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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

土屋昌巳へのシンパシー

2008-06-19 22:07:42 | 音楽帳


土屋昌巳というヒトへの興味というのが、尽きないのは、自分に似ている面があるからだと思っている。

当然、一風堂やソロの音楽も好きだが、駄目な面もあり、そういうのも含めて、興味の対象である。

***

土屋昌巳は、80年代、自分が持つ能力以上の地点に自分を持っていくために、様々な道具を駆使してきた。

YMOが「日本」を誤解させる策を外国に取ってきた手法、「化粧」や「不思議な発言」に匂わせる神秘主義的誤解の利用、ヨーロッパ音楽の明らかなるパクリ…。
そういったもので、とりつくろってきた。

最後の一風堂のメンバーであったはずの見岳章からは、秋元康との対談で、「土屋昌巳というパクリで音楽作っているヤツとユニット組んでたんだけどさあ~」と言われる始末。
<見岳章は、美空ひばりの「河の流れのように」を作曲し、たぶん、一生、安穏と暮らせるから、こういうことを平気な顔して言ったのだろうが・・・>

また、兄貴分であり、師であったはずの、坂本龍一からは、別離宣告をされる。
〈これは1981年矢野顕子の「またあおね」ツアーで一緒にやっていた時期は問題なかったはずだが、1982年ジャパンのギタリストに指名され・同時に・「すみれセプテンバーラブ」がヒットした際に、宣告されたもの〉
坂本龍一にとっては、自分が利用されていることと、模倣されていることへの嫌気だったのかもしれない。

***

いっぽうぼくはといえば~プラトニック…
ではなくて、自分は秀才の兄貴を持ち、同様のプライドを持つことを親から強要されながら、結局は「兄貴もどき」な表層的な!「芝居」をし続けて、その限界点で精神破綻し、ハタチで自殺未遂を行うに至った。

兄貴は、6歳上で、文学少年だった。永田町小学校→麻布中・高→東大→博報堂→独立と、手の届かぬ存在になっていくのと、相反して悲劇的に没落していく自分。

土屋昌巳と坂本龍一の関係にも、同様の匂いを自分は感じてしまう。

自分は、自分の再構築とリハビリを送り、何とか世の隅っこで、メシを食えているが、時に現れる、不安や鬱は、「かくあるべき自分」と「現実には才能も能力もない自分」との間に現れる落差現象のなごりだと思う。

***

よく自分は、仕事上「自分がない」と言われる。
似た感触を、土屋昌巳に感じたりもする。

かつて、ジャン・コクトーを、盗みの達人と言うコラムを見たことがある。

そこには、美少年を横に、にやにやしながら、その美少年を見やるジャン・コクトー少年だった。

***

ヒトから盗んだものを自分なりにカタチにすることは「影響」というが、これと、「パクリ」の微妙な違い。

自分は、明らかに、装飾を全て剥いでいけば「自分がない」のだろうと思っている。

ただ、一方、ニンゲンなんてそんな程度のもんじゃねえか・・・とも言いたくなる。

***

土屋昌巳には、素晴らしいギターテクニックと、「不思議、大好き」の才能はあるが、かなり無理をした80年代ではあったと思う。

しかし、それこそが80年代だっただろうし、彼の無理はきちんと、時代にキズを付けた(FILE=時代にキズを付けろ というツアーがありましたね)と思っている。
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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (通りすがり)
2008-06-20 01:04:38
この記事を読めば土屋さんは「自分」の人生を持って自分の言葉で語っておられることが分かりますよ。
http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/tsuchiya/
模範というのは、ある意味エゴから離れた世界への畏敬だと思います。
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