こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年10月25日 木曜日 Kajagoogoo 「Too Shy」'83

2012-10-25 23:07:50 | 音楽帳

■「風邪」的なる、なにがしかの行方
昨朝、出なかった声は、今日まだハスキーだったり・ノドが絡んだりするものの、痛みは消え、話せば話すほど通りは良くなった。
セキは出さざるを得ないこともなくなり、たまにセキをするとガラガラ音がするものの、特に問題は無い。
ハナ垂れ小僧も、たまに鼻をかめば済む程度。
頭痛もやんでいる。

「風邪」的なるもの発生から今に至るまでに、それらしき薬は葛根湯を1袋服用したに過ぎない。

結論から言えば、今回も風邪とは言えないのだろう。

「風邪の時には、酒を呑むな」という意見も多いが(風邪では無いから当てはまらないのかもしれないが)、何事も無く・いつもどおりビールを呑んでいた。

「風邪」的なる、なにがしか。。。
それは、未だ自分には、実に「あいまいもこ」としている。

■休み前の夜
明日は、定期通院の日で午後が潰れるせいもあり、仕事は休みとした。
その分、という訳でもないのだが、無駄なロスに「いらち」な自分にしては事務処理を片付ける為に、少し仕事を終えるのに時間を掛けてしまった。

長く仕事場に居るのは褒められたことは無い。
日本が「空気」にあらがえないように、それぞれの「場」の風土に縛られがちな日本の職場。
メールを一通書くめんどくささを思ったら、電話1本1分で済ませられた方が良いに決まっている。

まあ、今日は已む無し。

■結局、ここに戻ってしまう
いまさらジローだが、自分が80年代の初期に見た世界がキラめく様。
その刷り込みから離れられない。
1983年秋には、それまで続いてきた胃痛の末に、胃痛は胃潰瘍に発展し、入院に至るのだが、この秋の様を振り返るに、「どーしたものだろうか」と思う。

10月周辺の国内発売レコードだけを見ても、異常である。

U2の立て続けの12インチ・シングル盤、キング・サニー・アデの「ジュジュ・ミュージック」「シンクロ・システム」、ビッグ・カントリー&スタイル・カウンシル&モンスーンのデビュー盤、デペッシュモードの3枚目、XTCの「ママー」、バウハウスのラスト・アルバム、マガジンのリーダー、ハワード・デヴォードのソロ、ポリスの「シンクロニシティ」、クリス・レアの「ウォーター・サイン」、ロバート・パーマーの唯一テクノ臭強い名盤「プライド」、ヴァージニア・アストレイのファースト・アルバム・・・etc

「んん~っ」とうなる。
いったい、全体どうなっているのか?
この贅沢三昧の様は、異常としか言いようがない。

そんな中、当時の残像として忘れてはいけないのが、カジャグーグーの「トゥー・シャイ」。



いかにもアイドルちっくでミーハーちっくに思われた当時だろうが、このバンドの奏でる音色(おんしょく)がとても好きだった。
「ハング・オン・ナウ」などの曲も含めて。

確かデュラン・デュランがプロデュースしたと記憶しているが、まるでジャニーズの親分・子分関係のよう(笑)。
実質は、周辺エンジニアのチカラあってのこととは思うが、このカジャグーグーのファースト・アルバムは80年代では忘れられないもの。

80年代の多くのバンドが瞬時のまたたきをした後に、一気に落ちて行く美しい花火だったが、そのまたたきは、未だに私の中で輝いている。
カジャグーグーは、あっという間にヴォーカルのリマールが脱退してしまい、違う形態でのユニットと音感に変化してしまい、結果「カジャ」とバンド名を変え、その後消えていった。
しかし、忘れるわけにはいかない美しい花火だった。

■Kajagoogoo 「Too Shy」'83■


【オマケ写真】

いろいろあれども、まだ希望の糸がかろうじてつながっていた時代感が漂う。

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4 コメント

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中学時代 (三ノ輪銀座)
2012-10-26 00:58:38
風呂に入っていたら、中学時代を思い出しました。
当時は業者テストの最盛期。

3年生になると、日曜日は模擬テスト。
1回2千円でした。
志望校をふざけて「筑波大駒場」とか書くと
志望校を変えたほうがいいでしょう、って返ってくる。
現実的な志望校を書くと、もっと上を狙えって書かれます。

都立の受験は、国数英の3教科は我々が最後で
かたちんばさんの学年から5教科になったはずです。
私立高はどうでしたか。

中学校でも「アチーブ」っていう業者テストで偏差値が出ましたね。
「教育」と「生きるために考える」行為は別と、分かる今 (かたちんば→三ノ輪銀座さんへ)
2012-10-26 09:45:28
自分は、かなり受験受験・・・その果てに未来・・・
とミミに巨大タコが出来る渦中に閉じ込められた期間が長すぎたので、テストも無理強い勉強にも子供にも興味がありません。
DELETEキーで抹消したようなものです。

とはいえ、それも「ボクのカケラ」であることは否定できない。

三ノ輪銀座さんの話しから思い出すことはありました。
話すと自慢に聞こえるでしょうが、事実なので記します。

様々な塾通いを無理矢理させられ、模擬テストもさんざんさせられました。
ただ、そこで学んだものは何も残っていない=ゼロでした。

楽しみは行き帰りの寄り道と、友としてのラジオを聞くこと、電車に乗ること。

そんな中、自分は国語と算数のみは人から教えられなくても自由だったので、それのみでしのいできたのが現実でした。
理科・社会・英語は全く駄目。
しかし一定の点は稼いだので、偏差値は中3時点で70でした。
まあ、これが最後の華で、高校に入った途端に、一気に堕落世界に入っていく。
中島らもさんが灘高校には入ったものの、その後奇妙なる楽しい(後になって言えることですが)世界に入っていく当たりの話しを、興味津々で読みました。

うちの中学はみんな「お手手つないで、日比谷高校へ」というのが有り体な流れでしたが、これ以上こんな連中と一緒には居たくない、と都立は全拒否して、私立しか受けませんでした。

親とは複雑な関係。
当時、慶応早稲田以外は許されない恐怖の親の巨大な存在。

そこしか受けさせてもらえず、結果全滅し、最終的にたどり着くのが、巣鴨高校の二次募集。
百数十人来て、3人合格の試験。
かろうじて、最後の最後で、首の皮一枚つながる。

これが落ちていたら。。。と思うと、その後は、また別の道が開かれていたのでしょうね。
いずれにしても、紆余曲折。
それはそれで、自分の一部として、今では受け入れられる若き日の望楼と捉えています。
受験 (三ノ輪銀座)
2012-10-27 01:30:35
慶応早稲田しか許さない、っていうのは
エスカレーター式に大学に行って欲しいという
親心でしょうか。

私は、都立に絶対落ちるな、と言われたので
1ランク下げて、偏差値50くらいの普通科に受かりました。

私の中学だと、半分近くが高校に行けなかったです。
私立なら行けそうな友人には、お金が無いからと言われました。

下町の中学は荒れていましたね。
単なる・・・ (かたちんば→三ノ輪銀座さんへ)
2012-10-27 01:52:50
親心ではなくて、エリートくそ思想に洗脳された彼らの当時の様だけです。

金銭面を考えれば、当然都立でしょうが、彼らがその気なら・・・という対立軸しか当時はありませんでした。
ぜいたくと言われても仕方が無いですが、殺すか殺されるかの心境の日々であったもので。

中学時代は、何とか銀ばえ・なめネコ・金八先生・・・・等々よぎります。
荒れまくっていましたね、確かに。

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