黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

自分のこころを自分の意志で

2021-10-22 16:13:56 | 心療内科
    自分のこころを自分の意志でコントロールしましょう 2 自己暗示法

自分のこころを自分の意志で動かしましょう   2自己暗示法

前回は、自分のこころを静め、こころを平穏に保つために必要なことでした。
 こころがドキドキしたり、緊張したり、不安になった時に「だいじょうぶ」と自分に言い聞かせる時に、効果が出ると思います。
 ただし、毎日一、二回はした方が良いです。
 慣れてくると、どこかのベンチや椅子に坐っていて、特に何もすることがない時にはしてみて下さい。何かを待っていたり、時間を待っていたりする時には、良いでしょう。
 電車の中でも長く乗っている時にはできると思います。
 ポイントは毎日することです。一番良いのは、寝る時です。気持ちが落ち着くと、途中で寝てしまうことがよくあります。その時は、朝目がさめた時に大きくのびをして、暗示を解除すればよいでしょう。しなくても特に問題はありません。

 そこでその次の段階に入ります。それは自己暗示です。一種の自己催眠でもあります。
だから、催眠状態に入っている時の意識状態を経験していると達成しやすいですが、なくても繰り返していると何となく判ると思います。
 私は独学でいろいろなことを学びましたが、どうしてもできなかったことが催眠療法でした。精神科にかかるような精神病には効果は無いのですが、軽いまたは簡単な、こころのゆらぎ(動揺)を静めるためには効果があります。私自身も、この方法でいろいろな場面を切り抜けることができました。 
催眠療法は、埼玉保険医協会の研究会で教わり、臨床では一度催眠療法をして、催眠状態がどんなものかを経験して頂き、それで自己催眠法を教えて、催眠状態を自分で持続させていくやり方をしていました。
催眠療法では、一回の催眠療法で、三、四日しか暗示効果が持続しないので、三日おきに十回くらいしないと止めてもまた元へ戻ってしまいます。それができる人が少ないので、私が考案した方法です。努力する方にはできます。努力できない方は、十回は、催眠療法に通わなければ効きません。
 
 その自己暗示法を、これから紹介します。
先に、自己暗示を治療に使うことを教えてくれた、フランスの薬剤師で自己暗示治療をしていたクーエの書「自己暗示」の抄録を載せます。
続いて、その実践法を載せます。




         自己暗示

                            クーエ「自己暗示」より抜粋
 (この書は、私が催眠療法を学ぶきっかけとなった感激した本ですが、今は手元にありません)。


 あなたは自己暗示で、あなたの持つ自然治癒力を解放し、充分にその能力を発揮させていける。しかし、その過程にはいろいろな妨害がある。
 ある考えが精神に提示されたとしても、精神に受入れられない限り、決して現実にはならない、ということである。逆に意識がその事実だけを念頭におきだしたら、痛みはかえって増してくる。
 ①ある考えが精神を独占してしまった場合、その考えは実際に、肉体的もしくは精神的状態となってあらわれる。
 ②ある考えを意志の力でおさえようと努力すれば、その考えをますます強めてしまうだけである。

 自己暗示の基本法則
 「意識に入ってくる考えは、無意識によって受け入れられたら、かならず現実に変わり、今後の生活の中で永続的な要素となる」(=無意識的自己暗示)。

 自己暗示の過程は、
(1) 考えを受け入れ、 (2)その考えを現実に変える、という2つの段階から成り立つ。
この2つの作用を行うのは無意識である。その考えが、本人の心から出たものか、外部から他人の媒介で提示されたものか、などは問題にする必要はない。

 本質的には、どんな暗示も自己暗示である。必要な区別は、
② われわれの意志や選択のおよびえない所で起こる無意識的自己暗示と、
②われわれが実現したいと思う考えを意識的に選び、それをなんとかして無意識に伝えようとする誘導自己暗示の2つだけである。

 エミール・クーエは「自分には人をなおす力などなく、また、生まれてこのかた、人をなおしたこともない」という。「患者を健康にする道具は、かれら自身の中にそなわっている」クーエはただ、健康についての考えを患者の内面に呼び起こす助けをしているにすぎない。今後は患者自身で自分の運命を扱って行けるはずだし、またそうしなければならない。

 自己暗示の一般的法則
 どんな原因からであっても、暗い考えに襲われたら、われわれの注意を何かもっと明るいものへ移さなければならない。病気にかかったら、くよくよ悩むことによって身体の器官のもつあらゆる機能を病気にゆだねてしまい、自分の生命力をわが身の破壊にさしむける結果となる。
 心から根こそぎにすべきものの1つは恐怖(不安)である。恐怖(不安)は、心が否定的な考えにこだわるだけでなく、その考えと我々の心が親密になり、しだいに効果を強める。

 われわれは自分自身のためにも、隣人たちの欠点や弱点にこだわらないようにすべきだ。他人の欠点をいつも考えていると、その考えが絶えず心の中にあり、無意識的にそれを受け入れ、われわれ自身の性格の中にそれを実現させる危険が大きい。
 自分自身のために、否定的な考えを避けるべきだ。

 他人に対しても、尚更そのこころがけでいなければならない。「顔色が悪いね」とか、「具合が悪いんじゃない」と本人が云いもしないことをいう時、相手がとりあわなければよいが、本気にすると、相手の健康を害していることになる。
 子どもに対しては、もっと深刻で、慎重にしなければいけない。
 「カゼをひきますよ」、「病気になりますよ」、「転びますよ」などと悪いことを暗示してはいけない。繰り返し聞かされているうちに病気になってしまう。
 同じように、悪い子、馬鹿、間ぬけ、ぐず、のろま、不良、親不孝者、なまけ者などと云ってはいけない。それを受け入れられなければよいが、受け入れてしまったら、そうなってしまう。「僕は悪い子だ。悪い子は、悪い事をしてよいのだ。」と考える。
 (だから「あなたは良い子だから、こういう悪いことはしてはいけません」としかりましょう。良い子は悪いことができないのだから。)

 一般暗示
一般公式
 「毎日、あらゆる面で、私はますますよくなってゆく。」 (Day by day,in every way, I’m getting better and better.)→→「すべての面で、一日ごとに、ますますよくなっていく」
 ひもを1本用意して、それに結び目を20つけるとよい。寝床についたら、目を閉じ、筋肉の力をぬき、らくな姿勢をとる。次にひもにつけた結び目をたぐりながら、一般公式の暗示を20回唱える。言葉は、自分の耳に聞こえるくらいの音量で、声に出して唱える。無心に、子守歌でも口ずさむように、単純な気持ちで、努力せずに唱える。
 朝、目が覚めたら、起き上がる前に、就寝前と同じ様に公式を繰り返す。
 規則正しく繰り返すことがこつである。あとは、種を蒔いたのだから、芽が出てくるのを待ち、芽が出たら若葉になるのを待つ。まだかまだかと気をもまないこと。
 こんなことをしても良くなる訳がないと不信の念を抱くかぎり、暗示の効果は消滅するだろう。信頼が大きいほど、結果は早く訪れてこよう。

 自己満足している人は、自分以外の他人の美徳を認めることができない。
 自分の考えを意識的に誘導できる時間は、睡眠の直前と直後である。このときにかけられた暗示は、より確実に受け入れられるだろう。この時間が一般公式をくり返し唱えるのに最適である。

 努力逆転の法則で、努力するほど、うまくいかない。(努力し過ぎてもいけないこと)
 シェヴルールの振り子の実験(略)

 特殊暗示
 特殊暗示は、一般公式ほどの効果を持ちえない。
 特殊暗示をかけるには、誰からも妨げられない部屋へ行き、座り心地のよい椅子に腰をおろして目を閉じ、筋肉の力をぬく。云ってみれば、昼寝をしようとする時と同じ具合だ。
そうすれば、無意識の潮が、特殊暗示の効果をあげるのに充分な高さまで満ちてこよう。
 今度は、言葉によって、自分の望んでいる考えを呼び出す番である。これこれの改善が起こるだろうと、自分自身に告げる。その時に、こころにその考えをおしつけたり、努力したり、注意力をむりやりその考えに向けたりしてはいけない。緊張せずに、なんとなく心にうかべるようにする。

☆特殊暗示の仕方
 無理な要求はしてはいけない。3つの段階を含む。
 ①改善の即時開始、②迅速な進展、③完全かつ永久的な治癒、

◇例:難聴
 「今日この日から、私の聴力はだんだん好転していく。日一日と少しずつよく聞こえるようになるだろう。その好転ぶりは、徐々に速さを増して、かなり短期間のうちに、まったくよく聞こえるようになり、一生その状態は続くだろう。」
◇恐怖やいわれのない予感
 「今後、私は幸福で、確信にみち、快活な状態をますます意識するようになるだろう。私のこころに入ってくる考えは、強く健全なものであるだろう。日々に自身を増して、自分の実力を信じるようになる。そして同時に、その実力はさらに強まった形で表れることになろう。私の生活は、ますます平穏で、安楽で、明朗なものになっていく。この変化は日々に深みをまして、遠からぬ将来に私は生活を一新させていることだろう。かって私を悩ました憂慮はもはや消滅しているだろうし、舞い戻ることなど決してないだろう。」
◇記憶が悪い人は
 「私の記憶は、今日からあらゆる分野で増進するだろう。受け止められた印象はさらに明確なものになり、努力せずとも、児童的に記憶されるだろう。思い出したい時には、すぐさま正確なかたちで心にうかび出てくるだろう。記憶の増進は迅速に行われ、たちまち以前には思いもよらなかったほどになろう。」
◇短気、かんしゃくには、
 「今後、私は日を追って上機嫌になるだろう。沈着と快活がふだんの精神状態となり、やがて諸事万端この心持ちで受けとめるようになろう。私は周囲の人々に激励と助力をさしのべる中心的人物となり、私自身の上機嫌さを彼らにも移してしまうだろう。この快活な気持ちはついには私の習性となり、どんな事態をもってしても、私からそれを奪うことはできなくなろう。」
◇喘息には
 「今日この日から、私の呼吸は急速に容易となるだろう。まったく自分でも気づかぬうちに、そして自分ではなんら努力せずとも、私の器官は、肺と気管支の健康を回復させるのに必要ないっさいのことをするだろう。大車輪で働いてもまったく不便を感じなくなろう。
私の呼吸は、のびのびして、深く、快いものになるだろう。私は、自分の健康増進に必要な、汚れのない空気を吸い込むだろう。その結果、私の全器官は活気をおび強さを増すだろう。さらに私は平静に安眠して最大限の休養をとり、快活な気分で目覚め、日々の仕事に楽しい期待をかけるだろう。この過程はすでに今日始まっており、遠からず、私は完全かつ永久的な健康を回復するだろう。」
 ☆よくなってきたら、それに合せて暗示の内容を変えていけばよい。

◇痛みには
 痛みに反撃をはじめる時は、すわって目を閉じ、冷静に、そして自信をもって、「これからこの痛みをとりのぞいてやる」と自らに告げる。望みどおりの結果が得られたら、「今、回復した安楽な無痛状態は永続的になり、患部はみるみる補強されて正常な健康状態に達し、以後はその望ましい状態が常に続くだろう。」と暗示をかける。
 痛みが軽くなっただけで、完全にとりのぞけない場合は、次のような暗示を用いると良い。「もう大分楽にになってきた。もうすこしで完全に止るだろう。私は正常な状態に戻り、今後もその状態が続くだろう。」

◇難しそうに見える仕事にとりかかる時に
 まず目を閉じ、静かにこう云う。「私がしなければならない仕事はやさしい。まったくやさしい。やさしいから大丈夫できる。私はそれを手ぎわよく、立派にやってしまうだろう。しかも仕事を楽しんでやるから愉快になってきて、身も心も仕事にみごと調和して、結果は、期待を上回りさえするだろう。」これで自信がでてきたら、進行方法を考え出す段階へ入る。
◇思案投げ首のとき、一晩寝て考えろ。
 悩んだら、くどくど考えず、「一定の時間がすぎたら、解決策が自ら浮かんでくるだろう」という暗示をかけ、ぐっすり眠って無意識の力に任せるとよい。朝目が覚めた時に、良い案が浮かぶことがある。時々これを実行している人がいる。うつらうつらしている時に、よい案がひらめくからと、枕元に鉛筆とメモ帳をおいている。
 ジョギングや山登りの最中にひらめくのも、同じである。無意識に任せると、良い考えが浮かんでくる事が多い。
◇発作の伴う病気には
 「今後私は常に、いつ発作が起こってくるかを前もって予知するだろう。その接近に際しては充分な警告をうけるだろう。警告を受けても、恐怖や疑念は生じまい。私は、それを避ける力が自分にあることを確信してやまないだろう。」
 警告が出たら、――これは間違いなく出る―― 患者は一人になって、発作が進行しないように特殊暗示をかける。
 まず「平穏と自制」の暗示をかけ、さらに「 正常な健康状態がすでに再起しつつあること、精神が充分に統制されていること、どんなことがあってもその均衡は乱れないことなどを、何度も、しかも努力を避けながら、唱える。

◇神経性疾患や恐怖、憤怒といった激情は、肉体的運動となって表れることが多い。
 (恐怖は身震い、動悸、歯のがたつきを、また憤怒は手の握りしめを起こす。)
 「怒りのかわりに、同情、忍耐力、上機嫌を感じるだろう。したがって肉体の状態も安楽かつ自由になるだろう」
◇1つの単語を繰り返してもよい。
 「沈着、歓喜、力、愛、純潔」
 しかし、特殊暗示は単なる補助手段であって、ひまがなければ無視してもかまわない。

☆痛みの処理--
 --心配、恐怖、意気消沈といった心の苦悩にもよい。
 何かの考えを口に出して唱えていれば、その間は、その考えが心を占めている。
 しかし「痛くない」という考えだと、すぐその反対の連想の「痛い」が心を占めてしまいやすい。(それで「だいじょうぶ」とか「平気だ」とか言う言葉を思い浮かべる)
 そこで頭痛、歯痛などの痛みで悩んでいる時は、座って目を閉じ、静かに、その痛みをこれから取り除いてやると、自分に保証する。そっと手で患部をさすりながら、できるだけ早口で、音を絶え間なく流すような調子で、「それは消える」、「消える、消える、・・・・・消えた」。約1分くらい息が苦しくなるまでぶっ続けに早口で唱え、一番最後に「消えた」としめくくる。
 痛みがひいてきたら、「もうじき完全に止まってしまう」という暗示をかける。
 痛みがひいたら、「もうぶり返すことはない」という暗示を。
 痛みがひどく、これに立ち向かえない場合は、ベッドに横たわるか椅子にもたれて、心身ともに力をぬく。努力はことを悪化させるだけだから、痛みに考えをまかせてしまう。
痛みをじーっと感じて待っていると、しばらくすると、気力が湧いてきたら、また始めよう。
 痛みは、われわれの肉体的機能がどこか狂っている危険信号である。初期症状の出す貴重な警告である。(痛みがひいたら、その原因を考え、まず心身の休息をとるべきである。痛みがとれたからと、すぐ仕事をしてはいけない。私は、危険というよりは、警告信号、注意信号だと思う)

☆子どもは
 子どもの生まれる前から始めよう。妊娠中の女性は衝撃や驚愕、精神的ショック、パニックを感じてはいけない。子どもが臆病になる。ひどいと流産したり、障害が残ることがある。
 生後数ヶ月の子どもに直接適用しうる自己暗示は、愛撫だけである。けれども母親や乳母の精神状態が乳児のこころに刻み込まれて行き、その時の精神形成が末長く尾を引く。
 特殊な病気になったら、子どもを膝の上に抱き、患部をやさしくなでながら、健康の完全回復を、言葉で念ずるのである。
 子どもが母親の云うことが理解できるようになったら、次の方法になる。
 夜、子どもが寝ついたら、母親は子どもの寝ている部屋に入り、子どもを起こさないように注意しながら、枕元から約1メートルの所に立って、必要と思われる暗示をささやき始める。子どもが病気なら「お前の病気は治っていく」という形式の暗示を20回繰り返す。
子どもが健康なら一般暗示の公式だけで充分である。同時に子どもの、健康、性格、知能などに関する特殊暗示をかけてもよい。部屋を出る時は、再び子どもを起こさないように注意する。目を覚ましそうな気配を示した時は、「眠りなさい」という命令を5、6回ささやけば、また寝ついてしまうだろう。
毎晩これを休まずに数週間実践するとだんだん効果が表れてくる。子どもがまだ言葉を話す以前から始めることだ。そして子どもが日々のさまざまな問題に自分で対処できるようになったら、そして少し難しい事が起こっても親の助けを求めに来なくなったらやめる時がきた。
 子どもが話せるようになったら、朝晩大人と同じ一般暗示を繰り返すように教えてもよい。
 7~8歳の時に、就寝後暗示をする時は、男の子は父親が暗示をした方がよい。
 女の子は母親でよい。
 思春期に、はなはだしい困難や危険に当面している徴候がみえた時には、再びその特殊な困難に関する特殊暗示のかたちで、就寝後暗示をかけてやるとよい。この場合も、他の場合と同様に目的だけを暗示してやればよく、目的を達する手段の選択は無意識の自由にまかせるべきである。しかし性に関することは難しい。
 子どもが話し方を覚えたら、すぐ苦痛に立ち向かうすべを教えることだ。
 子どもに目をつぶらせ、その患部をそっとなでながら、自分と一緒に「なおる、なおる、なおる・・・なおった。」と繰り返し唱えさせる。(日本では、「痛いの、とんでけ、とんでけ、とんでけ・・・とんでった」の方がよいだろう。)そして自分でやるように教えていく。

☆☆自己暗示は医療にとって替るものではない。
 医療の働きを、より効果的にし、今まで医療だけでは治らなかった人々を治すためである。
 自己暗示は、自己修養の手段である。
 自己暗示の効果は道徳にも及ぶ。将来犯罪者を立ち直らせる方法になろう。
犯罪は病気なのだから、病気として取り扱うべきである。
自己暗示は内的生活の原則を教える。
                          以上                         


         自己暗示法の話          
       --自己暗示法とは何か。催眠療法とどう違うか。--


催眠療法は、病気や悪い癖、悪い習慣に悩んでいる人を治すための、治療法の1つです。そもそも催眠療法は、本人がしたくないことをさせることはできません。だから、本人が治したくなければ、効果はありません。また、一時よくなっても、再発することがあります。元に戻ってしまうからです。再発を防ぐためには、自己催眠法か自律訓練法を続けると良いです。それで私は、先ず一度催眠療法を受けて頂き、催眠療法による暗示は3~4日しか持続しませんから、それを継続して効かせるために、最初のうちは精神安定剤と併用して、この自己暗示法または自己催眠法をして頂き、安定した段階で、安定剤をやめます。大体それでうまくいく方が多いです。
 同じ催眠でも父親的な術者がかけるのが催眠術で、術者の指示通りにさせて見せるもの。母親的な術者がかけるのが催眠療法で、本人の治したい所を治すようにするもの。過去のことを思いださせて、それを治療に結び付けることなどもします。催眠療法のこころは、母ごころです。治したいという強い希望があることが、催眠療法を効果的にします。
 それを自分でしようとするものが、自己催眠法または自己暗示法です。
 心療内科では、自律訓練法を薦めますが、これは難しく、なかなか三段階にまで行くことができません。自己暗示法の方がまだやさしいのでお薦めします。

A. 自己暗示法または自己催眠法が適当な場合は
 1.本人の治したいという希望が強いこと--動機づけ。これが強い程効果があります。
  毎日継続する気持ち、根気がよいことで、一回や二回でうまくいくことはありません。
  「継続は力なり」で、毎日根気よく続ける気持ちがある人にしかできません。
 2.こころが通い合うこと。つまり医師である私とあなたとの間に信頼関係があること。
  面白そうだからやってみようというくらいでは効果が期待できません。続けてやればきっと効果が出てくることを信じている方だけが効果が出てきます。
 3.リラックスすること。リラックスできない方は難しいです。
 4.注意の集中ができること。
 5.かかっている病気が、自己暗示法、自己催眠法によってよくなる種類の病気であること。
  催眠療法が効かない病気、効きにくい病気も多いです。催眠療法は精神科医のフロイドが始めたのですが、精神科医にかかる病気には効果が無いので、使われていません。
心療内科では効果がある場合があるので治療法の一つとして使います。特に自分の「気づき」が得られるために使われることがあります。アレルギーの大半もこれで治ります。
同じ病気でも効く人も、効かない人もあります。

 適応症)つわり、乗り物酔い、冷え症、
言葉のいじめ、肩こり、胃カメラを飲めない、カプセルや錠剤を飲めない、
めまい、頭痛、片頭痛、動悸、だるさ、
不眠症、偏食、シンナー遊び(やめたい人)、禁煙(同左)、断酒(同左)、
神経性の諸症状(頻尿、ほか)、いぼ、円形脱毛症、
心因性の諸症状(どもり、チック症、夜尿症ほか)、生理痛、更年期障害など。
心身症の一部。
すべてのアレルギー疾患、うるしなどのかぶれ(接触性皮膚炎)、薬剤アレルギー、蜂刺されによるショックなども。

B. 場所--静かな所、少しうす暗い所がよい。慣れれば、どこでもできます。
  初めは寝る時にベッドまたは布団の上でするのが良いでしょう。
C. 対象--まれには小学生高学年からでもできますが、通常は中学生になると自分で何とかしたい気持ちが強くなるので、できるでしょう。女性や、高齢者で悩んでいる方が入りやすいです。
自己暗示で、自己催眠に入らなかったら、繰り返さないで、すぐやめて次回にします。

D. 催眠状態に入ると、どうなるか。
 1.目を閉じていること。
 2.意識や感覚は少しも変らない感じです。自覚的な意識は普段と全く変りはありません。
 3.リラックスして楽な気分になります。
 4.手足が重たいような、だるいような、また、暖かい感じがします。実際に手足が暖かくなります。
 5.被暗示性(暗示にかかりやすい状態)が高くなります。批判的な意識が少なくなって、暗示にかかりやすい(云われた通りになりやすい)ようになります。
--この状態は、変った意識状態であり、これを催眠性トランス(変性意識)といいます。これは本人にはわかりません。
  



     自己暗示法または自己催眠法の実際

1.準備
 体をしめつけているものをはずします。
バンドをゆるめて、眼鏡、時計をはずします。ネクタイをゆるめ、きついYシャツのボタンをはずします。ネックレスやイヤリングはよいです。
慣れてくれば、どんな状態でも出来るようになります。
2.姿勢
 座位では
足はかかとがつくようにし、少し前へ出すようにし、肩幅位に膝を開きます。手は大腿の上にのせ、手のひらを上向きにします。手の力をぬいて身体にひきよせる感じにします。
 寝た状態では、
  仰向けに寝て、手足を広げ、手のひらを上に向けます。そのまま眠りにつけるような状態でします。
3.まずリラックスします。そしてこころの中で自分に命令を下して下さい。
「目をつぶって、深呼吸をします。ゆっくり大きく肩があがるくらいに、大きく息を吸い込んで、鼻から息をもらすように静かに息をはきます。3回深呼吸して、力をぬいて下さい。終わったら、自己暗示に入ります」。
「はい肩の力をぬいて、あごの力をぬいて、頭をまっすぐにして」
さあ始めましょう。

4.深呼吸法
  ゆっくりと肩が上がるくらい大きく息を吸い込んで、ゆっくりと鼻から息をもらすような気持ちで少しずつ息を出します。息をはく時にこころの中で、
  「首の力が抜けてーくる。首の力が抜けてーくる。」と暗示をし、2回暗示を繰り返す間に、息をはき終えるようにします。
  2回目に大きく息を吸って、息を吐く時に、
   「肩の力が抜けてーくる。肩の力が抜けてーくる。」
  3回目に息をはく時に、
   「手の力が抜けてーくる。手の力が抜けてーくる。」
  4回目に息をはく時に、
   「足の力が抜けてーくる。足の力が抜けてーくる。」
  5回目に息をはく時に、
   「顔の力も抜けてーくる。顔の力も抜けてーくる。」
  この5回の呼吸を1セットとして、2から3セット行います。
  この時にする呼吸法は、「呼吸法の話」と同じ方法です。ゆっくりと大きく吸い、できるだけ時間をかけてゆっくり息をはいていきます。
  もう催眠状態に入っています。手足が暖かくなっているでしょう。

5.確認テスト
  ここで催眠状態に入っていることを確認します。
  両手を前にのばして、手のひらは向き合せにして、15cm位離します。
心の中で、「手が、ひっぱられてくる。近づいてくる。」と繰り返します。自分で動かす必要はありません。暗示によって自然に、いつの間にか手がくっつきます。
両手がくっついたら手を膝の上におろして下さい。

6.自己暗示をかけます
 1)共通暗示―これは必ず誰でもいつでもする暗示。
  「これから先、日増しに(一日ごとに)気持ちが落ち着いて、ゆったりとくつろいでくる。」
  「これから先、今まで気にしていたことが、だんだん気にならなくなってくる。」
  「目がさめると、頭がハッキリして、非常に気持ちが良くなる。」
  これだけでも、今まで気にしていて、こころから離れなくなっていることが、何日か続けていると取れてきます。
 2)各症状に対する暗示(1つか2つ)
  これはそれぞれの持つ悩みに応じて、行なうものですから、一人ひとり、またその時の状況によって違います。
 不眠(熟睡)-「これから先、夜ぐっすり眠れるようになる。」
   (入眠)-「これからは、夜、床に入って、自分で眠ろう眠ろうと思わなくなってくる。そうしてゆっくりと、身体の力を抜きながら深呼吸を続けている内に気持ちがゆったりしてくる。そうしてすぐ眠らなくても気にしなくなってくる。」
 肩こり-「首から肩にかけてとてもかるーく、スッキリしてくる。」
 足のしびれ―「膝から下へ、つま先にかけて、とてもかるーく、スッキリしてくる」
 何か嫌なことに気持ちが取りつかれて、頭から離れない時は、共通暗示の第二項を繰り返して暗示をかけると良いです。
7.暗示後3~5分間、目をつぶったままで、ゆっくりしています。適当でよいですが、長く時間をかけた方が効果があるようです。そのまま眠ってしまっても構いません。
8.開眼
 心の中で、「今度目を開いたら頭がハッキリして目が覚める」と云って、「ひとーつ、ふたーつ、みっつ、よっつ、いつつ」と数え、ここで「だんだん頭がハッキリして、目の前が明るくなってくる」といれて、「むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお」と少し早目のテンポで、10数えて目を開けます。開眼後、頭がぼんやりしていたらすぐ目をつぶって、それがとれるように暗示をかけて、もう一度10数えて目を開けます。
 慣れてきたら、途中の「だんだん頭が・・・なってくる」の所を省略してよいです。
 そのまま眠り込んでしまったら、翌朝目が覚め時に、解除の動作をします。解除は、大きく背伸びをして深呼吸をすることです。
                                  
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自分のこころを自分の意志で

2021-10-19 11:26:58 | 心療内科
                     自分のこころを自分の意志でコントロールしましょう4

自分のこころを自分の意志で動かしましょう
 私は、心療内科をしています。それは心から来る病気を治すためです。しかし、私は精神科医や心療内科医たちと違って、自分で自分の病気を治すようにアドバイスしてきました。
 私の友人の精神科医は、「お前はよく病気を治しているな」と感心してくれています。
 それは「自分の健康は自分で守る」ということが私の医療の基本であり、それを実現すべく、心療内科を学びました。私の父の友人である若月俊一より、沢内村で実践した医師のこころを選んだのです。池見酉次郎さんを始めとする九大心療内科の人たちは、いろいろなことを教えてくれました。
 また科学史の中山茂さんからも教えられました。
 自分で学び、自分で自分をコントロールすることです。学生時代は、怒りをエネルギーにして活動していましたが、心療内科を学んで心穏やかに活動することができるようになりました。その方法を、ブログに載せていきます。
 こころは、なかなか自分では動かせません。それを動かすようにするのです。痛みは自分のからだが教えてくれる警告信号ないしは注意信号です。その痛みを心でコントロールできるのです。「心身滅却すれば、火もまた涼し」ということを言った人がいましたし、針のむしろに坐ることができる人もいるし、消したばかりの燃えていた炭の上をはだしで歩き、やけどしないという話も聞いたことがあるでしょう。それはすべてこころが働いているのです。
 宗教で病気が治るのもその一つです。キリストやモハメッドの奇跡も、そうです。信じればある程度は治ることができます。こころの持ち方で、がんも治ります。但し、それには大変な努力が必要です。出来る人は僅かしかいません。だから仏教では、清水寺や高野山など多くの高名な寺では、一生そこで修行し続けるのです。
 心療内科をしていて判ったことは、修行を一日でもやめると、それだけ退行する、つまり得られた境地が戻ってしまいます。毎日することが必要です。
 今までは、診療所内でしかお話していなかったことを、余裕ができたのでブログに載せていきます。
 まず簡単に出来ることから、だんだん努力が必要なことへと薦めていくつもりです。
 「心療内科」です。これは、精神神経免疫学ともつながります。コロナウイルスを克服するには、心穏やかに、決して負けないで、乗り越えていきましょう。
 スペイン風邪の時は、死を恐れず、人の死を乗り越えて闘った人々が生き残ったのです。
 でもこころだけではだめで、それに食と体力温存が必要です。睡眠も必要です。




1. 呼吸法の原則

いろいろな呼吸法を見てきて判ったことは、こつは皆同じです。それは、
1.「息を吸う時は、まず鼻で吸うこと。」それと同時に、こころで「いち、にー、さん、しー」と四つ数える間、息を吸い続けます。つまりゆっくり、深く静かに、鼻で息を吸います。
口で吸うより鼻で吸う方が、効果が大きいです。何に効果があるかと言うと、心身一体なので、こころに大きくひびくのです。何年もしていて慣れてくると、息を鼻で吸っている間に、心が落ち着き始めます。
2.次に「息を吐く時に、鼻から息をもらすように少しずつ息を吐きます。」その時に、こころで「いち、にー、さん、しー、ごー、ろく、しち、はち」と八つ数えるくらいの時間をかけて、少しずつ吐いていきます。
3.この四つ数えるくらいの間、鼻で息を吸い、八つ数える間鼻で息を吐くということがコツです。
 私はトレーニングを積んできましたから、これをするだけでも足の裏からジーンとしてきます。
4.こころを落ち着けるには、この呼吸法をするとよいです。
 催眠に入る前の呼吸も、「リラックス反応」の時の呼吸も、この方法でします。 
5.心身のトレーニングとしての自己修養法としての「呼吸法」も教えますが、これは時間がかかります。
 ゆっくり時間をかけてする方法です。



 





2.「リ ラ ッ ク ス 反 応 」    



 ハーバート大学医学部教授ベンソン博士による、高血圧症の治療の為のめい想法(ハーバート方式)で、人間の身体のもつ「リラックス反応」をめい想によってひきだす方法です。
 高血圧の人のために考案されましたが、心身症や神経症にもよいです。

(1) 楽な姿勢でいすに静かにすわります。脊ぼねはのばしますが、首の力は抜いて前へたらして下さい。また楽な姿勢であおむけに寝てもかまいません。その時は座ぶとんを膝の下に入れると楽です。

(2) 目を閉じます。

(3) 足先から順次全身の筋肉の緊張をほぐし、力をぬいていきます。右足の親指から始めて、人差し指、中指、薬指、小指と進めます。次に足の甲、足の裏、足首、すね、ふくらはぎ、膝、ふともも、ふとももの裏の筋肉と進め、次いで左足、右手、左手、お尻、お腹、胸、背中、首、頭、顔(目、鼻、耳、口と唇)と身体中の筋肉を一つ一つ力を抜いていきます。
「右足の親指の力をぬいて」、「右足の人差し指の力をぬいて」、「右足の中指の力をぬいて」、「右足の薬指の力をぬいて」、「右足の小指の力をぬいて」と進め、次に足の甲(足背)、足の裏、足首と進めていきます。
 一つひとつ命令をして、力を抜くことがポイントです。熟練すると、「はい、力を抜いて」
と自己暗示するだけで、全身の力が抜けるようになります。
力が抜けているかどうかは、力を入れてまた抜いて見れば分かります。
身体の緊張をとり、身体をリラックスさせる感じは、お風呂に入って腕が自然に浮いて来る感じになれば良いのです。太ももや肩から腕にかけての筋肉の緊張がとれればリラックスしやすいのです。
ここで体の緊張が取れたと思ったら、次へ進みます。

(4) 鼻で静かに呼吸し、静かに息を吸い込み、はく時に「ひと――つ」と数えます。
静かに、自然に吸い、そしてはく時に「ひとーつ」「ひとーつ」「ひとーつ」を繰り返します。
 この時のコツは、鼻で吸う時に、ゆっくり「いち、にー、さん、しー」と四つ数えるくらいにゆっくり吸い、次に息をはく時に、「いち、にー、さん、しー、ごー、ろく、しち、はち」と八つ数えるくらいに、ゆっくりはきます。その息をはいている間に、「ひと―――つ」もしくは、「ひとーつ、ひとーつ」と二度繰り返すかします。この時、「ひとーつ」のかわりに「気持ちが落ち着いている」としてもよいです。これをくりかえします。

(5) 10分から20分続けた後に静かに時計をみます。決して時計のタイマーを使ってはいけません。時計を見て、これでよしと思えば、そのまま目を閉じ1、2分、そして目を開いて2、3分静かに同じ姿勢を続けます。始めは、かなり長くやっているつもりでも、時計を見るとそんなに時間がたっていません。上手になるにつれ、時間があたるようになっていきます。でも、時間を気にしてもいけません。大体でいいです。

(6) 自分がうまくめい想しているかどうかなど気にかけてはいけません。リラックス反応が自然におこるのを待ち、雑念が浮かんでも決してそれを発展させて考えてはいけません。浮かぶままにします。余り雑念を意識せずに、それを止めて元に戻します。
いろいろな雑念が、ちょうど泉の水が湧いてくるように、浮かんできます。雑念が浮かんでそれを考えていることに気がついたら、それを止めて下さい。そしてまた息を吸い、息をはく時に「ひとーつ」、「ひとーつ」と数えます。これを一日一回または二回、15分から20分間、毎日実行して下さい。

 身体と精神の緊張には相関関係があり、まず(1)~(3)で身体の緊張をとり、それから(4)~(6)で精神(こころ)の緊張をとるのです。こころをリラックスさせるために身体の緊張をとるのです。身体の緊張がとれると眠くなるかも知れません。それから終わりには大きく「のび」をして下さい。
そのまま眠ってしまったら、目がさめた時に大きく「のび」をしましょう。こころの訓練は身体の訓練(スポーツ)と同じです。だからうまくできるようになるには時間がかかります。こころのリラックスができるようになるには、人によっては1年以上かかることもあります。あせらず毎日続けましょう。

 眠れない時にすると、睡眠の導入に効果があります。眠れない時というのは、いろいろなことが頭に浮かんで眠れないのです。それが、この方法で考えを打ち消せると眠れるようになります。

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葛藤としての病、慢性疾患の話

2021-10-06 09:36:01 | 心療内科
              慢性疾患の身体とこころのメカニズム

           ――こころの葛藤と身体症状との関係――

以前に書いたものですが、今までは診療所の外来に来た人だけに配っていましたが、診療がなくなったので、載せました。コピー、配布は自由。金銭的利益目的でない限りです。私の著作はすべてそうです。知識はすべての人のためのものですから。

これは、アレクサンダー・ミッチャーリヒの「葛藤としての病」と「心身症」から、一部をとり、私の考えをまじえて解説したものです。いかに臨床医学が進歩していないかを痛感しています。昔の書が、未だに臨床の場で参考になるものですから。現代医学は、すぐ人文社会学的見地を離れて、肉体を切り刻み、神経経路はどうかとか、からだのどこの部分が問題かということにすり替えています。人間総体を、つまり心を持ち、肉体としてのからだを持ち、それが社会的に左右される存在である人間を見ていないのです。
 私は、世界的にはネオ・ヒポクラテス学派と呼ばれる考え方の医学理論、病因論を取っています。少なくとも難病の治療には役立ちませんが、臨床の場の最前線にいる開業医諸氏に役立てば幸いです。こころの持ち方を変えることによって、病気が治ったり、予防できたりします。特に初期ですと進行を止められます。


 慢性疾患の身体とこころのメカニズム
     --こころの葛藤と身体の症状との関係--


1) フランツ・アレクサンダーの器質的疾患患者における、無意識過程の心身症的力動の区分
--病因となる葛藤
  1.外的な制止に基づく外的葛藤
  2.摂取された制止、即ち、超自我反応に基づく構造的葛藤
3.同時に存在する対立した衝動の不一致に基づく葛藤
 このことは不当な外的制止を発見して、それを和らげると、速やかに、比較的たやすく、嘔吐、腹部疝痛、喘息等の子どもの身体症状を取除くことに、しばしば成功する。
 構造葛藤がない人は―― 一時的に病気にかかり、その後、自分に解放と感じられるような、葛藤解消の決定が起こって、再び、健康に戻るのである。
 精神的なものが身体的警告状態へ移動し、しかも危機は克服されていない場合、病気の慢性化が起きる。
 神経症症状が先行し、身体的障害の発生と共に消失し、患者の自己意識の中で意味を持たなくなる。しかし、治療によって身体症状を軽減したり、排除したりすると、今度は神経症的適応障害が新たに起こるのである。

慢性の病気も急性期があった筈である。

2)心身症の慢性化の四つの前提 (ミッチャーリヒ)
 ①慢性心身症はもっぱら神経症的適応障害(既往歴がある)から起こってくる。
 自我の統制出来ない情動的苦境と葛藤による<心的平衡>の慢性的障害が、慢性の重圧(ストレス)の前堤条件となり、このストレスにより身体症状が慢性化する。
 ②この様な原因の慢性症状は退行という情動の再身体化が起こっている。
 ③現実的あるいは空想的対象喪失が喚起者として作用する。しかもこの神経症的適応を部分的にしろ、固定するのを促進する。
 ④希望喪失と寄辺なさは現実的なものでなく、投影によるものである。
  疾病による生物機能の喪失には、一定の現実の喪失が対応し、そしてこの現実の喪失には、患者の体験の鍵となる意味が対応する。機能の喪失と対象の喪失は関連して現われる。
  エンジェルは「寄辺ない状態と希望喪失状態は、器質的過程を発展させる精神生物的前提である。」という仮設をたてる。

 3)フロイトの原因となる契機の3つのカテゴリー
  ① 条件--遺伝発生的要因
  ②特異的原因--早期発達段階で情緒的苦境、葛藤、その克服の試みへの固着が起こり、それによって精神生物的成熟の障害が起こる。など・・・
  ③競合的あるいは補助的原因

 4)葛藤としての病
  病気は常に不自由を作り、能力範囲を狭める。
  しかし1つの面での不自由によって他の面での自由が可能となる。
  病歴を調べることによって病気を起こす原因となった動因について盲点が存在していること、即ち、認識が盲目化されていることを知る。
  子どもは衝動要求の力に従って生きている。そして子どもはその存在によって、その成長によって喜びを与えるものであるが、子どもは両親の世話や配慮、忍耐を必要とする。
  病気の子どもを持つある母親に、彼女の無意識のうちに存在している。子どもを寄せつけない感情を洞察させ、その自覚によってそのような態度を克服することに成功させると、その子どもの嘔吐や発疹、夜泣き等は、それまでの物質的な看護を何ら変えることなしに消失したのである。子どもは、大人がその態度や表情を直すように、病気や症状を引っ込めることができるのである。
  各種器官の機能障害は、その人間が直接あるいは間接に暗号的に知らせる伝達の言語であり、それらは象徴的に情報を伝えているのである。
  精神と身体は一体である。
  実現されえない1つの意図のもとで緊張が続いていると、生物学的な統合にも崩壊が起こる。・・・慢性的な疾患には慢性的な感情の変調が先行している。
  同じ情動的負荷が持続して繰返される場合に、反応刺激のイキ値は、たいていは下がり、いろいろ些細なことが気分を熱するようになる。そしてある特定の葛藤領域における僅かな負荷に対してもアレルギーになる。感情に結びついている身体の準備態勢はもはや平静ではいられなくなり、再度中庸状態に調節することができなくなって緊張状態を保つことになる。

 5)人が病気になると
  一般的には人は病気になると、誰かに助けを求め、依存的になる。それは長い間「病気になったら、家族の看護を受け、医者にかかって薬を貰い、治してもらう。」という発想が社会(世界)全体にはびこっているからである。但し、昔は、鼻水などは病気の内に入らなかったのに今では先進国では病気に扱われているように、国や地域、その土地によって病気の概念に違いがあるのですが。
  昔読んだ「シートンの動物記」には、インディアンたちは病気やけがに対して自分で治すこころを持っていた。たった一人で行動している時に誰も頼る人はいないから、必然的にそうせざるをえなかったのだと思う。
  現代の先進諸国ではもうそんな人は珍しいのではないでしょうか。発展途上国でさえ、金がないからとか、医者がいないからとか、病院がないからとか、理屈をつけてあきらめているものの、やはり医療に期待し、医療や看護を受けるのが当然と思い、受けられない時にはがっかりしているのである。
  だが期待される程には、医療は人間と病気との闘いで有効な武器になっていないのである。
でも大抵の人は、もちろん医師も含めて、医療が有効だと信じている。
ところが有効なのは、病気の人がその医者にかかって勇気づけられ、自分で病気に立ち向っていく時なのである。
  人が病気になった時に、それがインフルエンザや下痢症などの急性の病気の場合には余り関心を払わない。早く治らないかなと思う位である。現代人は必ず治ると信じて疑わないからである。

 6)こころの葛藤の悪循環  
  所が腎臓病や心臓病、膠原病それに気管支喘息に代表されるアレルギー性の病気などの慢性の病気だったり、がんや悪性の病気だった時には、人は全く別の反応をする。
  慢性の病気と知ってもうだめだとか、治らないと思い込み、既に病気との闘いを始める前から気持の上で負けてしまい、がんなどでは最悪の場合は生きる望みを失ってしまうことすらある。人間は社会的存在であり、こころで生きる生物であるから、生きる意欲を失ったらまず死は確実である。そうでなくても病気と闘う意欲を失うと治りにくくなるし、時には治療にも拘らず進行したりする。
  そうでなくとも多くの人は、少なくとも病気を嫌悪し、あたかも病気という異物が自分の身体に入り込んできたという気持になる。所がそれは「近代医学の壁」で明らかにされたように何も外から病気(細菌やウィルス)が入ってきただけでなる訳ではない。
  でもそうと分っていても、「どうしてこんな因果な病気になったのだろう。なぜ治らないのだろう。」と思って、医者を替えてみたり、それでもよくならないと、「何か難しい病気の様でもう一生治らないのかなあ。ああ嫌な病気だなあ。」と思う。
  しかし実は病気は人間が環境に適応出来ない為になるのであって、外から来た訳ではないので、「嫌だ」と嫌っているのは、実は健康であった時の自分が、病気になった自分を嫌っているのである。だから「いやだ」と思えば思う程、自分のこころの中で、無意識の過程の中で、葛藤が起こり、病気を悪化させていく。
  病気になったのは自分であり、自らの身体とこころが病んでいるのだから、それを治すには「いやになってしまう」と思うことではなく、自分の身体とこころをなだめすかして、病気の状態から少しずつ病気を脱する方向へ進めていくことである。私は「病気と上手に付きあって下さい。」と説明しているが、その方が分りやすいようである。
  その技術は医師が提供するから、できるだけ専門医、特に腕の良い医師にかかるように勧める。ところが日本の専門医や学会認定医はあてにならない科がほとんどだから、「腕の良い医師を知っていることも、医者の腕のうち」と私は考えている。
  しかし専門医だけでも決してうまくいかないことがある。専門医たちは自分の腕=技術だけで病気を治せると信じているから、治らないのはまだ医学が未熟な為か、病人が医者の注意を守らない為だと考えているからである。病気の人のこころや社会的な面を見ていない。専門医からは病気のうちの身体の部分を治す技術を学ぶしかない。それ以上を求められない。心の面の治療には、精神科医ではなく、心療内科医にかかるのが望ましいが、心療内科医は少なくなかなか見つけられない。もちろん心療内科医の役割を果たしてくれる精神科医も少数ではあるが存在する。
  そしてあなたの身体の病気を受入れてあげて下さい。日常生活が支障なければ良いと、病気と一緒に暮していきましょう。悪くなったらどうしようと思ったら悪くなるから、そう思った時にはすぐ別の楽しい事を考えて頭の中を楽しいことで一杯にして下さい。でもすぐあの嫌な危険な考えはいつの間にか頭の中に浮んでくる。折角追払ってもすぐまた頭の中に入って来る。でも負けずにまた他の楽しいことを考えよう。考えることがない時はセックスのことを考えるのが最後の手段という(但し、良いセックスを経験したことのない人には判らない)。
たったこれだけのことがうまくできるようになるのに、上手な人でも2~3ヵ月かかる。一生出来ない人もいる。でもそのことが分った人は半分治ったようなものです。
  あなたとあなたの病気とのつきあいがうまく行くことは、丁度結核菌を持っていながら発病していない人、即ち、ツベルクリン陽性の人と同じである。あなたの身体のどこかが病気になっているのであって、別に疫病神が入って病気になったのではなく、自分の身体が病んでいるのだから、嫌わずいたわってあげて下さい。そうすれば丁度駄太っ子をなだめる様なものだから、次第に穏やかになり、その内に、静かになる。でも病気は完全に治った訳ではない。でも日常生活が普通に送れるなら良いと考えて生きて行こう。
  病気にかかったら、先ずいいとか嫌とか感情で反応しないで、冷静に客観的に自分の身体の病気を見つめ、どこがどのように具合が悪く、病気になっているのかを見る。痛い時には「ああ自分の身体の○○が痛がっているなあ」と考えて見よう。それ以上考えを進めてはいけない。そこで止めるのがよい。
  「痛い=いやだ」と反応すればする程痛みが耐えられなくなる。痛みは文化的なものだから、民族や個人によって異なる。楽しい痛みは耐えられる。お産の時の陣痛など、いやなもの、苦しいものと考えなければ、我慢できることも少なくない。また楽しいことを考えている時は痛みを忘れていることもある。だから痛みを受け入れ、いやとか苦しいと反応せず、同化するのが良い。なかなか習練が必要である。ヨーガの行者が針のむしろに座っているのを本で見たことがあるが、やはり痛みを感じるのだが我慢できるし、怪我をしない。
  それから病気にかかった時に決して悪いことを考えてはいけない。悪くなると考えれば、本当に悪くなることが多い。自己暗示によって、病気が悪くなるから、「良くなる、良くなる」と良い方向に自己暗示をかけよう。それによって病気はよくなる。ブルックス・クーエの自己暗示による治療はその一例である。
  例えば心臓病の場合には現実に死に至ることがある為に、どうしてももしかして心臓が止ってしまうのではないかと言う不安が浮ぶと、ますます具合が悪くなる。そして心臓の具合はどうだろうかと神経を心臓に集中させる程、動悸がひどくなったり、脈が不整になったり、息苦しくなったり、心臓の状態も悪くなるものである。
  その時に心臓のことから考えを別のこと出来れば楽しいことに移すと、次第に症状が和らぐことが多い。その時に医者がついていて脈を取ったり、心電図を採ったりして、「大丈夫ですよ、そんなに心配することはありません。」というだけで、病人がその気になって「もう安心だ」と思うと病気は良くなっていく。バリントはそれを「医者くすり」という。医者は側にいるだけで患者は安心し、薬の役割を果たす。
  自律訓練法という一種の自己暗示法があるが、その1つに心臓の動きを自分でコントロールする方法がある。実際に心臓の動きを早くしたり遅くしたりできるのである。その為には神経を集中させ過ぎてもだめで、精神をリラックスさせて、なんとなく心臓の動きをゆっくり整えるように考える。あせるとできない。とにかく心臓の動きや呼吸数、皮膚の熱感など自律神経系による不随意の働きと云われてきたものが、自分のこころの暗示でコントロールできる。ですから悪くなるのではないかと自分に暗示してはいけません。
  昔中学時代の頃から日本の忍者に興味を持ってきた。忍者のいろいろな術のほとんどは幼いころからのトレーニングによって上達する。その中の一つに呼吸を止め、心臓の拍動を止め、脈をとられた時に死んでいると思わせる術があるのだが自律訓練法の極致もそれである。ただ仏教での荒行と同じく、死に到ることもあるという。
  別に心臓病でなくても同じである。どんな病気でも「悪くなったらどうしよう」と考えてはいけない。「ケセラセラ。なるようになる。」と楽観的に考えること。
  顔が赤くなるとか、身体に湿疹ができるのも同じである。またできるのだろうと自分で自己暗示をかけ、わざわざ病気を作っているのです。でもその段階ではなかなか悪循環から抜け出せません。思ってはいけないと思う程、そのことに頭が一杯になってしまい、そのことから頭が離れられなくなってしまうからである。そうしてますます悪くなってしまう。
  気管支喘息やすべてのアレルギー性の病気も、膠原病も、心筋梗塞も脳卒中もがんも皆同じである。
  遺伝子病や染色体異常は母親が妊娠する時に悩んだり、身体の状態が悪いと確率が高くなる。
  皆自分のこころが病気を作っている。いや、社会の不安がそうさせるのである。だから現代では医学が進歩するのと病気が増えるのとでは、病気が増えるスピードが早く、医療費の増加を抑える為に脳死で判定して医療を打ち切ろうとしている。
  しかし本当は今の社会の在り方を変えた方が遥かに早い。それだけで病人は大幅に減るが、今の支配階層には都合が悪くなるので決してそうならないでしょう。
  アレルギー性の病気や肝炎が北欧諸国で少ないのも、民族の差ではなく、社会の仕組みまたは在り方の違いからと考える。
  心療内科の池見酉次郎は、アレルギー疾患の心理的脱監査療法を実施し、9割を治癒に導き、残りも軽症化させている。私も、子どものアレルギー疾患なら治せるし、大人でも軽症化することはできる。その方法は説得療法と暗示療法である。
 
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