考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

めっちゃ一生懸命に頑張って人並みかそれ以下の思い出

2007年07月31日 | 教育
 体育と物理である。

 体育は、どんなに一生懸命に走ってもほとんどビリだった。短距離も、長距離もである。小学校の運動会は毎年イヤでイヤでたまらなかった。(運動会がなかったら、私の小学校生活はどんなにか楽しいことだったろう。)いつも徒競争がある。6人走れば、5位か下手をするとビリだった。我が人生最高の成績は、4年生の時の障害物競争4位である。覚えている障害物は、網の中をくぐり抜け、紙でできたのっぽの三角帽子をかぶって平均台の下をくぐり抜けるもの。平均台が2つ直列に並んでいた。高さがビミョウに違っていて、トラックの内側の方がやや高く、外側が数センチ低かった。他の子は内側の高い方をくぐり抜けようとしていて混雑していた。私は不利な方、でも、誰もいない外側に向かって駆けていき(だって、走るのが遅いのだから、他の子はとうに平均台に到達していたのだ。)地べたに這い蹲って平均台をくぐり抜けた。その後、一生懸命に走って、それで「4位」になった。生涯最高の「好成績」である。4位は入賞にならない。それでも、4位の旗の前に腰を下ろしたとき、私はとても誇らしく思った。見に来ていた家族からは「人と違う方向に走っていくからどこに行くんだろうと思った」と言われた。しかし、私に言わせればそれが「勝因」だったわけだ。苦手だけれど、勝ちたい一心で一生懸命にやった。
 授業はよく見学をしていたと思う。中学に入ってからは、記録が残っている。「健康手帳」が出てきて「風邪を引いたから」と計7回見学をしているのがわかる。(3年の時は休んでいないようだ。)回数として少なくない方だと思う。体育が好きな子なら、風邪程度で見学するようなことはない。
 小学校の時から、卓球だけは若干得意だったかもしれない。休み時間には競って卓球台に行った。高学年になってからは、授業が終わってからも体育館が開放されていたのかな何なのか、みなでよくバドミントンをした。(そう言えば、着替えてもいない。私服だったし。)クラブのようなものだったとも思う。何か大会があったのかもしれない。が、もちろん私は選手でない。でも、得意不得意にかかわらず、させてもらえてとても良かった。身体がそれなりに鍛えられたと思うのだ。逆上がりも練習した。授業中だけでできるようになったとは思えないのだが、どうだったのだろう。事情があって突然中学入試をうけることになり、逆上がりがそのときの体育の課題だったから覚えている。確か出来たはずだ。(体育も受験教科にあった。ちなみに美術も音楽もあった。美術は、自分の文房具を組み合わせてデッサンさせるという課題で(これは得意♪)、音楽は、曲が流れて何の曲か、使われている楽器を3つ書け、という課題があった。「双頭の鷲の旗の下に」だった。教科書に載っていて、音楽の時間に聞いたことがあったから分かった。楽器は、オーケストラだから何でもいいはずだが、そのことに気が付かずとても困った。自信なく「ホルン」と書いたのを覚えている。)体育は、逆上がりをして、その後は続いてマット運動である。飛び込み前転をしてもう一度前転、次に後転だったような気がする。側転もあったかな。一応それなりに出来た。前転や後転、側転は、家で、布団の上でときどきやって遊んでいた。くるくる身体が回るのが楽しかったのだ。もちろん、小学校の授業でやったからである。
 高校は、「保健」と「体育」に分かれる。体育はとにかくダメだから、保健は一生懸命に勉強をした。しかし、通知表の合計点は「保健体育」として出ていたような気がするんだけれど。(思い込みかな?今は保健と体育は異なる科目になっている。)成績は、どんなに頑張っても小数点第1位まででる平均点(100点満点)を切り下げた数字だった。例えば64.7点が平均なら、64点が私の点数だった。常にそんな感じ。(どうやって成績を付けていたのだろうと思う。いつも数字ができすぎているから不思議でならなかった。)よって、一度も平均点を超えたことがない。まあ、さほど欠席せずに真面目にやればほぼ平均はくれたということなのだろうか。

 もう一つは物理である。(何度も書いている。)高校2年で履修した。3年から文系と理系に分かれることになっていた。理系を目指していたが、生物は点が取りにくいと聞いていたので、選択するなら物理と思っていた。
 ところが、1学期の力学がさっぱり分からない。もともと、小学校の算数でも、列車がすれ違う、追い越すなどの時間を求める問題が苦手だった。中学では、斜面を物体が落ちるなどの分野が苦手だった。小学校?の時から釣り合う滑車の重さを求める問題も苦手だった。そもそも力学の才がないのである。
 理系目指して一生懸命に勉強をして、それで平均点に届かない。60点が平均なら40点か。そんなものだった。授業は、先生が黒板にどんどん式を変形させて計算していく。しかし、なぜ、そのように変形するのかがわからない。写すだけで精一杯だった。また、私のクラスは特に物理の出来の悪いクラスで、先生の「操作」で(上げ底をするのに対数を使ったと言っていた。笑・自分も教員になって、これを思いだし、同様に利用したことがある。)赤点は免れたものの、これではいけないと、夏休みは猛特訓をした。夏休み明けの実力試験を目指して、10日間、物理だけで毎日2時間猛勉強をしたのだ。毎日2時間だよ、2時間。物理だけで丸2時間!問題集も買ってきた。とにかく、徹底的に問題演習をして試験に臨んだ。その結果は、なんと、最初のグラフを書く問題でミスをして、結局、○が一つ、△が一つの一桁の点数である。クラスには、100点の子もいるテストである。答案の返却時、先生はこんなに真摯に物理に取り組んだ私に向かって言った。「ほり、ふざけている。」
 最初は目が点だったが、席につく頃には笑いがこみ上げてきた。あれだけ一生懸命に勉強をして、この点数である。なかなか笑えるじゃないか。で、全くがっかりしなかった。瞬間、理系への夢をキレイさっぱり諦めた。実にすっきりした気分だった。
 後で答え合わせをすると、最初の問題、グラフを書く問題で目盛りを間違えなければ「念願の」平均点は取れていた。しかし、もし、それで理系に進んで物理を選択していたら、私は死んでいただろう。文系でも、3年の勉強はハードだった。英語や古文や社会(当時は日本史・世界史)に理系も文系もない。その上に、物理、数Ⅲが加わるのでは終わりである。それに理系の化学は有機で覚えることばかりらしい。(暗記は苦手である。)3年になって、文系で良かったと思った。思い返せば、あの一桁は、天の恵みだったのだ。
 2学期は波動だった。波動は分かりそうな気がしたので、これまためちゃ一生懸命に勉強をした。すると、かろうじて平均点にたどり着けたのだ。嬉しかった。友人にも似たようなのがいて、二人で「嬉し~」と手を取り合って平均点を喜びあった。そうやって、物理履修の1年が終わった。

 それでも物理の中で最も重要な力学が出来ないことに変わりはないのだが、私は夏休みのあの10日間、一生懸命に物理を勉強して本当に良かったと思っている。見ようによっては、全くの「徒労」にすぎない。しかし、徒労にも意味があるのだ。

 あれだけやって出来ないのだから、私は本当に物理が出来ないと言うことがよーーーーくわかった。先生になって物理の先生と話をすると、「そんなの常識じゃん」がわからない。常識のレベルが違う人の相手になれるわけがない。
 
 これはマイナスかもしれないが、私は確実に得たものがあると思う。まあ、自分のやったことが徒労か徒労でなくなるかは、そこから何を得るかではないのか。

 実に私は、物理ができる人を尊敬できる。工学部って、凄いなぁと感心する。(だって、みんな物理をやってるんだもの。で、異様に工学部びいきで、生徒に勧めたがる。笑)飛行機が飛んだり、大きな建造物に感動を覚えることができる。これって、すごい「能力」じゃない?

 それに、何より、今でも(何回も書いてるけど)私は物理には並々ならぬ興味があることだ。お陰で、訳の分からない一般書を読む。で、高校を卒業して何年も経って、数学で学んだ「n次元のベクトル」の意味が理解できた。アタマの中で、矢印がゆらゆらし、n次元に何やらなるほどと思われる実体感がでてきたののである。(物理学科出身の数学の先生が認めてくれたからきっとそれでいいのだと思う。)でも、学校で余りものの物理の問題集を借りて挑戦してみてもやっぱり出来なかった。(そんなヒマがあったら、英語をした方が良いのだが。あ、これも昔の記事に書いたな。)
 それでまた、私には大いなる「夢」がある。(これこそ物理を懸命に勉強したお陰だと思っている。)ブライアン・グリーンのThe Elegant Universeやリサ・ランドールのWarped Passagesを原文で生徒と一緒に読むことである。(まあ、リチャード・ドーキンスでもいいんだけれど。)今は読めない。読んで分かるところも多少はある。しかし、分からないところが非常に多いのだ。(笑)これは、英語が分からないから読めないのか、それとも物理の常識や知識がないから読めないのか、そのどちらなのか、まあ、両方のような気はするが(笑)、それすら分からない。これでは生徒と一緒に読めないよなぁ。去年から積ん読状態だ。
 ああ、まだまだ道は遙か彼方、遠いよねぇ。


「生活の知恵」と「学問」の違い

2007年07月27日 | 教育
 食べ物や料理だったら、味付けを濃くしたり、塩漬けにするとモノは腐りにくい。ハンバーグは、しばらく寝かしてから焼いた方が美味しい。魚に塩して焼くときは、しばらく置いて水を拭いてから焼いた方が美味しい。天気に関しては、夕焼けの次の日は晴れるなど、言い伝えや経験から学び取ったことは「生活の知恵」として尊ばれるだろう。(わたしの苦手な分野である。)

 こういう知識をたくさん知っている人は、昔は知恵のある人だと尊ばれただろう。(今もそうだろうけど。)だって、その通りにすれば望み通りになって、役に立つから。或いは、今後の役に立たせることが出来るから。
 これは、「AならばBになる」と言う予測だったり、事実だったりする。

 これに一番近い学校の教科は「理科」だろう。で、まず「観察」から入る(と思う)。事象(生き物も含めて)の観察が大事で、変化などを時系列に沿わせて見たり、空間的に観察したりする(と思う)。
 しかし、「理科」でしようとすることは、上記の「生活の知恵」の「AならばBになる」ことを観察するだけでない。その事実と思われる事項に関して、「なぜそうなるのか」と考える。或いは「この変化は何を意味するのか」を考える。こういった「理由」や「意味」の探索こそが私は学問ではないかと思う。
 もちろん、全ては「観察」から始まる。しかし、「こうするとこうなる」だけで済まさないのが、学問と生活の知恵との違いだと思う。

 今は手っ取り早く「理科」を例に挙げたが、理科だけでないはずだ。「見える現象や事象」は、何も理科に限らない。実のところは、言語だって、文学だって、何だって、「目に見える事象や現象」が存在する。英語を例に挙げれば、「使えるようになる」だけでは、学問と言えない。国語だってそうである。「毎日使っているのに、なぜ勉強をしなければならないのか」に関しても、「使えること」は「事象」に過ぎないのではないか。そこに、何らかの視点を与え、「理由」や「意味」を見出そうとする試みこそが私は学問ではないかと思う。

 ところが、昨今の状況を鑑みると、この辺りのことがどうやら「生活の知恵」を求める傾向が強まっているのではないか。
 「AならばBになる」と言う事象を観察し、それを利用することが最も大事なこととされているようである。だから、「役に立つか、立たないか」が、コドモが勉強に見出す意義になっている。

 事象だけの観察結果は、「羅列」である。しかし、その奥に潜む「何か」を見出そうとし、普遍化出来るようになって初めて、本質的な「応用」ができるようになるのではないか。もちろん、羅列的に並んでいる事象の陰に隠れた何らかの規則性や法則性を見出すことはたやすいことではない。が、長い道のりを掛けて「普遍化」することを覚えて、ヒトは人間たり得たのではないか。数多くの羅列の集積は「過去」の集積であり、その結果から見出される「何か」は、きっと未来へと繋がっていくもののはずだからだ。
 基礎学問を重視する意義は、ここにあるだろう。遠い過去と見果てぬ未来へと続く道足りうるものなのだ。
 「生活の知恵」は、現代社会においても「現代の生活の知恵」として新たな何かが存在して良いだろう。しかし、それが勉強のすべてだと若い子どもたちが思っては困る。人間に「未来」がなくなり、ただの生き物としてのヒトになってしまうからだ。生き物は、多少なりとも記憶を持つ動物の場合には「生活の知恵」のようなモノを持っているのではないかと思う。しかし、そこに「なぜ?」と言う疑問抱き、解き正そうとすることができるのは人間だけではないかと思うのだ。



 

ゴミ

2007年07月25日 | 教育
 先日から講習が始まった。毎日だから予習が大変と言うか面倒。(生徒も大変。)
 休み明けの試験問題がまだだ。相棒はもう作ったという。私も早く作って他の先生に見て貰いたいのが気になる。
 今日の○○大の問題は、ひどかった。言わば、思いつきの書き殴りである。(もっと整理してから書け、と言いたい。笑)
 明日は△△大である。やや長いから時間が掛かるだろうけれど、今日のよりずっと論理的である。(少々くどい部分もあるけれど。)どうせ読ませるならちゃんとした文章を読ませたい。
 △△大の方がずっと偏差値が高い。やっぱり関係するのかなと思ったりする。

 昨日、卒業生から突然電話があった。1年か2年ぶりである。早く結婚した子だが、まだ赤ちゃんの下の子が大変な病気で今から手術だという。泣きじゃくっていた。今朝、手術はうまくいったと電話があった。しかし、大病である。親子ともども可哀想だ。再発しなければいいけど。
 げっ、と思う病名だった。病院は大きな病院と言っても、そう大きなワケではないと思う。でも、そんなところでも、そんな手術が出来るのだから、医学の進歩は大したものだ。高等教育普及による進歩も関与するだろう。底辺が広がればいいことはあるのだ。誇って良いことだと思う。世の中の人は、もう少し学校の勉強の価値を分かった方がいい。

 全く違う病院の話だが、ある看護師が「肺静脈云々」と言ってたから、ふと思い出して、「肺静脈って確か動脈血でしたよね」と言ったら、むにゃむにゃ言って「そうですね」と即答しなかった。私は数十年前の知識である。
 その前に、「おわかりにならないと思いますが、視床下部という部分があって・・」と話した人だった。視床下部の名前程度は中学か高校で習う。習った。生命の中枢で、何かホルモンなど出す場所のはずだ。が、「説明の仕方」というものがあるだろうと思った。

 わかるか分からないかは聞いた人の判断であって、説明する人が先に決めることではない。少なくとも私は、「こんなこと言っても生徒は分からないだろうなぁ」と決めてかかって授業で説明することはない。(言った後で、ああ、分からなかったかぁと思うことは度々あるが、それは別の話だ。)
 もっと言えば、「相手の程度に合わせた説明の仕方」があるものだ。でも、それができる人がホントにアタマの良い人だね。(まあ、だから、「ヒットラー」も出てくるのだろうけど。)

 終わり。近頃ゴミばかりですみません。
 

問題集の「静かな家族」

2007年07月24日 | 教育
 問題集に、ファミレスで食事をするのに、親子四人がほとんど何も会話しない、コミュニケーションがない、コドモは黙ってゲームに興じているという話があって、こりゃマズイだろう、家庭内のコミュニケーションは重要だ、じゃあ、その理由は何か、を英語で書かせる問題があった。(まあ、一種に自由英作文である。)

 模範解答を見ると(もちろん、英語で書いてあるけど)、コドモは家族の中で言葉を覚える。赤ちゃんの時からのコトバかけがないと話せなくなる、と言うような内容になっていて違和感を感じた。中には、家族は最小の社会で親のコトバから社会のルールや振る舞いを覚えるというのもあり、これが一番真っ当かなとも思った。

 私の解答は、「人間は太古以来共同体で暮らしてきた。コミュニケーションのない共同体はない。家族は最も基本的な共同体である。もし、コドモが家庭でコミュニケーションを覚えなかったら、より大きな共同体に所属することが出来なくなるだろう。」
 でも、これだけ書くと、語数オーバー、困ったな。2割オーバーだからちょっとマズイ。(英語はAETにOKを貰ったから安心だけど。)


終わった「鎌倉傘張り日記」(ゴミ)

2007年07月23日 | 養老孟司
 中央公論の6月号で「鎌倉傘張り日記」が最終回になった。7月号、8月号と出ているが、養老先生が載ってないのが寂しい。
 茂木さんも確かに面白いのだけれど、茂木さんは、かなり文学的だから、私の好みには合いづらいところがある。私の原点(?)は養老先生だなぁ。

 先日の「科学大好き土曜塾」で、ちらりの養老先生が出ていた。電子顕微鏡の話で、養老先生そのものではないから、ちょっと残念だった。

「英語は前置詞で読め」

2007年07月22日 | 教育
以上。

とだけ書こうと思ったけれど(笑)、ちょっと付け加えよう。

 I walked to school. でも、I ran to school. でも、I rushed to school.でも、I hurried to school.でも、何でも良い。要は、まずは、toから「学校へ行った」ことが分かることが大事だと思う。でも、この程度であっても、例えば、rushed がわからないから、「訳せない」とか「意味がわからない」等言う生徒がいる。(例が極端かな? これでは生徒に気の毒か。笑)

 前置詞ではないが、他でも例えば、I told him to go home. は分かっても、I warned him to go home.となると、お手上げになったりする。tell+目的語+to~の形をtellという動詞でだけ覚えている。askやadviseなども同様な形で使えて、それを知っているのに、askは「頼む」で、adviseは「忠告する」と「別の語」として覚えるから、「同じ使い方ができる仲間だろう、要は、彼は家に帰るのだ」という類推ができない。だから、warnでも何でもちょっと珍しい?語が出てくると、訳語を知らないから、「わからない」と言う。SがOに何かしろと言ってる、ことさえ分かればいいのに(もっと言っちゃうと、「Oが~する」ことさえ分かればいいのだよ。causeでも、enableでも、みんな一緒。)、まずは、そこを理解することが大事なのに、類推できない。
 この類の動詞を並べて書いて、「みーーんな同じ」と言って、やっとわかってくれるかな?(でも、askには、if節や疑問詞節が来て「尋ねる」という意味もあるから、「みーんな同じ」という言い方をすると、「違うじゃないか」と「頼む」と「尋ねる」両者の区別を付けることが出来ないような「気配」を感じる。だから、to不定詞の時は、「頼む」等と教えるけど。)
 「これとこれとは、この部分においては、同じ」の「この部分において」という理解が難しいようなのだ。で、「これとこれ」は視点の取り方で、さまざまに変化する。「仲間」が時と場合によって変化するから、そこが難しいようだ。
 それさえ分かれば、勉強なんて、けっこうすいすい行くと思うのだけど。

 で、前置詞に戻るけど、例えば、主語+動詞+to場所(場所でなくても良いのだけれど)では、動詞の意味が分からなくても、要は、Sがその場所に向かったのかな?くらいの意味が取れることが非常に大事だと思う。

 前置詞の理解が難しいのは、日本語にない、日本語とは異質のモノだからだ。「異質のもの」とは、何であっても理解が難しい。(当たり前ね。)それで、「試験」というのは、「理解が難しそうなもの」が出るのである。よって、前置詞には「常に」注意せよと言っている。
 それぞれが持つ「前置詞」の特性を自分なりに膨らませていけ、英文解釈をしながら、前置詞の感覚を鍛えていけ、と授業で常に言っている。辞書を引いたとき、自分が求める意味を捜すだけでなく、他の用例も見てイメージを膨らませよ。「ってことは、この前置詞はひょっとしたらこんな感じかな?」という視点で学習を積み上げろと言っている。そうすれば、応用力に繋がる。習ってなくても推測できるようになるものだ。

 こうさえ言っておけば、彼らの中で優秀な者は、私より遙かに英語に熟達するであろう。

SとVなんだってば。

2007年07月20日 | 教育
 久しぶりに記事を書こう~っと。(笑)
 生徒が質問に来る。「訳が分からない」が多い。「この文の意味が分からない」と言ってくることもある。
 大抵、SとVの探し方が下手なのである。特に、挿入などで途中にカンマが入ってくると、ダメである。「and」も危うい。カンマとandは、彼らの思考を切る。で、「わからない」となる。

 私は授業でいつも同じことしか言わない(言えない・笑)。
 Whenなどではじまって、タマタマややこしい構造になっている文は、まずなによりシンプルに「When (s)(v), S V.」と黒板の上の方に大きく板書する。基本がこれだからである。で、その下に、挿入だとか、分詞構文とか関係詞節を階層的に組み込んで書く。でも、生徒の多くは、見た目に派手な(?)挿入や、その他のワケが分からなそうな部分に目が行って、肝心の「主語+動詞」を見失うのである。とにかく、主語+動詞である。

 で、たったこれだけで、ふつーの生徒はかなり助かるのである。この階層的な構造が分かれば、どんな文も読めてくるので(もちろん、深い読み方とは別の話だが)、それなりに大学に挑戦していくことが出来る疑似?パスポートを得るようなものである。


ウッチー

2007年07月11日 | 教育
と、内田先生を呼ぶ学生がいるらしい。内田先生は、呼称は呼ぶ側のモノだから敢えて否定しないそうだ。(「逆立ち」に書いてあった。)

 はっきり言う。私は、内田先生の同僚になりたくない。(笑)

 大学の先生が面と向かって「ウッチー」と呼ばれ、呼ばれた方が自分のことだと認識してその学生の指導をしないのは、(推測ではあるが)他の大多数の学生が内田先生を「先生」「教授」などと、まとな呼び方をしているからであろう。全ての学生が内田先生を「ウッチー」と呼び始めたら、神戸女学院大学は、おそらく大学としての機能と質を失うであろう。

 で、一般論として、学校が悪くなるときは、往々にして、「生徒」が「生徒らしさ」を失うときである。先生の呼び方にしてもそうである。

 以前、何かの番組で、リーゼントで派手なネクタイの先生が紹介されていた。彼がその学校で「先生」として機能できるのは、他の先生が「ふつー」の格好をしているからである。その学校の先生みんながリーゼントにし始めたら、その学校は学校らしさをあっという間に失っていくだろう。

 で、往々にして、そうした「彼ら」は、他の人はしていない、自分だけだから許されることである、ということに気が付いていない場合が多いように思われることだ。(学校は、生徒から評価とは、かなり「相対的な尺度」で見られるところです。)生徒にしてもそうである。他の子が真面目だから、自分だけ不真面目でも学校がうまくいっているという事実に気が付かない。(脱税者がごく僅かであれば社会が回っていくのと同じである。)
 
 で、(話は元に戻るが)ここ(上記の「逆立ち」の部分)を読んで、実は私、「やっぱり」と思いました。だって、こーゆーこと(つまり、自分だけだから許されるのだ、というある意味の横着)をしないと、「人気教師」にはなれませんから。だって、学生に言わせれば、せっかく素晴らしい親しみを込めて「ウッチーと呼んでやっている」のに、「なんだ、その呼び方は!」なんて叱られたら、その先生のこと、ちょっとだけイヤになって嫌いになっちゃいますもの、ね。

 「人気者」にとって、「誰であろうと、今自分の目の前にいる存在」はとても大事なのです。決して気を損ねてはいけませんもの。