この歳になって、こういうタイプの映画に反応する感性が残ってるのか、
観る前は、かなり不安でしたが、まァ、何とか反応する事が出来たみたい
でホッとしています。
「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」
(「Before Sunrise」1995年・米)
監督 リチャード・リンクレイター
脚本 リチャード・リンクレイター
キム・クリザン
撮影 リー・ダニエル
音楽 フレッド・フリス
出演 イーサン・ホーク
ジュリー・デルピー
人が恋に堕ちる時間を見事に描いた作品。
なのに、この映画、「会話劇」なんです。
戦闘的要素の有る「会話」を主体にすれば、本来、甘いストーリーとは水
と油に近い関係になってしまうのですが、二人の甘い雰囲気を損ねる事無
く、恋愛劇の中に会話劇を埋め込んである、これは相当のセンスがないと
出来ない事だと思いました。
しかも、この映画、恋愛映画に付き物の音楽を殆んど使っていません、殆
んど臨場音だけで、音楽の印象が残るのは視聴室のシーンと早朝のハープ
シコードの音色くらい~でも、それほど映画音楽として使っていない(特に後
者)~、この二つを除けば、僕が気付いたのは唯一、夜、人気のない民家の
軒下で語らうシーンだけ、でも、もの凄く小さい音なんです(笑)。
(別れた後のエピローグ部分は別)
それなのに、これだけ雰囲気が出せるのですから、素直に脱帽です。
大体、会話劇を展開させると「理屈」に行っちゃうんですよ(その方が楽だ
から)、でも、この映画、最低限に必要なだけなんです「理屈や哲学」は、話
してる事は本題の外周部ばかり、ボクシングに例えれば完全なアウト・ボク
シング、ファイティング・ゾーンの外周部を周りながらヒット&アウェイで撃ち
合ってる、観てる最中は「それ」に知らず知らずの内に染まっちゃうから、8
R辺りで急に接近戦(電話ごっこ)になった時、「おお~!!」となって凄く印
象に残る。(笑)
上手いですねぇ。(どっかで接近戦にならなかったら、「金返せ」ですけど
~笑)
でも不思議なんです、これはリンク先様の宵乃さんに指摘を受けたのです
が100分中90分は喋り合ってるのに、観て時間が経つと手術時の縫合糸
みたく「会話」が溶けて消えてしまうんですよ。充分に考え抜いた含蓄のある
台詞も一杯有ったのに、記憶の彼方へ薄らいでいってしまう。
で、その後に残るのは「恋に堕ちていく二人の映像と雰囲気」だけ。
これが意図的にやったマジックなら殆んど天才的だし、単に映画の神様が
微笑んだのだとしても、「微笑む」だけの総合力が有ったという事なんだと思
います。
50半ばをとっくに超えたのに、今更、男と女のホレタハレタ映画に、これほ
ど感銘を受けるとは自分でも吃驚。要は相変わらず幼いって事なのかもしれ
ません。(笑)
(後述しますが、こういうタイプ(「会話劇」という意味ではない)の恋愛映画に
僕は弱いという事が解かりました)
本来なら2部作の後編「ビフォア・サンセット」を観てから記事にすべきなので
すが、本作の印象が強く、又、暫くの間、この余韻を噛み締めていたいので、続
編を観ずに書いてしまいました。
(ちょっと「遊び」を)
ラウンド 採点(ジェシー:セリーヌ) 寸評
1R(列車内) 10:9 ジェシーの連続ジャブ、セリーヌ戦術的後退も印象点でジェシー
2R(市電内) 10:8 セリーヌ、ジェシーに、いいようにあしらわれる
3R(観覧車) 8:10 ジェシーの攻撃に合わせるようにセリーヌのクロス・カウンターがクリーンヒット
4R(占い師) 10:10 セリーヌ占い師を味方に攻勢を掛けるもポイントまで行かず
5R(詩人) 10:9 セリーヌちょっと前のめりでスリップダウン、印象点でジェシー
6R(クラブ) 9:10 セリーヌ、ジェシーの堅いガードを突破
7R(軒下) 10:10 序盤はセリーヌ、終盤はジェシー、お互い距離を見極める
8R(カフェ) 8:10 突然の接近戦、激しい打ち合いも、終始、セリーヌが主導権を握る
9R(船上) 10:10 接近戦の後の様子見、セリーヌ優勢なるもポイントに届かず(アデューじゃなくオヴォアールなんだよね)
10R(公園) 7:10 引くと見せかけたセリーヌに油断、強烈なパンチにジェシー最初のダウン
11R(朝) 10:10 何事もなく・・・
12R(ホーム) 7:10 我慢比べに負け、ジェシー白旗
(109:116) セリーヌの12R、KO勝ち(笑)
※早朝、関係の進展をセリーヌのTシャツ1枚で見せたのも上手い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
R・ワイズ監督「ふたり」(1972年)との相似
この作品、マミイさんに教えて頂いたのですが、「ふたり」という映画との関連
からでした。
確かに、このニ作品、共通するものが多いと思います。
異国で出会う二人、列車、夜の街並み、刻限の切られた恋、どちらも二日間
の物語(「ふたり」の場合、厳密に言えば3日)。
「ふたり」は1972年という極めて限定的設定が効いた物語(現在でも「イラク
戦争」を使えば使えない事はないけど、当時とは時代的空気が違う)。
それと比べ、「恋人までの~」は時代、場所を選ばない普遍性を持つ映画。
ただ、「恋人までの~」と違い、続編を作れない「ふたり」には「切なさ」と「やる
せなさ」があると思います。
よく似た作品ですから、「恋人までの距離」を好きな方は、「ふたり」を観てみる
のもいいかも。
(でも、「ふたり」って大林さんのばかりで、ワイズさんのは超マイナーなんです
よね・・・)
観る前は、かなり不安でしたが、まァ、何とか反応する事が出来たみたい
でホッとしています。
「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」
(「Before Sunrise」1995年・米)
監督 リチャード・リンクレイター
脚本 リチャード・リンクレイター
キム・クリザン
撮影 リー・ダニエル
音楽 フレッド・フリス
出演 イーサン・ホーク
ジュリー・デルピー
人が恋に堕ちる時間を見事に描いた作品。
なのに、この映画、「会話劇」なんです。
戦闘的要素の有る「会話」を主体にすれば、本来、甘いストーリーとは水
と油に近い関係になってしまうのですが、二人の甘い雰囲気を損ねる事無
く、恋愛劇の中に会話劇を埋め込んである、これは相当のセンスがないと
出来ない事だと思いました。
しかも、この映画、恋愛映画に付き物の音楽を殆んど使っていません、殆
んど臨場音だけで、音楽の印象が残るのは視聴室のシーンと早朝のハープ
シコードの音色くらい~でも、それほど映画音楽として使っていない(特に後
者)~、この二つを除けば、僕が気付いたのは唯一、夜、人気のない民家の
軒下で語らうシーンだけ、でも、もの凄く小さい音なんです(笑)。
(別れた後のエピローグ部分は別)
それなのに、これだけ雰囲気が出せるのですから、素直に脱帽です。
大体、会話劇を展開させると「理屈」に行っちゃうんですよ(その方が楽だ
から)、でも、この映画、最低限に必要なだけなんです「理屈や哲学」は、話
してる事は本題の外周部ばかり、ボクシングに例えれば完全なアウト・ボク
シング、ファイティング・ゾーンの外周部を周りながらヒット&アウェイで撃ち
合ってる、観てる最中は「それ」に知らず知らずの内に染まっちゃうから、8
R辺りで急に接近戦(電話ごっこ)になった時、「おお~!!」となって凄く印
象に残る。(笑)
上手いですねぇ。(どっかで接近戦にならなかったら、「金返せ」ですけど
~笑)
でも不思議なんです、これはリンク先様の宵乃さんに指摘を受けたのです
が100分中90分は喋り合ってるのに、観て時間が経つと手術時の縫合糸
みたく「会話」が溶けて消えてしまうんですよ。充分に考え抜いた含蓄のある
台詞も一杯有ったのに、記憶の彼方へ薄らいでいってしまう。
で、その後に残るのは「恋に堕ちていく二人の映像と雰囲気」だけ。
これが意図的にやったマジックなら殆んど天才的だし、単に映画の神様が
微笑んだのだとしても、「微笑む」だけの総合力が有ったという事なんだと思
います。
50半ばをとっくに超えたのに、今更、男と女のホレタハレタ映画に、これほ
ど感銘を受けるとは自分でも吃驚。要は相変わらず幼いって事なのかもしれ
ません。(笑)
(後述しますが、こういうタイプ(「会話劇」という意味ではない)の恋愛映画に
僕は弱いという事が解かりました)
本来なら2部作の後編「ビフォア・サンセット」を観てから記事にすべきなので
すが、本作の印象が強く、又、暫くの間、この余韻を噛み締めていたいので、続
編を観ずに書いてしまいました。
(ちょっと「遊び」を)
ラウンド 採点(ジェシー:セリーヌ) 寸評
1R(列車内) 10:9 ジェシーの連続ジャブ、セリーヌ戦術的後退も印象点でジェシー
2R(市電内) 10:8 セリーヌ、ジェシーに、いいようにあしらわれる
3R(観覧車) 8:10 ジェシーの攻撃に合わせるようにセリーヌのクロス・カウンターがクリーンヒット
4R(占い師) 10:10 セリーヌ占い師を味方に攻勢を掛けるもポイントまで行かず
5R(詩人) 10:9 セリーヌちょっと前のめりでスリップダウン、印象点でジェシー
6R(クラブ) 9:10 セリーヌ、ジェシーの堅いガードを突破
7R(軒下) 10:10 序盤はセリーヌ、終盤はジェシー、お互い距離を見極める
8R(カフェ) 8:10 突然の接近戦、激しい打ち合いも、終始、セリーヌが主導権を握る
9R(船上) 10:10 接近戦の後の様子見、セリーヌ優勢なるもポイントに届かず(アデューじゃなくオヴォアールなんだよね)
10R(公園) 7:10 引くと見せかけたセリーヌに油断、強烈なパンチにジェシー最初のダウン
11R(朝) 10:10 何事もなく・・・
12R(ホーム) 7:10 我慢比べに負け、ジェシー白旗
(109:116) セリーヌの12R、KO勝ち(笑)
※早朝、関係の進展をセリーヌのTシャツ1枚で見せたのも上手い。
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R・ワイズ監督「ふたり」(1972年)との相似
この作品、マミイさんに教えて頂いたのですが、「ふたり」という映画との関連
からでした。
確かに、このニ作品、共通するものが多いと思います。
異国で出会う二人、列車、夜の街並み、刻限の切られた恋、どちらも二日間
の物語(「ふたり」の場合、厳密に言えば3日)。
「ふたり」は1972年という極めて限定的設定が効いた物語(現在でも「イラク
戦争」を使えば使えない事はないけど、当時とは時代的空気が違う)。
それと比べ、「恋人までの~」は時代、場所を選ばない普遍性を持つ映画。
ただ、「恋人までの~」と違い、続編を作れない「ふたり」には「切なさ」と「やる
せなさ」があると思います。
よく似た作品ですから、「恋人までの距離」を好きな方は、「ふたり」を観てみる
のもいいかも。
(でも、「ふたり」って大林さんのばかりで、ワイズさんのは超マイナーなんです
よね・・・)
そうなんですよね~、会話劇なのに理屈っぽくなってなくて、でも無駄な会話ではなく、平安時代の歌のやり取りみたいな。
>含蓄のある台詞も一杯有ったのに、記憶の彼方へ薄らいでいってしまう。
で、その後に残るのは「恋に堕ちていく二人の映像と雰囲気」だけ。
同じように感じていただけて嬉しいです。
セリフは薄れてもロマンティックな余韻に浸れて、再見する時はまた練られたセリフを楽しめる…改めて考えてみると、ホントすごい作品なんだなぁ。
共通点の多いワイズ監督の「ふたり」もいつか必ず観たいです♪
良い映画でしたよね~。
>充分に考え抜いた含蓄のある台詞も一杯有ったのに、記憶の彼方へ薄らいでいってしまう。
>で、その後に残るのは「恋に堕ちていく二人の映像と雰囲気」だけ。
>※早朝、関係の進展をセリーヌのTシャツ1枚で見せたのも上手い。
このあたり、仰るとおりでした☆
私は映画を見ることを再開した直後に見た映画なので、
かなりビックリして、こういう映画は見たことなかったので、
ホントに夢中になってしまいました♪
>(ちょっと「遊び」を)
これは面白いですね!
前回(半年の順に)はマラソンだったし・・・スポーツ大好き人間???
いつか再見する時には、この表を見ながら楽しみたいと思います♪
>R・ワイズ監督「ふたり」(1972年)との相似
申し訳ないのですが、両者は全く、私の中では相入れません。
「ふたり」の根底には戦争・紛争の悲劇が描かれているので
ある意味反戦映画の側面があるからです。
この映画は・・・そういう重みが一切ないように思うからです。。。
.
ボクシング>楽しんで頂けたのなら良かったです。(笑)
同じように感じて>宵乃さんに言われた時、「そうなのかなァ?」と思ってたのですが、2,3日すると、あら不思議。(笑)
宵乃さんの仰るように、凄くロマンティックな映画でした。
「ふたり」>僕の大好きな恋愛映画ですけど、僕の記事に書いてあるように、非常に画質の悪い作品なので、そこの所は、予め覚悟しといて下さい。
良い映画でしたよね>そう思います、で、僕の弱い所を突かれた映画でもありました。
こういう映画は見たことなかったので>
僕も初めて。
だから、とても新鮮だったし、吃驚しました。
スポーツ大好き人間>最近、プロ野球からは遠ざかってますが、スポーツを観るのは好きです。
オリンピック期間中は気が張り詰めすぎて、いつも大疲れ。(笑)
「遊び」>真面目な恋愛映画を真面目に書いてると、どっかで「照れ」てしまって、ちょっと「おふざけ」に逃げました。(汗)
「ふたり」>最初「切なさ」と「重さ」と書こうかと思ったのですが、そう書くと「恋人までの~」が「軽い」となって、ファンの方々の気分を、ちょっと害するかな、と思ったんです。
背負ったものが違うし、ハッキリ言えば、ジェシーにはパリに付いて行く選択も「ふたり」に比べ遥かに可能性があるから、その辺は違います。
でも、記事に書いたように、どこにでも起きる普遍性(応用性)は「恋人までの~」があると思います。
「反戦」>確かにそれが重要事項なんですけど、あの記事で書いたように、僕は「反戦」は、あくまで物語の衣で、中身は偶然出会った二人が、お互いにとって無くてはならない大事な存在に変わっていく時間、消そうとして消せない心の炎のゆらめきを描いた作品だと思っています。
それを引き裂く「戦争」という設定は大事な事なのですが、どちらに重心があるかと言えば、僕は「人を思う恋」に重心があると思います。
今日観た「フォレスト・ガンプ」にも1972年のニューイヤー・シーンが有りましたけど、僕は「ああ、これが「ふたり」のバック・グラウンドなんだよなァ」と思って観てました。
世界的拡がりが有った「ベトナム反戦運動」、ラジオから流れるJ・バエズの歌声、○○兵が「時代の英雄」だった時。
作品の質とは違う次元の事なのですが、「ふたり」は時代が作り出した、時代と切り離せない話なんですよね。
だから、「戦争」ばかりでなく、時代という「船」を留め置く「錨」のような重さも加味されている気がします。
でも、記事に挙げた幾つかのアイテムや、二人の雰囲気は似てると思いますよ。(笑)
採点により、二人の関係がわかりやすくなってます。
すごいです!
>観て時間が経つと手術時の縫合糸
>みたく「会話」が溶けて消えてしまうんですよ。
ホントですね。
私も会話の内容はほとんど覚えていないです。
>異国で出会う二人、列車、夜の街並み、刻限の切られた恋、どちらも二日間の物語
私もこういうシチュエーションに弱いというか、
憧れを持ってます。笑
>「ふたり」は1972年という極めて限定的設定が効いた物語
まだ生まれてないので時代的背景がわからないです(^^;
私は「禁じられた遊び」すら反戦映画だと思っていないので
(二人が出会う・引き裂かれるのは戦争のせいなのですが
二人の世界の出来事を中心に観てしまうから)
「ふたり」も戦争のことはあんまり印象に残ってないです。
今もどこかで戦ってる国はあるのですが、
他人事の感覚、平和ボケしてるんでしょうね(^^;
ボクシング>何か、意外にウケてしまって・・・。(笑)
この記事を書き出した時、採点表なんて、これっぽっちも浮かんでなかったんですけど、途中で、ふっと悪戯心が湧いてしまいました。
会話が、どんどん記憶から滑り落ちていって、二人と、それを包む異国の風景だけが残る、というのは本当にマジックにかかったような心持ちです。
知らない国で素敵な異性と知り合いになる(よそ者同士)、かなり乙女チックな世界なんだけど、上手く綺麗に嵌れば、効果は絶大ですよね。(笑)
僕は、団塊、全共闘世代の一つ二つ後の世代なんですが、中学生になって深夜ラジオを聴き始めた頃、よくJ・バエズが流れてました(フォークソング全盛期チョイ前の辺り)。
新宿騒乱事件、安田講堂篭城戦、浅間山荘事件、ベトナム戦争末期、みんなTVで眺めてました。
僕達は全共闘の反動で誕生した通称「しらけ世代」のど真ん中、「アッシには関わりのネエことで」(木枯らし紋次郎)の政治無関心世代。
でも大学自治会を牛耳る極左にクラブが睨まれた関係で、否応なしに、前の世代の流れ弾に当たってしまいました(迷惑至極)。
1970年頃は世界的に躁状態、でも1975年、日本では既に「祭りの後」って感じでした(まだ余熱は残ってましたけど)。
「戦争」は自分の目や肌で実感出来ない限り、「他人事」が普通の感覚だと思います。
「恋人までの~」の中でも、セリーヌが「すぐ傍のボスニアで悲劇が起きてるのに無関心」って台詞があるけど、それが現実の人間なんじゃないでしょうか。
ちょっと横道に外れました、スンマセン。
マミイさんには、とても良い映画を紹介して頂いたと思っています。
ありがとう!!