考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

をを!シンクロニシティ

2006年07月03日 | 能楽
私の「能のワキ方」をお読みくださった方は、ブログ「内田樹の研究室」をご参照ください。冬ソナと複式夢幻能が劇的同一形式を持っていると述べられています。で、私が書いてない(書けっこない)夢幻能についてのより深い意味が書かれています。

私のテレパシーが通じてたのかしらん♪♪

2 コメント

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内田テクストは、 (Damien)
2006-07-05 21:10:20


 「夢幻能」にラカンやジジェクを下敷きに、レゴ・ブロックを積むように創られた/造られた職人芸だと言っても良いと思います。



 で、ほり様のテクストで充分なのです。過不足はありません。



 ワキと前シテと後シテの綾(構造布置)を、どれ位使いこなせるかが問題になるかと思われます。



 おきばりやしておくれやす



むつかし (ほり(管理人))
2006-07-05 21:37:05
Damienさん、コメントをありがとうございます。



冬ソナを知らないので、何とも言えないのですが、能の構成の凄いところは、ストーリー展開上の役割を定型化してしまっているとこなんですよ。うん。それで、全部、済ませてしまう。なんという効率の良さ。それでも面白いってことです。



で、内田先生は、「物語(あるいは言葉)」の読み手です。私は「舞台(演者)」の読み手だったんです。私は舞台や演者を「読んで」いました。



通常の観客は、「物語の読み手」です。私が能を見ていて、実は、どうしても限界を感じたのは、自分が「物語の読み手」になれなかったことです。だから、能を見た感想を人と話しても違和感がありました。(←関係ない独言だね、これ。笑)

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