みんなしてなんじょにがするべ!

今なすべきは意見を持ち発言すること。どうも心配な雲行きのこの国、言うべきことを静かにしっかりと言い続けたい。。

ふるさとの山・岩手山

2015年12月14日 | 岩手を紹介

今回は「政治の話」を休んで盛岡について語ることにします。

盛岡も例外でなく、今年の師走はずいぶん暖かいです。今日は上天気。午後、自転車で出かけてみました。
盛岡を北上川、中津川、雫石川の3本の大きな川が流れていて、盛岡駅の南端付近で北上川に他の2本が合流します。東京方向から新幹線で帰ってくるとき、この合流点にさしかかると立ち上がり荷物をもって列車の出口へ向かいます。その合流点からすこし上流の雫石川に架かる橋から眺めた今日の岩手山です。
古代からこの川は氾濫を繰り返し、平安時代初期に朝廷が「蝦夷」と呼んだ陸奥の民衆を支配するために、この付近に築いた紫波城も繰り返す洪水のため
に撤退せざるを得なかったといいます。その頃は東北地方は〝独立国〟でしたが、特に金を産出することが知られるようになると、朝廷は坂上田村麻呂などの軍を派遣して支配しようとし、陸奥の民衆は激しい抵抗を続け、長い戦の時代が続いたのです。
朝廷を中心に歴史を語れば、蝦夷を退治する総司令官・征夷大将軍坂上田村麻呂は英雄ですが、陸奥を中心にすると田村麻呂たちは侵略者です。


写っていないのですが、画面の左の方に岩手山から続く山々にはスキー場があるのですが、岩手県内のスキー場も雪不足で困っているようです。普通の年には、遠目にもゲレンデが何本もの白い縞模様になって見えるのですが、今年はほとんどないです。
〝ずいぶん昔〟に、私もスキー出かけたものですが、今はもう寒いところにわざわざ出かけるほどの元気がなくなりました。特に天気が悪いときの、リフトの順番を待って並んでいるところを思い出すだけで嫌になります。この頃は安比スキー場や雫石スキー場など大きなスキー場にはゴンドラがあるのでそんな思いをしないでも済むようですが・・・

大谷選手素晴らしかった

2015年11月19日 | 岩手を紹介
侍ジャパンがんばれ!!!逆転されて最終回の攻防を手に汗握ってみてます。負けたら・・、負けた・・・・・・・
これで、大谷翔平の好投も報われないことに・・・ざんねん!
でも、韓国もまた素晴らしいチームでした。ピッチャー交代をチャンスに見事に逆転。

翔平くんは岩手県奥州市出身。まだ少年らしい顔で、160キロ越えを連発するから素晴らしいだけではなく、話すこともプロ選手・しっかりしていて素晴らしい。
翔平くん、来シーズンも更にさらに進化してプロ野球をほんとうに楽しくしてください。

出雲大社に高田の松が

2015年11月13日 | 岩手を紹介
前回投稿の最後、ずーっと行を空けて「『朝日新聞』『読売新聞・・・』」と消し残しがありました。単なる消し忘れですので気にしないでください。
からしだねさんは、よくご覧になったうえで、私は全く知らないたくさんのことを付け加えて感想などを寄せてくださるので嬉しいし、緊張もします。ありがとうございます。
私は、知識の不足は恥ずかしいですが、感を磨いて補い、今発言しなければならない、書きたいことを書き残しておくつもりで、ついでに誰かに見てもらえたらと「みんなすてなんじょにがするべ」(みんなでどうにかしよう)と、今では特別意識しなければ話すことのない、子どもの頃祖父母が語っていた言い回しを使ってみました。そんな思いのブログですので、よろしかったら今後もいろいろ寄せてください。楽しみに投稿を続けます。


ありふれた写真ばかり続きますが、「初冬の色」・ドウダンツツジです。


東日本大震災で7万本の松〝すべて〟が流された岩手県陸前高田市の高田松原にただ一本残り、被災者を勇気づけた「奇跡の一本松」もその後立ち枯れて、今は〝樹脂加工〟することで大津波とそれからの復興のモニュメントとして保存されている。
高田の人々は、松原を元の姿に復元しようと、震災以前にクリスマスリースをつくるために拾い集めていた高田松原の松ぼっくりから種を採って苗を育てている。〝由緒正しい遺伝子〟をもつ松で復元を図りたいと懸命の努力をしている。
その松の1本が、出雲大社に移植されると夕方のニュースが伝えていた。神無月に全国から出雲大社に集まるという神々によって各地に伝えられ、縁結びの神様をおまいりに来る人々を通じて高田、三陸被災地への関心が持続されたら嬉しいと思う。






映画館通り

2015年11月01日 | 岩手を紹介
先日、むのたけじさんの言葉を間違って書いてしまいました。むのさんには大変失礼しました。また、ブログを読んでくださった方々には、“ウソ”を伝えてしまい申し訳ありませんでした。お詫びいたします。
むのさんは、「あきらめることをあきらめればできる」とおっしゃったようです。はじめて見て、「あきらめればできる?なんのことだ」とびっくりしたものです。


盛岡市街地に「映画館通り」と呼ばれるおよそ300mほどの通りがある。昭和の時代、映画が盛んだったころはこの通りを中心に10に近い映画館があった。お正月などは超満員の立ち見で、子どもには大人の背中しか見えなかったが、入れ替えまで待ってやっと映画を見ることができた懐かしい思い出の映画館通りも、今では映画館は5つくらいに減り(複数のスクリーンをもつ館もあるが)、別のはなれた通りにシネコンができて、ずいぶん様変わりした。それでも映画館通り、シネマ・ストリートの名前は健在だ。
その一つの館の「午前10時の映画祭」で往年の名画が上映されている。「午前10時の映画祭」は全国各地でやられているのでご覧になっている方も多いかと思うが、私も、昔見過ごして「観たい」と思っていた映画や、映画評を見て何時か是非と思っていた映画が1000円で観られるので楽しみに通っている。
盛岡では今月、「高倉健を惜しむ」2本が上映されるが、「駅 STATION」は必ず観ようと思っている。今年の「午前10時・・」で特別に印象に残っているのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」の少年(トト)が瞳を輝かせて映画を観るシーン。トトの笑顔がすばらしかった。もう一つが「さらば友よ」のラストシーン。アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンがかっこよすぎて、大声でアデューと叫びたいくらい興奮させられた。心が震えた。
3月までまだまだ楽しみが続く。

八幡平は黄葉真っ盛り

2015年10月04日 | 岩手を紹介
今日も岩手の紹介です。もちろん憲法も「戦争法」も忘れてはいませんから、そのうちまたそれも書きます。

宮澤賢治さんは「岩手公園」という詩の中で、盛岡の街を次のように描写しているという。


  孤光燈にめくるめき 羽虫の群れのあつまりつ
  川と銀行木のみどり
  まちはしづかにたそがるる


「孤光燈」は、当時の盛岡の街に灯ったガス灯だそうで、今岩手公園の周辺にいくつか復活されている。「川」は市中心部を流れる中津川。「銀行」はレンガ建ての旧岩手銀行本店(現在は資料館)。
実は、この詩の一節は「銀行」の建物を説明したレリーフの中に書かれているものを写したもので、私はまだ詩の本文を読んでいない。確かめもしないで〝紹介〟する不見識を乞うご容赦。


   賢治が詠んだ「銀行」と隣のビル前の彫像「サラ」  新旧の対照が面白い


盛岡の明日の天気の予報は最低気温が7度。今週は10度を下回る日が続くようでいよいよ秋深し。
昨日、茶臼岳から八幡平頂上まで山歩きをしようと山友2人と出かけた。車を走らせ高度をかせぐにつれ紅葉(黄葉だ)真っ盛り。雨上がりの日差しに、山いちめんがダケカンバの黄色におおわれ輝く風景に感嘆!!しばし見とれた。
ところが、登山口につくころには、大荒れの天気になり登山を中止してそのまま引き返した。秋の高山では雨が雪に変わることもある。強風と雨で体温を奪われ最悪の場合には動けなくなることもあるという。〈/font>



岩手山初冠雪

2015年09月30日 | 岩手を紹介
からしだねさん、いつも読んでいただきありがとうございます。月の写真は9月のモスクワで写しました。紅葉のシーズンで満月の日、運よく天気も良かったのできれいな写真になりました。

ところで、盛岡は昨夜からの放射冷却で今朝は9度まで気温が下がりました。すると、朝のニュースで岩手山(2038m)の初冠雪が観察されたと伝えているではありませんか。さっそく外に出て写したのがこの写真です。例年よりも13日も早かったそうです。「北海道の大雪山に初雪」の便りがあったのが少し前でしたが、岩手山まで9月の内に降るとは思いもしませんでした。
頂上付近がちょっと白くなっただけですが、急に冬が近づいているようです。盛岡は夏暑く冬は特別に寒いのでたいへんです。



岩手山は啄木が「ふるさとの山」とよび、賢治は何度も登りふもとの野原や森を歩き回り、時には野宿して自然の声を聴いていたということです。「水仙月の4日」「狼の森、笊森、盗人森」「小岩井農場」などなど岩手山やその周辺のインスピレーションを作品にしたものが多数あります。