遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   県立図書館で”おおきなおはなし会”がありました。毎年4月にひらかれます。午前・午後の二回、45分ずつです。毎年50人以上のお客様が見えます、どしゃぶりのなか、20名のお客さまがきてくださいました。わたしは「たんぽぽ、ぽん」の担当でした。

   昨夜、娘たちを動員して、たんぽぽを9本、わたぼうしを1本つくり、草もつくり、午前中おそろいの若草色のTシャツをみんなの分用意して、ランウェイなみのパフォーマンス....ランウェイというのは先週終わったアメリカのデザイナー発掘プロジェクト番組で、デザイナーが与えられた課題を一日半でつくりあげ、ショウをするのですが、本番ギリギリまで裾まつったり手直ししたり...。

   わたしたちも客入りギリギリまでリハーサルしながらみんなでつくりました。たんぽぽが咲いて、綿毛になって、飛んでいって、夏が来て、秋がきて、冬がきて、またたんぽぽが咲くという参加型のちいさなおはなしです。カタリカタリのSさんのてぶくろ人形を発展させたものです。おはなし会はとてもおもしろかった。来年はもっと愉しんで、聴き手のみなさんを巻き込んでワイワイやりたいねと反省会。....来年忘れないようにね。

   会場で撮った写真にまたオーブが写っていました。



ちなみに私は写っていません....

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   新年度です。幼稚園におはなし会のうちあわせに行きました。こちらの幼稚園はたしか6年目になります。園長先生も交代なさいましたが、こうしてつづけさせていただくのはとてもうれしいです。

   副園長が「今年もよろしくおねがいします。先生のやりたいこと、先生の持っているものすべてをぶっつけてください」とおっしゃってくださって、心も身体も熱くなりました。そこまでいってくださる、そのことばに答えよう、まどうことなく思い切り子どもたちにひらいてわたしてゆこうと思いました。先生方との打ち合わせ内容です。

   4歳児
①7月、 手遊び、人形やパネルをつかっておはなしに親しむ
②11月  参加型のおはなし、日本のおはなし、世界のおはなし
③3月  親子おはなし会 おはなしのたいせつさを若いおかあさんに伝える
     おかあさんが子ども抱っこして参加、親子でできるたのしいゲーム
     おはなし

   5歳児
①6月  親子おはなし会 全員参加 手あそび、親子っていいなぁと思うようなおはなし 水のおはなし ことばのたいせつさをつたえる
②10月  戸外で...木や動物のおはなし
③2月  民話、参加型のおはなし

  
  先生方からのご意見もたくさん出て、背中がぞくぞくするような興奮がありました。うれしい、うれしいです。提案をいただくと、工夫したり考えたりして前に進めます。そのほか事前にものがたりのタイトルがほしい、(語ってみて、つぎのクラスで換えてもかまわない)10分前にきてください との要望がありました。読まれてます。。。わたしは当日の朝、ものがたりを決めることが多いのです。それから過去に何を語ったか、クラスによって違うので混乱してしまいます。先生方にも愉しんでいただきたくて、あたらしいものを持ってゆこうとしていたのですが、何回聴いても愉しいのでそれはかまいません、とのことでした。
日数にして年間9回、お話し会としては30分×15回になります。

  小学校は12回、中学校は20回くらい?カタリカタリは毎回おはなし会、Tの会デイケアなどいれますと年間70回くらいになるわけで....わくわくします。仕事が引退できたら、近くの養護学校や保育園の子どもたちのところにも行きたいのですが、仕事と両立しながら、社会とかかわりながらがいいのでしょうね。今年はあたらしいものがたりやあたらしい試みに手を染めたく、そのためにも、衝動とインスピレーションで生きてるわたしには、もっともむつかしい計画性という自己改革にとりくまなくては....そちらのほうが心配です。

  きのう車を運転しながら”つつじの娘”と”ボブ・チャードンの話”を語ってみました。つつじの娘は『山を抜け、山を越えての小夜バージョン』、ボブ・チャードンはだいぶ整ってきました。ちいジェーンとボブの微笑ましい台詞を入れると15分くらい、うちに帰ってテキストの編集をしました。中学校のおはなし会にあわせて9分バージョンで語れるか絞りに絞ってみようと思います。あぁ、創作もしたい。次回はストーリーについて考えてみましょうね。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   今日は中学校のおはなし会のはず...でした、わたしはなぜか、尾松さんが語った6月の薔薇.......”ボブ・チャードンの話”を中学1年生に語りたくてたまらなくなりました。40分の長さでは朝子どもたちに語るわけにはいかないので14分くらいにしました。ものがたりは胸のなかに入っていましたから、再話をまとめるのに1時間.....。即興でいける!!

   8:00、PCに打ち終えた!!ジャケットだけ着替えて中学に車を走らせると......メンバーはだれもいません。また やってしもうた...どうやら来週だったようです。先週はまちがえて1時間早く入ってしまったし、さながらパドックの4歳馬みたいですね。語りたい一心です。

   きのう この物語を語ることはないでしょうと書いたばっかりなのに.....どんな心境の変化なのか.......自分の気持ちながらサッパリわかりません。ともあれ来週まで 練習できる時間ができました。12歳の子どもたちの反応がたのしみです。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




....尾松さんの語りの会♪(感想は下記に...)が終わったあと、フィギュアの国別対抗戦、浅田真央さんの最後の”仮面舞踏会”が見たくて鎌田の電気屋に走ったのです。でも閉店したあとで、きのう動画で見ました。浅田真央さんの会心の演技、花が開いたような笑顔がうれしかった。女子フィギュアの歴史にない男子なみの高難度のプログラムとの格闘、中傷めいたこともあり、辛いこともあった今シーズンの最後は、ショートもフリーもエキシビジョンも、その才能と努力、フィギュアスケートの真髄を見せてくれるものでした。なにに心打たれるというのだろう、うつくしさに? 努力に? それとも舞い降りた神に? そのすべてに? リンクにそしてわたしの心に光降りしきるようでした。なぜかわかりませんが震えました、泣いてしまいました。さまざまな障害も真央さんの成長のために必要だったのだとさえ思いました。

....終わったあと真央さんはキスクラで「タチアナ、タチアナ」と叫んでいました。ロシアで実況していたタラソワコーチは真央さんの演技中はひとことも解説しなかったそうです。そして”タチアナ!タチアナ!”と叫ぶ真央さんを見たとき、
”oh my dear! You're great, beauty!!!”と言ったそうです。ショートプログラムでトリプルアクセルを跳ぶという驚くべき提案をしたのはタラソワコーチとか。信頼で強く結ばれた師弟愛ですね。また、真央さんの仮面舞踏会が終わったとき、客席のみならず各国の選手席もスタンディングオーベーションだったそうです。

 オリンピックを控えた来シーズン、相変わらず不可解な採点(今大会もジャッジのひとりがまことに奇妙な採点をしています)、他国やその他からの足をすくおうとする動きがあるかもしれません、関連した国内マスコミの摩訶不思議な追随も心配です。しかし苦しみながら大きな峠を越えた真央さんは来シーズンも他の選手ではなく自分を超えるチャレンジ、フィギュアスケートの常識を超え、地平をひろげるチャレンジをタラソワコーチとともに続けることでしょう。
 
 日本の観客は各国の選手に惜しみなく温かい拍手を送りました、フランスのジュベール選手は「日本のファンこそ真のフィギュアファンだ。」と言ったそうです。日本人としてフィギュアファンとしてうれしい限りです。その日本のフィギュア界にこの稀有な存在の誕生があったことを歓び、たいせつに見守っていきたいと思います。

 大会動画

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




    車検のため、車のそうじをしたら、トランクに海辺のパラソルが一本、傘が三本、折りたたみが二本、杖が三本、ブーツが二足、運動靴が二足、夏の靴が一足、サンダルが二足積んでありました。これだけあれば傘も履物も10年は大丈夫。そのうえ中田選手引退の日のスポーツ紙数種、手袋、マントやストールまで レジュメ、ファイル、テキスト!! 車にはなんてたくさんのモノと思い出が詰まっていたことでしょう。

    デンマークのストーリーテラー・ベリットさん来日の記念小誌が車のすみに挟まっていました。ベリットさんが再話した「林檎の木」というちいさなきらきらしたものがたりをわたしはすっかり忘れていたのです。来日の際、明日館で語ってくださったロバの王子のおはなしも、まざまざ思い出しました。両方とも語ったことがあるのに、ちかごろはとんと語っていません。

    講談社の50年前のうつくしい絵本のシリーズ、ゴールド版が8冊ありました。第一線の画家、文学者が子どもたちに精魂こめて贈ったシリーズです。子どもだからという安易さや媚のない、これからを担う人に最上のものを渡すのだという静かな自負を感じさせる絵本です。

    PC上では消去した、語り手たちの会・育成担当時の企画書のファイルもありました。 方針と三本の柱、色分けし細かく立てたスケジュールを淡々と目で追いました。夜も寝ないで練ったプログラム、よくぞこんな細かい作業をしたものだと思います。「秋黄昏て....」主演のひとりだった芝居の脚本、真っ黒になるほど鉛筆で書き込んである脚本は、やはり棄てられませんでした。

    ....ここまでくるのになんてたくさんのものに向かい、ひとと会い、なんてたくさんのものを累々と棄て、別れてきたのでしょう。そして今があるのです、どうかほんとうにたいせつなものは失っていませんように。ほんとうにたいせつな出会いを反古にしてはいませんように。

    ペットボトルを片付け、領収書を整理し、処分するものをまとめて、中学校の朝のおはなし会にでかけたら、朝の廊下はとても静か、もう終わってしまったのかと先生におたずねしたら、怪訝な顔、まだ7:30 1時間も早かったのです。新年度は1年生から3年生まで範囲がひろがります。どんなものがたりを届けよう、瑞々しい年齢にふさわしい、けれど迎合しない、まっすぐ目を見て渡したいものがたりを選んでゆきたいと思います。

    愛車が車検から戻ってきたら、バスタオルや石鹸をつめた温泉バック、敷物や折りたたみ椅子を収納したピクニックセット、寝袋とグランドシートを詰めた野宿セットをトランクに積んで、春の終わり、夏の初めを楽しみましょう。草原に砂の上に、木陰に横たわって青い空を抱きしめたい。くさぐさの憂いや悩みはあれど、厚い雨雲の上にはいつも青空がひろがっています。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   新聞を読まない暮らしはどんな味気ないものだろうと思いましたが、物足りない気がしたのは一日だけで、あとはさっぱりしたものでした。テレビもNHKのほかは見ないようにしていましたが、ゆうべフジテレビで松本清張「駅路」を...ひさしぶりに食い入るように見てしまいました。いいドラマでした。

   まず、原作...松本清張原作の映画やドラマはなぜ役者さんが生き生きといい演技をするのでしょう。点と線、古くは鬼畜や張り込み(わたしは加藤剛 八千草薫主演1970版が忘れがたいです。)砂の器(これも加藤剛)など名作ですね。ドラマの骨格が明確で時代や社会と登場人物のかかわりが密接であり、主人公の目的がリアルであるので役に没入しやすいのかもしれません。

   なぜか脚本もいいんですね。原作から触発されるものが多いのでしょう。今回は向田邦子さんでしたが、端役にいたるまでくっきり台詞が造形されていました。役者さんたちが原作と脚本と演出に応えアンサンブルがみごとでした。女優陣では、失踪した夫の妍高い妻を演じた十朱幸代さん、ひさびさに拝見しましたが目線のうごき、取り繕っていたのが豹変するシーン、さすが大女優の貫禄でした。ヒロインの従姉を演じた木村多江さん、取調べ室で犯行を告白するシーン、横顔のみの相手のいない独白が凄絶でした。ヒロインの深津絵里さんをうつくしいと思ったのははじめてです。どこかなまなましい女優さんだと感じていたのですが、目千両ですね。なにも動作をしないときに光る不思議な役者さんです。


   刑事呼野を演じた役所広司さんはもちろん素晴らしかったのですが、終盤すこし溢れ過ぎたな...と思いました。定年後失踪する銀行員、小塚を演じた石坂浩二さん、ほとんど後姿だけなんですが、よかった。最後の佐藤春夫の詩 ”よきひとよ” の朗読は深かったです。姫さまのおかげで脚光を浴びたのに姫君浅丘ルリ子さんを棄てて、若い妻と人生の日常の幸福をとった...という、これは勝手な思い込みかもしれませんが、どこかで許しがたく思っていました。それが、役に重なる.....けれど、そうした我執を底によどませながら、自分の人生の夢をどうしてもかなえたいという主人公の情念、秋の終わりの空のように寒々と透いた情念をフィルムに焼付け、見る者の心にも焼き付けるのはなかなかできるものではありません。そのほか脇役ひとりひとりに実在感がありました。演出は北の国から...の杉本成道さんでした。


    原作、脚本、役者、演出  そして、最後に時代なんですね。昭和に今焦点があたっておりますが、あのなつかしい昭和....薄暗くすすけた、けれど耀きと希望が残っていたあの時代、....ユニクロはあったのだろうか 100均はあったのだろうか....アナログの仕舞いのまだモノに手触りがあった、一枚のセーター、一本の鉛筆にも固有のたったひとつのイキサツ(ストーリー)があった、もう帰らない昭和が、ドラマの背景にあるのでした。今はモノにストーリーがない、あったにしてもストーリー性が薄い時代なのかもしれません。


   わたしは語り手ですから、なんでも語りとむすびつけて考える習い性です。語りにはドラマと、ドラマでないものがあります。わたしはドラマを語ることが好きなのですが、その場合主人公の目的と目的をさえぎる障害をどう乗り越えてゆくかがテーマになります。たとえば、「駅路」では主人公の刑事・呼野の目的は失踪した男、小塚の探索です。小塚の生き方その謎が呼野を駆り立て、障害をひとつひとつクリヤ-してゆくことでその男小塚が胸の底深く長年抱いていた人生の目的が見えてくる.....これが圧巻です。彼は定年後ゴーギャンのように家庭をすて社会をすて自分の人生のためだけに生きたいと望みました.....刑事には娘がいます。その娘は妻子ある男を愛しその男が亡くなったことで苦しんでいました。その娘と小塚の相手である深津絵里が重なります。こうして呼野の探索は人生の探索になってゆきます。


   語りがテレビドラマや演劇と異なるのは、脚色、ナレーション、役者、演出、効果、音楽を基本的にすべてひとりでこなすのだということです。(ひょっとして宣伝や集客も)そこが語りの醍醐味ですが、そのために多くの登場人物の目的と障害が重奏してからみあうような展開まで語るのは不可能...せいぜい3名くらいでしょうか...になります。

    障害が社会的背景と結びついているとある意味かたりやすくなる....でもそれだけじゃつまらない、主人公が最終的にはうちなる障害を超えてゆく.....”自分の人生と和解してゆくこと”がわたしの語りの最近のテーマです。死と生そして愛、それが聴き手のみなさんの人生、わたし自身の人生とかさなったならそんな幸福なことはありません.....。


   あれほど練習をしなかったのが、このごろ語らないではいられなくなりました。野原で語る、部屋で語る....草原で突然主人公の隠された気持ちに気づいてぎょっとしたりします。主人公が生きて歩き出すのです。語るたびに光と陰影がはっきりしてゆきます。


......
   さて、リセットのためのおおそうじをまたもしていて、本棚の上に埃まみれの折口信夫著「死者の書」をみつけました。欲望にさからえない弱いわたしは、そうじをさておいて今読み終えたのですが、本を読んでひさびさに慄きました。語ることばが見つかりません。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   シャーさんというのはパキスタンの青年である。彫の深い浅黒い顔、すこぶる美形である。奥様は日本人だがこちらも美しさではひけをとらない。航空会社の客室乗務員だったそうだ。それがパキスタンで家族で土産物店をひらいていたジャハンさんと知り合って、彼は彼女のために日本にわたったのだそうだ。

   おさだまりのリストラで仕事を失い職さがしにきたふたりと会ったのは二月のことだった。ゆっくり話す時間もなかったが、新宿から帰った駅前でばったり出くわしていっしょにお茶を飲んだ。生まれた子どもと里帰りをするのに、飛行機ではなく、海路陸路から行くのだという。シャーもわたしとおなじで飛行機が苦手らしい。

   飛行機なんて今はバスみたいなもの....のはずだが、離陸のときはいつも、なんで飛行機なんぞに乗ったのだろうと後悔する。これは40年前金沢にプロペラ機で行ったときの恐怖が骨身に沁みたのだ。気流がわるく飛行機はガタガタと揺れ、翼のビスもビリビリ震動していた。怖かった!!死のうとして行ったのに飛行機が落ちることが心配なんてお笑いである.....ずいぶんと昔”月の公園”というパーソナルストーリーで語ったが、そのとき穴水の公園に忘れてきたものがあって、その薄青いほのかなものを取りに行かなくては、いつか、いつかと思っている。

   すっかり脱線してしまった。大阪から船で上海まで行きそこからバスでパキスタンまでわずか6時間だそうだ。中国とパキスタンは密接な関係らしくヴィザが要らないのだという。パキスタンはインドやイランとも軒を接しているのだそうで顔立ちはイランのひとにもインドの人にも似ている...眉間にポッチリ白毫があれば仏像みたい。土産店の写真を見せてもらった。りっぱな店構えでパシュミナストールや絨毯、それに宝飾品が並んでいる。パキスタンは宝石の国でもあるらしい。

   水晶はパワーがありますね...といったらイスラム教ではターコイズと○○ジェドが霊的な力のある石とか...パキスタンにシャーマンはいる? と聴いたら 子どもの頃はたくさんいた、今はすこし...と言う。病気を治したり、導きをしたりするとか...楽器を用いて自分の意識を飛ばすことも共通でシャーマンはかつては世界のあちこちで日常目にするものであったようだ。今度昔話をしてね...といったらにっこり微笑ってうなづいた。

   シャーさんはとても上等な方だと思う。上等というのは地位やお金があるというのではない。知識や教養があればというのでもない。魂のなかに静かな湖を持っている....そんな感じのひとである。ジム爺(林檎の木の)も上等のひとだ。自分のことばかり考えるのではなく視る目を持っていて、視線の中にものみながはいいている。。。。見えないものも視ている....そういうひと。

   このごろ身体が静かになってざわざわしなくなった。心はあいかわらずあわてふためくことがあるのだが、身体がしっかりしずまっているから、ゆっくり納まるところに治まってくれる。見栄えとか気にしなくなったし、とても楽である。ゆっくり静かに深い呼吸をして、ゆっくり話をして、あたりを見回し季節を愉しもう。白鳥が飛んでゆく....桜が散る....さざなみに夕陽が映える.....








コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




.....一昨日は一歩も家を出ませんでした。きのう、うちあわせで外に出たとき、満開の桜のあまりのうつくしさに泣いてしまいました。今年の櫻はうつくしい....。わたしは櫻がすきなのですが、数年前までは櫻の季節、外に出ることができませんでした。なぜか苦しくて.....

.....鳥がさざめいています。満開の櫻...舞い上がり、舞い落ち、散りしだかれる、花、花....このように美しくせつないもにがあるでしょうか.....ほのかな香り....揺れるはなびら.....この世のものとも思えぬ霞のような櫻並木.....早く蘂の雨よふれ、はやく青葉となれ...と思いつつ、櫻を、櫻とともにいってしまうひいやりした春を思うのです。

   きのうデイケアに行きました。昨年夏以来の高齢者のみなさんから、先生、別人みたい、若返った...といわれて自力整体を伝授しました。先日は昔手伝ってくださったKさんとHさんからきれいになったといわれ、酵素玄米を紹介しました。これは間違いないとご紹介できるものがあるのはうれしいです。

   けれども、まだわたしはブレることが多いのです。軸、センターが確立していないからでしょうね。ことに古代史観について、なにか読むたびにふらふらしてしまいます。きのうある古代史研究家にお会いしてそのことを指摘されました。とりあえず竹内文書を軸にして...先代旧事本紀、旧事本紀、帝紀を読んだらとのことでした。古事記については戦前出版されたものがよいそうです。絶版の聖典という本を薦められました。

   ...蘇我と物部との戦いは実は漢字をとるか神代文字をとるかという戦いでもあったそうです。古神道は物部まで...といわれますが、物部とて十種の神宝とともに天降ってきたわけで(物部の始祖はニギハヤヒ)....わたしはそのあたりで混乱するのです。タタリは仏教伝来によるものです。しかし禊祓いも伝来したもので、もともとの古神道には祓いの観念がなかったと読んだ記憶があります。

   そういったら出典をあきらかにしなさい..といわれました。書かれたものはすべてが正しいわけではありません。読んで、なにを正しいと判断するかは直勘によります。古神道とはなにか、縄文に....さかのぼるとはどこまで?....やはり現場に足を運ぶことしかないなぁ....六月には奈良方面に行くのですが、古事記研究会に働きかけて大神神社に行くことも決まりました。お神楽なども見せていただけるそうですが、実地に勉強するのはお金がかかる...ここが問題です。真実の歴史が突然遺跡から発掘されないかしら。。。死海写本のように

   その方はオオクニヌシとは職名であるとおっしゃいました。スサノオもオオクニヌシ、トクガワイエヤスもオオクニヌシなのだそうです。天地をつなぐ役目なが必要です。統治ではなく、治す...シルスとは天の声をひとに伝え、ひとの声を天に伝える....という意味なのだそうです。すると天はこれと決まった器にそれを託すのでしょうか....。しかし、これはわたしが語り手に持っているイメージと重なるのです。語り手は天地のつなぎ目、我..ガを入れてはならない....

   最後にその方はこういいました。「気をつけてくださいね。結び目になることと憑依されて語るとは根本的に違うのですよ」.....客観的視野は持ち続けるということでしょうか。ガはとるとしてもカラになった自分に乗り移られるなということ? シャーマンとしての語りとは器としての自分を差し出すことと違うのか....わたしは違わないと思うのですが、次回、お会いしたときに聞いてみましょう。

   いってしまえば、古代は空気も水も大地も食べ物もひとの心もピュアだったし、添加物も農薬も二酸化硫黄もなかった、タタリもないのだから、禊祓いも必要ないわけです。しかし今を生きるわたしたちには身も心もデトックス、浄化が必要ですね。それはよりよくより健康に生きるために必要なことだし、語る器になるために不可欠のことです。

   ともかく、先に進もう。よく考えて。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




  さて、いよいよ 重い腰をあげて11月の出雲の旅行について書こうと思います。10月の青森につづく出雲の旅はおなじようにひょんなことから参加することになったのです。今思えば、日本のルーツ、自分のルーツをさぐる旅、語り手としては、自分の役目を果たさせていただけるかどうか知るための学びの旅でした。実際はまだ自分のなかで整理されてはいないのですが、なにかが変わり、不思議な力を感じました。

  さきごろから、パワースポットということばをよく耳にしますが、自分の身に実感として感じるようになったのは昨年の5月のことでした。筑波山頂 男体山本殿(御祭神イザナギノミコト)と女体山本殿(イザナミノミコト)のあいだで畏れながら神さまがお辛くていらっしゃる...という波動を感じたのです。わたしはとても驚きました。アンテナのせいではないかと感じています。ケーブルカーで降りるとき新緑のお山が溶岩に変わり平地が溶岩に呑み込まれていく幻影もはっきり見ました。

  その後皇祖皇太神宮の参拝では強烈な霊威にしばらく動悸がおさまりませんでした。そして神代文字の展覧会で神代文字を前にしてそこから発せられるエナジーに立っていられませんでした。普段は無意識のうちに防御しているようなのですが、意識をはずしたり、或いはあまりに強力なパワーだと飛び込んでくるものがあって、良きものばかりではないので悪しきものは防ぐように 身体の軸を確立したいのはそういう意味もあってのことです。

  パワースポットといいましても、ひとによって相性というものがあるようです。また御神統にも深く関わっているように思います。ですからただ参拝すればよいものでもないようですし サワリを生じる場合もあるかもしれません。それを踏まえていただいて出雲の旅で感じたいくつかを聴いてください。

  
まず出雲大社、

  御祭神は大国主大神
出雲大社・拝殿で参拝し本殿に向かって拝殿のうらに回ったときのことです。心臓が飛び上がるような...というかうまく形容できないのですが、かぁっと血が滾るくらくらする感じで畏れ慄きました。今、思い出してもドキドキします。平成の大遷宮ということで御神体が拝殿に御安置されていたと聴いたのはあとのことです。ブログを書くために配置図を見たのですが、もし本殿とおなじように御安置されているなら、オオクニヌシノオオカミの御神座のおそばあたりで飛び上がったのでした。ほかに客神として天之御中主神、高御産巣立日神、神産巣立日神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、天之常立神が祭られておりますがこの五柱の神さまは人格神(人と同じような姿や人格を有する)ではありません。創造主です。


本殿

出雲大社....

出雲大社構造

発掘されたうづ柱
3本の杉を一本にして巨大な空中神殿を支えました。島根県立古代出雲歴史博物館で模型を見ることができます。そのほかタタラを踏む(もののけ姫に出てきましたね、製鉄は古代を読みとく鍵のひとつです)体験などもできますよ。ところでアシタカは蝦夷の族長の名まえです。蝦夷ほか先住民族は足がながく彫りが深かったようです。土ぐもは子どものようにちいさかったとか...といってもこれらの名はヤマトがつけた蔑称です、....さて道草を食ってしまいましたね。


   つぎに日御碕神社
   日御碕神社はひのもとの夜を守る日沈の宮(昼を守るのは伊勢神宮)、神の宮があって神の宮には素盞鳴尊(スサノオノミコト)が日沈の宮には天照大神(アマテラスオオミカミ)が主祭神として祭られています。白壁に赤が映えてとてもうつくしいみやしろのたたずまい、摂社末社すべてにおまいりしました。日御碕神社から帰る途中、あたり一帯のお山からつよい気が発せられているのに気がつきました。神社にはトイレがありませんから近くの島根ワイナリーにバスは立ちよったのですがその駐車場に立つとくらくらするようでした。お山のあたりから虹がたちのぼったのですが、写真にとることができなかったのが残念です。


全景


神の宮

">">
日沈宮


ワイナリー駐車場から見たお山、この山だけでなくあたり一帯から感じた。

日御碕神社


   三度目は玉造温泉に泊まった翌朝、散歩に行ってなにかに引かれるようについた玉作り湯神社、ご祭神は櫛明玉神、大名持神(オオクニヌシ)、少毘古那神(オオクニヌシと国つくりをした)此処の霊気も素晴らしかったです。お山全体からつよい清清しい気が漲っていました。


玉に願をかけるようです。美しい女性がいました。
玉造湯神社

   四度目は神魂神社、由緒ある古い御社で神気も格別でした。ご祭神は伊弉冊大神(イザナミノオオカミ)伊弉諾大神(イザナギノオオカミ)、主神がイザナミさま...女神なので千木が水平です。ヒモロギのようなもの(竹)が立っていてそこにつよい霊気がありました。あれはなににつかうのでしょう。近くに穴があり、根の国 黄泉へつながる穴とか....皇祖皇太神宮にもおなじような穴があったのを思い出します。出雲大社で祭神オオクニヌシノミコトが正面ではなく西を向いていることについて諸説がありますが、黄泉の国の方角という説があります。


 
千木とは屋根から出ている角のようなもの。切り口が水平なのは女神様のお社です。一番上の出雲大社の千木は垂直ですね。

  
ヒモロギ? 灯篭の向う側に穴、本音はこわかった。。です。写真はUPしないでおきます。

神魂神社


   日本の神話を語ろうとすることから旅ははじまりました。ただ本に書かれたものを語る...というわけにはいかない、と思ったからです。神話とは民族の拠り所であり歴史であり、神とつながるものです。自分の目で耳で確かめられることは確かめたかった....。そこで青森、白神に行き縄文をたどり、謎めいた国譲りの地、出雲をまわってみた。知らないことばかりでした。不思議な、目くるめく、心踊る学びでした。神社とは古代と現代をつなぐよすが、歴史庫のようなものです。客人神、摂社、末社、狛犬、額 すべてが語っています。山や大地が呼びかけてきます。そして古代から大地の山の?それともどこからかやってくる力のアクセスポイントであるようです。わたしたち人間はただの生き物ですが確かになにか大きな尊いものとつながっているようです。

   とても書ききれるものではなく、あまり膨大にすぎて、入り口にさしかかっただけで語ることまで行けるかどうかわかりません。それでもいいかな...いやいやそうはいきませんね。御守護を願いつつ、瀬織津姫、名草姫伝説につづくものがたりを語っていきたいと思います。瀬織津姫についてはまだ端緒についたばかり、祓戸大神、水の神、櫻の神であるだけでなく男神天照大神、あるいはアラハバキ神、あるいは大歳の神、あるいはオオモノヌシの后神であったといわれた瀬織津姫神のものがたりをいつか語りたい。


   神在す地の空はうつくしい....です。海も大地も汚してはならないと思います。他の神社についてはのちのち書いてみたいと思います。



宍道湖から


皆生にて




神社参拝マナー

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




  きのうは会社のお花見 ..駐車場にテントを張ってもつの煮込み 牛スジの煮込みは統括部長、 焼き鳥は営業部長 くだもの おにぎり 香のもの 投光機に生ビールの機械、暖房器具は社長 社員さんたちがゾクゾク帰ってきて焼きそばをつくったり櫻は三部咲きでしたが 社員さんの子どもたちもきて大賑わいでした。 総指揮官は社長でもある夫、 わたしといえば伊勢丹から和牛のスジを買ってきただけでした。

  30年の歴史をとおし、かつて片腕として会社とわたしを支えてくれた 事務員さんがふたりみえて 祭のあと カフェで夜中までおしゃべりしました。 それぞれ孫もできて 両親の看病や 夫の病気が今の課題なのでした。 苦楽をともにした同志.. 友人と語り合うのはいいものです。...

  それにしても、行事となると社員さんたちの隠れた資質がよく見えます。食べるだけ食べて消えてゆくひともいれば、テント撤収まで気をつかうひともいる。お客さまにサービスできるひと、できないひと、縁の下でがんばるひと、気にしないひと.....気配り、目配りできるひとは現場でも営業の場でもそうだねと夫と話しました。そしてこんなときわたしはしみじみ夫を見上げる想いがします。誰にもたいらで、だれをも楽しませようとする心配り....お客さまも社員さんの子どもたちもみなそれぞれ屈託なく楽しんでいました。今のわたしにはその余裕がありません。

  ....語りにもあらわれるだろう....気質は....と思うのです。奔放さ自由さも魅力ですし、いいわるいではないのですが、その生き方をおなじ人間として宜い心から然りと讃えられるかということと、語りが沁みいって響いてくるかは、呼応するのではないか....そう思いたい気持ちは心のなかにあります。ひとの咲きようはさまざまですが、去年よりは今年、今年よりは来年とよりうつくしく咲くようになりたい....齢古りた櫻の古木の艶なうつくしさ、透きとおるような花房を見上げつつ....





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




   ケーキの写真をUPしようとして、昨年11月の出雲旅行の写真を眺めていたら不思議な映像をみつけました。


出雲神楽のなかから"スサノオノミコトのオロチ退治" 古事記研究会で特別におねがいしたようです。




クシナダヒメの父母アシナヅチとテナズチが娘の危難を訴えます。




スサノオとオロチの闘い
舞台上方に小さなオーブ(たまゆら)右上方に大きなオーブ




スサノオはオロチを仕留めます。
(センターに大きなもの 小さいオーブ多数)




オロチ退場




めでたしめでたし
無数のオーブが降っています。

たまゆら(オーブ)とは

   青森でも二枚にオーブが映っていましたが、こんなに多くはありませんでしたね。お神楽の音色からくるのか。それともスサノオさまにくるのでしょうか。

   出雲はオオクニヌシノミコトの地とそんな風に感じるのですが、実は出雲風土記にはオオクニヌシのことはあまり書かれていません。出雲の一の宮は熊野大社でもともとは熊野大社のほうが格式が高かったそうです。出雲は圧倒的にスサノオのミコトをお祀りする神社ガ多いのです。熊野大社の祭神はスサノオノミコト....出雲大社はオオクニヌシノミコトですが、なぜか横向きです。オオクニヌシは実在ではなくヤマトにつくられた架空の神だという説があります。またオオモノヌシ→オオクニヌシ→オオトシ(ニギハヤヒ)という説もあります。ヤマトは武力によって奪い、正当性を示すために建国神話として、記紀を編んだのです。


   一説によればスサノオとは須佐の男からきているとか.....旅行では出雲大社、熊野大社のほかに、日御崎神社、白兎神社、須佐神社、八重垣神社、佐太神社そして神魂神社、玉造湯神社に参拝させていただきました。個人的に4箇所でとても強い力を感じました。次回にご案内しましょう。

   
   うつくしい鳥取の海と空の写真をUPしますのでごらんください。



立ち枯れた木



鳥取砂丘










コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






ありがとう 娘たち....ありがとう 空と海 ......ありがとう雨とおひさまそして風.....ありがとう櫻の木.....ありがとう おとうさん、おかあさん......ありがとう、あきらめないで歩きつづけ 戦いつづけた方たち....ありがとう あなた.......ありがとう みなさま。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )