興禅寺には、大きく分けて3つの庭がある。
一番有名なのは昭和の看雲庭だが、江戸期の万松庭、平成の昇龍の庭もそれぞれ見ごたえがある。
寺の一番外側にある昇龍の庭。
岡谷の作庭家、小口基身により平成11年に作庭された。
寺の裏手にある書院の前の万松庭。
江戸中期の金森宗和の作庭である。
しかし、庭にちゃんと近づけないので、見るべきアングルからの写真が撮れない。なんだか、よく分からない写真しか獲れなかった。
東洋一の広さを持つ枯山水の庭、看雲庭。
確かにスケールが大きく、全貌を一枚の画面に収めるのは難しい。
重森三玲により昭和38年に作庭された。幸いにして借景の山々は作庭当時の姿を保っている。
京都比叡山の白川砂を使用しているとの事。ここで月見をしたら、さぞや見事だろう。
さすが重森三玲。石組が、何かとても饒舌に感じられる。
一番有名なのは昭和の看雲庭だが、江戸期の万松庭、平成の昇龍の庭もそれぞれ見ごたえがある。
寺の一番外側にある昇龍の庭。
岡谷の作庭家、小口基身により平成11年に作庭された。
寺の裏手にある書院の前の万松庭。
江戸中期の金森宗和の作庭である。
しかし、庭にちゃんと近づけないので、見るべきアングルからの写真が撮れない。なんだか、よく分からない写真しか獲れなかった。
東洋一の広さを持つ枯山水の庭、看雲庭。
確かにスケールが大きく、全貌を一枚の画面に収めるのは難しい。
重森三玲により昭和38年に作庭された。幸いにして借景の山々は作庭当時の姿を保っている。
京都比叡山の白川砂を使用しているとの事。ここで月見をしたら、さぞや見事だろう。
さすが重森三玲。石組が、何かとても饒舌に感じられる。
上から写真を眺めて
なるほど、良い味わいの庭園だと
こんな庭園が木曽にあったとは
と、思いつつ拝見
下部の重森の名を見て
ああ、なるほどと納得
世には知らないことがまだたくさんあります
また、行きたくなってきました。
重森三玲の庭園に拘っていた頃に訪れて以来、
ずいぶん時間が経ってしまいました。
江戸、昭和、平成の庭があるんですよね。
でも、
木曽谷に行くには、
少し気合が必要です。
この庭が作庭された昭和38年には木曽福島はどのような姿だったのでしょう。町の地割などはもっと古くから確立されていて、古い街並みは意外に変わっていないのかもしれませんが、国道19号線などは非常に厳しい姿だったのではないでしょうか。その道路事情の中で、京都からわざわざ白川砂を運ぶというのも凄い事です。
昔の大名庭園に匹敵するものを目指した重森三玲ならではの仕事だと思いました。
重森三玲の作品、拘っておられたのですか。
実に納得です。
いろいろと、回られたのでしょうね。
木曽谷は国道も整い、意外に短時間で行けるのではと思います。