和田峠は、標高も高く中山道のなかでも難所だった。西の方、大津や草津から下ると、峠の手前が諏訪。峠を越して直ぐが和田宿、少し平地を進めば長久保となる。十返舎一九の「金草鞋」木曾街道之記では、諏訪の次は長久保となっているが、和田峠を降りた直ぐにも和田宿の泊りが可能であった。
中山道沿いには、本陣以下、旅籠の羽田野、かわちや、大黒屋と、わずか数十メートルの範囲に街道にちなんだ建物が建ち並ぶ。
一番格の高い客は、当然に本陣に泊まったのだろうが、かわちやは上段の間などもそろえ、相当な格の高さを見せる。
格子戸の内側には障子があり、それを通った光は不思議に美しい。床板はよく磨きこまれている。
写真を撮ったのは午後3時くらいだが、日の光はそろそろ峠に沈もうとしていた。
二階の格子窓から中山道を望む。道路は舗装され、電信柱はあるが、たたずまいは昔のままだ。
街道の反対側、奥にはこんな庭も造られている。
近くにある曹洞宗のお寺の鐘楼に、不思議に惹かれるものを感じた。
中山道沿いには、本陣以下、旅籠の羽田野、かわちや、大黒屋と、わずか数十メートルの範囲に街道にちなんだ建物が建ち並ぶ。
一番格の高い客は、当然に本陣に泊まったのだろうが、かわちやは上段の間などもそろえ、相当な格の高さを見せる。
格子戸の内側には障子があり、それを通った光は不思議に美しい。床板はよく磨きこまれている。
写真を撮ったのは午後3時くらいだが、日の光はそろそろ峠に沈もうとしていた。
二階の格子窓から中山道を望む。道路は舗装され、電信柱はあるが、たたずまいは昔のままだ。
街道の反対側、奥にはこんな庭も造られている。
近くにある曹洞宗のお寺の鐘楼に、不思議に惹かれるものを感じた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます