寺島家は加賀藩の中級武士であったようだ。当然、住所は大手町。兼六園方向から訪ねても、武家屋敷の面影を多く残す小道に面している。
家の一部は残されなかったが、座敷や茶室などは18世紀後半の造りそのままのようだ。
写真は、座敷の縁側から庭を望む。
蔵人は19世紀前半を舞台とした人。政治的にも活躍したようだが、その時代には受け入れられなかったようだ。
蔵人にはそのような表向きの面と、画家としての実績もあり、多方面で才能を見せたようだ。
この涸池を中心とする池泉式回遊庭園も、蔵人の手が加わっているようである。
蔵人はこの家に、浦上玉堂を招いている。
座敷の床柱は、大きく間が抜けているのが特徴。
蔵人が自らの書斎を、涸池式庭園にちなんで「乾泉亭」と呼んだのにちなんで、「乾泉」の扁額が見られる。
家の一部は残されなかったが、座敷や茶室などは18世紀後半の造りそのままのようだ。
写真は、座敷の縁側から庭を望む。
蔵人は19世紀前半を舞台とした人。政治的にも活躍したようだが、その時代には受け入れられなかったようだ。
蔵人にはそのような表向きの面と、画家としての実績もあり、多方面で才能を見せたようだ。
この涸池を中心とする池泉式回遊庭園も、蔵人の手が加わっているようである。
蔵人はこの家に、浦上玉堂を招いている。
座敷の床柱は、大きく間が抜けているのが特徴。
蔵人が自らの書斎を、涸池式庭園にちなんで「乾泉亭」と呼んだのにちなんで、「乾泉」の扁額が見られる。
暑い夏の終わって、ようやく復帰です^^
さてさて、金沢の武家屋敷ですか、
興味を持ってはいても、未だ訪れたことが
ない場所です^^
こちらの庭園、座敷から眺めると、敷居の
向こう側が緑一色に染められていて、
目に優しい座敷の風景になっていますね。
自分の家にもこういう風景があれば、、、
いいのですけどね^^;
特に江戸時代に入ってから造作された庭園は
有名な大名庭園を模したものが増えます
竹で境界を設け
割と平面風に策定が成される
雪だるまも先日
とある江戸時代策定の庭園を見てきましたが
雰囲気が似ているのでびっくりですね
藩政改革の本流は
斎広公亡き後廃れたのは残念でしたね
晩年は不遇の人物ですが
そうですか、こんな遺構が残されているんですね
全てが完成されているような庭園では、見ている間に大変な充実感があり、素晴らしいの一語に尽きますが、それを模倣するような事はまるで考えつきません。
こちらの庭は、まあ機会があればこういうのもいいんじゃないの、みたいな感覚が持てます。
もちろん、憧れの存在なのですが。
そういう、少しだけ近寄ってくれる庭、不思議な魅力があります。
どうやら金沢にはそのような庭園が数多く残されているようです。
この邸宅の主、蔵人はやや非凡の人で、藩政改革に手を染め、保守派と勢力を二分したように聞きました。
政治力や、絵心があり、これだけの屋敷に住みながら、最後は流刑となりその地で没したそうです。
惜しいように思われます。
ドウダンツツジの巨木が印象的でした。
寺院庭園のような張りつめた緊張感ではなく、
庭を手軽に楽しむ、
そんな感じの庭園です。
花も紅葉もない季節に訪れたので、やや寂しい庭に見えましたが、ツツジの頃は華やぐのでしょうね。
幕末に近い、中級武士が造る庭としては、精一杯というところでしょうか。