黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

スウェーデン方式は、どうだったのか

2024-02-29 09:59:32 | 新型コロナ感染症

             スウェーデン方式は、どうだったのか

世界はもう新型コロナウイルスのパンデミックは終わり、平常に戻っている。日本はその後遺症で、未だにマスクをしている人が少なくない。

 

        スウェーデン方式は、どうだったか。

 

 日本は、ロックダウンはできず、国民の協力に依拠した活動自粛策しかおこなうことが出来なかった。この結果、米欧に比べて人の移動を完全に制限することができず、新型コロナが流行する余地を残すことになった。それにもかかわらず、新型コロナによる死亡者は米欧に比べると圧倒的に少ない。

先ず、スウェーデン方式とは、―いろいろな記事を集めましたが―

                            結論は最後にします。

〇上昌弘2020/5/15

感染が終息するには、人口の6~7割が免疫を獲得するしかない。それをワクチンで獲得しようとした。

(→集団免役戦略は間違いだった。しかし、スウェーデンが取ったかどうかは判らない)

☆スウェーデン方式は、

 高齢者にのみ自宅待機を要請し、それ以外の制限は課さなかった。

 一時期、高校や大学は休校としたが、小中学校は休校しなかった。

 50名以上の集会禁止、不要不急の旅行の禁止、小売店やショッピングモールへの入店者数の制限を課したものの、多くの店舗やレストランは閉鎖しなかった。

 ボルボの自動車工場は一時期閉鎖されたが、その後、再開された。

〇2020/5/6現在 ヤフーニュース

コロナ感染症の死亡率12.2%、抗体保有率25%、100万人あたり死者数465人

ストックホルムでの1000人の検査で、抗体保有率は25%だった。

〇2020/5/15 週刊金曜日

2月下旬、集会やイベントでの人数を規制し、海外への不要不急な渡航に対して自粛要請を始めた。

その後、衛生管理、集会の規制―50名以上の集会禁止、社会的距離、テレワーク、リスクグループに属する人との接触回避など、

飲食業や商業施設は通常通り営業し、図書館などの公共施設も利用できる状態だ。

高校や大学はオンライン教育に切り替え、小中学校はアウトドアでの活動を増やしながら授業を継続している。

外出規制や警察の特別巡回もない。自由に出歩ける。

政府は「各自の良識ある判断に任せる」方針

〇2020/5/11 現在 感染者数2万6670人、死者数3256人。PCR検査数は週5万~10万件ほど。ストックホルムでの死亡者の約半数は、老人ホームでの感染。テグネルは、これは既存の介護システムが原因だという。

医療装備の不足や、老人ホームの民営化による規制緩和の方に問題があると思うという。

〇日経サイエンス2020/9月号

 スウェーデンはロックダウンを行わない対策をとった。

 当局は外出規制や飲食店の休業要請はしない一方で、大規模な集会の禁止や、店内の客の密集を避けるための規制を設けた。小学校や幼稚園は継続しつつ、感染時のリスクが高い高齢者に対しては公共交通機関の利用やスーパーの買い物などを避ける事を推奨した。

 保健社会相テグネルは、「命を守ることとアウトブレイクを緩やかにすることが対策の目的だ」説明した。

〇スウェーデン/メディア「THE LOCAL」2020/6/3

 高齢者を保護するために、介護施設への訪問禁止措置はとられていたものの、感染拡大を防ぐことはできず、死亡した70歳以上の高齢者の約半数は介護施設の住人だったという。

 スウェーデンは、ロックダウンや休業措置をとっていつでも抑圧政策に移行できる法体系は整っているのだが、いきなり実行はせずに、まず3月の段階で高齢者介護施設への訪問を禁じ、また50人以上の公共の集会を制限するなどの措置をとった。

 テグネル博士は「スウェーデンは、段階的な措置をとった数少ない国の1つだ。他国は一度に多くの措置をとったが、その場合の問題点は,どの対策に効果があったのか判らないことだ。

〇2020/6/6 デイリー新潮(電子版)

  首都ストックホルムではマスクさえつけずにカフェで寛ぐ人々の姿が散見される。

 6月3日時点での感染者数は約3万8千人にのぼり、死者は4403人を数える。

 

スウェーデン在住、スウェーデン移住チャンネルの吉沢智哉さんは「批判的意見が有ることは知っています。ただ、スウェーデンの政策は合理的だし、情報公開にも積極的なので多くの国民が政府に信頼を寄せているのです。」

 「こちらでは毎日14時に公衆衛生局が会見を開き、感染者数や死者数だけでなく、重症患者用の病床数や占有率まで発表される。きちんと情報を伝えて、あとは国民の判断に委ねるという姿勢が一貫しています。もちろん、規制が全く存在しないわけではなく、50人以上の集会や高齢者施設への訪問は禁止されているのですが、それ以外の外出はほぼ自由。国内旅行も車で1~2時間で移動できる範囲なら問題ありません。」

 

特別支援学校の教員を務めるサリネンれい子さんは、「高校や大学はオンライン授業ですが、幼稚園や保育園、小中学校は平常通り開いています。学校を一律に閉鎖しないのは、教育を受ける権利を奪ってはいけないという考え方が浸透しているから。加えて、スウェーデンはもともと学校を欠席しやすい環境なんですね。親が12歳未満の子どもの看病で仕事を休んでも、給与の約8割が保障されます。」

学校生活での変化は手洗いの推奨や、卒業式などの催しが縮小、もしくはオンライン化された程度。

〇2020/7/2 AFPBBニュース

 スウェーデンは、他のほとんどの国と異なり、新型コロナ拡大を抑制するためのロックダウン(都市封鎖)は実施しなかった。カフェやバー、レストラン、大部分の企業と16歳未満を対象とした学校は平常通りだった。

だが同時に、可能な限り在宅勤務をすること、ソーシャル・ディスタンシング(対人距離の確保)と衛生ガイドラインを順守すること、70歳以上の高齢者とリスクが高い人々に家で過ごすことを求めていた。

 

「集団免役の獲得を待つ戦略は科学的根拠に乏しい」とノーベル財団の会長以下2千人超の研究者が、2020年3月末、猛烈に批判し、厳格な措置を講じるように求めた。

スウェーデンのローベン首相は、「私たちは個人として責任を負わなければならない。全てを立法化し禁止することはできない。常識の問題だ。大人である私たちは、まさに大人として行動する必要がある」という。

 

〇スウェーデン・カロリンスカ大学病院泌尿器科医宮川絢子 2020/7

 ・スウェーデンはコロナ対策として集団免役を目指した事実はない。

 ・カロリンスカ大学病院は、ストックホルムの入院患者の約40%を受け入れ、泌尿器外科医も治療を担当した。

 ・スウェーデンは、集団免役獲得ではなく、「長期間持続可能な方法で感染のピークを抑え、医療崩壊を来さないようにする」ことを主目的とした。その為、持続可能が難しい完全なロックダウンという方法を取らずに、高リスク者(群)を守ると明言したわけである。

 ・法律で禁止しているのは、「50人以上の集会」と「介護施設への訪問」のみである。

・高校・大学・成人学校は閉鎖してオンラインによる遠隔授業となったが、保育園・小中学校は平常通りでした。

 ・その他、「社会的距離を取る」、「少しでも症状があれば自宅療養する」、「リモートワークを推進する」等の勧告により結果としては部分的ロックダウンの形になったが、国が法律で個人の行動を規制することはなかった。渡航制限もない。

 ・スウェーデンは、政府や中央省庁への国民の信頼が厚い。今回のパンデミックでも、政府を信頼していると答えた国民は60~70%で推移している。パンデミックの政策の主導権は、各省庁の専門家グループに委ねられている。毎日午後2時に各省庁の代表者が合同記者会見を開いて感染状況を提示し、今後のプランを述べることが行われている。核種統計は開示され、徹底した情報の透明性が担保されている。

 ・大病院のほとんどが公立であり、大病院の中で役割り分担し、カロリンスカ大学病院はコロナ野ためにICU病床を5倍の200床にふやし、ストックホルム市内では4つの病院がコロナ診療に当たり、日常診療を他の病院で受け入れた。PCR検査は入院が必要な重症者に限定して行われた。入院の必要のない軽症者はPCR検査を行わずに自宅療養となった。

 コロナ患者の病床確保や救急の場合には、国全体で調整された。ピーク時には500人近いコロナ患者がカロリンスカ大学病院に入院し、ICUには150人を超えていた。この診療に泌尿器科医もあたり、医師や看護師の配置換えが行われ、これらのスタッフは給与支給額が220%に引き上げられた。

 ・ICU病床が満床になることはなく、医療崩壊は起こっていない。トリアージ(患者の選別)も従来からの延長でコクミンの理解が得られているものである。それは「救える命に医療資源を使う」、「無駄な延命治療は行わない」など。治療の決定はエビデンスに基づいて行われ、効果がほとんど期待できない治療は、患者や家族の希望があったとしても行われることはない。治療を拒否する権利はあっても、治療が受けられないことを拒否する権利はないのである。

〇同上  後編  2020/8

 ・スウェーデンがロックダウンをできなかった大きな理由は、憲法において、「国民の移動の自由」が守られており、国が国民の行動を規制することが許されていないからだ。

 また専門家グループが属する省庁などの公共機関は政府の影響を受けず、独立性が有ることを憲法で規定されている。感染症対策は公衆衛生庁であり、コロナ対策を指揮したのは公衆衛生庁の疫学者テグネル氏であった。

 ・保育園や小中学校の運営が平常通りなのは、子どもに感染しても症状が比較的軽く、死亡するケースがほとんどないということ、それに加えて子どもが学校で学ぶ権利、とくに家庭環境が良好でない子どもたちにとって学校はセーフティネットでもあり、閉鎖するとさまざまな弊害が起こりうることに基づいている。

 ・学校閉鎖により、医療従事者の約10%にあたる4万3千人が働くことが出来なくなると試算され、そうなれば医療現場を維持するのが難しい事態が予想された。

 ・スウェーデンの新型コロナによる人口あたりの死亡者は世界的に高いと言われているが、なぜか。死亡者に高齢者が占める割合は非常に高く、およそ90%が70歳以上である。70歳以上の死亡者のうち、50%が介護施設に居住していた。

 もともと重症の高齢者が多数住む介護施設でクラスターが多発したこと。

 70歳以上の死亡者のうち要介護者が占める割合は76%になる。

☆詳細を略して、

 つまり介護施設でクラスターが発生したのは、感染症対策自体の失敗ではなく、スウェーデンの介護システムが抱える長年の問題点や、スウェーデン社会が抱える脆弱性を新型コロナにつつかれたためである。

〇2022年2月9日、スウェーデンはほぼすべての規制を撤廃した。

 2020年から2021年にかけての超過死亡率は、ヨーロッパの中では、ノルウェー、デンマーク、フィンランドに次ぐ低い国である。スウェーデンの公衆衛生庁は、「根拠が不確かなマスク着用より,ソーシャルディスタンスを優先した。現在でも、マスクはあくまで補助的な役割と認識されている。

 2020年末に新規感染者数が1日あたり1万人を超えた時には、公共交通機関内や、ショッピングセンターなどでマスク着用が「推奨」されるようになったが、それでも屋内での着用率は高い時でも過半数程度であり、屋外ではマスク着用は少数派であった。

〇マスクが感染防止に有効だという科学的根拠はないと考え得るのが国際的なコンセンサスだった。

 ロックダウンについても、感染拡大を防ぐという科学的根拠はないとされていた。テグネル氏は「ロックダウンをしない」というのが欧州の疫学者たちのコンセンサスであったにもかかわらず、各国は次々とロックダウンを採用して行った。ノルウェーとデンマークは、専門家の意見を無視して、政治的に決められた。イギリスは当初しないはずが、数理疫学者(日本では8割おじさんの西浦教授もこれ)のファガーソンがマスコミに騒ぎ立て、政府は慌てて、遅れてロックダウンしたが、その後修正してロックダウン政策をやめた。

スウェーデンは、感染に脆弱な高齢者などの高リスクグループを保護することを対策の柱とした。

 子どもたちが通常の生活を送れるようにすることが重視された。保育園と小中学校は平常通りでした。マスク着用義務も黙食義務もなく、子どもたちはほぼ通常の生活を送ってきた。

〇医療崩壊を回避することが最も大きな政策の柱であった。ICU病床は2倍に増やし、多くの一般病棟が感染病棟になった。ストックホルムの国際会議場には、野戦病院が設営され600床のベッドが用意された。これは使われることはなかった。

 医学部6年生の学生の動員や休職状態にあるスカンジナビア航空のキャビンアテンダントを再教育し労働力をシフトするなど多様な対応がなされた。

 マスクの使用は勧められてはいない。マスクにエビデンスが確立された訳ではなく、ソーシャルディスタンスを取ることが第一であると考えられた。病院でも手術などの処置以外でマスクをしていない。

〇スウェーデンでは、手洗いも手が触れる場所の消毒もせず、するなら今までの常識程度でよく、マスクも推奨。ソーシャルディスタンスのみ。

 ロックダウンもせず。

 

◎その結果、政府公衆衛生担当の責任者テグネル氏は2023年4月にWHOへ招かれて移籍したと言う。

 結果は明白である。WHOの多数派はスウェーデン方式が良かったと選択した。

 

ついでに言えば、ファガーソンという理論疫学者によってロックダウンしなければ25万人が死亡すると警告されて一時かき回されたイギリスは、政府の緊急時科学助言グループの当初の方針に戻り、ロックダウンを解除した。その後は予定通りスウェーデンと同じ路線を取った。

日本の西浦博京大教授もファガーソンと同じ理論疫学で、8割おじさんと呼ばれた当時の北大教授。結局理論疫学は当たらなかったが、出世した。

 

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新年おめでとうございます

2024-01-02 12:12:17 | 日記

        慶  春

 今年こそ何とかしたい年です。

 世界はアメリカの動きを止められず、ガザとウクライナの問題はアメリカによる支援を止めれば終わること。それが出来ない。

 台湾有事は、アメリカが台湾と日本を中国と戦わせるという、ウクライナと同じ構図。それを阻止すべく、沖縄と台湾と上海の地域経済の交流を始めようと画策。

中国は、台湾が独立をしなければ、現状維持で進む。マルクス主義、毛沢東主義を維持しているから国際主義なので、侵略はしない。

ハマスは真珠湾攻撃をまねしたに過ぎない。反撃されての次の手が無い。しかし、アメリカが世界の悪の中枢ということを明らかにした。それでウクライナ問題もロシアに戦争を止めさせるには、アメリカの援助停止しかないことを明らかにした。

日本では安倍元首相の暗殺とそれに続く、安倍派の裏金問題での追及は誰の仕業か。もちろんアメリカもあるが、国内での勢力はどこか。今年はどんな年になるでしょうか。

貧困と格差社会が拡大しないことを願っています。

                          

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普天間基地移転は半永久的にできないのではないか

2023-12-26 10:31:39 | 政治

           普天間基地は移転しないのか

辺野古への移設は幻想ではないのか

普天間基地は半永久的に移転しないのではないか

アメリカのたくらみはどこにあるのか

 孫崎さんの話から思いついたことです。アメリカは移転先について口をだしたことはありませんが、鳩山由紀夫元首相が県外移転を出した時に反応し、その為かどうかわかりませんが、鳩山元首相は短命に終わりました。

 辺野古移設は既に約14年前から反対運動が続いています。そこへ「辺野古は基地完成までに14年かかる」と言う。完成したらすぐ移転できるかというとそうではない。完成して米軍に引き渡そうとしたら、米軍はきっと「軟弱地盤だから使えない」というのではないかと思います。少なくとも米軍の基準には適合しないのです。その結果少なくとも普天間基地はあと14年も無条件で使えるし、その後もずっと使えそうです。そもそも米軍にとっては辺野古よりも普天間の方がずっと使いやすいのですから。

 だからアメリカは、普天間基地の移転問題は、日本の国内問題でもめていればその分は先に延びますから都合が良いのです。この様では、半永久的に普天間基地を使えそうです。

 本土にある基地が無くなっていったのですから、沖縄の基地も無くすことで決着すべきでした。現状ではそれも難しいでしょう。

 アメリカの国内問題でしたら、市街地のそばに基地があることは認められませんが、海外のしかも沖縄のことなので、国内世論は動きません。元占領地ですから。

 それ故に日本も国内での問題は、普天間基地廃止です。廃止で戦わなくてはなりません。

県外移転を唱えた鳩山元首相が退陣に追い込まれたのはどこの力でしょうか。それを闘わなければ、移転はできないでしょう。これが私の幻想で終われば良いのですが。

 

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同盟は家臣ではない

2023-12-11 10:19:46 | 政治

     「同盟は家臣ではない」

    日本独自の安全保障について――孫崎亨

この本を読んで感じたことと、抄録。

「同盟は家臣ではない」(孫崎亨)を読んで

 

戦後史の最大の疑問点は、対米従属でした。外務官僚は鳩山由紀夫首相すら引きずり降ろしたのです。吉田茂首相はアメリカ嫌いと聞いていました。対米平和条約を結ぶのに渡米することを嫌がったと聞いています。それなのに、日本は対米従属路線を選択した。それで対米従属の外交路線を建てて維持したのはなぜかということでした。それが判りました。政治家が命と職とを引き換えにしたのです。

 また、「安倍首相は山上被告に銃殺されたのではない」との意見は聞いていましたが、これだけはっきりと言い切るのは初めてでした。安倍首相の存在が不都合な人たちが政府内にいたということです。アメリカでも日本でも政府に不都合な人を消す仕組みが存在しています。検察の他にもあったようです。

 真珠湾攻撃も米英の戦略によって挑発され、それに乗せられて戦術が建てられ、二の矢がなかったという実態であったこと。アメリカはそれを口実に対独戦に介入した。対日戦では、攻撃前から勝利を確信し占領政策まで立てていた。

 今「台湾有事」で反撃能力などと言っているが、その後の二の矢、三の矢がないこと。

先制攻撃されたらどう反撃するのか。そしてその反撃に対する再度の攻撃に対してはどうするのか。原発が狙われたらどうするのか。全く答えが出されていない。それが如何に愚かなことかが書かれている。

 アメリカは大戦まで軍事産業がなく、大戦後軍事産業を創りそれが巨大化し、逆に国の政策を動かすほどになっていた(アイゼンハワー)。 今日本もその後を追っている。

 敵基地攻撃力というが、二の矢三の矢がなく、戦略など無いに等しい。日本は戦争しないことが一番ではないかと思う。平和憲法を作ったのが幣原喜重郎首相だったという。

 一読するに値するというより、必読の本だと思います。(黒部)

抄録

  • 安全保障を考える時の視点 

いくつかの視点を持つ必要があると。私たちは一つの信念を持ち、それによる考えや方策しか持たないが外交ではいくつかの視点が必要という。問題意識や価値観、判断の根拠となる事実の過不足を認識することも必要である。

 ジョージ・ケナンはソ連に対する「封じ込め」戦略を編み出した人であり、武闘派ではなく、ハト派である。その考えは「その悪はその国の歴史的流れで変化するのであり、軍事的対決は無用の悲劇を双方に出す」という考えであった。

 1985年頃の外務省国際情報局長の岡崎久彦氏が「日本は、(以下簡略)ソ連と米国という大国のあいだにあり・・、生存と平和を維持するためだけでも、どちらかの力と協力し、他の力を抑止する以外に方法がない」との考えを持ち、今日の「対米依存・隷属」の理論的支柱となった。当然「ソ連とは軍事的対峙も辞さず」とのタカ派である。私(孫崎)はハト派である。

  • 福田赳夫の視点   (2) 与謝野晶子の視点 (3) トルストイの視点

(4) 夏目漱石の視点      (5) 宮沢賢治の視点      (6) 喧嘩両成敗の知恵

  • 孫子の知恵 (8) マクナマラの知恵 (9) シェリングの知恵

(10)枝村大使の知恵。 ―― いつも51 点を目指す

(11)歴史に学ぶ    ―― 真珠湾攻撃がどのようにして起きたか、その最重要の点は米国に誘導されたことにある。

*加瀬俊一の見方 ――  スチムソン日記「第一撃を射させるような立場に日本を追い

込むこと、これがなかなか難しい」

*オリバー・ストーンの記述

(12)「トゥキディディスの罠」の視点 ―― 客観的状況は人間が認識するものであり、その認識は、私たちの感情というレンズに左右される。

(13)「地球が異星人の侵攻を受けたら、ソ連とアメリカはどう対応するか」

(14)アメリカとは何か。

 アメリカの民主主義は「その場に根差す民主主義」。その場で権力を持つ者の判断がすべて。大統領が変わると政策も変わり、継承性が無い。

(15)アイゼンハワーの国民への離任演説(後記にもあり)

第二章 最近の動向

(1) 反撃能力、敵基地攻撃をどう考えるか

(2) 中國と北朝鮮に敵基地攻撃を行なったらどうなるか

(3) 今一度孫子に学ぶ

(4) 三手先を読む知恵

(5) 柳谷健介氏の助言「二の矢三の矢」

(6) 二手目の読みで失敗した例① 真珠湾攻撃

 アメリカ側ははじめから、あくまで東京を占領して、再び日本が侵略を犯しえないようにしなければならないと考えていたのである。

(7) 二手目の読みで失敗した例② ウクライナ戦争を起こしたロシア

(8-1)平和国家・憲法の基礎、「戦争をしない」は幣原喜重郎首相のイニシアティブ

  • 幣原喜重郎自身の説明
  • マッカーサーの米国議会証言

(8-2)自衛隊誕生の契機は、朝鮮戦争時に日本に武力集団を作らせ派遣する構想

 ケース① 後藤田正晴

 ケース②  内海倫

  ケース③ 加藤陽三

  • 今西錦司の知恵「棲み分け」

*2023年7月3日付け日経新聞は「円売り勢”弱る国力”突く」の標題で、①円は95年につけたピーク比の下落率が6割に達した ②平均給与水準の低さや財政状況なども含め、円安の根本的な原因には日本の国力の低下がある ③生産年齢人口の減少などで経済の実力を示す潜在成長率はゼロ%止まりであり、2%程度の米国と比べても低いことを報じた。

  • 吉見俊哉の「敗者論」

敗者としての東京。日本史には、敗者の役割を見つめなおす視点はあまり見当たらない

第三章ウクライナ問題への対応がリベラル勢力崩壊の原因

(1) ウクライナ戦争への対応が軍事力強化に弾み

(2) ウクライナ問題が日本の安全保障を変えた

(3) 安倍元首相はどの様な発言をしていたか

 その① 2022年2月27日のフジ「日曜報道THE PRIME」

  「軍国化」する勢力にはウクライナを巡る安倍発言は困る存在だった。だから彼の意見は日本社会では封印された。

  その内容は、プーチンには領土的野心はないこととNATOが約束を守っていないことを明言。さらに米国がウクライナに対し、NATOへ加盟しない中立を宣言させ、親ロシア派の東部2州の高度な自治権を認めさせる努力をすべきだったとなる。

  知米派の政府関係者が安倍氏に憤りを持っていたことはほとんどの日本人は知らない。

 その② エコノミストの報道

  2022年7月に暗殺される前の5月に、エコノミストは安倍首相にインタビューした。

 安倍「戦争を回避することは可能だったかもしれません。ゼレンスキーがNATOに加盟しないことを約束し、東部2州に高度な自治権を与えることができた。・・・」

(4) 安倍元首相の発言は何故日本でかき消されたか

(5) 和平のインセンティブ

  和平は戦争で失うものと和平で失うものとの比較で決まる

(6) 私の考える提言

(7) 私の提言への批判・「武力で現状変更は許せない」

(8) ウクライナ問題の理解のために・その① NATO拡大の問題

(9) ウクライナ問題の理解のために・その② 東部2州の問題

(10) ウクライナ問題の理解のために・その③ 左派系の人の見方

 この戦争にどう向き合うかが問われている。その向き合い方によって、日本の進路は真逆なものになるのではないか。

(11)ロシア人は何故プーチンを捨てなかったのか

(12)主義を守ることと命を守ることの選択

 米国とNATO諸国のウクライナ支援の根本がある。そしてこの点で軍拡に走るグループと、「人権派」とが一体化する。

個別案件の問題とする安倍元首相の発言は困る存在であった。

 米国でもトランプ元大統領が困った存在である。トランプ元大統領は「自分が大統領だったらロシアの侵攻はなかった」、「一日で戦争を終わらせるだろう」と言ってる。

(13)国際的な和平の必要性を説く動き① マーク・ミリー米統合参謀本部議長

  今和平を主張しているのが、統合参謀本部議長マーク・ミリーである。

(14) 国際的な和平の必要性を説く動き② イーロンマスク提案

  この和平案は本質的には、私(孫崎)の述べてきたことと同じ。

(15) 国際的な和平の必要性を説く動き③ トルコ等

  戦争は交渉のテーブルで終わる。どちらも目標は達することができない(ミリー)

(16) 国際的な和平の必要性を説く動き④ 森元首相の発言

 森元首相は、「こんなにウクライナに力を入れてよいのか。ロシアが負けることは、まず考えられない」

(17)核戦争の危険

(18)日本の言論空間の完全崩壊――山上氏は安倍元首相を殺害していない

 日本でプーチンを最もよく知る人は安倍元首相であった。

 2022年7月8日安倍氏は銃撃されて死亡した。日刊ゲンダイの記事から

  ケネディ大統領の暗殺事件でオズワルドが犯人とされたが、今日多くの米国人は単独犯行とは考えていない。

  安倍氏の殺害事件は山上氏の銃でない可能性があると聞いている。

  銃撃当日の治療にあたった奈良県立医大付属病院での福島英賢教授の説明では、「頸部前の付け根に2つの銃創がある。」しかし、山上被告の銃弾は安倍氏の頸部前の付け根付近には当たらない。

  (黒部記、銃弾が公開されていない。隠されているとか、スナイバーが撃てる空間があったとかの説など諸説あり。マスコミは全く取り上げず、Web 上をにぎわしただけ)

(19)バイデン政権の実行力

 (ここではバイデン政権と述べているが、黒部は、米国の政権すべてであると思う) 

 バイデン政権の怖さは政権中枢部がある方向を示すと、具体的手段が詳細に中枢部に知らされることなく実施されることである。犯行の実行犯から最終的な指示者までいきつかない。それは国家が行う犯罪行為でも同様である。

第四章 世界の新潮流:米国・欧州支配は終わる

 産業革命以降、欧米諸国が世界の主導権を握ってきた。

 しかし、この流れは変わる。 (それは「人新世」から始まっていた。―黒部)

大きい人口を有する国は巨大な市場を持っていることにより、優位性を築く。それが中国であり、インドであり、インドネシアである。

  • CIAが示す世界のGDP比較:量で中国が米国を凌駕する
  • アジア新興国の経済成長はG7諸国などを上回る
  • 中国経済は質でも米国を追い越すことが予測される その1

自然科学の研究論文数

  • 中国経済は質でも米国を追い越すことが予測される その2

 先端技術論文数

  • 中国経済は質でも米国を追い越すことが予測される その3 特許数
  • 中国経済は質でも米国を追い越すことが予測される その4 米国の警戒感
  • アメリカは中国に抜かれないという主張
  • 中国の発展に合わせ発展するASEAN諸国
  • 中國との学術協力を縮小する愚

(10)中国に輸出制限する愚 その① ―― 半導体

(11)中国に輸出制限する愚 その② 自動車関係  ――電気自動車化

(12)「ローマは一日にしてならず」→「ローマは二週間でできる?」

(13)中国は物づくり、金融は米国が一般的観念。だが実は中国は金融でも強くなった。

 主要金融機関の総資産と自己資本比率でトップ4行は中国

(14)「通貨の武器化」で劣勢の中国は現時点で米中対立の激化は出来ない

(15)「ドル覇権の崩壊」と米国覇権の崩壊① IMFの見方

(16)「ドル覇権の崩壊」と米国覇権の崩壊② イエレン財務長官の懸念

(17) 覇権争い:No.1がNo.2に抜かれると感じた時、戦争が起こる

(18)米国民にとってどの国が敵か

(19)米中対立激化の中で、中国は米国に何を訴えているか

第五章 台湾海峡で米中が戦えば米国が負ける

(1) ランド研究所の見解

 米中の軍事バランス:台湾周辺、2017年 中国優位

(2) アリソン、クリストフの指摘「18のウォーゲームの全てでアメリカは敗れている」

(3) 「中国の侵攻は撃退可能、米軍の損害も甚大」―台湾有事シミュレーション

(4) 米国の狙いは台湾と日本が中国と軍事紛争を行うこと、ウクライナのパターン

 「米国が約束を反故にして緊張を作る」という構図は、台湾問題でも同じである。

(5) 米国が中国にどのような約束をしてきたか

  • ニクソンが中国を訪問した時の第一次米中共同声明
  • キッシンジャーと周恩来会談、1971年、
  • 1978年の米中共同コミュニケ
  • 1982年の共同コミュニケ
  • 上記文書の総括

  米国は一貫して「台湾は中国の一部である」との中国の立場を受け入れている。

(6) 日本は中国との間にどのような約束したか。

(7) いかなる時に台湾を巡り軍事紛争が起きるか

 台湾が独立を宣言した時あるいは独立を宣言することが確実なとき。

(8) 台湾世論動向  ―― 現状維持が7割

(9) 尖閣諸島の法的位置づけ ①国際的に見れば尖閣は「日本固有の領土」ではない

 日本は第二次大戦で敗れた。「ポツダム宣言」を受諾した。連合国が認めた島が含まれる。

(10) 尖閣諸島の法的位置づけ ② 連合国の対応

 連合国側は尖閣諸島を日本領土としてことはない。

(11) 尖閣諸島の法的位置づけ ③ 米国の対応(主権は係争中)

(12)尖閣諸島は「主権は係争中だが管轄は日本」という解決 ①米国の対応

(13) 尖閣諸島は「主権は係争中だが管轄は日本」という解決 ②栗山元外務次官の説明

  1972年に日中間の首脳のあいだに棚上げしましようと言うことで暗黙の了解ができた

(14) 尖閣諸島は「主権は係争中だが管轄は日本」という解決 ③橋本恕(当時中国課長)の説明  

(15) 尖閣諸島は「主権は係争中だが管轄は日本」という解決 ④ 読売新聞社説

  1979年5月、「尖閣問題を紛争のタネにするな」との社説

(16)日中間に紛争を作りたい人々

(17)日中漁業協定の存在

 河野太郎議員のブログに詳しい。この領海水域は、お互いに自国の漁船だけを取り締まることとしている。それが漁業協定。ほかには協定はない。

第六章 日本はなぜ国益追及でなく、対米隷属の道を歩む国になったか

(1) 今や、国益的思考を喪失した国

(2) 終戦直後より日本社会に脈々と続く、命、地位と引き換えの対米協力

 日本の統治に日本側の協力者が必要になる。かっての支配層の利用が都合がよい。

命と職と引き換えに「米国協力」

政治面――昭和天皇、岸信介、吉田茂、賀屋興宣など。

以下官僚、経済界、報道界、学界、司法、検察など略。

(3) 朝鮮戦争時の対米協力:「戦争をしない」「民主主義」「自由主義」が崩壊

 朝鮮戦争で日本は、実質戦争に参加している

1945年報道界の赤色分子解雇(レッド・パージ。その後朝鮮戦争時にも、70年安保時にも)

(4) ソ連崩壊後の米国の「敵国」と日本参戦の方針

 戦後の構図が崩れる。日米安保条約は実質的に終わっている

(5) 細川政権が潰される

(6) 次の標的は福田康夫首相

 ブッシュ大統領のアフガンに支援をとの求めに対し、福田氏は「陸自の大規模派遣は不可能と返答した。その後圧力で福田氏は辞任。福田氏が投げ出す前に自民党には「3A+S」連合ができる。3Aは安倍(岸信介の孫)、麻生(吉田茂の孫)、甘利、Sは菅である。

  占領体制の復活である。

(7) 民主党政権誕生の直前に小沢一郎氏が、民主党政権発足後は鳩山氏が標的に

 小沢さんは民主党代表になることを、鳩山由紀夫首相は普天間基地を「最低でも県外移設」として、つぶされた。

(8) 米国は再度「ロシア」「中国」を主敵とする「新冷戦」に

  テロとの戦いは終わった。次は「新冷戦」に

(9) 「新冷戦」の中、米国は岸田政権を重用

第七章 平和を構築する

(1) 西側諸国がロシア・中国を敵とする「新冷戦」は長続きするのか

 今西側諸国はロシア、中国を敵とする「新冷戦」に入った。

 冷戦は、第二次大戦の終わりにトルーマン大統領の誕生した時に始まり、ソ連の崩壊まで約40年続いた。

 ソ連崩壊後、イラン、イラク、北朝鮮を主敵とする「テロとの戦い」は約30年続いた。

 では今新たに出てきている「新冷戦」はどれくらい続くか。

結論として言えることは短期であろうということだ。

米国の力は落ち、経済制裁が効かなくなった。米国、欧州諸国は格差社会が拡大し、政権党への支持は低い。ブリックス諸国をはじめアジア・アフリカ・中南米諸国の力が台頭している。トランプが当選したら足元から崩れる。

(2) 米中衝突論:「トゥキディディスの罠」のグレアム・アリソンの解決策

 アリソンは「現在の軌道では、数十年以内に米中戦争が起こりうる可能性は、ただ”ある”というだけでなく、非常に高い。過去500年の例を見ると、戦争になる確率は50%以上だ」としている。彼は戦争回避の処方箋を考えている。

彼はまず、「平和を維持した4例に見る12のヒント」を挙げている。

 ヒント1:高い権威を持つ存在は、対立解決の助けになる

ヒント2:国家より大きな機構に組み込む

ヒント3:賢い国家指導者を擁する

ヒント4:重要なのはタイミングだ(絶好のタイミングはしはしば予期せず訪れるが、

 あっという間に失われてしまう)

ヒント5:文化的な共通点を見出す

ヒント6:この世に新しいことなどない。核兵器以外には

ヒント7:相互確証破壊(MAD)により総力戦は狂気の沙汰に

ヒント8:核保有国間の熱い戦争は、もはや正当化できない

ヒント9:それでも核超大国は、勝てない戦争をする覚悟が必要

ヒント10: 経済的な相互依存

ヒント11: 同盟は命取りになりかねない

ヒント12: 国内情勢は決定的に重要である

 彼は米中関係に特化して次の4点を記述する

 オプション①:新旧逆転に適応する

 オプション②:中国を弱体化させる

 オプション③:長期的な平和交渉をする

 オプション④:米中関係を定義しなおす

これを見ると「核兵器時代であるから超大国間では戦争ができない」という客観的な状況以外、戦争を止める力になるか疑わしい。

(3) 「核兵器の使用」が米ロ、米中の全面対決を防ぐほぼ唯一の手段

バイデン大統領はプーチン大統領を排除するため、いくつかの策を打ち出した。

武器を提供する

経済制裁をする

ロシアの石油・天然ガスの輸出を止める

2022年ロシアの侵攻前、バイデン大統領は記者会見で「もしロシアがウクライナに侵攻したら、ノルドストリーム2(パイプライン)は存在しなくなる.我々はそれを終わらせる」と述べ、後、ノルドストリーム2は誰かの手によって爆破された。米国の行動はかなり危険な所にまで進んだ。武器支援でウクライナが押し返した。

こうした中でロシアに危機感が出る。ロシアが「通常戦で敗北することがあったら、核兵器の使用も辞さない」との立場を鮮明にした。

米国はウクライナへの全面的軍事協力の方針を修正した。ロシア国内へ攻撃できる武器をウクライナに提供することを躊躇した。こうして「核兵器の使用」が米ロの全面対決を防いでいる。この点は米中も同じである。

(4) アメリカの狙いは何か

 日本・台湾に中国と戦わせること。「テロとの戦い」は一つの弱点を持っていた。米軍の中に死傷者が出る事である。ウクライナ戦争では米軍は直接戦闘に参加していない。

 では米国は何を目指すか。

  • 日本と台湾に、中国が容認できない行動をとらせる ②反発した中国に、台湾、日本

を攻撃させる ③これでもって国際的に中国に制裁を行なう ④中国の経済発展には国際貿易が極めて重要であるため、中国経済は甚大な被害を被る。

 そのためには、台湾、日本に対して軍事紛争の際には、米国が常に軍事的に支援するという幻想を与えてい必要がある。

「米軍が日本を守る」は幻想。

(5) 尖閣での衝突時、日米安保条約があっても米国は戦う義務は負っていない

(6) 「核の傘」はない

(7-1)約束を守ること、それは平和の第一歩である(ウクライナ問題)

 ジョージ・ケナンは「1998年に米国上院がNATOをポーランド、ハンガリー、チェコに拡大する決定を行ない、これが新冷戦の始まり」と述べている。

 これは1990年に米国らがゴルバチョフソ連大統領と交わした「NATOの管轄は1インチたりとも当方に拡大しない」という約束を破り拡大した。

(7-2)約束を守ること、それは平和の第一歩である(台湾問題)

 米中、日中国交回復の時に①外交関係の樹立には、台湾問題が最重要である。②中国は、「台湾は中国の一部である」という立場を主張し、日米はそれを認識して行動をとるという約束をした。米国と日本がこの立場を際確認すれば台湾問題は起こらない。

(8-1)新しい枠組みの模索:その① 南極条約の知恵の拝借

 資源の開発を行わなければ、紛争は生じない

 領有権は保留するも軍事利用は禁じ、さらに鉱物資源の開発までしないようにすることは学ぶものがある。

(8-2)新しい枠組みの模索:その② 尖閣諸島、その周辺海域を国際自然保護区に

  • 経済の相互依存関係の強化は戦争を避ける道、それをさせないバイデン政権

戦争は多くの場合、資源の争奪戦である。

1955年バンドン平和十原則

  • 全ての国の主権と領土保全を尊重
  • 他国の内政に干渉しない
  • 集団的防衛を大国の特定の利益に利用しない。また他国に圧力を加えない。
  • 侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない。

 しかし、私たちは、平和を創るには「構想」を出すだけでは不十分である。「構想」を実現させるだけでは不十分である。「構想」を守り、「構想」の実現を阻もうとする勢力との対峙が必要である。

  • 世界は軍産複合体を超えられるか

 アイゼンハワーの離任演説(1961年1月)は、米国国民に対する極めて異例の警告だった。

・平和を維持するための不可欠の要素は私たちの軍組織です。

・最後の世界戦争までアメリカに軍事産業が全くありませんでした。しかし、国家防衛の緊急事態のために、巨大な規模の恒常的な軍事産業を創設せざるを得なかった。多数の男女を雇用し、多額の費用を軍事に費やしている。

・我々は、政府の委員会等において、それが意図されたものであろうとなかろうと、軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければなりません。誤って与えられた権力の出現がもたらすかもしれない悲劇の可能性は存在し、また存在し続けるでしょう。

・この軍産複合体の影響力が、我々の自由や民主主義的プロセスを決して危険にさらすことのないようにせねばなりません。

・何ごとも確かなものは一つもありません。

・警戒心を持ち見識ある市民のみが、巨大なマシーンを平和的な手段と目的に適合するように強いることができるのです。その結果として安全と自由とが共に維持され発展していくでしょう。

 

軍産複合体の脅威と言えば、多くはこれを「陰謀論」という。だがその脅威を述べているのは輝かしい軍歴を持つ米国大統領自身である。

 そして今日,その危険は従来以上にましたと言える。

  トランプ大統領は在任中、海外の米軍基地は不要と言った。対立の続く朝鮮半島では、朝鮮戦争の最終的決着、平和条約の締結を目指した。軍産複合体の根本を揺るがしたと言っていい。

 2020年の大統領選挙では、元国防省、国務省、CIAなどの高官、学者等約500名が署名し、バイデン支持を発表した。極めて異例である。そして軍産複合体の利益のために働く政権を作った。

 アリソンの言葉を借りれば、・・・「アメリカの民主主義が致命的な徴候を示していることを懸念している。根底には、公職につく者の倫理観の衰え、制度化された腐敗、・・・そして短絡的なメディアがある」現象と関係がある。

 平和を構築する構想が無いのではない。

 「平和を構築する構想」を排する社会になっていることに、西側社会の病気の深刻さがある。

終章 日本のこれからの安全保障について

原則1:「同盟は、家臣ではない」。先ず国益から論ずるという姿勢をとろう。

 世界情勢は米国一極支配ではなくなった。

 2023年4月マクロン仏大統領は記者会見で「(米国の)同盟国であることは米国の家臣になることではない。自分たち自身で考える権利が無いと言うことにはならない」と述べた。

原則2:「米国を恐れるな」

 米国に逆らった政治家は米国に潰されることはある。

原則3:「日本はロシア、中国、北朝鮮の軍事大国に囲まれている。いくら努力してもこれに対抗できる軍事国家にはなれない」

 本当に軍事力で対抗しようとするなら、日本は「非戦」「民主主義」「自由主義」を完全に捨てなければならない。

原則4:「小敵の堅(けん)は大敵のとりこなり(小部隊で強気になると大部隊の餌食になる)」

 日本の安全保障論で不思議に思うのは、こちらが「敵基地攻撃」などをしたら相手国はどうするかという議論がないことである。人口が密集し、原発が立ち並び、攻撃された日本は、攻撃された時での被害は甚大である。武器は高度化し、防御はほとんどできない。ロシアのウクライナ攻撃も(イスラエルのガザ攻撃も)何らの聖域はない。

原則5:「米国が軍事的に日本を防衛するのは、自国の利益と一体の時に行なうのであり、条約があるからではない」

原則6:「台湾海峡を巡り米中衝突の際は、米軍は中国軍に負ける」

原則7:「戦いに入れば、武器の高度化によって、戦いで得るものと、戦いで失うものとの比較で、勝敗と関係なく、後者が圧倒的に大きい」

原則8:「外交は『自己の主張においての100点中、50点取るのが理想』という妥協の精神を持てば妥協の道は常にある」

原則9:「過去の合意の順守をする気持ちで臨めば、大方の問題はすでに武力紛争に行かないような枠組みが設定されている」

原則10:「『好戦的』で『不確定』な北朝鮮に対してすら、攻撃させない道がある」

原則11:「ロシア、中国、北朝鮮とは外交努力をすれば武力攻撃を受けることはない」

原則12:「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と恐れられた時代に回帰しよう」

「日本の経済の奇跡」を遂げた原因は何であったか。

1:真摯な客観情勢の分析に基づく政策の立案と「日本株式会社」と呼ばれた官民一体の取り組み (今は、小泉元首相ですら、「原発は安全、原発は安い」は皆嘘だったと言っている中、原発に戻ると言うごとき偽りの政策がばっこ)

2:高度な裾野の広い教育水準   (今では公的教育費がOECD諸国より下位)

3:一億総中流  (格差社会を作らない社会である→今は中流の少ない格差社会)

4:資源を非軍事に集中  (今は、軍事費の増大)

 つまりこれらの要因と現在の状況とは、皆逆である。

 現在の日本は衰退の方向にまっしぐらに進んでいるが、敗戦直後の悲惨な状況と比較すればどれほど恵まれているか。流れを変えるチャンスはまだまだある。

   おわり

 

 

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「ウイルス学者の絶望」を読んで

2023-04-04 15:52:21 | 新型コロナ感染症

           「ウイルス学者の絶望」を読んで

抄録と感想です。私は、免疫生物学としては、国際医療福祉大学の高橋泰教授の理論に近く、さらに

れに加えて、50年の小児科医の経験と勉強、心療内科学と精神神経免疫学、ルネ・デュボスの適応理論をもって考えてきました。世界では,ネオヒポクラテス学派と言うそうです。

      「ウイルス学者の絶望」を読んで(抄録と私見)  2023.3.31.

私と似たような主張をされている本があると遺伝学者の友人が教えてくれました。

この書と私との違いは、ウイルス感染症の同時流行がないことに対する解釈の違いと、細胞免疫についての考え方、そして精神神経免疫学をご存じないことなどです。

 細分化された学問領域での研究者であり、ウイルス学者ですが、臨床医や疫学者ではなく、科学史も知らないようです。大筋では政府の感染症審議会のしている対策の批判は、的を得ていることが多いので、抄録を作り、私の意見を追加しました。

               〇印は、同意。 △印は、不同意、異論あり。( )内は私見。

第一章 ウイルス学者の絶望

〇感染症法上の扱いを2類相当にし続けることは「違法」の可能性も

 オミクロン変異体(俗称オミクロン株)は、既にCOVID-19に該当せず、新たな種類ですから、それを5類にするかしないかという議論をすべきなのです。2022年12月の新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの資料でも、2022年5~6月の段階で全年齢層において重症化率,致死率が季節性インフルエンザを下回っていました。

〇今回のワクチンは「企画倒れ」

 スパイクワクチンでは当座しのぎで変異には対応できません。感染を予防できない。

繰り返し同じ抗原(株)に対応したワクチンを接種すると「抗原原罪」を起こして、最初の株に対する抗体しか作らず、新たな株への抗体を作らないことがある。変異に対抗できない現象。スパイクに対するワクチンでは、予防できないし、変異株にも対応できないし、逆に「抗原原罪」という現象で、悪化させることもあります。ヒトコロナウイルスは全く同じウイルスに再感染します。(ちなみに、麻疹ウイルスも風疹ウイルスなどの他のウイルスもすべて再感染します。今までは市中に常在していたので、再感染しても発病せず、追加免役となり気が付かなかっただけです。ワクチンが普及して発病者がいなくなると経年劣化で抗体価が低下し、再感染します。でも免役記憶が残っていますから、軽く済みます。)

〇ワクチン被害はなぜ「因果関係が証明できない」とされるか

 完全証明ができないから、「因果関係があるかどうかは証明できない」と片付けられてしまうのです。(新しいワクチンなので、すべてが新しく、根拠となるデータがないためです。)

 (それはアメリカとスウェーデンの共同研究で、ワクチン後6か月以内の原因が判らない症状や死亡者を副反応疑いとしていました。それで明らかな原因が認められない人の調査を徹底してすべきなのに、していません。病理解剖をして心臓や血管系、脳血管などの異常を調べるべきで、個別には難しくても、多数に同じ傾向が見られれば、それと判断できます。)

〇3回目以降の接種はリスクを高める

 (90%以上の人にワクチンを接種した)イスラエルで感染拡大が起きて、ワクチンによる予防効果がないことがわかりました。(それはmRNAワクチンという形でスパイクに対するワクチンなので、のどや気道の粘膜細胞に免疫を作るはずが、作らなかったのです。) mRNAワクチンの感染予防効果は低いことが明確になっています。

 2回目以降のブースター(追加)接種で、先の2回でできた免疫で、3回目に作ったスパイク蛋白質を持った細胞が,ウイルスを持った細胞と誤認されて攻撃される危険があるというのです。(多数の人にワクチン接種していたのだから、コロナウイルス感染症で亡くなった人の病理解剖所見が必要です。それをせずに因果関係不明としています。)

〇「ワクチンは血流に入らない」を否定するデータ

 ラットの実験では、肝臓,脾臓、副腎、卵巣に入っています。(そもそもリンパ節に入るのに,血流に入らないはずはありません。)

〇正常細胞が免疫に攻撃されるリスク

 自己免疫製肝炎が出ています。抗体依存性細胞傷害(ADCC)という現象です。抗体と一緒になってウイルス感染細胞を攻撃できるのですが、3回目接種すると(2回目でも可能性あり)株が変化していると、スパイクワクチンの入った細胞を誤認して攻撃してしまう危険性です。

〇激増する超過死亡

  ワクチンを接種したことによって、コロナで死にやすくなったとも考えられる。

〇mRNAワクチンの「3回目接種」は回避したかった

 塩野義製薬野ワクチンはコンポート(組み換え蛋白質)ワクチンなので、mRNAワクチンよりも安全性が高い。しかしADEの危険性は残ります。新型コロナウイルスに対するワクチンの接種は基本的には高齢者や基礎疾患をもった人だけで良かったと思います。また、ウイルスは時間とともに弱毒化するはずなので、ワクチンはいずれ不要になります。

〇接種前のN(核)抗体の調査はなぜスルーされたのか

 「N抗体を持っている人は、mRNAワクチンを接種してはいけない」とするべきだと思います。

△ワクチンが感染を阻止することが難しい理由

 ワクチンについてテレビなどで聞かれると、最初から「自分は打ちません」と話していました。・・・テレビで「mRNAワクチンは危ないから」とは言えないので、・・・。

 (大筋ではよいのですが、誤解されている所もあります。作られるのは、ウイルスの表面のスパイクに対する抗体なので、粘膜細胞の表面にその抗体ができることで感染を予防しようというもので、それが血中に増えても予防することも重症化を防ぐこともできません。自然に感染したり、生ワクチンの場合には、ウイルスの核に対する抗体ができるので、スパイク部分が変異しても効果があります。)

△インフルエンザワクチンとの同時接種のリスクは不明

 同時接種の安全性は、生ワクチンや不活化ワクチンでいえることであって、今迄存在しなかった遺伝子ワクチンでどうかということは、全く判っていません。(しかも、インフルエンザワクチンの有効性すら疑わしいワクチンなので、効果よりも危険性の方が高いのです。3月になってようやく経鼻噴霧の弱毒生インフルエンザワクチンが認可されました。その効果は期待されていますが、実際のところは判りません。)

〇ワクチンの危険性に対する情報の乏しさ

 医薬品医療機器総合機構(PMDA)のワクチン審査部でも、危険性として「抗体依存性増強(ADE)」と呼吸器疾患増強をあげています。(判っていないワクチンを接種するのですから、ワクチンの副反応としては、明らかに違うという根拠があるものだけ除外し、残りはすべてカウントすべきはずです。薬剤ではそうしていたはずです。)

〇誰もがコロナに感染する

 私(著者)が批判していたのは、政府の過剰で的外れな感染対策でした。初期の新型コロナウイルスは比較的病原性の高いものでした。それでも高齢者や基礎疾患のある人だけ守ればよく、多くの人たちはいつもどおりに過ごして経済を動かし、・・・。だから私は「過度な自粛をやめてくれ」と言っていました。なぜ一斉に店を休業させなければいけなかったのでしょうか。そもそも新型コロナウイルスはなくなるものではありません。

〇「Go Toトラベル」は悪者ではない

〇政府の対策はただの「責任逃れ」

 

第二章 新型コロナウイルスの正体

〇決して未知のウイルスではない

 新型コロナウイルスも含む「オルトコロナウイルス亜科」には数十種類のウイルスが存在します。サーズウイルスと同じ系統で、元々キクガシラコウモリが持っていたウイルスです。

〇発生直後に「ウィズコロナ」切り抜けられると確信

(私も2020年2月には、独自の見解を発表しました。それは今でも変わらないものでした。)

△「100分の1作戦」で感染対策は十分だった

 (換気、マスク、手洗いで充分というが、これはおかしい。換気と言っても、室内を風がぐるぐる回り、室内に充満するだけです。未熟児室の換気は、横に流れる様に、部屋の片側から水平に流して、反対側へ吸い込ませる方式で換気をします。インフルエンザと同様に、マスクの効果は多少は少なくするだけです。手洗いの意味はありません。)

 エアロゾル(空気)感染は当然です。(最初に流行した武漢のデータを読めば判るはずで、多くのデータが発表されています。中国では武漢市がもっとも医療水準が高い所です。)

〇ソーシャルディスタンスという拷問

〇接触感染についてはあまり考えなくてよい

〇ほとんどがエアロゾル感染

〇マスクで感染を防ぐには限界がある

〇無意味な感染対策

〇ほとんどのウイルスは人間と共存している

〇一定数以上の微小飛沫粒子を吸わないと感染しない

 コンピューターや、物理実験でのデータで感染すると言いますがそんなことはなく、実際には、感染が成立するにはウイルスの「量(数)」が必要なのです。(細菌も同じです。その上に、活性があることが必要です。そこまでで、著者が誤解しているのは、ウイルスが10キロ先まで飛ぶなどは、架空の話です。実際に感染した例は、インフルエンザの場合に、パナマ沖で待機していた貨物船の例からはせいぜい2キロ程度です。しかも、晴れたら直射日光で活性を失いますから、成層圏では感染が成立しません。直射日光下では、2メートル離れれば感染しません。室内では別です。武漢では患者さんの風上の200メートル先でも、ウイルスを検出しています。)

〇子どもはワクチンより感染で免役を

 ワクチンではスパイク蛋白質に対する免役しかできませんが、感染するとコロナウイルスの多種類の蛋白質(?―私は核だと思います)に対する免疫ができます。(だから、変異しても短時間で変異株の抗核抗体を作ることができ、重症化しないのです。)

〇欧州の子どもたちの多くは自然感染で免役をつけた

 

第三章 無知という大罪

〇抗原検査とPCR検査の違い

 抗原検査は、ウイルスのN蛋白質を直接検出します。N蛋白質は変異しにくく、大量に含まれるので、PCR検査より、あてになります。N蛋白質は変異体であってもほとんど変わらないのです。PCR検査はウイルスのmRNAのN蛋白質をコードする(設計する)遺伝子領域の一部を調べているだけです。(だから、時々いろいろなものから陽性がでたりします。活性を失っていても陽性になります。)

〇検査陽性と感染性は別問題

 検出されたRNAに感染性があるかどうかは判らないのです。

 (PCR検査を開発した人は、これを診断に使ってはいけないと警告していました。)

〇1回のPCR検査で判断することは「異常事態」

 (それなのに1回のPCR検査で診断しています)

〇陽性者を「全員隔離」の大罪

〇「無知」が招いた大混乱

〇短時間で安価に行える「より確実な」検査方法があった

 国内企業のキャノンメディカルシステムズが開発したLAMP法は、誤診断が起こりにくく、コストも低く、実用化されていました。20分ほどの短時間で検査出来るのも特徴です。

〇病原性はスパイクでは決まらない

〇重症者は減って死亡者数が増える怪現象

〇数理疫学者とウイルス学者のいう「感染性」は異なる

〇コロナウイルスは「変異が速い」という嘘

〇人類はずっとウィズコロナだった

 コロナウイルスは昔から(少なくとも百数十年前から)存在していたことは明らかです。

また分子時計で調べると、計算上は鎌倉時代からあった可能性が高いのです。現在、普通の風邪を起こすヒトコロナウイルスは新型コロナウイルスの他に4種類あります。(当初から、福岡伸一さんたちも、きっと2009年に流行した新型インフルエンザウイルスが今は在来型になったように、新型コロナウイルスもそうなるだろうと予測していました。)

 

第四章 ウイルスと免疫の基礎知識

△自然免役と獲得免役

 私(著者)は、自然免疫だけでもほとんどのウィルスからの感染・発病を防いでいると考えています。(同感)

 (「ウイルス干渉によるもの」の理解が違います。ウイルス同士は、同じ場所で同時に繁殖できないのです。だから一瞬でも早く繁殖を始めたウイルスだけが繁殖し、後から入ったウイルスはじっと待っているのです。これは過去の麻疹や風疹、水痘の感染例から判っていることです。インフルエンザとコロナは同時に同じ人間の体内で繁殖しません。)

△「バカは風邪をひかない」の真意

 自然免疫の応答性はどんどん高まっていきます。(それは人間の抗体産生能力は、1億ともそれ以上とも言われていて、新しい抗原(ウイルスや細菌など)が侵入したらすぐに抗体を作ろうとするのですが、それに時間がかかります。それを短縮できるだけです。それを訓練免役というのでしょうか。またBCGの感染予防の有効性は世界的に否定されています。)

 自然免疫がうまく対応しています。(そうですが、その次の「日常的に雑多なウイルスを浴びていると自然免疫が鍛えられて」という所が間違いです。人間は自然免疫の壁を何重にもはりめぐらせていて、反応性は高まることはないのです。)

 「バカは風邪をひかない」というのは、(私に言わせれば、くよくよしない人、おおらかな人は、病気をしないということで、著者は、精神神経免疫学を知らず、取り違えています。)

△5種類の抗体

 (日本脳炎に対して認識不足です。日本脳炎はワクチンで日本人の発病が押さえられた訳ではありません。著者は適応理論も知らないようです。動物は、環境に適応して進化しました。だから地球の寒冷期に進化しました。現在は病原性のほとんどない日和見感染症のウイルスや細菌も、昔は病気を起こしていたのではないでしょうか。)

△IgA抗体が誘導されにくい人は新型コロナに感染しやすい

 (著者は、mRNAワクチンが誘導しにくいことと、誘導されにくい人がいることと混同している。先天性異常でない限り、そんな人はごく少数です。) インドで認可されたワクチンは、粘膜ワクチンです。粘膜に免疫をつけるので効果が確実です。

△IgG抗体を上げても感染予防効果は期待できない

 確かに、主戦場は、肺や気道だから,血中のIgG抗体値を上げても効果は期待出来ません。

(でも細胞内で増殖したウイルスが、細胞を破壊して外へでてきたら抗体が作用します。そこで作用するので、重症化を防げます。毛細血管を経て血液と細胞は接触しています。でも抗体は細胞内には入れません。肺炎は肺胞内の炎症です。肺胞の表面に血液は接触していて、血液中のガス交換をしています。ウイルスが細胞外へ出たら抗体の作用を受けます。)

△なぜ抗体価が高い人のほうが重症化しているのか

 (IgG抗体が最初に上がってくるということは、文献をあたれず検証はできませんでした。その後の東京都の文献(39)に出てくるのが、S(スパイク)抗体とN(核)抗体です。それを見るとS抗体(+)は96%前後ですが、N抗体(+)は3%前後です。これは調査を受けた人がワクチン接種者多いとのことで、当然ワクチン接種者が多いことを示しており、自然感染したのはN抗体(+)の人だけです。

ウイルスに曝露(接触)しても自然免疫で撃退し、血中に入らなければ、抗体は陽性になりません。多くの感染症専門家たちは抗体陽性を問題にしていますが、抗体は血液中までウイルスが侵入して初めてできますから、体内に侵入しても免疫システムで撃退されていれば抗体はできないです。抗体を感染の指標とするから判断を間違うのです。

ウイルス特異抗体が高いと言いますが、それはS抗体なのか、N抗体なのか文献が入手できなかったので判りませんが、S抗体が高くても変異体であれば侵入し、抗原原罪と抗体依存性増強によって、ワクチン接種者だけは重症化することがあるのです。自然感染ではあり得ません。)

〇抗体依存性増強(ADE)はなぜ起きる?

 人のデング熱ウイルスのワクチン製作中に分かったことですが、抗体によってかえって感染が増強され、病態も増悪することがあるのです。これがコロナウイルスでも起きるようです。(これはワクチンだけで、自然には起こりません。そこに何らかの秘密があるのでしょう。だから自然感染して免疫をつける方がよいのです。)

〇ウイルス感染におけるガンマ(γ)デルタ(δ)T細胞の役割

 (ここはまだ解明されていない所です。)

〇専門知を総合知にできる人材の必要性

 (感染症の専門家といえども,専門領域が細分化され、知らないことや根拠のないことを平気で言うのです。私は啓蒙者で、他人の研究を使って分かり易く説明しています。)

 

第五章 コロナワクチンの限界と危険性

〇「mRNAワクチン」とは何か

△新型コロナウイルスにワクチンが効果的でない理由

 生ワクチンは軽く感染することなので安全で、効果があります。不活化ワクチンは安全ではありますが、最先端の侵入する場所の粘膜細胞の免疫ができません。中国の新型ワクチンは不活化ワクチンです。不活化ワクチンによる抗体が悪さをすることがあるのです。

 (細胞免疫や抗体、不活化ワクチンについての評価が私と違います。)

〇ウイルス特性によって変化するワクチン戦略

 コロナワクチンの抗体は悪さをすることがあります。抗体依存性増強(ADE)や病態増悪を起こすリスクがあります。

〇「ADEは心配しなくてよい」は本当か

 同じコロナウイルスのマーズやサーズではADEが起きるのに、Covid-19で起きないはずがなく、ワクチン接種後の死者やワクチン接種してコロナに感染して亡くなった人の病理解剖やADEの検査をしていないからでしょう。証明が難しいのです(本当ではないのです)。

〇抗原抗体複合体 

 抗体による病態増悪

〇大阪大学の2つの研究成果

1)抗体がウイルスのスパイクに結合して、ウイルスの感染性を高めるというのです。

2)武漢型ワクチンでは、オミクロン株に対するADE活性が観察されています。

 そこでmRNAワクチンの接種で誘導される抗体によって,感染増強が起こることがあり得る。また、抗原抗体複合体によって病態増悪もあり得るという結論です。

〇2回接種者のほうが未接種者より陽性になりやすいというデータ

 2回接種者の感染予防効果がほとんどの年代でマイナスに転じる結果になっている。

だから1か月後くらいから、PCR検査陽性者が、未接種者よりワクチン接種者の方が多いという結果がでたのです。「発症しやすくなった」と解釈しています。

〇スパイク蛋白質をターゲットにした失敗

 インドで粘膜ワクチンが承認されました。これが一番よい方法であることは最初からわかっていたことです。

〇細胞性免疫の誘導は強ければ強いほどよいのか?

 (よくないです)mRNAワクチンは「ワクチンのLNP(脂質ナノ粒子)が一般の細胞にもmRNAを導入してしまう」ので、それを自分の免役システムが「感染細胞」と認識してしまい、攻撃されることが起こり得るのです。実際に自己免疫疾患類似の副反応が出ています。

〇ブースター接種が逆効果になることも

 ブースター接種で誘導した抗体の効果は、中和抗体による感染予防効果や病態増悪を引き算して考える必要があります。それ以前の型に対応していたワクチンが、変異体に対しては、逆効果になるということは結論が出ています。

〇ウイルスよりもワクチンが怖い

 今は致死率が0.1%ですから、重症化しにくい世代までワクチンを打たなければいけないのか。日本で10~20代のワクチン接種者で2021年末までに281人の心筋炎疑い例が出ています。

〇ブースター接種は自己ダメージが大きい

 一度感染した人はワクチンを接種する必要はないし、未感染者は2回接種したらそれでお終いでよいのです。

〇子どもにmRNAワクチンを接種してよいのか?

 ワクチン接種後に心筋炎を起こしています。「子どもにワクチンを打ってよいのか」とよく聞かれますが、よくないと思います(著者)。

〇妊娠初期にmRNAワクチンを接種してよいのか?

 避けた方がよいのです。危険性はあります。

〇妊娠後期でもワクチンの危険性は拭いえない

〇「安全」の理由がわからない

〇コロナ騒動は医療利権と政治が招いた災禍

 (私は、これは2009年の新型インフルエンザの騒ぎから世界的に広がった産官学の癒着だと思います。日本も顕著です。)

第六章 私が声を上げ続ける理由

 略。麻疹ウイルスも牛から。

第七章 ウイルス学者を悩ませた16の質問

 略

  以上、宝島社新書「ウイルス学者の絶望」(宮沢孝幸京大医生物学研究所准教授著)より

 

 最後に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックはすでに終わりました。今回のパンデミックをあおったのは、感染症を知らない医師たちが怖がり、それで医療関係者や葬儀業者たちが怖がり、一般の人たちに恐怖感をあおったのです。著者も言うように、メディアも報道規制され、コロナ恐怖とワクチン安全論が支配的で、ネットでしか反論が見られませんでした。私は,当初からスウェーデン派でした。結果の検証は、別にします。

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平和を求めて

2023-01-18 15:43:00 | 子どもの病気と犯罪の予防

本の紹介                                 

   「平和を創る道の探求」孫崎亨(かもがわ出版)     

 「平和を創る道の探求」孫崎亨(かもがわ出版) を読んで

  私が求めていた本が出ました。私の考えていたことと同じで、それを裏付けた根拠を示してくれました。ここに書かれていた人のうち、キッシンジャー、ミアシャイマー、プーチン講演などは読んでいましたから、分かりやすかったです。憲法問題から、ウクライナ侵攻までの解説で、平和的解決が可能であるとの立場です。

  1. すべての戦争に反対する。

トルストイが指摘する「知識人の罪」。トルストイは日露戦争に対して、「誰にも無用で無益な困難が再来し」、「知識人が先頭に立って人々を誘導している」という。今日では、知識人ではなく、政治家、コメンテーター、安全保障専門家と言っていいでしょう。

アイゼンハワーは「我々は軍産複合体による不当な影響力の獲得から守らなければなりません」と言う。軍人から大統領になった人です。(この構造は、新型コロナ肺炎のパンデミック対策にも現れていました)。

  1. 外交とは何か。妥協が必要。51%の達成を目指す。

 アルカイダのビン・ラディンが要求したこと、宮沢賢治のことなど。この本は、妥協を軸に外交や国際政治のあり様を問う本であるという。

  1. ロシアのウクライナ侵攻について

  キッシンジャーは「ウクライナが生き残り繫栄するとすれば、(西側、東側の)いずれかに対峙し、いずれかのサイドにつく前哨になるべきではない。それは両者のブリッジとして機能すべきである」、「ウクライナはNATOに加盟すべではない」という。同じことをミアシャイマーも言っています。

  ドイツ統一の時に、アメリカも西ドイツもNATOを東方に拡大しないと約束したのですが、それを破りポーランドまで拡大し、さらにロシアののど元のウクライナをもNATOに加盟させようとしたのです。(キューバ危機の時に、キューバにソ連基地を作ることと同じです)。だからプーチンの言う、アメリカ、ドイツは約束を破ったということは正しいのです。ウクライナ自体が、独立して23年しかたっていず、それまではどこかの国に支配されたり、分断されたりしていたのです。(ゼレンスキーの取った政策は、ウクライナ国民を見捨てたのです。日本の太平洋戦争の時と同じでした。)

追い込まれたロシアとプーチン政権

キッシンジャーやケナンは、ロシアと対立するのではなく、パートナーとすべきだと言っています。

4.世界は、冷戦時代の米ソの二極支配が崩壊し、その後のアメリカによる世界の一極支配に対して、プーチンのロシアは、この「一極支配」からの離脱の試みであるという。

  中国の台頭で世界は新らしい秩序に進んでいる。G7ブロックと非G7ブロック。中国、ブラジル、インド、南アフリカなど。アメリカと一線を画している。

5.台湾問題は、台湾側の独立運動が焦点で、中国は現状維持を望む。通常の戦闘ではアメリカは、軍事力で中国に勝てない。しかし、中国には台湾を武力で取るメリットはない。むしろ内政を危うくする危険がある。

6.軍事的手段では、日本は自国の安全を確保できない。

 秒速2kmから8kmのミサイルを打ち落とせない。敵基地攻撃と言っても、相手国のすべての基地を攻撃できないし、残された基地から核を打たれたらそれで終わりである。

  NATO条約と安保条約は違う。NATO条約は、加盟国が攻撃を受けたら、直ちに行動をとるのです。しかし、安保条約では、日本が武力攻撃を受けても、米国議会が戦争宣言をしないと米軍は動きません。また、核の傘などはない。日本が攻撃されても、アメリカは自国の本土を核で攻撃されるデメリットを選ばない。

 もう一度、1955年のラッセル・アインシュタイン宣言に耳を傾けよう。

7.平和憲法の成立。戦争放棄は、日本側の発案で、幣原喜重郎首相がその人。

 幣原の発案した戦争放棄から、先制攻撃の国となるのか。日本が先制攻撃をすることを認めれば、相手国の先制攻撃を是認することになります。それが敵基地攻撃論です。

 戦後のアメリカの方針は、「日本は米国に従属する」のが基本方針です。また、「アメリカが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」ことを目指したのが、日米安保条約なのです。日米地位協定も、アメリカが同意しない限り、変えられません。

8.朝鮮戦争に日本も、掃海艇で参戦した。一隻が機雷で沈み、一人死亡。

 日本の「戦争しない国」から、「戦争に参加する国」への転換は、湾岸戦争を通じて形成されました。自衛隊を、アメリカの戦略のために、海外展開することが決められています。

9.平和は、交渉で創るもの。交渉は取引であり、双方の満足するものでなければ成立しない。

  ロシア、中国、北朝鮮は、核兵器をもち、日本を迎撃できるミサイルを1500発以上配備しているとみられています。日本を攻撃する時に、政治・経済・社会の中心地を攻撃されたら、着弾地が予測できなければ迎撃できません。

  和平には、譲歩が必要。譲歩で譲ったものと、譲歩しない時に失うものと比較したら、失うものの方が大きい。それが現在のウクライナであり、東条英機の指導した日本だったのです

10.尖閣諸島は、日本、中国、台湾のいずれにも属していない状態です。だからアメリカは尖閣諸島の主権は係争中であり、アメリカは中立であるとしています。田中―周恩来会談で暗黙の棚上げ合意がありました。石油が出るから問題になるので、当面棚上げにすることになっています。それで日中漁業協定が結ばれて、紛糾しない仕組みができています。

11.平和への道

 ドイツとフランスの和平のために、EUが作られた。

 東南アジア諸国連合の知恵。

 南極の平和的利用、など平和的道はとれるはず。

 以上                     

 

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子ども医療講座 改訂版2続

2022-12-12 13:29:10 | 子ども医療講座シリーズ

    子ども医療講座 (改訂版)

   第2回  「子どもだって一人の人間だ」  (改訂版-2続き)

4)子どもに期待をかけないで 

 子どもに期待をかけないでください。子どもの数が少ないと、どうしても子どもに期待をかけてしまいます。しかし、お父さんとお母さんが作った子どもですから、両親より飛び抜けて優れた人ができる訳ではありません。自分と同じになればいいと思って下さい。身長も、成績も、性格も、病気もそうです。みんな受け継いでいます。

 早期教育というのがありますが、「才能が伸びる」というのは思い違いです。世界的には早期教育について判っていて、元ソニーの井深大(いぶかまさる)さんが書いていますが、早期教育した時に早くそこまで到達できますが、そこから先伸びるわけではないというのが正しいです。だから大人のレベルに早く到達するかもしれませんが、そこから伸びるわけではありません。よく言われることですが、小さい時は神童で、小学校では天才、中学では秀才、大人になったらただの人になってしまうことが多いです。早く到達できるのですが、そこから伸びることはまれです。

 ある人に言わせると、天才というのは2,000人に1人の確率でいると言います。だけど天才というのは、1%の才能と99%の努力で達成されます。だから多くの人は努力しないから天才は滅多に現れません。努力は本人の強い意志とそれを支える環境です。自分の意志がない限りそこまでいきません。

  あるお相撲さんの話ですが、高校生で日本のアマチュア横綱をとって、将来横綱を期待されて相撲界に入りました。高校、大学時代に取ったタイトルは20幾つにもかかわらず、小結にもなれないで引退しました。当然横綱になる素質があった筈なのになれなかったのです。その原因は、稽古が嫌いで努力をしません。幕内力士は1千5百万以上の年収は保障されますから、楽に生活できます。それでこの位でいいやと思っていて努力をしなかったのです。折角の能力があっても小物で終わる人も少なくありません。

5)子どもの食欲を奪わないで。 

☆子どもの食欲を奪わないで下さい。食事は楽しく食べるものです。お腹がすいたその空腹感を満たすのは楽しいことですが、食べなさいというと、食べたくなくなります。私の小さいころは食べなさいなんて言われる前から、食べちゃいました。なぜかというと食べ物がなくて、いつも飢えていましたから。しかし今の子は、いつでも食べたい物は食べられる時代です。要するに、贅沢さえしなければ、食事はしっかり食べられる時代です。今は、飢えで死ぬということは、滅多にありません。しかし、この30年で大きく変わり、子どもが満足な食事ができなくなり、子ども食堂が全国に作られる時代になりました。

 まれですが、飢え死にしたという新聞記事も見られます。

☆沢山食べれば大きくなるというのは、これは思い違いです。

  昔は大きくなる素質がある子が、食糧難のために食べられなくて大きくなれなかったのです。その子が、成長が止まる前のある時期、沢山食べられるようになるとどんどん成長します。ところが今は食糧事情が豊かですから、欲しいだけ食べられる時代です。そうすると大きくなる子は沢山食べます。つまり身体がどんどん大きくなるので、お腹がすいて沢山食べます。ところが元々小さい子は、体が必要としないからお腹がすかない。だから少ししか食べない。少ししか食べないから大きくなれないのではありません。

  大きくなる素質がないから、少ししか食べないのです。それを無理に食べさせようとするから、ますます食べなくなります。でも子どもはどんなに少食でも必要最小限の物は必ず食べます。少食の子はカロリーが少ないから動かない。動くとカロリーを消費するからお腹がすくから。脳を回転させることもカロリーを使うので、あまり考えなくなります。

少食にならないようにするためには、食事は時間で決めず、お腹がすいた時が食事の時間です。お腹が空いた時にお腹一杯食べる習慣をつけましょう。食事を時間や量で強制しないことです。お腹一杯になったらお終い。お腹がすかなかったら食べなくていい。お腹をすかせるには目いっぱい遊びまわらせることです。これを小さいうちからやっていると良いのです。日本の栄養学は、戦後から思い違いをして現在まで続いています。でもそういうやり方ではうまくいかないのです。時間を決めたり、量を決めたりするのは間違いです。朝食を食べないことも同じです。

  乳幼児期に無理やり食べさせようとすると、食物アレルギーになります。飽食の時代になって食物アレルギーが増えました。食べ物の好き嫌いも同じ原因で、食べることを強制したり、食べているのを見て嫌な思いをすると嫌いになります。母親が嫌いだと、嫌いになります。食物アレルギーを防ぐために、離乳食を遅らせることも誤りです。それで減らせたでしょうか。早期の離乳食がアレルギーを生んだのではありません。むしろ早期の離乳は、指しゃぶりや何でも口に入れることを無くします。誤飲事故の予防です。

 自然界の動物たちは栄養学を知らなくても餌さえ豊富にあれば肥満にも栄養失調にもなりません。つまり動物たちも人間の身体も、自分の身体が必要とするものをおいしく感じるようになっています。ちょうどよくなると、満腹するようになります。だから自然界には太り過ぎのライオンもキリンやしま馬はいません。

 ところが人聞に飼われると食欲が狂ってきて、太り過ぎや痩せ過ぎがでてきます。拒食症のコアラや肥満の猫などがそれです。

  せっかく食糧があってもストレスで食欲がおかしくなってきます。強制されたり、制限されたりすることがいけません。相撲の関取の世界は、食べることが仕事の世界ですが、自分で食べようとしてもどうしても食べられない関取もいます。無理に食べさせると吐いてしまいます。私も普段あまり食べないのですが、若い時にアイスホッケーの冬の合宿を赤城山頂の湖でしたことがありました。激しい運動と寒さで消耗し、一回の食事に丼で3杯食べ、夜食でラーメンかお汁粉を食べました。それでも太らず、家に帰ってから食べ続けてしまうために太ります。家に帰っていかに食べる量を減らすかが体重維持の問題でした。

  自然界のようにのびのびとしていればいいのです。そうすると太り過ぎにも痩せ過ぎにもならず、少食も偏食もおきません。食物アレルギーも起きません。

  その例をあげます。福島で原発事故を被災し、東京へ避難した幼児が私たちの所へ相談に連れて来られました。いろいろな食品にアレルギーがあるから困ったと母親から聞かされていましたが、母親が病気になり、東京へ避難したことで離婚されて母子家庭でしたので、児童相談所へ入りました。それでその子の状況を聞いたら、こちらでは何でも食べていますという返事でした。母親と離れて、食べるものがそれしかなかったらアレルギーが無くなったのです。

6)三つ子の魂、百まで。 

  三つ子の魂百までというけれど、三歳までに良い習慣をつけさせましょう。実は大人もそうです。お腹がすいた時にお腹一杯食べて、すかない時には食べないという習慣をしていると本来ストレスさえなければ、自然に良い体型を保って栄養失調や栄養が偏ることもありません。でもどうしてもいろんなことに惑わされたり、ストレスで食欲がなくなったり、逆にストレス解消で食べてしまったり、楽しいことがなく食べることにしか楽しみがないと太ってしまいます。

大体3歳から6歳くらいまでに子どもの性格の半分が決まります。だから生まれてからその年齢まで、できるだけのびのびと育ててあげましょう。叱ったり、強制したりしないことです。

  私も昔は間違った考え方をもっていました。子どもに我慢を教えなければいけないと思っていたのです。これは思い違いでした。我慢をさせると、子どもは大人になって我慢をしなくなります。つまり嫌だなと思うと、自分が主人公になれる大人になったら、ああいうことはすまいと思ってしまいます。あなたにそういうことはありませんか。誰でも何かしらあるのではないかと思います。嫌な思いをすると大人になってしなくなります。だから我慢をさせてはいけないのです。

  例えば盲導犬の訓練の話ですが、盲導犬は、生まれた時にすぐ親から離して犬好きの家庭でのびのびと育てます。決して「お手」なんて教えてはいけません。何も教えません。ただひたすら可愛がります。そして1年くらいの時期が来たら、育ての親から離して、人間の教官と犬の教官がぴったりくっついて、2匹と1人で行動します。猛烈な訓練ですから、それに耐えるためには、何にも教えてはいけません。それまでに犬が嫌だなと感じたことがあると、途中で訓練を拒否したり、訓練に抵抗したりします。それを避けるためには、それまでのびのびさせて育てます。そうすると頑張って盲導犬になっていくのです。人間もそうです。

☆のびのび育てられた人は、大人になって頑張ったり我慢できるようになります。子ども時代に嫌な思いをすると、大人になって我慢をしなくなります。

☆子どもを怖がらせてはいけません。子どもは、小学校の低学年くらい(サンタクロースを信じている年齢)までは空想と現実の境目がありません。だから怖がらせるとそれが現実と思い込んでしまいます。小さいうちはできるだけ怖がらせない。怖い思いをさせると怖がりになります。それを経験したことがない子が恐いもの知らずになります。私には、怖いものがありません。両親がそう育ててくれたのです。親に叱られた記憶がありません。私が外で、いろいろなこと、例えばよその家の高い木に登ったり、屋根に上がったりしても、父が謝りに行き、私は叱られませんでした。空襲にもあいましたから、死と隣合わせで生きてきましたから、死ぬことも怖くありません。いつ死んでもいいと生きてきました。

☆よく臆病な子がいますが、「母親が妊娠後期から乳児期の間にパニックになると子どもは臆病になる」と言います。そういう経験があると、その時期に育った子どもは臆病になります。できるだけ妊娠している時は、母親も楽しい妊娠生活を送ることが大切です。そのために妊娠中に胎教をすることがいいので、楽しくなれば何でもよいのです。そして生まれて来る子に不安をもってはいけません。

☆これは確定していませんが、生まれつきの異常をもっている子というのは、お母さんが妊娠中に何か精神的な問題があったのではないか、夫を信頼していなかったのではないかということが疑われます。だから相思相愛で良い結婚生活を送っているお母さんの子どもはそういうことはありません。夫やその両親に気をつかったり、何かひそかに悩みを抱えていたりしていると、子どもにそれが出ることがあります。物事を楽天的に、自分の望み通りに進むと考えて人生を送りましょう。もちろん現実は厳しいですが、思いだけは楽天的に、プラス思考でいきましょう。

☆昔、未熟児網膜症の訴訟を支援していた時に、ある未熟児網膜症の子の親の一人が、ある産婦人科医の所に来て「お医者さんは何か隠しているでしょう。未熟児網膜症に効く良い薬があるのではないですか。隠さないで教えて下さい」と言ってきた。「医者の子どもには未熟児網膜症がいない。だから何か薬があるのだろう」と考え、「だけど、貴重なものだから、一般には出さないのだ」と思ったようです。

  しかし、そうではなく、医者と結婚すると経済的に豊かになるから、未熟児を産む確率が減ります。特に極小未熟児と言われている未熟児を産む確率が低く、未熟児網膜症になる確率も非常に低いです。その上、未熟児として生まれたら、医師仲間の紹介で小児医療センターなどの未熟児医療施設に入院させます。そこでは、未熟児網膜症になりません。医師の子どもにいないのは、そういう理由だったのです。

☆科学史では、イギリスで有名な話があります。「美人に生まれるとその女性の産む子には体重の大きな子が産まれる」という相関関係を出した研究者がいます。これは思い違いでした。美人に生まれると、イギリスでは階級制度が未だに残っていて、1ランク、2ランク上の階級の男性と結婚できて経済的に豊かになり、豊かになると当然生まれる子も大きくなるというだけの話でした。そういう、偽の相関関係というのがいくらでもあります。

 だから新聞などで、○○が○○に良いなどのデータが出したとか、CMなどに惑わされないで下さい。

☆マナーを教えるというのは幼稚園に入る4歳頃が適当と、アメリカ小児科学会は言っています。マナーの意味を小さい子どもちには理解できません。今のお母さんたちに小さい子にマナーを教えようとすることが流行っていますが、1~2歳の子には無理です。例えば物を借りる時、「貸してくださいと言いなさい」と教えます。2歳ぐらいの子に言っても意味がわからないから、見ていますとその子は、相手の子に「貸してください」と言うと借りられるものだと思っていて、相手が嫌だと言っても「貸してください」と言ってとってしまう。そういうことがあります。それは「貸してください」ということにはならない、つまりマナーがわからないのです。

7)子どもは親(特に母親)をうつす鏡

 「子どもの振り見て我が振り治せ」。子どもは親の真似をして育つ。

  だから子どもにさせたければ、お母さんがやって見せることです。3歳ぐらいの女の子で、お母さんが「お邪魔しました」というと、一緒になって「お邪魔しました」と言う子がいますが、親の真似をして覚えていく。親が「これ貸してちょうだいね。〇〇ちゃん」と言うと相手がうんという。そこで「じゃお借りしますね。」ってこういうふうに言って借りて見せます。「いや」と言ったら「それではまた後でね」という。そうするとそれを子どもは見ていて覚えていくのです。

8)北風ではなく太陽になろう

理にやらせるのではなくやりたくなるように仕向けます。太陽のようにポカポカ照らして、上着を脱ぎたくなるようにさせましょう。北風のようにマントを引きはがそうとすると、子どもはしっかりマントにしがみつきます。

  したくなるようにさせます。そのためにはどうしたらいいか。楽しそうにやってみせます。一番真似をしたがるのは、少し年上の子どもがやっているのを見せることです。楽しそうにやっているのを見せるとやりたくなります。毎日毎日見せてあげます。そうするとやりたくなります。

 やりたがった時に正しいやり方を教えることが幼児教育のコツです。これは幼児教育だけではなく、何でも新しく始めるときは正しい教育を受けましょう。どんなスポーツでも自己流にしないこと。正しいやり方を教わる方が速く上達します。楽しければいいやというのならそれでもいいですが、速く上達したかったら、正しいやり方を身につけましょう。

  私は医学部学生時代にアイスホッケーをやっていましたが、カナダからアイスホッケーのコーチが来て大学のマネージャーを集めて講演しました。「日本人は小さいから不利だと言うけれどそんなことはない。小回りして速く動けばいい。」と言うのです。成程と思いました。その時に教えてくれたのが、「初心者に正しいやり方をきちんと教えなさい。へんな癖がつくと、一生治りません。ただ上手にそのくせを隠すだけです。」と言いました。実際そうです。私にも癖がありまして、治らないです。ただ上手に隠すけれども、ふっとしたはずみにまた出てしまいます。

☆幼児教育もそうです。最初から正しいやり方を教えます。お箸の持ち方。鉛筆の持ち方。何でもそうです。正しいやり方をやりたがった時に教える。それが嫌ならやらなくていいのです。お箸で変な持ち方をして、それをなおすといやがって箸を放り投げたりします。そしたら持たなくていい。持ちたくなったら正しい持ち方を教えます。そうしていると、だいたい3歳で小豆の豆がつまめます。

  はさみやナイフもそうです。小さいから危ないなんて言わないこと。幼稚園で料理している番組を見ましたが、4歳の子に包丁を使わせています。また別の保育所では、2歳の子にはさみを上手に使わせています。側についていて、こういうふうに使うものだと教えて、やりたかった時に上手に持たせてやらせます。教えるとそういう持ち方以外はしません。特に一年上の子に教えさせると、すぐ言うことを聞きます。はさみはこういうふうに持つものだとその子が教えると、それ以外の持ち方をしません。だから3歳になってナイフを教えたり、4歳になって包丁を教えたりしたってちっとも危険ではありません。正しい持ち方をきちんと教えることがコツなのです。教えないで、自分で勝手に使おうとすると危険です。

  子どもは親を映す鏡。お母さんは子どもを見て、自分を直して下さい。小さい子は必ず親の真似をします。特に母親の真似をします。お父さんも子育てに参加している方は、お父さんの真似もします。だから、こどもにどこか問題があったら、お父さんとお母さんが相談して、まず自分たちを治すようにしましょう。でないと子どもは治らない。子どもを治したかったら、自分を治すことです。

  一般的に言って、人を変えるのは難しいです。でも相手を変えたければ、まず自分が変わることです。そうすると、相手も変わってきます。人間関係は相対的な関係ですから、あなたが変われば、相手も変わります。夫を変えたかったら、自分が変わることです。つまり、夫との関係も、子どもとの関係も、貴方との相対的な関係です。常に、お互いに影響しあって生きています。それが家族であり社会です。だから自分が変わらなければ相手も変わってくれません。相手だけ変えようと思ったら無理です。

 お母さんが変わったら、まず子どもが変わります。そしてできるだけ、ほめて育てましょう。ほめ上手になりましょう。これはなかなか大変で難しいことです。なぜかというと、お母さん自身がほめて育てられた経験がないからです。だから尚更子どもをほめて育てましょう。それがあなた自身を変えることになります。幸いなことに私はあまり叱られたこともほめられたことも無く、放任されたような形でしたが、それでも自分の子どもが悪いことをすると、若い時は子どもを叱ってしまいました。

 だから全く叱ってはいけないというのは無理ですから、叱るのは3回に1回ぐらいにして、残りの2回はできるだけほめて育てましょう。絶対叱ってはいけないと言うと、今度はお母さんたちのストレスになりますから、時には叱ってもいいが、回数は減らしましょう。親だって人間ですから、子どもにもそう思ってもらうしかないのです。叱らず、ほめて、おだてて、育てましょう。動物の調教は、3割は餌で7割はほめること。鞭を使うと、すきあれば襲ってきます。

9)あなたも子どもだった頃を、思い出して下さい。

 子どもの立場、目線に立って下さい。子どもを信じて疑わないで、嘘(うそ)はつかないで下さい。子どもだってそれなりに判るのです。よく話を聞いてあげて、必ず説明して、話をして下さい。子どもを疑うと、嘘をつくようになります。嘘をついていても、信じた振りをして下さい。嘘を信じられると、子どもは嘘をつき続けられずに、あとで必ず「あれは嘘だった」と打ち明けます。それを嘘でしょとか、嘘つきねというと、今度は繰り返し嘘をつくようになります。なぜなら嘘つきだから、嘘をついていいのです。

10)悪い子にせず、良い子にしよう。 

子どもを叱る時に、子どもを全部否定するような叱り方はやめましょう。例えば「あなたは悪い子ね。あなたはぐずね。ばかね。のろまね。どじね。馬鹿ね。駄目な子ね。」など。こういう言葉はできるだけ子どもに使ってはいけません。

子どもの論理からいうと、悪い子は悪い事をしていいのです、悪い子ですから。良い子は、悪いことをしてはいけないのです。良い子は、良いことしかしてはいけないのです。ドジだねというと、ドジをしていい。なぜならドジな子だから。だからそういう言葉を使ったり、そういう言い方をしてはいけないのです。

「あなたは良い子だから、こういう悪いことをしてはいけませんよ。」と言う様にして良い子にします。そして言う通りにしたら、すかさず「あなたは良い子ね」と一言、言ってあげてください。そうすると子どもは、またしてくれます。何故なら、どんな子どもでもいい子になりたいのです。だから私の外来に来た子を、どこか必ずほめます。ほめる事によって子どもは気持ちが良いから、また来てくれるし、私の言うことを聞いてくれます。

私の診療所に代診できている東大小児科の先生たちはいろんな先生方がいますが、握手をしたり、どこか着ているものなどをほめたり、みんなそれぞれ医者によってやり方が違いますが、上手な医者は子どもをほめます。それで仲良くなり、うまく診療できます。だからお母さんたちも上手に子どもを操縦したかったら、「ほめ上手」になりましょう。そうするとお母さんの手の上で子どもは踊ってくれます。ただし、男の子は小学校を卒業するくらいまでが限度です。女の子はもう少し早く見抜いてしまい親の思い通りにならなくなります。

11)幼児教育は、やりたがった時に正しいやり方を教えるのが基本。 

  これから、いろんな習い事を教えることになります。習い事を教える時のコツがあります。決して強制しないこと。やめたかったらいつでもやめさせましょう。そうするとまたやりたくなり、やりたくなったら、また復活します。

  ところが「やりだしたからには最後までやりなさい。」と強制する人が多いです。これは特に、お父さんたちに多い。そうするとますます嫌になってしまう。嫌になると二度としなくなります。だからやりたくなかったら、いつでもやめてよい。そうすると、時間がたつとまたやりたい気持ちが出て来て、またやりだすことがあります。だからやめたかったら、いつでもやめさせましょう。それから、「ピアノ練習した?」「ピアノ練習した?」これを毎日言うとしなくなります。習い事は楽しいからやります。スポーツもそうで楽しいからやります。楽しくなければスポーツではありません。強制訓練です。

  以前、毎日新聞に載っていましたが、欧米ではスポ一ツは楽しいからやります。日本では楽しいからやるのではなく、身体を鍛えるためや健康のためにやるようです。

  身体を鍛える必要はありません。日本でもスポーツ医学を専門にやっている整形外科医などの医師たちに聞けば、「人間は何も身体を鍛える必要はないです。日常生活をきちんと送っていければいいのです。」と言います。運動やスポーツは楽しいからするのであって、楽しくなければする必要はありません。運動しないと身体が衰えてしまうという人がいますが、それは専門家に言わせれば思い違いです。日常生活をきちんと送っていければいいです。高齢になって動かなくなると、体の動きを維持するために体操や歩くことが必要になりますが、決してノルマにしないで下さい。

  でもこのことは昔の話になり、現代では特に都市では違ってきました。子ども時代に体を動かして走り回ることが骨を太く丈夫にするために必要になりました。私の子ども時代は、外遊びがほとんどで、遊ぶのは外でしたが、現代では家の中で遊ぶことが主になったのです。特に中学高校時代にスポーツをすることが骨を太くすると言います。それも自分からするように仕向けることです。

  小児科医の山田真さんが本に書いていますが、「体育というのはなぜ始まったか。小学校で体育をして整列させていっちにいっちにと並ばして歩かせていろんな体操をする。何のためにするかというと、明治時代の西南の役の後から始まりました。政府軍はお百姓さんが中心の軍隊でしたから、進軍の時に前進できない。普段、種蒔きや稲刈り、田植えなどみんな横へ横へと進んでやっているため、並んで前進できかったのです。武士は前に進めます。それで、百姓の部隊は武士に勝てなかったのです。そこから体育を始めました。」と言う。だから軍隊生活や、集団生活をするうえでは体育は必要ですが、人間が生きていく上では必要がありません。でも今は、大都市で日常生活を普通に送るだけでは、子どもは発達していけなくなったのです。

12) できるだけ子どもの立場に立って下さい。自分が子どもの時にはどうだったろうか。いつも自分が子どもの時のことを思い出して、子どもに接してあげて下さい。子どものしつけのポイントは叱らないこと。危険なことをした時には、叱らなければいけないと私も若い時は思っていました。でもそうではなかったのです。

 アメリカの小児科学教科書に書いてありますが、危険なことをしてほしくなかったら、子どもの目を見て何十回でも「これは危ないからしないでちょうだい。」と言う。3、4歳を過ぎたら、判ってくれます。これで言うことを聞いてくれたら、一人でいても決してしません。叱られていうことを聞くのであったら、叱られないところでこっそりやります。そうすると事故につながります。

  危険なことは親がやっているところを見られてはいけません。子どもは必ず真似をする。子どもだからやってはいけないが、大人だからやっていいというのは子どもには通用しない。子どもはみんな大人と同じだと思っていますから、同じことをやる。

13)着せすぎにしないように。

  着せ過ぎにしないようにしよう。昔は、「子どもは風の子」といって、みんな薄着だったのですが、最近は「かぜをひくといけない」と言って、一生懸命着せようとします。「寒いから着ていきなさい」というと、子どもが病気に対して関心が強くなり過ぎてしまいます。病気に神経質にならないで育てましょう。

  寒いから風邪をひくことはありません。寒いからかぜをひくのではなく、冬乾燥するとウイルスが繁殖しやすいからです。南極の観測隊では、しばらくかぜをひく人がいませんでした。極地ではウイルスは生存できません。所が誰か隊員の一人が風邪のウイルスを南極の観測基地内に持ち込み、それからかぜを引く人が出るようになりました。基地内は暖かいからです。ウイルスが持ち込まれ、誰かがそれを持っていて、体調を崩した人が感染して、かぜをひくのです。

14) 「そんなことしたら病気になるよ」と言って子どもがしていることをやめさせようとするのはやめましょう。逆にして欲しいことを言いましょう。「こういうふうにしましょう」とか、「こういうふうにしたらいいよ。」と言いましょう。決して命令してはいけないし、子どもを脅かして言うことを聞かせようとすることもやめましょう。命令すると子どもは反発します。選択肢のーつとしてこういうこともあるということを教えましょう。その中のどれかを選択させるようにします。

15) 子どもには、薄着を嫌う子と、薄着をしたがる子とがいます。これは強制できません。

 最近は厚着にする方が多い。それは赤ちゃんの時から親が厚着にさせるからですが、いくら厚着にしても嫌がる子と、親の言うなりになる子といます。しかし子どもに厚着をさせない方がいいです。子どもは一般に体温が高めですから寒さに強いです。だから、親より一枚薄着にさせるのが標準です。でも子どもが寒くて着たがったら着せて下さい。暑がったら脱がして、できるだけ薄着にさせて下さい。薄着保育をやっている保育所もありますが、嫌がるのを無理に強制するのもお勧めしません。薄着が嫌な子は着せなさい。薄着の方がいい子は薄着でいいです。最近減っているのですが、一時男の子に毛糸のパンツをはかせるお母さんが多いでした。毛糸のパンツを、男の子にはかせるのはやめましょう。

女性は「お尻が冷える」と言いますが、男はそんなことはないです。男の子のオチンチンがなぜ外に出ているかというと、睾丸の温度を低くするためです。睾丸というのは、温度がある程度低くないと働きません。その為暖めない方がいいので、生まれる直前にお腹の中から外に出てきます。だから毛糸のパンツはだめです。

 小さい時から厚着にしていると、大人になっても厚着の習慣になってしまいます。だからできるだけ薄着にした方がいいのですが、嫌がるのを無理にはしないで下さイ。

16)朝食を食べなくても構わない

  朝の食事を食べなくてはいけないと言う人がいますが、これも思い違いです。食べたくなければ食べなくていいです。というのは1日2食だって構わないのです。鎌倉時代頃までは朝と夜の1日2食が普通でした。それから現在でも相撲取りは1日2食だし、1日2食健康法を推進している民間のグループもあります。その人たちは2食しか食べませんがそれで健康です。体操の内村選手は、体重をコントロールするために、一日一食でした。

17) もう一つ、昔テレビや女性雑誌に出ましたが、「ブックスダイエット法」を提唱している九州大学藤野名誉教授は、「一日一回しっかり食べてあとは適当にする」というダイエット法を提唱していました。朝はできるだけ水分だけの食事で、昼は軽く食べ、夕食をしっかり食べます。そうする方がうまく痩せられます。朝食を食べることにこだわらないことです。子どもは朝お腹が空かなかったら、食べる必要がありません。お昼にお腹が空いたらいっぱい食べます。それで構わないです。

18) 朝しっかり食べさせたかったら、早起きをさせて運動させます。運動して時間がたつとお腹がすきます。食べないと動けないというのは思い違いです。お相撲さんは、朝食べずに稽古をしてから食事をします。昔私は高校時代に陸上ホッケー部に入っていましたが、夏の合宿では「朝マラ」と言って朝食前にマラソンをしました。と言っても距離は短かったですが。食べないと動けないというのは思い違いです。

19) またお父さんやお母さんが早起きをしないと子どもは早起きをしません。子どもだけ早起きさせるのは無理です。子どもに早寝早起きをさせなさいと言うけれど、親が遅寝でしたら早く寝させることは難しいです。子どもは親の真似をして生活しています。

親が遅く寝て早く起きる生活をしても、それは子どもにはまねをできません。子どもは体力を回復するためには、一定時間寝る必要があるからです。遅く寝たら早く起きられません。最近の子はなかなか早寝をしないというのは、大人の生活がそうだからです。

また小さいうちは、くたくたになるまで昼間遊ばせれば、早く眠くなります。しかしそういう体を動かして遊ぶ場所が少ないのです。走り回らせたり、外で遊ばせたりしないと、家の中で遊んだぐらいではくたくたに疲れません。屋外で身体を動かす遊びをすれば、くたくたになるけれど、そうはならないのが現状です。前にいた診療所は、待合室を広くとって椅子席の周りをゆったりとさせたら、子どもたちが走り回り困りました。それだけ走り回る場所が少ないからです。

 

 

 

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子ども医療講座 改訂版2

2022-12-12 10:21:31 | 子ども医療講座シリーズ

    子ども医療講座 改訂版

   第2回 子ども医療講座(改訂版-2)

  「 子 ど も だ っ て 一 人 の 人 間 だ 」

1)子どもは社会の子どもです。親の所有物ではありません。

 子どもは、今の社会では親の付属物的に扱われています。だからちょっと注意しても「うちの子に何をいうのと」親に言われてしまいますが、昔は町の中でいたずらすれば、注意するのは他の親だってしていましたが、今はしなくなっています。かえって親から何か言われるのが嫌だから言わないという時代になっています。

 しかし、子どもを産むのはお父さんとお母さんですが、育てるのは社会です。なぜかというと、子どもというのは、社会の中で人間になっていく。社会の中で育たなければ、人間として成長しないのです。

 昔、狼によって育てられた狼少年たちがいたし、また二十数年前、南アフリカで犬小屋の中で育てられた1歳半の子どもが見つかったことがありました。狼に育てられたという記録をねつ造だとする意見も少なくないですが、それにしては多数ありますし、いろいろな動物によって育てられた人の記録があり、全てを否定することはできないと考えます。犬小屋で見つかった子どもは、両親が育児放棄し、犬と同様に扱ったのです。小さい時に狼に連れ去られて、特に乳児から1歳頃までを狼に育てられた子どもたちはほとんど人間に戻れません。狼によって育てられると狼になるのです。狼に育てられた人間は四つ足で非常に早く走れて、人間が走るより速く、生肉を食べて、狼のように吠えて言葉が喋れるようになりません。人間の社会に戻れずに亡くなっています。狼に育てられたという人の中で、二人だけ言葉が喋れるようになった人がいたという記録が残っていますが、その人たちが言葉で喋れるのは、言葉を覚えてから以後のことだけでした。言葉を覚える以前のことは喋れません。これは言葉の問題と関連しますが、言葉を覚えて初めて物事を言葉で記憶出来るようになるようです。言葉として記憶するから、言葉がなければ、まわりの風景を見ていても、それを表現することも記憶することもできない。覚えている映像を言葉として表現できないのです。子どもも言葉をーつ覚えたから一つ言葉を喋れるのではなく、沢山の言葉を覚えて、初めて一言、二言出てきます。

 そこからも私は、発達障害を遺伝的に持った素質と育てられ方によってなるという説を支持します。人として生まれても赤ちゃんの時から動物に育てられると人間として成長しないのです。南アフリカでの犬小屋で見つけられた子どもは新聞で報道された事実です。その子がどうなったかは報道されていません。猿に連れ去られて、人間社会に戻った人の記録がありますが、言葉を覚えてから連れ去られた場合には、記憶として残り、後日話したことを本にしてもらった人がいます(マリーナ・チャップマン「失われた名前」)。

 明治時代には、1歳で猿にさらわれて育てられ、10年後救出されて小学校に入ったという大丸徹という東映の大部屋俳優がいて、その人が書いた文が少年雑誌に載っていて、それを少年時代に読んだ時に、非常に印象深くていつまでも覚えています。その話では、年に一回夏に山に戻るのです。何も持たないで行く。つまり猿と同じように何も道具を使わないで山の中に生えているものや、生きている物を食べて生活をします。猿と同じように火を使わない生活ができるのです。その人が都会で仕事をしているときに、時々ホ-ムシックになると動物園に行き、動物たちと会話をしたと言います。どうやって会話をするかというと、しぐさや声の出し方で会話をします。動物たちは、猿は猿同士しか会話をしないかというとそうではなく、いろいろな動物同士でしぐさで会話しているのです。ところが人間生活が長くなると、そのしぐさが低下してしまって、通じなくなってしまったと言っていました。

 それはさておき、子どもは社会の中で社会によって育てられています。社会の最小の単位は家庭です。(社会とは、三人からを言うようです。)家庭から地域社会へと広がります。そういう人間社会で人間として育って大きくなります。

 例えば、中国から日本人の残留孤児たちが引き上げて来ました。その人たちは、皆中国人の顔をしていて、見ると中国人としか見えません。ところが日本に長くいると、日本人の顔になります。外国人もそうです。日本に来たては外国人だけれども、日本に長くいると日本人的な顔になって来ます。逆に日本人がアメリカに長く行っていると、アメリカ的な顔になって帰ってくる。つまり人間は社会に育てられ、そこで生活していると、その社会による文化によって変わって来ます。

 子どももそうです。あくまで社会に育てられて、成長しています。人間は誰でも、人間として生きていくためには、社会がなければ生きていけません。たった一人では人間として成長しません。だから子育ても、社会的なものです。子どもにとっては産みの親より育ての親が大切であると昔から言われていました。育ててくれる親がいることによって子どものこころは安定します。

 母親が一人で子育てに悩む必要はありません。周りの人に相談したり、みんなで子育てすれば良いです。親は自分が産んだ子だとわかるけれども、子どもには判らないし、子どもには選択権がありません。育ててくれた親が自分の親なのです。

 虐待している親から子どもを引き離すことは、社会の義務ですし、離されることは子どもの権利です。虐待されている子どもは、自分が悪いから虐待されていると思うので、親を非難しませんし、親からなかなか離れたがりません。でも離すことが社会としての義務です。離されてから、だんだん子どもは自分の置かれていた状況を判るようになり、離されたことを感謝するようになります。虐待は、子どもの脳の発達を妨げたり、異常にします。(「虐待が脳を変える」友田明美、新曜社)早く離して、正常な発達に戻すことが必要です。25歳までにしないと、つまり成長が止まったら大変苦労しないと戻りません。

  以前イスラエルにキブツという集団農場がありました。今はどんどん崩壊して、残っているかは分かりませんが、昔はこれがやはり昔の日本のヤマギシ会と同じように、原始共産体制をとっていました。持ち物はほんの僅かな私有物だけで、あとはみんな共有財産として生活していました。化粧品もハンドバッグも共有です。夫婦はひとつの個室で生活しますが、子どもは全部1ヵ所に年齢毎にまとめられて、集団生活をします。子どもたちの日常の生活の介助をしてくれる人達も、他の仕事と同じように交替で勤務します。そういう社会の中で、子どもたちが親から離されて不安定になるかというとそうではありません。夕食を親と一緒に食べて、寝るまでの団らんの2時間ぐらいの間を一緒に過ごすと、子どもの心は安定します。別に精神的、心理的な問題は起きなかったと言います。当時イスラエルは(今でも)戦争状態でしたから、両親をなくした子どもが沢山いて、その子どもたちには、「この子はあなたが育ての親だ」ということで、育ての親を作ります。実際には夕食から寝るまでの間しか一緒にいないのですが、それでも親代わりの人を作ると子どもの心は安定します。そういう現実がありました。

   また、昔社会主義の時代だった中国で一週間保育という制度があって、月曜日の朝連れて行って、土曜日のお昼に連れて帰ります。親と一緒にいるのは、土曜日のお昼から月曜日の朝まで。だけど親がいて、その時間一緒にいれば子どもの心は安定します。特に問題は起きません。つまり子どもというのは、そういうものです。

日本の自民党や厚生労働省の幹部は、小さい子は親元で育てなければいけない、親が常時いなければならないと言っていますが、そんなことはない。子どもの心というのは、親がいるということだけで、安定します。

  国立病院に勤めていた時、入院している子どもたちで親が付き添っていない子どもたちは、面会時間になるとみんな病棟の入り口まで行って親が来るのを待っていて、お母さんが来ると一緒にくっついて病室まで戻るけれども、5分ぐらいしたらもう離れちゃって、ほかの子と遊んでいます。いると思うと、安心してノビノビ自分の好きなことをしています。そして、帰る時間になると、またやってきて、母親にピッタリくっついてしまい、帰る時には泣いたりします。でもお母さんが見えなくなると、けろっとしてまたほかの子と遊ぶようになります。つまり親がいるということ、そしてちゃんと会いに来てくれるということで、子どもの心は安定します。そして問題は起きません。

 だが今は、子どもは親の物などという風潮があります。その点欧米では随分社会化されています。例えば、アメリカでは子どもの物をとったということで子どもが親を訴えると親は処罰されます。日本は処罰されません。そういう法律がないから。子どもの物をとってはいけないというのは、アメリカでは当たり前。もちろんアメリカの税制も全部個人が単位です。

 一人一人の人権を尊重して、北欧諸国からフランスあたりまでの国では、子どもの虐待に対して厳しくて、誰かが虐待をしているのを見て通報すれば、親が処罰されますし、強制的に子どもを離されます。親が必死で子どもを取り戻すためには、法律上では裁判で争わないと、取り戻せません。子どもの虐待を防ぐということが隨分進んでいます。

しかしまだ日本では、子どもが虐待されているのを見過ごしていて、虐待で死んでいる子どもが年々増えています。まだ福祉事務所や、警察がなかなか介入できません。それは、法的な整備がされてないから、し難いということと、子どもは親の物というのが社会的に一般的に思われているからです。その二つの問題点があります。

旧統一教会の二世信者問題も同じです。昔は、「ものみの塔」というキリスト教系の信仰宗教があって、輸血を拒否することで知られていました。子どもに必要になった時に、どうするかが小児科医の間でも議論されました。結論は、本人が判れば本人の承諾で輸血をしました。本人の意思が確認できない、低年齢では医師の判断でしていたと思います。

 子どもだって一人の人間です。 親の所有物ではなく、親とは別個の人格があります。だから親の言いなりになることはないのです。子どもには子どもの人権があり、例え乳児であろうと、一人の人間なのです。子どもは親が生みますが、子どもはその親の元に生まれたくて生まれたのではありません。親とは別の人格があるし、基本的人権を持っています。

  旧統一教会の二世信者問題が浮上したら、他の宗教の二世信者たちが立ち上がるきっかけとなりました。マインド・コントロールのことは問題になりません。なぜなら、日本では知りませんが、アメリカでは催眠術を使って自白させることもあるという噂があります。ナチスが使ったのも集団催眠ですし、学童の車酔いを無くすために集団催眠をすることもありましたから。金銭を要求する宗教は認めてはいけません。自発的にするのはよいですが。子どもの教育費が問題になるのは、日本は教育費が公費負担ではないからです。

また、校則の問題があります。学校の制服は、一部の国から囚人服だと言われたこともあります。私は、中学から自由な校風の学校で過ごしたので、あまり自覚しませんでしたが、高校で自動車免許を取り、四輪車を運転していましたし、たばこも酒も吸ったり飲んだりする現場を押さえられなければ処分されませんでした。喫茶店も禁止でしたが、喫茶店のマッチを集めて高校祭に展示した先輩もいました。

校則で規制するのは、憲法違反ではないかと思います。個人の自由の侵害です。法律で認められているのに、学校で禁止するのはおかしいです。都立高校で男女交際や下着の色や髪の色、ピアスなどを禁止している学校もまだあるようです。私の息子も自由な校風の都立高校でしたし、娘も制服のない学校でしたから、校則でしばることなどあまり考えたことがなかったのです。最近、すべての都立高校の校則で髪の毛の色を黒にすることを廃止したと聞き、驚きました。もう15歳になったら大人として育てるべきだし、大人としての自覚を持たせる必要があります。昔は、男子は15歳で元服したと思います。選挙権がなくても、一人の人間としての基本的人権があると思います。

☆いつから子どもの人権を認めるかという議論が日本ではなされていません。

 子どもにいつから人権があるかというのは日本では問題になっていませんが、世界的には問題になっています。子どもが人権を持つのは、卵子が受精した時か、それとも妊娠中絶がいけないという時期(妊娠23週になると中絶できない)つまり23週以後か、おぎゃーと誕生した時なのか、いろいろと各国で議論があります。さらに自我意識が出る3歳過ぎか、月経が出るとか精液ができる時からか、元服の時か、選挙権を持つ時かということが、どこでも議論されていません。これはおかしいことです。

☆やはり子どもを育てるのは社会で、みんなで子どもを育てていくという感覚がないとなかなか難しい。確実に少子化が進んでいますが、「子どもを産むのは自分たち夫婦二人で、特に女性の方にかかってしまうから大変だから、子どもは一人でいいや。もう2人3人と、育てるのは大変。」という思いにつながってしまうとだんだん産まなくなってしまう。それが少子化につながっています。保育所とか子育ての仕組みをもっと社会的に充実させていかないと、少子化の進行は防げない。「子どもは社会で育てる」ということがまだ日本では遅れていますし、行政や官僚の中ではそういう感覚は育っていません。

 近年、父親の育児休業もとれるようになりました。子どもの介護のための休業も必要です。子どもが病気になると父親か母親がどちらか片方が勤めを休んで看護することができることが必要です。そのことをやっぱり社会的に作り上げていく必要があります。まだ社会的に、自民党の政策の下で、子どもは母親が育てるものという意識が強いのです。それが女性の社会進出を妨げています。

2)生まれたら一人前。子どもの個人の権利と義務。 

 子どもは生まれたら一人前、子どもの権利は子どもが生まれた時からあるというのが私の立場です。国際的な子どもの権利法案がありますが、日本はまだ正式には批准していません。それは、批准するための環境整備が非常に遅れているからです。日本は先進国に仲間入りしたはずなのに、先進国に比べて子どもの権利というのは、はるかに遅れています。だから批准するためにはいろいろなことを整備しなければならない。だからすぐにとは政府は批准できない。

 給食もそうです。給食を食べなければいけないと強制すること自体がおかしいです。

食べなくたっていいのです。むしろ今は、給食の無償化が必要です。給食で食を満たす子どもが増えています。子ども食堂はない方が良いのです。政府や行政がしないから、してるに過ぎません。

 「服装の乱れや、生活の乱れは非行につながる」と言う人達がいます。でもそれは思い違いです。それが証明されてはいません。その人たちの思い込みに過ぎません。規則で縛るから反発してそういう服装をしたがります。言うことを聞かないのだとの意志表示でわざとそういう事をしたりするのです。

今の中学は、朝練から夕方の練習まで一日中部活で縛って何もできないようにしています。「そうすると非行に走らない」という感覚でいる先生方が未だに多いようです。行動を規制すれば、非行に走らないというのは思い違いです。

法律を作って規制すれば、法律をかいくぐっていろいろ悪いことをする人が必ず出て来ます。いくら規制をしても、非行に走る子は走ってしまう。それよりも子どもたちに生きる目標を与えることです。何かしたいこと、やりたいことをやらせる。そして目標をもって本気になったら、その子たちはその目標にまい進します。

少なくない有名人が、中学や高校時代に警察に手を焼かせたりしています。でもその人たちは、その人の人生を変えてくれた人が居て、良い人生をたどることができたのです。

だから、今でも暴走族がいて、車を乗り回しているのですが、暴走族が一番少なかった時期はいつかというと、全共闘運動が華やかで、高校生共闘もでき、若い世代が学生運動に入ってきた時期が一番暴走族が少なかった。自分の学校や社会に対する不満がある子たちは皆そっちに吸収されてしまった。今は、そういう運動が何もないから、暴走族になって反抗しているだけです。

 だから、子どもたちの権利を認めて、自主性を認めて、自分たちでやらせるということ。それは何歳からかというと、私は生まれた時からと思っています。

日本ではまだ議論されていないし、子どもの人権とか権利そのものが、議論されていない時代です。だから子どもの権利が認められていないから、子どもの自由も認められていません。

 子どもはちゃんと意識していますから、ちゃんと教えて行けば、いろいろ成長して行きます。赤ちゃんの時だって、教え方があります。

☆前述の猿に育てられた人の話を聞いて、ああそうかと赤ちゃんと会話をしようと思いました。赤ちゃんとどうやって会話するかと言ったら、しぐさと目つきです。しぐさや目つきでうまく表現すると赤ちゃんは笑ったりして反応してくれます。

今は、赤ちゃんや子どもたちと、しぐさや顔付きや目で会話するようにしています。それで赤ちゃんたちが笑ったりします。親は不思議そうな顔をすることが多いのですが、おもちゃを使ったりもしますが、泣きわめいていた子どもがちゃんと私の言うことを聞いてくれるようになるのを見て驚かれます。

だけど人間はなかなかしぐさができません。言葉を使わないとできません。だから言葉をかけてあげます。言葉をかけると自然にそのしぐさをとります。だから言葉をかけていろいろしてあげましょう。通じているのは言葉ではなくてしぐさだと思います。だから言葉を出さなくても、しぐさですぐばれてしまう。こっそり薬を混ぜようとしても、そのしぐさでばれてしまう。隠れて何かしようとしてもばれてしまう。表情や雰囲気に表れてしまうのです。

動物たちはしぐさで会話をしていたし、赤ちゃんたちはそれを読み取ります。しぐさを読み取る能力が言葉のコミュニケーションがないほど高いです。言葉で会話をするようになると、だんだんその能力が落ちていってしまいます。言葉に頼ってしまいます。  

子どもが大きくなると、言葉だけになります。子どもは会話を通していろいろ学んでいきます。大きくなっていくと、保育所とか幼稚園に行きます。

☆子どもに対して、「朝食を食べないといけない」とか、「毎日ウンチをしなさい」とか、「給食は全部食べなくちゃいけない」、「牛乳は飲まなくちゃいけない」と強制をします。学校だって毎日行かなければいけない。そういうことは強制する必要はありません。なぜかというと、全く根拠を持たない思い違いです。どこにそれを証明するデータや事実があるのでしょうか。

☆「学校は楽しくなくて当たり前だ」と書いていた人がありましたが、楽しくなかったら、学校へ行かなくなります。保育所でも幼稚園でも楽しいことがあるから行くのです。楽しくすることが、ポイントです。

☆飽食の時代に食を強制することはおかしいと思います。私は「食育」という言葉は好きではありません。食べ物アレルギーは、親による食の強制にあると思っています。実例もあります。だから治すことができます。食べることで教えるのは、おかしいです。食べることは楽しいことなのに、楽しくなくなります。

  • 子どもに強制はしない方が良いです。

例えば小さい子どもの脳性麻痺のリハビリがあります。現在大人になっている脳性麻痺の人達は口をきくのも、身体を動かすのも非常に不便です。ところが小さい時にトレ-ニングをすると、ずっと改善します。そのトレ-ニング法が二つあります。

一つは決まり切ったやり方で、このトレ-ニングをしたら、次のトレ-ニングをしてと決めたとおりに赤ちゃんたちにやらせる方法です。数カ月間続けます。ところが赤ちゃんたちはそれにのってくれないで、いやがります。

それに対してもうーつのやり方は、その時その時に赤ちゃんの好んだやり方で次々とトレーニングを変えて行って、終わった時には一通り全部やっているという方法です。これは非常にテクニックが必要です。誰でもできることではありません。でもそのやり方だと子どもは喜んでやります。

その二通りがあります。手はかかるけれども、子どもの気持ちを尊重してやるリハビリというのは、子どもたちも喜びますし、それで発達します。決まった手順でやっていくやり方は、子どもが嫌うのでなかなか発達しません。嫌がってやらなくなってしまいます。

つまりこれは一つの例ですが、どんなことでも子どもを上手に扱えば、うまく子どもの気持ちを嫌がらないようにしていろんな訓練ができるのです。

☆昔ドイツにボリスベッカーと言うテニスコーチがいて、男性と女性の二人の選手を世界一にしたのです。子ども時代から指導したのですが、その方法は子どもたちにテニスをやらせる時、ボールを打つ練習をさせます。するとボールが飛んで行ってしまい、ボールを拾いにいく必要がありますが、子どもは嫌がります。それを一個一個のボールにひもをつけて、ボールを取るときはひもを引っぱれば集まるようにしました。とにかくあれが嫌、これが嫌というと、そのたびその度に嫌なことをなくすようにしたのです。

それでテニスの練習をさせたら一生懸命練習をするようになり、世界一のプレーヤーが二人育ったのです。嫌なことをなくして練習させるのがこのコーチのやり方でした。だから喜んで一生懸命練習をして世界一になりました。嫌なのが当たり前だなんて言って、子どもたちに押し付けたら、だんだん練習しなくなってしまいます。だからどうやってやりたくなるように仕向けるか。そこがポイントです。

☆ アメリカのケネディ家とか、ロックフェラー家とか開拓時代からの大家族というのは、決して強制しないです。子どもに後を継ぐことや、仕事を強制しない。ところがその家族集団の一族の中で、必ず上手に誰かが一族をまとめて、誰かが後を継いでいくように仕向けていくのです。自然に誰かが継いで一族を守っていきます。長く続いている家というのは、そういう仕組みがうまくできているのです。またそれだけ一族で結集しています。

だけど、新興のいわゆる成り金といわれるような一代で一族を築き上げた人というのは大概うまくいかないのです。自分の子どもに後を継ぐことを強制します。するとうまくいかないのです。江戸時代でも、「売り家と唐様で書く3代目」なんていう川柳がありますが、3代目になると、一族は潰れてしまう。大体そういうのが普通です。強制して子どもたちに継がせようとするとうまくいかないのです。大体反発して辞めたりしてしまいます。

上手にまわりから持っていくのがこつです。長く代々続いている家というのは、そのやり方が自然に伝わっているのです。だから自然に親は子どもにそういうふうに教える。すると自然にその子は親の後を継ぐようになってしまうのです。

☆ 昔、お嬢様ブームといって、お嬢様という呼び方が流行った時期があります。お嬢様というのは、自分が受けた教育を一番良い教育だと思って自分の娘に教育します。そして育てられた娘というのが、お嬢様なのです。ということはある程度、家庭が裕福でなければできません。子ども時代自分は惨めだったから子どもにはそんな思いはさせたくないと思ってしまうと、子どもは別な道を進んでしまいます。それが現実です。自分と同じことをさせないと自分と同じように育ちません。裕福な家庭でないとそれはできません。そうして育てられたのがお嬢様なのです。

でも現実に、自分と同じくさせたいと思うとなかなかうまくいきません。ではどうしたらいいか。子どもは子どもの人生を歩んでもらうしかありません。それは自分の人生を見せて、よければ選んでもらうし、別の道がよければ別の道を選んでもらう方法しかありません。子どもに強制することはできません。一人一人の意志、一人一人の個性を見つけてあげて、育てて下さい。でも別々の道を歩んで行きます。同じように育ててもみんな違います。沢山の子どもを育てれば判りますが、一人や二人では判りません。

だからのびのび育てて下さい。あなたにはあなたの人生があり、子どもには子どもの人生がありますから。

3)自然にのびのび育てよう。よく遊べ、よく学べ。

明治時代は「良く遊べ、良く学べ」というのがスローガンでした。学校では「学校でよく勉強しなさい。家に帰ったら、家の手伝いをしたり、よく遊びなさい。」と教えていた時代です。その時代にいろんな大企業の創立者たちが育っていますが、今、アメリカではそういう時代だそうです。家に教科書を持って帰ってはいけない。つまり、学校で教えることは知的な教育ですけど、家で教えることは勉強ではなく社会的な勉強や人間関係、そういうことを教えて行くのです。

子どもは遊びの中で、自然に社会関係を学んでいきます。子どもたちの遊びというのは、非常に大切なことなのです。だけど今それが無視されていて、子どもたちが仲間と遊ばなくなりましたし、遊びも違ってきました。人間関係が作れない子どもたちが大人になって、苦労している人たちがいます。人間関係がうまく築けず、人前に出ると喋れないとか、ものが言えなくなるとか、いろんな大人の人たちが出てきた。それは子ども時代にそういうことをしていないからです。

☆だから幼稚園、保育所、学校というのは、楽しいところでなければならないのに、楽しくなくて行くから、不登校とか、幼稚園いくのが嫌だとかいうことになってしまう。だから本当に上手な幼稚園や保育所の先生たちは、子どもに強制をしません。私の知っているある幼稚園では、費用は高いのですが、やりたければいつまででも運動場で遊んでいていいのです。他の子は部屋に入って、ピアノで歌を歌ったり、絵を描いたりしているのに、遊びたい子は外で遊んでいていいのです。男性保育士さんも二人いました。女の子でサッカーがやりたければやらしてくれる。そういう身体を動かすことを外でもやれるし、部屋で絵を描いたりしていたければそれもできる。運動会の参加も自由です。さらにオペレッタを子どもたちにやらせるのですが、劇というのは主役が一人いて、あといろんな役があるでしょう。ところがやりたい人はみんなその役になれるのです。海賊船の船長さんが3人出てきて同じ歌を歌ったり、お姫様が4人いたりするのです。やりたくなければ出なくてもいい。だからやりたいものをやりたいようにさせてあげる。子どもたちは喜んでやります。

また子どもたちにはこうしたらいい、ああしたらいいという提案をさせます。そうするとそれを受け入れて一緒に考えてオペレッタを作っていく仕組みができてきます。非常に面白い所で、楽しくてみんな行くわけです。嫌がる子はあまりいない。仲間に入れない子は、ほかの子が誘うのです。運動会に出ない子、走らない子がいるけれども、ほかの子が一緒に行こうよとか、みんなで誘う。そうするとそのうちにやるようになります。そうして仲良くなってみんな一緒にやるから、最後は出ない子はいなくなります。自由にさせています。それで子どもたちはのびのび育っていきます。園長先生たちは、じっとそれを見ているだけで、主役は子どもたちです。

学校も本来そうあるべきだと思います。ただ学校の場合はもう少し規則があっても良いかもしれないけど、今はあり過ぎです。子どもの自由な想像力を奪っています。

 

4)「闇教育」―― 子どもに間違ったことを教え、子どもに服従と従順を教え込むという教育原理(「楽園を追われた子どもたち」より)

19世紀の終わりから20世紀の初頭に子どもたちを親に従属させた、特にフランスを中心に行われた教育です。親や大人のいうとおりにさせる教育です。それを現代の研究者たちは「闇教育」と呼んでいます。つまり、「親のいうことは必ず聞く。親はいつも正しい。親は尊敬されなければならない。親は子どもの要求に屈する必要はない。子どもは尊敬に値しない。子どもの価値を評価してはいけない。子どもにやさしくするのは有害である。服従する人は強くなる。外見の方が心より重要である。見せかけの謝意の方が感謝の気持ちが欠けているよりましである。激しい感情の動きは有害である。肉体は不潔で嫌らしいものである。」というようなことを、まだまだいろいろありますが、子どもに小さい時から教え込むのです。そういうことによって、子どもに従順と服従を教える。そして親の言うなりにさせる教育です。闇教育については、別に書きました。(ブログ参照)

「スパルタ教育」というのは、フランスの乳幼児精神分析医が書いているのですが、「今では経済社会が生んだ精神病のーつとされ、同時に両親や教育者のサディズム的欲望の結果であると見なされています。」(前出書より)。フランスや北欧諸国では、スパルタ教育はおかしいとされてきました。だけど日本ではまだスパルタ教育は教育法として通用しています。スパルタ教育が教育法ではないとされるのはあと30年や50年はかかるかもしれません。

 ですから、体罰は教育としての有効性を持たないのですが、まだ日本では教育に体罰は必要であるという考えがなくなりません。子どもに体罰をして、良いということは一つもありません。体罰されても言うことを聞かず、隠れてやるだけになります。中学、高校になって体罰をされると必ず仕返しを考える生徒が出てきます。

だから学校が荒れるのです。子どもを教師の言う通りにさせようとするから、問題が起きるのです。

 

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子ども医療講座 改訂版1

2022-12-01 10:49:51 | 子ども医療講座シリーズ

                 子ども医療講座 改訂版

          子 ど も 医 療 講 座 (改訂版)

         第1回「 健 康 は 自 分 で 守 る も の 」

1)医療は病気をなおす技術であり、医者は医療の専門技術者である。

 ➀医師は多くは、細分化された分野の専門家である

 医者は、素人から見れば医学医療全般の専門家に見えるが、内科、外科、小児科などの多くの科に分かれており、その上小児科を始めすべての科が、皆それぞれ更に細分化した専門分野に分かれている。

 小児科は、普通は小児内科を指し、新生児・未熟児科、循環器科(心臓)、呼吸器科、血液・悪性腫瘍科、感染症科、アレルギー科、内分泌科、神経科、腎臓科、肝臓または消化器科などに分かれている。外科系も、小児外科、小児整形外科、小児眼科、小児耳鼻科、小児皮膚科、小児泌尿器科、小児婦人科、心臓外科先天性部門、小児形成外科、更に小児精神科、小児放射線科、小児歯科があり、さらに矯正歯科、脳外科、麻酔科、移植外科なども子どもの医療にかかわっている。

 専門医としては、日本ではまだ麻酔科だけが信頼されている制度になっている。認定医とか専門医という制度は他の科でも実施されているが、博士号と同じで、信頼度が低い。現在は、専門に勉強し、専門に患者の診療にあたることで、専門医になることが多く、試験はあるが、専門医の資格をとったからといって、標準化された医療をしている保証はない。日本の医療が標準化されていないことにも問題があるし、専門医を養成する制度ができていないことにも問題がある。すべて個人の努力に負っていては、標準化されない。

 さらに日本では、勝手に専門科名を名乗れるので、病院の小児科は小児科専門医であるが、診療所の小児科のほとんどは小児科専門医ではない。小児科しか名乗っていないか、小児科内科と名乗っていれば、小児科専門医であると考えてよいが、内科小児科というのは内科医である。小児科だけでは診療所の経営が成り立たないので、小児科医になりたがらないので、小児科医だけでは日本の子どもの2割くらいしかカバーできないためである。

 しかも小児科専門医と言っても、さらに細分化されて未熟児・新生児、呼吸、循環、腎臓、内分泌などの専門分野に分かれます。それが大学病院で生み出されています。大学病院に残ると必ずどこかの分野に配属され、細かく細分化されるのです。

 私は、総合小児科医であり、子どもの病気を浅く広く知っていて、小児の耳、鼻、目、口の中、泌尿器などの簡単な病気を治療します。アトピー性皮膚炎、花粉症、気管支喘息などのアレルギーの病気の治療をします。大人を専門とする耳鼻科、眼科、皮膚科より、子どもの病気に関しては上手に治してきました。総合小児科医は、日本では教育システムがなく、ほとんどいません。

 専門医の中でも腕の上手下手はあるし、よく説明してくれるか否か、優しいか否かなどの違いもある。しかし小児の専門医で腕の良い医者は、何科にかかわらず子どもを扱うのが上手で優しい。病気がよくならない時や、専門的な治療を要する時は、子ども専門の医者にかかることをお薦めする。良い専門医を知っていることが、医者の腕である。あくまで選ぶのは医師個人であり、病院ではない。

 知識というものは、誰を知っているかが、何を知っているかである。自分では知らなくても、知っている医者を紹介するか、電話などで相談することができれば、知っているうちに入る。良い医者は良い医者を紹介してくれる。しかし、必ずしも近い所に居るとは限らないのが難点である。

当たりはずれのある医療

 一般に医者は、専門医として教育され、大病院に勤務するので、自分の専門分野以外については詳しくは知らないことが多い。そういう専門医が、開業したり、一般病院に勤めたりする。そこで同じ科を標榜していても当たりはずれがある。これは日本の医師の卒業後の教育制度の欠陥からくる問題でもあるし、日本の医療が標準化されていないことにもよっていて、当たりはずれのある医療を生んでいる。アメリカでは、1970年代に医療の標準化が進み、一般的な日常の医療に関してはどこでもいつでも最高の水準の医療が受けられるようになっている。

 日本は当たりはずれがあり、開業医でも良い医者にあたれば、良い医療を受けられる利点もあるし、大学病院、小児医療センターや大病院に行っても良い医者に当たるとは限らず、はずれの医者もいる。結局は、どこにかかるかではなく、医者個人の腕に左右される。どの医者が本当によく知っていて、腕が良いか、優しいかは、会っただけでは医者でも判らない。一緒に診療をしたり、患者さんを紹介して初めて判ることもあるし、上手な医師や上手な診療を知って、判ることもある。

 元日本医師会長だった故村瀬敏郎先生は、出身は外科医だったが、開業してから内科を加え、さらに小児科も始めた。私のアイスホッケー部の先輩で、部のOB会長だったので、小児科を始めた時に部のOBの小児科医たちが、いろいろ質問したがすべてに正しく答えたので、その後は誰も何も言わなくなった。先生はその後育児書を書き、医師会に予防接種センターを作り、日本小児科学会の予防接種専門委員会の委員にまでなった。後に日本医師会長になったが、医師会長としての評価は知らないが、医者としてはよく勉強していた。

 私自身は、大学における医局講座制度(医師と関連病院の人事を左右している、教授を頂点とする制度)を批判し、小児科の中の細分化された専門家にならず、小児医療全般に浅く広く知識を持つ総合小児科医(小児科総合科医師)を目指してきたので、小児医療(小児内科でなく、子どもの医療全般)を浅く広く知っているが、細かい専門的なことはその分野の専門医に依頼している。

だから私は専門医資格を持っていないし、博士号も持たない。私の腕が勝負である。

 予約制の小児科が多いが、私のいた診療所は予約制ではなかった。子どもの病気は、ある日突然起きることが多いので、予約しないと診てもらえないのはおかしいし、私の外来はそれほど混雑しなかった。それは何度も来なくて治るからです。例えば、アトピー性皮膚炎や喘息様気管支炎の乳児なら2~3回、かぜなら1回、気管支喘息なら年数回、大抵の病気は1回で済みました。それは薬だけでなく、予防や食事療法など教えていたからです。最初にいた吹上共立診療所時代には治ってしまうし、予防を教えますから、患者さんがどんどん減ってしまい、経営的には苦労しました。

知識というものは、知っているか知らないかであって知っていれば100%、知らなければ0%である。知らない医者にいくら聞いても、答えないか、またはいい加減なことを知ったかぶりで言うだけである。専門家やプロの人たちは、素人にやさしく判りやすく説明してくれるものである。よく知っているからそうできるのであって、生半可な知識では上手に説明できない。だから医者に、よく質問することである。答えてくれない医者は敬遠しよう。

 医者の言うなりになってはいけない。言うなりではなく、納得することが大切である。医師の言うことに納得したら、医師の言う通りにしてよい。

人はなぜ病気になるのか

 私は「人はなぜ病気になるのか」について、「人は環境にうまく適応できない時に、その遺伝的に持つ弱点に病気が出る」と考える。この説はアメリカのロックフェラー大学環境医学の故デュボス教授の説で、欧米でも日本でも基礎医学者や精神科医に支持者が多く、臨床医にはほとんど支持者がいません。私はデュボスの本を読んで、病原環境説の方が病気をうまく説明できるし、病気の治療に応用するとうまく行くので考え方が変わりました。この考え方は、「ヒポクラテスへ帰れ」というデュボスの言葉の通り、世界ではネオヒポクラテス学派と呼ばれています。

➃自分自身で健康を維持しよう。

 自分で自分の健康を守ろう。病気を治すよりも、病気を予防する方がやさしい。

 病気にかかった時には、医療技術は医者に学ぶが、実際に治すのは自分であるから、自分で病気を治すようにしよう。薬をもらっても、きちんと薬を飲み続けるのも、食事療法をするのも、リハビリをするのも自分の意志である。

北野(ビート)武に学ぼう。彼は医者にとっては不可能と思われた顔面の麻痺を、信じられない程の努力で治してしまった。彼は、外傷による顔面神経麻痺を、努力して自分で治した。普通では回復は困難と思われる程の神経症状でしたが、毎日毎日自分の努力で、動かない顔の筋肉を動かし、ついにほとんど判らないくらいに治してしまった。始めは顔の一部がピクピクしていたが、それも今はほとんど見られない。私は、その努力をしたというだけで敬意を表する。

 医者は、人が豊かな人生を送るためのお手伝いや援助をするだけで、自分の健康を守り、病気を治すのは自分自身である。その為のノウハウを教えましょう。但し自己過信はけがのもと。一度は腕の良い医者に診てもらい、治療法を教えてもらうこと。

2)病気は人間の生物学的過程だけで起きる訳ではない。

病気は、人間と環境(自然環境と社会環境)の相互作用の中で発生する(病原環境論=ネオヒポクラテス医学)。人間は、他の動物や植物と違って、地球のすべての場所に適応して生きていける力がある。そして人間は、地球の自然環境を変えてきたが、地球が変わると人間も変わっていく。

 人は南極も北極も、熱帯も、3000メートルを超える高山地帯にも住んでいます。

 人が環境にうまく適応できない時に、病気になる。自然環境に適応できない時も、社会環境に適応できない時にも、病気になる。

 ウィルスや細菌に違いがないのに、軽く済んだり重症化したりする違いがあるのは、人間の側に違いがあるからで、その違いは、環境によって人間が変化してつくられたのである。

人は身体とこころを持つ社会的存在である

 人間は身体とこころ(精神)をもち、社会的に左右される存在である。社会の最小単位は家庭である。社会は地域、職場、学校、民族、国、世界と拡大される。

 こころは社会的に左右される。特に赤ちゃんから幼児の頃のこころの成長が、人間のこころを左右する。そして人間の社会的な生活がこころを左右し、それが病気を左右する。一般には物心がつく頃と思われてきたが、記憶にない乳幼児期のこころが人生を決めることが分かってきた。

 一般の精神科医や児童精神科医も、記憶にない時代を取り扱わないが、乳幼児精神科医は乳幼児期の心を大切に考えている。特に虐待を受けていると、脳の発達が変化する。でも成長が止まる25歳頃までは、変わることが容易である。それを過ぎるとかなりの努力がないと、人は変われない。

 心身共に充実している時には、風邪をひきにくい。身体がいくら充実していても、精神面に問題があると病気になる。

子どもを上手に育てると、病気をしなくなります。「病気をするたびに免疫ができて強くなる」と言うことは間違いです。人間は自然に免疫システムを完備し、それを上手に働かせれば病気をしないし、かかっても軽く済むのです。それを利根川進さんが証明してくれました。利根川さんは「人は1億もの抗原(病原体や異物)に対し、抗体を作る能力を持つことを証明したのです。ウイルスや細菌が入ると必ず病気になると考えている医師が多いですが、そうではなく、その時に体力や抵抗力が落ちている時に病気になるのです。

 WHO(世界保健機構)の健康の定義では、「健康とは」「病気でないだけでなく、身体的にも精神的にも、さらに社会的にも調和のとれて完全に良好な状態をいう」

 

精神神経免疫内分泌学

 こころと免疫の働きが連動していて、さらにホルモン分泌などの内分泌にも影響することが、近年証明されました。ホルモンの働きも免疫と共に、こころと連動することも判ってきたのです。この30年位前からアメリカのハーバード大学の精神科を中心とした「精神神経免疫学」の動きで、ストレスによって免疫の働きが低下することも、動物実験で証明されました。その後ホルモンの分泌も心に左右されることも、動物実験で証明されたのです。

 そのために、ストレスがあると抵抗力が落ち、その時に病気になりやすくなる。よく幼稚園や学校の行事があると、その前後に子どもが病気になるのもその例である。インフルエンザにかかるのは、通常10%と言われ、受験などのストレス状態にある子どもがかかりやすい。こころと体の健康を維持していれば、かかることはない。また病気を怖がったり、不安があると病気が悪くなり、重症化しやすい。

◇マウスの実験では、過密の状態で飼うと、妊娠し難く、まばらに飼育するとすぐ妊娠するという。不妊症もストレスが関与しているのである。

◇犬の実験では、ストレス状態におくと病気になりやすいことも判った。

◇重症の火傷を負った時に、病気と闘うように催眠をかけると回復が早いことも判っている。

自然治癒力。人は誰でも自然免疫のシステムを持っている。

人間には、病気を治す力がある。それが妨げられた時が病気である。

 昆虫の研究では、蠅(はえ)の一種は体内で抗細菌、抗真菌の蛋白質を作り、抗ウィルス性や抗がん性の蛋白質も作っていると見られることが判ってきた。進化の過程で自分に有利な機能を落とすことはないから、人間はそれに替わるもっと進んだ生体防御機構を持っていると考えられる。そこから「人間には元々病気を治す力(自然治癒力)が備わっていて、その力が妨げられ、発揮されない時に病気になる。」と考える。この考えだと、宗教によって病気が治ったり、癌の自然治癒なども説明がつく。免疫の仕組みには、自然免疫と獲得免疫がある。

3)文明は人間の病気を発生させた一つの要因である。

 人間が自然の中で暮らしている方が病気は少なかった。文明が社会を変え、社会が変わることによって、病気が増えてきた。交通機関が発達するに連れて、地方の土着病が世界的な病気になり、また薬害、公害などが登場してきて、ますます増加している。アマゾンのピダハン族やアフリカのブッシュマン族は、現在でも平等で争いのない社会を作っていて、病気がない。ピダハン族は、外部から隔絶されて守られている。

 社会が進むに連れて新しい病気が増える。放射線や発癌物質の増加により癌が増え、人間社会の入り組んだ関係からストレスが増え、精神病、心身症、アレルギー性疾患が増加している。その為先進国の方が病気が多く、医療費が増えて国の財政を圧迫している。

 文明は健康を増進させてもくれたが、その武器の一つが医学であるが、武器は医学だけではない。社会が変化したことによって病気に打ち勝ったものもある。

 天然痘が撲滅されたことや、伝染病が減少したのは、医学の力と共に、検疫や隔離など社会的施策によることも大きい。結核やライ病の減少は、主に社会的対策による所が大きい。

4)長寿日本一は・・・。日本一の長寿県は長野県です。昔は日本一の医療過疎県、沖縄県でした。

 令和三年の平均寿命は、女性87.57歳、男性81.47歳ですが、都道府県別では、女性は長野県が1位、2位は岡山県。男性は滋賀県が1位、2位は長野県。

 自然環境や質素な食事が寿命を延ばすのか。

 人間の寿命に医療はほんの僅かしか寄与していない。寿命が大きく延びたのは、赤ちゃんや子どもや青少年。江戸時代には五歳までに25%以上が死んでいた。これは現代では難民キャンプの乳幼児死亡率に匹敵する。新生児や乳児の死亡や青少年の死亡が少なくなった分を中心に平均寿命が延びていた。日本の乳児死亡は世界一少ないから、平均寿命も世界一になった。ひと昔前まで、男の子の死亡率が高く、生まれた時には男が多く、20歳では女の方が多くなっていたが、今は20歳でも男が多い。

 老人の寿命も延びている。老人は環境の変化に弱く、暑さ寒さの気候の変化や、土地や家が変わったりすると変化について行けないが、冷暖房の普及や住居の改善、また食料の充足や老人の趣味なども広がり、寿命が延びている。しかし、中年の男性を中心として癌、心筋梗塞、脳梗塞などの成人病による死亡が増加し、平均寿命の延びを鈍らせている。

5)健康を守る方法について。

 健康を守るには、第一に暮らしやすい社会にすること。それには自分の住んでいる地域から変えていくこと。暮らしやすく、住みやすい町にする。世界の町を見て、住みやすい町にしていこう。なぜなら自分のこころが落ち着くからである。人間は一人だけでは生きていけず、社会があって初めて人間として生きていける。

 人間は生まれながらにして、人間ではない。人間に育てられて初めて人間になる。狼に育てられれば狼に、犬に育てられれば犬になってしまう。1990年11月、南アフリカで2年余にわたり犬に育てられていた2歳半の男の子が見つかったが、行動は犬であった。子どもはまず家庭と言う社会で育てられる。そして保育所や幼稚園、地域社会へ出て行き、育っていく。うまくその環境に適応していれれば、病気をしないで育つが、適応できないと病気になる。だから、集団生活に入るとしばらく病気を繰り返すことが多いが、慣れて来ると病気をしなくなる。でも、くよくよしないタイプの子どもは病気をしない。

 健康を守る第二は、くよくよしないことである。不安があれば、不安を無くすか、不安を忘れること。これがなかなか難しい。いつも楽しいことを考え、嫌なことは棚上げすること。

 第三は、健康に良いと言われることを実践してみること。禁煙、節酒、体重のコントロール、運動など。でも無理せず、健康に悪いことでも、好きでやめられなければやめなくてよい。運動もし過ぎると体をこわす。

 第四は、生きがいをもつか、生活の中での楽しみをもつこと。 

6)以上に関連したいろいろな感想

◇新生児・未熟児科の医師は、500グラムの未熟児でも救命したりするし、750グラムの未熟児ならそんなに難しくないというのだが、小学生以上になると体も大きいし、薬の量も多いので、診療するのが不安になるという。500グラムの未熟児は大人の手のひらに乗ってしまう大きさである。

 ところがその医師が、退院後の指導が上手でない。入院中の医療は世界の最先端を行っているのに、退院後の外来での診療は大きく先進国に遅れている。それは離乳食の指導にある。日本の離乳食は先進国では一番遅い。その為食事が原因でのいろいろな病気が絶えない。指しゃぶり、物をすぐ口に入れる、少食、偏食、過食、甘い物好き、子どもの肥満、食事アレルギーなど食事関連の病気が少なくなく、その多くは適切な離乳食指導で予防できる。

◇ある子どもが、転んで前歯が折れてしまった。近くの歯科(一般歯科)に行ったら、取るしかないと言われたという。母親はちゅうちょしていたが、たまたま風邪で私の所へ来たので見たら、折れ曲がっているがまだついたままなので、これならつくはずだと思い、知り合いの矯正歯科医を紹介した。その結果、その子の前歯はうまくついて元どおりになり、取らずに済んだ。

◇麻酔科が未熟児の呼吸管理をしていることが、余り知られていない。麻酔科は、現代では呼吸と循環の管理が専門であり、痛みをとることもしている科と考えた方がよい。国立成育医療センターでは、院内の呼吸管理はすべて麻酔科医がしている。子どもの麻酔は、どんな麻酔でも全身麻酔がよく、麻酔科専門医に任せた方がよい。麻酔に大きい小さいはない。心臓の手術でも、扁桃摘出の手術でもすべて同じ麻酔である。

◇麻酔科の専門医制度が信頼されているのは、きちんとした教育のシステムと専門医試験の公正さにある。元々麻酔科は、アメリカでの教育を受けてアメリカの専門医の資格を取った医師が日本へ戻り、各大学の麻酔科教授になって、日本の麻酔科を作った歴史がある。それで、アメリカの教育システムを導入し、専門医試験も私的感情を入れずに判定する仕組みが作られて維持されている。それで信頼されている。

 日本の他の学会の専門医や認定医は、博士号と同じで、適当に作られ、資格を持っていると言っても信頼できない。教育のシステムができていないのでペーパーテストに偏りやすい。

◇小児外科医は、離乳食も知っているし、子どもへの注射が一番うまい。それは新生児外科が多いし、入院する子どもの全員に注射点滴をするから、注射点滴が上手になるのである。大人と違って子ども特に乳幼児、さらに新生児未熟児の注射点滴は至難で看護師にはできない。未熟児科医師は500グラムの未熟児にも注射点滴をする。大人用よりも極めて細いと言っても、未熟児の血管の太さより太い注射針を血管に入れるのであるからすごい。若い時にしかできない技術である。

◇私は、今までの実績から国立成育医療研究センター、都立小児医療センター、埼玉県立小児医療センターや各府県の小児医療センターに紹介している。しかし、開業の医師を紹介することもあるが、私が信頼する医師だけである。紹介するのはすべて医師個人が対象であるべきだが、最近はなかなかうまく見つからず、次善の病院へ紹介せざるを得ない時もある。

◇私の後輩に、優れた内科医がいて、先輩を追い越して内科講師になり、40代で某大学の内科教授になったのに、突然辞めて開業してしまった。内科はどこの大学でも、トップクラスがいく科であり、内科教授にはなかなかなれない。(私の同級生でも、定年まで内科助教のままの人がいた)私が信頼する後輩であったが、何があったのか、教授を辞めて開業してしまった。彼が開業した土地の人は、期せずして優秀な内科医に診てもらうことになったのである。一般には、教授が良い医者とは限らないが、開業医の息子であったから上手にしていると思う。周りの住民は幸運である。

◇小児科の先輩で、慶応の講師から愛知県の私立大学の教授になった人がいた。しかし、赴任すると当初の約束と違って、研究設備はほとんど揃っていないし、外来を毎日させられるし、一番怒ったのは連れて来た自分の弟子の研究ができないことであった。しかし、それでも我慢していたが、丁度その時に名古屋大学小児科教授が退職するので、後任の教授選が始まった。たまたま名古屋で開業していた慶応の先輩が、兄弟が名古屋大学の小児科を出ていたので、実績や人柄から名古屋大学小児科の教授に推薦し、名古屋大学も受け入れて最終選考にあたって母校の推薦状が必要になった。ところがなぜか慶応小児科教授が推薦状を出さなかったので、最終選考からはずれてしまった。 彼は激怒して、勤めていた大学教授の職を辞めて開業してしまった。その後某私立医大の客員教授になった。ところが、その反響はどうかというと、善し悪しは半々であった。何故なら、小児科の教授を定年退職した後の就職先がないことが多く、現役時代はよくても退職後は惨めになることが少なくないからで、開業だったら年齢に関係なく自分の働けるまでできるから、その方が良かったという声が教授クラスに少なくなかったという。

◇一般に医師は、診断や治療が難しい病気はよく勉強するが、日常にありふれた病気や自然に治ることの多い病気は、軽視して勉強しないことが少なくない。だから難病や癌は日本やアメリカの専門書を読んだりするが、風邪やインフルエンザ、胃腸炎などの診断や治療がおろそかになっていることが多い。診断や治療が適切で無くても、患者の方が自然に治ってしまうから、医者に反省させることがないからである。

 これはどの科でも同じである。小児科以外の科は、主に大人が対象のため、子どもの扱いも、子どもの病気の治療も上手で無いことが多い。どうしても大人の治りにくい病気の治療が主で、子どもの病気が軽視される。

 例えば、蓄膿症(副鼻腔炎)、滲出性中耳炎、斜視、弱視、包茎、亀頭包皮炎、とびひ、水いぼ、蕁麻疹、アトピー性皮膚炎など。

 耳鼻科では、耳鼻科医と小児科医向けに、小児耳鼻科の本が出ているくらいである。

 内科医に子どもがかかった時の問題点は、すぐ解熱剤やステロイドの内服を使う医師が多いこと。子どもの病気を充分には知らないから、説明が不十分だし、診断も当てになら無いことが少なくない。特に突発性発疹、風疹、おたふく風の診断があてにならない。

 小児科医でも、一般に嘔吐下痢症の治療が下手である。私の知人の小児科医の中には、診察室の隣に点滴部屋というのを作って、6ベッドも置き、多いとそこが満員になるくらい点滴をしているという。私の診療所で大人も含めて最大で同時に点滴をしたのは二人で、子どもの点滴は滅多にありません。他の医者は嘔吐の初期治療が下手なので、脱水にしてしまうからである。それを私はマッチ・ポンプだと思っている。(マッチで火をつけて、その火をポンプで消すこと。政治家を揶揄する例えから来ている)

知識というものは、丸い球の様なもので、知識が少ない時は、球は小さくその表面積は少なく、知らないことも少なく、知識が増えると、球が大きくなると表面積も広がって、知らないことも広がる。知識が少ないと、何でも知っている気持ちになり、知識が増えるとほんの僅かしか知らないという気持ちになり、謙虚になる。

こころと身体はメタルの裏表である。こころが動けば、体も動揺する。体の具合が悪ければ、こころも健康ではなくなる。

◇アメリカの医療の標準化とは、例えば時差が3時間ある東海岸から西海岸へ移っても、同じ治療をするから、看護師は就職してもすぐ翌日から、何年も前から働いていたかのように、仕事ができる。アメリカは看護師も専門化し、自分の専門の科に勤務することが普通である。だから手術室の看護師は手術室に勤務する。しかも地域や病院や医師が替わっても、手術の方式も、注射や投薬の仕方も、伝票の形式も同じになっている。病院ごとの違いや、医師が変わると方法が変わるというような日本とは全く違う。だから就職の翌日から、他の同僚と同じように仕事ができる。

 その背景には、専門医制度の確立と医療保険制度の違い、それに消費者運動の要求と盛り上がりがある。専門医制度は、一般に4年くらいだが、日本の十年に相当するくらい密度の濃い勉強と経験を積むことができるシステムになっている。

 医療保険も任意加入制が中心で、手術もいろいろな病気の治療も、病気ごとにこのレベル以上の医師というような条件があり、ほとんどの手術は専門医でないとできないし、その方法も決められていることが多い。その条件を満たさないと、保険金の支払いが得られないので、みなそれに従うことになる。

 消費者運動もラルフ・ネーダーを中心に活発で、議会対策も行われ、医療費が高いことからも、医師に対する要求が強いと思われる。

◇腕の良し悪しは、かかって見なければ判らないのが、日本の現実である。アメリカでは金を出しさえすれば良い医療が受けられるが、日本では金を出しても最高の医療が受けられる保証はない。大学教授であっても、良い医師とは限らないのが日本の現状である。私の同級生もかなりいろいろの大学の教授になってはいるが、私がかかりたいと思う人はわずかであり、だから紹介しない。私が出身は慶応でも、慶応に紹介しないのは信頼できる医師が少ないことと、いても遠いことである。

◇しかし慶応小児科の松尾名誉教授は信頼できる人で、若い時から優秀でひらめきがあり、私の小児科医になりたての頃に教えていただき、私の医療技術と医療理念の形成を大きく左右した人で、慶応小児科から干されていた時にも分け隔てなく応援してくれた人です。

 私が、子どもが病気になった時に、安静も栄養も保温も必要ないと言っているのは、実は松尾名誉教授が卒業後四年目頃に言っていたことで、私はその時小児科1年目で、それに感心してその後ずっとそれでやって来たが、本当にその方がうまくいくので続けている。

 当時松尾先生は、小児科の看護師の病棟主任が小児看護の本を書いていた時にその医学面のチェックを頼まれて、その文の中の「安静、栄養、保温」という言葉を全部削除していた。その時それがアメリカの文献に裏打ちされていることを知ったのである。

◇札幌の麻布脳外科病院の話がNHKテレビで2度放送されたが、ほとんど全身麻痺で植物状態と思われる患者さんを受け入れて、ほんの僅かに残されている機能、例えば目を動かすことや口を開けることなどを使って、話しかけたり、紙に書いた字を見せたりした、それに対する返事をイエス・ノーで答えさせ、意思の疎通をはかって、リハビリをさせ、努力して体を動かすようにさせ、半年1年かかって車椅子で生活できるようにさせ、驚異的な回復をさせる。この時の病棟の師長はその後筑波大学教授になりました。それを指導した院長を始め脳外科の医師たちも大したものである。

◇だから私は、脳死をもって人の死とすることに異論がある。生きる意思があるから生きているのではないのか。それが外から判らないだけではないのか。

 と言うのは、私の経験では、意識がなくなると急速に抵抗力が落ちて、外からの細菌やウィルスに対する感染を起こしやすくなり、死に到ることが多い。

 またいろいろな事故や遭難事件での生存者に共通することは、生きることに対する執念であった。こんなことでは死ねないという一念が生還に繋がるのだと思う。「もうだめだ死んでしまう」と思う人は、すぐに死んでしまいやすい。

◇気管支喘息で突然死があるが、ある心療内科の医師の話では、パニックになるからだという。パニックになって、「呼吸が苦しい、呼吸が止まってしまう、もう死んでしまう。ああもうだめだ。」とどんどん悪化し、呼吸が止まってしまうのだという。確かに乳児は別にして、幼児の突然死は少なく、年齢が高くなるに従って突然死が増え、成人になってピークになる。子どものパニックは、母親がパニックになるとなるようで、母親が冷静になって子どもを励まし、必要なら救急病院へ連れて行くようにすると突然死にはならない。

 

 

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来たれ新たな社会主義

2022-10-27 18:18:40 | 社会主義

           新たな社会主義を求めて

         新たな社会主義

 私は今まで、世界の動きを少ししか見ていず、取り残されていました。

ところが最近、ある遺伝子学者の友人から、日本では科学ジャーナリズムが育っていず、世界から10年は遅れていると言われて驚きました。

 そこへコロナウイルス肺炎のパンデミックが起きました。私の持っている知識と蔵書から、すぐに分析してブログに載せました。2020年2月だったと思います。今でもそれが通用します。そこへ斎藤幸平の「人新世の資本論」と「未来への大分岐」です。その流れでジジェクの「パンデミック」、ボヌイユの「人新世とは何か」、その他に「暴力と不平等の人類史」、「反穀物の人類史」、「サピエンス全史、上下」、「暴力の人類史」、「資本主義と危機」、「なぜ脱成長なのか」、「人体600万年史」などで、遅れているのに気づきました。

 そこで考えたのは、人は本来の体の働きを発揮していれば、病気をしないのではないかということです。けがは別です。特に感染症も、がんも生活習慣病も精神病もです。それで医療はコモンではないと思っていました。感染症は、すべて動物由来であり、動物を飼育したり、売買するようになって生じたものです。野生動物にうかつに近づいてはいけません。

 がんも生活習慣病も、精神神経免疫学から言うと、ほとんどが現代病であり、なりやすい遺伝子とそれを発現させる環境、特にがんなら発がん物質などや、それとストレスです。

 そしてそれに加えて、じっと我慢する性格はがんになりやすく、仕事人間のように、仕事に命を懸けているように働き続けるタイプは、心臓血管病つまり、心筋梗塞になりやすく、

高血圧があると脳卒中になりやすくなります。これらの病気の治療を開発しようとするよりも、発生を減らすことの方が早いのです。

 だから国によって、つまり社会システムによって発生する病気が違います。旧社会主義国は、社会主義体制をとっていた時と、社会主義をやめて以後では病気の発生頻度が変化しているはずです。今でも、自給自足の生活をしている民族はがんや生活習慣病が少ないはずです。遺伝子病も含めて先天性疾患の発生頻度は、ほとんど変化していません。

 医療は文化によって変わります。それはその社会によって変化します。狩猟と採集の世界では、医療はコモンではなく、電気と同じく、現代社会になってコモンとなってきたのではないかと思います。世界の歴史の見直しが必要だと思います。

 

 そこへ世界10月号の「戦争と奴隷制のサピエンス史」三宅芳夫の文でした。「地球生態系との関係(地球温暖化)で「人新世」という概念が提唱され」、「人類史規模の社会システム転換の必要性が認知されつつある」と言います。「大転換」が必要なことは疑う余地がないと。

 つまり地球温暖化の炭酸ガス原因説にはふれず、地球の生態系が壊されることにだけ触れています。政治的に避けているのかも知れません。人が原因の「人新世」ということには、結果的に賛同しかねますが、これが世の中の見直しが始まるきっかけになりました。

 斎藤幸平の言う脱成長のコミュニズムをはじめ、サンダースやいろいろな形で社会主義が提唱されています。「21世紀の資本論」を書いたピケティも社会主義者に転換したと言われていましたが、「来たれ、新しい社会主義」が出ました。その本の冒頭と、奴隷制の論文、それに「世界」の三宅論文を読むことをお薦めします。

 三宅は、「資本蓄積最大化の公理(つまり資本主義)を廃棄」し、「組織的に独占された暴力を最小化するシステム」が人類最後の希望であると述べています。

 今や、世界の先進国(北)内の貧困層(南)と発展途上国の多く(南)が、分断されています。かっての社会主義諸国や植民地から独立した諸国は、格差社会と貧困層、内戦などで多くの難民を出して難民社会を形成しています。

 私は、コロナによって気づかされました。パンデミックの起きる世界的な基盤、つまり格差社会と貧困層の拡大、福祉社会の削減が、世界中に渦巻いていたのです。その中で、その程度が比較的少ない日本や東アジア諸国に、コロナ感染が少なかったのです。

 中華文明は奴隷人口が顕著に少ないと言いますが、日本はどうなのでしょうか。

 債務により縛られる労働者も債務奴隷でありますから、遊郭の遊女たちは奴隷でした。それが東欧の旧社会主義諸国で広がっていると言います。

 狩猟と採集の社会、今でも残っているアフリカのブッシュマン族やアマゾンのピダハン族の社会では、戦争も奴隷制もない社会ですし、病気も少なかったのです。

 農耕と栽培、そして酪農の社会では、奴隷制と戦争と病気は切り離せません。そのつながりを、文明史、人類史として取り上げられてきたことに、私は気づかされたのです。

 これは急進啓蒙だけでは不十分です。多くの学者たちは、どうしたらよいかを口にせず、格差社会と貧困層の拡大をいうだけです。アメリカの社会学者デューイの社会分析を知り、それを実践したのがカストロでした。現代のカストロは、どこにいるのでしょうか。

 私は、慶応の学費闘争の原点に戻り、直接民主制による政治の決定、そのためには自主的な教育・自主講座や高等教育の普及、が必須と考えます。すべての重要事項の住民投票制、市町村の長だけでなく、首相の公選制など。

 沖縄が県知事選、衆参議員選ではオール沖縄側が勝つのに、地方自治体では負けるのは、自分の生活に密着した自治体でのことでは投票行動が違うのだと考えます。

 安倍政権が長く持続したのは、浮動票が投票されない状況、つまり焦点をぼかして選挙すること、固定票だけで戦う手法をとったのだという評論家もいました。

 そしてウクライナ問題では、世界10月号のムスト論文をお読みください。

                     

 

 

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