みんなしてなんじょにがするべ!

今なすべきは意見を持ち発言すること。どうも心配な雲行きのこの国、言うべきことを静かにしっかりと言い続けたい。。

辺野古では強そうに見えるが

2015年10月29日 | 憲法守るべし

ワシントンDCのリンカーン大統領像 若者も多数訪れていた

安倍政権が辺野古米軍基地建設工事を再開した。
しかし、工事再開にはなんの道理もない。唯一の根拠は、前知事が同意したということだけで、ただただアメリカへの約束を守らなければならないと乱暴に突き進んでいるだけだ。
仲井間前知事は、「県外移設」を公約して当選したにも関わらず、県民・県議会への説明も同意もなしに突然辺野古「移設」をOKした。こんな同意の仕方を県民が納得するわけがない。前知事の同意について、沖縄県が検証した結果「瑕疵があった」ので承認を取り消すとしたことへのまともな吟味も反論もせずに突き返して、即工事再開を始めることなど、民主主義の国では許されないことだ。「瑕疵があった」と指摘された一つ一つを否定するきちんとした反論をしなれば、正当性を主張できないはずだ。日ごろ口にしている「丁寧に説明していきたい」がウソだということを自ら証明したに等しい。

首相は「同じ価値観を共有する国々と協力して」などとしょっちゅう言っていた。中国や北朝鮮、イスラム勢力などを念頭に置いたものらしいが、日本は民主主義国家で、これ等の民主主義を受け入れない国などとはちがうと胸を張っているように聞こえていたが、“民主主義の国”と言うことにためらいを感じ始めたのか最近はあまり聞かなくなった。盟友の麻生副総理に「ヒトラーのようにやれ」とけしかけられ、その通りやったのだから「共有する価値観が別でした」とお詫びしなければならないのではないか。
そもそも近代民主主義の基は、人民が国王(独裁者)に人権を認めさせて生み出したもので、その闘いの成果が人権宣言や憲法などに結実して内容が豊かに発展してきた。人民(国民)の意思を実現するために政府がつくられ、人民はその意思に反する政府を取り替えることができると明確に宣言した。
日本では今、憲法が踏みにじられ、民主主義、平和主義が覆されている。国民の意思から遠くかけ離れた政治が平然と進められている。こんな政府はいらない!
安倍政権、自公は国会でも、辺野古でも強そうにふるまっているが、結束した国民の強さをひしひしと感じ恐れているに違いない。臨時国会を開催したくない、原発や辺野古周辺にカネをばらまこう、こんな姑息なやり方にもそれは表れている。
昔はともかく、今はあきらめなければ安倍政権を倒せる。
このために言ったのではないかもしれないが、「めどをつけるまでは死ねん」「あきらめるのをやめればできる」(むのたけじ)

官房長官は共産党綱領を読んで言ったか?

2015年10月19日 | 憲法守るべし

     東北新幹線に架かった虹(蔦の紅葉)

今日10月19日は、戦争法(安保関連法)強行“採決”から一か月目の日。夕方から国会前では大きな集会が行われているはずだが、盛岡でも“成立”後初めて昼デモが行われた。
岩手労連などが、戦争法案に反対して毎月2回くらい何か月か続けてきたデモだ。岩手県庁前に集合して12時20分に出発、盛岡市の中心市街地を約30分デモ行進するのだが、私らのような退職者自由人はともかくとして、だいじな昼休み時間を割いて参加する労働者の皆さんは偉いと思う。ざっと見渡して150人を超えたかなと思われる参加者だったが、メディア各社も注目していたようでテレビカメラなどが多数並んでいた。


 菅官房長官が記者会見で、共産党の志位委員長が安保関連法廃止のための国民連合政府が実現した場合、党綱領で掲げる日米安保条約の破棄や自衛隊の解消などの政策を凍結する考えを示したことについて、「どう国民に説明するのか。選挙目当てかなと思う」と批判した。(朝日新聞17日)
 政治かは知らないことでも知っているように装うことがある。反対に知っていても知らないふりをして自分に都合よく語ることもよくある。安倍首相の「ポツダム宣言」についての発言はこの両方だったから、よほどシンゾーが強いのだろう。以前、ポツダム宣言は「原爆投下後に急きょ発表された」と無知をさらけ出して宣言を貶める発言を対談で語ったそうだが、最近では「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない」と国会答弁をして世界を驚かせた。 首相の例はさておき、官房長官はどちらだろうか。共産党の綱領を読んだうえで捻じ曲げて“批判”したのか?読みもしないで言ったのか?
どちらにしても「選挙目当て」で言っているのは官房長官の方だ。

 共産党綱領では、日米安保条約を廃棄し自衛隊の解消などもおこなう「民主連合政府」樹立を目指すが、そうした目標では一致にいたらない段階でも、国政の重要ないくつかの課題で一致すればその実現を目指す「国民連合政府」をつくる場合があると定めている。もともと「国民連合政府」は安保廃棄や自衛隊解消など意見が食い違う課題は“わきに置いて”つくる政府であり、「選挙目当て」で凍結を言い出したのでないことは明らかである。
 

〝勇ましい〟だけの外交ではダメ!

2015年10月13日 | 憲法守るべし
 ユネスコが世界記憶遺産に「南京大虐殺の記録」を登録したことに対して、政府は分担金などを出さないことも検討していると菅官房長官が語った。ユネスコ分担金全体の10%以上を負担している“大国”のいうことをきかないのなら、金を出さないことでいうことをきかせようとする乱暴な“外交”はいかにも安倍政権らしい。自民党の二階総務会長がそのものずばり本音を披露していた。
 中国の「記録」も日本軍による犠牲者数は30万人以上とする“一方的”な部分を含むものらしい。これまた“正義”をかざして相手の言うことには耳を傾けない。日中どちらの政府も21世紀らしい外交では失格だ。
 日本軍が殺害した人数については確定されていない。30万人も一つの説で、日本会議などに属する学者などはこれよりはるかに少ない数を上げている。しかし、いずれの数であっても、日本軍が非戦闘員(中国民衆)を含む大虐殺を行ったことは事実である。事件直後の報道でも、また南京在住の外国人だけでなく、政府関係者を含む日本人の日記や談話などで明らかである。事実を日本政府も否定はできない。両国政府の主張のくいちがいを正す共同の研究・検証をすることこそが唯一の解決方法であることは誰でも考え付くところではなかろうか。
 なぜそうならないのか。根本に日本の、特に安倍政権の日本が行った侵略戦争への無反省・美化の態度がある。両国政府が20世紀型の力の外交を信奉しているからだけではない。アジア諸国、特に最も激しく侵略した東アジアの国々との間に信頼関係、腹をわって話し合う環境を築く土台は、日本があの戦争を事実に即してきちんと総括して、誠実に態度で示すところにあると思う。
 この機会を生かすならば、少なくも「日中を含む共同の検証作業を始めよう」とユネスコはじめ世界に提案すべきだ。安倍談話のようなまやかしを言いながら、ユネスコ分担金を出さないなどと“勇ましいこと”を決めたら、日本は孤立することになりかねず、またまた“中国外交の勝利”を宣言させることになるのではないか。〈/font>

〝主権者〟が主権者になる

2015年10月09日 | 憲法守るべし
 今はもう寒くてやってないでしょうが、9月下旬岩手大学資料館前の池で
     子どもたちがザリガニ取りをしていました。
    


からしだねさん、大変良いコメントをいただきありがとうございます。

戦後70年は、日本の歴史にとって素晴らしく輝く時代と後世評価されるのではないでしょうか。
一つは「戦争をしなかった時代」が、すでに「戦争ばかりの時代」を年月で超えたことです。
日本は明治維新後すぐ台湾、朝鮮への侵略を始めましたが、本格的な戦争が1894年の日清戦争とすれば、太平洋戦争の敗北(1945年)までが50年余り、くる年もくる年も戦争のなかで迎えたといっても大げさではない時代でした。
それでも庶民は“普通の”暮らしをしていると思って過ごした日々の方が多かったと思います。戦争が国民に重くのしかかって身近に実感するようになったのは「満州事変」以後の15年間ではないかと、これは私の想像ですが、思います。多くの国民は、じわりじわりと“大変”が忍び寄っていることに気づかず、日本が「大国」になることの方を喜んでいたのではないでしょうか。
その時代よりもずっと長く戦争しない国でとおしたことを次の世代に誇りを持ってつなげたいものです。

輝く時代と評価されたい二つ目は、国民は、“大変”が忍び寄っていることに気づいたとき、それをはねのける力が「民主主義」にはあると本当に気づきはじめたことです。それを70年間かけて学んだ時代だったと思います。
「誰を選んでも変わらない」とか「政治の話はご法度」とかいいながらも、やはり民主主義・国民主権の意識とか、平和が大事なことなどが人々の心のどこかに静かに積み重ねられた時代だったのではないでしょうか。70年かけた積み重ねのなかから、はねのけようとするエネルギーが湧き出ているところに、一過性の動きではない確かな希望を感じます。
いろいろな問題の方がまだまだ多いことも確かです。ガッカリすることもしょっちゅうです。それでも行きつ戻りつしながら社会はより良い方向に進んできたのが人類の歴史です。
今をまじめに、しかも心のゆとりをもちながら生きたいと思います。


    

公約を覆して大臣になった

2015年10月08日 | 憲法守るべし
まずはじめに岩手の紹介を。

    岩手大学資料館前にたたずむ賢治さん  やはりうつむいて何か考えている様子です。

安倍改造内閣が発足した。主要閣僚は留任で、「守り」の内閣と言う評価がきこえてくるが、下村文科相が「更迭」されたのを除けばこれまでの暴走政治を進めてきた主なところが留任したのだから、いっそうの暴走を進める布陣と言うべきだ。下村のあとに馳浩がついたので文教もこれまで通りだろう。
暴走推進の留任組に対して、新閣僚では変節著しい3人がいる。河野太郎行革担当相、森山裕農水相、島尻安伊子沖縄北方相だ。
河野太郎は、朝日新聞によれば、自民党内きっての「脱原発派」ということだが、「安倍首相は長期的には原発依存度を下げると言っている。ベクトルとすれば自分と同じ」と言い訳しているという。なんとだらしのないことか!
森山裕は、12年衆院選で「TPP反対」を公約にして当選し、党内に「TPP参加撤回」を求める会を結成し会長に就きながら、その後推進派に変身して農水相として入閣した。もっともTPP反対を公約した閣僚はまだいるようだが。
島尻安伊子は、10年の参院選で「普天間基地県外移転」を公約して当選。しかし沖縄県選出国会議員の中でも一番に公約を撤回して、沖縄選出国会議員全員が辺野古移転に賛成する裏切りに道を開いた。

今、民主主義を国民は改めて考えている。自民党は事実上公約に掲げていなかった安保法制を強行したが、公約に掲げたことも当選すれば平気で覆す議員も多い。このことも「民主主義ってなんだ」と考える課題の一つと、内閣改造の新聞を見ながら思った。

殺害された男性は岩手県出身だった

2015年10月05日 | 憲法守るべし
昨日紹介した賢治さんの詩の一節の初めを「光燈」と書きましたが、正しいのは「光燈」でした。「アークとう」とカナがふられています。辞書によればアーク灯はガス灯とはちがうようですが、岩手公園周辺に復元されているのはガス灯です。

   宮澤賢治が学んだ盛岡高等農林(現岩手大学農学部)の講堂。 今は岩手大の資料館になっている


バングラデシュで日本人男性が殺害され、「イスラム国」を名乗る犯行声明が出たニュースは大変な衝撃だった。その男性、星邦夫さんは、盛岡市の西の小岩井農場がある雫石町の出身だと先ほど地元のニュースが伝えたので重ねてびっくりした。
メディアはこの出来事を小さく扱っているが、10月3日だったか4日に初めて聞いたとき「ついに心配が現実になった」と非常なショックをうけたのは私一人だっただろうか。

「イスラム国支部」を名乗る声明は、「連合国の一員である日本(人)」をねらって殺害したという内容だと伝えられたが、バングラデシュ政府が「イスラム国支部」を確認できていないことから、日本政府もメディアも現段階では海外で日本人が巻き込まれた「殺人事件」とみている感じがする。
しかし、「イスラム国支部」がバングラデシュ国内に存在するかどうかよりも、1月の安倍首相のエジプトでの演説や、「戦争法」の成立をきっかけにしたかのように、「日本人がテロの標的」になったところを問題にするべきだ。
「日本は『イスラム』の敵対国」と名指しの声明が出されたことこそ問題にしなければならない。たとえそれが「イスラム国」によるものではないとしてもだ。

八幡平は黄葉真っ盛り

2015年10月04日 | 岩手を紹介
今日も岩手の紹介です。もちろん憲法も「戦争法」も忘れてはいませんから、そのうちまたそれも書きます。

宮澤賢治さんは「岩手公園」という詩の中で、盛岡の街を次のように描写しているという。


  孤光燈にめくるめき 羽虫の群れのあつまりつ
  川と銀行木のみどり
  まちはしづかにたそがるる


「孤光燈」は、当時の盛岡の街に灯ったガス灯だそうで、今岩手公園の周辺にいくつか復活されている。「川」は市中心部を流れる中津川。「銀行」はレンガ建ての旧岩手銀行本店(現在は資料館)。
実は、この詩の一節は「銀行」の建物を説明したレリーフの中に書かれているものを写したもので、私はまだ詩の本文を読んでいない。確かめもしないで〝紹介〟する不見識を乞うご容赦。


   賢治が詠んだ「銀行」と隣のビル前の彫像「サラ」  新旧の対照が面白い


盛岡の明日の天気の予報は最低気温が7度。今週は10度を下回る日が続くようでいよいよ秋深し。
昨日、茶臼岳から八幡平頂上まで山歩きをしようと山友2人と出かけた。車を走らせ高度をかせぐにつれ紅葉(黄葉だ)真っ盛り。雨上がりの日差しに、山いちめんがダケカンバの黄色におおわれ輝く風景に感嘆!!しばし見とれた。
ところが、登山口につくころには、大荒れの天気になり登山を中止してそのまま引き返した。秋の高山では雨が雪に変わることもある。強風と雨で体温を奪われ最悪の場合には動けなくなることもあるという。〈/font>