認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

「物忘れはボケの始まり」という格言は、正しいのか誤りなのか(B-79)

2017-04-01 | アルツハイマー型認知症に対する正しい知識

年とれば 堰切るごとに 物忘れ

   あれよあれよと 言葉を知らず

                                   By kinukototadao

 (プロローグ)世の中に、「物忘れドック」なるものがあるのをご存知でしょうか?比較的小さな病院では見受けられないのですけど、大きな病院では、臆面もなく「物忘れドック」と銘打って、ホームページなどで診察を勧誘しているのです。犬の健康診断ではなくて、「アルツハイマー型認知症」の早期発見につながる診断と言う触れ込みなのです。ところが、その広告文言を子細に読んでみると、肝心の「アルツハイマー型認知症」については、基本的に良く分かっていないということが良く分かるのです。そこで今日のこのブログで、「物忘れ」の症状が発現してくるメカニズム(機序)について、脳の機能面、就中、「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ)の三本柱の機能との関係について、関連する「脳機能データ」にも触れながら、詳細に説明することにしたのです。よく分かっていなくてもテレビに出てくる人もいれば、よく分かっていなくても診察の広告を出す病院もあるのです。

 世界中の認知症の専門家達から、『アルツハイマー型認知症は、発病の原因が分からないし、症状を治す方法がないし、発病を予防することも出来ない』とされているのです。いくつか主張されている学説も、主張の内容と発病との間の因果関係が立証できない「仮説」のままというのが現状なのです。その「物忘れドック」では、「医学的・科学的にしっかりと検証された検査をして診断していきます」との説明がなされてもいるのです。『どんな検査をするのか」というと、通常のお決まりのコースでは、『「MRI検査」や「問診」』とあります。病院によって若干の違いは有りますが、だいたいの検査としては、まず「MRI」で脳内に異常(脳梗塞や脳出血や脳の萎縮の有無とその程度など)がないかどうかを調べます。また、記憶の倉庫(これまた仮説)とされる「海馬」という部位の萎縮度の検査をします。次いで、「記憶力テスト」や「認知機能テスト」を行い(但し、彼らが使用している認知機能テストは、脳の後半領域の働きの具合を判定するものであって、肝心の「前頭葉」の働き具合を判定することは出来ないのです)記憶や認知機能が低下しているかどうかを調べるというものなのです(肝心要の「前頭葉」の機能については、関心がないというよりは、無知なのでしょう。全くのこと触れていないのは、何も書けないということだと思うのです)。

  そして、こうした検査によって、患者に起きている「記憶障害」の症状としての物忘れの症状が「アルツハイマー型認知症」としての「記憶障害」の症状であるか否かの診断が出来ること並びに当該検査を受けることが患者の今後の「アルツハイマー型認知症」の発病のリスクとその程度についての指針となる(早期診断となる)とも謳っているのです。「物忘れドック」が診断の大前提としていること、それは、『記憶障害の症状が、様々な内容、程度及び態様の下で発現してくる「アルツハイマー型認知症」の症状の根幹(基礎)となる症状であり、その程度により、「アルツハイマー型認知症」の発病の危険度を判定できる』ということなのですが、実はこれこそが「重大な誤り」なのです。これは、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム(機序)に関する学説である「アミロイドベータ説」や「タウ蛋白説」や「脳の萎縮説」等の仮説と同じく、米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断基準である『DSM4』の規定の考えを正しいものとして単に踏襲した主張に過ぎないのです。実は、『DSM4』の規定では、「アルツハイマー型認知症」と診断する「第一の要件」として、「記憶の障害」の症状の確認を要求しているのです。

 私たちの「二段階方式」の手技が「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状(「脳のリハビリ」により正常な機能レベルに「前頭葉」を含む脳全体の機能を回復させ得る可能性の程度により、三段階に区分している症状の類型としての「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の各段階の症状)を生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能とその機能レベル並びにその発現としての症状の面から客観的に判定し、鑑別するのに対して、世界中の認知症の専門家とされる人達(学者、研究者、医師)は全て、単に外観からの症状のみを観察し、想像や推測や憶測により、自説を展開しているに過ぎないのです。そうした研究態度からは、回復させることが可能なレベルとしての視点から私たちが本当の意味での早期の段階として区分し、取り上げている「小ボケ」や「中ボケ」の段階の症状には、気づかないで居て(見落としてしまって居て)、且つ末期の段階である「大ボケ」の段階の症状を外観的に判断して、「記憶の障害」の症状が根幹をなしているとの誤解をしているだけのことなのです。

        例えば、「着ている服を脱ぎたがらず、便で汚れた下着をそのまま平気で着ている」、「風呂に入るのを嫌がる」、「服を正しく着られず、ズボンを頭からかぶったり上着に足を通したりする」、「家庭生活に全面的な介助が必要(食事、入浴、排泄)」、「自宅に居ても落ちつかず、出て行きたがる」、「大小便を失敗しても、後の処置ができない(大小便で汚れた下着を、押し入れなどに隠すようなこともあります)」、「今は昼なのか夜なのかがわからなくて、夜中に騒ぐ(夜中に起きてくる、家中の電気をつけて回る、会社に行くとか田んぼに行くとか言い張る)」、「痛んだものを平気で食べ、食べ物でないものでも口にする」、「独り言や同じ言葉の繰り返しが目立つ」等と言った症状が発現している原因は、それらの学説が主張する「記憶の障害」に在るのではなくて、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因して、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行した、言い換えると、殆ど機能しなくなってきている「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルにあることを知らないでいるだけなのです。私たちは「二段階方式」という簡便で保険点数も極めて低く安価ながら、極めて精緻なレベルで、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを判定することが出来る「手技」を持っているのですが、彼等はというと、CTやらMRIやらf-MRIやらSPECTやら、果てはPETまでも総動員して、極めて保険点数が高い機器を診断に思う存分使用しながら、売上高を稼ぐだけで、然も「アルツハイマー型認知症」の診断とは名ばかりで、殆ど何も分かっていないというレベルの診断を平然と行っているのです。

「物忘れドック」の謳い文句の一つに、「アルツハイマー型認知症」発病の早期診断というテーマがあるのですけど、以下に列挙する「小ボケ」の段階の症状(左脳、右脳及び運動の脳の全てが正常な機能レベルに在って、司令塔である「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに在る下で発現してくる「前頭葉」の機能障害に起因した症状)を観察してみると明らかなように、「記憶の障害」の症状はその欠片も確認されないのです。即ち、その謳い文句とは異なり、「記憶の障害」の症状に焦点を定めた「物忘れドック」の診断では、本当の意味での「早期の段階を」鑑別することは無理な相談だということが皆さんが以下に掲げる「小ボケ」の段階の症状の類型をみても容易に理解できることと思うのです。末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が発現してくると、日常生活面での「介護」が必要不可欠のものとなるのに対して、「小ボケ」の段階では、家庭生活面にも何等の支障がなくて、家の外に出て行って人と交わり何らかのテーマの遂行が要求される「社会生活面」で支障が出てくるようになるだけなのです。そうした両者の差異は、「記憶障害」の症状の程度の差異にあるのではなくて、ましてや、アミロイドベータ説という仮説が根拠としているアミロイドベータというタンパク質の蓄積量の差異に起因している訳でもないのであり、廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの差異(働き具合の差異)に基づいているのです。

 注)「小ボケ」の段階で確認される特有な症状の類型

 ○眼の光がどんよりしていて、表情に力がなく、無表情、無感動の様子が見て取れる

 ○問いかけに対する反応が遅くて、生き生きした笑顔が見られない 

 ○何事に対しても、意欲がなくなる

  (何かをしようとする意欲が出てこない様子)

  (何をしたいのかを思いつかない様子)

  (何をするにも億劫で、面倒がるようになる)

 (何事につけても、直ぐに人を頼りにする)

  (外出するのを面倒がり、嫌がるようになる)

  (おしゃれに関心がなくなる)

  (人付き合いを面倒がるようになる)

  (新しい道具を使うのを面倒がるようになる)

 此処と言うときに、その「テーマ」についての「発想」が湧いてこなくなる

  (会議などで、意見やアイデアを思いつかない)

  (料理の献立が単調になる)

  (いつも同じパターンの食材ばかりを買ってくる)

 ○肝心の「意欲」自体が出てこなくて、自分で計画して何かを始めようとしなくなる

  (色々なことを自分で計画するのが面倒になる)

  (買い物に行くと、お札ばかり使うので、小銭がやたらと貯まるようになる)

  (料理の献立を考えるのが面倒になる)

  (家人に指示されると、草むしりや洗濯や片付けなど家庭内の用事程度のことはこなせるが、自分から  やろうとはしなくなる)

  ○「根気」が続かなくなり、何かをやり始めても、すぐに投げ出してしまう

 (テレビを見ていても同じ番組を続けて見ていられなくてチャンネルを直ぐに変えるようになる)

  ○機敏な動作が出来なくなる

 (歩く時も前かがみの姿勢となり、小股でトボトボと歩く)

  ○毎日ボンヤリとして過ごし、居眠りばかりするようになる

  ○食事の支度をしていて、鍋を度々焦がすようになる

  ○自動車を運転すると、軽微な自損事故が目立って増えてくる

  (歩道に乗り上げる、こする、バックの確認をしないでぶつかる)

  (信号無視や右折/左折のウインカーの指示を忘れる)

  (流れに乗れなくて、同乗者が怖いほど、スピードが遅い:交通量が多い広い道を、時速30Kmで走り、車の列を従える。「前頭葉」の三本柱の機能である「注意の分配機能」が廃用性の機能低下により異常なレベルにまで衰えてきていることが原因で、道路の状況、車や人の流れや交差点の状況等に目配りや気配りと言う「必要な注意を配る」ことが出来なくなり、真っ直ぐ走らせるのが精いっぱいの状況にある為、道の真ん中寄りを時速30Km程度の速度でノロノロ運転することになるのです)

 話の流れに乗れず、話の輪にも入っていけなくて、主題とは関係のない話を自分勝手に唐突に話す

 ○オルゴール・シンドローム現象が起きてくるようになる

 (同じ話を何度も繰り返して話していて、本人はそのことに気付かないでいる)

  ○社会生活に支障が出てくるようになる(人と交わり、コミュニケーションをとりながら何らかの目的に沿った行動が要求される家庭の外での生活、「社会生活」に支障が出てくるようになる)

 

冷蔵庫の扉を開けて、「あれっ!私、何を取ろうとしてたんだっけ?」。『あれよ、あれ!』、お友達と世間話をしていて、肝心の言葉が出てこないんです。夫に頼まれてメモってきてたのに、本屋さんで自分が好きな作家の本が目に留まり、立ち読みしてたら、夫に頼まれていた雑誌を買うのを忘れてそのまま帰ってきてしまい、電車に乗ってからそのことを思い出したのです。私だけ?皆さんも同じような体験がお有りでしょ!!今日は、皆さんが日常体験されていて、『物忘れは、ボケの始まり』とか言われると不安感を覚えておられるあの「物忘れ」の症状が発現するメカニズムについて、その概略を説明しておきましょう。

 物忘れの症状」は、皆さん誰もが自覚されている症状なのですが、30歳代になると既にその症状が発現してきて、年をとればとるほど「物忘れ」の症状が発現する頻度が多くなってきて、その程度も重くなっていくものなのです。そうした症状は、脳の機能面から説明すると、単なる「加齢現象」に過ぎないのです。「二段階方式」の手技を活用して判定すると、「前頭葉」が正常な機能レベルに在ることが分かるからなのです。更に、「アルツハイマー型認知症」の症状との関係で言うと、直接の因果関係はないものの、60歳を超えた年齢の高齢者である場合は、間接的にはあるというのが正しい答えなのです。「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム(機序)についての私たちの主張の内容はというと、発病の「第一の要件」が、『60歳を超えた年齢の「高齢者」であること』であり及び発病の「第二の要件」が、『ナイナイ尽くしの「単調な生活」という脳の使い方としての「生活習慣」の継続』であり並びに両者の要件が同時に充足されることが「アルツハイマー型認知症」を発病することになるということなのです。

 但し、そのいづれか一方の要件に該当するというだけでは、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないのです。此処で言う「第一の要件」とは、後述する、誰の脳にも生来的な性質として宿っている「正常老化の性質」に関わることであり、加齢に伴う「前頭葉」の三本柱の機能(意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能のことを言います)の老化のカーブの作用が、脳の機能面からは「物忘れ」を発現させる基礎となっているという限定的な意味で、「物忘れ」の症状が「アルツハイマー型認知症」の発病とは無関係の関係とは言えないというか、間接的な因果関係が存するということにはなるというだけのものなのです。「正常老化の性質」に起因して、加齢に伴い物忘れの症状が進んで行くとは言え、60歳を超える年齢の高齢者になった(発病の「第一の要件」を充足すること)というだけでは、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないからです。第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることが、「アルツハイマー型認知症」を発病する上での絶対的な条件となるのです。要点なので、混同しないでいただきたいのです。 

 対象となるものが何であれ、私たちが意識的に何かを考え、発言し、行為し、或いは行動しようとする際に、無くてはならない脳機能、それが、「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」という三頭の馬と協働しつつ、それらを自在に操る三頭立ての馬車の「御者」、言い換えると、脳全体の「司令塔」の役割を担っている「前頭葉」という脳機能であり、私たち人間だけに備わっている脳機能でもあるのです。「前頭葉」と言う脳機能は、私たち人間だけに特有の世界である「意識的な世界」(意識的に何かをしようとする世界)を構築し、支配し、統括し、コントロールしている機能であり、自分が置かれているその状況を判断し、状況判断に沿って為すべき「テーマ」を発想し、発想したテーマの実行内容を組み立てて、その実行による結果を推測し、シミュレーションして必要な修正を加え、最終的な実行の内容、程度及び態様を決定し、実行の決断に基づいて脳の各部に実行の指令を出すと共に、実行の過程を終始観察し、統括し、コントロールしているのです。

 

その「前頭葉」の個別認知機能(理解、了解、了知、了承、考察、考慮、観察、監視、鑑賞、観賞、感動、抑制、反省、内省、忍耐、思索、思考、企画、計画、シミュ・レーション、創作、創造、洞察、推理、推察、推認、推測、推稿、構築、構想、構成、校正、詮議、詮索、想像、空想、妄想、探求、追及、究明、創意、工夫、比較、検討、評価、判定、判断、修正、選択、排除、排斥、除外、分別、分配、確認、確信、決定、決断、支持、指示、指揮、采配、支配、統率、統合、統括等)の『機能の発揮度』を左右し、下支えする働き(「二段階方式」の活用により集積した「脳機能データ」の解析により、私たちが独自に発見した「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮上の「二重構造」の問題)を有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能には、『脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘らず「加齢」と共にその機能が直線的なカーブを描き乍ら緩やかに衰えていく』という生来的な性質(「正常老化の性質」)が内在しているということなのです。そのデータによると、『「前頭葉」の三本柱の機能は、「18歳から20歳代の前半まで」の頃がピークで、加齢と共に直線的なカーブを描きながら緩やかに徐々に衰えていくのです。そして、「第二の人生」が始まる60歳代の半ば頃には、ピーク時の半分くらいに機能が衰えてきていて、100歳代に向かって、直線的で緩やかに、更に衰えていくのです』。『加齢と共に、物忘れの症状の頻度が増していき、その程度が重くなっていく現象は、上述の「正常老化の性質」のカーブを色濃く反映した結果なのです』。

 我が国での有力な学説とされているアミロイドベータ説(アミロイドベータというタンパク質が蓄積して「老人斑」が形成され、その毒性が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を招くことにより「記憶障害」の症状が発現してくることが「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムであると主張する仮説)やタウ蛋白説(タウ蛋白というタンパク質が蓄積して「神経原線維変化」が形成され、その毒性が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を招くことにより「記憶障害」の症状が発現してくることが「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムであると主張する仮説)の主張は、それらの主張と「アルツハイマー型認知症」発病との間に存在する因果関係について、未だに立証が出来ていない単なる「仮説」であり【私たちに言わせると、「アルツハイマー型認知症」を長く患っていた結果として、末期の段階(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階)の更に後半の段階にまで症状が進行していった「お年寄り」、米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM4」の規定が要求している、失語や失行や失認の症状が確認された「お年寄り」達の死後の脳の「解剖所見」に共通して確認される「老人斑」(アミロイドベータ説が主張する根拠)や「神経原線維変化」(タウ蛋白説が主張する根拠)や「脳の萎縮」(脳の萎縮説が主張する根拠)を何の根拠も無しに取り上げて、それらが「アルツハイマー型認知症」の発病の原因だと各々の説が主張しているだけのことなのです】。これらの主張の内容が間違いであることは、簡単に立証することが出来るのです。

 何故なら、「アルツハイマー型認知症」の根幹となる症状とは、両説が主張している「記憶障害」の症状なのではなくて、「前頭葉」の機能障害の症状であるからです。認知症の専門家とされる人達(自称による専門家を含む)は、外観から観測される症状を意味もなく並べ立てるだけなのですが、私たちは、脳のリハビリ(「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる脳の使い方としての生活習慣の改善という方法)により回復させることの可能性の有無とその程度とにより、軽いほうから「軽度認知症」(回復させることが容易な段階である「小ボケ」)、「中等度認知症」(回復させることが未だ可能な段階である「中ボケ」)及び「重度認知症」(回復させることが困難な段階である「大ボケ」)の三段階に区分しているのです。その根拠となるのは、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも及ぶ生きた人間の「脳機能データ」なのです。檻の中で餌を求めて彷徨するマウスの行動から憶測により導き出した記憶障害の症状が原因だと考えるアミロイドベータ説の主張者たちとは根拠のレベルが異次元なのです。

 

「アルツハイマー型認知症」を発病した最初の段階(これを脳の機能面から定義すると、左脳、右脳及び運動の脳のいづれも正常な機能レベルに在って、司令塔である「前頭葉」の機能だけが異常な機能レべルに在るのが特徴なのです)である「小ボケ」の段階では、「記憶障害」の症状はその欠片も確認されなくて、全てが「前頭葉」の機能障害の症状だけなのです(「前頭葉」を含む脳全体の機能とその廃用性の加速度的で異常な機能低下に厳密にリンクしたものとして、私たちが類型化した三段階に区分する「アルツハイマー型認知症」の段階的な症状については、ここを「クリック」してください。各段階の症状が発現する基礎となっている「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルについて、「二段階方式」のような精緻な神経心理機能テストを活用して確認すれば、一見した限りでは「記憶障害」の症状を呈しているのかと誤解しそうな「中ボケ」の段階の症状も、「記憶障害」の症状が「アルツハイマー型認知症」の根幹となる症状であると主張する「権威ある人達」の主張内容が誤りであることを容易に理解することが出来るのです)。「前頭葉」の機能構造や意識的な世界の機能構造や「前頭葉」の三本柱の機能と「前頭葉」の個別認知機能との機能発揮面での「二重構造」の関係に目が行き、そのことを理解することが出来れば、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現のメカニズム(機序)が、私たちが独自に規定した発病の「第二の要件」に掲げている生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」に起因したものであることを容易に理解できる(分かってしまえば、コロンブスの卵程度の物)のに、『器質的な病変が発病の原因である』との誤った前提に立脚している上に、『「記憶障害」の症状が根幹をなす』との誤解に基づいた信念だけにしがみついていて、それがアミロイド・ベータを注入したアミロイド・マウスであろうとも、マウスのおしりばかりを追いかけていたのでは、何時まで経っても、発病の真の原因に迫ることは出来ないし、「仮説」の域から脱出することも出来ないのです。

  我が国で最も権威があるとされていて、専門家達からもその主張や学説を疑うことが為されない「東京大学」や「京都大学」の主張はともに、アミロイドベータ説(仮説)なのです。私たちが活動を開始した時から既に主張されていて、今猶、主張の内容と「アルツハイマー型認知症」の発病との間の因果関係を立証できないでいる「仮説」に過ぎないのです。我が国の製薬会社の規模とは比較にならないほどの規模である欧米の巨大な規模の製薬会社で、「アミロイドベータ説」の主張の考えに則って、「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発に挑んだPRJは、つい最近のことながら、相次いでその全てが失敗に終わっているのが現状なのに、我が国では未だに「有力説」として存続しているのが不思議な現象というしかないのです。

 

 世界広しと言えど、唯一の正しい主張内容である、『「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり、「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の構築と実践により発病自体を「予防」することが出来るし、私たちが定義する「小ボケ」及び「中ボケ」の段階、言い換えると本当の意味での「早期の段階」で見つけて「脳のリハビリ」に励めば、認知症の症状自体を「治す」ことが出来るタイプの認知症である』という私たちの主張内容は、北海道から九州に至る幅広い地域での440を超える市町村での実践の成果により確認され、実証されてきているものなのです。どこかの権威がある大学の医学部が私たちの主張内容を検証してくれさえすれば、私たちの主張の内容が正しいことが確認され、同時に権威が付与されることとなって、「二段階方式」の導入に今一歩踏み込めないでいる保健師さん達に導入と実践に対する勇気と確信を付与することが出来るのです。私たちが、時に、有名大学や権威ある機関の名前を取り上げて、その主張内容の重大な誤りを公然と指摘する行為は、我が国の文化にはなじまない面があることは承知の上で、公開の討論の場で、「いづれの主張内容が正しいかを競いたい」と考えるが故のことなのです(私たちは、公開討論により、いづれの主張内容が正しいかを競いたいと強く希望しているのです。

  公開討論の結果が、放置され、垂れ流しの状態に置かれている現状を打開する契機になると信じてもいるからなのです)。『「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、発病を予防することが出来ないし、治すことが出来ないタイプの認知症である』とするそれら権威があるとされている大学や機関が主張している「重大な誤りの内容を伴った主張」がこのまま存続していくと、我が国は、取り返しの付かない状況に追い込まれて行ってしまうことを危惧するのです。発病の予防も早期の段階で見つけて治すことも出来ないものとした誤った内容の主張が存続したままで放置されていると、「超高齢化社会」を下支えしている大切な制度である「介護保険制度」が財政面から破綻してしまうことは目に見えた問題だからなのです。

 認知症の専門家とは言っても、「アルツハイマー型認知症」については、私たちのレベルから見ると、全くのこと無知な人達ばかりなのです。厚労省の発表数字で460万人も居るとされているお年寄りは、末期の段階の症状が発現している「お年寄り」(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の「お年寄り」)であって、本当の意味での早期の段階の「お年寄り」(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階のお年寄りであって、「大ボケ」の段階の「お年寄り」の予備軍)の数は、「大ボケ」の段階の「お年寄り」の2~3倍にもなるのですから。このまま放置しておいて、良いのですか? 

 コーヒー・ブレイク) 一口に「認知症」と言っても様々な種類が数有るのですが、そのうちの大多数、90%以上を「アルツハイマー型認知症」が占めているのです。私たちのように、全国的な展開を行い、極めて軽い段階の症状を含む症例数を判定し鑑別した実績が伴っていないで、末期の段階の症例しか体験していないと、「アルツハイマー型認知症」が認知症全体に占める割合さえ確かな情報を獲得することは出来ないのです。

 ましてや受診する先が精神科となれば、家族は、『アルツハイマー型認知症の発病の原因は不明であるとか、遺伝的な要素も考えられる』等の風評が飛び交う中では、症状が「軽い段階」程度では病院に、ましてや精神科に連れて行こうとは考えもしないのです。娘や息子(発病者の孫)の結婚に支障が出てくると危惧するからなのです。末期の段階の症状が出てきて、更には、手に負えない段階にまで至らないと受診させようとはしないのです。その結果、末期の段階でしか発病者を診断する機会が持てなかった精神科医が、体験的に治らないものとの誤った判断を持つに至ったということなのです。精神科医自身が本態を見誤ってしまったということなのです

  私がかつて勤務していた病院は大病院であった上に、中核となっていた副院長の金子医師が、脳外科手術であっても、脳外科手術の成功だけではなくて、社会復帰が可能であるか否かの判断にもこだわり、様々な神経心理機能テストを開発して使用したのです。「アルツハイマー型認知症」を含む認知症を受診する為の専門病院(当時は、「老人性痴呆疾患センター」という名称が付されていました)として厚労省が指定した他の病院はその全てが精神科を受診の窓口としていたのに対して、私が当時勤務していた「浜松医療センター」と言う病院は、唯一、脳外科が認知症の受診の窓口であったが為に、北海道から沖縄まで、且つ、極めて軽い症状の段階の人達が数多く診察に見えたが為に、最初の段階から、真の実態に触れる機会が数多くあったのです(「アルツハイマー型認知症」だけではなくて、他の種類の認知症、認知症と紛らわしい他の病気並びに「アルツハイマー型認知症」の軽い段階から中途の段階を含む末期の段階に至るまでの各段階の患者に接する機会がとても多かったのです)。

加えて、元々は、脳外科でしたが、脳外科手術の後の社会復帰の可能性とその程度についての脳機能の状態を知る目的で様々な「神経心理機能テスト」を開発する業務と開発したテストの実施業務とを、最盛期6人の部下を抱えた私が責任者として主担当していました。その中の一つが、現在も私たちが使用している「かなひろいテスト」だったのです。脳外科手術を専門とする世界的な脳外科医であり乍ら、当時金子医師が脳外科手術から次第に離れていくに反比例する形で、認知症患者の診断数が他の疾患センターのそれと比較して桁が違う程の患者数の受け入れと診断により、私たちは認知症の専門家へと変身して行ったのです。東京都、神奈川県、静岡県及び愛知県に在住する超100歳老人の前頭葉を含む脳全体のイキイキ度の検査を世に先駆けて実施したのも当時の私達の研究グループだったのです。

  「物忘れ」の症状が発現するその原因は、海馬と言う脳機能の衰えに原因があるのではなくて、加齢に起因した「正常老化の性質」のカーブを反映した「前頭葉」の三本柱の機能の機能低下に基づいた対象情報の内容を記銘する際の「記銘度」が低くなってきていることにあるのです。学者達の間では、「短期の記憶」と「長期の記憶」とは、「海馬」が区分けし、選択しているとの学説(これまた、「仮説」の域を出てはいないのです)が有力視されていますが、この主張内容は、「前頭葉」の機能並びに意欲、注意の集中力及び注意の分配力から成る「前頭葉」の三本柱の機能についての無知からきた単なる推測という程度のものに過ぎないのです。海馬が様々な種類及び程度、態様から構成されている情報が出はいりする器官ではあるとしても、そもそもいかなる基準に基づいて、短期に記憶すべき情報と長期に記憶すべき情報とを識別し、区分けしているというのでしょうか。私達の日常体験に照らしてみても、全く納得がいかない「仮説」と言うしかないのです。

 

記憶」の対象となるべき都度の情報(左脳がらみのデジタル情報、右脳及び運動の脳がらみのアナログ情報から構成された様々な内容、程度及び態様から成る情報)を記銘する際の記憶の対象となるべき情報についての記銘度」は、脳の機能面から説明すると、記憶の対象となるべき情報を記銘する際に、「前頭葉」の三本柱の機能がどの程度働いたのか否かに左右されているのです。 

記憶の対象となるべき情報に対する自分自身の関心や興味が深く大きかったものであったり、体験した事象自体が強く激しい心の痛みや悲しみを伴うものであったり、大きな喜びや感動を伴うものであったり、或は、自身が何度も反復した内容であったりしたこと(意欲をもって、集中して、「記憶」しようと何度も何度も反復して覚えるための努力を傾注した情報等も含む)に起因して、よく「記銘」されたものであればあるほど、記銘度が高くなるので、その分よく「保持」され、その結果として、よく「想起」されるということなのです。その上、前々回のブログで詳説したように、「第二の人生」を送っている皆さんであれば、誰しもが、加齢による「前頭葉」の三本柱の機能の老化現象(「正常老化の性質」)の影響をもろに受けているということなのです。65歳時には、全盛期の半分にまで衰えてきている訳なのですから。誰の脳にも生来的なものとして内在する「正常老化の性質」が原因で、年をとればとるほど、「前頭葉」の三本柱の機能の働きが衰えてきているので、その分、「記銘度」が低くなり、「想起」もし難くなってきているということなのです。

  なお、記憶の対象となる情報の記銘度は、「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合を直接反映することになるのですが、更に詳しく言うと、「注意の分配力」の機能の働き具合に最も大きく左右されることになるのです。三本柱の機能の中では最も高度な機能であるが故に、「注意の分配力」の機能が他の機能に先行して加齢と共に衰えていくのです。「注意の分配力」の機能が加齢とともに衰えてきているという脳機能レベルの下で、複数のテーマに対し分配されて働いている「注意の分配力」の機能の分配の対象に在った情報のうちの一つに対する記銘度が低くて(記銘時に注意の分配がより多かった他の情報が一つ以上存在した状況下で)、当該情報を想起することが出来なかったという仕組みなのです。「MMSEの下位項目」の一つである「想起」と言う機能は、想起するに際して意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能レベルを反映するのですが、最も影響が大きいのは、注意の分配力の機能レベルなのです。「前頭葉」の三本柱の機能のうち、「注意の分配力」の機能が最も高度な機能であり、加齢による老化、「正常老化の性質」の影響が最も大きいからなのです。 

B77」で開示してある、MMSE 下位項目の項目困難度と題する表に見るとおり、私たちの「脳機能データ」によると、「MMSEの下位項目」のうち、最初に機能が衰えていくものとは、実は、「想起」という項目なのです。「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症と言う病気は、廃用症候群に属する「生活習慣病」であり(但し、此処に言う「生活習慣」とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣であることに注意する)、より高度な機能から順に衰えていくという明確な規則性が確認されるのです。

 思うに、か弱くて小さな動物としてのものでしかなかった私たちの脳は、過去の進化の過程で、「注意の集中力」の機能(何か一点に集中するための機能)よりも、(天敵に何時なんどき遭遇したり、或は襲われたりはしないかと、食事中も家族との団欒中も、木の実などの食料を探しているときも、常に周囲に気を配って、生きてきたので)「注意の分配力」の機能(異なった複数のテーマを同時に並行してこなす為の機能)の方をより高度な機能として発達させてきたと考えられるのです。立ったままの状態で眠ったり、脳の片方だけを交互に使って眠ったり、色々な動物の睡眠の仕方/取り方を調べてみると、そのことが良く理解されるのです。私たち人間の脳が、睡眠中、レム睡眠とノン・レム睡眠とを同じようなパルスで繰り返す仕組みであるウルトラ・ディアンリズム(超日リズム)を進化の過程で獲得したのと同様の仕組みではないかと考えるのです。

 

「加齢」により衰えてきているとはいえ、注意の分配力の機能をフル回転させて、仕事とは無縁の「第二の人生」を送っている日常の生活面での複数の「テーマ」を同時に処理している過程で(音楽を聞きながら、部屋の片づけや掃除をしながら、新聞を読んでいる夫とも会話を交わしつつ)、足腰が頓に弱ってきたことを自覚しつつ、二階への階段をゆっくりと上がって行き目的の部屋に辿り着いた時、「自分が何をしに」その部屋にやってきたのかが分からない(部屋に行く目的の情報を記銘するとき、同時に複数の「テーマ」に注意が分散されていて、二階に上がっていく目的となった肝心の情報に対して配分された機能の容量が小さかったがために「記銘度」が低くなったせいで、思い出せない)自分が居るということなのです。皆さん、「物忘れ」のメカニズムを知って、安心出来ましたか? 

 左脳がらみのデジタル情報はさておいて、右脳及び運動の脳がらみのアナログ情報について言うと、厳密に正確に、全体の且つ詳細な構成内容について想起することは殆どの場合不可能なことであって、記銘度が高かった情報からの構築による総体としての或る種曖昧な情報の想起であることは、私たちが日常的に体験していることでもあるのです。街角で見かけて思わず振り返ってみた程のハンサムな青年の顔や姿であっても、僅か2時間後には、その容姿や容貌や服装でさえも、はっきりとは思い出せない貴方が居るはずなのです。私たちには、「二段階方式」を駆使して集積した14689例にも及ぶ「脳機能データ」の解析結果という客観的な証拠があるのです。「物忘れ」の症状の進行について言うと、「加齢」と共に「前頭葉」の三本柱の機能の働き具合が衰えていくにつれて、対象となる情報を記銘する際の「記銘度」自体も低くなっていく上に、「想起」する際にも思い出しにくくなっていくという脳の機能構造があるのです。

  ちなみに、記憶は、記銘、保持、想起という脳機能要素から構成されていて、且つ其の順番の経路をたどります。記憶の対象となる情報の「記銘」に際しても、思い出そうとする情報の「想起」に際しても、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が必ず関与する仕組みになっているので、両者ともに、「前頭葉」の三本柱の機能の「加齢」による機能低下という要因に大きく左右されてしまうことになるのです。その結果として、『年をとればとるほど、物忘れの症状が進んでいく』ことになるのです。「物忘れ」が発現するメカニズムは、「アルツハイマー型認知症」が発現するメカニズムとは明確に異なるものであることをこのブログで確認しておいてください。

 加えて言うと、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが意識的に何かをしようとする世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」が正常な機能レベルに在る限りは、「物忘れ」がどんなに激しくとも、「アルツハイマー型認知症」の発病とは関係がないということなのです(「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムについては、ここを「クリック」してください)。

   吾が駄作ながら、ここで、一句。

        『物忘れ、反省と工夫が効けば、年のせい』。

「物忘れの症状」が常日頃気になる程のものになってきているのであれば、そうした状況、我が身が頻繁に「物忘れ」をするその状況に対する、貴方なりの自覚と工夫が出来てさえいれば(例えば、大事だと思うことは、メモにしたり、日付が絡むのであればカレンダーに書き込んだり等の工夫をするものでしょう。出来ていますよね)、それで良いのです。反省と工夫は、「前頭葉」の重要な個別認知機能の一つであり、状況に対する正しい認識と自覚と反省と工夫が自身で出来ているということは、すなわち、肝心の「前頭葉」が正常な機能レベルに在ることの証拠でもあるからです。 

 「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、ナイナイ尽くしの単調な生活習慣が続く生活状況の下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてくることに起因して発病するもの、就中、「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてくることから、認知症の症状の発現が始まるものなのです。その最初の段階であり、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルに在って、「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに衰えてきているのです。そうであるが故に、「前頭葉」の機能が正常な機能レベルに在る限り、「アルツハイマー型認知症」の発病は絶対に起きてはこないものなのです。このことは、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも上る精緻な「脳機能データ」が証明していることなのです。                          

  この肝心なことを、認知症の専門家とされる人達が分かっていないだけのことなのです。専門家と言いながら、肝心の「前頭葉」には無関心なのです。脳の「後半領域」の判定にしか役には立たない手技である「長谷川式」を使用して及び極めて重度の「記憶障害」の症状の発現である失語や失行や失認の症状の確認により、「アルツハイマー型認知症」の発病の有無を診断しているのです。「前頭葉」の機能や日々の「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下という性質について無知なだけでなくて、「アルツハイマー型認知症」そのものについても無知と言うしかないレベルなのです。いったい何を根拠にして、専門家と称しているのか、理解に苦しむのです。

 診察する医師の単なる主観である外観から観察されるだけの「記憶障害」の症状の判定だけでは、回復させることが可能な本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階を見つけることは出来ないのです。「認知機能テストと」言っても、脳の後半領域の判定テストである「長谷川式」を用いるだけでは、肝心の「前頭葉」の機能レベルを判定することが不可能だからなのです。その上、「DSM4」の「第二の要件」が確認を要求している失語や失行や失認と言った症状により「アルツハイマー型認知症」の診断を行っていたのでは、せっかく見つけても何の意味もないのです。失語や失行や失認などの症状は、末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半の段階で初めてその症状が確認される極めて重度の症状だからなのです(私たちの「二段階方式」で活用しているMMSEの基準に照らして言うと、30点満点のMMSEの得点が一桁の得点にならないと発現がみられない症状だからなのです)。「物忘れドック」とか銘打って、如何にも高度な診断を行うかの印象があるのですけど、そうした医療の現場では、CTやらMRIやらf-MRIやらSPECTやら、果てはPETまでも総動員して、保険点数が極めて高い機器をふんだんに診断に使用していながら、「売上高を稼ぐ」だけの名ばかりの診断が行われているのです。

  その上、何種類かの効きもしない薬を「この薬自体は、「アルツハイマー型認知症」の症状を治す効能は有していないが、ケースによっては、12年ほど症状の進行が遅れることが期待される」などという薬を処方してもいるのです。「アルツハイマー型認知症」の診断とは名ばかりで、殆ど何も分かっていないというレベルの診断を平然と行っていて、単に売上高を稼いでいるだけの診断が行われ、罷り通っているのです。末期の段階の、更に後半になって初めて発現してくる症状を基準にして「アルツハイマー型認知症」の診断をおこなっていると言うことは、診断を行っている医師自身も「治すことが出来ない」と知って診断しているということであり、そもそも何の為に、「アルツハイマー型認知症」の診断を行っているのかと問いただしてみたくもなるのです。

こうしたレベルの診断と投薬が行われている結果として、介護が不可欠となる末期の段階の症状を呈するお年寄りが何百万人も産み出されてきていて、「アルツハイマー型認知症」の診断、投薬及び「大ボケ」の段階のお年寄りの介護の為の費用に対して支払われる血税の規模が、年間で15兆円を超えるところにまで来ているということなのです。無関心でいても良いのでしょうか。国全体の債務の規模は、既に1100兆円を超えているので、『もう、どうなっても良い』というお考えなのでしょうか。皆さん、どうなのですか?

  実力のない権威が主張することを信じるのか、権威がなくても実績のある私たちが言うことを信じるのか、それは貴方の選択(「前頭葉」の機能)にお任せします。 サイチェン!

注)本著作物「Bー79」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

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