みんなしてなんじょにがするべ!

今なすべきは意見を持ち発言すること。どうも心配な雲行きのこの国、言うべきことを静かにしっかりと言い続けたい。。

北方領土は4島か?  その3

2016年09月03日 | 憲法守るべし
たしか、エルミタージュ美術館にあった「天使像」(作品名ではない)
        

外務省のホームページの「北方領土」には、日本政府の北方領土に関する基本姿勢が述べられている。

日本の基本的立場
(1)北方領土は、ロシアによる不法占拠が続いていますが、日本固有の領土であり、この点については例えば米国政府も一貫して日本の立場を支持しています。政府は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという基本的方針に基づいて、ロシア政府との間で強い意思をもって交渉を行っています。


日本政府は、北方領土問題の基本は「北方4島の帰属の問題を解決」することとしているが、ここに二つの疑問を感じる。
まず第一は、北方領土は4島だけかという疑問である。
「その2」で調べたように、日ロ両国は、千島列島が日本領土であると「樺太千島交換条約」で取り決めた。樺太南部は日露戦争(ポーツマス条約)で奪い取った領土だから、日本領土と言うことはできない。
したがって、北方領土は、日本政府が言う北方4島のみならず千島列島もあわせた島々を指すと考えるのが歴史的事実に沿った当然の解釈ではないか。
第二は、それなのに日本政府は、なぜ「4島」と限定してしまったのかと言う疑問である。
一方のロシアは、「平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」とする「2島返還」なのか。2島とする歴史的事実、法的根拠は何なのか、第三の大きな疑問である。これ等について調べ、考えなければならない。

ウィキペデアには、日本人はロシア人より早く、17世紀から18世紀にかけて「北方領土」に進出し、ウルップ島に日本領と宣言する標柱を立てたことなどの説明がある。千島列島は、南千島(国後島、択捉島)と北千島(ウルップ島より北の島々)に分けられるとも説明されているが、これは地理学上の分け方で、今「北方領土」問題を論じるときの千島列島は、「樺太千島交換条約」に列記された島々・地理学上の北千島と考えるのが正しいのではないかと思う。地理学上の南千島は、それ以前に日本の領土と確定していたので、樺太と交換して新たな日本領土になった「千島」とは別であることは明らかだ。したがって、日本とロシアの間の領土問題を考える際の「千島」はウルップ島より北の島々になる。




「北方領土」は4島か?  その2

2016年09月02日 | 憲法守るべし
からしだねさん、コメントありがとうございます。ロシアに行くならサンクトペテルブルグを訪ねるようおすすめします。それも短い秋、紅葉の頃がいいようです。

外務省ホームページに「北方領土」が載っていて、「北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)」では千島列島、樺太などをめぐって日本とロシアの間で取り決められた条約などの説明をしている。

※ 日魯通好条約(1855年) 日露両国は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。
※ 樺太千島交換条約(1875年) 日本は、千島列島(=この条約で列挙されたシュムシュ島(千島列島最北の島)からウルップ島までの18島)を   ロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。
※ ポーツマス条約(1905年) 日露戦争後の条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けたました。
※ 大西洋憲章(1941年)、カイロ宣言(1943年) 米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署   名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。カイロ宣言は、この憲章の方針を確  認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました。
※ ポツダム宣言(1945年)
※ サンフランシスコ平和条約(1951年) ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しまし   た。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利    を主張することはできません。

尖閣問題と同じで、日露戦争によって奪い取った領土を「譲り受けた」と記して、いかにも合法的に獲得した印象を与えているところを除けば、この歴史的経緯の説明に間違いはないと思う。
これらから、「択捉島までが日本領土であること」が19世紀の半ばには確定したこと、「ウルップ島から北の島々が千島列島であること」を日ロ両国が確認していたことが分かる。(日魯通好条約及び樺太千島交換条約)。
さらに、樺太千島交換条約により、「千島列島は日本領土、樺太(サハリン)はロシア領土」として19世紀の内に確定していた。平和的に、国際法に則した交渉で取り決められた「領土」である。

「北方領土」は4島か?  その1

2016年09月01日 | 憲法守るべし
     モスクワ クレムリン前の広場夜景


プーチンロシア大統領が12月に来日することになりそうだ。安倍首相は、「地元に招いてもてなすことで首脳間の信頼を深め、北方領土をめぐる日露交渉の進展を目指す考えだ」と8月31日の朝日新聞は書いている。「『4島の帰属を確認して平和条約を締結する』との日本政府の基本方針」とも書いている。
一方、ロシアについては、「日本は第2次大戦の降伏文書でポツダム宣言を受諾した。宣言には、戦後の日本の領土の範囲はソ連など宣言に加わっている国が決めると明記されている。それがロシアの基本的な考え方だ」と、ロシアを代表する日本専門家のストレリツォフ・モスクワ国際関係大学教授が語ったと紹介している。そしてロシアは、「択捉島、国後島で軍関係のインフラ整備を急ぎ、千島列島中部の松輪島を太平洋艦隊の軍事拠点にすべく調査を進めている」とも書いている。


ポツダム宣言には、「七 日本国領域内の諸地点は・・・占領せらるべし」、「八 カイロ宣言の条項は履行せらるべく又日本国の主権は本州、北海道、九州及四国並びにわれらの決定する諸小島に局限せらるべし」とある。(塩田庄兵衛ほか著「戦後史資料集」)
「日本国との平和条約」(サンフランシスコ講和条約)では第二章領域、第二条(C)に、「日本国は、千島列島並びに日本国が一九〇五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある。(同上資料集)

サンフランシスコ条約にソ連(ロシア)は加わっていないが、ポツダム宣言には確かにストレリツォフ教授が言うように書かれていて,ロシアの言い分は正当のようだが、もう少し「北方領土問題」を調べてみようと思う。