって なぜ自分があんなに焦って知らぬふりをしようとしたか心を閉じようとしたか気がついた。....「ほんとうにあんたってなにやってもにぶいのね!!」....今でもはっきり耳元に残っている....50年も前のことば...叱られていた一年生のわたし....泣きもせず とても冷静に先生の叱責を受け止めていた少女のわたし。そして叱られている子どもと同化してしまいそうになった今のわたし....

....こころを閉じたまま聴き手につながるはずがないのだった。こんなこともある。こんな日もある。だが金輪際 語りでは後悔したくない。開くこと 傷つくことを恐れまい。

  会社で...ただいまと声をかけたが返事がこなかった。こんな時 わたしの心は萎えてしまう。...もういい。返事をしたくないのなら それで...と心を閉ざしてしまいそうになる.....それでいい?....それではだめなのだ....何度も何度も呼びかける、語りかけるのだ 働きかけること つなごうとする意志を棄てるまい。



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   世界は危機に瀕しているが、地球は悲鳴もあげず黙々と回転をつづけている。パレスチナでイスラエルはなしくずしに領土を増やし既成事実で固める。ロシアはセルビアを応援し コソボの独立を阻止する。インドは核兵器を持ち 中国は言論統制をし 日本は九条を廃棄しようとする。

   そのなかでこんな悠長なことをしていていいのかと案じつつ やはりこれしかわたしにはできない。語ること、歌うことでなにができるだろうとあきらめそうになるけれど、いや きっとできる、たいせつなものをつないでゆけると信じたい。ひとからひとに 過去から未来に 動物たちから人間に 天からひとに..... 語り手たちの会の30周年企画のテーマは「自分のことばで語る」だけれど、この自分のことばとは創作の…という意味とは違うだろう。語り手の体(たい)をとおり 生きた軌跡やあえていうなら 魂をのせたことばで語る…という意味なのだろうと思う。

   語り手たちの会の大先輩にもそれぞれのスタイルがある。君川みち子さんは詩情溢れる民話を語る……..月のひかりこぼれるうつくしい民話。尾松純子さんは童話や小説から人情味ゆたかなものがたりを語る。わたしは幾度涙したことだろう。末吉正子さんは参加型の生き生き元気な語りをする。……….聞く人参加する人にもも生きる力が湧いてくる。他にも魅力的な語り手はおおぜいいて それぞれの分野でそれぞれのスタイルで語りつづけ自分のことばで語る語りをひろめている。

   ....わたしは?.....わたしはなんでも語る。参加型も昔話も八雲も今昔も童話も自分のオリジナルも...ネイティブアメリカンもケルトもグリムも語る、実に節操が無い。特徴つけるとしたら ひとつには現代 この150年の歴史における事実を語っているということだろうか……秩父事件も会津の弥陀ヶ原心中もヒロシマも..そしておさだおばちゃんや母・雪・櫻 などなどのパーソナルストーリーも私的には この現代のひとびとの歴史を語り継ぐという範疇にはいるのだ。そして もうひとつは古代に遡ること、できるだけ手垢のついていない原典に近いものから 神話・伝説を再話(ときにかぎりなく創作にちかづくかもしれない)して..語る、このふたつがわたしの二本の柱である。そして器になって 誰かの代わりに語る、これはわたしが語り手として立つところのスタイルだと思う。

   つまりひとがひととしてあったという、伝えるべきものがたりが現存する過去の端と今現在、両極端を語ることであり 一方は文字でなくもともとの口承としてよみがえらせ語り継ぐ 一方はこのまま塵となってしまいそうなひとびとのものがたりを語り伝える このふたつに語り手としての使命を感じているのだ。そのためには、パワーがいる。身体的な力と感性の力 これを磨くことが 必要と理解し すこしばかり億劫ではあるが 軋む身体をいといつつ始めようと思う。

   そのほか 暗黒の中世の闇に封じ込められた魅惑の恋物語はみずからのたのしみのために語るのであり、子どもたちとともによろこび笑い楽しみかなしみ みずみずしい魂にものがたりのなかにあるエッセンスをとどけることは語り手として 悦び以外のなにものでもない。わたしの課題は まだ明かせないが三つのことを確立することだ。

   便利な世になって きのう発注した書籍が今日五冊届いた。あすも五冊届くだろう。すこしのあいだ おやすみします。六月の熱と水を含んだ空気のなかで砂と海と予言と愛が時をつくる。卵を孕むのはわたし....半透明の膜にくるまれ夢みるまま化石となるか 世界がひとつ生まれるか。

  




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   今日は青葉小のおはなし会だった。...なにも準備していないしどうしようかなぁ...とつぶやくと 「だいしょうぶ おかぁさん..おかぁさんのもっているもので...」ソファで毛布にくるまっていた娘が寝起きとも思えぬ明晰な声で言う。...そのことばに妙に安心して 夫を会社に送ったあと 学校に向かう。

   中庭の日陰に赤いひなげしが揺れている。俯き加減に花咲き乱れる中庭をあるいていると...「...さぁん..!」男の子がかけてくる。ひー君だ。...「...さぁん...」女の子たちもむかえにきてくれる。バスケットを運んでくれる。「待っていたんだよ」...

   (....みんな 待っていてくれたんだ...)「元気だった みんな!? ...さんも会いたかったよ」わたしはしんぶんしのおはなしをした。ひー君が主役になった。それから みんなでしんぶんしで帽子やはしごをつくってあそんだ。なっちゃん のぞみちゃん ともくん..みんな真剣だ。...わたしは途中でひっかかってしまったかずみちゃんのはしごがどうかうまくでてきますように祈りながら繰り出していった。かずみちゃんが心配そうに見つめている。こんなにつよく祈ったことはないような気がした。

   はしごはいろいろなのができてさいごにみんなつないで 昇ってみた。途中いれかわりたちかわり 校長先生や他の先生方がのぞいてみえたが...なにも気にならなかった....身体のなかから熱かった 心も熱かった....みんなでゲームをした。おかたづけ遊びもして 教室もきれいになった。15分という約束が40分たっていた。新任の先生がおっしゃった。「ありがとうございます。次回は1時間でもいいです。...うちのクラスの子 かわいいですよね」「かわいいです...」 ......「またきてね」「こんどはいつなの」「ありがとう」みんなに送ってもらってまた中庭から帰った。

   運転しながらでなみだでフロントガラスがくもる。...ありがとう....ありがとう....何ヶ月かのつかえがほどけてとけてゆく。...もういちど わたしはほんとうに語れる....もういちどやり直せる。...会社にかえって手のあいたひと数名で倉庫のかたづけをした。....肩から力がぬけてやさしいことばが自然にこぼれた....ずっと気になっていたひとからもおだやかな声がかえってきた。

   ひとはときどき死ぬ。.....信じていたものが信じられなくなったとき...その痛手に耐えられなくなったとき心はちいさな死を迎える。....けれども...冬がおわってあたらしい季節に大地からやはらかな芽が生まれるように 心はまたよみがえる...痛手を受けるのがひとからなら...よみがえらせてくれるのも人の心だ。....こうして死と再生を繰り返しながらなんとかかんとか生きてゆく。

   わたしを冷たい泥沼から救い出してくれたのは障害児のクラス1組のみんな...もらうばかりではなくて...もっともっとみんなにわたしたい...たのしいことをしながら....。役に立ちたい...まったき信頼の目に応えたい。





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   天城にいったとき 田所雅子さんが天城の森につれていってくれた。...ほんとうは原生林におつれしたかったのだけれど...わたしの足がほんとうでないのを案じて 見せてくれたのは三冊の写真集だった。一冊目 二冊目と見せていただくうちに同じ天城の自然を撮りながら撮影者がむきあうものが 目を瞠るほどに深くなってゆくのに驚いた。

   ただの美しい自然のショットが三冊目に至っては ついに目に見えるものを超えてしまう。 見えざるもの...もしかしたら手を触れたり見たりしてはならぬものがそこにありありと絵画のようにある。この写真家 曽我さんは天城の山から愛され特別の許しをもらっているのに違いない...と思った。

   そのなかの一枚は わたしがときどき観る...幻想に限りなく似ていた。虚空から光降りそそぐイマージュ...説明を読むと滝の裏から見た束の間の光の饗宴だったそうだ。一枚一枚の写真がものがたっている...蒼穹と大地をつなぐ樹...無残にも地に堕ちた緋色の落花の尽きようとするいのちのほのお...わたしは息を呑んで凝視める。

   写真家の憑かれたまなざし、カシャとシャッター音がひびく...撮られるものと撮るもののいのちがゆらめき拮抗した一瞬....そこにあって無い世界が...思念...エナジーそのものが留め置かれる。....こういう語りがしたい...純粋な思念...光そのものを手渡す語り.......見果てぬ夢だ。

    

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