認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

意識の構築に不可欠の注意分配力の機能の特徴とその働き方(Bー57)

2016-04-01 | 前頭葉を含む脳機能の正常老化と異常老化

     

  意識して 行う世界 未知のまま

    何をどうする 脳の働き By  kinukototadao

(プロローグ)

私の一日は、お風呂に入ることから始まります。夜、就寝前に入るお風呂は、一日の汗を流す為のもの。私は、朝酒は嗜まないものの、朝風呂が大好きなのです。比較的ぬるめの温度にして、ゆったりと時間をかけて、入浴の時間を楽しむのが日課の始まりなのです。

お湯はと言えば、何を隠そう、温泉なのです。かの有名な熱川から引いてきていて、24時間何時でも、46度の熱い温泉が使えるのです。

お風呂の窓を開けると、上の庭の景色が目に入ってきます。窓の前には、大人が6人は十分に入れる、大理石造りの大きな温泉露天風呂があります。

露天風呂の石縁に沿って、淡い桃色をした可憐な花をつけたカイドウの木々が植えられて居り、すぐ向こうは、柑橘類の小さな林になっています。すだち、カボス、シークワーサー、花ゆず、キンカンなどが植えてあります。柑橘類の林の向こうは、ちょっとした空間になっていて、その中央に大型のピザ窯が据えられています。煉瓦を積んだ土台は、縦が120cm、横が90cm、高さが80cmの大きさで、その上にピザ窯が据え付けられています。ピザ窯の縦は100cm、横は70cm、高さはドーム状の頂上部までが90cmになっています。このピザ窯は、Tadがお友達と一緒に据え付けた100%の手作りなのです。ちゃんとした、T型の鉄製の煙突も、外方向に開く扉もついているのです。

ピザ窯の中は、二段に構成されており、上下は直径が1cm程もある太い鉄製の棒が数十本も並べられていて、下の段に真っ赤に燃えた火を積んで、その上に鉄製の網の棚を置き、下側から輻射熱だけでピザ生地を瞬時に焼くと言うやり方なのです。外はパリッと焼けていて、中は柔らかに生地が焼けるという仕上がりになる訳なのです。

とはいえ、燃えている木は1本もない発火状態になった炭を大量に積む方式なので、ピザ用のクヌギや楢の木が一度に何十本も必要になるので、お客さんの数が10人を超えるときしかピザ会は行われないのです。ピザ窯で焼いた手羽先と手製のピザを食べながら、シャンパンと白ワインをいただくのが、私たちの何時もの流儀なのです。

そのピザ窯を囲うようにして、右手の奥隅には、季節に紅色の花をつけるブーゲンビリアの木と山桃の巨木が並んで立って居り、その手前には、真っ盛りの新芽群が空に向かって伸びた状態の金木犀の巨木があります。眼を転じた左手奥には、現在は、シダを植え付けてある部分がTadにより丸刈り状態にされたままのカナリーヤシの巨木が2本あって、下の庭へ通じる石の階段の手前には、季節に紫色の花をつけるブーゲンビリアの巨木があります。こちらのブーゲンビリアの巨木は、下の庭のプールサイド側から、我が家の庭の写真を写す場合に決まってアングルに取り入れるものなのです。このブログ中の写真にしばしば登場してくる、あのブーゲンビリアの巨木なのです。それらの巨木の足元を飾っているのは、様々な種類と色のバラの木々なのです。どうですか、皆さん。上の庭の全体構成が大体想像していただけたでしょうか。

      

 

& 私たちの眼前に同時存在するのは、重層的な「意識」の世界

 お風呂に身を沈めて、ゆったりと朝の入浴を楽しみながら、この庭の景色をぼんやりと眺めているのです。その時、上の庭の全体像を私の目が捉えているのです。その全体像を一つの視野に入れた時、複数の様々な覚醒レベルでの「意識」と言うか、或いは意識とは二次元的な性質のものもではなくて、三次元むしろ四次元的な意識状態と言うべきものであり、その「意識度」(個々の意識の覚醒度)が異なる意識の世界が、複数存在していることに気づいていただきたいのです。「主題」となって意識されていない世界も、意識度は「主題」のそれよりは低いものの、別の意識の世界として、複数の意識の一つとして、存在しているのです。「主題」となる対象を右奥のブーゲンビリアの木から庭の中央に据え付けられているピザ窯に移したとき、主題こそ変わっても、同じように視野の中に捉えられている「意識度」が主題よりも低い複数の意識の世界が、そこには、存在しているのです。私たちの意識の世界は、基本的には、このような「複数の意識の世界」の同時存在と言う形で構成されているのです。それを可能にしている脳機能が、今日のテーマである、「注意の分配力」の機能と言うことなのです。思考することであれ、言動であれ、或いは行動であれ、意識的に行われるそれらの世界は、この「注意の分配力」の機能なしには存在しえないのです。私が語っている、こうした「意識」の世界とそれを可能にしている「注意の分配力」の機能の働きについては、日本はおろか、世界中の哲学者も心理学者も脳科学者も、誰一人として、問題提起したことは無い、世界初の話なのです。この先、脳全体の司令塔の役割を担いながら、専門家達による研究が遅れていて、未知の領域に近い、「前頭葉」(前頭前野のことを言うものとする。以下同じ)と言う機能の働きやそのメカニズムが明らかになるにつれて、今日の私の問題提起と説明が注目されることになるのです。私たちの意識的な世界と「前頭葉」の機能とは切っても切れない関係にあるのですから。

私がこのテーマを今日持ち出すのは、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムを理解する(解明する)上で、早期診断による回復(治療)の方法を解明する上で、或いは発病自体を予防する方法を解明する上で、「前頭葉」の機能、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能から構成される「前頭葉」の三本柱の機能(私たち独自の命名)、就中、「注意の分配力」の機能の理解が必要不可欠のものであるからなのです。

アミロイド・ベータを注入したアミロイド・マウスも、アミロイド・ベータを吸収させたアミロイド・米も、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムの解明にも、とりわけ、「アルツハイマー型認知症」の治療薬/予防薬の開発にも無関係だということを指摘しておきたいのです。何故なら、それらの説(仮説)が主張の根拠にしている、アミロイド・ベータの沈着と「アルツハイマー型認知症」の発病との間には、何らの「因果関係」も存在しないからなのです。「アルツハイマー型認知症」の様々な症状は、「前頭葉」を含む脳全体の機能の器質的な変化が原因なのではなくて、機能的な変化、廃用性の加速度的で異常な機能低下が原因で発現してくるものだからなのです。この極めて重要な要素が見落とされているのです。解剖所見に基づく誤解が、「アルツハイマー型認知症」発病のメカニズムの解明の妨げとなり、逆に、その「誤解」に基づく研究方法への「拘泥」が迷路へと彷徨いこませているということを指摘しておきたいのです。廃用性の機能低下という視点も、研究者にとって価値あるテーマだと思うのですが。「研究者」、「専門家」というプライドが、邪魔をしてしまうとでも言うのでしょうか。

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」(脳の使い方としての「生活習慣」に起因する病気)に過ぎないのであって、早期診断(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」までの段階で発病に気付いて、「脳のリハビリ」を実践させること)により回復させることが出来るし(治すことが出来る)、発病自体を予防することが出来る(脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫に基づく、「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる生活の実践が不可欠の条件)病気なのです。世の中の権威のある人達や組織、学者や研究者や医師達は、「DSM-4」の規定に惑わされて、「アルツハイマー型認知症」の中核症状が「記憶の障害」(第一の要件として規定されている)であると誤解し、第二の要件が規定し確認を要求している失語、失認、又は失行と言った極めて重い症状(私たちが末期の段階として規定する「重度認知症」の段階でも、更にその後半の段階、30点が満点のMMSEの得点が一桁にならないと発現してくることが無い極めて重度の段階の症状)が発現してきていないと、「アルツハイマー型認知症」の発病とは考えないのです。余りにも遅い段階、極めて重度の症状の確認に基づく診断であるが故に、本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)及び「中等度認知症」(中ボケ)の段階で見つけて、「脳のリハビリ」を施せば治すことが出来るタイプの認知症であるにもかかわらず、治すことが出来ない病気にされてしまっているのです。

     

脳の使い方としての「生活習慣」、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続こそが、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状進行(重症化の進行)の唯一の原因なのです。なお、ここで私たちが言う「単調な生活」の継続とは、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続のことであり、こうした「生活習慣」こそが、発病及び重症化の真犯人なのです。それ故に、廃用症候群に属する「生活習慣病」であるというその本質から(発病のメカニズム)、症状の進行を遅らせる効能を有する薬も、治療の効能を有する薬も、発病自体を予防する効能を有する薬も、未来永劫開発されることは有り得ないことなのだということを指摘し、強調しておきたいのです。脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫こそが、発病を予防する唯一の方法となるのであり、「脳のリハビリ」こそが、症状の進行を防止し及び症状を改善させる唯一の方法となるのです。

アミロイドベータ説は世界的には否定された仮説であるにも拘らず、何故か、我が国だけ、アミロイド・マウスとか アミロイド・米とか、肝心の因果関係の立証が為されないままに、意味不明の材料とデータを基礎にして、意味不明の主張が有力視されていて(いずれの仮説も、我が国を代表する東西の国立大学の医学部が主張している)、税金と人材と時間とが無駄に使用されているのが現状なのです。

アミロイドベータの蓄積による老人斑の出現も、タウ蛋白の蓄積による神経原線維変化の出現も、共に、「アルツハイマー型認知症」の症状の発現の原因ではなくて、発病の結果としての単なる副産物に過ぎないのです。一番肝心である因果関係の立証がなされないままで居る単なる「仮説」であるにも拘らず、その両国立大学が我が国では権威があるがゆえに、有力な主張であるかのような誤解を世間に与えているのです。こんな意味もない仮説に、大事な税金を投入するなどもってのほかのことだと思うのです。

       

& 重層的な意識の存在と注意の分配機能との関係

○  意識的な行為の世界と「前頭葉」の個別認知機能によるその認知度及び機能の発揮度の仕組み

意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自発性、観察、分析、考察、洞察、推理、想像、理解、興味、関心、発想、連想、企画、計画、創意、工夫、予見、予測、シミュレーション、比較、修正、具象化、抽象化、整理、機転、抑制、感動及び判断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な認知機能を正常に発揮する上で、一定レベル以上での「認知度」が確保されていることが不可欠となるのです。認知度が一定レベル以下だと、例示した「前頭葉」の各種個別の認知機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能によるその「認知度」の高さ或いは低さを左右しているのが、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(「認知度」と「発揮度」とがともに、「三本柱」の機能レベルと「リンク」している)。

「前頭葉」を中核の機能として、有機的な連携のもとに「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も参加して、脳全体で何をどのように実行するのかを組み立てるには(自分が置かれているその状況を判断し、判断に沿って実行すべき「テーマ」をいくつか発想し、その中から1つを選択し、その実行内容及び実行の程度と態様とを組み立てるには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠となるのです。自分が現在置かれている状況と環境の判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮しつつ、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な実行内容及び実行の程度と態様とを決定し、最終的に実行に移すには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の継続的な発揮が不可欠となるのです。

上述のように、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、「三頭立ての馬車」の「御者」の役割、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能の構成要素である「個別の認知機能」によるその認知度及び機能の発揮度を左右し、下支えする働きを担っていて、個別の認知機能を十分に発揮するに際しての「二重構造」の関係(私たちのネーミング)が存在しているのです。 

世界中の脳科学者や認知症の専門家とされる人達の誰もが未だ気づいてはいないその「テーマ」である、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムが解明され、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の働き方のメカニズムにも注目が集まることにより、やがては、「重層的」な意識の同時存在とそれらの覚醒度という「テーマ」が、専門家達に注目される時代がやってくることになるのです。「前頭葉」の三本柱の機能が担う重要不可欠のものとして、覚醒度が異なる複数の「意識」が重層的に、且つ同時に存在する状況下での全体の及び/又は個別の「意識」の覚醒度を支配し、コントロールする機能を有しているという、脳の機能構造面からの問題を提起しておきたいと思うのです。

     

もちろんのこと、そのテーマには、「前頭葉」の三本柱の機能の一つであり、廃用性の機能低下という視点で言うと最初にその機能が衰えていくところの機能、「注意の分配力」の機能が直結しているということになるのですが。

「意識」が存在している世界と言っても、その「意識」の覚醒度が様々に異なる世界、対象となる特定の「主題」に絞り込まない限り基本的には常に複数の重層的な「意識」が構成されて存在しているという、私たち人間だけに特有の「意識」の世界に、脳科学者達が未だ気づいていないだけのことなのです。

或る特定の「主題」に「意識」を集中させて、一定レベルでの機能を発揮させるには、「意欲」と「注意の集中力」の機能の発揮が不可欠となり、複数の「主題」について「意識」を同時に分配させて、一定レベルでの機能を同時に発揮させるには、「意欲」と「注意の分配力」の機能の発揮が不可欠となるのです。但し、我が身が置かれている状況下での「主題」を選択し/特定の内容に意識を集中させる機能は、「前頭葉」の三本柱の機能ではなくて、別の機能である「状況を判断する機能」ではないかと私たちは考えているのです。「評価の物差し」が関与することによって/且つ同時に、「覚醒された意識」の世界が出現することになるのです。「前頭葉」と言う機能部位には、カメラのレンズの焦点を特定の主題に選択的に切り変えるかのような機能が備わっているのです。

ナイナイ尽くしの単調な生活の継続に起因する廃用性の加速度的で異常な機能低下を本質とする「アルツハイマー型認知症」の場合には、脳の機能に衰えていく明確な順番があり、「前頭葉」の三本柱の機能、就中最も高度な機能である「注意の分配力」の機能から異常なレベルに衰えていくのです。私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、上述したような意識の世界は、脳の機能面から説明すると、自分が置かれている状況の理解と判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、実行結果についてのシミュレーションも、最終的な判断も、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、注意の分配力の機能の発揮が明確に不十分/不適切な状態になるまでに機能低下してきているということを基礎とした世界、「意識度」の世界にあることを知るのです。

      

&  アルツハイマー型認知症の段階的な症状の態様とその特徴

「軽度認知症」(小ボケ)の段階で発現する症状の特徴

□ 発想が乏しくなり、画一的な行動が目立つようになってきた

□ 何事をするにも億劫で、何かをやろうという意欲が見られない

□  同じ食材を買ってくることが多く、献立の単調さが目立つ

□ 一日や一週間の計画が立てられず、テーマを自分で思いつかない

□ 朝は遅くまで起きてこないのに、気がつくと昼間に居眠りしている

□ これまでなら感動していたことにも感動しなくなった

□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない

□ 根気が続かず、中途半端な繰り返しや、やりかけの家事が目立つ

□ ぼんやりしていることが多く、何もしないが指示されるとできる

□ お化粧や髪の手入れや服装など、おしゃれに無関心になってくる

□ 自分に自信がなくて、何かにつけ人を頼ろうとするようになった

□ 歩くとき前屈みの姿勢になり、小股でトボトボと歩く

□ 目の光がどんよりしていて、顔つきが無表情になった

□ 思い込みや思い違いが多く、指摘しても訂正や変更ができない

□ 同じ内容を繰り返して話し、そのことに本人が気づかないでいる

上に挙げた症状はすべて、私たちが定義する「軽度認知症」(小ボケ)の段階に特有な「アルツハイマー型認知症」の症状なのです。

上記症状のうちの4つ以上に該当するお年寄りで、60歳を超える年齢の高齢者である場合、「二段階方式」による神経心理機能テストを実施すると、殆どの場合、次のことが必ず確認されることになるのです。

① 「前頭葉」の機能レベルが、異常なレベルに衰えてきていること。

②  左脳も右脳も運動の脳も全て未だ正常な機能レベルにあること。

③ 何かを「キッカケ」にして(典型的なケースの例示をすると、先の「東日本大震災」のような大きな災害の被災)、生き甲斐なく、趣味なく、交友なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が日々繰り返され継続されていること

④ ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まるその「キッカケ」となった出来事の発生或いは生活状況の変化は、判定時から起算し半年から3年半前の範囲の期間内に起きていること。

       

&「軽度認知症」(小ボケ)の症状が発現するメカニズム

上記に列挙した本当の意味での初期症状、すなわち「アルツハイマー型認知症」の最初の段階の症状(「小ボケ」の症状)は、実は、「記憶の障害」とは関係がないのです。私たちが何かのテーマについて文章で考えを表現するとしましょう。どのようなテーマについて、どのような筋を展開し、どのような内容で表現内容を構成するか、或は、どのような言葉の表現方法を使用するか、全ては、「注意の分配力の機能」(異なった複数のテーマを同時に処理する機能)の適切なレベルでの働きなしには実行することが困難となるのです。

言葉を介して、何かのテーマについて、相手とコミュニケーションを適切に実行するにも、同様に、注意の分配力の機能が適切なレベルで働くことが不可欠となるのです。自分が置かれている現在の状況を理解して、其の上で、様々な対応の仕方(テーマの発想、実行内容の企画と計画、実行の程度と態様)をシミュレーションして、適切な選択を行い、最終的な実行内容を判断し決定しようにも、「注意の分配力」の機能が、廃用性の異常で加速度的な機能低下を進行させてきている「小ボケ」の機能レベルの下では、もはや期待困難なことなのです。この「小ボケ」の段階で、上述したあらゆる場面で、その人らしさは失われていることにも気付いてほしいのです。

アミロイド・ベータの蓄積による老人斑の沈着やらタウ蛋白の蓄積による神経原繊維変化などによる神経細胞の脱落や滅失とやらが原因となって、「記憶障害」の症状を発現させ、且つそのことが、先に列挙した「小ボケ」の症状を発現させているわけではないことを知るべきなのです。アミロイド・ベータ説にこだわる学者や研究者の皆さん、何時まで、アミロイド・ベータやタウ蛋白とやらに執着し続けるつもりなのですか。

「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、左脳も右脳も運動の脳もすべてが正常な機能レベルにあるのに対して、「前頭葉」の機能だけが異常なレベルに衰えてきているといいました。異常なレベルに衰えているその機能とは、「注意の分配力」の機能を中核とした「前頭葉」の三本柱の機能のことなのです。「前頭葉」の三本柱の機能には、誰にでも確認される、生来的な性質としての「正常老化の性質」(私たちが発見した性質)が内包されているのです。日々の暮らしの中で、「前頭葉」の出番が十分に確保されている脳の使い方としての「生活習慣」を構築し、実行していても、「加齢」とともに衰えていくという性質があるのです。20歳の前半を折り返し点として、100歳に向かって、緩やかではあるが直線的に衰えていくという性質のことなのです。65歳ごろには、最盛期の20歳の前半のころの半分くらいに衰えてきているのです。従って、加齢と共に「正常老化の性質」という条件が進行してきた60歳を超える年齢の「高齢者」が(私たちが定義する、「アルツハイマー型認知症」発病の「第一の要件」)、何かを「キッカケ」にして、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続していると(私たちが定義する、「アルツハイマー型認知症」発病の「第二の要件」)、第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることによるその相乗効果として、「前頭葉」の三本柱の機能が、加速度的で異常な機能低下を進行させていくことになる、その行き着く先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているという訳なのです。

     

その最初の段階が、「脳のリハビリ」により正常なレベルに回復させることが容易な段階であり(私たちの区分で言う、軽度認知症「小ボケ」の段階)、次いで、「脳のリハビリ」により回復させることが未だ可能な段階があり(私たちの区分で言う、中等度認知症「中ボケ」の段階)、最後に、回復させることがもはや困難となる段階(私たちの区分で言う、重度認知症「大ボケ」の段階)があるのです。認知症の専門家とされる人たちは、「小ボケ」の段階も、「中ボケ」の段階も見落としていて、末期の段階である「大ボケ」の段階で見つけているために、「アルツハイマー型認知症」は治すことができないタイプの認知症だと、誤解による確信を抱いているということなのです。

「アルツハイマー型認知症」の末期の段階の更に後半にならないと発現がみられない症状であり、後述する「DSM-4」が「第二の要件」として規定する「失語や失認や失行」といった症状の確認を要求している(私たちの脳機能データによると、MMSEの得点が一桁にまで低下して来ない限り、これらの症状は確認することができないのです)米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」の規定は、「アルツハイマー型認知症」と診断するための「第一の要件」として「記憶の障害」による症状の確認を要求しているのですが、上述したように、「アルツハイマー型認知症」の中核をなす症状は、「記憶の障害」に起因する症状なのではなくて、「前頭葉」の機能障害に起因する症状なのです。その意味で、世界的に権威があるとされている「DSM-4」の規定自体が、「第一の要件」及び「第二の要件」の規定の内容の両者共に、重大な誤りであることをここで再度指摘しておきたいのです。

       

& 「前頭葉」という脳機能について学者や研究者や医師達は理解不足

 私たちは、様々な種類が数ある認知症全体の90%以上の割合を占めている、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症に特化して、早期診断による回復と発病自体の予防を目的とした「地域予防活動」の実施を市町村の保健師さんを通じて、且つ地域のボランティア組織の協力を得ながら、小さな地域単位で展開して、市町村全体に拡大する活動を1995年以来北海道から九州までの地域にまたがる累計440を超える数の市町村で全国展開し、早期診断による「回復」及び発病の「予防」の両面で実践の成果を挙げてきているのです。

 ところが、世界中の専門家達の間では、「アルツハイマー型認知症」は治すことも予防することも出来ないタイプの認知症とされてきているのです。その根本的な原因は、認知症の専門家とされる人達が、脳全体の司令塔の役割を担い、私たち人間の意識的な世界を支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能について無関心である上に、「意識」についても無知なことにあるのです。私たちのように、「二段階方式」と言う精緻な神経心理機能テストを活用して、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを測定し、同時にその脳機能レベルに厳密にリンクした「症状」と脳の使い方としての「生活習慣」と言う「生活歴」を詳細に調べ、正常なレベルから始めて、正常下限、「小ボケ」、「中ボケ」の前半、「中ボケ」の後半、「大ボケ」と言う風に段階を追って、順を追って判定し、鑑別して行けば、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、脳の器質的な変化が原因で発病してくるのではなくて、機能的な変化、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の異常で加速度的な機能低下が原因で発病してくるという「発病のメカニズム」を容易に解明することが出来るのです。

アルツハイマー型認知症」の発病の原因を器質的な変化に求め、「前頭葉」を含む脳全体の機能的な変化(廃用性の加速度的で異常な機能低下)という視点に気づかない限り、脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫/脳のリハビリという方法によって発病の予防も、早期診断による回復も可能である、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるにすぎない病気を、発病の原因も分からないし、発病を予防することも治すこともできない病気、マンモスに仕立て上げ、効きもしない薬を処方して血税を垂れ流し、(「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の異常で加速度的な機能低下が症状の発現及び症状の進行の唯一の原因である、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の発病のメカニズムを考えるとき、開発することがそもそも不可能であると考えられる)「治療薬や予防薬」の開発という無意味なテーマに、血税を垂れ流し続けることになるのです。政治家の皆さん、官僚の皆さん、もっと大事で、緊急を要する税金の使い道は、有るのではないですか。

皆さんが絶大な信頼を寄せている医学会と言う世界は、実に摩訶不思議な世界なのです。主張内容の正しさ/深さよりも、主張者の権威の方が重視される世界なのです。「アルツハイマー型認知症」の診断規定である、米国精神医学会の診断規定「DSM-4」の「第一要件」及び「第二要件」の規定内容には、両者共に重大な誤りが有るにもかかわらず、我が国だけでなくて世界中を席巻しているのです。アミロイドベータというタンパク質の蓄積と「アルツハイマー型認知症」の発病との間には肝心の因果関係が存在していないにも拘らず、我が国では、著名な東西の両国立大学の医学部が主張している(因果関係の立証が未だに為されていない、単なる「仮説」)がために、我が国では有力視されていて、早期診断の方法の開発とか、治療薬/予防薬の開発とかの名目の実現の可能性が全く無いプロゼクトに、巨額の大事な血税が無駄に使われているのです。

あ~、嘆かわしや。

(総まとめ:分かり易く、ポイントだけをまとめてみました)

  認知症全体の90%以上の割合を占めていて、世界中の学者や研究者や医師達から、「発病の原因が分からないし、治すことが出来ないし、発病を予防する方法もわからない」とされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫を実践することにより発病自体を予防することが出来るし、早期の段階で見つけて(私たちの区分で言う小ボケ及び中ボケの段階で見つけて)、脳の使い方としての生活習慣の改善(脳のリハビリ)を実践することにより治すことも出来るタイプの認知症なのです。末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階で見つけているから治せないだけなのです。

 人は誰でも例外なく、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能(私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けているもの)が、加齢とともに、衰えてくるものなのです。40を超える機能が確認される「前頭葉」の「個別認知機能」の認知度及び機能の発揮度を下支えし、支配している、「前頭葉」の「三本柱の機能」には、脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘わらず、20歳代の前半を折り返し点としてそれ以降は、加齢と共に緩やかではあるが機能が衰えていくという性質、私たちが「正常老化」の性質と名付けている性質が生来的な性質として内在しているのです。

脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが意識的に何かをしようとする際になくてはならない働きをしている「前頭葉」を含む脳全体の機能が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」の継続、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の下で、使われる機会が極端に減ったことに起因した加速度的で異常な廃用性の機能低下の進行により【情報を伝達する神経細胞が、器質的な病態を発現してくること又は廃用性の萎縮を起こすことにより、「記憶機能」が低下することが発病の原因なのではなくて、1つの要因としては「正常老化の性質」に起因する加齢による機能の劣化がもう1つの要因としては使われる機会が極端に少ない生活習慣の下で神経細胞の再生が弱まってしまい、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能からなる「前頭葉」の三本柱の機能を中心として、各種の認知機能自体が廃用性の機能低下を起こしてくることの2つの要因が同時に充足される相乗効果により、「前頭葉」を含む脳全体の加速度的で異常な機能の衰えが進むことが発病の原因であると私たちは考えているのです】、60歳を超える年齢の「高齢者」のみを対象として発病する老年性のアルツハイマー型認知症」は、症状が何年もかけて、徐々に段階的に緩やかに進んでいくのが特徴なのです。その最初の段階が、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階なのです

60歳を超えた年齢の「高齢者」が(私たちが規定する発病の「第一の要件」)、何かを「キッカケ」として(ここを「クリック」してください)、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、言い換えると、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を日々継続させていると(私たちが規定する発病の「第二の要件」)、「第一の要件」と「第二の要件」とが同時に充足される相乗効果により、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことになり、その行きつく先に、「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということ、このことが原因不明と言われている「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムなのです。一部の学者が主張し拘泥しているアミロイドベータの蓄積も、タウ蛋白の蓄積も、「アルツハイマー型認知症」の発病とも、症状の進行(重症化)とも無関係(主張する原因と発病との間の因果関係が存在しない)の関係なのです。

注)本著作物(Bー57に記載され表現された内容)に係る著作権は、 (有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

      エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

       脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

     

    

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