認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の発病を左右する2つの条件(B―77)

2017-03-01 | アルツハイマー型認知症の予防が国民的課題

 吾が秘策 起死回生の ここに在り 国士や何処 探し求めて By kinukototadao

皆さんの周りに居る人達、家族、隣人、友人、住んでいる地域のお年寄り等の中で、ボケたお年寄り、「アルツハイマー型認知症」を発病しているお年寄りがいますか、又は見かけたことがありますか。高齢化率が30%を超えている市町村、お年寄りが大勢集まって暮らしている地域では、ボケたお年寄り、「アルツハイマー型認知症」を発病したお年寄りの姿を見かけるのは、日常茶飯事のこととなっているのが、世界でも稀な規模での高齢者達が「第二の人生」を生きて80歳とか90歳とかまで生きる超高齢化社会を実現した我が国日本の姿なのです。こんなはずではなかったのにと思いませんか。誰もが、もっと明るい未来像を描いていたはずなのです。我が国全体での高齢化率が25%を超えているだけでなく、30%どころか40%を超える市町村の数がどんどん増加している状況下で、「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄りの数も増加の一途を辿っているのです。加えて、介護関連総費用(「アルツハイマー型認知症」の診断、投薬及び介護の為の費用の総額を言う)が、2015年度ベースで15兆円を超える規模になってきていて、このままでは、「介護保険制度」が財政面から破綻しそうな勢いなのです。このまま放置しておいて良いものなのか。国民全体としてもっと真剣にこの問題を考えるべき時に来ているのではないでしょうか。対処すべき劇的な解決策を皆さんに提示します。

& 「アルツハイマー型認知症」発病のメカ二ズム(原因)

〇 世界中の認知症の専門家とされる人達の共通の認識と見解

  誰でもが80歳とか90歳までも生きる(身体が持つ)のに、その一方で、脳がもたない(「アルツハイマー型認知症」を発病していて、末期の段階にまで症状が進行していて、セルフ・ケアにも支障が起きていて、日常生活面での介助が不可欠の状態にある)お年寄りの数が、厚生労働省の発表数字で460万人を現在既に超えていて、その数はこの先増加の一途を辿るものと予測されているのです。出生数が年々減少して行っていて、若年労働人口が顕著な減少の傾向を示してきているというのに、高齢者人口が増加しつつ、「アルツハイマー型認知症」の発病者数が増加の一途を辿っているのが我が国の姿なのです。様々な種類が数ある認知症全体の90%以上の割合を占めていて、認知症の専門家達から『原因不明で、治らない』と言われ続けてきた『「アルツハイマー型認知症」こそ、発病自体を予防することが出来るし、早期の段階で見つければ治すことが出来る』タイプの認知症であることを「二段階方式」を活用して集積した14689例にも上る精緻な「脳機能データ」を基に、詳しくお話しします。

ところで皆さんご存知ですか。一口に「認知症」と言っても、色々な種類が数あるのですが、そのうちの大多数90%以上を「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症が占めているのです。ところが驚くことなかれ、世界中の認知症の専門家とされる人達の共通の認識と見解によれば、「アルツハイマー型認知症」の発病原因(メカニズム)については、全く分からないとされているのです。様々な種類の認知症が数ある中で、『認知症全体の内の殆ど大多数、90%以上の割合を占めている「アルツハイマー型認知症」だけが、唯一、発病の原因が分からないとされている』のです。発病の原因さえ分かっていないので、発病自体を予防する方法が分からないし、症状を治す方法も分からないタイプの認知症とされているのです。発病の原因もメカニズムも分からないとされながら、一方で、学者達の間では、様々な仮説が主張されてきてもいるのです。『澱みに浮かぶうたかたは、且つ消え、且つ結びて、久しく留まりたるためしなし』という訳でもないのでしょうが、アセチルコリン説、アミロイドベータ説、タウタンパク説、脳の萎縮説等がその代表的なものなのですが、全てが仮説のままなのです。「仮説」という意味は、主張されている発病の原因なるものと発病との間の因果関係が未だに立証できていないということなのです。仮説の域を出ることが出来ないので、しばらく学会を賑わしていたかと思うと、その内消えていってしまうのです。これまで有力説の地位にあったアミロイド・ベータ説も、欧米の大規模な製薬会社による治療薬の開発プロジェクトの失敗が相次いだことで、これまでは少数説に過ぎなかったタウ・タンパク説がその地位にとって代わろうとしているのです。

とは言え、タウ・タンパク説の考え方の基礎自体も、アミロイド・ベータ説と同じ構造上の問題があるのです(「器質的な病変」が発病の原因と考える根本的な間違いを犯している上に、タウタンパクの蓄積により生じた神経原線維変化なるものが、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こすことにより、記憶障害の症状が発現してくるとの誤解に則った考え方に過ぎないのです)。学会での動向を覗いてみると、東大(玄米にアミロイド・ベータというタンパク質を注入したアミロイド・米という方法でワクチン開発による治療の方法を研究している)や京大(マウスにアミロイド・ベータというタンパク質を注入したアミロイド・マウスという方法で治療の方法を研究している)が唱えるアミロイド・ベータ説が我が国での主流となり、横行しているのです。

 & 発病の原因とメカニズムに関する私たちの主張とその根拠

○ 私たちが規定する「第一の要件」

私たちが独自に主張し、規定する「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」は、『60歳を超えた年齢の高齢者であること』です。実態面から検証してみても、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象者は、『60歳を超えた年齢の「高齢者」』に限られているのです。発病のメカニズムから言って、60歳未満の年齢の人が「アルツハイマー型認知症」を発病することは皆無とは言いませんが、極めて稀なことなのです。『働き盛りの若い年齢で、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が増えてきている』というNHKの報道番組は、センセーショナルな表題で視聴率を稼ぐには効果的だったのかもしれませんが、その報道の内容自体には「重大な誤りがある」と言わざるを得ないのです。「重度の記憶障害」の症状さえ確認されると、肝心の「前頭葉」(「前頭前野」を言う。以下、同じ」)の働き具合が正常なのか(「側頭葉性健忘症」)、異常なのか(「アルツハイマー型認知症」)の判定さえもしないで、言い換えると、「側頭葉性健忘症」との鑑別さえもしないで、「アルツハイマー型認知症」と診断する重大な過ちを犯しているのです。「側頭葉性健忘症」を発病している人(30歳代から50歳代までの若い年齢の人達であって、且つ前頭葉の機能が正常な機能レベルに在ることが特徴)の場合は、テレビ局の報道番組に出演して、自分が日常生活のどのような面で大きな困難を抱えているか、周りの人達からの支援を得るとしたら、どのような支援をして欲しいのか、それを極めて適切に、切々と、時には涙しながら訴えることが出来るのです。それとは裏腹に、「アルツハイマー型認知症」を発病している人(60歳を超える年齢の高齢者であって、且つ前頭葉の機能が異常な機能レベルに在ることが特徴)の場合は、本人には自分で判断できるほどの前頭葉の機能レベルにはないので、家族が判断することになるのですが、日常の生活ぶりをよく知っている家族は、末期の段階の症状が発現している「大ボケ」の段階にある場合は勿論のこと、たとえ「小ボケ」や「中ボケ」の段階であっても、「アルツハイマー型認知症」を発病している本人の姿をテレビの前に晒すことに同意するなど考えられないことなのです。驚くなかれ、「側頭葉性健忘症」についても、「アルツハイマー型認知症」についても、全くの無知と言わざるを得ないのです。NHKの報道内容に対する一般の視聴者からの信頼は絶大なものがあるので、国民全体に関わるこのような重要な「テーマ」の報道に際しては、単に担当ディレクターの一存によるのではなくて、NHKとしてもっと検証した上で、報道して頂きたいと、切に願うのです。

& 脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の機能に内在していて、誰にでも生来的なものとして存在する『正常老化の性質』という問題

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、私達が意識的に何かのテーマを考え、行為し、発言し、行動しようとするに際して、症状が未だ軽いときは「社会生活面」で(「小ボケ」の段階)、或る程度症状が進んでくると「家庭生活面」で(「中ボケ」の段階)、更に症状が進んでくると「セルフケアの面」で(「大ボケ」の段階)、様々な支障が生じてくるようになる病気なのです。「アルツハイマー型認知症」の診断について、世界で最も権威があるとされてきているのが、「米国精神医学会」が定めた「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM―4」という規定なのです。「DSM―4」の規定は、「アルツハイマー型認知症」であるとの診断に際して、その「第一の要件」として「記憶の障害」の症状の確認を及びその「第二の要件」として「失語、失行又は失認」のいずれかの症状の確認を要求しているのです。其の為、我が国で主張されているアミロイドベータ説、タウタンパク説及び脳の萎縮説のいずれの学説も全てその根拠を「DSM―4」の規定に依拠しているのです。なお、「第二の要件」は、正確には、「失語、失行、失認又は実行機能の障害」と規定されているのです(aphasia,apraxia,agnosia or disturbance in exective functioning)。結論から言うと、この要件には重大な欠陥があるのです。「実行機能」とは、「前頭葉」の機能のことを言うのです。失語は左脳がらみ、失行は運動の脳がらみ(但し、右脳の器質的な病変に起因して発現する失行の症状とは、発現のメカニズムが根本的に異なることに注意する)、失認は右脳がらみの症状なのです。失語の症状を呈するとは、例えば、日常の挨拶程度の会話さえままならないということなのです。失行の症状を呈するとは、例えば、ボタンかけができない、本のページをめくることが出来ない等なのです。失認の症状を呈するとは、例えば、日常使用するハサミや歯ブラシを見せても、それが何かが分からないということなのです。それらの症状の発現は、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進んだ結果、「前頭葉」を含む脳全体の機能について僅かな機能しか残されていないこと並びに注意の分配機能を中核とした「前頭葉」の機能と左脳、右脳及び運動の脳との協働作業時における統括及び統合機能の破綻により認知作業が殆ど成り立たなくなってきていること等が主たる原因で合目的的な行為が遂行できないこと、即ち、状況の理解と判断も、状況の判断に伴う発想も、更には、何をどのようにすれば良いのかの実行の組み立て自体が成り立たなくなっていることが原因なのです。更に言うと、失語や失行や失認の症状は、脳の後半領域の働き具合を判定するMMSEの得点が「30点満点で一桁の得点しかとれない」までに脳の機能が衰えてきている人達、末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半にならないと発現が見られない極めて重度の症状なのです。それに対し、最も軽い段階である「小ボケ」の段階では、 馬である左脳も右脳も運動の脳も未だ正常な機能レベルに在って、御者である「前頭葉」の働き具合だけが異常なレベルに在るので、「前頭葉」の機能障害の症状だけが発現してくるのが特徴なのです。「小ボケ」の段階のお年寄りは、セルフ・ケアの面にも家庭生活の面にも何の支障も起きていなくて、社会生活の面での支障が起きてきているだけなのです。「大ボケ」の段階のお年寄りは、セルフ・ケアにも支障が起きてきていて、日常生活に「介助」が不可欠なのです。「アルツハイマー型認知症」の症状として発現してくる失語、失行、失認という症状は、「記憶障害」が基礎となって(根幹に在って)発現してきている症状ではないのです。脳の働き具合と言う視点からは、失語、失行又は失認の症状と「実行機能」の障害とは、異次元のものであり、それを同列に扱うなど、もっての他のことなのです。我が国の認知症の発病者に対し適用する要介護度の認定基準の策定者達がそうであったように、「DSM-4」の規定内容の策定者も、「前頭葉」の機能構造や、「意識」の機能構造、或いは「前頭葉」の廃用性の機能低下等については、無知の人達の集まりだったのではないでしょうか。生きた人間の「前頭葉」の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下というテーマと「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに対応したそのアウトプットとしての認知症の症状に照準を定めて研究し、市町村での住民参加による「地域予防活動」の実践を指導し成果を挙げてきた私たちの目からは、「権威」がどれほどの物であろうとも、単に外観から見た症状を基礎としての空想、或いは憶測の類を出ない程度のものと言うしかないのです。

上記「第二の要件」の問題点に加えて、「DSM-4」が確認を要求している「第一の要件」の問題点について「脳の機能レベル」から説明すると、「第一の要件」と「第二の要件」に関わる症状は、診断時に同時に確認することが要求されているということなのです。言い換えると、「第二の要件」で確認が要求されている失語、失行又は失認の症状が確認されている人の「第一の要件」に規定されている「記憶の障害」の症状というものは、極めて重度のものと言うことになる訳なのです。脳の後半領域の働き具合を判定するMMSEの下位項目に、「時の見当識」という項目があります。「時の見当識」と言う機能が廃用性の機能低下を示すときには、日、年、月、季節、昼夜という順番で機能が衰えていくものなのです。私たちのデータによると、脳の機能レベルが「小ボケ」の段階に在るときは、5点満点の5点、「中ボケ」の段階に在るときは4~2点で、末期の段階である「大ボケ」の段階になると1~0点となるのです。就中、器質的な病変が原因ではなくて、廃用性の機能低下に起因した「アルツハイマー型認知症」の症状としての失語、失行又は失認の症状が確認される「大ボケ」の後半MMSEの得点が一桁になる人達は時の見当識の得点が0点になるのです。

皆さんは驚かれることと思うのですが、「前頭葉」と言う脳機能の機能構造、その働きの活性化や機能低下、就中、廃用性の機能低下の仕組み等について、更には「意識」の機能構造について、世界的にも殆ど分かっていないのです。これまで世界中の専門家達の間で、「前頭葉」は、脳の中の空白地帯と言われてきたのです。未だに殆ど理解されていないのです。私たちは、「二段階方式」と呼ぶ精緻な神経心理機能テストを独自に開発して、(京大のようなマウスではなくて)生きた人間の脳、就中、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能に照準を定めて、且つ、20年間にもわたって研究を続けてきた上に、北海道から九州まで全国440を超える市町村で実践による成果を確認してきたのです。その核心的なデータが、生きた人間の「前頭葉」機能の廃用性の機能低下に関わる14689例の「脳機能データ」なのです。   

どれほど著名な学者や研究者をどれほど集めてきて、「DSM-4」の規定内容を策定したのか知りませんが、私たちに分かっている程度のことさえも分かっていないと言うしかないのです。「DSM-4」の規定の内容である「第一の要件」及び「第二の要件」共に、規定内容に重大な誤解と誤りがあることは、このブログで既に何度も指摘してきた通りなのです。我が国の学者は、権威というものに弱いのか、「DSM―4」の規定を最初から疑ってもみないのです。そもそも、「第一の要件」が「第二の要件」の基礎(根幹)であるとする考え方自体が重大な誤りを犯しているのです。回復させることが困難な末期の段階である「大ボケ」の段階ばかりに目を向けるのではなくて、回復させることが可能な本当の意味での「早期の段階」、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階における様々な症状とそれが発現してくる基礎(根幹)となっている脳の機能レベル、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに目を向け、これを直視すれば、私たちの指摘が正しいことを容易に理解することが出来るのです。

「第一の要件」に規定され確認が要求されている、「記憶の障害」の症状は「アルツハイマー型認知症」の症状の基礎(又は、根幹)となる症状ではないし、「第二の要件」に規定され確認が要求されている失語や失行や失認の症状を診断の基準にしてしまうと、本当の意味での早期の段階、「脳のリハビリ」により正常な機能レベルに回復させる(認知症の症状を治す)ことが可能な「小ボケ」及び「中ボケ」の段階を見落としてしまうことになるのです。脳の使い方としての単調な「生活習慣」に基づくものであり、発病の原因が廃用性の加速度的で異常な機能低下を本質とする「アルツハイマー型認知症」の症状としての失語や失行や失認の症状は、回復させることが困難であり末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半にならないとその発現が確認されない症状なのです。このような症状を診断基準にしていて、「脳のリハビリ」により回復させることが困難になる末期の段階の更に後半の段階で「アルツハイマー型認知症」と診断することに何の意味があるのでしょうか。

我が国の医療現場の実態はと言うと、回復させることが困難な「末期の段階」である「大ボケ」の段階で見つけて、その上、効きもしない「薬」を何種類か処方してもいるのです。「症状を治すことはできないが、早期の段階であれば、ケースにより症状の進行を遅らせることがありうる」とされている薬は、効果の因果関係を判定する上で極めて重要な「生活要因」を見落としているのです(発病後の脳の使い方としての「生活要因」が、「アルツハイマー型認知症」の症状の悪化又は改善に対して、どのように影響するのかについての私たちの『「生活歴」に関する「脳機能データ」』の解析による「影響要因」の類型化については、ここを「クリック」してください)。 

猶、「アミロイドベータ説」という仮説は、アミロイドベータの蓄積により生じてくる「老人斑」(アミロイドベータ蛋白)なるものの毒性が情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こす結果として、「記憶障害」の症状(「アルツハイマー型認知症」の根幹となる症状が発現してくる)との「重大な誤解」に立脚しているものであり、「タウタンパク説」という仮説は、タウタンパクの蓄積により生じてくる「神経原線維変化」なるものが情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を惹き起こす結果として、「記憶障害」の症状が発現してくるとの重大なる誤解に立脚しているものなのです。哀しいかな、両者ともに、「DSM―4」が規定する「第一の要件」の内容が正しいものとしての、その前提に立ったうえでの仮説と言うことなのです。私たちが、『60歳を超える年齢の高齢者であること』を、「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」として規定する根拠は、実態面だけでなくて、「脳の機能面」という視点からのことなのです。世界中の認知症の専門家達から長年発病の原因が不明とされてきた「アルツハイマー型認知症」を鑑別するために私たちが独自に開発した精緻な神経心理機能テストである「二段階方式」の活用により集積してきた「脳機能データ」の解析結果がその根拠なのです。

それぞれの年齢の判定対象者が多数に上るのですが、6歳から100歳までの人達についての連続した「脳機能データ」が示すもの、それは、「前頭葉」の個別認知機能(理解、了解、了知、了承、考察、考慮、観察、監視、鑑賞、観賞、感動、抑制、反省、内省、忍耐、思索、思考、企画、計画、シミュ・レーション、創作、創造、洞察、推理、推察、推認、推測、推稿、構築、構想、構成、校正、詮議、詮索、想像、空想、妄想、探求、追及、究明、創意、工夫、比較、検討、評価、判定、判断、修正、選択、排除、排斥、除外、分別、分配、確認、確信、決定、決断、支持、指示、指揮、采配、支配、統率、統合、統括等)の『機能の発揮度』を左右し、下支えする働き(私たちが独自に発見した機能発揮上の「二重構造」の問題)を有する「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能(以下、「前頭葉」の三本柱の機能という)には、『脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘らず「加齢」と共にその機能が衰えていく』という生来的な性質が誰の脳にも内在しているということなのです。

そのデータによると、『「前頭葉」の三本柱の機能は、「18歳から20歳代の前半の頃」がピークで、直線的なカーブを描きつつ徐々に衰えていくのです。そして、「第二の人生」が始まる60歳代の半ばころには、ピーク時の半分くらいに機能が衰えてきていて、100歳代に向かって、直線的に緩やかに、更に衰えていくのです』。「アルツハイマー型認知症」の発病者数が、60歳代のお年寄りの12%、70歳代のお年寄りの30%、80歳代のお年寄りの50%、90歳代のお年寄りの75%、100歳代のお年寄りの97%を占めることになるのは、「正常老化の性質」のカーブを色濃く反映した結果なのです。但し、これらの数値は、私たちの区分で言う「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の段階にあるお年寄りの全てを含む数値であって、厚生労働省が発表している「大ボケ」の段階だけの数値とは異なるので、その点には注意してください。とは言え、末期の段階である「大ボケ」の人達の数だけでも、460万人を超えているということなのです。

 &「アルツハイマー型認知症」を発病させる原因は、器質的な病変ではなくて、機能の低下、就中「廃用性の機能低下」なのです

認知症の専門家とされる学者や研究者などは、『「アルツハイマー型認知症」の発病は、器質的な病変が原因となっている』と思い込んでいるのです。「アルツハイマー型認知症」を発病して、症状が進行していき、末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半になって初めて発現が確認される失語や失行や失認などの症状が見られていたお年寄りの死後の「脳の解剖所見」に共通してみられるところの、「老人斑」(アミロイドベータ蛋白の蓄積により発現してくるもの:アミロイドベータ説の根拠)や「神経原線維変化」(タウタンパクの蓄積により発現してくるもの:タウタンパク説の根拠)や「脳の顕著な萎縮」といった器質的な病変に、盲目的に飛びつくのです。機能の低下、ましてや「廃用性の機能低下」(使い方が足りないから機能が衰える)という視点は、プロとしてのプライドから見ると、いかにも素人くさい考え方みたいで、最初から全くのこと問題にはしていないのです。

ところが、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積してきた「脳機能データ」の解析結果によると、「アルツハイマー型認知症」は、脳が壊れても居ないのに(言い換えると、「器質的な病変」が原因で発病する訳ではないのに)、認知症の症状が発現してくるのです。「アルツハイマー型認知症」発病の原因に関して世界中の認知症の専門家とされる人達が主張しているアセチル・コリン説、アミロイド・ベータ説、タウ・タンパク説、脳の萎縮説等の「仮説」は全て、器質的な病変が原因で「アルツハイマー型認知症」を発病するとの「重大な誤解」が前提となった主張に過ぎないのです。器質的な病変が発病の原因だと思い込み、器質的な病変だけを探しているが為に、何時まで経っても真の原因を見つけることが出来ないでいるのです。真犯人は、器質的な病変ではなくて、機能の低下、使われる機会が極端に少ない「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下に過ぎないのですから私たちのように、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとその厳密なアウト・プットとしての「症状」という視点で集積した、14689例にも上る極めて多数の「脳機能データ」について、正常な機能レベル、正常下限の機能レベル、異常ではあるがごく初期の機能レベル、中期の前半の機能レベル、中期の後半の機能レベル及び末期の機能レベルという風に、徐々に「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを低下させていくことにより、「脳の機能レベル」に厳密に対応した症状を判別していくと、「アルツハイマー型認知症」の本質が廃用性の機能低下、より詳しく言うと、『「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に起因して発病してくる』という「発病のメカニズム」を正しく理解することが出来るのです。

我が国の学会の現状はと言うと、認知症の専門家と言いながら、その人達は皆さん全員が、肝心の「前頭葉」には目もくれないで居て、その大半は、「前頭葉」という機能の欠片も有していないマウスを追いかけまわしているだけのことなのです。そうした「権威」がある人達以外の人達はと言うと、そうした権威がある人達が言うことの単なる受け売り、よくて「二番煎じ」と言う程度に過ぎないのです。それらに対し、私たちの主張は、現在の状況下では、『世界に一つだけのもの』なのです。あと数年もすれば、此処に開示している私たちの考えがInternational gold standard(世界標準)として注目を浴び脚光を浴びることになると確信してはいるのですが。似たような主張が乱立するようになる近い将来に予測される状況を回避するために、様々な視点からテーマを選んで、Gooブログ上に私たちの考えを公開してきているのです(著作権法による排他的な権利が自動的に成立し、保証される)。

上述したように、「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能には、脳の使い方としての「生活習慣」の如何に関わらず「加齢」と共に機能が低下していくという生来的な性質(私たちの言葉で言う「正常老化の性質」)が誰にでも宿っているのです。その結果、私たちが「二重構造の関係」と呼ぶ両者の相互関係から、私たちが意識的に何かを考え、発言し、行為し、行動しようとする上で不可欠の機能である、理解、判断、発想、企画、計画、考察、洞察、ケース・シミュレーション、修正、選択、決定、指示といった「前頭葉」の個別「認知機能」の発揮度が、「前頭葉」の三本柱の機能の各々の及び/又は総体としての発揮度に左右されるという機能発揮上の二重構造の関係にあるとの理解が、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムを解明する上で、極めて重要となるのです。

すなわち、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能という「前頭葉」の三本柱の機能(私たち独自の命名)に生来的に宿る「正常老化の性質」(私たち独自の発見と命名)が存在するが故に、私たちの意識的な世界の構築、統括、支配及びコントロール上、不可欠の機能であり、私たちが置かれている状況を判断し、これから行うべき「テーマ」を発想し、テーマの実行内容を組み立て、実行の結果をシミュ・レーションし、必要に応じてそれを修正し、実行の判断と意思決定に基づいた脳の各部(左脳、右脳及び運動の脳)への実行の指令と言った様々な働きを担う機能である「前頭葉」の「個別認知機能」の発揮度自体も、三本柱の機能の老化のカーブを反映する形で同様の老化の過程を辿っていくのです。

「前頭葉」の三本柱の機能に特有である「正常老化の性質」のカーブの存在及び「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮度との相互関係(機能発揮上の「二重構造」の関係)並びに「前頭葉」が構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、私たち人間だけに特有なものである「意識的な世界」の機能構造に関する理解が基礎となって、私たちが規定する「アルツハイマー型認知症」の発病の「第一の要件」の内容が構成されているのです。私たちが意識的に何かをしようとする世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」の機能とその機能構造に対する理解並びに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの判定及び当該機能レベルに厳密に対応した症状の判別とその類型化、更には、脳の使い方としての「生活習慣」の経時変化に関わる「生活歴」の類型化は、「アルツハイマー型認知症」の診断及び他の種類の認知症との鑑別、加えて、「アルツハイマー型認知症」と紛らわしい症状を呈する他の病気(側頭葉性健忘症、緩徐進行性失語症、緩徐進行性失行症、老人性うつ症状などの病気)との鑑別を適切且つ正確に行う上で、極めて有効且つ有用な「指標」となり、「手技」となっているのです。「デジタル情報」の処理を専権管轄として担当する役割を担っている「左脳」が主役となって関与する仕事とは無縁の「第二の人生」を送っている60歳を超えた年齢のお年寄りであれば誰でも、意識的な世界での「前頭葉」の個別認知機能の働き具合(機能の発揮度)が、加齢という要素によって機能低下してきているのです。

 & 私たちが規定する発病の「第二の要件」

そうであるとはいえ、「第二の人生」を送っている60歳を超えた年齢の「高齢者」であれば誰でも、「アルツハイマー型認知症」を発病するという訳のものではないことは皆さんご承知の通りなのです。発病することになるか、ならないか、両者を区分けている条件とは何か。それが、私たちが我が国だけでなくて世界でも初めて発見し、理論化し、体系化した「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズム(原因)に関わるものであって、私たちが規定する発病の「第二の要件」の存在なのです。なお、どこかの仮説とは異なり、私たちの主張には、必ず客観的な「脳機能データ」という証拠が存在するのが特徴なのです。その上、早期の段階で見つけて治した実績も豊富なのです。

〇 私たちが規定する発病の「第二の要件」とは、『ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の開始とその継続』という問題です

「第二の人生」における日々の脳の使い方としての「生活習慣」が、「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないかの決定的な要因となるということなのです。今日は天気が良いなという程度のことであれ何であれ、或は、夫婦間の会話であれ、隣人との季節の挨拶程度のことであれ、又は、旅行についての企画のようなものであれ、私たちが何かを考え、何かについて発言し、又は何らかの行為や行動をしようとする際等「意識的」に何かを行おうとする世界においては全て、三頭立ての馬車の御者である「前頭葉」という脳機能が、その意識的な世界を構築し、統括 し、支配し、コントロールしていて、自分が置かれている状況の理解や了解や判断、状況判断に沿ったテーマの発想、発想したテーマの実行内容の企画や計画、実行すべき内容の実施の経過、態様及び結果についての洞察、推理、シミュレーション、シミュレーションの結果に基づく修正、更には最終的な実行の内容、程度及び態様の選択並びに実行の決定とそれに基づく「三頭の馬」に対する指示を行っているのです。その「前頭葉」を含む脳全体の機能が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」習慣が継続する下で廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことによって、「アルツハイマー型認知症」の発病が惹き起こされてくるという訳なのです。なお、廃用性の加速度的で異常な機能低下は、私たちが規定する発病の「第一の要件」と「第二の要件」とが「同時に」充足されることにより、その「相乗効果」によって、起きてくることなのです。

 様々な程度及び態様での発現が見られる「アルツハイマー型認知症」の症状は、第一義的には「前頭葉」の廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因するものであり、第二義的には「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」の廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因するものであり、当該「前頭葉」の機能低下を中核の要因(根幹)としつつ、且つ当該「左脳」、「右脳」及び「運動の脳」の機能低下とが同時に進行していくという条件下での、廃用性の機能低下の進行の度合いに相応した「前頭葉」を含む脳全体の総体としての機能レベルの直接のアウト・プットそれ自体が認知症の症状として発現してきているものなのです。そのことの故に、「前頭葉」を含む脳全体の「総体」としての機能レベルの衰えの進行につれて、その「症状の程度」自体も重くなっていくという特徴的な性質を有しているのです。このブログ中で何度も指摘しているように、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現自体も、更には症状の重症化も、アミロイドベータ蛋白の蓄積とその量とも無関係であり、タウタンパクの蓄積とその量とも無関係であり、脳の萎縮の程度とその拡大とも無関係なのです。器質的な病変ではなく、廃用性の機能低下の進行が発病及び症状重症化の真犯人なのです。プロという邪魔なプライドをかなぐり捨てて、今までは見向きもしてこなかった機能低下、就中、「廃用性の機能低下」と言うテーマに着目し、挑んでいただきたいのです。その場合、マウスには前頭葉と言う脳機能がないので、必ず生きた人間の「前頭葉」を対象にしていただきたいこと、その際は、CTやMRIやPET等の機器は、ものの役はにたたないことを老婆心ながら重ねて付け加えておきます。

「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の高齢者にとって、生来的な性質として、誰の「前頭葉」にも宿る「正常老化の性質」が進行していく過程で、「前頭葉」の出番がそれなりに確保されていて、自分なりの目標があり、自分なりに喜びや生き甲斐を覚えるときがそれなりに有ると言う日々の脳の使い方としての「生活習慣」の場合には、緩やかで直線的なカーブを描きつつ「前頭葉」の機能が「正常な機能レベル」を保った状態の下で、「加齢」と共に衰えていくものであるのに対して、日々の生活面で「前頭葉」の出番自体が極端に少ない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されているお年寄りの場合には、「正常老化の性質」による機能低下に加え、廃用性の機能低下という条件が加重されることとなるので、両者の相乗効果により、「前頭葉」を含む脳全体の機能について、加速度的で異常な機能低下が放物線のような急激なカーブを描きながら進行していくこととなり、且つその先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです。猶、ここで注意して頂きたいのは、発病の「第一の要件」を満たしていても、同時に「第二の要件」を満たしているのでなければ、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないということなのです。同じく、発病の「第二の要件」を満たしていても、同時に「第一の要件」を満たしているのでなければ、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないということなのです。「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足されることが、「アルツハイマー型認知症」発病の条件となるのです

 左脳も右脳も運動の脳も、それらの全てが未だ「正常な機能レベル」に在って、脳全体の司令塔の役割を担っていて、三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉」の働きだけが「異常な機能レベル」に在るその段階を私たちは、「軽度認知症」(小ボケ)の段階と名付けているのです。なお、「アルツハイマー型認知症」の場合は、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されていく状況下では、「前頭葉」を含む脳全体の機能が更に加速度的で異常な機能低下を進行させていくので、そのことに厳密に対応した形での症状の重症化が進行していき、「小ボケ」の段階に次いで「中等度認知症」(中ボケ)の段階があり、最後に末期の段階である「重度認知症」(大ボケ)の段階があるのです。注意すべきは、「アルツハイマー型認知症」の場合には、必ずこの順番で「症状の重症化」が進んでいくということなのです。

猶、「小ボケ」の段階では、「前頭葉」の機能だけが異常な機能レベルに在ることの反映として、「前頭葉」の機能障害の症状が認知症の症状として発現するものであるのに対して、「中ボケ」及び「大ボケ」の段階になると、「前頭葉」の機能が更に異常な機能レベルに衰えてきていることを中核(根幹)としつつ、且つ、左脳、右脳及び運動の脳自体も廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなることが加重される条件下で、「前頭葉」を含む脳全体の総体としての機能レベルのアウト・プットそれ自体が認知症の症状として発現してくることになるのです。又、「大ボケ」の段階では「中ボケ」の段階のそれよりも「前頭葉」の機能並びに左脳、右脳及び運動の脳の廃用性の機能低下が更に進行した状態に在るのですが、失語や失行や失認の症状が確認される段階では、「前頭葉」の機能がほとんど働かなくなってきていることを理解すべきなのです。外観的に同じ失語、失行、失認の症状と言ってもそれらは、廃用性の機能低下に起因したものであって、器質的な病変に起因して発現してくる失語や失行や失認の症状とは症状発現の機序が全く異なることを理解すべきなのです

例えば、典型的な「大ボケ」の段階の症状である「汚れた下着をそのまま平気で着ている」とか「服を一人では正しく着られず、上着に足を通したりする」とか「風呂に入ることを嫌がり、入っても身体を洗おうとはしない」等の症状は、「記憶の障害」がその根幹にあるのではなくて、廃用性の機能低下に起因した「前頭葉」の機能障害がその根幹にあるが故に起きてくるものなのです。「前頭葉」の機能がほとんど働かないレベルに衰えてきているので(失語や失行や失認の症状の発現が確認されるレベルの人達は、MMSEの下位項目である三段階口頭命令の得点が0点になってしまうのです)、自分が置かれている状況の理解が出来ないし、実行すべき行為や行動の内容を組み立てることが出来ないでいるが故のことなのです。認知症の専門家達とか言いながら、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとそのアウトプットとしての認知症の症状と言う視点を持っていないし、判定する上で不可欠の肝心の「手技」さえも持っていないので、単に外観から想像し、憶測で言っているに過ぎないのです。私たちは、客観的で極めて精緻な「脳機能データ」の解析結果に基づいて主張し、権威の問題点を指摘しているのです。

 「アルツハイマー型認知症」の場合は、廃用性の機能低下に起因して症状が発現してくるので、然も、廃用性の機能低下であるが故に最初に「前頭葉」が、次いで左脳、右脳、運動の脳という高度な機能から順番に衰えていく(少しずつ遅れるタイムラグの下で同時進行していく)という規則性の存在、衰えていく明確な順番があることを上掲の「MMSEの下位項目のデータ」が示唆しているのです。従って、介護に携わる人達は、回復の可能性という視点から私たちが三段階に区分している「小ボケ」(「脳のリハビリ」により回復させることが容易)、「中ボケ」(「脳のリハビリ」により回復させることが未だ可能)及び「大ボケ」(「脳のリハビリ」により回復させることが困難)の各段階の症状が発現してくるその基礎(根幹)となる「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルについて並びにその総体としての機能レベルのアウトプットとしての症状自体もそのことを反映したものとなることを理解し、そのことに留意することが、適切な対応及び「介護」を行う上で極めて重要となることに留意していただきたいのです。特に、「アルツハイマー型認知症」の末期の段階である「大ボケ」の段階にある「お年寄り」を「介護」する際には、この点に対する理解(「前頭葉」の機能がどの程度残っているのか及び発現してきている症状がどの段階のものなのか)が必要不可欠のものとなることを問題提起しておきたいのです。

なお、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」とは、脳の使い方という視点で言うところの「生活習慣」であって、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」のことを言います。「第二の人生」では、「第一の人生」で主役であった仕事とは無縁の人生になります。仕事は、関連情報を処理する上で「左脳」が主体となります。言葉や計算や論理、或は、場合分けなどデジタルな情報は、「左脳」が専管事項として処理に関わるのです。「仕事」とは無縁の日々が延々と果てしもなく続いていくのが、世界でも類を見ないと言っていい程の規模での高齢者を擁する状況下で「超高齢化社会」を実現した我が国、日本のお年寄りの毎日となるのです。

「第一の人生」では、勉強や仕事の脳である「左脳」を駆使して、周りに遅れまい、負けまいとして、家庭を顧みることさえもなく、会社人間と呼ばれながら、身を粉にして働き頑張ってきた貴方、「第二の人生」では、「右脳」を中心にした生き方、周りの目を気にすることなく、周りと自分とを比較することなく、自分らしい生き方を追求し、自分なりの目標があって、自分なりに喜びや生き甲斐を覚えられる機会がそれなりに有るような、そうした「生き方」、「生活の仕方」を追求していただきたいと願うのです。

コーヒーブレイク)誰でもが、80歳とか90歳になる年齢まで、「第二の人生」を生きていくことになる訳です。「アルツハイマー型認知症」を発病することになるかならないか、どの年齢に達するまで発病しないで済むか、そのことは、本人や家族にとっては言うまでもないことなのですが、市町村や国にとっても極めて重要なポイントなのです。「アルツハイマー型認知症」の診断、投薬及び介護に関わる国の総費用が、2015年度ベースで15兆円という天文学的な規模に達していて、この先その額の規模は増大の一途を辿るものと予測されているのです。「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防と早期診断による認知症の症状からの回復(「治す」こと)を具体的に可能とする現実的で極めて有効な施策、住民参加型の「地域予防活動」を我が国の全市町村で、更には、小さな地域単位で蜜に実践する(実施単位が小さく、活動が蜜であればあるほど効果的)という市町村(実践面での主体)及び国(財政面での主体)としての「テーマ」が、「喫緊の課題」となってきているのです。

『アルツハイマー型認知症は、原因不明で治らないタイプの認知症である』との主張は、完全に誤った内容のものであり、「アルツハイマー型認知症」こそが、発病自体を予防することが出来るし、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つければ治すことが出来るタイプの認知症なのです。末期の段階(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階)で見つけていることにも気づかないで居て、末期の段階であるが故に治すことが出来ないことにも気づかないで居て、『「アルツハイマー型認知症は、予防することも、治すこともできない」タイプの認知症である』と広言して、何もしないで、放置している勢力にとって、我が国は、欲しいままに売り上げを稼げる極めておいしい国なのです。

 &「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期診断による回復とを明確な活動目的とした住民参加型の「地域予防活動」の実施、全国的な展開を国策として実施するよう、政府に及び国会議員に対し、今こそ皆さんが声をあげ、声を大にして、強力、且つ熱烈に要求すべき時なのです

「第二の人生」に入っていく「高齢者」の人口増加につれて、認知症の発病による要介護者の数も増加していき、同時に介護関連の総費用が増大の一途を辿るという中で、結婚年齢の高齢化と結婚者数の減少に起因した出生者数の減少という社会現象が近年の顕著な傾向として続いているのです。そうした状況に対し手をこまねいて居てこのまま放置したままで居ると、我が国は衰退の一途を辿っていくことになってしまうのです。現在垂れ流し状態になって膨れ上がってきている介護関連総費用の千分の一でも使い、住民参加型の「地域予防活動」の全国展開により浮いてくる(介護関連総費用が大幅に減少してくることになるので)その巨額なお金をもっとましな政策、20代から30 代の年齢の若者達が、我が国の将来に明るい希望をもって生きていくことが出来て、早期に結婚して家庭を築くことを望み、2~3人以上の子宝に恵まれることを願うようになる日が出来るだけ早期にやってくるようになる為の諸施策と政策、例えば、若年層に対する「子育て支援」及び「教育費補助」等の政策を実現すべき時なのです。他方で、70歳以上の高齢者に対する社会保障費を大幅に削減すべき政策を明確に打ち出すべき時なのです。

予防と早期診断による回復には目も向けないで居て、「介護施設」の拡充や介護施設で働く従業員の待遇の改善を重要な政策であるかのように我が国会で喧々諤々と議論するなど、与党だけでなく野党の議員たちも含めて、本末転倒としか言いようがないのです。マスコミにも一端の責任があると思うのです。どこに目を向け、何を考えているのですか。余りの不勉強に、開いた口が塞がらない状態なのです。

&「アルツハイマー型認知症」の場合は、衰えていく脳機能に厳密で明確な順番があるのが特徴なのです

廃用症候群に属する「生活習慣病」(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)が本質である「アルツハイマー型認知症」の場合には、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々継続されていく「生活習慣」の下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の(使われる機会が少なすぎる)加速度的で(加齢に起因した「正常老化」の性質による機能低下に加えて、廃用性の機能低下が加重されることにより、それまでの「正常老化」に起因したカーブから逸脱した急速な速さで)異常な機能低下を進行させていくこととなるのですが、このとき「前頭葉」を含む脳全体の機能について、「衰えていく厳密な順番が存在する」ことが重要な特徴でもあるのです。最初に衰えていく機能はと言うと、実は、三頭の馬ではなくて、御者の役割を担っている「前頭葉」の機能なのです。

使われる機会が極端に少ない生活状況が継続されている「生活習慣」の下で進行する「廃用性の機能低下」の際は、高度な機能から順番に衰えていくという明確で厳密な順番があるのです。そして、この衰えていく順番こそ、「アルツハイマー型認知症」であるか否かの診断を行う上で、極めて重要で不可欠のメルク・マールとなるのです。対象を「アルツハイマー型認知症」に特化した診断の為の手法として私たちが独自に開発し、精緻でありながら簡便に使用できる「手技」として体系化した「二段階方式」を活用して集積した14689例もの「脳機能データ」を解析して、私たちが発見したこの「指標」は、私たちの極めて重要なノウハウなので、このブログ上で詳細を公開することは控えますが、私たちの「二段階方式」の実務手引きである「マニュアル」には、個別のデータやグラフや解説を載せてあります。その概略だけを指摘しておくと、脳全体の機能の中で「前頭葉」の機能が最初に衰えていくこと、「前頭葉」の三本柱の機能で言うと、「注意の分配力」の機能、「注意の集中力」の機能、「意欲」の順番に衰えていくこと、更に言うと、脳の後半領域の働き具合を判定するための有用な手技であるMMSEで判定される「下位項目」についても衰えていく明確で厳密な順番があるのです。

ところで話が突然変わりますが、『御者の「前頭葉」が居眠りし始めたとき、三頭の馬はどこに向かって、どのように走っていけば良いのかが分からないので、馬車は制御不能状態に陥ってしまうでしょう』。私たちの「意識的な世界」を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能に鑑み、肝心の「前頭葉」の機能自体が異常なレベルに衰えてきたその時から、「前頭葉」を含む脳全体の働き具合のアウトプットである症状は、異常なレベルのものとなること、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」は始まっていることを理解すべきなのです。

「アルツハイマー型認知症」の最初の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、左脳も右脳も運動の脳も全て正常な機能レベルに在る中で、「前頭葉」の機能だけが異常なレベルに衰えてきているのです。このことを言い換えると、『「前頭葉」の機能が正常なレベルに保たれている限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対にない』のです。ところで、「前頭葉」の機能が「正常な機能レベル」に在るかどうかは、私たちの「二段階方式」の場合、或る「特定の作業」を被験者に課すことにより「前頭葉」の三本柱の機能が「正常な機能レベル」に在るかどうかを客観的な基準により総合的に判定し、極めて精緻なレベルでの判定が容易に行えるのですが、CTやMRIやSPECTやPET等の機器の使用では極めて困難な「テーマ」であることを併せてここに付け加えておきたいと思うのです。

 & ナイナイ尽くしの単調な生活が始まるには必ず「キッカケ」となるものが存在する

「第二の人生」を送っている60歳を超えた年齢の「高齢者」である貴方にとって、「前頭葉」の働きを正常な機能レベルに保ったままで生きていくことが出来なくなれば、その時から、「アルツハイマー型認知症」を発病することになってしまう訳なのです。それまでは正常なレベルに在った「前頭葉」の機能が、異常なレベルに衰えていく要因とその条件とは、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥っていく誘因となる「キッカケ」という要因との遭遇と「キッカケ」を契機として始まったナイナイ尽くしの「単調な生活」の開始とその継続という脳の使い方としての「生活習慣」の問題のことなのです。字数の制限の関係上説明を省略しますので、「キッカケの類型」については、ここを「クリック」して読んでください。

「アルツハイマー型認知症」を発病したお年寄りとは言えその全ての人達は、発病前の生活環境、生活状態及び「生活習慣」の下では、「加齢」に起因して進行してくる機能低下、緩やかな老化のカーブを描きつつも(私たちが言う「正常老化」の直線)、肝心の「前頭葉」の機能は正常な機能レベルを保っていたのです。それまで緩やかな衰えを示していた直線が、廃用性の機能低下に起因した機能低下が加重されることにより、両要因が同時に充足されることによる「相乗効果」が起きてきて、「放物線」を描く急激な低下のカーブの下で機能低下を進行させていくことになる時、そこには必ずナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥っていく誘因となる「キッカケ」としての状況の変化、その状況の発生、或は出来事が存在しているのです。

本人も周りの家族や友人も全く気付かないうちに、なんとなく、或は何時の間にか、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥っていたと言うケースは存在しないのです。その一方で、「キッカケの類型」を読んでお分かりのように、中には特別のものもありますが、基本的には、「誰にでも、何時でも起きてきそうなもの」ばかりなのです。そうした事象、状況、又は出来事の発生や重大な変化に遭遇したとき、何もしようとはしない不活発な「生活状態」が始まり、半年間から(人によっては)1年間も、ナイナイ尽くしの「単調な生活」、具体的には「前頭葉」の出番が極めて少ない「単調な生活」(生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」のことを言います)に陥り、その「生活習慣」が継続されていくことにより、「前頭葉」を含む脳全体の機能が加速度的で異常な機能低下を進行させていく結果、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです。その場合、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥っていく人と、そうでない人とを区分けているものが何かという問題について、以下に詳しく説明していきたいと思います。

 &「キッカケ」となりそうな状況の発生や変化、出来事の発生に対する自身の受け止め方と対応の仕方が第一の「分岐点」となる

「キッカケ」の類型に挙げられているような状況が発生し、出来事が発生したからと言って、そうした状況や出来事に遭遇したお年寄りの全てがナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥っていく訳のものではないのです。この点が極めて重要なことなのです。

●「キッカケ」となりそうな状況や出来事に遭遇した時、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥って行くのか行かないのか、そのことを「区分ける」要素とは、「第一義的」には当事者本人の受け止め方と対応の仕方という問題なのであり、「第二義的」には周りの家族又は友人という人的環境による支えの有無という問題なのです。

●本人と支えるべき周りに居る人達に期待される、あるべき対応の姿とは

ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥っていくお年寄に観察される共通的な特徴と言えば、次の二点に集約されることになるのです。一つ目の要素としては、自分が遭遇した状況や出来事の発生により、それまで自分が「第二の人生」で、自分なりに、それなりに、自分らしく、喜びや生き甲斐を得られる機会があって、達成すべき楽しい目標などもあって、勇気づけられて生きてこられた最も重要な基礎となっていた「生活習慣」を奪われてしまうことなのです。同様のものが他にもいくつかあれば、それなりに自身に言い聞かせて対応することも可能なのですが、「それが唯一のもの」であった場合は、失ったショックが大きすぎて、自身がどう対応したらいいのかを組み立てることが出来なくて、何かを考え、何かをしようとする基礎機能である肝心の「意欲」が急速に衰えていってしまうのです。

そうでなくても、「意欲」という脳機能について、「正常老化の性質」に起因した機能低下が進行してきている上に、ショックが重なって、「意欲」自体が低下してしまい、何も考えようとはしない、何も行動を起こそうとはしない、何もしようとはしない不活発な「生活状態」が始まって行くのです。踏みとどまって、頑張って這い上がっていこうとする「意欲」を喪失した不活発な「生活状態」が継続しているうちに、毎日の生活自体がナイナイ尽くしの「単調な生活」を誘発して、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」が日々継続されて行き、「生活習慣」化してしまうことになるのです。このことは、私たちが「二段階方式」の手技を活用して、「アルツハイマー型認知症」を発病していったお年寄りの過去数年間の「生活歴」を詳細に聞き取る作業の集積により見えてきたものなのです。

二つ目の要素は、本人を取り巻く周りの「人的な環境」の重要性の問題です。『何も考えようとはしない、何もしようとはしない不活発な「生活状態」にあるということは、すなわち脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の個別認知機能の働き具合を左右し、支えている「前頭葉」の三本柱の機能が、必要なレベルで働いてくれない』状態に在るということなのです。その結果として、自分が今置かれている状況から這い上がっていこうにも、何をどのようにすればいいのかが分からないし、這い上がって行って、元の生活状態を取り戻そうとする努力をする意欲が湧いてこないのです。「意欲」と言う機能は、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付ける機能の一つであり、「前頭葉」の「個別認知機能」の発揮度の基礎を構成している(発揮度を左右し、下支えしている)機能なのです。私たちの「意識的な世界」、意識的に何かをしようとする世界、自分が置かれている状況を理解し、判断して、「キッカケ」となる事象との遭遇以前に自分が「第二の人生」を活き活きと生きていく上での拠り所となっていた「生活習慣」を取り戻す為に必要となる努力が出来ない状態、脳の機能面から言うと、様々なテーマの発想や実行内容の計画、或は実行の為の手段の組み立て、実行結果のシミュレーションなどを行う上で必要不可欠である「意欲」自体が働かなくなっている状態に在るのです。

本人自身が意欲を大きくそがれていて、自分らしく生きていく上でその基礎をなしていた従前の「生活習慣」を取り戻すために不可欠となる「意欲」を喪失した精神状態にあり、何もしようとはしない(正確には、脳機能的に出来ない)不活発な「生活状態」にあるのです。このことを、支えようとする立場にある周りの家族や友人が、先ずは、正しく理解することが先決となります。『どうして、何もしようとはしないの?』と叱責したり、言い募るのは、まさしく、「百害あって一利なし」なのです。

現在本人自身が置かれている精神状況及び生活状況並びに「キッカケ」となった状況の発生や変化或は出来事との遭遇について、詳しい理解と把握とが不可欠となるのです。為すべきことは、単に激励したり、或は叱責したり、非難したりすることではなくて(こうした行為は、絶対にしてはならないことなのですが)、本人が失われた従来の「生活習慣」(自分らしく生きていく上でその基礎をなしていた従前の「生活習慣」)を取り戻すため、或は、それが困難な状況や事情に在る場合は、家族の支えと後押しにより、本人が最終的に選択した自分らしく生きていく上でその基礎となり得るような新しい「テーマ」の追及と実践を「生活習慣」化していくことにより、従来のように自分なりに喜びや生き甲斐が得られる基礎としての「生活習慣」として評価することが出来て、生き生きとした自分を取り戻せるようになるまで、しっかりと後押しし、支えてあげることが必要不可欠なこととなるのです。私たちは、日々遭遇する様々な場面で、常に一定の方向性及び指向性の下に、実行すべき発言の内容や行為の内容及び態様を選択することが出来るのですが、それは、私たちの「前頭葉」という脳機能に、自分独自の「評価の物差し」が備わっているからなのです。当然のことながら、新しい「テーマ」の追及、或は遂行の過程で、本人独自の「評価の物差し」が、失われた従来の「生活習慣」(自分らしく生きていく上でその基礎をなしていた従来の「生活習慣」)に代わり得るものとして新しい「テーマ」の実践を同等或はそれ以上のものとして評価してくれることが、ナイナイ尽くしの単調な生活から脱出していき、且つ、それ以降も、自分なりにイキイキとした「第二の人生」を取り戻していくことに繋がるのです。

「キッカケ」との遭遇により「意欲」を喪失してしまい、自分が置かれている状況への対応が出来なくて、何もしようとはしない(出来ない)不活発な「生活状態」が始まり、その状態からの脱出に失敗したときは、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々繰り返されることとなり、半年から1年後には、「アルツハイマー型認知症」を発病することになるのです(なお、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを判定するという脳の機能面からの鑑別ではなくて、外観的な症状だけの観察から「生活不活発病」と呼ぶ人達が一部に居るのですが、「アルツハイマー型認知症」を発病していて、「小ボケ」の段階の症状が発現してきていることを知らない人達なのでしょう)。私たちが類型化した「小ボケ」の段階の症状をつぶさに観察してみれば、それらの全てが、「前頭葉」の三本柱の機能が異常な機能レベルに在ることのアウト・プットそのものであることが理解できるのです。

 注)本著作物(Bー77に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)


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