蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

東桂苑  関川村 室内を中心に

2011-05-30 20:44:45 | 古民家、庭園
渡邉家の分家が、明治38年に建築した。


敷地は1650坪。
建築延面積 177坪。


本家に較べれば、規模は小さいのだが、これでも大変なお屋敷だ。






座敷の壁は、紅を使い、欄間の細工なども丁寧。
梁の材の良さも、見えてくる。


軒の張り出しが大きいのは、雪国だからなのだろう。
さりげなく、網代が使われている。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (j-garden)
2011-05-31 11:48:00
この建物も立派ですね。
純和風の建物も、
落ち着きます。
敷地が1650坪って、
ちょっとした公園並みの広さですね。
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Unknown (Rio)
2011-06-01 01:05:30
門構えから立派なお屋敷の様子が見てとれますね。
玄関もどっしりとした構えで見事なもので、
これで規模が小さいなんて、驚きですね。
柿渋色の壁、上品な雰囲気があって良いですね。
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Unknown (雪だるま)
2011-06-01 05:56:20
なかなかに素晴らしい邸宅のようで

写真で拝見する建物も
広さと重厚感を感じます

2枚目の写真
なんとなく明治期の建物かな?
と、思わさせられます
時代によって建物のトレンドがあることが解りますね
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Unknown (kikouchi)
2011-06-03 21:16:10
>j-gardenさん
渡邉家が大分落ち目になった(おそらく鉄道の開通による水運事業の低迷などもあるのでしょう)明治38年の建築です。
まだまだ、余裕を感じさせる造りです。

多分、建築時にはそれなりの庭が造られたのだろうと想像します。それを残す事が出来なかったのは、非常に残念です。
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Unknown (kikouchi)
2011-06-03 21:23:23
>Rioさん
新潟県の平野部には、恐るべき豪農が存在しますが、大概は明治維新前後の新田開発で財を成した家です。
渡邉家はちょっと別格で、米沢藩の財政を事実上支えていて、江戸中期からの歴史ある家です。

その分家筋の格のある家です。
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Unknown (kikouchi)
2011-06-03 21:32:07
>雪だるまさん
広さも重厚感も、本家にはとても及びません。
本家の修復工事が終わったら(ちょっと先の事になりそうですが)ご紹介させて下さい。
そういえば、樹の材を運び出すのが楽になったのも、明治30年代位からですか。それまでは、国の中でも数える程の所に本当に見事な材が用いられていた感じですが、この家を含め相当にいいものが、手軽に使われるようになったと感じました。
それも、国内の物流体制の問題なのでしょう。
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