みんなしてなんじょにがするべ!

今なすべきは意見を持ち発言すること。どうも心配な雲行きのこの国、言うべきことを静かにしっかりと言い続けたい。。

百田さん、文化人らしくないです

2015年06月28日 | 憲法守るべし
昨日、自民党の勉強会での発言の詳しい記事が新聞に載った。今日も、新聞、テレビが引き続き大きく取り上げている。日本の民主主義にとって、また国際的な日本評価にかかわる大変な出来事だからしっかり検証して伝えてほしい。

昨日の朝日新聞の記事では、百田氏は「反日とか売国とか、日本をおとしめる目的で書いているとしか思えない記事が多い」「新聞よりテレビだ」「沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさないとあかん」「騒音がうるさいのは分かるが、そこ(普天間基地の周り)を選んで住んだのは誰やと言いたくなる」「米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪に方がはるかに率が高い」と発言した。朝日新聞は、発言について本人らに確認したうえで報道したと断り書きを添えている。
発言について百田氏は、「講演で言ったのではなく、講演後の出席議員との雑談のなかでポロッと出た軽口だった。冗談のつもりで、本意ではない」と朝日新聞の取材に応えて話したとも記している。

今日の朝日新聞は、百田氏が、「議員が『マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番』と言った時、僕はその場で『それやったらダメです』とはっきり言いました」とツイートしたと報じている。この人らしい言い訳、言い逃れをまた試みていると呆れかえる。
言論弾圧はダメと言うのが自分の信念と言うつもりだろうが、自分らと反対の意見と思えば「反日、売国」とののしり、事実に反することも平気で語って攻撃し、おとしめることで相手を黙らせようとする手法は、「貴様、それでも日本人か!」と威嚇して国民を黙らせ、間違った政治を進めた軍国主義者と同じではないか。
批判が強まれば、あれは冗談・ギャグだと言う。冗談にも語っていいものといけないものがあることは、常識ではないだろうか。ましてや、非公開とはいえ、政権党の勉強会での発言であれば冗談で済まされないと知るべきだ。しかも、言い訳した後にすぐ続けて「本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞です・・僕なりのギャグです」と。これが自民党がいうところの文化人というのだから全く呆れる。

自民党は、木原議員ら関係者を処分して終わりにしようとしているがとんでもない。
第一に、安倍総裁・総理の国会での答弁、「私的な勉強会で自由闊達な議論がある。言論の自由は民主主義の根幹をなすものだ」と語って、木原議員らをかばったことには全く触れずに過ごそうとしていること。
第二は、谷垣幹事長は、勉強会を「言論の自由を軽視」と批判したが、自民党の度重なる報道への介入が自民党の非民主主義の“文化的風土”をつくっていることへの反省がまったくないこと。
メディアも国会も絶対にこれで終わりにすることなく、更なる追及を続けていただきたい。

今日もまた呆れた

2015年06月26日 | 憲法守るべし
昨日は学校・教育が大変なことになっている、学校が憲法否定の先頭に立つような行為を平気ですることに驚いたが、今日もまた開いた口がふさがらない驚くべきことがでてきた。国会で民主党議員が今追及している最中だ。

自民党の安倍首相に近い議員が集まる勉強会で、「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。文化人が経団連に働きかけてほしい」など、自民党・安倍政権を批判する報道を規制すべきだという意見が続出。講演した作家の百田某が「沖縄の米兵が起こしたレイプ事件は大した割合ではない。沖縄県(民)が起こした方がずっと多い。」「嘉手納基地は田んぼの中にあったが、基地の周りに沖縄県民がどんどん住み着いて街になった」という趣旨の話をしたという。安保特別委員会委員長が、そのような発言がなされた事実を確認したことで、間違いなくそんな“勉強”をしていたことが確かめられた。

自民党がここまで民主主義否定の極右政党に成り下がったのかと驚く。おなじ党内の「リベラル系議員の勉強会に『時期が悪い』と注文を付け」て中止させたというから二重の驚きだ。
首相は、民主党議員の質問に、例によって焦点をはずしながら長々と「自民党は報道の自由を尊重する党である」などと言いわけしながらも、党内でこのような“勉強”がされていることについては、最後まで正すとは言わなかった。
それもそのはず、安倍晋三にはメディア(NHK)に圧力をかけて番組内容に介入をはかった前歴がある。百田某をNHK経営委員に任命したのも安倍首相その人だった。百田某は、事実に反することでも平気で語る人物だ。
安倍首相に近い議員たちが、事実と全然違うことを平気で語る“文化人”まで集めた勉強会をして、新聞の廃刊までめざす言論弾圧を声高に叫ぶ、このような者たちが成立を目指して画策する戦争法案は、ますます「戦争法案である」ことがはっきりしたのではないだろうか。
戦争する国づくりには、教育への支配・統制と言論統制が欠かせないというのが歴史の教訓だ。

自衛隊実弾射撃演習見学のおさそい

2015年06月25日 | 憲法守るべし
驚いた!!学校がここまで「文科省の方針」に〝忠実"になっているとは!
横浜市立某中学校の1年生に、社会科の夏季学習として「陸上自衛隊の富士総合火力演習」見学を呼び掛ける文書が配られていたという。(しんぶん赤旗6月25日)

横浜市教育委員会は4年前、市民の反対を押し切って育鵬社の教科書を採択したが、某中学校では、その教科書で憲法の平和主義について学習する一環として戦車やヘリコプター、火砲による実弾射撃演習を見学するのだという。校長は、市民の問い合わせに「文科省の方針に則っている。中止できない」と語ったというから、横浜ではこれが校長の“あたりまえ”になっているのかと思いゾッとした。
「政府が言うことだから正しい」、まるでNHK会長と同じではないか。戦前戦中の学校と同じではないか。

先生たちには「批判的に検討する」心を持っていただきたい。お国の言うことを無批判に聞くのではなく、子どものための教育を第一にものごとを考えていただきたい。戦車が走り回り、大砲が火を噴くのを見せて“教育”などと言わないでいただきたい。世界を見渡して戦車や戦闘機で平和を守れる時代ではない、そうしたものは混乱と殺戮を生むだけだと気づいていただきたい。
この前、からしだねさんは、先生の質を問うておられたが、国民が戦争法案に反対し、安倍政権の暴走政治を厳しく批判している現実をよく見て、国民は先生たちに何を期待しているか、ようく考えていただきたい。

盛岡では昼デモで抗議します

2015年06月23日 | 憲法守るべし
国会会期がが95日も延長された。しかも、その中にいわゆる60日ルールによる再議決の分も見込んでいるというのだから、この上ないむちゃくちゃだ。何がなんでも戦争法案を成立させたいための暴走の加速だ。
これまでにない長期の延長をして、60日ルールを使えば思い通りになると考えるのは、自分の考えることだけが正しいと思い込む首相らしいところ。国民が何を考え、どう反応するかは頭にないようだ。
国民の納得を得るために延長するのではないことが見え見えだから、国民はまず、この延長を支持しないだろう。

昨日の岩手日報は、共同通信社の世論調査結果を載せているが、戦争法案反対、この国会での成立に反対が国民の圧倒的多数であること、賛成は三分の一もない。しかも、公明党支持層でも反対が賛成を超えて多数になった。
なぜだろうか?何よりも、憲法違反の法案だと多くの人々が分かったからだ。そして、国民は、戦争の危険をますます強く感じているのに、政府は疑問にこたえる説明をしていないとますます強く感じているからだ。

私が今一番に、はっきりと答えてほしいと思うのは、政府は、最高裁砂川判決を根拠に合憲というが、最高裁が判断をした後もずっと政府は集団的自衛権行使は違憲と言い続けたきたのはなぜか。合憲と変えた理由を国際的な安保情勢の変化というが、情勢の変化を具体的に示さず漠然と語って、国民の不安を煽るような説明に終始しているところだ。

議会制民主主義の根本は、多数派だから何でもできるというところにあるのではない。主権者は国民であるということ。今、国民の6割以上の多数が反対していることを無理やり押し通そうとする安倍自公政権は独裁政権であって、政治の進め方においても憲法違反の政権だ。
会期延長に抗議するとともに、必ず「戦争法案反対」の世論をもっともっと広げて、安倍政権を退場させよう。戦争法案反対の思いを、できる方法で周りに広げよう。

育鵬社版歴史教科書を読んで  終わり

2015年06月16日 | 憲法守るべし
タチアオイが咲き始めました。この花が咲くと夏です。てっぺんの蕾が開くころは真夏です。

からしだねさん  ずーっと読んでいただきましてありがとうございました。コメントも頂いたことにもお礼申しあげます。
歴史が好きで近代史を学んだつもりでしたが、いざ間違った歴史論を述べる者へ反論するとなると「ちょっと本を読んだ」くらいではなかなかできないことが分かりました。自分の知識で書けたところがなかったわけではないのですが、吉岡吉典さんの本を大いに頼りにしました。

これまで書いたことをまとめれば、教科書「新しい日本の歴史」は、次のようなことを教え込もうとしてしているのではないでしょうか。
1、日本は、明治以来、白人の支配からアジアを解放するため、諸国民の独立運動の味方をしてきた。
2、朝鮮を植民地にしたのは、白人の国ロシアの脅威と戦い、日本の安全を守るためだった。
3、日中戦争は、中国国民の反日・排日が激しくなったために起きた。
4、太平洋戦争(大東亜戦争)は、自存自衛と欧米の植民地支配からアジアの国々を開放するための戦争だった。
5、戦後の民主化、日本国憲法制定などは、連合国に押し付けられた改革だった。(天皇を中心に築かれてきた日本の歴史に誇りをもとう)。


最後に、教科書が1930年代のファシズム台頭を次のように書いていることについてわたし流の批評をして終わります。

「ヨーロッパでも、政策決定に時間のかかる議会政治や、経済的な不安や貧富の差を生む資本主義よりも、強い国家権力で経済を統制するソ連のようなやり方の方が効率的ではないかという考えが広がりました。そして、この考えが個人の権利や自由を制限してでも、国家や民族の目標を優先しようとする全体主義の動きにつながりました。」(204ページ)

ソ連が、日本の軍国主義やドイツ、イタリアのファシズムを生んだ、手本だったとは初耳です。ナチスは、正式名称に「国家社会主義」とか「労働者党」とか使っていましたが、ヒトラーのドイツも、イタリアも日本もまちがいなく資本主義国家でした。ファシズム・軍国主義が否定したのは議会政治をはじめ民主主義でした。資本主義ではありません。
ファシズム・軍国主義は、世界大恐慌で矛盾が吹き出し行き詰まった資本主義を、全体主義的政治体制を敷くことで切り抜けようと台頭したので、ソ連を引き合いに説明されることではないと思います。

この教科書に限らず、資本主義は民主主義、社会主義・共産主義は全体主義と分けることが普通に行われています。しかし、世界をよく見れば、資本主義国でも民主的な政治体制を敷いていない国がたくさんあることから、すぐにこれは間違いだと気づきます。
こう分けることで、社会主義への拒否感をもたせる効果を狙っているように思います。それはスターリンによっていっそう効果あるものになっています。スターリンのソ連やかつての東欧の“社会主義国”は社会主義とはかけ離れた独裁国家、人権抑圧国家でした。社会主義のフリをして全く反対に進んだのです。今でもそれらを社会主義国と呼び続けているのはそれなりの狙いがあってのことです。今の中国も北朝鮮も社会主義ではありません。
社会主義は、人類の進歩をすべて引き継ぎいっそう発展させる社会です。人類は、議会政治や人権など民主主義をもっともっと徹底し、発展させた政治・社会の体制をつくりながら、やがて社会主義社会へと進んでいくのだと、いつか必ず叶うであろう「夢」を描いています。










育鵬社版歴史教科書を読んで  その10の2

2015年06月15日 | 憲法守るべし
「読み物コラム 東京裁判」は、東京裁判を ①戦勝国(連合国)が敗戦国(日本)を一方的に断罪した裁判で、しかも ②「平和に対する罪」は、東京裁判のために新しく導入されたものであって、さかのぼって罰したことは不当である。したがって、 ③ 東京裁判はまちがった裁判であるが、一方に肯定する意見もある。と主張している。

乏しい知識では語れないので、吉岡吉典著「史実が示す日本の侵略と『歴史教科書』」198ページ~210ページを要約して、コラム“批判”を述べることにする。
吉岡さんの本が発行されたのは、2001年に扶桑社版「新しい歴史教科書」(新しい歴史教科書をつくる会編)が教科書検定に合格した翌年であった。その後「つくる会」は分裂し、その一方は育鵬社から教科書を発行し続けている。


東京裁判は、ポツダム宣言を受諾した結果、「日本の戦争犯罪人の処罰」を規定したポツダム宣言にもとづいて、戦争を計画し、引き起こした責任を問われたA級戦犯を裁くために、連合国が開いた裁判である。
たしかに、明らかに国際法上不法な原爆投下や東京空襲、ソ連によるシベリア抑留など連合国側の犯罪行為を裁かなかった。その点では、「勝者による」「敗者の裁き」という一面がある。しかし、単純にその一面からだけ東京裁判を見るのは正しくない。
第一に、第二次世界大戦は、帝国主義国間の戦争であるとともに、世界的規模でのファシズム・軍国主義対反ファシズム・反軍国主義のたたかいであった。つまり、第二次世界大戦の「勝者」は、連合国であるとともに、ファシズム・軍国主義とたたかった世界の民主勢力だった。戦争犯罪人を裁くことは、たんに国と国との関係の問題ではなかった。
第二に、東京裁判は戦勝国によっておこなわれたが、1946年12月、国連総会で全会一致で採択された決議「ニュルンベルグ裁判所憲章による国際法の原則の確認」に基づいておこなわれたのであって、単純に勝者による裁判とは言えない。
また、ニュルンベルグ裁判、東京裁判(1946年5月~48年11月)は通例の戦争犯罪とともに、新たに、「平和に対する罪」「人道に対する罪」を処罰するという、新しい立場に立った裁判であったから、罪刑法定主義との関係で、国際法上の論議があるのは事実である。
しかし、東京裁判の基本に置かれた「ニュルンベルグ原則」が、国連総会決議で国際法の原則として確立された意義は極めて大きい。この決議を法典にする作業が進められ、1998年には「国際刑事裁判所規定」が採択され、集団殺人罪(ジェノサイド)、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略の罪を管轄する国際刑事裁判所が設置されることになった。これによって、この4つの罪を勝者、敗者の別なく裁く道が開かれたことは、歴史の新しいページを大きく開くものと評価される出来事である。
東京裁判の本当の問題点は、教科書が言うようなところにあるのではなく、朝鮮植民地支配や従軍慰安婦問題、強制連行問題などはとりあげられず、日本軍国主義の侵略戦争に対する追及が不徹底であったところにある。
教科書は、日本がやった戦争の美化・正当化と東京裁判批判の根拠として「パールの無罪論」を利用しているが、実は、パール判決は教科書が期待するほどたしかな「無罪」の根拠になるものではない。パール判決によりどころを求めたことは、「歴史教科書」の矛盾、弱点をさらけ出すことにしかなっていない。
第一に、日本の中国侵略について、証人喚問で柳条湖事件が関東軍による謀略だったことが述べられているのに、パール判決書ではこの証言を退け中国軍によるものだとする説をとっている。
第二は、パール判決書は、不戦条約によっても戦争は違法ではないという見解を採っている。これは、国際連盟規約に始まり不戦条約でいっそう明確になった、戦争違法化の進展を認めない、当時においても遅れた独特のものであった。
第三は、南京事件、バターン死の行進、泰緬鉄道建設への俘虜強制労働などについて「残虐な非行」とか「少しでも正当化し得るものであるとは考えない」などとしながら、たとえば「俘虜の非人道的な取り扱いが、東條を含む被告のうちの誰かの不作為に原因し、または被告のうちの誰かが何らかの方法によって予見し得たかということについては、本官を満足させる証拠は提出されていない」といったように、法の適用をめぐって「無罪」としているのであって、日本の犯罪行為がなかったという“無実論”ではないのである。
第四に、パール判決は「日本は、その生存にとって死活問題と考えた若干の『権益』を中国において獲得した」などと、中国における日本の権益とそれを守るための「自衛権」について正当化している。これも当時の世界の到達点とはちがうものだった。
第五に、日独伊防共協定を、侵略的なものではない、ソ連に対する防御同盟にすぎないと弁護している。

育鵬社版歴史教科書を読んで  その10の2

2015年06月14日 | 憲法守るべし
維新の党が戦争法案に対案を出すという。労働者派遣法改悪法案の〝修正〟という助け船をだし、またまた今度は戦争法案でも大きな助け船をおくって法案成立への道を開くつもりか。今はもう死語になった「第3極」の本性丸出しだ。公明党に続けとばかりに、生き延びる道を求めて自民党との癒着に舵を切ったらしい。泥船に泥の船をくっつけても浮かばないだろうに。


教科書「新しい日本の歴史」は、先に紹介した「国民とともに歩んだ昭和天皇」と見開きで232ページ全部を「読み物コラム 東京裁判」にあて、力を入れた二つのコラムで日本の侵略戦争の学習を締めくくっている。それだけに、この教科書が、日本がやった戦争について教えようとしていることがここに集約されているのではなかろうか。
長いけれども全文を写す。

「●戦犯として裁かれた人たち● マッカーサーは、戦後につくられた裁判所条例に基づいて、極東国際軍事裁判(東京裁判)を開きました。罪を追及する検事や判決を下す裁判官は、すべて戦勝国とその植民地から任命され、日本人の弁護団はわずかでした。裁判は、戦争指導にたずさわった政治家や軍人を、侵略戦争を行った「平和に対する罪」で裁こうとするものでした。弁護団は、この罪は新しく導入された考え方であり、過去の戦争にさかのぼらせて適用することは不当であると異議を申し立てましたが、却下されたまま裁判は始まりました。1948(昭和23)年11月、25人に判決が下り、翌月、東条英機元首相以下7人が死刑となりました。判決に当たって、インドやオランダなど5か国の裁判官は少数意見を提出しました。その中でインド代表のパール判事は、「復讐の欲望を満たすために、たんに法律的な手続きを踏んだに過ぎないようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い」として、全被告を無罪とする意見を述べています。また、捕虜虐待などの戦争犯罪に問われた軍人なども、横浜やシンガポール、マニラなど各地の裁判所で裁かれ、1000人を超える人々が、十分な弁護を受けることもなく死刑に処せられました。 ●東京裁判についての見方● このように、東京裁判では、日本の政治家・軍人たちが戦争犯罪者として裁かれました。その一方で、米ソなどの戦勝国に対しては、当時の国際法から見て戦争犯罪とされるものでも、罪に問われることはありませんでした。東京大空襲や原爆投下などアメリカ軍による都市空襲では、多くの一般市民の命がうばわれました。ソ連軍の満州侵攻でも、満州に住む日本人への暴行や日本人捕虜のシベリア抑留によって、多くの人々が被害を受けました。しかし、こうした戦勝国の行為を裁く裁判は、行われませんでした。その他に、東京裁判については、「平和に対する罪」を過去にさかのぼって適用したことの不当性を、批判する意見があります。一方では、世界平和に向けて国際法の新しい発展を示した裁判として、積極的に肯定する意見もあり、その評価は現在でも定まっていません。」


最後の「一方では、・・・現在でも定まっていません。」はいかにもとってつけたような感じがするが、実は「バランスをとれ」との検定意見が付き、「合格」させるために付け加えられたと言われている。
ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約など、戦後日本の出発点をことごとく否定して、東京裁判を拒否することを教えるこの教科書は、まさに「戦後レジームからの脱却」を生徒にすすめる教科書である。
コラム“批判”は次回。





育鵬社版歴史教科書を読んで  その10

2015年06月13日 | 憲法守るべし
教科書「新しい日本の歴史」は230ページから「第二次世界大戦後の民主化と再建」へと変わり、その最初が「占領下の日本と日本国憲法」となっている。
「連合国軍総司令部(GHQ)の指令を受け、改革に取り組みました」として諸改革を説明した後こう書いている。

「GHQは、日本が再び連合国の脅威にならないよう、精神的なものも含めて国のあり方を変えようとしました。過去の歴史教育や政策は誤っていたという報道や教育が行われ、占領政策や連合国を批判する報道は禁じられました。また、日本軍は解散させられ、戦争の計画や実行に中心的役割をになったとされた軍人や政治家は、極東国際軍事裁判(東京裁判)にかけられ、裁かれました。・・・」(230ページ)

この教科書の著者たち、は安倍首相とおなじくポツダム宣言を“つまびらかに”読んでいないらしい。
これは、日本は同意してないが、連合国の脅威にならないよう押し付けられたという書き方ではないか。しかし、これらはポツダム宣言の実行として行われたもので、日本が無条件(正しくは国体護持と引き換え)で受け入れて降伏した事実を認めないような書き方である。
押し付けられた改革というこの教科書の立場は、次の「日本国憲法の制定」にもそのままあらわれている。

「日本側は、大日本帝国憲法は近代立憲主義に基いたものであり、部分的な修正で十分と考えました。しかし、GHQは日本側の改正案を拒否し、自ら全面的な改正案を作成すると、これを受け入れるよう日本側に強くせまりました。天皇の地位に影響がおよぶことをおそれた政府は、これを受け入れ、日本語に翻訳された改正案を、政府提案として帝国議会で審議しました。議会審議では、細かな点までGHQとの協議が必要であり、議員はGHQの意向に反対の声をあげることができず、ほとんど無修正で採択されました。・・・・(戦争放棄《平和主義》)の規定は、占領が終わり、わが国が独立国家として国際社会に責任ある地位を占めるようになるにつれ、多くの議論をよぶことになりました。」(231ページ)

自民党・安倍政権の主張とうり二つの“押し付け憲法”とする記述である。これほど一方的な書き方でも検定を通過するとは、文科省の教科書検定がいかに政治的に行われているかがうかがわれる。
まず、日本側が部分的な修正で十分とし、GHQが拒否した日本側の改正案がどのようなものかの説明がない。
1年ほど前までは、大政翼賛会の下、政党は解散し、ただ一つ侵略戦争と植民地支配に反対して活動を続けていた共産党は徹底的に弾圧されていたのが、あるいは、学問・研究の自由も奪われていたところが、やっと“自由”なったばかりにもかかわらず、政党や民間で検討され発表された憲法草案があったこと、それらの中にはすでに明治時代に構想された「五日市憲法案」を引き継ぐすぐれた人権思想を盛りこんだものがあって、GHQに大きな影響を与えていたこと等々、映画「日本の青空」で描かれたような国民の動きは全く無かったとする書き方では、生徒は、たやすく“押し付け憲法”だと理解することになる。そしてやはり憲法は変えなければならないと思うだろう。この教科書はそのように誘導する書き方をしている。

育鵬社版歴史教科書を読んで  その9

2015年06月12日 | 憲法守るべし
昭和天皇は、1975年10月、日本記者クラブで初めての記者会見を行った際、アメリカによる原爆投下を「広島市民には気の毒ではあるが、戦争中のことでありやむを得ないことと思っている」と語っている。


教科書「新しい日本の歴史」は233ページ全面を「人物コラム 国民とともに歩んだ昭和天皇」にあてて、天皇を称えている。

「・・大日本帝国憲法では、天皇は国の元首で統治権を総攬し、国務大臣の輔弼により統治権を行使するとされていました。そして、自分の考えと異なる政府の決定であっても、天皇はこれを認めることが原則となっていました。ただし、1936(昭和11)年に二・二六事件が起きたときは、天皇は事件を起こした将校に同情的な意見を退け、鎮圧を求めました。・・・戦争よりも日米交渉の継続を重臣たちに示唆しました。しかし、結局、開戦を回避できず、・・苦渋の末に12月、「まことにやむを得ないものがある」などと記した宣戦の詔書を発しました。・・・天皇は連合国軍の最高司令官であるマッカーサーを訪問します。マッカーサーは天皇が命乞いに来たと思いました。ところが、天皇の言葉は、私の身はどうなっても構わないから、国民を救ってほしいというものでした。・・・身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて  これは終戦を決断したときの御製ですが、ここにも天皇の覚悟が見て取れます。・・・・・国民とともに生涯を歩んだ昭和天皇は、1989(昭和64)年1月7日崩御しました。」


天皇は、2・26事件のときだけは、自分の意見を押し通した、あとはみな重臣たちが決めたことだった言いたいようだが、天皇が判断して終戦を引き延ばしたなど、要所要所で天皇は重大な判断を下している。
「国務大臣は天皇を輔弼する」というのは、天皇を抜きに政治も軍事も決められないということであって、天皇は決定を認めるだけだったとは事実に反する書き方だ。結局、「天皇に戦争責任はない」と示唆したいのだ。

終戦の決断を引き延ばした天皇の判断が、東京はじめ各地の空襲で、沖縄で、広島、長崎で数十万人の命を奪うことになったにもかかわらず、天皇が、「ただ倒れゆく国民を思って終戦を決断した」と紹介するのは、あまりにも史実とかけ離れた書き方だ。

沖縄、小笠原を日本から切り離すこと、沖縄を〝貸し出す″ことなどを“提案”した人物、アメリカによる原爆投下を「遺憾ではあるが、戦争だからやむを得ないこと」と言った人物が、どうして“国民とともに歩んだ”と言えるのか。



育鵬社版歴史教科書を読んで  番外

2015年06月11日 | 憲法守るべし
からしだねさんが「教える先生の意識も大切」との意見を書いてくださいました。
戦前の日本でも困難な中で、子どもによりそって本当のことを伝えよう、学ばせようとした先生がたくさんおりました。いろいろな小説などにもそうした先生が登場します。しかし、中国侵略の戦争が拡大するのに合わせて弾圧が強まり、ものを言うことができなくなりました。
今の学校は、とても忙しいことと上からの押し付け・管理教育がすすめられ、自由が無くなってきていると聞きました。それでも、はねかえす努力をするのが公教育に携わる教員の使命ではないかと思います。頑張っている先生もたくさんいます。先生たちの努力を励ましながら、よい教育ができるように一緒に努力することが大切だろうと思ってます。


「昭和天皇と沖縄」と書いてネット検索したところ、沖縄の新聞「琉球新報」が、2014年9月10日の社説「昭和天皇実録 二つの責任を明記すべきだ」で次のように書いていた。

沖縄の運命を変えた史実は、十分解明されなかった。
 宮内庁は昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。米軍による沖縄の軍事占領を望んだ「天皇メッセージ」を日本の公式記録として記述した。
 しかし、沖縄の問題で重要とみられる連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサーとの会見記録や、戦争に至る経緯などを側近に述懐した「拝聴録」は「見つからなかった」との理由で、盛り込まれなかった。編さんに24年かけたにしては物足りず、昭和史の空白は埋められなかった。
 昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている。最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が「国体護持」の立場から1945年2月、早期和平を天皇に進言した。天皇は「今一度戦果を挙げなければ実現は困難」との見方を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の「捨て石」にされた。だが、実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか分からない。
 二つ目は45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された「和平交渉の要綱」は、日本の領土について「沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」として、沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から「捨てる」選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない。
 三つ目が沖縄の軍事占領を希望した「天皇メッセージ」だ。天皇は47年9月、米側にメッセージを送り「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した。実録は米側報告書を引用するが、天皇が実際に話したのかどうか明確ではない。「天皇メッセージ」から67年。天皇の意向通り沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中して「軍事植民地」状態が続く。「象徴天皇」でありながら、なぜ沖縄の命運を左右する外交に深く関与したのか。実録にその経緯が明らかにされていない。
 私たちが知りたいのは少なくとも三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声だ。天皇の発言をぼかし、沖縄訪問を希望していたことを繰り返し記述して「贖罪(しょくざい)意識」を印象付けようとしているように映る。沖縄に関する限り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。この点をあいまいにすれば、歴史の検証に耐えられない。


では、昭和天皇を育鵬社版歴史教科書はどう描いているだろうか。