遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



亡くなられた中川元大臣は 「アメリカは原爆で日本人を実験台にした」とはっきり言うことのできる政治家でした。そして わたしはそのことばをかみ締めています。きのうんお伝えしたNNNドキュメントの第五福竜丸事件でも 日本人はアメリカの実験台でした。....そしてフクシマでもそうであると私は思っています。

中川元大臣はアメリカの息のかかった日銀から紙幣を発行する権限を取り戻そうとしました。そのうえ アメリカに対等にモノをいい 紙切れ同然の米国債を買うことをしぶり 原爆が実験だったと謝罪を求め 米国債13兆円を極秘に売ろうとしました。アメリカにとって中川は邪魔者以外の何者でもありません。

総理大臣にでもなられたら たいへんなことになります。そこで アメリカは中川の失脚を企てました。残念なことに 使われたのは日本人でした。財務省の篠原尚之 玉木林太郎 そして読売新聞の越前谷知子記者です。中川氏はワインに薬をもられたようです。そしてあの酩酊会見が演出されました。

失脚させただけではあきたらず 中川さんは 2009年10月4日奇妙な死を遂げました。その経緯はこのブログの過去記事 ならびにリンク先をごらんください。

2009年10月7日、財務省の篠原尚之財務官がIMF(国際通貨基金)の副専務理事に抜擢されました、一昨年 菅内閣に消費税値上げを迫ったのはこのひとです。その後任財務官に、玉木林太郎国際局長が抜擢されました。このひとは中川さんの同窓生だったそうです。越前谷記者はすがたをくらましていましたが 現在アメリカ在住だそうです。これらの糸をひいていたゼーリックも栄えある転進を遂げました。

わたしは 日本を救うことができたかもしれない政治家 中川昭一を葬った 篠原 玉木 越前谷 の三氏の顔を間近で見たいものだと思っています。そして ひとを陥れるのはどんな気持ちか 国を裏切るのはどんな気持ちか 訊いて見たいと思っています。もちろん 国や国民を売った人たちはもっとおおぜいいます。小泉さん 竹中さん そして...... 



→ こちら

どちらも忘れがたい顔ですね......
   
篠原尚之 IMF理事              財務省 玉木林太郎氏
 
読売新聞 越前谷知子氏  

篠原氏とゼーリック



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    このごろ わりといい出会いがあります。上記3つの映画 佳作でした。なかでも「トイレット」がおもしろかった.....クスクス、げらげら わらわせて 最後泣かせて ドンデン返しでまたわらった。とても気持ちのいい映画でした。

    黙阿弥ホテルは井上ひさし原作 たぶんこまつ座の録画です。このなかで井上ひさしは 戯作者に言わせています。「芝居とは.....女をとことん悲しく死なせ とことん美しく死なせる....そこに知恵をしぼるのだ」......ことばは違うかもしれませんがそんな意味合いだったと思います。まさに.....語りもと思います。もうひとつのパターンは どうやって(精神的にあるいは肉体的に)殺し どうやって甦らせるか....。

    クレアモントホテルはひとりの老女が死ぬまえにひとりの青年と出会うものがたり.....それは ひとつの恋であり亡き愛する夫との邂逅でもありました。そしてその青年の甦りでもありました。ツォツィは....少年のころ 母と別れざるを得なかった そして母に対しある呵責またはトラウマを抱き続けた.....自力で生き抜くうち チンピラとなり女性に怪我をさせ 赤子を誘拐する羽目になる.....しかしその幼子とのつかの間の時間に 人間性を取り戻してゆくものがたり......すなわち 再生.....トイレットはカナダのものがたり 母が亡くなる直前に日本からやってきたばあちゃんは英語を話すことはなかったが 3人の孫の心をひらき 人生に立ち向かう後押しをして死んでゆく.......三作とも生と死のものがたりであり 再生のものがたりであり なにかを得るためになんらかの『贄』をひとは差し出すのだという含みをもったものがたりであると思います。

クレアモントホテル → こちら

ツォツィ → こちら

トイレット → こちら

    きのうは作詞家 阿久 悠 のつくった歌の特集がありました。阿久さんの 勝手にしやがれ 五番街のマリーなどひとつひとつの作詞にものがたりがありました。なかでもいままであまり聴くことのなかった三曲がとても印象に残ったのでUPしておきます。演歌はおもしろいですね。優れた歌手は細部をおろそかにしない。歌詞をとてもたいせつに あるところは輝くようにあるところは潤むように また匂やかに 憂いをもって......歌います。語りも一音一音を煌くように語りたいと思います。


転がる石 → こちら

花束(ブーケ)→ こちら

冬の唄 → こちら

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スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

 渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

 スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

あの ダボス会議でこのようなスピーチをすることはある意味 すごいことである。ダボス会議に出席している彼らがいったいどんな気持ちで聞いていたのだろう。内心 あざ嗤っていた人獣が幾匹もいたことは間違いない。

 スピーチ全文は次の通り。

 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。






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   六年生でした。いま ゆけるところまでゆきました。チャイムが途中なっても こどもたちは微動だにしませんでした。拍手も起きませんでした。ものがたりに没入しているとき こころをひどく動かされたとき 拍手は起きません。沈黙があるばかり。今日は せりふの際立った優しく激しいゆきおんなでした。来月のクラスでは 日本の雪景色 山里の景色を浮かび上がらせ しめやかに語りたく思います。.....なぜかわかりませんが わたしの語り かわってきました。もっとさきへ ゆけるところまでゆきます。 

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    おとなのほうが多くて 緊張してしまいました。
おてぶし てぶし と どんぐり隠したのはだあれ あかづきんちゃん お月様金のくさりをしました。反省点は山ほどあります。まずは信頼関係をつくること......それにしても クラスへ送った年賀状がとどかなかったのはなぜ??

    雲の切れ間に 波 階段状の雲がつらなっていました。

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ひたすら 前に進む 浅田真央さん

本の販売中止 を自ら決断した真央さん 雑音で耳を汚さず まっすぐ前に進んでください。

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走る車の窓から携帯で撮ったのでつぶれていますが怖いような雲でした。昼間はもくもく白い積乱雲でした。







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祈りそのものでした。解説もことばを発しませんでした。痛み 苦しみ 悲しみを昇華する祈り 永遠なるものに向けられたひたむきなまなざし

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出頭は松本氏の死刑執行を延ばすためといわれていますが真相はどうなのでしょうか。思えば オームの事件も123号便をしのぐとも思える日本の闇でした。

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昔 統一教会のおねえさんにオルグされたことがあります。浦和駅ちかくでぼぅーっとした高校生だったわたしは 恥ずかしながら 不二家のマロンパフェで 落ちました。やさしそうなひとでしたしね。つれていかれた先で 講義をうけましたが びっくりして後悔して 自力でなんとか抜け出しました。

好奇心旺盛だったので カソリックも福音自由教会も 創価学会も 幸福の科学も 伊勢神道も そのほかいろいろ聞くだけは聞きました。えらい人は知りませんが なかにいる方は みないい方ばかりでした。 救いを求め よりよく生きたいと扉をたたくのですから いいひとが多いはずですね。けれども お金と組織からなる権力で腐るものもあります。

シュタイナーも仏典もひふみも読みました。妙なとりあわせですけれど今も残っているのは古神道とカタリ派とホピについて書かれたもの そしてマリアとトマスの福音書です。

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    地デジのテレビはありません。でも紅白は聞きたくて 車の中で毛布にくるまって後半を聞きました。昨年の紅白、震災が歌手の歌う心に灯をともしたのか 胸を打つ歌唱がたくさんありました。ありがとうございました。なかでもわたしは絢香?さんという歌い手さんの声に仰天しました。背筋を戦慄が二度奔りました。この方の声は四次元的にひろがる感じがします。意識されているのかいないのかわからないけれど 声の可能性を限定していない感じがしました。

    松任谷ゆみさん 悪声! ごめんなさい なのに心に響きました。さゆりさんの津軽海峡冬景色もよかった。さぶちゃんもよかった。ヤクザさんと関係がなければいいのに。あと あっこさん 内臓かどこかに病気があるのではないかと感じました。あるレンジの音が出にくいので無理に出そうとしています。千さんもですね ちょっと変だった。内臓とからだの部位によって反響する音域が違うので倍音の響きの豊かな声を出すことと健康は深いかかわりがあります。

    たしかに年齢が上がると高い声は出にくくなるのですが 自分の生活を律することで豊かな声 つやのある声は保たれます。若い声はそれだけでも輝きがありますが 人生に磨かれ 内面の充実に裏打ちされ 健康な体から発せられる「声」を聞くのはそれ以上の喜びです。

    

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    K小学校学童保育 ストーリーテラー 4名
 
子どもたち 30名くらい
1 もみの木 創作オリジナル 子どもたちとうたいながら
2 にゃーご パペットで
3 むかでの買い物
4 鳥取のふとんの話
5 もちっこ焼いて  手遊び

この小学校は小規模(ほとんどの学年が1クラス)のせいか みんな仲がよく 元気で のびのびしています。年末に入っての急なお話だったので 打ち合わせが足りませんでした。たのしいおはなしばかりになってしまったので 急遽 八雲の鳥取の布団の話に切り替えて語りました。「にいちゃん 寒いでしょう」「おまえも寒いだろう」

陽気でチャチャもよくはいる語り手にとってはやりがいもあるが怖い 勉強のし甲斐のあるありがたい語りの場ですが シーンと静まって しわぶきひとつありません。聞く力のある子どもたちなのだとしみじみ思いました。

おはなし会にはバランスが必要だと思います。....ただ 自分の語りたいはなしを持ってゆくのでなく 受けを狙うのではなく男の子を主人公にしたはなし 女の子を主人公にしたはなし 日本の民話 外国のはなし 手遊び......さまざまなものがたりもってゆく 我を忘れてものがたりに夢中になるそんな時間を子どもたちに生きてもらうために。

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