椿寿荘と呼ばれる田巻邸を訪れるのは2回目になる。前回は晴れて暑い日だったが、今回は秋の気配がただよい、小雨が降っていた。
椿寿荘は田巻邸の離れ座敷として大正7年に建てられた。離れ座敷なので、建坪は140坪もあっても、台所などの設備は無い。
大広間の縁側の庇には、一本の吉野杉が通る。雨にぬれた石は独特な反射を返し、まるで京都の庭園のようである。
庇の吉野杉の他は、木曽のヒノキが多用されている。
大広間中央の中央の靴脱ぎ石の辺りから庭を眺めると、上座から見るのとは異なる風景が展開する、
大広間の奥には、限られた特別の客をもてなすための、奥座敷がまるで宙に浮くようにして造られている。
それなりの広さは有るのだが、浮かぶようにして周囲の空間からちょっと距離をとったこの座敷は、実に居心地が良い。普請当時の当主は、この空間を船の中になぞらえたそうだ。
この屋敷には、小雨が良く似合う。
椿寿荘は田巻邸の離れ座敷として大正7年に建てられた。離れ座敷なので、建坪は140坪もあっても、台所などの設備は無い。
大広間の縁側の庇には、一本の吉野杉が通る。雨にぬれた石は独特な反射を返し、まるで京都の庭園のようである。
庇の吉野杉の他は、木曽のヒノキが多用されている。
大広間中央の中央の靴脱ぎ石の辺りから庭を眺めると、上座から見るのとは異なる風景が展開する、
大広間の奥には、限られた特別の客をもてなすための、奥座敷がまるで宙に浮くようにして造られている。
それなりの広さは有るのだが、浮かぶようにして周囲の空間からちょっと距離をとったこの座敷は、実に居心地が良い。普請当時の当主は、この空間を船の中になぞらえたそうだ。
この屋敷には、小雨が良く似合う。
ちゃんと造りこまれているし、
落ち着いた雰囲気がいいですね。
視点を少し上げて、
小鳥にでもなったような感覚です。
なかなか見応えがありますね。
豪農の館・伊藤家のお庭を思い出しました。
新潟だから?
江戸時代の新潟の平野部のかなりの部分が、水利事業がなされていなくて、泥沼のような状態だったと言われています。それが江戸末から明治初期にかけての新田開発で、米所となったそうです。そのため、明治初期には新潟の地主は巨万の富を手に入れたものが少なくありませんでした。
この家は大正初期の建築ですが、建主の人物像や時代が共通しているのではないでしょうか。
柏崎出身の庭師がいろいろと活躍したのもその時期だったと思います。